客が来たら、依頼内容を聞いて前金を受け取る。探索の準備をしてから迷宮へ行き、死体を拾ったら客に引き渡すか、教会で蘇生する。
ノードレット死体回収事務所での仕事の大まかな流れはこの通りだ。だがひっきりなしに依頼人が来るというわけではないため、仕事が来るまでは事務所でひたすら客を待つことになる。
その間俺がやることと言えば、日々の鍛錬と掃除くらいだ。
「……よくこれだけ散らかせますよね。昨日片づけたばかりなのに」
外套や巻物、香木の入った箱が無造作に置かれ、死体保存に使う薬品や香草が机の上に溢れている。足の踏み場もないほど散らかった部屋の惨状を見て、思わずそうつぶやいてしまった。
「散らかす? 私は散らかした覚えはないよ」
安楽椅子に座り、分厚い革の本を読んでいた少女──グレシアは、本から目も上げずに答える。彼女は硝子細工のような指でページをめくりながら、ため息をついた。
「だいたい、片づけという言葉はどこに何があるか把握できるよう物を動かすことを指すんだよ。私はどこに何があるかは分かっている。よって、君から見て散らかっているように見えても私の主観ではこの部屋は整頓されているし、常に片づけをしているとも言えるんだよ」
彼女の辞書の「片づけ」の項目には、どうやら誤植があるらしい。
まあ何もやることがないよりはやるべき仕事があった方がいい。俺は散乱した薬品の瓶を棚に戻したり、広がったままの巻物を巻きなおす仕事にとりかかった。
(それにしても、本が多いな)
いくつか本を抱え上げて棚に戻しながら、ふとそう思った。付与術教本、薬草学、医学図解、古代語、迷宮機能論、病魔辞典、地理誌……。ちょっとした学者並みの蔵書だ。
俺は「怪物の生態」十巻分を本棚に押し込むと、額の汗を拭った。
「グレシアさんは本当に書物が好きですよね」
振り返ると、グレシアはあくびを噛み殺しながら「いや」と否定した。
「本が好きというよりは仕事に必要な知識を頭に入れるために読んでいるだけかな。迷宮の生き物はどんな法則で動いているのか、罠はあるのか……迷宮に絶対はないけれど、少なくとも知識があれば、生存率は上がるからね」
確かに改めて本棚を眺めると、そこに収められている本はどれも迷宮や冒険、死体処理関連の実用的なものばかりで、戯曲や詩集は見当たらない。
グレシアは黒革の栞を挟んで本を閉じると、ついと人差し指を動かし、せっかく俺が仕舞った巻物を浮遊魔法で手元に持ってきた。
「特に私は魔法の熟練度に関しては他の金等級よりも劣っているから、迷宮のお勉強は必須だ。もともとこの金等級の地位だって、ギルド長に金を払って維持しているものだしね。戦闘能力だけで評価するなら私は紫等級……いいとこ銀等級ってところかな」
「なるほど」
死体拾いという仕事は怪物や盗賊と戦う必要性が無い分、戦闘技術よりは探索技能の方が求められる。だからそれほど魔法を鍛える必要は無いのだろう。
そう思いながら俺が今持っている本に目を落とすと、「行商人の足跡」という題が目に入った。ぱらぱらと本をめくってみるが、中身は村や街の様子が記録されているだけで、迷宮の仕事に関連しているものとは思えない。
「旅行記は趣味で読んでいるんですか?」
するとグレシアは俺が手にしている本を見て、かぶりを振った。
「いや? 仕事で逗留できる村や街の選定に使っているんだ。その著者は、私と同じく雪原の民だからね。村人に眉をひそめられるくらいの描写なら泊まれる。殺されかけてたら泊まれない。ハレーザー市外はギルドの権威が届かない場所もあるし、なかなか実用的だよ」
そういえば遠出する際、近くに村があるのに泊まらず次の街へ行くことがときどきあったが、そこで飛ばしていた逗留地は、「泊まれない」場所だったのだろう。
「やっぱりそういうところってあるんですね」
俺がそうつぶやくと、グレシアは肩をすくめた。
「まあ、偏見のない人間の住む村や町なんてものは無いからね。粉挽き、処刑人、墓守はたいていの村で蔑まれているし、魔術師や双子を忌み嫌うところだってある。そういうものさ」
「へえ……俺には処刑人だから、とか双子だから、で嫌う理由はよく分かりませんね。そういうことも本を読めば分かるんでしょうか」
そう言うとグレシアは頭の中の目録を探すように宙に視線を彷徨わせた。
「たぶんそういう法の対象にならない人間について書かれた本もあったと思う。探してみたらいいんじゃないかな。一度頭に入った知識は盗まれる心配がないし、読んで損はしないよ」
「……ああ、師範学校の教官も同じことを言ってたんですけど、本で読んだ内容って不思議と頭から抜けるんですよね」
そう答えると、グレシアは透き通った目を呆れたようにくるりと回した。
「それは君の記憶力の問題」
「まあ、物覚えが悪いのは否定はしませんが……グレシアさんみたいに迷宮の道順を全部覚えているような人から見れば、たいていの人間は記憶力に問題があると思いますよ」
ささやかな反駁をしながら旅行記を本棚にしまうと、次に目についたのは来客用の椅子の上に置いてある、薬草入りの箱だった。
客が来ていないとはいえそこにものを置いておいてはいけないだろう。そう思って箱を持ち上げたとき、一枚の紙切れが滑り落ちた。
「おっと」
俺は箱を小脇に抱え直し、紙を拾い上げる。それを見ると、大きな文字でこう書いてあった。
『ハレーザー戦闘競技大会のご案内』
「戦闘競技大会?」
俺が思わずつぶやくと、グレシアは巻物から顔をあげ、じっと俺を見た。
「アウグスト君、それに出る気なのかい」
「いえ、案内があったので何だろうと思って」
「あー……」
グレシアは説明するかどうか少し迷うそぶりを見せたが、やがて口を開いた。
「毎年、市が開催してる試合だよ。冒険者同士で力比べをしようっていう趣旨のね。優勝者にはハレーザー市長から優勝者にふさわしい賞典が与えられる」
「ふさわしい賞典って?」
「魔術師ならローブ、槍使いなら槍って感じかな。まあ基本的には高価で希少なものが贈られるから、賞典目当てで参加する人もいるね」
もし俺が優勝したら、何が貰えるのだろう。剣か鎧あたりだろうか。そんなことを思いかけ、ふとグレシアの説明に妙な部分があることに気がついた。
「あれ? 賞典目当てで参加する人『も』いるってどういうことですか? 賞典以外にも目当てがあるみたいな口ぶりですけど」
俺の言葉に、グレシアはうなずいた。
「ああ。参加者の大半は自分の実力を知らしめるために参加してるよ。優勝できなくても上位に残れれば箔がつくし、ギルドの等級評価にも影響があるからね。あと、装備品の宣伝を商人に依頼されて参加する場合もある。店頭で『いい剣です』と説明されるよりも、『大会優勝者が使っていた剣です』と言われた方が買いたくなるだろう?」
「確かにそうですね……」
答えながら、大会に出てみたい、と俺は思った。
もともと師範学校でもこういった実力を試す競技試合は好きだったし、うまくいけば等級も上げられるかもしれない。
騎士の血が騒いでいる俺とは対照的に、グレシアは少し冷めた声で補足した。
「……いろいろな人間の利害が絡む分、八百長やらイカサマやらが横行している試合だ。魔術師の参加もあるし、君が師範学校でやっていたような剣術大会とは趣きが全く違う。参加はおすすめしないよ」
「それはそうですけど……等級も上げたいですし」
「君が何等級だろうと、私と居る限り仕事の内容は変わらないさ」
「でもグレシアさんも、ずっと俺を雇っているとは限らないでしょう? 俺が怪我でうまく戦えなくなったり、より護衛として使える人間が来たりすれば、俺は必要ないでしょうし」
その言葉を聞いたグレシアは、眉根を寄せた。
「君がそう思うなら、参加した方がいいかもね」
「……?」
心なしか、グレシアの機嫌が悪くなった気がする。俺は首を傾げながら、大会の案内を見直した。資格は特に必要無しだが、参加料は蘇生料金二十五万ダリル。日時は明後日だ。時間はあまりない。
「グレシアさん、明日と明後日、お休みを貰っていいですか」
「結局出るの?」
グレシアは露骨に嫌そうな顔をした。
「はい。やっぱり出てみたいです。というか、グレシアさんは出ないんですか?」
「さっき、戦闘は苦手だって言っただろう。……それにしても困るな。君がいないと回収に行ける迷宮がぐっと減るんだけど」
「すみません。でも、俺が優勝すれば事務所の知名度も上がりますよ」
「そうかもしれないけどさ、金を払ってくたびれにいくなんて……」
グレシアはまだ俺が大会に出ることについてよく思っていないようだったが、やがてため息をついた。
「まあいいか。お休みについては認めよう。でも、参加費……25万ダリルは払えるの? この試合、『参った』と言わせるか殺すかで勝ち負けを決めるから、死んだ場合を考えると参加料金はまけてくれないと思うけど」
そう言われ、俺はうっと言葉に詰まった。これまでの稼ぎのほとんどは借金返済に消えているため、手元には5、6万ダリルくらいしか残っていないのだ。
「ちなみに、お金を貸してもらえたりしますか?」
「えっ、借金するの? 私から?」
グレシアがぱっと顔を輝かせたのを見て、俺は失言を悟った。流石に仲間だから加減してくれるとは思うが、一度借りたら何だかんだ言って稼ぎを絞られそうな気がする。
さっきまでの不機嫌さはどこへやら、どこか楽しげな様子でグレシアは俺の肩を叩く。
「本当に借りなくていいのかい? それなら私も君が大会に行くことは大歓迎なんだけど」
「え、遠慮しておきます」
グレシアから金を借りるのは怖い。しかし試合には出たい。
かくなるうえは、また鎧を質屋に入れるしかないか──そう思ったとき、入り口の方からドアの開く音がした。
「ここが噂に聞く、ノードレット事務所ですか」
振り向くと、そこには茶色の髪をなでつけた青年が立っていた。身なりはよく、片眼鏡の奥にある鳶色の瞳から理知的な光がちらついている。彼は俺とグレシアを見ると、右手に掴んでいた袋を下ろして一礼した。
「や、どうも初めまして。私、ハルトマン商会の武器商人、マンフレッドと申します」
武器商人という彼の名乗りを聞いて、俺は怪訝に思った。商人が旅の途中で見捨てた仲間や護衛の回収を頼みに来る例がないことはないが、そういうわけではなさそうだ。
マンフレッドは俺とグレシアの顔を交互に確認すると、話を続ける。
「ええと、あなたがアウグストさんで、そちらの女性がグレシアさんですね。……大会に興味がおありで?」
「立ち聞きしていたのかい」
「おっと、これは失礼。そんなつもりはなかったのですが、もともと私が話したいことをすでに話題に挙げていらっしゃったので、ついつい聞き入ってしまっただけでして」
マンフレッドはきまりが悪そうに頭をかき、人好きのする笑みを浮かべる。一方でグレシアは何かに気づいたらしく、ああと声をあげた。
「戦闘競技に、武器商人……そういうことか」
「ええ、ええ。そうです。そういうことです。アウグストさん。あなたは大会に出るための参加料がないとおっしゃっていましたね? そのお金、全部私が出しましょう!」
参加料25万ダリル。彼は、その全額を出してくれると言っている。偶然にしてもあまりに出来すぎた話が降ってわいたことに、俺は目を瞬かせた。
「ええと、ありがたい話ではあるんですけど……何で俺にそんな出費を?」
「さきほどグレシアさんから説明を受けていたじゃないですか。装備品の宣伝ですよ。ぜひアウグストさんに使っていただきたい剣があるのです」
「いや……それは分かるんですけど、もっと有名な人に頼めばいいのでは」
「有名? それを『ネクロマンサー殺し』のアウグストさんが言うのですか」
マンフレッドは床に置いた袋の中から『逆さ城の謎』と題された一冊の本を取り出した。
「このランド・ギャレット教授の冒険録……大変な評判なのですよ。私も読みましたが、あの話はなかなか勉強になりました」
あの冒険の中のどこに勉強になる部分があったのだろうかと俺は首をかしげた。よほどランドの書き方が上手かったか、商人お得意の巧言令色だろう。
「……確かにそんなこともありましたけど、クーレホルンを倒せたのはグレシアさんの策のおかげですよ」
実際、クーレホルンは、死ぬ度胸さえあれば誰でも倒せた。別に、俺でなくてもさほど難しくはなかったはずだ。そう思って答えると、マンフレッドは「謙虚ですね」と微笑した。
「ともあれ、重要なのはそこではありません。とにかくあなたには一過性ではありますが知名度がある。そして、他の出資者が目をつけていない。ですからアウグストさんを選んだのです。納得していただけますか?」
「なるほど」
最初はマンフレッドの狙いが分からなかったので少し警戒してしまっていたが、受けて損はなさそうだ。受けます、と言いかけたそのとき、グレシアは面白くなさそうな表情で口を挟んできた。
「待ちなよ、アウグスト君。出資されるということは、ある程度出資者の意向に沿わないといけないということだ。マンフレッドも金を出す以上は試合のやり方を指示してくるから、そこは聞いておいた方がいい。その点、私から借りれば指示なしで自由に……」
グレシアの言葉の途中で、マンフレッドはうなずく。
「契約内容を全て言わずにサインさせるのは、よほどのせっかちか詐欺師くらいですからね。……私はそれほど難しい条件は求めません。ハルトマン商会の扱っている剣を試合で使っていただくだけです。ちなみに一つ確認させていただきたいのですが、剣にこだわりがありますか?」
「いえ、特には」
防具はともかく、得物に関してあまりこだわりは無い。たとえどんな剣であってもその性能を理解して引き出せるのが一流の騎士──俺はそう思っているからだ。
俺の返答を聞いたマンフレッドは、嬉しそうに手を叩いた。
「それはよかった。実力のある人はこだわりの強い方が多いので、なかなか話をまとめるのが難しいのです。『清廉騎士』カティアは神聖な試合に金銭を絡めたくないと言ってこの手の商談は全て断りますし、「金腕」ベルナールは、左手につけている金の籠手が呪われていて外せないから、籠手の交換は駄目だとか。その点、アウグストさんは素晴らしいですね」
「流石になまくらを渡されたら少し考えさせてもらいますけど……実際どんな剣を使うんですか?」
するとマンフレッドは「少し待っていてください」と言って出て行くと、一振りの剣を半ば引きずるような格好で持ってきた。よほど重量があるらしい。
「どうぞ。カナート製の両手剣です」
手渡された剣を持ってみると、ほどよい重さを感じた。鞘から抜いてみると、よく鍛え上げられた刀身が露わになった。無骨ではあるが、ハレーザー市で売っている剣よりもずっと頑丈そうだ。
「どうですか」
「いい剣ですね。ちなみにいくらなんですか?」
「8万ダリルです」
この品質の剣をハレーザー市で買うとなればその倍は必要となる。俺は少し驚いた。
「カナートってただの辺境だと思っていましたけど、こんな武器を作れる国だったんですね」
「ええ……実際、これだけの品質のものを量産できるようになったのはつい最近の話です。カナート帝国で新設された迷宮部隊が『黒金岩窟』を攻略したおかげで、良質の鉄が採掘できるようになったのですよ。ハルトマン商会はそこに目をつけて職人を招聘し、武器の生産態勢を整えたのですが、一つ問題がありまして」
「問題?」
「市場です。カナート帝国内では剣を欲しがる人はあまりいませんし、戦争の気配がないので周辺の国でもあまり売り上げは見込めません。ですので、常に武器を買ってくれるハレーザー市の冒険者たちに売ろうと考えたのですが、高い関税のせいであまり売れていない。それが悩みのタネ……」
廉価で質のいいカナート剣が商品として良すぎるから、ハレーザー市長が警戒して高い関税をかけているんですよね、とマンフレッドはぼやいた。
確かにこの剣が8万ダリルで買えると言うのであれば、俺もハレーザーで打たれた剣を買うことは無いだろう。
「ですから、私はカナート剣を売るきっかけとして、優秀な戦士にこの剣を使っていただきたいのです。そしてあなたは、何としても大会に出たい。お互いの利益に沿った取引ではありませんか」
マンフレッドは上着のポケットから契約書を取り出した。署名して俺に差し出すと、グレシアのほうを見た。
「グレシアさんは大会に出るつもりはないのですか? ちょっと洒落たローブも持ってきているので、あなたのような美人に着ていただきたいですが」
「私は戦闘力は皆無でね。パスだよ」
「ハルトマン商会は火薬も扱っています。そちらをお渡ししましょうか? 確か道具の持ち込みもできたはずでしょう」
「要らない。そもそもアウグスト君の代わりを探して迷宮に潜るから、大会に出るつもりもないし」
やる気の無さそうなグレシアの返答を聞いたマンフレッドは、少し残念そうに肩を落とした。
「そうですか。では、アウグストさんの出資分だけ計算しますね」
マンフレッドは袋の中から
その様子を見ていたグレシアは、ふむと考えるそぶりを見せた。
「そういえばマンフレッド。君は商人になって何年だい」
「15年ほどですが」
「そうか。いや、特に深い意味はないんだ。……ああ、契約書を作っている途中で申し訳ないけど、そこの本を取ってくれるかな」
「ん? ああこれですか……」
テーブルの上はまだ俺が片付けている途中だったので、いくつか本が残っている。グレシアが指したのは、マンフレッドの左手の傍にある「幻獣辞典」という題の巻物だった。彼はペンを置いて右手で巻物を取り、腰をわずかにあげてグレシアに差し出す。
「どうぞ」
「ありがとう」
そのとき、何か不自然なものを見たような気がして俺は首をひねった。印象的な夢を見たのに、内容を全く思い出せないというようなもどかしさに困惑していると、「よし」と言ってマンフレッドはペンを置いた。
「あとはアウグストさんが署名するだけです。参加料はこちら持ち。剣も支給。優勝すればさらに報酬を5万ダリル上乗せしますよ」
俺がその書面に名前を書きつけるまで、数秒もかからなかった。