ロスヴァスケス・スワッティング事件   作:Marshal. K

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ロスヴァスケス・スワッティング事件 一

 

木曜日・午前(中央標準時)

コロナド州ロスヴァスケス

 

「あっ、クソ!」

 

 画面の中では、マイケル・ウィンストンの分身の兵士が撃たれ、死ぬところだった。

 年末のその日、高校は冬休みだったのでマイケルは、第二次世界大戦をモチーフとした戦争ゲームの、国内のeスポーツ団体が主催するチーム制のトーナメント大会に出場していた。一ドル五十セントの登録料(ウェイジャー)が必要だったが、優勝すればチーム全員に二百ドルの賞金が支払われることになっている。二位でも五十ドル、三位でも十五ドルだ。流石に小学生ではないから、もう十五ドルを大金だとは思わないが、二百ドルはやはり大金だった。チームは準決勝に進出しており、マイケルは自惚(うぬぼ)れ抜きに、このチームなら決勝進出は固いと思っていたが、その矢先にこれだ。

 (たお)れた兵士に重ねてキルログが表示される。

 

Am4zin9Sh0t(アメイジングショット) が Vap0riz3r(ヴァポライザー) をキルした”

 

 二つのハンドルネームは、同じ色で表示された。それはつまり、誤射にせよ意図的にせよ、TK(チームキル)という事だった。

 

「なんなんだよ、アイツ!」

 

 マイケルは叫んで、コントローラーをデスクに叩き付けた。大会はサドンデス方式なので、一度死ぬと攻守交替まで復活できない。

 

「散々俺に、ガキ相手みたいな説教垂れといて、コレかよ。クソ、歳が二つ違うってだけで調子乗りやがって」

 

 試合前にチーム内VC(ボイスチャット)で偉そうに喋っていたAm4zin9Sh0tの、(かん)(さわ)るキンキンした声を思い出して、マイケルは(から)になったエナジードリンクの缶を床に叩きつけた。床越しに母親の金切り声が響く。

 

『うるさいわよ、マイク!』

「ごめん!」

 

 大声でそう叫び返したが、声は怒りに任せた怒鳴り声だった。

 どいつもこいつもクソッタレだ。留年してまだ高校生のクセにエラそうなAm4zin9Sh0tも、ゲームばかりしてないで勉強しなさいと言う母親も、「友達を呼ぶときは物音を立てないで」などと要求してくる妹も。父親には、四桁ドルもするゲーミングPCを買ってくれたことだけは感謝しているが、それ以外はやっぱりクソッタレだ。

 爆発音がゲーム内で鳴り響く。マイケルたちのチームは防衛に失敗したのだ。

 

「クソ、これで負けたらアイツのせいだな」

 

 マイケルは呟き、もう一度コントローラーを手に取った。

 

木曜日・午前(東部標準時)

エリー州ミューニック

 

「クソッ、クソッ、クソッ! 誰のせいだと思ってんだよ!」

 Am4zin9Sh0tのハンドルネーム活動しているショーン・ドノヴァンはスマートフォンに向かって、唾を飛ばしながら叫んだ。通話をしているわけではないので、その罵倒は相手に届かないものの、同じような内容のメンションを相手に送ったところだった。

 彼の背後にあるデスクには、アルバイト代をつぎ込んで買ったハイエンドPCがある。画面にはあの戦争ゲームのオンラインロビーが表示されており、画面内ウィンドウで大会運営から送られてきたメッセージが開かれていた。

 

”ゲームログを検討した結果、あなたの行動に大会規則違反(意図的なチームキルの禁止)があったものと認めました。従って、あなたを今大会から除外しました。なお、事前に同意された参加規約により、登録料の払い戻しには応じかねます。ご了承ください”

 

 ショーンはなにも、Vap0riz3r――つまりマイケル・ウィンストン――を狙って撃ったわけではなかった。少なくとも本人はそう思っていた。ガキがイキって飛び出して、VCでも言うことを聞かないから、警告代わりに足元の地面を狙って撃ったのだ。

 ところが、バカなことにマイケルが突然後退したので、ショーンの銃弾はマイケルの腰に直撃してしまったのだ。ノーマルモードではHPが減るだけだが、サドンデスでは一発でダウンしてしまう。そしてショーンは、すでにこのガキ相手に衛生キットを一つ使ってしまっていたので、見捨てることにしたのだった。ガキが一人いなくなったところで、大したことはない。そう思ったからだ。そして皮肉なことに――メッセージにはそう書かれていないからショーンは知りようもないが――誤射した味方を、衛生キットを持っているにも関わらず治療しなかったことが、運営から意図的なTKと看做(みな)された原因の一つだった。

 

「しかも、大会中に復讐なんかしやがって! これだからガキは嫌いなんだ!」

 

 ショーンは叫んで、スマートフォンをベッドに叩きつけた。

 攻守交替後の攻撃フェーズ中、敵の機関銃(BAR)陣地をどうにかしようとしていた時に、ショーンは後ろにいたマイケルから撃たれたのだった。即死、つまり衛生キットによる治療の対象にならない頭部を狙った、明らかに意図的なTKだった。マイケルのツイートによれば、それが原因であっちも除外されたらしく、その点はいい気味だったが、問題はそのあとだった。鬱憤晴らしにツイッターを開いたら、@Vap0riz3r、つまりマイケルが、責任を全部ショーンにおっ(かぶ)せて非難するツイートをしていたのだ。

 

「マジでガキ! ゲーム内での動きもわかってねえし、すーぐ誰かのせいにしやがる! こんなガキ、社会にいらねえだろ!」

 

 天井に向かってそう叫んだショーンの脳裡に、一人の男のことが閃いた。

 ショーンはコンピュータ科学にまあまあ通じていて、ハッカーになりたいと思っていた。スーパーゲーマーで、しかもスーパーハッカー。サイコーにクールだろ? その第一歩として、彼はPCにVPNツールとディープウェブ専用ブラウザを導入して、ダークウェブのハッカーフォーラムにアクセスしていた。実際のところ、そのフォーラムはダークウェブではなく、慎重に言葉を選んでGoogle検索し、検索結果を掘り下げ、リンクを二、三辿れば行き着くくらいの、所謂アングラ系フォーラムにすぎなかったのだが。

 その男は”MadSwatter(マッドスワッター)911”のハンドルネームでそのフォーラムに入り浸っていて、自分のハッキングの腕前を自慢していた。彼の主張が本当なら、彼は三大ネットワークの主幹施設や連邦政府施設に対して再三の爆破予告を行い、ブロードウェイの大物女優の個人情報を盗み取り、ハリウッドの大物俳優の自宅にSWAT部隊を送り込んだらしい。その上でFBIや州警察を手玉に取り、未だに捕まることなく犯行を繰り返していると言う。

 実のところ、ショーンはMadSwatter911の主張を話半分に聞いていた。本人が主張するところでは、犯人の見当が皆目ついていないのが恥ずかしくて、連邦政府が必死で事件を隠蔽しているとのことだったが、それにしたってネットニュースの記事一つ無いのは奇妙すぎる。それでも、彼のハッキング技術は間違いなくショーンよりも上で、それはショーン自身も認めていた。本当にクールな男は、実力のある相手にはしかるべく敬意を払うものだ。そうだろ?

 

「アイツなら、このクソガキを社会から消してくれるかもな」

 

 それはサイコーのアイデアに思えた。スワッティングは犯罪? バレなきゃ犯罪じゃない。大体、こんなガキがいたところで、むしろ社会にとっては害しかない。消しちゃったほうが得ってやつだ。えーっと、なんだっけ......そう、公共の福祉のために。

 ショーンはソフトキーボードをタップして、メンションを返した。

 

『@Vap0riz3r お前ホントガキだな。殺してやる。お前が死んだほうが、世界のためになる』

『@Am4zin9Sh0t マジで言ってんの?ww 家から出て高校に行く度胸すらないやつに、人殺しとかできるわけねーだろwwww』

 

 マジで殺す。一々俺の気に障ることばっか言いやがって。

 

『@Vap0riz3r 殺しに行ってやるよ。こんなにキレたことはねーからな。高校行くよりよっぽどやる気になるわ』

 

 次のメンションが来るまで、時間がかかった。ガキのVap0riz3rが大人のマジギレに圧倒されてチビってるのかと思うと、ショーンはほの(ぐら)い愉快さを感じた。

 

『@Am4zin9Sh0t wwwwww こんな笑ったの久しぶりだわwwww いいぜ、来れるもんなら来てみろww これ住所な。コロナド州ロスヴァスケス市東オブライアン通り516番地』

 

「やっぱガキはガキだな」

 

 ショーンは鼻で嗤った。

 

「リテラシーってもんがない。こっちが東部在住とわかってて、挑発してやがる。ネットで知り合った人に住所を教えちゃいけませんって、コンピュータ科学の時間に習わなかったのか?」

 

 そうは言いつつ、ショーンは住所をGoogleマップに入力して、検索した。全く架空の住所にスワッティング依頼を出したりしたら、ショーンこそいい笑いものだからだ。

 住所は実在で、ロスヴァスケス市内のある十字路近くにピンが立った。ストリートビューで見てみる。瀟洒な板壁の、こじんまりとした二階建て住宅だ。街路に面してテラスもある。庭は狭く、あまり手入れされている感じはない。ガレージには錆のついたシャッターが下りている。他の家が平屋建てな中で、その家だけ少し大きめだった。

 

「こんなところに住んでるのは、ヒスパニックか黒人か、貧乏な白人だな。社会のゴミめ」

 

 自分が住んでいるところも、似たようなこじんまりとした二階建て住宅だったが、ショーンは勝手にそう決めつけた。コミックや映画では、こんなスラムに住んでるのは、犯罪者かその予備軍だって相場は決まってる。どうせこの住所がウソだったとしても、社会のゴミに迷惑がかかるだけで、そんなのはノーカンだ。誰にも迷惑をかけてないのと同じだ。

 ショーンはVPNツールを起ち上げると、慎重にプロキシサーバを選んで回線を匿名化した。いつものフォーラムにアクセスする。MadSwatter911の活動時間は夜だが、彼の作った依頼募集スレッドは簡単に見つかった。どうやら何かしらのツールを使って、定期的にスレッド浮上させるルーチンを組んでいるらしい。

 スレに依頼を書き込みながらショーンは、MadSwatter911がどんな人物なのか想像を巡らせた。少なくとも自分みたいに、実家の子供部屋でイキっているわけではないだろう。映画みたいな基地を持っている、とは流石に思わないが、アパートメントの一室をサーバラックで埋め、いくつものモニタやキーボードに囲まれた男を、ショーンは思い浮かべた。そんなクールな男なら必要以上に出歩かず、ハッキングやマイニングやデイトレードで稼いでいるに違いない。うーん、自分も早く、そんな男たちの仲間入りをしたいものだ。

 

木曜日・深夜(太平洋標準時)

カリフォルニア州ロサンゼルス

 

 フレディ・サリンジャーはその日、疲れ切って帰宅し、ぼろぼろの人造皮革(フェイクレザー)張りの肘掛椅子に身体を沈めた。定職の無い彼にとって、年末は稼ぎ時だった。休みでお客が増えるので、サービス業はどこも短期臨時雇いのアルバイトを必要としていた。フレッドのように郵便を受け取れる住所のない人間でも、社会保障番号さえあれば皿洗い係(バスボーイ)として雇われるほどに。

 先ほど、『帰宅した』と書いたが、正確にはここはフレッドの自宅ではない。ロサンゼルスの南、サンペドロ地区にあるサイバーカフェだ。住所不定かつ一年の大部分は無職の彼がMadSwatter911としてハッキングしようと思えば、ある程度以上のスペックのPCが必要だった。ハイエンドPC付きブースの長期滞在料金はなかなかのものだが、ハッキングがアルバイトよりも安定した収入となる彼にとっては必要経費だった。

 

「お、依頼が来てやがる......」

 

 ほとんど習慣となっているフォーラム巡回を始めると、それはすぐに目についた。大半は冷やかしだが、金になる場合もあるので、一目でそれとわかる冷やかし以外には、たいていレスを返していた。

 Am4zin9Sh0tとかいう、1337(LEET)*1を多用した厨二じみたハンドルネームのヤツは、すぐにレスを返してきた。ロシア製のログが残らないチャットツールを導入させ、依頼の詳細を聞く。コロナド州ロスヴァスケスのある住所にスワッティングをかけて欲しい、とのことだった。頭の中で数字を回し、金額を弾き出す。二千ドルでいいだろう。交渉次第では千ドルまでまけてもいい。

 

『@Am4zin9Sh0t やってやってもいい。二千ドル払えるならな』

『@MadSwatter911 二千! 冗談だろ!』

 

 金の話に移ると、たいていの冷やかしどもは帰っていく。こいつもその類か。

 

『@MadSwatter911 俺、まだ高校生なんだ。二千なんて、とてもじゃないが払えない』

 

 ただのガキか。二千ドルも用意できないようなお子様が、こんなところで何してやがる。

 そうは思いつつも、フレッドは頭の中で最低価格を五百ドルまで引き下げた。依頼は依頼だし、最近のロサンゼルスはなにもかもバカ高価(たか)い。

 ネットニュースによれば、トランプ大統領の経済政策のお蔭で景気が上向いていて、物価が上がっているらしい。結構なことだが、フレッドのようなホームレスにはキツい話だった。黒人やヒスパニックや女の味方ばかりして貧困白人男性を切り捨てる民主党政権よりも、白人の味方のトランプが大統領になれば雇用も安定し、フレッドも正規雇用の職に就けると思っていたのに。あの金持ちジジイがホワイトハウスの主になってから、もうじき一年経とうとしているのに、働き口はまるで見つからない。そのくせ物価のほうは上がりだしたと来た。生活はむしろ苦しくなってきている。クソッタレ、政治家なんてどいつもこいつもクソだ。

 今のフレッドは、一ドルでも多く稼がなければならなかった。生きていくために。ガキからの依頼でも、金を払えるなら蹴るわけにはいかない。もう少し交渉を続ける必要がありそうだった。

 

『@Am4zin9Sh0t じゃあ千ドルだ。ガキでもそれくらい払えるだろ』

『@MadSwatter911 そんなの無理だよ。バイト代だって、せいぜい一か月で七百とか八百くらいなんだ。そのくらいじゃないと払えない』

 

 ウソつけ、とフレッドは思った。どんなド田舎の高校生だって、バイトしてるなら月千ドルは貰える。向こうからバイトしてるとバラしてくれたんだから、これ以上まける必要はない。

 

『@Am4zin9Sh0t 千ドルだ。これ以上まけられない。足りないならウェスタンユニオンから借りるなり、親から盗むなりして揃えろ。できないなら、話はここまでだ』

 

 随分時間がかかったが、相手はチャットから退出せず、やがて返信を送って来た。

 

『@MadSwatter911 わかった、千ドルでいい。どうやって払えばいい?』

 

 フレッドはにんまりと笑い、相手に仮想通貨の購入の仕方を手ほどきし始めた。

 

金曜日・朝(太平洋標準時)

カリフォルニア州ロサンゼルス

 

 フレディ・サリンジャーは、ロサンゼルス市内のマクドナルドに入店した。一番安いバーガーとペプシを注文し、混んだ店内でなんとか空きテーブルを見つけると、そこに座った。騒々しい店内の、すみっこの方の席だ。フレッドのスマートフォンにはノイズキャンセル機能があるから、この五月蠅(うるさ)さは相手に伝わらないだろう。そして、自分がイヤホン相手にぼそぼそ喋っていても、誰も気に留めまい。

 ついさっき買ったばかりのプリペイドSIMカードをスマートフォンに挿入してから、店内の無料Wi-Fiに接続する。メッセンジャーアプリを起動すると、プリペイドSIMの電話番号で新しい捨てアカウントを作り、電話番号認証をした。VoIP(インターネット電話)機能を起ち上げ、調べておいた電話番号に架ける。電話が繋がり、イヤホンの向こうから自動応答メッセージが流れ始めると、画面をスワイプしてアプリを切り替え、あらかじめ用意してあったダイヤルトーンを再生した。電話の向こうで回線が切り替わる音がする。次のダイヤルトーンを流すと、呼出音が鳴り始めた。

 本番五秒前。フレッドは深呼吸した。電話は呼出音二回で繋がった。

 

『こちらは911番です。どうされましたか』

「俺はブライアンって言うんだ」

 

金曜日・午前(中央標準時)

コロナド州ロスヴァスケス

 

 朝のラッシュアワーが終わり、ロスヴァスケス市警察本部庁舎地下の通信指令室には、弛緩したような空気が漂っていた。ロスヴァスケスは州都でこそないが、州内最大の都市だ。といっても人口は四十万人足らずで、中西部の田舎都市といったところである。そんな片田舎でも、朝のラッシュアワーには交通事故だの掏摸(すり)だの、警察への通報はひきを切らない。人々が動き出す時間帯だから、未明に死んだ自殺者や()き逃げ被害者などが発見されるのも、大体この時間帯だ。

 年末でいつもよりは静かとはいえ、相変わらず忙しい魔の時間帯を今日も切り抜け、退勤時刻まで三十分を切ったので、指令員たちはみんな気を緩めて、煙草を喫ったり談笑したりしていた。

 911受令台が着信ブザーを鳴らしたのはまさにそんな時で、受令台当番指令員のスーザンは舌打ちをこらえてコーヒーの入った紙コップを置き、液晶タッチモニタの応答ボタンをタップした。

 

「こちらは911番です。どうされましたか」

『俺はブライアンって言うんだ』

 

 ヘッドセットの向こうから、押し殺したような男の声が聞こえてきた。若い男だ。

 

『ロスヴァスケスに住んでる。今、親父を殺した』

「え?」

 

 スーザンは一瞬、自分の耳を疑った。

 

「すみません、もう一度言ってください」

『聞こえなかったのか。俺は親父を殺した。撃ち殺したんだ』

「お父さんを、射殺したんですか?」

 

 わざわざ声に出して訊き返したのは、同僚に聞かせるためだった。隣の無線指令台の当番指令員が、警察電話交換台の当番指令員との談笑を中断して、目を丸くして見つめてくる。スーザンが頷き返すと、慌ててヘッドセットを着け直して自分の指令台に向き直った。

 

『そうだって言ってるだろ』

 

 ”ブライアン”は声を荒げたが、それでも押し殺した低い声のままだった。

 

『母さんと弟は縛り上げてある。今から家にガソリンを撒く。通報があっても、頼むから放っておいてくれ。俺は死にたいだけなんだ』

「では、まだ家にいらっしゃるんですね?」

『当然だろ。なあ、お願いだから、ここで銃声がしたとかって通報があっても、無視してくれよ。静かに死にたいだけなんだ、俺は』

「どちらにお住まいなんですか?」

『東オブライアン通り516番地だ。放っておいてくれたら、一人で勝手に死ぬ。でももし警察が来たら、家に火を着けて、ママも弟も道連れにしてやる。お前たちにも発砲するぞ、その時には』

 

 スーザンは住所を走り書きして、隣の指令員に滑らせた。

 ふと、スーザンの頭に、昨年受けたスワッティング対策の講習がよみがえった。

 スワッティングとは、近年になって急増し、悪質化の一途を辿っている嫌がらせの一種だ。対象者の住所であたかも武装強盗などの凶悪犯罪が起きているかのように装った虚偽の通報をして、SWAT(スワット)のような特殊部隊を出動させるのである。そんな悪戯自体は大昔、それこそ二十世紀の初頭からあるものの、電子メールやテキストメッセージでの通報を受け入れ出したころから手口はどんどん巧妙化し、緊急通報番号911の導入や携帯電話の普及も相まって、件数も指数関数的に増加していた。数年前にはトム・クルーズやクリント・イーストウッドなどの有名人を対象としたスワッティングが同時多発的に発生し、FBIが警戒を強めていた。

 講習では、911に架けてきたか代表電話に架けてきたかが、見分けるポイントの一つだと説明された。ロスヴァスケス市内からでないと、911に架けてもここには繋がらないのだ。スーザンは受令台モニタに表示されている発呼者番号を確認した。市内だ。それも携帯電話やインターネット電話ではなく、固定電話である。スワッティングではないようだ。見覚えのある番号のような気もするが、思い出せない。

 警官隊が到着するまでの時間稼ぎに、スーザンはなんとか通報者と連絡を取り続けようとした。電話番号に見覚えがある事は、すぐに忘れてしまった。

 

 

 

 防弾ベストを着込んだヘンリー・ウィーラー巡査は、緊張した面持ちでSUV型パトカーの後部座席に座っていた。パトカーはけたたましいサイレンを鳴り響かせながら、川を渡ってかつての黒人居住区であるマンチェスター地区に入り、ネビュラ通りを南に爆走しているところだった。旧労働者街のオブライアン地区まで、もうあと数分で着く。

 どちらの地区も都市圏の拡大で、居住者層はむしろ堅実な中流階級へと移っていて、コロナド州内でも統計的に飛びぬけて治安が悪いロスヴァスケスの中では、相対的に平和な地区だ。もちろん、空き巣や車上荒らしは少なくない。強姦殺人だの強盗殺人だのといった凶悪犯罪の発生率は、サウスタウン地区などの南郊エリアに集中していた。二十年前に郊外住宅街として開発されたエリアだが、サブプライムローンのバブルがはじけて以来、廃墟街と化しており、暴走族(バイカーギャング)の巣窟になっているのだ。

 ヘンリーは無意識に、装弾済みの弾倉が装着され、装填状態になっているAR-15自動小銃のセレクタを指でなぞり、セーフティがかかっているのを確かめた。もう四度目であり、緊張している兆候だ。海兵隊員としてアフガニスタンに派遣されている間も、七年前にこの市警に入庁した後も、銃撃戦には何度も遭遇した。しかし前者では途上国で、後者ではスラム化したサウスタウン地区での戦闘だった。恵まれたホワイトカラー労働者の暮らす住宅街へ武装出動というのが、ヘンリーにはどことなくミスマッチに感じられ、それが無意識的な緊張の原因になっていたのだった。

 

「あそこだ!」

 

 助手席のナイルズ巡査が叫び、ネビュラ通りとオブライアン通りの角から少し東に入ったところにある二階建て住宅を指した。家の前にはすでに三台のパトカーが停まり、ものものしい雰囲気になっている。警官たちがてんでに銃を構え、家に向けていた。

 パトカーが停まると、ヘンリーを含む三人の巡査はただちに飛び出した。ナイルズともう一人は、それぞれP320自動拳銃とM870散弾銃を構えて、じりじりと家に近付いて行った。

 ヘンリーはさっと警官たちを見回し、自分を含めたこの場にいる九人の武装警官の誰一人として、人質事件の特別な訓練を受けていないことに気付いた。ヘンリーは海兵隊で、住宅の包囲戦や屋内戦闘について訓練を受けていたものの、特殊部隊のような訓練は受けていなかったし、他の八人のうち従軍歴があるのは、コロナド州兵陸軍上がりのホイットニー巡査部長だけだった。

 しかも、詳しい状況がわからない。通報者が父親を射殺し、家人二名を人質に取っていると主張している、というところまでは無線で流れてきたが、それ以上の情報は無かった。

 誰もが前に出て住宅を注視している中、ヘンリーは後ろに下がった。後方から全体を視界に収める人物が必要だと思ったのだ。ホイットニーに許可を取るべきか一瞬迷い、一度は声をかけた。しかし、パトカーの一台のサイレンがつきっぱなしになっていて、ホイットニーには聞こえなかったようだ。結局ヘンリーは、現場判断でいいだろうと思い直した。拳銃や散弾銃を持っている警官たちより、AR-15を装備していて、海兵隊優秀射撃技能章(マークスマン)持ちの自分のほうが適任だろう、とも思った。

 対象の住宅の向かいにある、平屋建ての住宅の玄関ポーチに上がり込み、セーフティを外したAR-15を構えて全体を俯瞰した。

 間もなく、対象の住宅の玄関ドアが開いて、若い白人男が一人、訝しげに出てきた。警官たちが一斉に怒鳴る。早口であり、しかも複数の言葉が重なり、鳴りっぱなしのサイレンもあって、ヘンリーにはよく聞き取れない。

 やがて、男が急に動いた。ヘンリーには、男が胸元に手をやり、厚手のシャツの下から武器を取り出そうとしているように見えた。ヘンリーは銃を構えて照準サイトを覗き込み、男の胴体の真ん中を狙った。風はほぼゼロ。海兵隊のマークスマンなら、外しようがない状況だ。

 ヘンリーは引鉄を引いた。

 

 

 

 アンジェリーナ・マクダグラスは東オブライアン通り516番地に住んでいる、十七歳の女の子だった。彼女の父親は蒸発し、母親は昨年病死した。叔父、つまり母親の弟にあたるエイドリアン・マクダグラスに養子として引き取られ、マクダグラス夫妻と祖母との四人で暮らしていた。アンジェリーナは父親の顔すら覚えていなかったが、家によく来てアンジェリーナに構ってくれていたエイドリアン叔父さんのことは兄のように思っていたから、十歳しか違わない彼をパパと呼ぶことには少々抵抗があった。エイドリアンのほうもそれをわかっているようで、養父となった後も、父親呼びするように言うことは無かった。

 去年の暮れに、アンジェリーナの母親と祖父が相次いで亡くなり、一家は新たに大きな家を一軒買って、一か所に集まって住もうと決めたのだった。この家には、今年の一月から住んでいた。

 今、彼女は窓の陰から外を見ていた。家の前にたくさんのパトカーが停まっている。警官たちが銃を構えているのが見える。笑って「大丈夫だよ。きっと何かの間違いさ」と言って出て行ったエイドリアンが、テラスに姿を表した。警官たちが口々に、聞き取れない怒鳴り声を上げる。彼は両手を上げようとして、胸の辺りで躊躇うように止めた。

 次の瞬間、エイドリアンの背中からばっと赤いものが飛び散った。真っ赤な液体が窓ガラスを半分染めた。彼は殴られたように吹き飛ばされ、赤く染まった窓の死角に入って見えなくなった。

 目の前で起きたことが信じられず、アンジェリーナは身動き一つとれずに、窓の側で固まっていた。大きな銃を構えた警官たちが怒声を上げながら突入して来て、彼女を押し倒し、両手を後ろに捻り上げて手錠をかけた時も、パトカーに乗せられて警察署に連行された時も、泣きわめく祖母や養母と引き離されて、一人で勾留手続室(ブッキング・ルーム)に入れられた時も、放心状態のアンジェリーナは何も考えることが出来ず、警官からの質問にもろくに答えられなかった。

 

 半年後、十八歳の誕生日の翌日に、アンジェリーナは市内の銃砲店を訪れた。運転免許証を出して年齢要件を満たしていることを証明すれば、コロナド州では誰でも銃を買える。購入許可も銃砲登録も不要だ。

 アンジェリーナは一番安い小口径の単発拳銃を買い、地下の射撃場で三発試し撃ちした後、実弾を一箱購入し、装弾状態の拳銃の携行許可――この州におけるほぼ唯一の銃規制――を求める手続きの有料代行サービスは断って店を出た。

 その夜、アンジェリーナは実弾を装填した銃を咥えて発砲し、命を絶った。

 

 

 

「制圧した?」

 

 スーザンはヘッドセットのマイクを押さえて、隣に座る無線指令員に訊き返した。相手が頷く。無線報告によれば、被疑者一名を制圧し、三名を保護したとのことだった。それなのに、通報者はまだ、ヘッドセットの向こうでお涙頂戴を続けている。

 スーザンは相手に訊いた。

 

「もしもし? 東オブライアン通りの516番地にお住まいなんですよね?」

『ああ、そうだよ。クソッタレ東オブライアン通りの、クソッタレ516番地だ。頼むから邪魔をしないでくれ』

「もう一度お名前を伺ってもいいですか?」

『ブライアンだよ』

「ブライアン、何です?」

 

 フルネームを訊くと、相手はしばし沈黙し、電話が切れた。スーザンは一瞬呆然とした。これ、スワッティングだったの? モニタの発呼者番号に目をやる。間違いなく市内の固定電話だ。その下の呼返ボタンが点滅していることに気付いて、スーザンは慌ててタップした。緊急通報用番号に架けた場合、当局側が切断するまで回線は保持されるのだ。

 呼出音が鳴った瞬間、すぐに電話が繋がった。

 

「もしもし、こちらは――」

 

 スーザンを遮って、録音された女性の声が流れ始めた。

 

『お電話ありがとうございます、こちらはロスヴァスケス市役所です。ただいまの時間は、閉庁時間となっております。緊急のご用の方はガイダンスに従って、以下の番号を押してください......』

 

 スーザンは再び呆然とした。今となっては、なぜ発呼者番号に見覚えがある気がしたのかよくわかる。市役所の代表電話番号なのだ。通信指令室の要員は、受令台、指令台、交換台などを交替で務める。交換台指令員として、何度も取り次いだことのある番号だったのだ。

 スーザンの頭は真っ白になり、ただただ天井を見つめることしかできなくなっていた。

 

 

*1
英語圏のネットにおいて、アルファベットを似た形の数字に置き換えるスラングないしミームの一種

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