Blue Archive / The Dark Knight: Requiem 作:藤子F藤浪
0.ダークナイトが終わるまで
『キヴォトスの夜は気を付けろ。特に私たちの様な犯罪をしている連中は。”コウモリ”が出るぞ』
まだ世間一般では少女とされる年齢の集団。ヘルメットを被ったその者たちは、路地裏に集まり、捻くれた団欒の場にて自分が起こした犯罪の数々を自慢げに話していた。そんな時だった、この文言が出たのは。
それは最近のキヴォトスの変化を表す文言だった。かつてスケバンやヘルメット団が闊歩していた通りは、今や家路につく学生や会社員たちで溢れ、その表情は明るい。これまであった”恐怖”は今や消え去っていた。
では、誰がそれを成したのか?
空を見上げると、そこにはシグナルが浮かんでいる。
雲に映るコウモリの紋章は、ただの合図ではない。それは、”警告”だ。
”彼”はいつでもお前たちを観察している。
”彼”は警察でもなければ、組織でもない。金銭を受け取るわけでも、名声を欲するわけでもない。暴力を楽しむサイコパスでもなければ、ヒーロー気取りの愉快犯でもない。
誰かが言った。彼は”戦士”だと。正義を求め、秩序を得る為に戦う、
誰かが言った。彼は”探偵”だと。あらゆる難事件に挑み、真実を掴む
──私が考える彼は、少し違う。
彼は”騎士”だ。人間を超越し、理想に身を捧げ、誰も止めることが出来なくなった存在。あらゆる感情を切り捨て、そこにあるのは純粋な怒りと憎しみ。そして、”不殺”のルール。
彼は復讐であり、夜そのもの。
彼は静かなる守護者。目を光らせる番人。──”
──彼の名は”バットマン”
キヴォトスに相応しいヒーローである。
■
夜に潜む正義の象徴も、朝が来れば人間に戻る。
それを体現するかのように、少年は眠い目を擦りながらマスクを脱いだ。
スーツ、マント、多種多様なガジェットに至るまで、全て漆黒で統一された装備を脱ぎ、目元に塗ったアイブラックを水で流す。こうして初めて夜を守る闇の騎士は一人の人間に戻ることができた。
時刻は朝4時。2時間は眠れるだろう。それだけあれば十分に英気を養うことができる。そして、少年は瞳を閉じた。椅子の上で、死んだようにデスクにもたれかけて。地下に巣くうコウモリが羽ばたくのを気にする様子もなく。
デスクに飾った”ヒーロー”の写真が、少年を見つめていた。
ユウリ・ウェインとは何者か?
キヴォトス有数の巨大企業を保有する大富豪であり、慈善事業への出資を惜しまない慈善家。
ありとあらゆる学問で優秀な成績を残すミレニアム1の天才。
イケメンで善良な性格ながら、プレイボーイとして認知される人気者。
そして、キヴォトスに住まう大多数に認知されているにも関わらず、実生活が一切分からない謎めいた存在。
憶測が憶測を呼び、社会で作られる彼の人物像は頭脳明晰で真面目な億万長者、しかも性格も良いという完璧な人物像が完成している。しかし、実生活の彼はまるで違う。理想は、あくまで理想でしかない。
「朝食の準備ができました、ユウリ様」
彼女、飛鳥馬トキはユウリ・ウェインのメイドであり、最後の家族である。
尤も、彼女がユウリに向けるその思いは親愛ではなく──
ユウリの目がスッと空く。そして彼女の姿を捉えた時、自分の顔にあと数センチと迫った唇がそこにはあった。
「…………おはよう、トキ」
その声にピタリと動きを止めたトキは、何事も無かったかのように元の姿勢に戻った。そして、ユウリに新しいシャツとミレニアムの制服を渡し、デスクの横にある棚から応急キットの中身を取り出す。
服を脱いだユウリの上半身には夥しい程の傷が残り、昨日ついたのであろう傷はまだ完全には血が固まらず、インナーには赤黒いシミが浮かび上がっていた。
「………っ」
「我慢してください。私だって痛くしようなんて思っていません」
弾丸で裂けた傷を糸で縫い、打撲痕には湿布を貼る。上半身だけでこの傷の有様なら、下半身も同じような有様だろう。もっとも、ユウリは決してそこだけはトキには任せようとはしないが。
傷の治療の片手間、ユウリはテレビをつけて情報収集を始める。悲しいことに、キヴォトスの治安はかなり悪い。銃が当たり前に所有できるほか、その辺のチンピラが戦車まで保有しているくらいだ。そんな奴らが悪さをする度に、バットマンは出動して悪党どもを懲らしめなければならない。
最近は単に利益を求める為に犯罪を犯すのではなく、バットマンに挑戦する為に犯罪に奔る輩も一定数存在する。傷は日に日に増えていくが、ユウリは特段気にする様子もない。
トキには理解ができない。彼が何故そこまで正義に拘るのか。ならばこそ何故他人の力を借りようとしないのか。ここまで身体を痛めつけて尚立ち上がることを止めないのか。………デスクに飾られた写真の主は一体誰なのか。何故、何故、疑問が湧き出て仕方がない。
──それでもいい。私以上に彼を理解する人は誰もいない。彼がもうどうしようもなくなった時に頼れるのは自分だけ。その事実がトキの心に余裕を生んだ。
「悪いな、助かった」
「感謝するくらいなら、最初から傷なんか作ってこないでください。私が悲しみます」
「ああ、次からは自分で治療するよ。背中側の装甲を増やして、前を軽くするか…」
「……………………」
治療が終わり、トキは血の付いた手袋をゴミ箱に捨てる。この男が鈍いことなんて、今に始まった話ではない。手をつなぐことも、抱擁も、きっとキスだって、彼の中では”家族”の一環で済まされてしまう。………では、それ以上の行為に及べば……いや、彼は”それ”を許さないだろう。バットマンであるために昼間を生きる彼が、変化を受け入れる筈がない。
ユウリ・ウェインとは何者か?
夜に住み、理想に囚われ、前にしか進めなくなった少年。彼が昼に目を向け、理想を手放し、過去を許せる日は一体いつ訪れるのでしょうか。
………夢は、夢のままだからこそ美しい。そんな戯言で、私は夢を諦められません。
私は”ユウリ様”が好きで、”バットマン”が大嫌い。彼にその役目を与えた、写真のおじ様が大嫌い。私の夢は、彼が私だけを見てくれることだから。
………しかし、そんな日が訪れるのは、到底先の話でしょう。
ダークナイトが終わるまで、彼は私を見てはくれないのですから。
■
それは、少年がまだ"ウェイン”の名を持たない時代の話。
とある一日に救われた少年が、やがてバットマンになる、始まりの日。
ただのアリウスで暮らす一匹の名無しだった少年は、仲間内からユウリの名で呼ばれていた。
両親はいない。死んだのか、捨てたのか、どうでもよかった。真相が分かったとしても、今日の生活が良くなることはあり得なかったから。
いつも通りゴミを漁る、何の変哲もない一日に、その人は現れた。
「何をしている」
歳は40代くらいだろうか、身長は高く、ガタイもがっちりしていて、それでいて気品がある。
鷹の様な鋭い目で俺を見据える。しかし、彼は怒りではなく心配で俺を見てくれていた。
「………食べ物、食べ物を探してます」
「そこはゴミ溜めだ。食べられるものはない」
”ブルース・ウェイン”と名乗る彼は、俺にひたすら献身的だった。野良犬の匂いがする俺を風呂に入れ、ご飯をくれて、学問を教え──ユウリは、彼に全てを、”ウェイン”の名を貰った。
やがて、俺は彼の”ロビン”になった。
彼と共にキヴォトスの夜を舞い、悪党達を徹底的に排除する。手段は選ばない。暴力は当たり前、殴る、蹴る、バットラングやバットモービル。使える全てを使って夜に正義をもたらした。
彼は銃を用いることはなかった。理由は教えてくれなかったが、きっとそれが彼の信条なんだろう。悪党相手に銃を使わない。目には目をと言うが、彼は悪党と同じ場所まで堕ちるのが嫌なのだ。だから彼は不殺を貫くのだ。正義側の存在で在る為に。
「──別れの時が来たんだ、ユウリ」
ある日、唐突に彼にそう言われた。彼は明かした、自分がキヴォトスに来たのはまったくの偶然だったことを。宇宙の、次元を超えた戦いに仲間と共に挑む途中に彼は敵の攻撃を受けて時空の乱れに巻き込まれたこと。気が付いたらここにいたこと。──戻る手段が見つかったこと。
「キヴォトスにはバットマンが必要だ!夜の平和は?ゴロツキ達は?全て貴方と俺でやってきた!バットマンが…貴方が…必要なんだ…!」
後にも先にも、ブルースに反発したのはこれだけだろう。俺は彼の息子であれたことを、バットマンのロビンであれたことを誇りに思っている。生涯忘れないと誓うほどに。だから、俺は彼との関係を永遠なものだと考えていた。互いが死ぬまで、この役目は終わらないと信じていた。
ロビンでないユウリには、誰も価値を見出してはくれなかったから。
「──キヴォトスにバットマンが必要なら、君がなればいい」
「…………え?」
「君にはその力がある。キヴォトスが求めるバットマンになる力が」
そして、今の俺がある。
身体を鍛え、学問に励み、精神を研ぎ澄まし、正義とは何かを探し続ける日々。
気が付けば、バットマンになって3年の時が経つ。
俺は眠らない。眠る暇なんてない。少しでも追いつけるように、ブルース・ウェインに、バットマンになる為に。人間を超越し、理想に身を捧げ、誰も止められない存在になる為に。
ユウリ・ウェインとは何者か?
キヴォトス有数の巨大企業を保有する大富豪であり、慈善事業への出資を惜しまない慈善家。
ありとあらゆる学問で優秀な成績を残すミレニアム1の天才。
イケメンで善良な性格ながら、プレイボーイとして認知される人気者。
…………という皮を被った、誰よりもバットマンに憧れた、ただの少年。
理想も、正義も、全てブルースから継承したバットマン。
同じ仮面を被り、同じ理想を掲げ、同じやり方で正義を守る。ブルース・ウェインのコピー品。
俺は決して”ダークナイト”の伝説を終わらせない。
キヴォトスからバットマンを消さない為に。正義と秩序を守る為に。
俺がバットマンでいるために。
ダークナイトが終わるのは、きっと俺が死んだときだろうから。