キヴォトスに墜ちた悪魔 エ駄死Ver   作:やーなん

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愛情の奈落

 

 

 

「“話はよく分かった”」

 

 連邦生徒会所属、連邦捜査部シャーレ。

 その本部はサンクトゥムタワーであるが、そのオフィスはそこから外郭地に向けて三十キロ離れている。

 

 偶然近くへと向かうトラックのヒッチハイクに成功したアカリとジュンコ、そしてイズミは、シャーレの先生とのコンタクトを取ることに成功した。

 三人が追い立てられたのは市街地に驚くほど近かったので、都市部へ送ってもらい連邦生徒会へ連絡を取り、そして先生へと取り次いでもらった形である。

 

 連絡を受けた先生は急行し、そして三人の姿を見て絶句した。

 

 泥だらけで、服はボロボロ、疲労は色濃くふらふらの三人は以前の様子とは掛け離れていたからだ。

 

「“とりあえず、シャワーを浴びてきて。服も洗濯して、その後にご飯でも食べよう”」

 

 こくん、と頷く三人。

 先生は無残な三人の有様に、そう言う他なかった。

 そして彼女達がシャワールームに消えたのを見届けると、電話を掛けた。

 

「“……チナツ”」

『……はい先生、そろそろ連絡が来るとは思っていました』

「“私が連絡するのを分かっていたみたいだね”」

『アカリ、ジュンコ両名はまだ、作戦の対象ですから』

「“彼女達から事情は聴いた。でも、まだそちらの言い分を聞いていない。具体的に教えて欲しい”」

『ええ、分かりました』

 

 そうして、チナツから語られた美食研究会撲滅作戦の一連の工程に、先生は本日二度目の絶句をした。

 

「“こんなの、ただの弾圧じゃないか”」

『知っているでしょう。それだけのことを彼女達はしたのです』

 

 被害総額と苦情の数を教えますか、とチナツは言った。

 

『我々はちゃんと事前に、こうなる前の最後通告を行いました。

 それを無視し、あまつさえ無様に先生に泣き付いている。

 余りにも都合の良い話だとは思いませんか?』

 

 風紀委員会はもう彼女達を決して許さない、とチナツは語る。

 

『私も心情的には彼女達に同情もしています。しかし、作戦の正当性は認めています。

 そしてもう、私が止められる段階でもないのです』

「“作戦の責任者は彼だと聞いた。電話を代わってくれ”」

『それは出来ません。顧問官殿は作戦の陣頭指揮を執っていらっしゃいます。

 そして、この作戦は万魔殿と風紀委員長の両方から承認を得たテロリスト撲滅作戦。

 仮に顧問官殿と話をしても、何も状況は変わりません』

 

 チナツは淡々と事務的に、先生に告げる。

 

「“なら、イロハとヒナに話を付ける”」

『わかりました。イロハさんならそこにいらっしゃいますので、お話ししますか?』

「“イロハはそこに居るのか?”」

『ええ、我らの作戦の監視の為に。今のところ何の苦情もありません』

 

 それは先生にとって出鼻を挫かれる事実だった。

 生徒会の方から作戦の中止を依頼することが出来ないということなのだから。

 

「“……とりあえず、三人はこちらで保護をする。構わないか?”」

『ええ、なにも問題ありません。どうぞご自由に』

「“……”」

 

 先生は、暖簾に腕押しをした気分になった。

 ここでごねられると思ったからである。

 

 まるで、ここで彼女らを保護するのは計算通りだと言わんばかりの対応だった。

 

『そちらに退部届を郵送します。

 もし、彼女達を保護したいのならそれにサインさせて下さい。

 それで彼女達は我々の作戦の対象から外れます』

「“わかった、サインさせる”」

 

 ここでそれを拒否する意味はない。

 なにせ、もうイズミはサインしてしまったのだ。

 

 そこで先生は気づいた。

 これは悪辣な計算の結果であると。

 

 イズミが退部した以上、のこり二人からすれば彼女は裏切者になる。

 その状態を長続きさせることは、彼女達を保護する上でのデメリットにしかならないのだと。

 

 風紀委員会にとって、もう三人は用済みなのだから。

 あとは先生に退部を促させるという極悪必中全ゲージ削りコンボ攻撃となるわけだ。

 

 あの男の、考えそうなことだと、先生は思った。

 あの男と話をしなければならない、先生はそう思った。

 

 その時である。

 三人が同時にシャワールームから出てきたのは。

 彼女達は備品として置かれていた替えの衣服に着替えていた。

 

「“とりあえず、後でかけ直す”」

『ええ、お待ちしております』

 

 先生は電話を切った。

 そして不安そうな三人を安心させるように微笑んだ。

 

「“まず何か食べようか”」

 

 

 

 

 先生は三人をファミレスにでもと誘ったのだが、三人とも早く何か食べたい、と言ったので、シャーレの一階に併設されたコンビニで適当に食べ物を購入した。

 

 すぐそこにある子ウサギ公園に三人を待たせ、先生は食べ物を届けようとした。

 そして、悪意を目の当たりにした。

 

「どうもシャーレの先生。ゲヘナ学園風紀委員会です」

 

『罰金箱』と書かれた段ボール製の粗末な箱を両手に持った風紀委員が待機していたのである。

 公園で待機していた三人が絶望したような表情になっていた。

 

「あの三人に、いえ二人に食事を与えるのなら罰金を徴収致します」

「せ、先生は関係ない!! 

 先生はゲヘナの住人じゃないじゃない!!」

 

 ジュンコが精いっぱい擁護する。

 

「申し訳ありません、仕事ですので。

 徴収できない場合、私にペナルティが発生します」

「“……わかった。五千円だったね”」

「いえ、二人なので一万円です。

 こちらに受領証を切るので、サインをお願いします」

 

 先生は風紀委員の差し出す罰金箱に一万円札を入れて、受領証にサインをした。

 

「こちらが美食研究会活動禁止法の条文のチラシです。

 以後、二週間以内に同様の罰金が発生しない場合、こちらのお金は返還させていただきますので、その際はお手数ですがゲヘナ学園の窓口までお願いします」

 

 風紀委員は事務的にそう告げて、去って行った。

 

「やっと行ってくれた……」

「何なのよ、なんなのよあいつら」

 

 イズミとジュンコはすっかりあの制服にトラウマが刻まれていた。

 それを見た先生は、もう彼女達は二度とテロに参加はしないだろうと確信をした。

 

 もう、悪いことをしたら損をすると、思い知ったのだ。

 銃を撃てば全て解決するわけではないと、骨身にしみたのだ。

 

「ひッ」

「ひえ」

 

 二人が怯える。

 何事かと振り返ると、さっき立ち去ったはずの風紀委員が先生の背後に立っていた。

 

「先生、当方の不手際により、書類の郵送が遅れていますことをお詫び申し上げます。

 電子サイン方式でよろしければ、すぐにでも手続きできるように申請しますが」

「“わかった、お願いする”」

 

 彼女が無線で連絡をすると、先生の所持するシッテムの箱にメールが届いた。

 退部届の書類が、そこに表示されていた。

 

「では、これにて今度こそ失礼します」

 

 今度こそ風紀委員が去って行った。

 

「“二人には申し訳ないけど、これにサインをしてくれないと波風立たずに保護することはできないみたいだ”」

 

 先生はこの演出に内心怒りを覚えた。

 彼はそこそこ彼女達に慕われているという自覚が有った。

 

 問題なのは、そんな自分を慕っている彼女達が、自分に迷惑を掛けると言う自覚を促させる演出。

 罪悪感を植え付ける、何から何まで計算された悪意そのものだった。

 

 そう、相手は先生さえ利用して、美食研究会を痛めつけているのだ。

 悪魔の所業である。

 

「サインは致しますわ。

 その代わり、図々しいですがお願いがあります」

 

 アカリの言葉に、ジュンコも頷いた。

 

「“わかった”」

 

 先生は了承した。

 生徒の助けになる。それが彼の使命だからだ。

 

 

 

 §§§

 

 

「シャーレの先生が介入しましたか。

 連邦生徒会の不確定要素……」

 

 アコが忌々しそうに呟いた。

 

「想定内だ。そのパターンは想定していた。

 思いのほか早かったが」

「では作戦はパターンTへと移行しましょう」

 

 アコは作戦の指示書の文字を指でなぞる。

 ここから派生するどのパターンでも、終着点は“作戦完了”だ。

 

「黒舘ハルナはどうなった?」

「依然、G小隊が監視を継続中。

 例の廃屋の中で、身動き一つしてません」

 

 男の問いに風紀委員のオペレーターが答えた。

 

「あの女も覚悟を決めたようだな」

「本当に、餓死するつもりでしょうか」

「俺がアイツならそうする」

 

 妙な信頼が、男と彼女の間にはあった。

 

「しかし、現実的ではありません。

 体重にもよりますが、人間が餓死するまで最低でもひと月は掛かりますよ」

「それは水を飲んでいた場合だ。

 そうでない場合、最長で五日持つかどうかだ」

「まさか水も飲まないつもりですか!?」

「でないと死ねないだろ」

 

 チナツは絶句している。

 

 男はちゃんと実験している。

 たとえこのキヴォトスの住人でも、食事を取らず水も飲まないとなると、常人と同じ精々五日程度しか持たないことを。

 

「で、いよいよ先生の出番ってわけか」

 

 これから行われる作戦を想像し、流石のイオリもやりきれない思いだった。

 

「先生には感謝しないとな!! 

 アイツのお陰で、作戦成功最後のピースがハマった!!」

 

 男は実に楽しそうに笑みを深めた。

 

「ホント、女って生き物は度し難いと思わないか?」

 

 ここにあんた以外は女しかいないんだが、と全員の気持ちが一つになった瞬間だった。

 

「我が麗しのファム・ファタールには、良い報告が出来そうだ」

 

 くくく、と男は笑う。

 

 最低最悪の作戦が、実行されようとしていた。

 

 

 

 §§§

 

 

 深夜。

 

 ハルナは都市部の郊外にあった廃屋の壁に背を預けて眠っていた。

 その姿を見て、先生は不覚にも美しいと思ってしまった。

 

 儚げなその姿は、肖像画の女神を思わせる。

 

 先生はハルナの居場所を突き止めた。

 正確には、タイミングを見計らってチナツによりリークされた。

 

「“ハルナ!!”」

 

「……先生ですか?」

 

 眠りが浅いのか、ハルナはすぐに目を覚ました。

 彼女は先生を認めると、静かに微笑んだ。

 

「アカリ達のことを頼みます」

「“本当に死ぬ気か!?”」

「そうですわ」

 

 ハルナは小さく頷いた。

 

「私は美食研究会の会長として、誰も私に料理を提供しないと言うのなら、飢えて死にます」

「“私が居る!!”」

「お止めください先生。

 あの男は危険です。先生を巻き込むわけにはいきません」

 

 ハルナはあの男が先生の評判を落とすぐらいは平気でやりかねないと理解していた。

 

「世間では、私はテロリストなのでしょう? 

 一緒に居ては、御迷惑をお掛けします」

「“それでも、私の生徒だ!!”」

 

 

「美しいねぇ」

 

 

 その声に、先生は振り返った。

 

 イオリとチナツや複数の風紀委員を伴い、この作戦の全ての元凶が廃屋の入り口に立っていた。

 

「美しい師弟関係だ。

 だが先生よ、それならまず最初に教えるべきことがあるだろう?」

 

 男はニタニタ笑いながら、先生に語り掛けた。

 

「爆弾を使って他人に迷惑を掛けたらいけません、ってな」

 

 これには温厚な先生も、怒りが頂点に達した。

 

「先生止めろ!!」

「いや、いい」

 

 イオリが真っ先に動こうとした。

 だが、男はそれを窘めた。

 

 先生の暴力に慣れていない見え見えのテレフォンパンチが、男の顔面に突き刺さった。

 

「俺も悪いとは思っている。

 だから男として殴られてやった。もういいか?」

 

 男は口の中の血を地面に吐き捨て、目の前で激怒する先生にそう言った。

 

「“あなたは、私の生徒を傷つけた!!”」

「そんな熱血なタイプじゃないだろ、あんた」

「“この姿を見て、怒らない方がどうかしている!!”」

 

 それは真っ当な感性だった。

 それがどこか、男には羨ましかった。

 

「まず落ち着いてください、先生。

 そうでなければ、話も出来ません」

「“…………そうだね”」

 

 泣きそうなチナツに、生徒に諫められ、先生はようやく落ち着きを取り戻した。

 そして改めて、二人の大人が対峙する。

 

「“シャーレとして、ゲヘナ学園の風紀委員会に正式に抗議する。彼女はシャーレの部員だ”」

「ああ、聞いているよ。

 だがそれ以前にゲヘナ学園に所属する生徒でもある。

 生徒と部活動の部員。どちらが優先されると思う?」

「“その学園が、生徒を傷つけている”」

「じゃあ、そのテロリストがキヴォトス中の店を爆破し、住人を傷つけるのは良いって言うのか?」

「“そうは言っていない、やり方の問題だと言っている”」

「じゃあ教えてくれよ」

 

 男はハルナを指差した。

 

「そいつは、どんな手段を使えば、爆破を止める?」

「“それはッ”」

「そのクソガキを、俺達は誠心誠意説得したぞ。

 爆破の前に店側と話し合えと、な。このクソガキの教養と知性が有れば、店のオーナーに直談判して接客や料理のやり方を変えることぐらい難しくは無かっただろう」

 

 男は溜め息と共に首を横に振った。

 

「間違えるな。俺達の手を振り払ったのは、このクソガキだ。

 俺達は寛大な条件で許すと言ったのに、それを拒否したのはこいつらだ!!」

 

 男の言葉に小さくチナツが、記録もしていますと呟いた。

 

「“もう二度と、そんなことをしないように私が指導する”」

「そうか、責任を持てるんだな?」

「“勿論だ”」

 

 その瞬間。

 

 先生は見た。

 

 その言葉が聞きたかったと、──邪悪に笑う男の顔を。

 

 言ってしまった、とイオリとチナツは顔を伏せた。

 

 

「じゃあこうしよう!!」

 

 喜色満面に笑う男は、高らかに言った。

 

「風紀委員会は先生に黒舘ハルナの指導を任せる!! 

 だが、あんたの指導不足で!! そのクソガキがこれ以降店を爆破などしてみせろ」

 

 狂気の笑みを浮かべる男の顔が、先生の顔の目の前に迫る。

 

「お前の他の部員に責任を取ってもらう」

「“な、なにを”」

「シャーレの部員が、例えばゲヘナ自治区の店を爆破したとしよう。

 なら報復をしないといけないよなぁ!! 

 その場合、お前の他の生徒の、住居をランダムに爆破する」

 

 先生はようやく理解した。

 この男の狂気を。

 

 そして、──自分が罠に嵌められたのだと。

 

「そいつが爆破する度に、お前に責任を負わせる。

 勿論、シャーレの部員だけじゃない、お前のオフィスも爆破してやる!!」

「“狂ってる!!”」

「するとどうなると思う!?」

 

 男は、ハルナを見た。

 

 唖然と、彼女はこちらを見ていた。

 

 

「──お前はこいつを憎むようになる」

 

 

「“そんなことはない!!”」

「そうかもしれない。

 だがすぐにうっとおしくなる。面倒に感じる。またかと思う。

 でもこいつは止めない。それが信念だからだ!!」

 

 ぎゃはははは、と男は笑い声を上げた。

 

「お前はこいつを憎む。嫌う。恨む。後悔する」

「“そんなことはない!!”」

「そのうち殺意が芽生えるぞ!! 

 こいつにじゃない、過去の自分にだ!!」

 

 この男の最低最悪の策略。

 

 ──それは、ハルナが慕う先生への淡い気持ちを利用し、徹底的にその乙女心を粉砕することだった。

 

「お前は表面上、取り繕って先生の仮面を被り、許すだろう!! 

 だが内心はどうだ。すぐに顔も見たくなくなるはずだ」

「“いい加減に、いい加減にしろ!!”」

 

 先生も分かっていた。この男の言う報復など口だけの出まかせだと。

 先生と口論しているように見えて、その実全て、彼の言葉はハルナに向けられていた。

 

 彼と会話を交わせば交わす程、ドツボにハマる。

 生徒と先生と言う関係を利用した、親愛を前提とした蟻地獄の落とし穴。

 人間の心を踏みにじる、人間の心を理解した人間にしかできない、魂の凌辱だった。

 

「他のシャーレの部員は不満を言うぞ。

 ハルナだけ特別視する。ハルナだけ許す。イカレてるのに!! 

 何度店を爆破してもだ!! こいつは迷惑しか掛けないのにだ!! 

 でも、お前はこいつを辞めさせたりはしない!!」

「“……お願いだ、もうやめてくれ”」

 

 男は先生など見てはいなかった。

 最初から、戦いにすらなっていなかった。

 先生は初めから、()()にすぎない。だから先生は懇願する以外に出来なかった。

 

「なぜだ。俺はお前の責任の結果について話しているだけだ」

 

 男は先生の両肩を掴んだ。

 

「俺は前に、アビドスの連中にも言った。

 ヒト一人救うのは、それだけでその生涯を掛ける必要があるとな。

 お前にどれだけの人間が救える? 

 お前の人生を分割して、希釈された時間で!! どうこいつの責任を取りうるんだ!?」

 

 男の表情は、いつの間にか怒りに満ちていた。

 

「わかったか、お前の責任を取るって言葉は、多くの生徒を抱えるほど薄っぺらくなるんだよ!!」

 

 男は怒っていた。

 自分を犠牲にするしかない、先生の生き方を。誰よりも悲しんでいた。

 こんなクソガキに台無しにされる彼の高潔さを、誰よりも嘆いていた。

 

 

 

 

 

「……もう、やめてください」

 

 

 小さな、か細い、ハルナの声。

 

 

 

 あれほど激しく怒鳴っていた男が、嘘のように黙った。

 

 

「先生を、これ以上、責めないでください」

 

 ハルナ、と先生がぽつりと呟いた。

 

「誓います。もう二度と、どんな店にもご迷惑をお掛けしません。美食研究会も、解散します。

 これまでご迷惑を掛けてきたお店にも、謝ります。償います」

 

 恋もまだ知らない少女の、心が完全に折れていた。

 その瞳から、真珠のように大粒の涙が零れていた。

 

 その姿でさえ、彼女はやはり女神のように美しかった。

 

「……」

「……」

 

 やっと終わった。イオリとチナツは天を仰いだ。

 

「アコ、状況終了。今の言葉は記録したな?」

『了解。勿論記録済みです』

「チナツ、こいつを治療してくれ。その後に、誓約書を書かせろ」

「了解!!」

 

 チナツは跳ぶように医療カバンを手にハルナに近づく。

 

「よし、お前ら撤収だ。

 先生もご協力ありがとう!!」

 

 男は今までの態度が嘘のように、ぽんと先生の肩を叩いた。

 まるで気安い友人のように、先生は呆然とするほかなかった。

 

 そして。

 

「“……もう一発、殴らせてくれ”」

「ああ、それで気が済むのならな」

 

 先生は拳を握ったが、すぐにやめた。深い自責の念があったのだ。

 

「どうした。殴らないのか?」

「“さっきは殴って悪かった。後にも先にも、あれで最後にする”」

 

 先生は言った。

 

「“子供の前だしね”」

 

 拳を開いたり握ったりして、先生は己の無力を実感していた。

 

 

「そうか。男同士の殴り合いはロマンがあって良いと思うがね」

「“けど、あなたのやり方を、彼女を傷つけたことを許したわけじゃない”」

「それでいい。お前はお前のやり方を追求しろ」

 

 男は、先生の視界から影へと消えるように去って行った。

 

 

 

 §§§

 

 

「フウカさん、具材の大きさはこれでよろしいのですか?」

「ああ、もっと小さい方が良いです、火の通りが良くなるので」

「む、分かりました。実際にやるのとレシピ通りに作るのは違うのですね」

 

 後日、ハルナ達はゲヘナ学園の食堂でフウカと一緒に料理の仕込みをしていた。

 彼女達に課せられた社会奉仕活動の一環である。

 

「ねえ、この味噌汁に牛乳を入れてみない? キャビアの味になるんだって!!」

「素人が勝手なことをしないでください!!」

「え、やってみようよぉ、ダメなら私が全部食べるから!!」

「いや、流石にそれはないですわよ」

 

 ただ、フウカの負担が減ったかと言えばそんなことは無く。

 人手は増えたはずなのに、彼女は相変わらず大変そうだ。

 

 

「はぁ、フウカたそ。尊い……」

 

 男はそんなフウカを眺めて気持ち悪い笑みを浮かべていた。

 彼女らの姿を携帯のカメラで撮影しているから余計に。

 

「作戦成功おめでとう」

「おや、その声は」

 

 だらしない笑みを止め、男は食堂にやってきたヒナを映像に収める。

 

「我が麗しのファム・ファタール……今日も美しい」

「そう、ありがとう。

 映像素材を取っていたの?」

「ええ、これからインタビューに使うので」

「ついにもう一つの問題児集団にも着手するのね」

「おおよそのプランは練り上がりました」

「仕事が早いわね」

「あなたの為を想ってです」

 

 もしかしてこの男本気なのでは、とちょっと思い始めた、まだロリコンの概念をよく理解していないヒナだった。

 

「では、そろそろ参りましょう」

「そうね。マスコミの取材なんて面倒だわ」

 

 

 

 その日の昼間に、D.U.の中央交差点の巨大モニターに、ヒナが取材を受けている映像が流れた。

 

「このように、ゲヘナ学園の問題児筆頭である美食研究会は、我々の指導により更生を始めました」

「決め手は、マコト議長の采配と伺いました。現政権の支持率も上昇傾向にあると聞きます」

「はい、マコト議長はゲヘナ学区内の治安の低さにいつも心を痛めておられます。

 今回の思い切った政策には、私達風紀委員会も驚きました」

 

 ヒナとインタビュアーの後ろでは、元美食研究会の面々が食堂でフウカと料理の仕込みをしている先ほどの映像が流れていた。

 

「これでゲヘナは、いえキヴォトスのテロの脅威はひとつ消えたのです。

 ゲヘナ風紀委員会は、テロを許しません」

「それでは、今後の意気込みについて教えてください」

「わかりました」

 

 ヒナはカメラ目線になり、こう言った。

 

 

「テロリストの皆さん、我々の軍靴の音に怯え、震えて眠れ。

 そして次は──―温泉開発部、お前たちだ」

 

 この映像が、キヴォトス中を駆け巡った。

 

 

 

 

 

 

 

 §§§

 

 

 あくる日、男は昼過ぎと言うには遅い時間に食堂にやってきた。

 

「フウカたそ~、何か作ってくんろ」

「一体どう言うキャラですか」

 

 厨房に居るフウカがツッコミを入れたが、律儀に残り物の食材で調理を始めた。

 

「おや顧問官さん、お客が掃けてフウカさんの本来の実力が発揮できるこの時間帯に来るとは、分かっておりますわね」

 

 ビニール手袋をして皿洗いをしているハルナが言った。

 尤も、毎日三千人を相手にしているというだけあって、シンクに積み上がったお皿で彼女の姿は見えなかった。

 

「この時間まで食堂で何か食おうとするような生徒は外で済ませてるからな」

 

 男の言う通り、この時間に食堂で昼食を取っている生徒はまばらだった。

 

「ハルナ、そろそろ貴女の賄いも作ってあげるから、そろそろご飯にしたら?」

「……もうそんな時間ですか。アカリさん、休憩時間は終わってますわよ」

 

 代わりを呼んで休憩時間になったハルナが、男への配膳ついでに自分の分も昼食を持ってきた。

 

「おい、なんで俺の前に座る」

「飯がマズくなる、とでも? でしたら多少の意趣返しになりますわね」

「別に俺はお前個人を嫌ってはないよ」

「それは、意外ですわね」

 

 二人はそのまま、相席をして食事を取った。

 昼食を終えるとすぐに席を立つと思われた男だったが、これまた意外にもハルナに話しかけた。

 

「お前、部員を増やしたりとかしなかったのか?」

「それはどう言う意味ですか?」

「お前なら、やり方を間違えなければ賛同者ぐらい幾らでも増やせただろう。

 人数はそれだけで力だ。影響力も当然出てくる。わざわざ爆破なんてしなくても、飲食店の方からお前に頭を下げてくるようになるのは時間も掛からない筈だ」

「そう言う売名じみた行為には興味ありませんわ。

 それよりもなるべく多くの店を回り、自分の舌を肥えさせるべきでしょう?

 優れたワインソムリエはたった一度の、数十年前に呑んだワインの味を覚えて、当てることが出来るそうです。

 いずれ私も、そのような境地に至りたいと思いますわ」

 

 要するに、ハルナは他人の評価を求めていなかった。

 悟りを開く修行僧が、他者の救済を願うこと自体が不純物であるとするように。

 究極的に、彼女は自分だけの世界で全て完結しているのだ。

 

 そう言う意味では、彼女の世界に風穴を開けられた先生は割ととんでもないコミュニケーション能力を持っていることになる。

 

「なるほど、ファーストフードのハンバーガーとか食いもんじゃねぇ、とか言いそうだと思ったが、そうではない、と」

「ハンバーガーも立派な料理でしてよ。

 素材や調味料、製法にこだわり、優れたシェフの作ったハンバーガーセットをレストランで戴いたことがあります。あれは絶品でした」

「あー、確かにそう言うのもあるわな」

 

 でもそう言うの高いんだよなぁ、と思う男だった。

 

「じゃあ教養も無い上に自他に認めるバカ舌に教えてくれよ。

 お前にとって、美味しいとはなんだ?」

「難しい質問ですわね」

「ちなみに俺の好物は、ステーキだ。高い奴じゃないぞ?

 筋張った奴、とまでは言わないが、肉の食感が残ってる硬い奴だ。

 ハンバーグとかも店で食う奴より、多少ぱさぱさしてる奴が好きだな」

「率直に言いますが、本当にバカ舌なんですのね」

「ははは、もう一度しばくぞこのヤロウ」

 

 とは言え男も自覚があるのか、笑って流した。

 

「ハンバーグは元々硬いお肉を柔らかくして食べられるように工夫したもの。

 場合によっては牛脂などを混ぜ、肉汁を閉じ込めてジューシーさを味わうものですわ」

「そりゃあ分かるけどよ、俺がガキの頃、地名の名前が付くような牛肉を焼肉で食ったんだよ。

 でも脂っぽくて美味くなかった。A5ランクの肉なのに、思わず首を傾げちまったぜ。しかもその後、胃もたれした」

「それは体質によるものかもしれませんね。高級肉の脂が受け付けないという人は、一定数存在します。

 牛肉の仕入れ業者も、A5ランクの肉はその脂の差しを見て美しいとか、芸術品だと表現するそうです。そして、食べるのならA3だと」

「それ、マジかよ……」

 

 男はハルナの解説にショックを受けていた。

 ハルナはにやりと微笑んだ。

 

「ブランド牛のA5ランクだからと言って、それを有難がってそのような牛肉ばかりを食べてばかりの者は“分かっていない”、ということになりますわね」

「もっと早く知りたかったわ……」

 

 本当にショックを受けている男を見て、本当に教養は無いんですのね、とハルナは思った。

 

「最近の若者はステーキとかじゃなくて、美味い物を食いに行くとなったらチェーン店の回転寿司とかファミレスとか行くらしいな。自分から美味い店を探そうとは思わないのかね」

「それはそれで寂しいですわね、昨今はいくらでも口コミで情報を得られますのに」

 

 思いのほか、この二人の話は弾んでいた。

 意外にも、この二人は根本的に相性は悪くないのかもしれない。

 

「それで、先ほどの質問に戻りますわ。私にとって美味しい、ですか。

 実に難しい質問ですわ。味とは、基本的に常に変化する物ですから」

「と言うと?」

「重労働者向けのお店が、気温を見て食事の塩分濃度を変える、と言った話をテレビなどで見たことはありませんか?」

「聞いたことはあるな」

「ええ、つまり味とは本人の体調、周囲の環境や雰囲気など、食事を提供する側以外の要素も含まれるのです。

 行列のできるような有名店でも、何も知らない若者が入って、美味しくなかった、というようなこともあるのです」

 

 つまり美味しさの基準とは、常に変動し続けているということだ。

 

「だが、店ってのはリピーターが来なけりゃ意味が無いだろ。

 店側は常に一定の、客に同じ味を提供しなけりゃならないはずだろ?

 同じメニューを頼んで毎回味が違う料理が出てきたら、お前そんな店爆破するだろ?」

「しますわね」

「味覚だって、結局は個人の好みにもよる。

 千人を魅了する料理も、たった一人の味音痴はマズいというかもしれない。

 だとしたら、お前の求道に何の意味がある? お前の味覚が狂ってないと、誰が証明できるって言うんだ?」

「意味ならありますわ」

 

 男の問いに、ハルナは端正な顔立ちに笑みを浮かべた。

 

「だって、食べることは生きることですわよ。

 生きることに、理由がありまして?

 そして、人生において食事の回数は明確に限られている。

 それでしたら、どうせなら美味しいものを食べたい。

 私の味覚が狂っていようが、正常だろうが、関係無いのです」

 

 完璧な答えだった。

 男にとっても、一切の反論の余地のない返答であった。

 

「……そうだな。食う為に生きる、生きるために食う。それに矛盾はない。

 ならなぜ、お前の仲間はあの三人だけなんだ?」

「……?」

「お前は雰囲気も味だと言ったな。

 ならなぜお前は自分の世界に閉じこもる?

 料理とは、食事とは、体験のはずだろう?

 俺は安っぽいぼったくりの値段で売るようなホットドックだって、仲間とわいわい食えれば最高だ。

 同じ釜の飯を食うって言葉があるように、そんな体験が友情を生み、戦地でお互いの背中を預け合う覚悟すら産み出す。

 お前は美味い物を食べたいと言ったが、俺は美味いだけじゃなく食事を楽しみたい」

「……」

「お前が爆破した店だって、もしかしたらまた別の機会、別のタイミングで訪れれば違う判断を下したかもしれない。

 お前の求道の先には、何も残らないんだ」

「否定はしませんわ」

 

 でもハルナには後悔は無かった。葛藤も無い。そんな段階はとっくに過ぎているから、彼女は狂人なのだ。

 この男も、悪いとは思っているがテロリストだからハルナを滅多打ちにした。そこに後悔も葛藤もない。どこか似た者同士なのだ、二人は。

 

 ある意味では、先生にはできないやり方で男はハルナに向き合っていた。

 

「お前の求道が本物なら、その方面も攻めてみるのも一興じゃないか?

 少なくとも、俺はお前とこうして飯を食ったのは意外と楽しかった」

「……確かに、悪くありませんでしたわ」

「だろ?」

 

 そしてなぜかわかり合っている二人だった。サイコパス同士のシンパシーかもしれなかった。

 ちなみに、アカリに食器洗いなんてさせられないのでそれを引き継いだフウカは、そんな二人を信じられないように見ていた。

 

 そろそろ仕事の時間だ、と男が立ち上がって食器を返却した。

 

「今度、美味いステーキの店を教えてくれよ。奢ってやるから。あ、これはナンパじゃないぞ。お前なんてちっとも好みじゃないからな?」

「それはもしや、ツンデレとか言う奴ですか?

 まあ、機会が有りましたら。ごきげんよう」

 

 そんな軽口を言い合って、男は立ち去った。

 

「……確かに、楽しかったですわね」

 

 美食研究会は各々の食欲を満たすための集まりで、意外とその関係性はドライであったりする。

 それでも美味しいものを共有する為に集まり、時には失敗して残念なモノを食べる羽目になったり、それは決して破壊したいと思えるような思い出ではなかった。

 

「楽しさを追求するのもまた、食の求道。なるほど……」

 

 ハルナにとって、それはほんの小さな変化だった。

 ただ、彼女に振り回される周囲にとっては、大きな変化の兆しでもあった。

 

 

 

 

 




あの募金箱、カフェとかに設置できて美食研究会の面々が近づいたらいろんな反応をみせてくれたりしそう。
出会い方が最悪だった、二人の話でした。

今回も本編は手直しが見つかりませんでした。それだけ完成度が高いと自負しています。
その代わり追加エピソードあるので許して……。

そして次回、いよいよ温泉開発部編です。
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