【書籍化】迷宮で、死体を拾う   作:龍 圭介

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書籍発売記念の番外編です。


12(番外編)楡の木の下

 

 

 どういうわけか、今日はひっきりなしに客が来た。

 

「ちょいとイレーネさん。うちの旦那が酒浸りでね。一度頭ン中を解毒してくんないかしら?」

「すみません、うちの親方が屋根の上から落ちちまったんだ! 治療を頼みます!」

「あー……ギュンター神父はいらっしゃるだろうか。サルカの使いで、法皇会議の出席の是非を聞きたい」

「イレーネちゃん! 鶏の羽根と黒炭でペンを作ったの! あげる!」

 

 愚痴を言いにきた肉屋の奥方、怪我を負った大工、教皇の使者、人懐っこい子ども──その他大勢の来客対応が落ち着いたのは昼下がりになる頃だった。

 

「流石に、疲れましたね……」

 

 聖堂の入り口にある楡の木陰に腰を下ろし、イレーネは深呼吸した。

 

 木の匂いと、枝の隙間から注いでくる木漏れ日が気持ちいい。エッカルトによく手入れをされているこの楡の木の下は、イレーネのお気に入りの場所だ。

 

 木の根っこを枕にあくびをしていると、門のほうから誰かがやって来る気配がした。

 

 はしたないところを見られてはまずい。イレーネは慌てて尻に付いた土埃を払い、立ち上がる。

 

 新しくやって来た客は、くすんだこげ茶色の髪の少年だった。歳は五、六歳頃だろうか。身なりは質素で、沈んだ表情をしている。

 

「ご用は何でしょうか?」

 

 イレーネが身をかがめると、彼は目をそらして答えた。

 

「……お祈りを、しに来ました」

 

「それは熱心でいいことですね。聖堂に案内しましょう」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 イレーネは少し不思議に思った。彼の顔は、この都市で暮らしていて見たことがない。一人でお祈りに来るような信心深い子どもであれば、イレーネの記憶にあるはずなのだ。

 

「そういえば、貴方のお名前は?」

 

「エルムです」

 

「そう、エルムさん。この都市には最近来たのですか?」

 

「は、はい……今は、宿に泊まっています」

 

 おそらく、行商人か冒険者の子だろう、とイレーネは思った。街にいる時間が短い彼らは、家を借りるよりも、安宿を利用することを好むからだ。

 

(それにしても、暗い顔ですね)

 

 子どもはみな溌剌(はつらつ)としているべきだ、などという思想をもっているわけではないが、明らかに意気消沈していると心配になる。イレーネは視線の行き場を求めるように地面を歩く蟻に目をやる彼に訊いた。

 

「何か、心配ごとがあるのですか?」

 

「……父さんが」

 

「父さんが?」

 

「迷宮から戻ってこないんだ」

 

 もともと喋り慣れていないらしく、エルムはたどたどしく話を始めた。

 

 彼の父親は三日前、エルムを残して西のソルダウ迷宮に向かったのだという。エルムは一緒に行くと言ったが、父親は首を横に振ると、柔らかく諭した。

 

『心配ない。俺が迷宮に行くのは、一日だけだ。すぐ戻ってくる』

 

 しかし自分の身にもしものことがないとは言い切れなかったらしく、俺が戻って来なかったらこの都市に住め、と言って銀貨の入った袋をエルムに渡した。

 

 そして一日が過ぎ、二日が過ぎ……三日目になってなお戻ってこないので、エルムは途方に暮れた。

 

「だからお祈りしに来たんだ。父さんが戻って来ますようにって」

 

「……それは」

 

 イレーネは言葉に詰まった。冒険者が一日で探索が終わると判断した迷宮から戻ってこないということはつまり、怪物に遭遇したか、事故に遭って死亡している可能性が高い。

 

「冒険者ギルドには問い合わせましたか?」

 

「ギルド? 父さんは入っていないよ」

 

「そうですか……」

 

 であれば、ギルド保険に入っている可能性もない。もしも誰かと同行していたら一緒に救助される可能性もあるかもしれないが、あまりあてにはできないだろう。

 

 イレーネは、じっとエルムの顔を見つめた。突然真っ暗な海に放り出されたかのような、足元ののおぼつかなくなるほどの不安が、そこににじみ出ている。

 

 神父に拾われるまでは、自分が浮かべていたであろうその表情を見て、イレーネは決めた。

 

「……どこまで役に立つかは分かりませんが、力になりましょう」

 

「力になるって……?」

 

「あなたのお父さんを探すのです。大丈夫、私はちょっとそういう知り合いが多いんですよ」

 

 

 

 

 

 

「……それで、なんで私のところに来ることになったの?」

 

 1時間後、イレーネはエルムを連れてノードレット死体回収事務所にやって来ていた。山積みになった本の向こうで、透き通るような銀髪を肩のところで切りそろえた少女──グレシア・ノードレットが、首を傾げている。

 

「わざわざ私の所に来なくとも、ウァプスト事務所とかニールセン事務所とかもう少し回収料金の安いところもあると思うんだけど」

 

 グレシアの言う通り、イレーネはすでに市内にあるその2つの事務所を訪れていた。エルムが父から渡された金額は9万ダリル。標準料金10万ダリルのノードレット事務所では足が出るため、6,7万ダリルで引き受けてくれる方から検討していた。

 

「最初はどちらの事務所も乗り気で、話を聞いてくれました。でも……」

 

 エルムの父──ギデオンの名前を耳にすると、ウァプストもニールセンもこの仕事は引き受けない、と答えたのである。

 

 イレーネが理由を聞くと、2人とも『これは私の仕事ではないから』と答えるのみだった。

 

「どうしてでしょうか」

 

 ギデオンの名前と他の事務所での反応について語ると、グレシアは腑に落ちたようだった。

 

「なるほど、それは私たちの仕事じゃない。……そもそも、まともな冒険者であればソルダウ迷宮なんて行かないからね」

 

「なぜですか?」

 

「あそこの財宝は、数年くらい前に獲りつくされたんだ。今は盗賊や怪物の棲み処になっていているから、入ってもいいことは何もないよ」

 

 では、なぜギデオンは危険なだけで報酬も何もない迷宮に潜ろうと思ったのだろうか。わざわざエルムを置いて出かけていくのであれば、何かしらの目的があったはずなのだ。そうでなければただの自殺行為──

 

(まさか、本当に自殺?)

 

 そう思いかけたが、イレーネはすぐに自殺の可能性が低いことに気が付いた。仮に自殺する動機があったとしても、自殺するならわざわざ迷宮に行く必要も、迷宮に行くと説明をする必要もないからだ。

 

「……というか、私たちの仕事じゃないって、なぜグレシアさんたちはそんな曖昧な答え方をするのですか? 死体回収人の仕事ではない理由を教えてほしいのですが」

 

 ~から、と言葉を締めてはいるが、その実誰も質問には答えていない。歯に何かが挟まったような返答をすることについて問うと、グレシアはため息をついた。

 

「おそらく、その2人も親切心でその答え方をしているんだろう、私もギデオンを回収しない理由について説明はできるけど、答えると面倒なことになるから言わない」

 

 グレシアの口調に悪意は感じられない。となると本当に言えない理由があるのだろう。イレーネが考えていると、グレシアはエルムのほうに銀瞳を向けた。

 

「……ただ、本来やるべき仕事ではないから私は行かないけど、どうしてもギデオンと会いたいというなら、引き受けないこともない」

 

 エルムは黙りこくり、銀貨の袋を握りしめていたが、やがて顔を上げた。

 

「会いたい」

 

「……その9万ダリルを全部払ってでも?」

 

「うん」

 

 エルムがうなずいたそのとき、事務所の階上から長身の騎士が下りてきた。

 

「グレシアさん、2階の片付けが終わりましたよ」

 

 アウグスト・アーベライン──グレシアに雇われている凄腕の戦士だ。彼はイレーネとエルムを見ると、目を丸くする。

 

「あっ、イレーネさんと……そちらは、どなたですか?」

 

「彼はエルム。依頼人だ」

 

「エルムさんですか。どうも、俺はアウグスト・アーベラインです。よろしくお願いします」

 

 彼は、エルム相手にも丁寧にお辞儀をした。普段はそれほど意識はしないが、こういった所作が洗練されているところを見ると、彼の生まれが貴族であったことを思い出す。

 

 挨拶が済み、アウグストにもグレシアにしたのと同様の説明をしたところで、グレシアはぱんと手を叩き、アウグストに微笑みかける。

 

「さてと……私はエルムの父、()()()()の回収依頼を受けた。それは間違いないね?」

 

「名前を間違っていますよ? グレシアさん」

 

「『デギオン』だよ。私の記憶に間違いはない。だよね?」

 

 グレシアはわざとらしい笑みを崩さず、念を押す。それを見たアウグストは、また何か企んでいるな、とでも言いたそうな顔をしてから、うなずいた。

 

「何をするつもりかは知りませんが……そうですね、俺の勘違いでした。デギオンですね」

 

「イレーネとエルムも、デギオンを探すために依頼した。いいね?」

 

「えっと……はい」

 

 戸惑いながらも、イレーネはうなずいた。おそらく、グレシアは回収対象がギデオンであることを知らないという建前で仕事を引き受けたことにしろ、と言っているのだ。ギデオンの名を聞いて他の死体回収人が仕事を断っていたので、そこは間違いない。

 

(……しかし、ギデオンさんとは何者なのでしょうか?)

 

 ギルドに登録した冒険者ではなく、行っても旨味のない迷宮へ行き、死体回収人にタブー扱いされる男。全く意味不明だ。

 

 イレーネが不思議に思っていると、グレシアはエルムを見て、猫のように目を細めた。

 

「あと、エルムも連れていく。おそらく彼がいた方が、デギオンの居場所も分かるはずだ」

 

 エルムを、年端もいかない子どもを迷宮に連れて行く。それを聞いたイレーネは逆さ城での出来事を思い出し、激しく首を横に振る。

 

「駄目です。待ってください。エルムさんは子供ですよ。宿で待ってもらった方が安全です」

 

 しかしグレシアは、イレーネの案に難色を示した。

 

「それこそ、やめておいた方がいい。エルムも、本当は自分も迷宮に行くべきだって気づいているだろ?」

 

「うん」

 

 あっさり、エルムは肯定した。呆気に取られているイレーネをよそに、グレシアは満足げにうなずく。

 

「依頼人の意志が第一優先だ。……ああ、エルムの安全は保証するよ。私は財宝の枯渇する前には何度もソルダウ迷宮に潜っているし、アウグスト君だっている」

 

 迷宮の専門家である彼女がそう言うなら、そうなのだろう──だが、イレーネの心配は拭い去れない。

 

 グレシアにはグレシアの考えがあるのだろうが、これから何が起きるかも説明されないまま、教会を頼ってきた子どもを他人の手に委ねたくない。

 

 だからイレーネは勇気を振り絞り、言った。

 

「……私も、同行してもいいですか」

 

 

 

 

 

 

 

 最前列はアウグスト。真ん中にグレシア、最後尾にエルムとイレーネ。戦闘力の低い2人を守るような隊列で、パーティの面々はソルダウ迷宮の床を踏んだ。

 

(また、こんなところに戻ってくるなんて)

 

 イレーネは苔むした石積みの壁に触れ、ため息をつく。

 

 逆さ城の探索で恐ろしい目に遭ってから絶対に迷宮には行くまいと決めていたのだが、結局エルムへの心配と、何が起こるのかという好奇心が勝って、ついてきてしまった。

 

 さほど寒くないのに、長杖(スタッフ)をもつ手が震える。一度だけとはいえ、迷宮探索経験者であるイレーネがそうなのだからエルムはよっぽど怖いのではないか。

 

 そう思って彼のほうを見たが、特段怖がる様子もなく、街中を歩くように平然としている。むしろ何も知らない分、怖さはないのかもしれない。

 

「この迷宮で、注意すべき点は特にない」

 

 するとイレーネの恐怖心を見透かしたようで、後ろを歩くグレシアがそう言った。

 

「ここは昔の貴族が金庫として作った迷宮なんだけど、罠は先人たちが引っかかるか解除するかしてあらかた把握されている。あとは小物の怪物や盗賊が潜んでいることがあるくらいで、赤等級でもそうそう死にはしない」

 

「じゃあギデオン……じゃなかった、デギオンさんも生きている可能性が高いんですね」

 

 ときおり落ちている木箱や破られたドアの陰を調べながら、アウグストはそう言った。

 

「そうだね。まず生きていると思う」

 

 ではなぜ迷宮に戻ってこられないのだろう。そう思っていると、後方から無数の木の葉のざわめくような音が聞こえてきた。振り向くと、そこには影があった。

 

(……影?)

 

 イレーネたちは松明を灯しているわけではなく、グレシアの暗視支援を受けている。

 

 光のない闇の中だから、これほど濃い影ができるはずがないのだが……不思議に思ってじっと見ていると、影は波打ち、こちらに向かってきた。

 

「影が! 影が動いています!」

 

「……ああ、影か」

 

 グレシアは慌てず背嚢から茶色の瓶を取り出し、たった一滴、ぽとりと床に垂らす。すると目に染みるような刺激臭が広がり、イレーネは思わずせき込んだ。

 

「何ですか、これ……」

 

「菊の一種が虫よけに分泌する液体があってね。それを濃縮した薬だよ」

 

 グレシアの薬の効果はてきめんのようで、匂いを嗅いだ影は散り散りになりながら、潮が引くように去っていった。

 

「虫除け……じゃああの影は」

 

「肉食の蟻の群れだ。食いつかれると、数十秒で骨になる。ちなみにソルダウ迷宮発見当初はあれでだいぶ被害が出たから、対策も早かった。この薬を撒いておくか、炎の魔法で一気に焼き尽くせば怖くない」

 

「なるほど……」

 

「まあ今遭遇した『影』に限らず、この迷宮内の危険は対策しておけば簡単に対処できる。だから楽なんだ」

 

 グレシアの知識量に感心しつつも、イレーネは、鼻を突き刺すような臭いに、少し涙が出てきた。前列で、薬を垂らした地点から一番遠くにいたアウグストも、鼻をつまんで顔をしかめている。

 

「エルムさん、よく平気ですね……」

 

「父さんが家の周りに撒いてたから、慣れてるんだ。むしろ懐かしい感じ」

 

 むしろエルムは家のことを思いだしたらしく、ぱっと顔が明るくなっていた。

 

 

 

 

 イレーネたちがしばらく探索を続けていると、思わぬものを発見した。

 

「宝箱……ですか」

 

 通路の行き止まり──目の前にあるのは、鍵穴のある木箱。当然鍵が無ければ開かないが、仕組みの古い錠前は技師が居たら簡単に解錠できるうえ、何なら武器で壊してもよい。

 

 だが、宝を迷宮に置いていった側も盗掘の危険は承知なので、宝箱が解錠・破壊されることを前提とした罠が仕掛けられていることも多い。

 

 死体回収業者も未発見の宝箱を見つけたら喜ぶと言うが、グレシアはどんな反応をするのだろう。そう思って彼女の様子を窺っていると、グレシアは宝箱を無視して壁の隙間に人差し指をつっこんだ。

 

 かちり。

 

 とスイッチの作動する音がして壁が動き、階段が現れた。

 

「地下2階へ行くには、この隠し階段で降りる。さ、アウグスト君、前に」

 

 アウグストは少し未練があるようで、ちらちらと宝箱を見ている。

 

「あの宝箱は……開けないんですか?」

 

「この宝箱は地下二階に降りる唯一の階段の傍に置いてあるんだよ。通り道にあるような宝箱に、財宝が入っているわけないだろ。ちなみに、開けるとばね仕掛けのナイフが飛び出してくるよ」

 

「やけに詳しいですね」

 

 するとグレシアは、ぽりと頬を掻き、目をそらした。

 

「一度引っかかって、死んだからね」

 

「え、これに?」

 

「ああ。見よう見まねで技師の罠解除を覚えてやってみたんだけど失敗してね、それでずばーっと喉を掻っ切られたんだ。だから、死体回収のときはあまり宝箱を開けないようにしてる」

 

「……今のグレシアさんからは考えられないですね」

 

「誰にだって未熟なときはあるだろ。ある程度知識と経験っていう重りを積まないと、慎重さは身につけられないものさ」

 

 肩をすくめてそう言う彼女の後ろで、じっとエルムが宝箱を見ていた。いきなり開けたりしないか不安になったイレーネは、彼の手を引いた。

 

「エルムさん、今の話は聞いていましたよね。それは罠です。放っておきましょう」

 

 するとエルムはイレーネを見上げ、うなずいた。

 

「知ってる」

 

「え?」

 

「思い出した……父さんが、この宝箱は触らないようにって言ってた。そして階段を降りて……」

 

 途端に、エルムはばっと顔を上げて言った。

 

「思い出した!」

 

 言うや否や、エルムは脱兎のように駆けだし、階段を駆け下りていく。

 

「ちょっと、前に出たら危ないですよ……」

 

 アウグストが腕を掴んで引き留めようとしたが、グレシアは首を横に振ってそのままエルムを先に行かせる。

 

「大丈夫だ。もう、彼はデギオンの居場所が手に取るように分かるはず。私たちは、その後を追うだけでいい……行くよ、2人とも」

 

 そう言って、グレシアもエルムの後に続き、階段を降り始めた。

 

 

 

 

 

 

 夢中で走っていくエルムについて行く途中には、いくつか罠が仕掛けられていたらしい。特定のタイルを踏むと槍が飛び出してくる床。壁に触れながら進まないと石が落ちてくる通路。

 

 だが、グレシアが予告する前から存在を知っていたかのように、エルムは罠をかわしてすいすいと進んでいく。

そして行き止まりにあるドアの前で立ち止まった。

 

 部屋の周りにはつい先ほど嗅いだ刺激臭が薄っすらと漂っており、イレーネは鼻を押さえる。だがエルムは気にせずドアをノックした。

 

「父さん! ()()()()()()!」

 

「……帰ってきた?」

 

 エルムの言葉にイレーネが呆気にとられた、その瞬間だった。

 

 後ろから突然、羽交い絞めにされた。

 

「動くな!」

 

 低い男の声。アウグストとグレシアは振り返った。ごつごつとした左手で口をふさがれ、首元に短剣が光っている。イレーネを捕まえた男は、切羽詰まった声で続けた。

 

「動くなよ、何も知らないエルムに案内させて、俺を捕まえる気だったんだろうが……そうはいかねえ」

 

 首をわずかに動かし、男の顔を見る。顎鬚を生やした才槌頭の男で、目元はエルムに似ている。おそらく、彼がエルムの父──ギデオンなのだろう。

 

「頼むから、俺がここを出るまで、そこにいろ。俺も、人は殺したくねえからな」

 

「父さん、その人はただ父さんと僕を会わせてくれようとしただけなんだ」

 

 ギデオンは、前に出てきたエルムを、貫くような眼光で睨んだ。

 

「エルム……言ったはずだ。お前は街にいろと」

 

 グレシアはふむと考えるそぶりを見せたが、やがてうなずき、男とイレーネを指さした。

 

「アウグスト君、取り押さえて」

 

「分かりました」

 

 アウグストは剣を抜き、男に向かって真っすぐ向かってくる。

 

「動くなって言ってんのによお!」

 

 それを見たギデオンは、焦ってイレーネをアウグストの方に突き飛ばした。

 

「おおっとっと……」

 

 アウグストはイレーネを受け止めると、勢いを殺して床に優しく置く。

 

「大丈夫ですか?」

 

 だがアウグストの背中ごしに短剣で斬りかかろうとしているギデオンの姿が見えたので、イレーネは叫んだ。

 

「後ろ!」

 

「後ろ? ああ……大丈夫です」

 

 アウグストは慌てる様子もなく、振り向きざまに剣を一閃させた。甲高い金属音が響き渡り、ギデオンの得物が弾き飛ばされる。

 

「くそっ!」

 

「逃がしませんよ」

 

 武器を吹っ飛ばされて逃げようとするギデオンの手を掴み、地面に組み伏せるとアウグストは振り返った。

 

「よし。……イレーネを殺そうとしなかったのは、いい判断だ。子どもの前で自分が女を殺すところを見せたくなかっただけだとしてもね」

 

 ぺたんと尻もちをつき、呆然としているイレーネを、グレシアは浮遊魔法で立ち上がらせた。

 

「怪我は?」

 

「大丈夫です。しかし、一体どういうことなんですか? 説明してください」

 

 グレシアは顎に人差し指をあて考えていたが、やがてうなずいた。

 

「ここから先は私のひとりごとだけど……彼は『錠割』のギデオン。解錠を得意とする盗賊だ。数年前に他の市で指名手配されて、ハレーザー市まで人相書きが回ってきていた。ギデオンは当然街では暮らせないし、人の交流が少ない村落に留まることもできない。だから、迷宮へ向かった」

 

 ギデオンは、観念したかのように何も喋らない。盗賊、という言葉を聞いたエルムは、衝撃を受けているようだった。

 

「普通の迷宮は、冒険者が来る。だから財宝が底を突き、罠や怪物のせいで人の来ないソルダウ迷宮に住むことにした。幸い、迷宮の罠も怪物も簡単に対策ができる。例えば『影』に対しては薬剤を撒いて侵入されないようにしているみたいだしね」

 

 そういえば、エルムは『影』を撃退する薬を家の匂いだと言っていたが──それもそのはずだ。エルムの家とはソルダウ迷宮内にあるのだから。

 

「おそらくギデオン一人で生きていくには十分だったんだろうけど、彼には一人息子がいた。まあ、どういった理由かは断言しないけど……彼は一人で生きていけるくらいの金を息子に持たせて、街に置いていったんだ」

 

 そこまで言われ、イレーネはようやく気が付いた。

 

 全ては逆だったのだ。街から迷宮に向かったのではなく、迷宮から街に向かった。置き去りにされていたのはギデオンではなく、エルム。

 

「ギデオンはあまり有名な盗賊じゃないからイレーネは知らなかったのかもしれないけれど、仕事柄盗賊の死体を見ることもある他の死体拾いは、ギデオンの名前を知っている。そしてまともな冒険者は潜らないソルダウ迷宮へ行ったと聞き、おそらくギデオンの潜伏先だろうと考えた」

 

 そのとき、イレーネは死体回収人たちが口を揃えて自分の仕事ではない、と言ったことを思いだした。彼らはギデオンがただ迷宮という棲み処に帰っただけだと分かっていたからそう答えたのだろう。

 

「なるほど……しかし、ウァプスト事務所やニールセン事務所はなんで通報しなかったんでしょうか?」

 

 アウグストの疑問に、グレシアは当然とばかりに答えた。

 

「面倒だからさ。依頼を受けて迷宮に行ったらギデオンと戦闘になるかもしれないし、通報しても、説明に時間がかかるだけで一銭の得にもならない。最初から知らなかったふりをして、他の仕事をしようと思ったんだろう」

 

 グレシアの説明の間、エルムは黙っていた。だが、やがて顔を上げると、ギデオンに訊く。

 

「今の話、本当なの」

 

 ギデオンはふっと息を吐き、ああ、と答えた。

 

「すまないな、エルム。俺は太陽の下を歩けないんだ。だが、お前は追われるような犯罪者じゃない。親に付き合わせて、迷宮暮らしをさせたくなかった」

 

「じゃあ、そう言ってよ」

 

「……失望されたくなかったんだ。お前だけには」

 

 ギデオンはそうつぶやくと、力なく笑った。

 

 

 

 

 

 

 迷宮を出ると、日は傾き、稜線を橙色に染め上げていた。出てきた迷宮を振り返り、アウグストは隣のグレシアに尋ねた。

 

「結局、ギデオンとエルムさんを放置していいんですか」

 

 エルムは結局迷宮に留まる意志を示すと、グレシアは「では、依頼完了ですね」と言って報酬を受け取り、さっさと迷宮を出てしまったのだ。

 

「私が引き受けた仕事は、エルムを迷宮に住む変わり者の父親()()()()に会わせることだけだけだからね。引き渡すって何の話?」

 

 グレシアは、天真爛漫な目をして、わざとらしく首を傾げた。

 

 だが彼女は絶対にそんな殊勝な理由で見逃すタマではない。同じように思っているらしいアウグストとイレーネはじっと彼女を見た。

 

「ああもうわかったよ」

 

 観念したように言うと、グレシアは片手を口の傍で立て、辺りをはばかるように囁いた。

 

「通報なんかしたら、私の受け取る報酬まで盗まれた金かどうか確かめないといけなくなるだろ?」

 

 やっぱり、とアウグストは呆れたようにつぶやいた。経済的利害により見逃されたイレーネも、うすうすそんな気はしていたためため息をつく。雪原の民の身体には血ではなく銀が巡っているという話があるが、それもあながち嘘ではないかもしれない。

 

「……しかし、本当にギデオンさんと一緒に行かせてよかったのでしょうか」

 

 イレーネは、たった今出て来た迷宮の入り口を振り返った。野ざらしになった石段には苔が生え、うら寂しい雰囲気が漂っている。何となく、振り返ってはならないという黄泉の帰り道を思い出した。

 

 余計な世話を焼かなければ、ギデオンの望み通り、エルムは日の当たる街で生きていけたはず。果たして自分のしたことは善いことなのだろうか。

 

「知らないよ。まあ少なくとも、ギデオンは息子に迷宮暮らしをさせたくはなかったみたいだし、ギデオンの稼業を継ぐことにはならないはず。まあ、私たちにできることは、2人が善き道に進むようお祈りをするくらいさ」

 

 グレシアのほうはもうギデオンたちへの興味は消え失せているらしく、そんな返事をする。

 

「そう、かもしれませんね」

 

 確かに、もうイレーネにできることは何もない。あるとすれば、物事が良い方向へと転がったと信じるだけ。

 

(……祈るのが本職ですし、それで良しとしましょうか)

 

 そう考えると、少しだけ心が軽くなった気がした。我ながら単純な人間だと思っていると、グレシアはうんと伸びをしながら、上機嫌に言った。

 

「よし、帰ったら飲むよ、アウグスト君!」

 

「この前みたいに、二日酔いしないようにしてくださいね。あのときは」

 

「あのときは疲れていて、酔いが回りやすかったんだ。今日はこっちが潰してあげるよ。イレーネは飲まないの?」

 

「……今日も帰って、神父様たちのお食事を作らなければなりませんから」

 

 夕暮れの中、三人の影法師は帰路に向かって長く伸びていた。

 

 

 

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