Blue Archive / The Dark Knight: Requiem 作:藤子F藤浪
──まさか、こんな展開になるとは…………
想定外、という三文字がユウリの脳内に浮かぶ。
それも仕方ないだろう。こっちが支援まで申し出たにも関わらず、アビドスの生徒達が行ったのはまさかの銀行強盗。ただ金を盗むという訳ではなさそうなのが幸いだが……いや、それ以上に衝撃が大きいのは先生の所業だった。
『しっかり握ってくださいね、緩むと爆発する危険性があります……』
取り合えず信頼できると考えていた人物こそ、悩みの種だった。かなり譲歩して、銀行強盗を思いつくまでは分かる。いや、貴方先生じゃないのか。何故止めないんです?しかも、一番手際が良いのが更に疑問を加速させる。この人、本当に先生なのだろうか………
『あっ、そこの人、姿勢は楽にしていいですよ。握ってさえいればどうってことはありませんから』
…………まあ、気遣いはしているということは先生……なの、だろうか…?よくよく見れば、握らせている手榴弾もフェイクであることが分かる。火薬を抜いたものか、精巧に作られた玩具だろう。なら、ギリギリ犯罪では……いや、犯罪だ。間違いない。
今日は銀行の集金日。ならばアビドスの目的は………その集金記録の確認?自分達が振り込んだ金銭がどのようなルートを辿っているかを確かめる為に銀行を襲撃したと考えるのが妥当だろうか。
………ブルースならこういう時はどう対応するのだろうか。何度調査を繰り返しても、監視を続けても先生が悪人である証拠は出てこない。むしろ、彼は心底善人であるとすら思う。アビドスの生徒にも、彼の助けを求めてシャーレを訪れる誰かにも、寄り添い、決して見放すことはない。
『もし貴方の生徒が取り返しのつかない失敗をしたら……悪に堕ちてしまったとしたら、それでも貴方はその子供を生徒と呼べますか?』
数日前、俺が初めて会った先生に対して問うた言葉だ。正直、答えなんてどうでもいいと考えていた。何と答えていたとしても、俺は必ずそれを疑う。必要なのは答えではなかった。先生という人物の思想、精神状態、思考回路、優先順位………先生という立場を受け入れた意味。その手掛かりを少しでも欲したから………そして、善と悪の境目に対して、先生はどう判断するのか。それを知りたかった。
『──導くさ、私の可愛い教え子を悪党
…………だが、違った。あの人は、先生は俺の知る大人ではなかった。理性でも、知性でも、独善とも言い難い。あれは、謂わば”狂気”だった。悪を憎み、善であることを強要する。その過程にある責任を全て担い、生徒を秩序の内側で囲い、決してそこからはみ出させようとはしない。
だから彼は先生という立場を選んだのだ。
生徒を導くことに何の疑念もなく正当化し、責任を背負える立場を。
先生は何を見たのだろうか。どんな人生を歩み、どんな”絶望”を知ったのだろうか。秩序という狂気に縋らざるを得ない何かを、どうして知ってしまったのだろうか。
──それは、救われるべきものなのだろうか。
仮面を被ること自体が苦痛だとは思わない。
社会を生きる上で、人は誰しも何らかの仮面を纏っている。上司に阿る顔、部下に威圧を与える顔、友人と騒ぐための顔、そして家族に悲しみを悟らせないための顔……。数え上げれば切りがない。むしろ、人が「本性」を露わにする機会など、一生のうちに数えるほどしかないのかもしれない。
──本当に恐ろしいのは、仮面の下にあるはずの「自分」を忘れてしまうことだ。
かつて、ブルースは俺に「自分を忘れるな」と警告した。
当時は理解できなかったその言葉の重みが、今になって俺を苛む。
ユウリという人間が、正義のためにバットマンという仮面を被っているのか。
あるいは、バットマンという怪物が、束の間の休息のためにユウリという仮面を演じているに過ぎないのか。
ブルースが抱え続けたであろうその底なしの苦悩が、俺を暗闇の底へと引きずり落とそうとする。
…………もし、先生も同じだとしたら。
同じ苦悩を抱え、苛まれ、それでも「笑顔」という仮面を張り付けているのだとしたら。いつか白日の下にさらされた時──その世界は崩壊するのかもしれない。
人生を懸けて積み上げてきた「自分」が、ただの精巧な虚像に過ぎないと突きつけられた時、人はそれに耐えられるほど強くはない。人生で最も残酷な敵は、他の誰でもなく、常に自分の一番近くにいる。自分を追い詰め、裁き、最後には窒息させる……それはいつだって、自分自身なのだ。
「──ホシノ」
不意に思い浮かんだその名前──
『──なんでユメ先輩を見殺しにしたの!!?”バットマン”なら救えた筈なのに……!!」
過去の選択の責任が、呪いとなって背中を伝わる。過去を清算する時が、漸く来たのだ。
■
「なっ、なにこれ!?一体どういう事なのっ!?」
セリカの絶叫が部室内に響く。
集金記録には確かにアビドスからの788万円の返済が記録されている。つまり、銀金輸送車は間違いなく合っている。問題なのはその後に続く記述。「カタカタヘルメット団に対する任務補助金」という名目で渡された500万円。この正体は一体何なのか。
「ということは、それって………」
「アビドスの払った返済金が、そのままヘルメット団に渡った。ということになるね」
先生の言葉に一同が重く口を閉ざしながらも、ゆっくりと頷く。
「任務だなんて…?カタカタヘルメット団に…?ということはっ!つまり──」
「…………間違いなく、背後にはカイザーローンがいる」
状況は理解した。しかし、何故?
先生が目を配ると、イマイチ納得できていないノノミの様子が映る。学校が破産したら、当然貸し付けたお金も回収出来ない。多額の補助金まで出してアビドスを攻撃する意味が全く持って理解できない。それは、先生も同じだ。しかし、前提が違うとすれば?目的は借金の完済ではなく、アビドスの持つ「何か」だったら?若しくは──
「そう考えるのが妥当ですね………」
「どういうことでしょう!?理解出来ません!学校が破産したら、貸し付けたお金も回収出来ないでしょうに…どうしてそのような事を……!」
嬉々としてガソリンをばら撒き、子守歌を唄いながら村を燃やす。買収も説得も交渉も不可能。
ただ、この世界を破壊する為に動く。
「──せい、先生?」
「大丈夫ですか?顔色が優れないようですが……」
そう言われて初めて先生は自分の表情が笑顔ではないことを知った。
不安そうにこちらを伺うヒフミとアヤネ。驚いた様子を見せるノノミとセリカ。「ん」とおでこに手を当てて熱を確認しに来るシロコ。──見え透いた様に、小さく微笑んだホシノ。
「大丈夫、なんでもないよ」
笑顔を作るまでに、そう時間は掛からなかった。
「みなさん、色々とありがとうございました」
アビドスの校門にて、ヒフミはそう言うと深々と頭を下げた。
夕陽が校舎を照らし、後者の窓は赤く光っている。下校のチャイムが鳴らなくとも、子供は帰らなくてはいけない。ましてや、ここは他校である。トリニティ総合学園に所属するヒフミの本当にいるべき場所ではない。
「変な事に巻き込んでごめんなさい、ヒフミさん」
「あ、あはは……」
「今度遊びに行くから、その時はよろしくー」
「はいっ、勿論です!」
ヒフミが溌溂として答えるのを、ホシノは内心可愛らしいと思いながら手をひらひらと振った。
「まだ詳しい事は明らかになっていませんが……これはカイザーコーポレーションが、犯罪者や反社会勢力と何かしら関連があるという事実上の証拠に成り得ます。戻ったらこの事実をティーパーティーに報告します!それと、アビドスさんの現在の状況についても……」
「……まぁ、ティーパーティーはもう知っていると思うけれどねー」
「…………え?」
「あれ程の規模を持つ学園の首脳部なら、それ位はもうとっくに把握していると思うよー。みんな、遊んでばかりじゃないだろうしさ。ねっ、先生」
「ティーパーティーについてはよく知らないけど……まあ、知っていると考えるのが妥当かな」
「だよねー」と溜息交じりなホシノに対し、先生も「どうしたものかなー」と頭を搔いている。
ヒフミはそんな光景がショックだった。”困っている人がいれば助ける”それがこの世に普遍的に存在する道徳であり、ルールではないのか。アビドスの苦難を知っているのに、まさか、本当にティーパーティーは何もせずにいるのか。
「そ、そんな……知っているなら何故、皆さんの事を…………」
「……うん、ヒフミちゃんは純真で良い子だねー。でも世の中、そんなに甘くないからさ」
笑顔の筈のホシノの顔が、ヒフミには途端に怖く見えた。
ヒフミは紛れのない善人である。それは、この場にいる誰もが認めることだろう。しかし、この世は善意だけで構成されている訳ではない。ヒフミの様な根っからの善人は、少数派に位置する、尊ぶべき存在なのだ。そして、その事実をヒフミはまだ知らなくてもいい。
「ヒフミちゃんの気持ちは有難いけど、そっちに知らせた所でこれといった打開策が出る訳でもないし、かえって私達がパニクる事になりそうなんだよねー」
「そ、そうでしょうか……?」
「ほら、今のアビドスって廃校寸前じゃん?トリニティとかゲヘナみたいなマンモス校からのアクションをコントロールする力がないんだよ……云っている意味、わかるよね?」
皮肉めいた台詞と、意図的な視線。その意味が分からぬ程、ヒフミは幼くはない。
「サポートするという名目で悪さをされても、それを阻止できない……って事ですよね………そうですね、その可能性は考えていませんでした。あうう、政治って難しいです」
「でも、ホシノ先輩、悲観的に考え過ぎなのではないでしょうか? 本当に助けてくれるかもしれませんし……」
「うへ~、私は他人の好意を素直に受け取れない、汚れたおじさんになっちゃってねー」
「──だから、ユウリからの申し出も断ったんだね」
納得したように、先生がそう言った。
「ユウリの提案はアビドスにとってあまりにも好条件だった。対策委員会に干渉することなく、借金だけを負担してくれる訳だからね。そして、その寄付はあくまでユウリ個人のもので、ウェイン・エンタープライズは関係なかった。これは凄いよ。カイザーに介入される口実を作らず、尚且つ牽制できる唯一と言っていい方法だろうから」
「………えっと、つまり、先生は何を言いたいの?」
「企みがないとは言い切れない。けど、ユウリは善人だ。実際に彼と話して確信できた。経歴もある。今まで数多の団体、個人への支援を自費で賄い続けていた訳だからね………そんなユウリが、今まで一度もアビドスへの支援を申し出なかったというのは、少し不自然じゃないかな?」
ホシノの顔が少しだけ硬直したのを、シロコは見逃さなかった。部室の空気が更に冷え込んだ様に思え、おずおずと先生の顔を見上げた。──先生は、やはり笑顔だった。
「無理に答える必要はないよ。プライバシーに関わる問題かもしれないからね。ただ、少し気になって。ホシノなら何か知ってるかも思ってさ」
「うーん………残念だけど、おじさんは何も知らないな―。あの子と会ったのも、二年前が最後だし。そこからは何の連絡もないってことは、アビドスの存在なんて忘れてたんじゃないかな?キヴォトス有数の大富豪様が、辺境の砂漠のことなんて気に留めると思う?」
ホシノの言葉はつまり、ユウリは信頼できないと暗に口にしているのと同じ。二年前という、誰も知らない時期に何があったのか。対策委員会のメンバーの中でもホシノと最も長い時間を一緒にしてきたノノミすら知らないそれに、一同が沈黙する中、シロコがパッと声を挙げた。
「すごく楽しかった」
キョトンと、今までの話をまるで聞いていなかった様な口調で、今までの重い空気を一蹴したその言葉に、一同は小さく微笑んだ。
「……楽しかったのはシロコ先輩だけじゃないの?」
「あ、あはは……私も楽しかったです」
「いやぁー、ファウストちゃん、お世話になったね」
「そ、その呼び方はやめて下さい!」
「よっ、覆面水着団のリーダーさん!」
「皆さん……ヒフミさんが困っていますよ」
一同が口々に言葉を発する。これがきっと、普段の彼女たちなのだろう。億単位の借金も、企業とのイザコザも、そんな非日常的な全てを排除した、ごく普通の日常の姿。
──尊いと感じてしまう。
そんなに老いた覚えはなくとも、今、自分の内に秘めた感動は決して偽物ではない。彼女達に必要なのは日常なのだ。責任なんて、考える必要は無い。挫折も、後悔も、人生を生きる上で避けては通れない要素であり、それを乗り越えて成長できるものだ。ならば、まだ若い生徒という存在に、それ以上の苦難を与える必要は無い。そして、その責任を背負うのは、
■
「おはよー」
ルンルンと、機嫌よい声色と共に便利屋の事務所のドアが開かれる。そしてムツキが最初に眼にしたのは、目の下に隈を作った我らが社長であるアルの姿だった。
「……おはよう」
「うわ、びっくりした!アルちゃん徹夜でもした?」
「ううん、ちゃんと寝たわ……多分」
「多分って……大丈夫?」
銀行での騒動の明くる日、便利屋の事務所内には目には見えないどんよりとした空気が蔓延していた。理由は言わずもがな社長であるアルにあり、普段の抜けていても明るいリーダーも、この日ばかりは疲れを隠せていない。絶えず明後日の方向に譫言を呟く様子は、アルをよく知るメンバーからしても不気味に映る。
「社長、何か悩みでもあるの?」
「計画はしっかり立てたじゃん?人を今までの二倍雇って、地の利を活かせる戦場にアビドスを誘き寄せる。それじゃダメなの?」
「ハルカが爆弾を仕掛けたゾーンでコテンパンにする。計画としては悪くないと思うけど?」
「違う、違うのよ……何か……とんでもなく酷い目に遭いそうな……まるで、とんでもない相手に喧嘩を売っているような……とにかく、嫌な予感がするの……」
そんなアルの言葉に疑問符を浮かべるしかないカヨコとムツキ。何と反応していいのか困る二人だったが、そんな時、事務所のドアがガチャリと音を立てた。
「おかえり、ハルカ──」
ドアの先に見えたのはハルカだけではなかった。ハルカの奥に見える、きっと男性のその姿。身長157㎝のハルカが肩の下までで収まってしまう程の高い身長。ゲヘナでは到底見たことのないその男に、アルを除いた二人が思わず「えっ…!」と驚きの声を漏らす。
何事かと眠い目を擦りながら、アルがその男を見上げる。……どこかで見たことのある人だった。確か、テレビか何かでインタビューを……いや、ミレニアムの公式ページだっただろうか?もどかしさを覚えながらも、やはり答えは出ない。いや、それよりも──
「ハ、ハルカ……!?その人、何処で──」
「さ、流石にその人はアウトロー過ぎない…?」
横で二人が何か言っているが、今はきにしない。久々の個人依頼客。企業特有の面倒な制約もない、便利屋としての本領を発揮できるいい機会。とびきり格好付けた表情を作りながら、アルは依頼人と思わしきその男の正面に立った。
「よくぞ訪ねてくださいました。便利屋68。社長の陸八魔です」
アルが差し出した手に、男は迷うことなく握り返す。
(本物の客だ…!)
幸福感に身を浸すアルを他所に、”少年”はじっと考える。
最近は自己紹介の機会が増えた。もう少し”表”でも頑張らないと、忘れられるかもしれないなと。
いつの間にかソファの後ろに隠れているアルを除いた便利屋メンバーの三人。
「………もしかして、アルちゃん」
「知らない筈……いや、流石に……」
「あ、アル様ぁ………」
知らない筈などない……と信じている。まさか、我等が愛すべき社長が、そこまでの世間知らずだなんて思えなかった。いや、別にメガネっ子や、ヘヴィメタルや、雑草の様なローカル過ぎる話題ではない。この人だけは違うだろう。下手すれば、連邦生徒会長よりも顔の知れた人物なのに。
「さあさあ、どうぞ掛けて頂戴。「金を貰えばなんでもする」それがウチのモットーですから」
「それは頼もしい。では、まずは自己紹介から」
ハードボイルドなアウトロー。今、アルは自身の夢を体現している気分だった。身形の良い、いかにも若き実業家といった男が、こうして自分達を頼ってわざわざゲヘナまで足を運んでいる。その事実だけで、最早満足できる程に、疲れ切った身体に染みるのが実感できた。
──そして、少年は語る。自分の名前を。
「私の名前はユウリ・ウェイン。ウェイン・エンタープライズで社長をしています。どうか、私の依頼を聞いて下さい──便利屋68、陸八魔アルさん」