Blue Archive / The Dark Knight: Requiem 作:藤子F藤浪
「初めまして、先生」
「うん、初めまして」
「ユウリ・ウェインです」
「シャーレの先生、でいいかな?」
約束通り自己紹介を済ませる。改めて出会う面映ゆい気持ちもありつつ、二人は顔を合わせた。
「まさか君がユウリ・ウェインだったなんて知らなかった」
「先生を驚かせたかったので、サプライズです」
ユウリは微笑む。世間一般が定義する、最も怪しまれることのない自分という仮面を被る。人の心は分からない、ましてや、今日会ったばかりの人間のことなんて分かる筈もない。慢心と悲観、ユウリの心は冷静そのものだった。
「我々はこれまで何度もアビドスへの支援を申し出ていました。しかし、様々な要因…特にカイザーの妨害が酷く実現には至りませんでした。そこで先生を通じての支援を行いたいと考えています。これなら、カイザーの目を搔い潜ることができます」
経営者として自身に満ちた姿で宣言する。嘘偽りない自分の気持ちである、如何に先生にそう思ってもらえるか。そして、先生という人物を推理しなければならない。彼が最も望むであろう人物像になる為に。
だから自分にさえ嘘を吐く。
──他意はない、と。
一方、先生も外見上は笑顔を保っているものの、内心は疑念と困惑で満ちていた。
ユウリの提示した条件は破格だ。何の条件もなしにアビドスの借金を全て返済すると言うのだから。ギブアンドテイクを無視し、一方的に他人に利益を譲り自分はその被害を被る。
キヴォトス一と言われる大富豪故の余裕、慈善家としての善意、経営者としての戦略。その全てに掠りはしながらも、答えであるとは思えなかった。
「それはこっちとしても嬉しい申し出だね。でもね、ユウリ。知っての通りアビドスの借金は大金だよ、とても負担させられる額じゃない」
「大金?10億”程度”でしょう、問題はありません」
「いや…程度じゃなくて………」
ユウリは当然だという表情をする。
アビドスへの支援、それがこの企業、若しくはユウリの為になるのか。不毛で、広大な砂漠が何の価値を有するのか。
──では、価値を求めていないとしたら?
根本的に何かがズレている。
その
「──何者なんだい、君は」
ふと零れた言葉が失言だと分かるまで、先生は暫しの時間を要した。
ユウリは相変わらず微笑む。幾度となく繰り返された言葉に、もう慣れてしまったから。だからこそ、ユウリは繰り返す。
「先生には、どんな
光が消えた瞳はブラックホールの色をしている。見ているだけで吸い込まれそうなその瞳から、先生は不思議と目を離せない。これが彼の持つ”魅力”なのか、それとも自分が彼に感じる”恐怖”なのか、分からない。
──アビドスことよりも、ユウリを知ろうとしてしまっていることに先生は気づいていなかった。
■
『何故そこまでアビドスに拘る?』
誰かの問いに、答えなければならない。
「……贖罪だ。償わなければいけない」
そう、俺はかつて過ちを犯した。償う必要がある。
『では、誰に?どんな償いをする?』
……彼女は今もアビドスにいる。アビドスの困難を解決すればいい。
『彼女はそれを望んでいるのか?自己満足ではないと誓えるのか?』
望んでなどいないだろう。俺は彼女を裏切った。そして、それを後悔してはいない。やるべきことを成した、と信じている。
これは自己満足だ。俺はかつての選択の代償から逃れようとしている。
「すまない」
その言葉を聞いた彼女の顔を、俺はもう覚えていない。
覚えているのは、俺が”ダークナイト”になったあの日、俺は友を裏切ったということだけだ。
” 梔子ユメ”を見殺しにしたのは、他ならぬ俺だ。
『それでいい、
仮面を被った。もう脱ぐことはできない。
構わない、今更脱いだとしてもそこに本当の俺がいるとも思わない。ユウリはブルースが消えたあの日に死んだのだ。だから、このままでいい。
『お前は何だ?』
俺は、”復讐”
『お前は何だ?』
俺は、”夜”
『お前は何だ?』
俺は、”バットマン”だ。
■
長い沈黙の後、ユウリは袖を捲り時計を見る。先生と話を初めて20分程度経過しただろう。
そろそろ
「先生、一つ賭けをしませんか」
「……賭け?」
「難しいことはありません。もしこの後、アビドスに平穏を訪れたなら、復興への兆しを見せることができたなら。その時は”何でも一つだけ質問に答えます”」
ユウリが提案した賭け。その意図は何なのか。何の意味を持って彼はこれを提案したのか。
”何でも一つだけ質問に答える”
これが持つ価値を先生は把握できていない。
「……何故、そういう顔ですね。構いません、やがてこの権利の価値が分かります。それまでは慎重に考えてください。そう何度も機会は与えられませんから」
「私と対策委員会の皆がアビドスを復興させることを確信している口ぶりだね。理由を聞いてもいいかな?」
先生の疑問は当然だ、そう理解しつつユウリは迷いことなく答え挙げた。
「──貴方が”先生”だからです」
静寂が空間を包み込む。
不思議な生徒だと、先生は改めて思う。まるで、こちらの全てを見透かされている様な、それどころか、未来すら既に把握している様な、彼は冷徹な確信を持っている。
キヴォトスのプリンス──セリカの言ったユウリの異名を思い出す。自信満々の煌びやかな顔とは裏腹に、類まれなる思考と人脈、資産を抱える大富豪。イメージで想像していたユウリという人物と、今日こうして会っている彼とのギャップは大きく、最早どれが本当の彼なのかが分からない。
「ユウリ」
「何ですか、先生」
「もっと君を知りたい、なんて思うのは気持ち悪いかな」
俯いてそんなことを言い出す先生にユウリは小さく微笑む。きっと嬉しいのだろう、とユウリは自分を分析する。他人からの印象を大切にするユウリにとって、こうして自分に興味を持たれることは面白い。
理解して欲しいとまでは言えない。しかし、自分をほんの少しでもいいから見てほしいとは思う。
余分だと理解しつつも、幸福からは逃げられない。
「先生のお仕事の邪魔にならない範囲でなら、大歓迎です」
だからそんなセリフが出る。
そして、ユウリは最後の余分を質問する。
「では、先生。俺からも一つだけ質問があります。先生は外の世界から参られたと聞きましたが、そこにバット……いえ、”ブルース・ウェイン”という人の名を聞いたことはありませんか?」
数秒の沈黙、しかしユウリには永遠にも感じる数秒。先生の口から発せられた答えは──
「──いや、ごめん。知らないな」
構わない、心の中で呟き、納得する。むしろ、この証言は収穫に他ならない。ブルースが言っていた理論、”マルチバース”が立証できる大きな手掛かりになるかもしれない。だから、そう納得する。納得しなければいけない。
「ユウリ?」
どんなに
「……そうですか、ありがとうございます」
養父、師匠、恩人……その関係に名を挙げればきりはない。バットケイブに写真を飾るのも、バットマンとして夜に活動することも、全てが彼を忘れない為にやっていることなのかもしれない。
だから、ユウリは前を向く。後ろを振り向くことを許さない。
師匠から預かった任務を終えるまで、”ダークナイト”が終わるまで。
もう会うことはない。期待も、理想も、全て現実という悲劇の海に投げ捨てる。
ユウリ・ウェイン。億万長者の孤児。完璧から引きずり下ろす為に、誰もが俺を可哀想と思い込む。でも、実際はそうとも言えない。
”何でも一つだけ質問に答える”
もし俺がブルースに何か質問できるとすれば、俺は何を問うのだろうか。
──愛してくれていましたか?
もう、与えられることのない機会を夢見てしまう。
「アビドスの生徒達が羨ましいです。先生がそこまで熱心に心を傾けるからこそ未来を信じられる」
帰り際、ユウリは唐突に先生にそう言った。
「生徒を信じるのが先生の役目だからね」
「……なら、先生。もし貴方の生徒が取り返しのつかない失敗を、悪に堕ちてしまったとしたら、それでも貴方はその子供を生徒と呼べますか」
これがユウリにとって最後の確認だった。先生の”制約”の範囲がどこまでかを確かめる為の。善と悪の境目に対して、この大人はどう判断するのか。
先生の笑顔が消える。
「──導くさ、私の可愛い教え子を悪党
そこには、一人の大人が立っていた。
その姿に、ユウリは目を奪われる。
──
僅かに見えた一人の人間としての本音、かつてのブルースと同じ気配を感じてしまった。
『バットマンの正体は俺です』
そう告白したら、先生は何と言うのだろうか。肯定するのだろうか、否定するのだろうか。
面白い──なんて言うのは、不謹慎だろうか。
これで、ユウリが先生に協力しない理由はなくなってしまった。連邦生徒会長がいない今、この人だけがキヴォトスを正しい方向に導く資格を有している。先生が光の下で生徒を導く間、バットマンは闇の中で犯罪者と戦うことに専念できる。win‐winというやつだ。
「あっ、でもユウリ。お金は本当にいいからね!?そんなことされたら頭上がらないから!」
「分かりました。それ以外で協力する術を探します」
先生が退室し、ユウリは一人部屋に残される。
そして、懐からスマホを取り出す。ビジネス用の端末ではなく、”コウモリ”の印が付けられた専用の端末。バットコンピューターが監視しているキヴォトスの情報から、アビドスの生徒と便利屋68の戦闘の経過を見守る。
とはいえ、結果は明らかだ。
「小鳥遊ホシノ」がいる限り、アビドスが敗れることはない。彼女はユウリにして警戒せざるを得ないキヴォトス最高の実力と神秘を持つ一人。その辺のゴロツキ相手に敗れることなど万が一にも起こることはない。
では、ユウリが警戒するべきことは何だ。
「カイザー……成程、やはり手を組んでいたのか」
回りくどい真似はしない。やるべきことは、最短で片を付けるのがバットマンのやり方だった。
「…………すまない、ホシノ。俺はまた、君に会う必要がありそうだ」
デスクの二重底になった引き出しの中から一枚の写真が出てくる。
ユメ、ホシノ、ユウリの三人で撮られた写真。二年前、ユウリのバットマンとしての最初の年に撮影した、もう二度と再現することのできない理想郷。
丁重に今度は胸ポケットに仕舞う。
──今度こそ、約束を違わぬ為に。
「まずはお前に話を聞かなくてはな、”ペンギン”」
ダークナイトの時間が来る。
ブルース・ウェイン
ゴッサム・シティを守る自警団「バットマン」の正体。表向きは両親を若くに殺された大富豪であり慈善家、ゴッサムのプリンスの異名を持つプレイボーイ。
しかし、その中身は犯罪に対する憎悪に包まれた”バットマン”。ブルース・ウェインとは世を忍ぶ仮の姿であり、バットマンこそが彼の本性。不殺という掟はあくまで犯罪者と同じ位置に堕ちない為のものであり、正義感からくるのかはかなり微妙なライン。
4人の息子がいて1人は実子。しかし、その実子も自身のDNAを勝手に摂取されて作られたデザイナーズ・ベイビーである。次男に至ってはジョーカーに殺害された後に蘇り、「どうして復讐してくれない!」と敵側に寝返ったりもしている。
感情表現が下手で家族に対しては兎に角不器用。アルフレッドという執事がいなければ色々と破綻している人物でもある。ユウリに対してもその不器用さは遺憾なく発揮されており、ユウリが抱える問題のほとんどはこの人のせいだったりもする。ある意味で先生と真逆の人かもしれない。