Blue Archive / The Dark Knight: Requiem   作:藤子F藤浪

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12. クジラの夢で逢いましょう

 

「──ねえねえ、ホシノちゃん?」

 

『アビドス対策委員会』の看板が掲げられた一室。私と”その人”は、終わりなき書類仕事に追われていた。

 

「どうしたんですか、ユメ先輩」

 

たった二人しかいない学園で、生徒会長を務めるユメ先輩は、どこまでも気の抜けた人だった。注意散漫で騙されやすく、人を疑うことを知らない。けれど、その優しさだけは本物だった。そんな先輩に頼られることを、私は誇りに思っていたのだと思う……決して、態度には出さなかったけれど。

 

書類から顔を上げると、ユメ先輩は文字の羅列に苦しげに悶えながら、ふと私に問いかけた。

 

「ユウリ君ってさ、なんで私たちに協力してくれるんだろうね?」

「…………今更ですか」

 

溜息混じりに返したのは、無理もないことだった。

ユウリ・ウェインがアビドスを訪れるようになって、もう一ヶ月が過ぎようとしていた。世間に流れる噂では、大富豪のプレイボーイ。けれど、実際に会えばそれがデタラメだと即座にわかる。

常に眉間に皺を寄せた顰め面、他人を寄せ付けまいとする邪険な態度、自分のことは何一つ語ろうとしない頑なさ。……きっと、プレイボーイなんて肩書きは、彼の整った外見だけを見て勝手な妄想を膨らませた、無責任な連中の虚像に過ぎないのだろう。

 

私には、ユウリのことが分からない。

富も、健康も、自由すらもその手に収めているはずの彼が、なぜいつも「今にも死にたそうな目」をしているのか。なぜ時折、羨む様な視線で、仲睦まじい家族や他校の生徒を眺めているのか。

そして──なぜ、夜が訪れるたびに、音もなく姿を消すのか。

 

「……ホシノちゃんはさ、ユウリ君のこと、どう思ってる?」

「はぁ……どうって言われても……」

「えっとね、夜にふと会いたくなったり、声を聞くと落ち着いたり……他の女の子と話してたら、胸がチクッとしたり?」

「ないですね。絶対に」

「即答!?」

 

はぁ……と、二度目の溜息を吐く。私が、あんな愛想の欠片もない男に恋煩いをしているとでも言いたいのだろうか。

 

……確かに、容姿が優れているのは認めよう。スリムで背が高く、着痩せして見えるが、実際は鋼のような筋肉で構成されたアスリートそのものの体躯。切れ長の睫毛に縁取られた瞳、透き通るような白い肌。彼の身体は、神が細部まで執念を込めて作り上げた「美」の結晶のようだった。彼に一目惚れして、枕を濡らした女性は、星の数ほどいるに違いない。

 

頭脳も、恐ろしいほど明晰だ。私とユメ先輩の手では到底終わらないはずの書類の山を、彼はたった一人で片付けてしまう。腹立たしいのは、彼がただの一度もミスを犯さないことだ。どれほど膨大な仕事を押し付けても、表情一つ変えずに完遂する。その完璧さは、「凄い」を通り越して、どこか「恐怖」すら感じさせた。

 

……そして、認めたくないけれど、性格も良い。

不器用という言葉では足りないが、その根底にあるのは剥き出しの「優しさ」だ。アビドスという見捨てられた辺境にまで関心を寄せる姿を見ればわかる。助けられている私たちが心配になるほど、彼の献身にはリミッターがない。

自己犠牲を、まるで息を吸うように当然のこととして受け入れてしまう。それは果たして、本当に「優しさ」なんて綺麗な言葉で済ませていいものなのだろうか。

 

「ホシノちゃーん?」

「な、なんですか……!」

「随分と考え込んでたみたいだけど。もしや……本当に……?」

「変なことばっかり言ってないで! さっさと仕事を終わらせてください!!」

 

ばっしゃーん! と、ちゃぶ台をひっくり返す勢いで書類の山を押し付ける。もろに紙の束を被ったユメ先輩が、情けない声を上げて後ろに倒れ込んだ。

「どうだ、見たことか」と内心で毒づきながらも、なぜだか顔が火照って熱い。そんな自分に、私はさらに苛立ちを覚えるのだった。

 

「──失礼する」

 

ガラガラと建付けの悪い扉が開かれ、件の男が現れる。

誰かにセットされたであろう隙のないスーツ。普段の無造作な彼からは想像もつかない、綺麗に整えられた髪型が真っ先に目に付く。

……このズボラな男が、私達に会うためだけに、わざわざ自分の姿を整えるはずがない。誰かの──それも「女」の手が入っていることを悟り、無意識に奥歯に力がこもる。

 

「……? どうかしたのか、ホシノ」

 

マズイ、ジロジロ見過ぎた。これも全部、ユメ先輩のせいだ。先輩があんな余計なことを言わなければ、これほどまでに彼の変化に敏感になることもなかったのに。

 

「おはようユウリ君!実はね、今ホシノちゃんが──」

「あぁ!もう!いいから早く仕事を終わらせますよ!!」

「あ、ああ……」

 

そうして、三人でまた他愛もない話に興じる。アビドスのこと、とりとめのない日々のこと。

怒って、笑って、呆れる。……そんな光景が「幸せ」の正体なのだと、当時は気づきもしなかった。

 

これが、小鳥遊ホシノ()の「黄金時代」。

今が嫌いなわけじゃない。可愛い後輩たちに囲まれ、借金返済に邁進する日々も愛おしい。先生のことだって、決して悪い人だとは思っていない。

 

けれど、私は帰りたい。あの頃の輝きが、今も私の魂を掴んで離してくれないのだ。

 

もし、神様がいるのなら。私は何を願うのだろう。

「過去に戻らせてください」と言うのか。「過去を忘れさせてください」と言うのか。

叶うはずのない願いを、”あの日”からずっと妄想し続けている。

 

──ねえ、ユウリ。憎んでるよ。

バットマン()はユメ先輩を助けてくれなかった。私の世界から、一番大切な人を奪った。

でも……矛盾しているけれど、怒ってはいないんだよ。

私は知ってる。君が持つ圧倒的な強さと同じくらい、君はひどく脆い弱さを抱えていることを。そして今も、独りでそれと戦い続けていることも。

 

人のことは言えないけれど、君は私よりずっと歪んでいて、その歪みを「当たり前」だと思い込んでいる。君の優しさの根底にある、あの病的な「自己犠牲」。それはきっと、君があまりにも自分という人間に無関心だから。

 

……君はきっと、今でもアビドスを救いたいと考えているんだろうね。

でもね、私はそれが嫌で、嫌で、仕方がないんだ。

君が「バットマン」に変身するたびに、私は君を疑ってしまう。あの三人の日々、私の隣で笑っていた君は、本当に「君」だったのか。

……これ以上、君を疑いたくないよ。

 

だから。もし君が、またアビドスに土足で踏み込んでくるなら──。

私は容赦なく、君を糾弾する。私の思い出の中の「黄金時代」を汚そうとするなら、迷わず引き金に指をかける。

 

…………好き”だった”よ。今更だけどね。

だからお願い、ユウリ。これ以上、君を嫌いにさせないで。

 

 

「おはよー、先生」

「先生、おはようございます、今日は早いですね?」

 

 

どうか、私の”夢”の中で大人しくしててよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「──どうしてくれるんですか、ウェインさん」

 

ルーシャスからの静かな問いかけに、ソファで横になっていたユウリは薄らと瞳を開いた。

 

「どうかしたのか?」

「どうもこうもありません。貴方がアビドスへの支援を強行した件ですよ。あれのせいで、貴方はカイザーから取り返しのつかない顰蹙を買った。夜だけでなく、昼の光の下でまで戦場を広げるつもりですか?」

 

隠そうともしない溜息。しかし、ユウリはそれをどこか他人事のように受け流している。

『どうしてこうも、悪い部分ばかり”あの方”から引き継いでしまったのか……』

ルーシャスの文句は言葉になることはなく、ただ心中で燻るのみだ。

 

「だから便利屋を雇っただろう。彼女たちが盾になれば、多少の荒事も……いや、運用次第ではPMCをまとめて相手にできる」

「馬鹿も休み休みにしてください。どこに戦略と指揮を自ら執る大富豪がいるんです? 悪目立ちすれば、貴方の正体が発覚するリスクも高くなる」

「指揮を執るのは俺じゃない。……いるだろう? 最適な『大人』が」

 

不敵に笑うユウリ。その真意を悟り、ルーシャスは眉を寄せた。

「先生」のことか。だが、対策委員会を顧問する彼に、どうやって便利屋を接触させるのか。両者は既に一度、銃火を交えた仲だ。協力体制を築くなど、到底現実的ではない。

 

「アビドスに便利屋の戦力が加わり、それを先生が指揮する。ならば、PMCには確実に勝てる。戦力差も練度も、そこまで持ち込めば明白だ。俺の仕事は、その土台を組み上げること……」

「……正体を明かす、なんて馬鹿げたことは言いませんよね?」

「さあ、どうだろうな」

 

ユウリは答えを濁した。既に賽は投げられた、ということだろう。

こうして身体を休めることに努めているのも、嵐の前の静けさに過ぎない。ルーシャスは、最早黙ってこの「賭け」を見守るしかないことを悟っていた。

 

「──それで。情報は何か掴めたか」

「ええ。……それは、かなり詳細に」

 

クリップで留められた数十枚に及ぶ資料──とある人物について重点的にまとめられたそれを、ユウリはパラパラと捲り、冷徹な視線で目を通していく。

 

標的の名は”デスストローク”。本名「スレイド・ウィルソン」。

年齢は17歳。元々はキヴォトスの法執行機関「SRT特殊学園」に在籍していたが、後に事件を起こして退学処分──。

 

表社会の企業との繋がりや、これまでの暗殺・請負任務の数々が事細かに記されている。

……ここまでは想定の範囲内だ。しかし、資料の後半に差し掛かった瞬間、ユウリの指が止まった。そこに記録されていたのは、人道を外れた「実験」の顛末だった。

 

 

────────────────────────────────────────────

 

〇月✕日

「超人類兵士作成計画」の選考開始。特に優秀な成績を残した生徒から選抜。座学、射撃、実戦全ての部門で優れた成績を残した「スレイド・ウィルソン」を実験対象に決定する。

 

〇月✕日

化学兵器に対する免疫精製という名目でスレイドを徴集。遺伝子および細胞組織を根底から書き換える特殊血清の投与を開始。代謝の強制改変に伴う拒絶反応により暴れるスレイドを制圧する際、彼女の右目を著しく損傷。一時的に心停止状態に陥るも、5分後に蘇生。実験は継続。

 

〇月✕日

驚くべき結果だ。脳機能の90%が常時覚醒しており、被験者はこれを完璧に制御している。肉体スペックの極大化により、その身体能力は飛躍的に向上。迫り来る弾丸すら容易く見切る。自己治癒能力(ヒーリング・ファクター)の発現を確認。致命傷であっても細胞が異常な速度で自己修復を可能とする。損傷した右目だけは修復しなかったが、それでも実験は大成功と言える。

 

〇月✕日

旧式装備であるにもかかわらず、最新武装を施した演習部隊を単独で制圧。あの「FOX小隊」を相手にしても結果は同様だろう。戦闘中における被弾は皆無。ただし訓練終了後、スレイドは大量の汗を流しながら激しい頭痛を訴える。脳への過負荷に、まだ肉体が完全に適応できていない模様。実戦投入が待ち望まれる

 

 

 

〇月✕日

実験は失敗に終わった。スレイドがSRT生徒一名を殺害し、逃亡。学園は即座に彼女を退学処分とし、ヴァルキューレ警察学校との合同による捜索を開始。消息を掴め次第、処分を──

 

────────────────────────────────────────────

 

 

資料を読み終え、ユウリはそれを静かにカバンへと仕舞い込んだ。

その表情には微塵の動揺も浮かんでいない。いつも通りの、何を考えているのか分からない、底の知れない鉄の仮面だった。

 

「……イカれてるとしか言えないな。一人の人生を何だと思っている」

 

だからこそ、その静かな呟きに含まれた熱量に、ルーシャスは小さく目を見張った。

ユウリの拳が白くなるほど強く握り締められている。人道に反した行いに対する、剥き出しの義憤──まさか、己の人間性を削ぎ落として戦士となったこの少年に、これほど人間らしい「怒り」が残っていようとは、ルーシャスにとっては意外だったのだ。

 

「SRTは既に解体されました。当時の人脈を使い、スレイドに関与したと思われる企業についても網を広げてみましたが……残された資料はこれだけです」

「十分だ。これで”準備”は一気に進んだ」

 

「準備」──それは、バットマンの戦術において最も重い意味を持つ言葉だ。

あらゆる最悪の事態を想定し、それを無力化するための戦術と、カウンターの装備を用意する。スレイドの異常とも言える能力の全貌が露呈しただけでも、こちらにとっては計り知れないアドバンテージとなる。

 

あとは、どれだけ早くデスストロークの喉元に食らいつけるかだ。

これまで全く向こうの行動を把握できていなかった以上、事実上の後手に回っている。アビドスの被害を最小限に抑えるためにも、立ち止まっている暇は一秒たりともない。

 

「ありがとう、ルーシャス。俺はもう行くよ」

 

上着に手を通し、足早に部屋を去ろうとする彼──。

その背中を見送るはずだった私の右手は、いつの間にか彼の肩を強く掴んでいた。

 

「ルーシャス? どうかしたのか」

 

一瞬だけ驚いたように目を見張った彼は、すぐに私の異変を察知したのだろう。その鉄仮面を崩し、滅多に表に出さない、酷く不器用で優しい微笑を私に向けた。

 

「……いえ。肩に埃がついておりましたので」

「そうか、ありがとう。じゃあ、行ってくる」

 

そう言い残し、今度こそ彼は部屋の外へと消えていった。

 

静まり返った部屋に一人取り残された私は、咄嗟に動いてしまった己の右手をじっと見つめた。

なぜ、私はあのような端ない行為に及んだのだろう。答えなど、とっくに分かりきっているはずの問いを、私は此度も心の中で繰り返すのだ。

 

 

 

──馬鹿げた話だ。

醜い大人の利権と、それに翻弄される滅亡寸前の学園。それを救おうと奔走しているのが、まだ17歳の少年だなんて。

どうして私は、この子を”ウェインさん”と呼んでしまうのだろう。かつてその呼び名は、あの人の専売特許だったというのに。

 

ユウリ……。

久しく、その名を口にした記憶がない。この子はあの人の生き写しになろうとしている。同じ背丈を、同じ能力を、同じ偉業を。

世界が必要としているのは「ウェイン」であって、「ユウリ」ではない。自分を愛する術を教わることなく、とうとう理解できなかった子供。……なんと哀れなことか。

 

そして──私はその共犯者だ。

哀れだ何だと言いながら、私はこの狂気に加担した。訓練と称した虐待も、夜な夜な犯罪者を狩る活動も、全てを見過ごし、支えてきたのは私自身だ。自分に反吐が出る。この子を救えるはずだった大人は、私だけだったのに。

 

──先生。

もし貴方が、私のような愚かな大人ではないのなら。どうか、この哀れな少年を救ってはくださいませんか。特別なことは必要ありません。他の生徒と同様でいい。褒めるべきことは称賛し、愚かな真似をすれば厳しく叱ってください。この子に必要なのは、英雄という称賛でも、犯罪者という罵りでもない。ただの、退屈で平凡な日常なのです。

 

私の願いは、一つだけ。

どうか、「ダークナイト」を終わらせてください。

そうでなければ、もう二度と「ユウリ」は帰ってこないのです。

 

 

 

 

 

 

「──さっさと始めようよ」

「ええ、私としても時間は限られていますので」

 

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