出資契約が行われた二日後。俺は試合の行われるアリーナへやって来ていた。
試合の舞台は砂の敷き詰められた楕円形の空間で、選手の入退場口となる鉄の扉が向かい合っている。そこを囲むように観客席が並んでおり、まだ試合が始まるまで時間はあるにもかかわらず、すでに何人もの見物客が座っていた。
観客だけでなく、選手も来ているのだろうかと辺りを見回していると、俺の近くで腰かけている二人の男の会話が聞こえてきた。
「今回の優勝は誰になるんだろうな。俺は前回優勝者のカティアかベルナールあたりが本命で、次にマルティン、クローナ、アウグストあたりが来るかと思うんだが」
「また賭けに参加してんのか? それならちゃんとバックについてる商人も調べておかねえと駄目だ。カティアとベルナールは八百長はしねえだろうが、後の三人はどうだか」
「ああ、そうか」
「特にアウグストはあのグレシアの右腕だからな……金のためにわざと負けるくらいはするだろ」
横の二人は、俺が話に出ているアウグストであることを知らないらしく、実に勝手なことを言っている。まあ、雪原の民たる彼女と一緒に仕事をしているとなれば、そう思われるのも仕方のないことかもしれないが。
俺がため息をついたそのとき、隣に誰かが座る気配がした。
「いやあ、なかなかの評判だね」
声をかけられ隣を見ると、いつの間にかフードを被ったグレシアが座っていた。膝の上にはちょこんと林檎酒の瓶が置かれている。
「何でここにいるんですか? 別の戦士を雇って仕事に行くのでは」
「皆この試合に出ているみたいで、ロクな戦士が見つからなかったからね。小遣い稼ぎの種でも転がってないかなと思って」
「……俺の試合を応援しに来たわけではないんですね」
するとグレシアは不思議そうな顔をした。
「アウグスト君が、こんな試合で負けるわけないだろう? 勝つに決まっている君を応援するほど、私は暇じゃない」
「……」
俺の実力への信頼を喜ぶべきか、冷たいと言って悲しむべきか。俺が感情の落としどころに迷っていると、林檎酒を一口飲んでから、「そういえば」とグレシアはつぶやいた。
「マンフレッドは観戦に来てないの?」
「今日は商談があるので、途中から観に来るそうです。剣は前日にいただいているので、問題はないですよ」
「商談ねえ……」
何か引っかかるところでもあるのか、グレシアは視線を宙に彷徨わせる。するとその途中で嫌なものを見たらしく、「うえ」とつぶやいて顔を伏せた。
「おや、久しぶりに見る顔だねえ。フードを脱いでよく見せてくれよ」
声のした方を見ると、杖をついた小柄な爺さんが立っていた。まるで重荷を背負っているかのように背は湾曲し、伸び放題の眉毛が目元を覆っている。
怪しげなシャーマンを思わせる風貌だが、仕立てのよいシャツを着ており後ろに木彫りの面を被った護衛らしき男を連れているので、おそらくそれなりに地位のある人物だろう。
グレシアは顔を上げてフードを取るが、老人と目を合わせようとはしない。
「……せっかく見えないふりをしたんだから、そちらも見えないふりをしてくれればいいじゃないですか」
「つれないことを言うねえ。孫娘みたいなものじゃないか」
「……孫娘を死地に向かわせたり、金をむしり取ったりする祖父がいますか」
グレシアは豚の胆汁をたっぷり舐めさせられたような苦い顔をする。よほど苦手な相手らしい。
「誰なんですか、この人?」
そう言うと、老人はにやにやと笑った。
「そうか。まあ君とは直接あったことがなかったな、アウグスト君。私はゼンリ・フォルセン。ハレーザー市長兼、冒険者ギルド長だ」
ギルド長ゼンリ。その名前は、さすがに世間知らずの俺でも聞いたことがあった。
ここ何十年も前からハレーザー市の冒険者ギルドの長として君臨する男で、ギルド長になった頃から一切外見が変わっていないという噂のある、妖怪のような老人である。
「確か選手名簿に名前が連ねてあったな。それにしても金はどこから捻出したんだい? まさかグレシア君から借りたというわけではあるまい……」
ギルド長は俺が腰に差している剣に目をやると、ほほうと何かを察したかのように笑う。
「ハルトマン商会の出資か。あそこの人間と直接会ったことは無いが、なかなかのやり手らしいじゃないか。いい出会いに恵まれたね。頑張りたまえよ」
そう言うとギルド長は手を伸ばし、ぽんぽんと俺の肩を叩いた。
「は、はい……」
グレシアがつんけんしていたのと、逆さ城事件のときの冷酷な命令の印象が強いため、どんな恐ろしい人間かと身構えていたが、話してみれば気さくな老人だったので少し拍子抜けした。
「それで? グレシア君はなぜここに?」
ギルド長は俺からグレシアへと視線を移す。グレシアは億劫そうにため息をついた。
「ただ観戦に来ただけです」
「グレシア君のような効率主義者が観戦とは珍しいな。ちなみに、君は出ないのかい」
「ご冗談を。ギルド長は私の実力をよくご存じでしょう」
するとギルド長は頭を叩いて笑った。
「ああそうだった。グレシア君がちゃんと金等級の依頼をこなすものだから、すっかり忘れていたよ」
「……まさか、私にも試合に出ろなんて無茶なことを言わないですよね」
「ははは。たとえ君が雪原の民だといっても、金を産んでくれるかわいいかわいい雌鶏が闘技場で苛められるのを見たいわけじゃない。そんな無益な無茶を強いるつもりはないさ」
この前の逆さ城依頼は彼にとっては『有益な無茶』らしい。とそう思っていると、ギルド長はにっと笑う。
「まあ二人とも、この試合を存分に楽しむがいいさ。ただ、今年の優勝は彼が持っていくだろうがね」
ギルド長は後ろにいる仮面の男に目をやった。
「グレシア君は知っているだろうが、紹介しよう。彼は私の左腕……金等級のベルナール君だ」
ベルナールは、黒い外套をまとった細身の男だった。左手にだけ金の籠手を身に着け、右腰には青い鞘に収まった長剣を帯びている。異様なのはその顔で、狼の頭部を模した木彫りの面を被っていた。
奇妙な格好をした剣士に少し戸惑っていると、向こうから話しかけてきた。
「アウグスト、お前の活躍は俺も耳にしている。よろしくな」
仮面の下からくぐもった声が聞こえ、右手が差し出される。
「え、ええ……」
ひとまず握手には応えなければ失礼だろう。俺も右手を差しだして握り返すと、ベルナールは俺の困惑を読み取ったらしかった。
「ああ、この仮面が気になるのか?」
「それはまあ」
役者でもないのに仮面をしているということは、病気で顔が崩れていたり、目立つ傷跡が残っているのかもしれない。
だから尋ねるのを遠慮していたのだが、彼は自分から話してくれた。
「単に、顔を見られたくないだけだ。生まれた村ではこの顔のせいでずいぶん気味悪がられたからな。それ以来、人前では面をつけている」
「はあ……」
そう言われるとどんな顔をしているのかと気になってしまうが、本人が気にしていそうなところを聞くのはためらわれる。話題を変えるために別の話の種を探していると、金色に輝く籠手が目にとまった。
「どうして左手だけ籠手をつけているんですか?」
「……これは遺跡からの発掘品で、『近衛兵の籠手』という。身に着けるだけで常人を超えた腕力が身につくんだ」
ベルナールは足元に落ちていた石を拾って拳を握りこむと、胡桃を割ったときのような破砕音が聞こえた。彼が手を広げると、いくつもの石粒が地面に落ちる。
細身の割に、とんでもない膂力だ。もしベルナールと戦うことになったら、剣を受け止めようなどとは考えないほうが良さそうだ。
「すごいですね」
「効果が凄まじい分、制約はある。身に着けると贈り主の命令に強制的に従わなければならんし、一生外せなくなる呪いつきだ。元々、王の近衛兵に贈られる装備だったというからさもありなん、だが」
強い護衛が欲しい。だが裏切られる心配はしたくない。そんな権力者の願いを形にした装備ということらしい。
それにしてもずっと外れないということは、食事をするときも風呂に入るときも寝るときも籠手をつけたままということだろう。
「よく我慢できますね」
一生左腕に重りがついたままというのは少し嫌だ。俺が顔をしかめていると、ベルナールの仮面の下から笑い声がこぼれた。
「その分、主たるギルド長からは給金を多めに貰っているよ。これくらいは我慢しなければな」
彼の言葉を聞いたギルド長は嬉しそうにうなずいた。
「ベルナール君は素直で好感が持てるね。グレシア君も年長者への態度を見習いたまえよ」
「……前向きに検討します」
「ははは。絶対そうは思っていないだろう。……おっと、そろそろ時間だ。じゃあまた」
ギルド長は懐中時計を見ると、せかせかと歩いていく。その後をベルナールが影のようについていくのを見送ると、グレシアは手足が萎えたようにどさりと座り込んだ。
「ああ、朝から嫌な人に会ったなあ」
「珍しいですね。グレシアさんがそんなにはっきり嫌いだって言うのは初めて見ましたよ」
「当たり前だよ。金等級にしてあげた恩を忘れちゃいけないねとか言って毎月五十万ダリルふんだくられてるんだぞ、こっちは」
グレシアはくぴくぴと林檎酒を喉に流し込み、特大のため息をついた。
「……お得意の悪知恵で何とかしないんですか?」
「あの妖怪爺さんを? 無理だよ。あの爺さんは自分に損をさせると判断した人間を、子飼いの冒険者で殺しにくるんだから」
「そんなやばい人なら、喧嘩腰で話すのはまずいんじゃないですか」
「私は毎月金を爺さんに献上しているからね。生かす価値があると思われているうちは大丈夫さ」
グレシアは何でもないことのように言うが、それは逆に言えば、生かす価値を見出されていなければ即座に始末されてもおかしくないということではないだろうか。
「……思っていた以上に恐ろしい人なんですね。最初はベルナールさんの方が怖さはありましたけど、思ったより人間味があるっていうか」
あまり言葉はかわさなかったが、悪い人間ではないように思えた。だがグレシアは薄く笑い、首を振った。
「彼にもそこまで心を許さない方がいいよ。ギルド長に反旗を翻す人間を消して来たのは、彼──『ギルド長の左腕』なんだから。たとえ標的が友人でも『やるときはやる』仕事人さ」
勝負は対戦者のどちらかが「参った」と言うか、死ぬかで決まる。相討ちは規定により両者敗退だが、決勝戦のみ最後まで立っていた方の勝ち。単純で俺好みのルールだ。
鉄製のドアを押し、石造りの冷たい控室を出ると、そこは砂の敷き詰められた戦闘競技場の舞台の上だった。
砂を踏みしめる感触、観衆の視線。アリーナへと流れ込むすきま風の動きを感じ取れるほど、感覚が鋭敏となっている。
(ああ、久しぶりだな、この感覚)
師範学校で学友と鎬を削ったときのことを思いだし、俺は握った拳に力を込める。
するとそのとき、俺の出て来た方とは反対の扉から、槍を持った細目の男が出てきた。防具は付けずにぴったりと肌に張り付くような服を着ているため、硬そうな筋肉の造形が浮き上がっている。
速さと技術重視の相手かと思ったそのとき、聞き覚えのある抑揚のきいた声が頭の上から聞こえてきた。
「試合の前に、各選手の紹介です」
宮廷作法の教本があればその見本になれそうなほど伸びた背筋に、眼鏡の奥から覗く鋭い目。ギルド本部の受付嬢が闘技場の最前席に立っていた。
試合の進行役としての装いか、いつもの飾り気のないチュニックではなく、派手な赤シルクのドレスを身に着けている。
「受付さん?」
「……右手に見えます彼は、アウグスト・アーベライン。等級は青と低いものの、悪名高い死体回収人の右腕にして、伝説の魔術師を討った勇者でもあります」
受付嬢は進行役に徹するつもりらしく、俺の呼びかけには答えずに淡々と説明を続ける。
「相対するは、銀等級屈指の槍使い、マルティン・ロー。隊商が手を焼いていた盗賊のねぐら、カルシャ山へ向かい、全滅させて帰ってきた豪傑です」
25万ダリルの参加料を条件としているだけあり、一回戦から骨のありそうな対戦相手だ。じっとマルティンを観察していると、彼は獰猛な笑みを向けてきた。
「話は聞いてるよ、アウグスト。お手柔らかにな」
「いい試合にしましょう」
「ああ……だが、試合う前に『決まりごと』は果たすぞ」
「あ、はい」
やりとりは短い。だがお互い、必要なことの確認は終わった。
「では、説明も終わりましたので、早速栄えある第一戦を行いたいと思います」
受付嬢はおもむろに右手を振り上げ──はじめ、という言葉とともに振り下ろす。
その瞬間、俺の目の前に槍先が迫っていた。
「うおっ」
首をひねってかわす。鋭い刃が耳朶をかすめた。
マルティンは間髪入れず、突きを放ってきたのだ。要所要所は剣で防御するが、そのうち受けきれなかった一発が頬を切り裂き、浅い傷をつくった。
(……なるほど、そういう仕掛けか)
刃がかなり薄く、しかも光の加減で揺らめく陽炎のようにぼんやりとしか見えないよう設計されている。そのため、間合いが掴みづらいのだ。
俺が頬の血を拭って剣を構え直すと、マルティンは息をついて口を開いた。
「……どうだ、この『幻槍』は。この薄刃と、刃に塗った油で穂先を秘し、敵を惑わす優れもの。どれほどの手練れでも、この槍の前では欺かれよう」
「確かに、これは手ごわいですね」
ちなみに、彼は自分の武器の秘密を喜々としてばらすのを趣味としているわけではない。今は、「宣伝の時間」なのだ。
俺の出資者であるマンフレッドは「その剣を使って勝ち進んでほしい」という指示をしたのみで戦い方には一切注文をつけなかったが、マルティンの出資者はきちんと観客に「幻槍」の性能を伝えたいらしい。
だからマルティンは試合前に俺に1万ダリルを積み、最初の一分はこちらから決定打になるような攻撃はしないので、俺からも反撃しないでほしいと頼んでいた。
話を持ち掛けられたときは何のためにそんな時間を欲しがるのだろうと思っていたが、何のことはない。出資者の意向だったというわけだ。
意味もなく、演武のように槍を振り回して見せるマルティンに目をやりながら、俺は心の中で数を数える。
あと二十妙。このまま「待ち」を続けるのも少し退屈だ、と思い始めたそのときだった。
「はッ!」
マルティンは俺の目めがけて鋭い突きを放ってきた。
虚を突かれたものの、とっさに頭を下げたため、髪を数本吹き散らされるだけで済んだ。
(話が違うぞ)
先ほどまでと違い、今の一撃には、殺意が籠っていた。
俺が睨んだ瞬間、マルティンの唇にいやらしい笑みが浮かぶ。
それで確信した。最初から、この男は俺の気が緩んだところで本気の一撃を浴びせるつもりだったのだ。
「……でも、今ので俺を倒せなかったのは失敗でしたね」
「はっ、不意打ちが駄目でも、手数で押し切るさ」
そう言うと、マルティンは俺の頭頂めがけて槍を振り下ろしてくる。俺は穂先を見切り、剣を振り抜いた。
「『穂刈』」
こぉん、と腕の良い木こりが薪を叩き割ったときのような音が反響した。斬り飛ばされた槍の穂先が空を舞い、地面に突き刺さる。
すかさず踏み込み、ただの棒と化した槍をもって呆然としていたマルティンの首筋に剣をあてがう。
「どちらの負け方を選びますか?」
「……参った。降参だ」
マルティンは苦笑いをすると両手を上げ、手に残った槍の残骸を投げ捨てた。
「勝者、アウグスト・アーベライン!」
俺の勝利を告げる受付嬢の声と共に、歓声と悲鳴が上がった。おそらく、悲鳴はマルティンに賭けていた観客のものだろう。
地面に刺さっていた槍先を引き抜くと、マルティンは肩をすくめた。
「さっきの突き、よく見切れたな。不意を打ったつもりだったんだが」
「見えない刃という考えは面白いですが、槍捌きを四十秒も目の前で見せられましたから。『幻槍』の出資者には、手の内を見せるような戦い方のできる槍ではないと教えた方がいいかもしれませんね」
「分かった。伝えておくよ」
マルティンが最初から全力の一撃を叩きこんできたのであれば、勝負は分からなかった。彼の出資者は宣伝に意識を取られるあまり、肝心の選手を一回戦で敗退させることになってしまったのだ。
(まあともかく、一勝はできた)
グレシアの言う通り一筋縄ではいかない大会ではあるが、どんな状況でも勝てる力がつくと前向きに考えれば、そう悪いものではないかもしれない。
俺は踵を返すと、控室の方へ歩き出す。
客席の方を見ると、退屈そうにしているグレシアと目が合った。俺が軽く手を振ってみると、わかったわかった、とでもいうようにおざなりな拍手をした。
「少しくらい応援してくれたっていいと思うんだけどなあ」
適当にあしらわれたような気がして、俺はぼやいた。
2日前から、心なしかグレシアの機嫌が悪いのだ。一体なぜだろうと思いながら控室のドアを開けると、血臭が鼻をついた。
足元を見ると、仰向けに倒れている男がいた。胸に小さな傷跡があり、そこから夥しい血液が流れだし、血の池を作っている。
俺が呆気にとられていると、控室の隅から、歌いあげるようなアルトの声が聞こえた。
「あら、思いのほか早く決着したのですね。アウグストさん」
声のした方を見ると、騎士鎧を着た女性が石の腰かけに座り、本に目を落としていた。
彼女は、ウェーブした紫髪を腰まで伸ばし、白いマントを羽織っていた。高潔さを感じる端正な顔立ちで、血まみれの部屋に似つかわしくない気品をまとっている。
彼女は持っていた騎士小説から目を上げると、死体を指さした。
「お気をつけを。血だまりで靴が汚れますわ」
死体から流れた血は、部屋の端に通っている排水用の溝に流れ込んでいる。俺は呆気にとられながら、声を絞り出した。
「いや……それより先に聞きたいんですけど、この人はなぜ死んでるんですか?」
「わたくしが殺しました」
あっさりと自白され、俺は面食らった。ここまで堂々としている殺人犯というのも珍しい。
「……ええと、衛兵呼びますよ?」
「お待ちください」
本を閉じると、彼女は立ち上がった。そして男の死体にかがみこむと、指揮棒のような小型の杖を拾い上げる。
「暗殺用の携行杖ですわ。この男は、わたくしがこの部屋に入って来たとき、試合中のあなたに向かって何やら怪しげな魔法を使おうとしていました」
「……場外から俺を狙ってたってことですか」
「よくある手ですわ。直接攻撃すると場外干渉が丸わかりですから、眠りの魔法やら麻痺の呪いやらで妨害するつもりだったのでしょう」
彼女の紫水晶のような瞳に、侮蔑の色が混じった。
「だからといって、殺さなくても……多少手傷を負わせるくらいですませられたのでは」
男は正確に心臓を一突きされて死んでいる。彼女の名は知らないが、かなりの手練れである証拠だ。それだけの腕前があるのであれば、殺さず無力化することもできたはず。
そう思って聞いたのだが、彼女は本当に意味が分からないというように首をかしげた。
「神聖なる決闘の場を穢す無粋な輩ですよ。死んで当然では?」
「……そ、そうですか」
「ちなみに、アウグストさんは汚い裏取引などしていませんよね」
試合前にマルティンが渡してきた金は、くれるなら貰っておこうという気持ちで貰っていたが……正直に話すと刺されかねない空気を感じたので、俺は黙ってうなずく。
すると、彼女は大輪の花が咲いたような、満面の笑みを浮かべた。
「流石、わたくしの見込んだ通りのお方。この大会で正々堂々と戦えること、楽しみにしていますわ」
「はあ、そう思ってくれるのは光栄ですが……この死体はどうするつもりですか?」
今、控室には彼女と俺の二人しかいない。下手をすると、俺が殺したのではないかと疑われてしまうのではないか。
そう思って尋ねると、彼女は扉に備え付けられた格子から外の様子を見てから振り返った。
「もちろん放置するつもりはないのですが、今からわたくしの試合が始まりますから、それが終わってから衛兵に届け出ますわ」
「……その言葉、信用してもいいですか。助けていただいたことは感謝していますけど、間違って俺がやったと思われたらたまりません」
そう言うと、彼女はこくりとうなずいた。
「大丈夫ですよ。どうせ衛兵が蘇生して話を聞きだすでしょうし、わたくしも覚えなき咎を他人に被せることはないと約束しておきましょう」
「じゃあ、名前だけ教えてくれますか」
するとなぜか女騎士はがっかりしたような顔をした。
「やはり、わたくしの名前はご存じないのですね……カティア。カティア・ラルフレイヤと申します」
前優勝者である「清廉騎士」の名前を口にすると、彼女は闘技場に出るための扉を静かに押した。
二回戦の相手、紫等級の戦士ユサル・コーンウォリスはそれほど強くなかった。「鍔切」が決まり、試合開始から数十秒で勝ち。
続く三回戦は人形使いの銀等級付与術師シノエ・ウァプストが相手で、これには少し苦戦した。
彼女は戦士人形三体、弓使い人形二体、そして付与術師の自分で疑似的な六人パーティを作っていたのだ。
規定違反ではないかと受付嬢に尋ねてみたが、人形を操るのはシノエ一人なので問題ないとの回答で、釈然としないながらも戦いに臨んだ。
実際に戦ってみると戦士人形の方は腕前がまるでなっていなかったので問題にはならなかったが、シノエの隣に立っていた弓使い人形は厄介だった。
戦士人形と戦っている者に対し自動で狙いを定めるよう刻印が刻まれているらしく、機械的に矢を射かけてくるのだが、人間とは違って視線から射線が読めないため、矢を叩き落とすことが難しいのだ。
おかげで何本か矢を喰らってしまったが、その頃には全ての人形を斬り倒してしまっていた。
最後の弓使い人形の胴体が真っ二つになって地面に転がった瞬間、攻撃手段を失ったシノエは両手を挙げた。
今回の大会にあたり、アリーナの地下一階には臨時施療所が設けられており、試合の終わった選手がすぐに傷を癒しにいくことができるようになっている。
「終わったぞ、アーベライン殿」
「ありがとうございます」
俺の矢傷の治療をしてくれたのは、ギュンター神父だった。
蘇生魔法の使い手は大都市でも数えるほどしかいないので、彼が呼ばれるのも当然と言えば当然かもしれない。
神父は魔晶石をポケットにしまうと、呆れるような視線を向ける。
「アーベライン殿にとやかく言う権利はないから、苦言を呈する程度にしておくが……こんな下らない試合になど出ずに仕事をした方がいいのではないかね。わざわざ金を払って怪我をしにいくというのは、理解に苦しむ」
奇しくもグレシアと同じことを言う神父に俺は苦笑した。
「腕試しがしたいんですよ。戦いで糧を得る人間なら、よくあることだと思いますが」
「なるほど、私のような祈る者には分からんはずだ。……全く、神はこんな試合のために生命の加護を我々に授けたわけではないのにな」
神父は渋い表情のままため息をつく。そんな彼の様子を見て、俺は首をひねった。
「大会に思うところがあるのに、施療所に来ているんですか?」
「怪我人や死人が出るのを分かって放置することもできん。先ほども、さっそく死体が担ぎ込まれてきた」
担ぎ込まれた死体。それを聞いて俺はカティアの件を思い出した。
「それって、胸を一突きされて死んでいた男ですよね」
俺の問いに、神父は目を丸くした。
「ああ、確かマルティンの出資者だったな……まさか、あれをやったのはアーベライン殿か?」
「いや、俺はいまのところ全部「参った」と言わせてます。殺したのはカティアさんです」
俺が控室での出来事を話すと、神父は額を押さえた。
「……今年もカティアか」
「今年もってことは去年も何かやってるんですか?」
「去年は、八百長の相談を持ち掛けて来た対戦相手の腕をその場で斬り落としたらしい。騎士道に反するから、と」
「騎士道……久々に聞きましたよ。その言葉」
清廉であれ、勇敢であれ、公正であれ。この理念こそただの戦士と騎士の間に一線を引くものである──と座学の教官は言っていたが、いまどき騎士でも遵守しようとする者の方が珍しいくらいだ。
「彼女は騎士でもないのに、なぜそんなに騎士道にこだわるんでしょう」
「さあな。熱心に騎士小説を読みふけっているのを見かけたことはあるから、そういうものに憧れているのではないか?」
「気持ちは分からないこともないですがね……」
実際、俺も煌びやかなマントを羽織った王から剣を下賜される夢を今でも見る。
目覚めてもう少し眠っていたかったと思うのだが、彼女の場合は昼間も騎士になる夢を見ているのだろう。
「ちなみに、お咎めはないんですか」
「どういうからくりかは知らんが、ないな。ホラートと同様だ」
「あー……」
「まあカティアの場合、殺した後はきっちり自費で蘇生するし、『悪』だと思われるようなことをしなければ絶対に手を出さん。だからあいつよりは数倍マシだ」
「……金等級って、変人じゃないとなれないんですかね」
カティア、ベルナール、そしてグレシアの顔を脳裏に浮かべてそうつぶやくと、神父は肩をすくめた。
「理屈の順が逆だな。金等級にふさわしい実力があるから、変人であることが許されるのだ」
神父に礼を言って施療所を出ると、俺は観客席の方へ戻ることにした。次に戦う相手が誰かがまだ分からない以上、他の選手の戦いぶりはなるべく見逃したくない。
(ああ、施療所の近くにも階段を設置してくれればなあ)
一階へ上るための階段は選手控え室の傍にあるため、一度施療所へ行くと、戻るのに時間がかかるのだ。
階段を上り観客席に戻ってくると、ちょうど次の選手が入場してくるところだった。対戦カードは仮面の剣士ベルナール対魔術師クローナ。遠目に見ても、ベルナールの黒衣と狼の面は目立つ。一方のクローナは小型杖を持った女だった。ライトブラウンの三つ編みと深紅のボレロがよく似合っている。
二人が何やら大きな声で口上を交わしているのを見ながら、俺はグレシアの隣にまで戻ってきた。彼女は横目で俺を見ると、自分が飲んでいるのとはまた別の林檎酒の瓶を差し出した。
「お疲れ様」
「奢ってくれるんですか」
「100ダリル」
俺は銅貨をグレシアの手のひらに載せて林檎酒を受け取ると、くいっと飲み干した。林檎の酸味と甘みがほどよく疲れた体に心地いい。
「そういえば、いい小遣い稼ぎの種は見つけましたか」
一息ついてそう訊くと、グレシアは首を振った。
「駄目だね。金儲けのタネもネタもない。普段の仕事の役に立ちそうな道具があったらいいなと思っていたけれど、それもさっぱりだ」
「賭けはやらないんですか? グレシアさんの観察眼の見せどころですよ」
「……あのねえ、アウグスト君。賭博なんてしたら持ち金が減るかもしれないだろ。私は絶対に勝てる勝負以外に興味はないよ」
慎重派の彼女らしい。俺は少し考えて、指を鳴らした。
「あ、じゃあ俺に賭けたらいいじゃないですか。俺は優勝して当然だって言っていましたよね」
するとグレシアは腕を組み、うーんと唸った。
「最初はそう思っていたんだけどね。でも、今回の大会には二人、君を倒せそうな人間がいる。一人はカティア」
カティア──その名前を聞き、俺は控室で見た死体の傷を思い出した。
殺したこと自体を賞賛するつもりはないが、前優勝者というのもうなずける見事な刺し口だった。戦い自体はまだ見ていないが、相当強いに違いない。
「もう一人は?」
グレシアは顎をしゃくって闘技場の真ん中を示す。言葉を交わし終えたベルナールとクローナがお互いに背を向け、所定の位置まで下がっていくところだった。
「ベルナールだ。やっぱりあの爺さんの部下だけあるね」
「……そうなんですか」
まだベルナールが戦うところは見ていない。ゆらりと立つ黒衣の剣士を怖さ半分、興味半分で凝視していると、始め、という合図とともに試合の幕が切って落とされた。
「燃え上がれ、炎よ!」
クローナが叫ぶと、杖が発火した。同時に虹色の煙が立ち上り、彼女の周囲を覆い隠す。
「初手は目くらましですか」
クローナの試合は数度見たので知っている。風と炎の二種類の魔法を使うのだ。
風で勢いを増した炎で相手に何もさせず焼き尽くす、というのが定番の勝ち方なのだが……その彼女が、初手に身を隠すことを選んだ。
(それだけ、警戒すべき相手だっていうことか)
相対するベルナールは動かない。ただ、悠々と攻撃が来るのを待っているかのようだ。
煙が拡散し、薄くなり始めたそのとき、ベルナールの右肩のあたりが揺らぐ。そして布の引き裂かれる音とともに、血煙に包まれた。
「『風刃』か。いきなり大技を使うね」
風刃は風を圧縮して不可視の刃を飛ばす魔法だ。
攻撃魔法としてよく使われている炎や氷と違い、当たるまで攻撃されていることに気づけないので、対人戦ではかなりの有効性を発揮する。
欠点は、人間を殺傷できるまで風を圧縮するにはかなり魔力を使うこと。並の攻撃術師であれば一、二回撃っただけで魔力切れを起こしてしまうため、風魔法を使う場合はこの風刃ではなく、炎魔法の補助だったり、矢や投石といった物理的な攻撃をそらすのに使ったりすることが多い。
しかも今回は、もう一つ不利な点があった。風の刃はベルナールを切り裂くと同時に煙を払ってしまったのだ。
煙の中から姿を現したクローナを見つけたらしく、ベルナールは肩から手を離すと剣を抜き、一直線に向かっていく。
「焼き尽くしてあげるわ!」
クローナの杖先から炎が迸った。
今度は奇策なしの火焔魔法。黒焦げになったベルナールが、一敗地に塗れる──そんな光景が脳裏に浮かんだが、彼はすでに対策を打っていた。
炎がベルナールを焦がす直前、彼の目の前に氷でできた大盾が現れたのだ。
炙られた大盾は融解して水になり、ぼたぼたと零れていく。しかし氷の盾が溶ける頃にはすでに、ベルナールはクローナの目の前に迫っていた。
狼狽する彼女に向かって、ベルナールは天高く剣を振り上げる。
「風刃──」
距離を詰められた魔術師は脆い。
クローナはとっさに魔法を放とうとしたが、発動するかどうかというところで振り下ろされた長剣がクローナの身体を両断する。
鮮血が夕立のように降り注ぎ、地面に染みこんだ。遅れてぽかんと口を開けたままのクローナの死体が転がる。
「しょ、勝者ベルナール」
あまりに凄惨な勝ち方に、受付嬢も戸惑いつつ判定を下す。
返り血を浴びたベルナールは申し訳なさそうにしながら、開いたままの彼女の眼を閉じた。
「いい勝負だった。……誰か、蘇生を頼む」
そう言うと、彼は立ち上がって控室へ戻っていった。
蘇生のため呼ばれたギュンター神父がクローナの周りに石灰を撒いていくのを見ながら、俺はつぶやいた。
「えげつない破壊力ですね」
「ああ。それにクローナの炎を防ぐのに氷の盾を作ったのを、君も見ただろう。彼は『術戦士』だ」
「術戦士? 珍しいですね」
術戦士とはその名の示す通り、魔法も使える戦士のことを指す。
戦士と魔術師の役割を兼ねられるのでパーティの枠を減らすことができるうえ、戦闘でも選択肢が増える。
だから術戦士はどのパーティも欲しがるものだが、魔術の才能がある人間の中で実際に術戦士となる者は少ない。
その理由は単純で、どちらの修練もするとなると器用貧乏になるからだ。よほど魔術の才能があるか先天的に筋肉がつきやすい体質でもなければ、「松明に火をつける程度の魔法が使える普通よりも多少筋力がある人」という何とも半端な実力に落ち着いてしまう。
「ベルナールの場合、膂力は「近衛兵の籠手」で保証されているからね。肉体の鍛錬に時間を割く必要が無く、代わりに氷系統の攻撃魔法を磨くことができたんだと思う」
グレシアの推測を聞いて、俺は攻撃の威力のわりにベルナールの身体が細かったことを思いだした。
「距離を取れば氷魔法、近づけば必殺の斬撃……厄介ですね」
グレシアの言う通り、簡単に勝つのは難しそうだ。
俺が勝ち上がったら間違いなく当たる相手なので今のうちに対策を立てておかなくてはならないのだが、安定して勝てそうな作戦は見当たらなかった。
(気合で攻撃を避けて一本取る、しかないかな)
熟考の末、策もへったくれもない結論を出したちょうどそのとき、アリーナがにわかに騒がしくなった。なんだろうと思って舞台に目をやると、控室の方から受付嬢が出て来た。
彼女は観客席を見回し、そして俺とグレシアの姿を見つけると、探し物を見つけたとでもいうように目を見開く。
「……嫌な予感がするね」
グレシアのつぶやきは、すぐ現実のものへと変わった。受付嬢は声を張り上げ、俺たちの名を呼んだのだ。
「アウグスト様、グレシア様、ギルド長がお呼びです。西の控室へお越しください」
周りの人間の目が、俺たちに集中する。グレシアは特に気にも留めず席から立ち上がると、アリーナの最前列まで下りて受付嬢に尋ねた。
「呼ばれたなら行くけれど……何があったんだい」
「ベルナール様が殺されました。とにかく、現場へお越し願います」
受付嬢は簡潔に答えると、控室の方へ歩き出した。