ドアをそっと開けて中に踏み込むと、柔らかい感触が足元から伝わってきた。ぎょっとして足元を見ると、床には赤い絨毯が敷き詰めてあった。
「なんだ。絨毯か」
部屋はそこそこ広かったが、無数に積んである書物や本棚のせいで実際よりはかなり狭く見える。暖かそうなベッドも本に埋もれかけながらも置いてあり、他の部屋と違い「人間の住む場所」という印象を受けた。
グレシアは本棚の隙間にちょこんと置いてある机を調べ、うなずいた。
「この机、埃が全くないね。最近まで誰かが使ってた証拠だ」
「……それって」
「やっぱりクーレホルンだろうね。ただ、生きてる人間が住むなら燭台なりなんなり、明かりになるものが要るはず。この部屋に光源になりそうなものが見当たらないってことは」
「ネクロマンシーで自分をアンデッド化してる……?」
グレシアは黙ってうなずく。まあ、そういう魔法の補助無しでこの時代まで生きていたら、それはそれでバケモノだ。
「今が外出中で良かった。クーレホルンの冒険者への態度はどんなものか知らないけど、少なくとも歓迎してるんだったらアンデッドを城内で放し飼いにはしないだろうし」
「だったら早く出た方がいいんじゃないですか。いつ鉢合わせるか分からないんじゃ、心臓に悪すぎます」
そもそも俺たちの本来の仕事である死体回収の依頼は、回収予定の死体がアンデッド化していて達成不可能なことが分かっている。これ以上踏み込んでも得はない。
「そうだね。この部屋のことは、ランドに任せればいいわけだし」
「出ましょう」
ごつ。
俺が振り向こうとしたそのとき、何か柔らかいものを蹴ったような鈍い感触があった。下を見て、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「うえっ」
俺のつま先は、生首となったリヒターの頬にめり込んでいた。白く濁った恨みがましい目で見上げられ、俺は思わず飛びのいた。
俺と入れ替わるように駆け寄ったグレシアは、しゃがみ込んで生首に触れた。
「冷たい。死んでだいぶ時間が経ってるね」
「なんでこんなところでリヒターが死んでるんですか?」
「まだ情報が足りないから分からないけど、ひょっとしたら……」
グレシアがそう言いかけたとき、机の方で物音がした。
「聞こえましたか」
「ああ」
そちらを見ると、机の上には丸い物体があった。上から無造作に布が掛けられており中身は見えないが、その隙間から、ぎょろりと眼がのぞいている。
「何だ?」
ここは古代の魔術師、クーレホルンの部屋だ。何があってもおかしくはない。俺が剣の柄に手を伸ばし、その眼差しに対抗するように見返していると、眼の下にある毛布の隙間から細い声がもれた。
「余は、この城の主だ」
「……クーレホルン?」
「いや、
毛布にくるまった何かはそう名乗った。つまり彼は、おとぎ話に登場するクータ王ということなのだろうか。確かにクーレホルンの部屋がある以上、彼がいてもおかしくはない。しかし毛布にくるまれているものは、どう見ても人間の大きさではなかった。
「大昔にクーレホルンをハメようとして、逆襲に遭ったあの王様ってことでいいのかな」
グレシアも俺と同じ感想を抱いたのか、確認するような口ぶりで尋ねる。すると彼は少し気分を害したようで、声を低めながら答えた。
「ああ。多少訂正したい部分はあるが、おおむねあっている。どうしても信じられないと言うなら、布を取ってみるといい」
言われた通りに机に近づき、布を剥がしてみた。すると中からとんでもないものが文字通り顔を出し、俺は絶句した。
そこにあったのは髭をたくわえた男の生首だった。しなびた木を思わせるその首は、俺を見上げてにっと笑った。
「どうだね。冠を身につけてはいないが、雰囲気でわかるだろう」
「ちょっと待ってください。というか、なんであなたも生首なんですか」
何だこれは。混乱する俺の反応を見て楽しむように、生首──もとい、クータ王の亡霊はますます口角を釣り上げた。
「それを知りたいのであれば、一から説明した方がいいな。聞いていくかね」
王の問いに、グレシアは難しい顔をした。
「興味がないというわけではないけど……クーレホルンがこの部屋にいつ戻ってくるかが気がかりだ」
「それなら大丈夫だ。おそらくクーレホルンは今頃、お前たちを城の入り口で待ち伏せしているはずだからな」
「……それはなぜ? 彼が侵入者を嫌っているから?」
グレシアの方に目をやり、王は訊き返した。
「クーレホルンが狙っているのは、グレシア・ノードレット。お前だからだ」
その言葉で、理解不能な事実がもう一つ俺の頭に突っ込まれた。さしものグレシアもそれには驚いたようで、ぽかんと口を開けている。
「なんで……私?」
「それも話そう。余はクーレホルンを一番近くで見てきたからな。今までこの城で起きてきたことは全て知っている。なぜそなたの両親──ヴォージャーとルサルカが殺されたか、ということもな」
その名前を聞いたグレシアは目をみはり、色の薄い唇を噛んだ。
「……アウグスト君、少しだけ聞いてみよう」
「はい」
俺も気になる。王は俺とグレシアが話を聞く気になったことを確認すると、話し始めた。
「生前、クーレホルンは強力な魔法使いだった。しかもその力に驕らず謙虚で、信用できる男だと思っていた」
王の話は、他国との戦争が始まってからクーレホルンが名乗りを上げて隣国と戦うまではランドのおとぎ話とほぼ同じだった。
魔法使いの実力は俺には分からないが、一つの軍を単独で相手することができたのなら、おそらく生前の時点で攻撃術師としての高みには達していたのだろう。
だが、そこからの内容は伝えられている「正史」のおとぎ話とは違った。
「余は、素直に死者の秘法を渡したのだ」
国王はクーレホルンを城に呼ぶとねぎらいの言葉とともに書物を手渡した。確かにクーレホルンはうやうやしくひざまずき、書物を受け取ったのだという。
「危険な魔法だが、余はクーレホルンなら渡しても問題はないだろうと甘く見積もっていた。それが今でも心残りだ」
ネクロマンシーの秘法は系統的には攻撃術に分類される魔法らしい。術者は自分の命令通りに亡霊を操ることができ、また新鮮で魂の残っている死体に触れれば、それを生ける屍──アンデッドとして蘇らせることができるのだという。
「はあ。死体を操る魔法が、どうしてそんなに危険なんですか」
「自分の思い通りに動かしたい人物を殺しさえすれば、意のままに動かせるのだ。だから、例えば一国の王を殺して傀儡にすれば、簡単に戦争を引き起こせる」
「それはまずいですね」
「……なんでそんな危険な魔法をほいほい渡したんだ」
呆れたように言ったグレシアに、王は答える。
「クーレホルンは強い。約束を反故にして怒りを買うよりは、良心に期待した方がいいと思った」
期待した結果が城の住人の虐殺だったと言うわけだ。そんなことになるくらいなら、むしろおとぎ話のように彼を殺してしまった方が為政者としては正しいだろう。
そんなことを考えていると、グレシアは首をかしげながら王に質問した。
「ということは、王は別にクーレホルンを攻撃したわけではないんだよね。どうして彼は城の人間を皆殺しにしたの? 何か恨まれることでもした?」
「……いいや。むしろクーレホルンはこの国を好いていたし、戦いの中で余の娘……王女と恋仲になるくらいには良好な関係を築いていた」
「ますます城を地面の底に叩き落とした理由が分からない。クーレホルンと王女の関係に誰かが反対していたとか?」
「いいや。むしろ皆歓迎していた。クーレホルンが味方になれば国は安泰だからな。むしろ反対する者は余が黙らせていた」
そこで言葉を切ると、王は目を閉じた。
「反省すべきなのは、クーレホルンを、余の常識で推し量るべきではなかったということだ。ヤツは国の全てを気に入ったからこそ、永遠に自分のものにしておきたくなったのだ」
その日の早朝、王は激しい揺れで目を覚ました。気づくとすでに城は傾き、自身が寝ていたベッドは部屋の端まで滑っていたという。
窓や扉は固く閉ざされ、脱出することはできなかった。そのまま城は魔法で底なし沼と化した地面に飲まれ、国王、王妃、王女、大臣、侍従、衛兵……全員が運命を共にした。
「クーレホルンは城を地下に叩き落とす前に自殺し、自らアンデッドになっていた。そしてヤツは城の中を回って城の住人を全員殺害し、魂を身体に縛り付けてアンデッドに変えた」
「愛していた王女も殺したんですか?」
「王女は愛していたから、身体になるべく傷をつけないように殺したらしい」
俺が渋面を作ると同時に、グレシアもわずかに眉根を寄せた。
「まあ何にせよその時点で城の住人を命令通りに動く傀儡にして、ヤツにとっての楽園が完成したわけだ。ただ気になるのは、国王がなぜ自由に喋れているのかってことだね。クーレホルンに支配されているのであれば、こんな話をすることもできないと思うんだけど」
「それは、余の肉体の主が余であるからだ。クーレホルンが謀反を起こしたと気づいたときに自害し、ヤツと同じように自分をネクロマンシーで操ることで支配を免れている」
死体を操る秘法はもともと王が所有していた魔法なのだから、王本人が行使できるというのは当然のことなのだろうが、クーレホルンの暴挙を知ってから即決で自殺するとはなかなかの胆力だ。
「なるほど。先に自分の支配権を自分で握れば、ネクロマンシーでは操られないのか」
王はうなずき、自嘲気味に笑った。
「まあ、そのせいで身体を取られ、自由に動けないようにされてしまったのだが」
「完全に肉体を破壊されたりはしなかったんですね」
「ヤツからすれば、余は暇つぶしの話相手なのだろう。慌てて消す必要もないと思っている」
王は少し悔しそうに答えた。それはそうだろう。クーレホルンは、それだけ彼のことをナメているということなのだから。
「支配権か……ネクロマンシーについては後でもう少し聞かせてほしいけど、もうひとつ先に聞いておきたいな。なぜ、クーレホルンはおとぎ話を利用して冒険者をおびき寄せる必要があったのかってことなんだけど」
グレシアの次の問いを聞き、俺は驚いた。
「ちょっと待ってください、おとぎ話を利用したってどういうことですか」
「……アウグスト君は疑問に思わなかったのかい? 『このおとぎ話を最初に話したのは誰なんだろう』って」
言われてみると、おとぎ話では「城の人間は皆運命を共にした」とされているのにもかかわらず、直後に『財宝と死者に囲まれてクーレホルンは暮らしている』と城のその後を断言している。語り手が外部の人間であれば、そうした描写はできない。
「もちろんおとぎ話だからそういう理屈が当てはまらないかもしれないとは思っていたけれど、語り手の視点が妙になってでも伝えたいことがあったのだとすればどうだろう。『この城に財宝とネクロマンシーの秘法がある』と喧伝しているようにも聞こえる」
「それは冒険者を呼ぶためのエサだというわけですか」
そのとき、王の亡霊は「ほう」と感嘆の声を上げた。
「グレシア、お前は思ったよりも聡いな。その通り、おとぎ話は、財宝や秘法を求めてやって来た人間をおびき寄せるために作られたものだ」
「何のために?」
「一度アンデッドになれば、その死体は腐敗が進まない。だが、魂が縛り付けられているだけでその身体自体は死んでいるのだ。
だから生前に備わっていた肉体の再生力は失われ、回復魔法も効かない。つまり、アンデッドが怪我をすれば治らずそのままになる。いつかは身体が擦り切れ、使い物にならなくなるのだ。しばらく地下城で生活していたクーレホルンは、そのことに気がついた」
そこまで聞けば、勘の悪い俺でも話の先は推測できた。
アンデッドの肉体を使い続ければ、いつか擦り切れてしまう。ではどうするか?
「他の人間を城に呼び寄せて殺し、その肉体に『着替え』ればいい。クーレホルンはそう考えた」
財宝やネクロマンシーの魔法を求めてやって来た冒険者。彼らを殺害し、その死体に自分や城の住民の魂を移し替える。
当然身体を奪われる冒険者は「完全な死」を迎えるが、それにさえ眼をつぶれば、死体の耐久面の問題は解決するのだ。
「……八年前に私の両親が殺されたのは、住民のための死体が欲しかったからか」
「ああ。マティアスという青年の身体はクーレホルン自身が取った。ヴォージャーの身体は衛兵が、そしてルサルカの身体は余の娘……つまり王女が使っている。クーレホルンは、王女にふさわしい美しい死体が手に入ったと喜んでいた」
「私が見逃された理由は?」
「城の住民で、当時のグレシア・ノードレットの身体に合う年齢の者がいなかったためだ」
「ふうん……」
王の説明を聞いていたグレシアは、そっけない反応を返した。しかしわずかに揺らぎ、低められた声は明らかに激怒している。
さきほどの彼女の慟哭を思い出して、俺はいたたまれなくなった。
「グレシアさん」
「大丈夫だ、アウグスト君。……それで? クーレホルンが一度は見逃した私の身体を欲しがる理由は?」
内心穏やかではないだろうが、彼女は静かに質問を続けた。
「それは分からない。ただ余が知っているのは、ヤツがアンデッドたちに『グレシアを優先的に殺害しろ』と命令していたことだけだ」
「動機はクーレホルン本人に聞くしかないということか」
「ああ。お前はすでにヤツに会っているはずだ。直接聞くといい」
王の言葉を聞いて、俺はぎょっとした。
「ちょっと待ってください。俺たち、もうクーレホルンに会ってるんですか?」
「さきほど、クーレホルンは冒険者をおびき寄せていると言っただろう。いつもと同じ手はずなら、ヤツは確実に死体を手に入れるため、冒険者のフリをしてお前たちの仲間の中に紛れ込んでいるはずだ」
つまり、今までともにいた調査隊のメンバーの一人は、クーレホルンだったということだ。隣にいた人間の誰かが狂気の魔術師だったということを知り、背筋をひやりとしたものが流れた。
「いったい誰なんです。それは」
「ヤツは頻繁に肉体を着替えるので、外見的な特徴は断定できない。ただ、女の肉体を使ったことはないので男だとは思う」
肝心なところは分からないのか。俺が落胆していると、グレシアは首を振った。
「……いいや、十分だ。もう誰がクーレホルンかっていうのも見当がついた」
「本当ですか」
「ああ。おそらくクーレホルンの正体は、アティスマンだ」
「アティスマン?」
ランド辺りを挙げてくると思っていたので、俺は耳を疑った。被害者ではないか。
「君の言いたいことはわかるよ。でもパーティに『クーレホルン』がいたとすれば彼しかいない。あのときは私もなぜかは分かっていなかったけど……彼が近くにいるときに周囲の気温が下がっていたよね?」
「あ」
扉を抑えるアティスマンの傍を通り過ぎるときに感じた冷気。休憩時、アティスマンとリヒターが出て行った直後に気温が上がったこと。
城外では季節が冬だったせいで、そして城内では気温が低すぎたために全く気にもとめていなかったが、言われてみればその通りだ。
「『亡霊は冷気を発する』。自らアンデッド化してるクーレホルンにも、それは当てはまる」
「……じゃあ、この死体は何ですか?」
ランドに運搬を依頼された首なし死体。グレシアの後ろで浮遊しているそれを指さすと、グレシアは、ああと何でもないことのように言った。
「これはおそらく、さっき見つけたリヒターの身体だ。背格好が同じだから、首を切ってアティスマンの服を着させてから魔法で焼くだけで『アティスマンの死体』に見せかけることができるはず」
「……そういうことですか」
首切りは蘇生防止のためだけではなく、身元を誤認させるために行われていた。このトリックによってクーレホルンは自分が死んだように見せかけ、調査隊を抜け出したのだ。
言われてみれば単純な話だが、俺は
「……じゃあとりあえず、アティスマン以外のメンバーに対しては警戒しなくてもいいんですね」
そう言うと、グレシアは「どうだろう」と言って首をかしげた。
「ランドやミリエラがすでに殺され、アンデッドになってる可能性がある。まあその場合でも、会ったメンバーがクーレホルンかどうかを離れたところから確認することはできるから大丈夫」
「本当ですか」
「うん。本人の『視覚』に聞けばいい。この迷宮に潜る際、私が全員に暗視魔法をかけたのを覚えているだろ。あの魔法がないと、この古城の中は暗すぎて物を見ることはできない。だから視覚支援を切ってみて、戸惑いもせずに普通に動いてたら敵だ」
「なるほど、アンデッドはこっちを追いかけてきましたもんね」
『アンデッドは闇の中でも物が見える』。自分が常にグレシアから暗視を付与されていたのでその性質に全く気づいていなかったが、確かに視覚を利用すれば触って心音や体温を確認しなくてもアンデッドだと判定できる。
「一番の問題は……クーレホルンの目的が私を殺すつもりだってこと。だから結局、待ち伏せされている城の入り口で戦うことになる」
グレシアは俺を見上げ、珍しく緊張した顔持ちで訊いてきた。
「他の皆の現状がどうなっているか分からない以上、私たちだけで戦うことも考えないといけない。私と君で、クーレホルンたちに勝てるかな」
金等級冒険者であったグレシアの両親と、銀等級冒険者三名、そしてクーレホルンを俺とグレシアで相手取る。考えるだけで頭が痛くなりそうだった。
「一人ずつなら何とかならないこともないですけど、全員と戦うとなったら命がいくつあっても足りませんね」
「そうか、アウグスト君でも無理か……」
「何か策はありますか?」
「……」
グレシアは黙って目を伏せた。まあ彼女がいくら賢いとは言っても、そうぽんぽんと案が沸いてくるわけでもないだろう。俺もグレシアばかりあてにせず、何か考えるべきか。
「うーん、じゃあもうイレーネさんを探すしかないですかね。もう殺されてるかもしれませんけど、あの人がいれば多少はアンデッドを牽制できそうだし……」
「ある」
俺が自分なりの作戦を立てようとしていたそのとき、グレシアは口を開いた。
「あるんだ。クーレホルンを倒せるかもしれない方法」
彼女の歯切れが悪いのは気になったが、それを聞いて俺は安堵した。
「なんだ、早く言ってくださいよ。それでどんな──」
「前提として、君は絶対死ぬ」
俺が固まるのを見て、グレシアはローブの裾をぎゅっと握った。
「もちろん、作戦が終わったら責任をもって君を蘇生させるつもりだよ。でも……死んだ後に生き返れる保証はない。だから君には断る権利がある」
「もし俺が断ったらどうするつもりですか?」
「私の身体を無傷で引き渡す代わりに、他の皆を見逃すよう交渉してみるかな。城の入り口を封鎖されている時点でほぼ詰んでるようなものだし、全滅よりはマシな結果になるよう努力するしかない」
「……」
「どちらを選んでも、私は君を恨まない。アウグスト君はどうする?」
つまり彼女は、俺の命をグレシアに託してクーレホルンの喉笛に食らいつくか、彼女を生贄に差し出して安全に外へ出るか、どちらかを選べと言っているわけだ。
(……グレシアさんとは、たった数か月仕事をしただけだ)
グレシアの死体を手に入れることがクーレホルンの目的である以上、彼女を無傷で差し出すと言えば、ヤツは交渉に応じるだろう。
だから俺自身が確実に助かることを考えるなら、グレシアを見捨てるべき。
(なんだけどな)
ついさっき、俺はグレシアの手を引いた。生きていた方がいいと言ったのだ。そうして立ち上がらせたその手で、彼女を地獄に突き落とせるか。
もちろん、答えは否だった。
仮にそれで生き残ったとしても、俺は自分を許せない。そうなるくらいなら、多少の危険があるとしても、彼女とともに帰る選択肢を選ぶ。
「で、俺は、どう死ねばいいんです?」
まっすぐグレシアの銀瞳を見つめて答えると、彼女は目をみはり、そして泣き顔と笑い顔がないまぜになったような、不思議な表情を浮かべた。
しきりに言葉を探しているようだったが、やがてきりと唇を引き結び、顔を上げた。
「……ありがとう」
「頼みますから、勝算のありそうな話を聞かせてくださいよ」
「分かってる。君の死は無駄にはしない」
「まだ死んでませんけどね」
俺が肩をすくめると、グレシアはふっと笑った。
「そうだね。……そろそろネクロマンサー殺しのトリックを話しておこうか」
「この城に侵入した人間は何人だったか」
クーレホルンはそうつぶやくと、指を折って数え始めた。
「魔法史学者、戦士、僧侶、攻撃術師、騎士、付与術師……私をのぞいて、六名か」
そのとき城の入り口に陣取っていたクーレホルンの前に、斧戦士と剣士が現れた。
斧戦士──ヴォージャー・ノードレットのアンデッドは両腕にイレーネとミリエラの死体を担ぎ、その後ろの剣士はランドの死体を抱えていた。
逆さ釣り天井を利用した奇襲には失敗したが、アンデッドの指揮を執るクーレホルンは、城の構造を熟知している。彼らの逃走経路に先回りしてアンデッドを配置し、挟撃することは造作もなかった。
「下ろせ」
アンデッドたちに放り出され、三人の死体はどさりという鈍い音とともに床を転がった。クーレホルンはイレーネの顔を見やると、舌打ちをして彼女の頭を蹴り飛ばした。
「全く、散々手間取らせてくれたな……彼女さえいなかったらもっと楽だったのに」
魔法史学者のランドにネクロマンシーのおとぎ話を吹き込み、調査隊を結成させるまでは順調だった。適当なところで調査隊を離脱し、アンデッドたちを率いて彼らを追い詰めればそれで新鮮な死体のできあがり。いつものパターンだ。
しかしランドがイレーネを調査隊に加えてきたというのが大誤算だった。
聖職者のもつディスペル能力はアンデッドを問答無用で昇天させてしまう。下手に直接戦闘をするとクーレホルン自身が祓われる危険もあったため、作戦を変更してパーティへの潜伏を続行し、様子を見ることにした。
しばらく彼女を何とか殺害できないかと機会を窺っていたのだが、結局そんな隙はなかった。これ以上手をこまねいていると支配しているアンデッドの多くが祓われてしまうと判断すると、クーレホルンはイレーネの暗殺を諦めパーティを離脱することにしたのである。
まず便所に行くと見せかけて休憩していた部屋の外に出る。そして剣士のアンデッドを呼び、ついてきたリヒターを殺害した。彼はクーレホルンが注意をそらした隙に首を落とされたので、おそらく何が起こったかも気づいていなかっただろう。
リヒターの死体の処理については首だけ持ち去る、死体を丸ごと自室に隠すなどの案を検討したが、突然「アティスマン」が行方不明になった場合、リヒターの殺害を疑われるか、彼と共謀して道具を持ち逃げしたと思われ、地上で指名手配される可能性があった。
もちろん皆殺しにできるのであればそんなことを心配する必要はないが、イレーネがいる以上、逃げられる可能性は十分にある。
そこでリヒターの首なし死体に「アティスマン」の服を着せてから攻撃術師のアンデッドに焼かせ、リヒターの死体を「リヒターに焼き殺され、蘇生阻止のため首を切られたアティスマン」に偽装した。
パーティを離脱した後は調査隊メンバーに逃げられないよう城の入り口に陣取り、アンデッドに指示を飛ばしていたのである。
「ところで、グレシアとアウグストはどうしたんだ?」
ヴォージャーは顔を上げたが、何か言いたげな目線を送るだけで答えない。それでアンデッドたちに勝手に喋ることを禁止していることを思い出し、クーレホルンは発言を訂正した。
「ああ、今私の訊いたことに対しては答えてくれ」
「……わかりません。追っている途中で消えました」
「消えた? そんなわけないだろう」
おそらくどこかでその二人だけ部屋に入って隠れたのだ。そしてアンデッドが通り過ぎた後に部屋を出た。そんなところだろう。
「捜索しますか」
「必要ない。出入り口で待っていればいずれやって来る。あっちは生きているから、ずっと隠れているわけにもいかないはずだ」
だが、なるべくなら早く出て来てほしいものだとクーレホルンは思った。
待っているのが苦痛だから、ではなく彼らの隠れている時間が長引くほどグレシアが痩せてしまうからだ。殺したときの見た目が悪くなってしまうのは避けたい。
「……あなたにぴったりの身体を用意してあげますからね」
クーレホルンはそう言って、後ろに控えていた王女の方を見た。
彼女の魂が宿っている肉体──ルサルカ・ノードレットは白皙の美女ではあるが、肉体年齢は三十近く。十代後半で死んだ王女とはやや歳が離れている。
だからクーレホルンは王女の本来の年齢に近く、美しい肉体をプレゼントすることを決めた。成長したグレシア・ノードレットは新しい『着替え先』として最適だったわけである。
「あの、クーレホルン様……私はその娘の命を奪ってまで生き延びたくはないのですが」
遠慮がちに言う王女の答えを聞き、クーレホルンはにこりと笑った。
「気にすることはありません。グレシアという娘は金に汚く薄汚れたカスの権化のような魂の持ち主ですから」
「しかし……やはり私は間違っていると思います。この身体も他人の借り物。他人を押しのけてまで生にしがみつきたくはありません」
「黙ってください」
ため息をつきながら命令すると、王女は口をつぐんだ。
グレシアの死体を手に入れるため、彼女がここに来るようギルドに手を回すのは結構大変だったのだが、そのあたりの苦労は理解してくれないらしい。やれやれとクーレホルンは肩をすくめた。
「あなたのそういう優しいところは私の好みではありますが……高潔な魂こそ美しい肉体に宿るべきでしょう」
「そうなのかい」
低く澄んだ声が響き、クーレホルンは振り向いた。そこには、行方不明だった回収人のグレシアと、鋭くこちらを睨む騎士──アウグストが立っていた。
「でもその理屈なら、誰よりも薄汚れた君の魂が宿っていい肉体は、一つもないことになるけど」
グレシアは冷ややかな視線をクーレホルンに投げかけてきた。
「聞いていたのか」
クーレホルンは想像以上に早く二人が到着したことを喜んだ。もはや障害となるイレーネはおらず、五人の精強なアンデッドがここに揃っている。二人を殺してグレシアの肉体を手に入れることは赤子の手をひねるよりも容易いだろう。
クーレホルンの殺意を察知したらしく、アウグストはするりと剣を抜いた。それに対抗し、アンデッドたちも武器を構える。なみなみと杯に水が注がれ、あと一滴で溢れてしまう──そんな緊張が走った。
「戦う前に一つだけ教えて。結局私を狙うつもりだったのなら、母さんを殺した意味って他にあったのかな」
グレシアの問いにクーレホルンは首をかしげた。そんなことを考えたことは一度もなかったので、返答に少しの時間を要した。
「ないな。服と同じようなものだ。実際に着てみたら都合が悪かったから捨てる。それ以上の理由を求められると困る」
クーレホルンが答えると、グレシアの唇がわずかに開いた。
「死ね」
彼女の呪詛が嚆矢となった。アウグストが床を蹴り、こちらめがけて突進してくる。
「その騎士を殺せ!」
クーレホルンが命令すると、斧戦士と剣士のアンデッドが応じた。
今使っている「アティスマン」は技師の死体なので、クーレホルン自身は死霊術以外の魔法をロクに行使できない。だが、従えているアンデッドはもともと強力な冒険者たちなのだ。
(だから、こちらの勝ちは揺るがない)
そう考えているクーレホルンの前で、すでにアウグストと二人のアンデッドとの戦闘が始まっていた。
開幕、ヴォージャーはアウグストの肩口へ勢いよく斧を振り下ろした。大振りをかわすと、アウグストは側面から襲い掛かって来た剣士に蹴りを入れて吹き飛ばす。
アウグストが目を離したその瞬間、ヴォージャーは体勢を立て直し、背後から横薙ぎの一撃を放った。だがそれも読んでいたらしく、アウグストは素早く身を沈めた。
死の旋風が彼の頭上を過ぎた後、振り向きざまにヴォージャーを斬り上げる。ぱっ、とヴォージャーの赤黒い血が空中を舞った。
「強いな」
二対一なのであっという間にカタがつくかと思っていたが、アウグストの立ち回りは想定以上にうまい。おそらく戦闘の実力的には金等級と同等かそれ以上だろう。
とはいえ、それはあくまで個としての評価だ。ヤツが相手にしているのは、死した冒険者たちの『集団』。達人は数でねじ伏せるのが定跡だ。
「今だ。ヤツを消し炭にしろ」
クーレホルンが命令すると、傍に控えていた攻撃術師の杖の先から、紅蓮の炎が放たれた。ヴォージャーと剣士が飛びのいた直後、火焔がアウグストを飲み込んだ。
「アウグスト君!」
グレシアの焦った声が聞こえ、クーレホルンはにやりと笑った。確か彼女は結界魔法が使えたはずだが、防御に失敗したらしい。
「くそ……」
だがアウグストは身体を燃やしながら、まだ立っていた。
皮膚は焼けただれ、耳は炭化しかかっている。だがその眼はしっかりと見開かれ、クーレホルンに鋭い視線を送っていた。
「クーレホルン!」
神速の踏み込み。アウグストは叫びながらクーレホルンに肉薄してきた。味方の魔法を避けるため、ヴォージャーと剣士は離れている。彼らによる防御は間に合わない。
「結界」
クーレホルンが命令すると、ルサルカが結界魔法を行使した。半透明の壁が発生し、アウグストの振り下ろした剣はあえなくはじかれる。
ぎり、と悔しげに歯を食いしばったアウグストを見て、クーレホルンは少し感心した。
「しぶといな。だが、首を撃たれても生きていられるものか?」
指を鳴らすと、攻撃術師の隣にいた弩使いが、クロスボウの照準をアウグストに合わせ、引き金を引いた。
発射された矢はアウグストの首筋へと吸い込まれていき、とす、と戦闘の帰趨を決めるにしては呆気ない音が聞こえた。
「……ぁ」
アウグストの喉を、クロスボウの角矢が貫いていた。彼は矢を見下ろすと、声も出せないまま膝から崩れ落ちる。
「アウグスト君?」
残されたグレシアは、不安そうな声をあげた。だが騎士はくずおれたまま、ぴくりとも動かない。
「アウグスト君……返事をしてくれ! アウグスト君!」
「どう見ても死んでる。お前はそれが分からない人間じゃないだろう?」
アウグストの喉元からわずかに流れた血は、小さな血だまりを作っている。
半狂乱になって叫ぶグレシアを、クーレホルンは嗤った。
勝ちだ。あとは、身体に傷がついたり変色したりしないよう細心の注意を払いながら戦闘能力のないグレシアを拘束し、神経系の毒で締めてやればいい。
クーレホルンの笑みを見たグレシアは腰が抜けたようで、床に座り込んだ。
「来るな……私の傍に来るな!」
頼みの綱であるアウグストを失い、自棄になっているらしい。彼女を待つ死の運命から逃れようとでもいうのか、後ろにいざる。
全く無意味な抵抗に、クーレホルンは顔をしかめた。もう決着はついたというのに、どうしてだらだらと生きようとするのだろう。
「往生際の悪い……おとなしく死んでくれ」
「嫌だ!」
涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら無様に命乞いをするグレシアにいらつきながら、クーレホルンは前に向かって歩き出した。
その瞬間、クーレホルンは自分が猛獣の口の中に足を踏み入れてしまったような感覚に陥った。何かがおかしい。大きな見落としをしている。
(……あれか)
思い出した。炎に焼かれるアウグスト。彼はクーレホルンを目視し、一直線に襲いかかってきた。なぜ炎の光に目を焼かれていなかったのだろう。
そして倒れ伏したときにできていた血だまり。致命傷のわりに喉元から流れた血がわずかだったのはなぜだろう。そこまで考え、ようやく違和感の正体に思い至った。
アウグストは戦って死んだのではない。
同時にグレシアの顔から怯えが消え、代わりに蔑むような色が露わになる。彼女は親指を立て、ぐっと首をかききる仕草をした。
「まさかお前」
言い終える前に、首に強い衝撃が走った。
視界が回転し、次の瞬間にはクーレホルンの首は床に転がっていた。頭の中を驚愕に埋め尽くされながら見上げると、そこには首を失った自分の身体が立っていた。
身体がバランスを崩してゆっくりと倒れ伏すと、背後には剣を握ったアウグストが立っていた。顔や手は炎で焼けただれ、角矢は首を貫通している。こんな傷で人間が生きていられるはずがない。やはりこの騎士は──
「アンデッドになっていたのか」
「正解です」
グレシアからクーレホルンを倒すための策を伝えられたとき、俺は自分の耳を疑った。
「まず、私がここで君を殺す。ヤツと戦うのに命がいくつあっても足りないというなら、あらかじめ先に死んでおけばいいんだ。死んでいる者を殺すことはできないからね」
「……熱でもあるんですか? 確かに死体になってたら殺されることはないでしょうけど、どうやって剣を振れっていうんです」
俺が聞き返すと、グレシアは真剣な表情のまま答えた。
「私はいたって正気だよ。それに君も見ているはずだ。死んでるのに斧を振るう私の父を」
死んでもなお動き続ける死体。その実例を出され、俺は彼女の言わんとするところを察した。
「俺を殺した後、アンデッドにして突撃させるってことですか」
「そういうことになる」
仲間を殺してアンデッド化するという人道のじの字もないような作戦にはさすがに後ろめたさを覚えるらしく、グレシアはしゅんとしていた。
命をどう張ればいいのか教えろと軽々しく言ったことを少し後悔したが、吐いた唾を飲むわけにもいかない。とりあえず、今聞いて疑問に思ったことを挙げた。
「……確かにアンデッドになれば致命傷を負っても動けますし、死んだふりでヤツの不意を打てるかもしれませんね。しかしどうやって俺をアンデッドにするんですか? クーレホルンに秘法を教わるわけにもいきませんし」
「秘法の元の所有者は、そこにいらっしゃるじゃないか」
グレシアの指した先には、今まで黙って俺たちの話を聞いていた国王の首があった。
「『術者が死体に触れることでアンデッドを作ることができる』か。確かに余はクーレホルンと同じく秘法を扱える。お前の死体をアンデッドに変えることもできるだろう」
「それで、陛下は私たちに協力してくれるのですか?」
「あの忌々しいクーレホルンを殺してくれるならば何だってしてやる」
つまり、アンデッド化の手段についてはこれで解決されたわけだ。残る問題はアンデッド化した後に生き返れるかどうか。俺は国王の亡霊に尋ねた。
「ちなみに、アンデッド状態から蘇生魔法で元に戻ることってできるんでしょうか」
「試したことがないので分からない。魂が肉体に残っているので蘇生できるとも考えられるが、秘法の影響で魂や肉体になんらかの変化が起きていれば、できないかもしれない」
王の回答を聞いて俺はため息をついた。戦闘後の蘇生については賭けになるわけだ。だが考えてみれば、グレシアを差し出す案もあちらが交渉に応じる可能性は高いとはいえ、結局のところ運任せになるのだ。ここは腹をくくるしかない。
「作戦はだいたいわかりました。最後に一つ聞いておきたいことがあるんですが」
「なんだい?」
「俺の蘇生代金って、グレシアさんがもってくれるんですよね」
そう訊くと、グレシアは心外だとでも言うように鼻を鳴らした。
「もちろん払うよ。私を何だと思ってるんだい」
「失礼かもしれませんが……守銭奴かと」
「前置きすれば何でも許されるってわけじゃないよ」
グレシアは唇をとがらせ文句を言った。
「それに絶対成功するわけでもないのに、もう作戦が終わったことのことを言うなんて……」
「成功しますよ」
「え?」
「グレシアさんが考えた策ならきっとうまくいきます。そこは信頼してますから」
「……そう」
グレシアは照れ隠しのつもりなのか、フードを目深にかぶった。
この人たまに可愛いよなあ、などとのんきなことを考えていると、彼女は「じゃあアレを貸してくれ」と言って手を差し出してきた。
「何を貸せばいいんです?」
「何って、君の剣だよ。君が自分で死んじゃうと自殺扱いで蘇生できなくなるかもしれないから、私が殺るしかないだろ。さあ」
「……やっぱ可愛くないなあ」
お前を殺すから凶器をくれと言っている人間の指示に従う日が来るとは思わなかった。
俺がしぶしぶ剣を渡すと、グレシアはその細腕でなんとか剣を抜き、ぷるぷると重みに耐えながら構えた。
「なるべく一発で終わらせてくださいよ」
「努力するよ」
うまくいった。
痛みの感覚が無いため自分の身体がどれだけの傷を負っているかが分かりづらかったが、最後に俺の喉を貫いた矢は、はっきり致命傷だと分かった。
俺は矢が喉にきっちり刺さっていることを確認すると、そのまま死んだように見せかけた。そして油断したクーレホルンが近づいてくるのを待っていたのだ。
「くそ……王の仕業か」
生首となって地面に落ちたクーレホルンは、うめくような声をあげた。俺は床に落ちているクーレホルンのそばに近寄ると、腰からぶら下げていた聖水の瓶をつかんだ。こいつはまだアンデッドを指揮できる。さっさと地獄に叩き落さなければ。
クーレホルンは瓶の中身が何か、そして俺がこれから何をするつもりなのかが分かったらしく、急に焦りだした。
「待て。待て待て待て待て! 分かった、いったん話し合おう!」
「話っていうのは、まともな人間とやるものでしょう。少なくともあんたとは話し合えない」
「……この騎士を殺せ!」
最後のあがきでクーレホルンは叫んだが、配下のアンデッドたちは動かない。
おそらく俺がアンデッド──つまりすでに死んでいる状態だということを彼らも知ってしまっているので、実行不可能な命令としてネクロマンシーの強制力がはたらいていないのだ。
あがくつもりなら『この騎士のアンデッドを壊せ』と言うべきだったが、結果はたいして変わらなかっただろう。
俺は瓶のふたを抜くと、中身の聖水を全てクーレホルンにぶちまけた。
「あっ、あああっ、ああぁあ」
聖水が落ちたところから白い煙があふれ、みるみるうちにクーレホルンの顔が溶けてゆく。そして、ぼしゅっ、と小麦の袋を落としたときのような音がして、クーレホルンの首は完全に消え去った。
城の住民を地下に幽閉し、冒険者たちを生贄にし続けた偏執狂のネクロマンサーは、呆気ない死を迎えたのである。
白い残りカスとなったクーレホルンを見下ろしながら俺が安堵の息をついていると、後ろからグレシアの走ってくる足音が聞こえてきた。
「片付きました」
「うっ」
俺が振り返ると、グレシアは少し顔をこわばらせた。
そういえば魔法で顔もかなり焼かれていた。自分の顔を見られないので分からないが、損傷はかなりひどいらしい。
「失礼しました。何か顔を隠せるものってありますかね」
俺がそう言って顔を手で隠すと、グレシアは首を振って目を伏せた。
「いいや、今のは私が悪かった。火傷は隠さなくていいよ。すまない」
「はは、全然気にしてませんから、謝らなくてもいいですよ」
「……そうか。君は、本当に人がいいな」
そのとき、周りで呆然と立ち尽くしていたアンデッドたちが声を上げ始めた。
「喋れる」
「本当だ。喋れるぞ」
そういえばクーレホルンの周りを固めていたアンデッドも、元はといえばクーレホルンの被害者である城の住人だ。クーレホルンの死によって支配が解け、自由に動いたり声を出したりできるようになったのだろう。
喜ぶかつての城の住民たちを見ていると、その中からグレシアと同じく透き通るような白い髪をもつ女が俺たちの前に進み出てきた。彼女は確か、グレシアの母の身体を操っている王女だ。グレシアは彼女の存在に気づくと笑みを引っ込めた。
「おそらく、父から聞いているでしょうが……私はこの亡国の王女です。今ここにいない王に代わって、クーレホルンを討ってくれたことの感謝を述べます」
「私たちも狙われていたから助けるつもりがあったわけじゃないんだ。結果的に君たちの支配を解くことになっただけで」
「理由はどうあれ、クーレホルンの人形という屈辱的な立場から解放していただけたことに勝る感謝はありません。欲しければ、どうぞ好きなだけこの城の財物を持って行ってください」
それを聞いたグレシアは大量の金を手にすることができるにもかかわらず、どこか寂しそうにうなずいた。
「やっぱり、別人なんだな」
そして彼女が漏らした一言を聞き、俺は気づいた。母親と同じ姿、同じ声なのに魂は確かに別人。王女が悪いわけではないが、ずっと両親の死の可能性から目を背け続けていたグレシアにとっては、やはり受け止めがたいのだろう。
「そういえば、この身体はあなたの母君のもの……だそうですね」
王女もグレシアの様子に気づいたらしく、少し顔を曇らせた。
「であれば、この遺体はあなたにお返しするべきでしょう。あなたの父君の遺体とともに、手厚く葬って差し上げてください」
「それだと君は……」
「いいのです。他人の身体を奪って現世に留まるなど、慙愧に堪えません」
王女はきっぱりと答え、アンデッドたちの方に目をやった。
「今から父に頼んで、住人全員の魂を死体から解放します。時間がかかるでしょうが、少し待っていただけますか」
「……分かった」
「ありがとうございます。では、また」
王女はそう言うと、アンデッドたちを連れて古城の通路の奥へと歩いていった。彼女の後ろ姿が見えなくなくなると、俺はぽつりとつぶやいた。
「終わりましたね」
「いや、まだ後始末はまだこれからだけど」
グレシアは真っ白な指をぴんと立て、俺を指した。
「調査隊の死体を全部集めておかないといけないし、何より君を人間に戻せるかどうかが一番の問題だ」
「あー、そうでしたね。戻れなかったらどうしようかな……」
「自分のことなのに、よく平気で縁起でもないこと言えるね」
「そのときはそのときです。クーレホルンたちは長年アンデッドやってたみたいですし、案外暮らしやすいかもしれません」
実際はわりと不安だったが、それをここで表に出したところで、グレシアに余計な罪悪感を抱かせるだけだ。俺が冗談にして笑い飛ばすと、彼女は、ぺしっと俺の頭を叩いた。
「何するんですか」
「アホに見えて、君がけっこう気を遣える方なのは分かってる」
俺は目を丸くしてグレシアを見た。すると彼女はむすっとした表情のままうつむき、少し顔を赤らめた。
「だからたまには……私にも気を遣わせてくれ」
そう言って、グレシアはぎゅっと俺の手を握った。
「これは?」
「母がよくやってくれていたんだ。不安を除くためのおまじないだ」
今の俺は感覚が完全に麻痺しているので、彼女の手の感触はよくわからない。だが、じんわりと暖かみが伝わってきたような気がした。
「悪くないですね」
かじかむほど寒く、暗い古城の中。たった二人の「生者」となった俺とグレシアは、しばらくの間手を握り合っていた。