【書籍化】迷宮で、死体を拾う   作:龍 圭介

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16左腕の行方➃

 

 

 

「まだ始まらないのかしら?」

「ふざけんなよ、早く次の選手を出せよ!」

 

 大会が中止されて一時間ほど経ち、会場のざわめきは大きくなっている。大金を賭けているのか、中には目を血走らせ殺気だっている者もいた。

 

 グレシアは彼らの脇をすり抜けるように歩き、その後を俺と受付嬢がついて行く。

 

 マンフレッドはきな臭いことに首を突っ込みたくないと座っていた席に留まり、カティアは事件が解決したら教えてくださいまし、と言ってついてこなかったが、グレシアは特に気にも留めていないようだ。

 

 階段を降りたところで、グレシアは昼食のメニューについて話すような、何げない口調で語り始めた。

 

「まず、私はこの事件は『ベルナールの左腕を切り離すため』に起きたと考えた。犯人はベルナールを蘇生される前提で動いていて、特に死体を必要以上に傷つけているわけでもないから、復讐という線も薄いように思える。だが、ベルナールが目撃した犯人像と、容疑者の中に一致しそうな犯人はいない。となると話は簡単だ。ベルナールが嘘をついている。彼は自殺し、いもしない犯人をでっちあげていたんだ」

 

 被害者であるベルナールが嘘をついていた。全く予想外の話に、俺は唖然とした。

 

「……お待ちください。前提として、そもそも自殺したら彼はああして生き返らないのではないですか?」

 

 突拍子もない話でも、受付嬢はさすがの冷静さで理屈の穴を指摘する。当然グレシアの方もそこは諒解していたのか、すぐに答えが返ってきた。

 

「そう。今君が言ったことがベルナールの狙いさ。「ベルナールが生き返ることができたのであれば、ベルナールを殺した犯人が他にいる」と皆が考える。だからベルナールは、自分ではなく、他人に自分を殺させることを考えた。自殺者は蘇生できないけど、他の人間から殺してもらった場合はその限りじゃない。……それは、アウグスト君がよく知っているだろう」

「一度、グレシアさんに殺してもらいましたしね」

 

 そう言うと、受付嬢は闇の中で蠢くバケモノを見るような目で俺を見た。

 

「……逆さ城のあの話は、本当なのですね」

「作戦ですよ、作戦」

「作戦でもちょっとどうかしていると思います」

 

 事前に殺害者と示し合わせていたとしても、自分の手を下さない場合であれば自殺ではない。わが身で体験したことなので、この蘇生の法則に異論はなかった。

 

「そして、このアリーナは他人の力を借りるにはうってつけの場所だ。何せ、選手として立っているだけで相手が殺しに来てくれるわけだから。相手に賄賂を渡せば、ある程度死因を決めることもできる」

「……確かに」

 

 マルティンは俺に賄賂を渡して自分の有利な試合運びにしようとしていたが、その逆の発想──自分の望む方法で殺してもらうことも可能というわけだろう。

 

「……でも、ベルナール様が死んだのは控室です。舞台の上ではまだ生きていましたが」

「彼は二つの魔法を使ったんだ。クローナの『風刃』と自分の氷魔法。ベルナールとクローナの試合が決着する直前、クローナが風刃を放とうとしていたときがあったよね。あのとき、私たちは魔法が不発に終わったと思っていたけれど、実際は風刃を発動させて、ベルナールの身体を斬り裂いていたんだ」

「確かに不可視の刃を飛ばす魔法ですから観客席からでは魔法が発動されたかどうかはわかりませんが……それなら血が出るはずでは?」

 

 疑問を口にした瞬間、脳の隙間を風が通り抜けたような感触があった。

 

「そこで傷口を凍らせて止血、ですか」

 

 グレシアはにっと笑った。

 

「戦いが関係してくると、君の頭も少し回りが良くなるね。もちろん彼は氷魔法の専門家というわけではないから、傷口から血が出ていくのを防ぐくらいの粗末な止血しかできないだろう。だけど、控室に戻るまでの時間が稼げるならそれで十分。クローナを斬って大量の返り血を浴びていたから、斬られた瞬間の出血もごまかせたんだろう」

 

 ベルナールの「殺害」は控室ではなく、衆人環視のアリーナのど真ん中で行われていたというわけだ。この手の事件でトリックを弄してきた犯人の中では一番大胆かもしれない。

 

「そして、控室に戻ってきたベルナールは氷の刃で左手を斬り落とし、蘇生のときにくっつけられないように排水溝に左手を捨てた後、胸の傷口を覆っていた氷を溶かした。

 

 ちなみにベルナール自身で左腕を切り落としたと考える根拠は、腕の傷口に付着していた氷だね。犯人がベルナールを殺してから剣で左腕を切り取ったのであれば、そんなところに氷が付着するわけがない。

 

 おそらく腕の傷は自分でつけた傷だから、そこからの出血で死ぬと自殺になってしまう。だから氷魔法でしっかり止血して「クローナにやられた傷」で死ねるように調節していたんだろう」

 

 メモを取りながら聞いていた受付嬢は、目元を揉んだ。

 

「すごく、手の込んだ自殺ですね。グレシア様が逆さ城でやった例を考えるとベルナールは自分を殺す協力者を作れば楽になるのに、全て一人でやるために複雑な状況になっているように思えます」

「……そう、彼は一人でこの偽装工作をやらざるをえなかった」

 

 ぴん、と細い人差し指を立てると、グレシアは言葉を重ねる。

 

「これからはさらに推測が多くなるけど、動機を考える段階だ。なぜ左腕を切り落とす必要があったのか? そして、なぜいもしない『犯人』をでっち上げる必要性があったのか?」

 

 グレシアがそこまで言ったとき、俺たちはアリーナの地下階に降りる階段の前に来ていた。

 

 この先に、事件の犯人であるベルナールがいる──左腕を失い、このうえなく弱っているはずの彼になぜか恐れを抱きながら、俺はグレシアの後へと続く。

 

「一人でやらないといけないということは、裏切りや自分の企みが他人に伝わるのを恐れてのことだろう。自殺に見せかけたのは『左腕を自ら切ったということが知られてはならない』からだろうと推測できる」

「知られてはならない?」

「ベルナールの「近衛兵の籠手」の性質を考えてみたらいい。一つは身体強化の恩恵。もう一つは、主に対する服従だ。

 

 これまでは犯人がベルナールを弱らせるため、つまり前者の効果を無くすために左腕を切り落としたと考えていたけれど、ベルナール自身が切り離したのであれば、後者の効果を消すためと考えるべきだろう」

 

 グレシアは扉の前に立つと振り返る。その顔には、意地の悪い笑みが浮かんでいた。

 

「左腕を切り落としてまで服従の効果を打ち消したかった理由は何だろうね?」

 

 主に忠誠を誓う者、そして呪いを疎ましく思う程度の人間は手の込んだトリックを用いない。そこには強固な意志がある──

 

「ギルド長への反逆ですか」

 

 受付嬢はこれ以上書くことはない、というかのように手帳をポーチにしまうと、俺の頭の中に生まれた結論を先取りした。

 

「ベルナール様はここ数年、ギルド長の左腕として邪魔者を粛々と斬り続けていました。ですから私は近衛兵の籠手を身につけさせる必要もないと思っていたのですが……ギルド長はご慧眼だったようですね」

 

 ベルナールの殺意がいつ頃芽生えたかは分からない。だが、少なくとも犯人捜しをする俺たちを見て、仮面の下でほくそ笑んでいたことは間違いないだろう。

 

「ベルナールを捕まえましょう」

「彼は自殺しただけだから、捕まえるだけの罪は犯していないよ」

 

 すると受付嬢が首を横に振った。

 

「今の説明をギルド長にお伝えすれば、いくらでも余罪を作ってベルナールを牢獄に繋いでくださるはずです」

「……権力って怖いね」

 

 真顔で肩をすくめるグレシアの横で、受付嬢がドアノブに手をかけた。

 

「とにかく結論が出ているのであれば、もう足踏みをする必要もありませんね。ベルナールが抵抗してきたときはアウグスト様が取り押さえてください」

「了解です」

 

 俺が応えると、受付嬢は即座にドアを開けた。そして部屋の様子を見て、言葉を詰まらせる。

 

 部屋にベルナールはおらず、ギュンター神父が倒れていた。側頭部を殴りつけられたらしく、未熟な林檎のような青いこぶができている。

 

「神父様!」

 

 受付嬢が慌てて駆け寄って抱き起こすと、神父は目を覚ました。

 

「ああ……戻って来たのか」

 

 神父は顔をしかめながらこめかみに手をあて、暖かな光を注ぎ込む。治癒魔法の効果で腫れが引くと、グレシアが話しかけた。

 

「何があったのですか」

「私にも分からん。突然、ベルナールが剣の柄で殴りつけてきたのだ」

 

 まるで俺たちが捕まえにくるのを見越したようなベルナールの行動に驚いていると、グレシアは面倒くさそうにため息をついた。

 

「ギルド長に会いに行くのを私が止めたから、それで私がトリックを見抜いていることに勘づいたのかもしれないね。多少勘づいた程度で神父を殴り倒して逃げるなんて思わなかったけれど……まあいいや、ベルナールを追うよ」

 

 獲物を追い詰めた鼬のように、グレシアの瞳がきらめいた。

 

 

 

 俺は階段を駆け上がり、アリーナの外周──最も高く眺めのよい上段から辺りを見渡した。

 

 退屈そうにあくびをする者。商人と今後の試合運びについて話し合っている者。人の顔で埋め尽くされている中で、狼の面をつけた片腕の剣士を探す。

 

「……どこだ?」

 

 あれだけ目立つ面をつけていたら簡単に見つかると思ったのだが、もうアリーナを出た後なのだろうか。

 

「……あっ」

 

 そのとき俺はある可能性を思いつき、せわしなく瞳を動かしてベルナールの姿を探すグレシアに訊いた。

 

「グレシアさん、ベルナールの素顔は覚えてますか。ひょっとしたら、仮面を外して逃げているかもしれません」

 

 そもそもあの狼の面は計画が失敗して逃げるときのことを考え、素顔を隠すためにしていたと考えるべきなのかもしれない。俺が焦っていると、グレシアは確信をもって「いや」と否定した。

 

「説明は省くけれど、ベルナールはあの面を外さないよ。アリーナの外に逃げていなければきっと見つけられるはず……ほら」

 

 グレシアが指さした先──競技場を挟んだ向こう側へと目をやると、アリーナの出入り口の近くを、狼の面をつけた剣士が歩いているのを見つけた。

 

「逃げるつもりですね」

「……そうかな。だったらなりふり構わず走っているはず。私には、獲物に気づかれないよう忍び寄っているように見えるね」

 

 グレシアが指した先には、商人と歓談しているギルド長の姿があった。ベルナールとの距離は、走れば十秒ほどで近づけそうなほどに縮まっている。

 

 この土壇場で、ベルナールは逃げるのではなくギルド長を殺そうとしているのだ。

 

 だが、ここから観客席を駆け下り、アリーナの内周をぐるりと回って彼らの元に行くとなると、とてもではないが間に合わない。

 

「時間が無いから、近道するよ」

「え?」

 

 グレシアは手すりに足をかけると、跳躍した。

 

「ええ?」

 

 そんなところから飛び降りたら、他の観客の頭を踏みつけてしまう──そう思った瞬間、グレシアのブーツは空中を踏みしめ、再び前へと跳ぶ。

 

 一瞬何が起きたのか分からなかったが、遅れて理解した。

 

(そういうことか)

 

 彼女は空中に結界を作り、それを足場にして走っているのだ。

 

「待ってください!」

 

 俺も慌てて後に続き、グレシアが踏んだ場所を踏んで彼女を追いかける。

 

「うわっ! 何だ?」

「空を走ってる?」

 

 宙を駆ける俺とグレシアを見てどよめく観客の声が下から聞こえてくる。俺は足場を踏み外さないよう、彼女の背中を見た。

 

 グレシアはすでに観客たちの頭上を飛び越えており、競技場の上をまっすぐ進んでいく。騒ぎが大きくなり、ギルド長とベルナールもこちらに顔を向けた。

 

 ギルド長は面白い見世物を見るような表情を浮かべたが、ベルナールは俺たちが最短距離で追ってきたことに気づいたらしく、弾かれたように走り出した。

 

「ギルド長! ベルナールです!」

 

 グレシアが叫ぶと、ギルド長は突っ込んでくるベルナールに気づいたらしく、そちらに顔を向けて意外そうな顔をした。

 

「アウグスト君、頼んだよ」

 

 グレシアは追いついてきた俺の方を振り向くと、自分の立っている結界の隣にもう一つ、結界の足場を作る。

 

「了解です」

 

 俺は剣を抜いて最後の結界を蹴り上げると、宙を舞った。

 

「うおおおおっ!」

 

 風圧で唇がめくれ上がりそうなほどの速度で、俺はギルド長とベルナールの間に落下した。着地するときの凄まじい衝撃で足が痺れたが、気合で立ち上がる。

 

「アウグスト! 邪魔をするな!」

 

 ベルナールは吠え、割って入った俺に斬りかかってくる。

 

「……正直、万全な状態のあなたと試合で戦いたかった」

 

 一閃。

 

 ベルナールの刃は空を切り。

 

 俺の刃は、ベルナールの肩に食い込んでいた。

 

「見事だな」

 

 俺が剣を引き抜くと、彼は鮮血をまき散らしながら片膝をつく。

 

 左腕を失ったベルナールは、すでに超人ではなかった。彼の剣速は、試合で見たときよりも遥かに遅かったのだ。

 

 左肩を押さえて荒い息をつく彼の前に立ち、俺は訊いた。

 

「なぜそこまでしてギルド長を狙ったんですか? 愉快な人間ではないとは思いますが、殺すほどとは……」

 

 すると彼はおかしくてたまらないというように含み笑いをし、右手を黒い外套の中に突っ込んだ。

 

「よし、聞かせてやろう。……あの世への道すがら、な」

 

 かりり、と何かの仕掛けの動く音がベルナールの服の下から聞こえてくる。鼻腔が死の臭気で満たされた。

 

 何か、まずい──

 

 とっさに飛びのいた瞬間、俺の視界は閃光に包まれた。遅れて、鼓膜を突き破るような爆音。

 

 ベルナールの身体が爆発したのだと気づいたときにはすでに彼の姿はなく、ただ半分に割れた狼の面が地面に転がるのみだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ベルナールの爆死は大会に衝撃を与えた。

 

 単に選手同士の諍いかと思われていた事件が、ギルド長を狙ったものであり、しかも彼の腹心であるベルナールによるものだと判明したのだから。

 

 ギルド長はベルナールの後ろに誰かがいるのではないかと疑っていたが、ベルナールを蘇生させて真相を聞き出そうにも、彼の身体は爆発で木っ端みじんになっており、蘇生不可能になってしまっていた。

 

 近くにいた俺はとっさに距離を取ったのと、グレシアが結界を張っておいてくれたおかげで自爆に巻き込まれずに済んだが、まともに喰らっていたらベルナールと仲良く黄泉路を歩くハメになっていただろう。

 

 ただ、もしも糸を引く誰かがいたとすればグレシアが報告したような複雑なトリックを用いる必要はないため、ベルナール個人による復讐だとギルド長は考えたらしい。

 

 グレシアの報告に十万ダリルの小切手を切ると、彼は事件の終着と大会の再開を宣言した。

 

 そして再開した試合、当たった相手はファラン紫等級技師。

 

 この大会の選手は紫、銀、金等級から出ているので、正直準決勝となる試合で紫等級の、しかも鍵開けや罠の解除を得意とする技師と当たるというのは意外だったが、彼が自信満々に持ち出した武器を見て、俺は納得した。

 

 連弩。

 

 通常の弩は矢を一発撃つと再装填に時間がかかるが、連弩の場合は撃つと弾倉から自動的に矢が補填され、速射できるようになるという利点がある。

 

 ファランが持っているものは爆薬と特殊な機構を使ってさらに改良を加えたもので、三秒あたり五本の矢を連射するという恐るべき武器だった。

 

 ただ距離があれば反応できない速度ではなかったので俺はひたすら剣で矢を叩き落とすという戦い方を選び、矢の尽きたファランが両手を挙げた。

 

 

 

 

 

 

 

「勝ち上がってくると思っていましたわ」

 

 ついに迎えた決勝戦。夕日の差し込む俺の目の前に立ったのは「清廉騎士」カティアだった。すでに試合開始の合図は出ているのだが、じりじりと間合いを測りながら、お茶会で会話を楽しむかのような調子で話しかけてくる。

 

「お喋りが好きなんですね」

「わたくしの流儀を理解してくださる方は久しぶりですもの。しかし、お互いに同じ騎士道を歩む者であれば……言葉は無粋かもしれませんわね」

 

 カティアは一礼し、半身に構える。

 

「剣で語るとしましょう」

 

 そして、大胆に踏み込んできた。

 

 踏み込みから突きを放つその動作があまりにも滑らかだったため、危うく脳天を貫かれかけたが、ぎりぎりのところで剣を割り込ませて軌道をそらす。

 

 返しに俺が剣を振りぬくと、カティアは身体を沈めながら接近し、更なる連撃を浴びせてきた。

 

 喉、心臓、手首、股の内側。人間の急所を正確に狙った連撃を弾きながら、俺は内心驚いていた。

 

 言動は騎士小説かぶれの危ないお嬢様といった印象だったが、剣の扱い方は剣術教典の型が骨の髄まで染みこんだ人間のそれ。突きの速度に関しては、俺の剣速を遥かに凌駕している。

 

 仕掛け入りの槍遣い、人形遣い、連弩技師とイロモノばかりを相手にしてきた俺にとっては初めての「真っ当に強い相手」だった。

 

(でも、猛攻はそう続かない)

 

 十発近い連続突きを凌がれ、流石のカティアもわずかに突きの速度が鈍った。

 

 俺はレイピアの腹に剣をあてがい、鍔迫り合いをしたまま彼女の手元を狙う。

 

 しかし「鍔切」を使おうとした瞬間、カティアは何かを察知したかのように剣を振り払い、後ずさった。

 

「よく分かりましたね」

「『鍔切』を手の内にもつ人間と刃を触れ合わせるような愚かな真似はいたしませんよ」

 

 応えながら、カティアは再び剣を構えた。

 

 確かに彼女が言った通り、鍔切は鍔迫り合いが発生しなければ使えない。だが、むしろ鍔迫り合いを躊躇させることも狙いである。

 

 鍔迫り合いを恐れると言うことはこちらの攻撃を剣で受けにくくなるということ。相手の「剣で受ける」という選択肢を削ぐことがこの小技の意義なのだ。

 

 試合開始から数分経つと、その効果が表れ始めた。

 

 カティアは荒い息をつき始めた。俺が踏み込むたびに下がらざるをえず、また剣を受けないようにするのに神経を削っているのだろう。

 

 反面、俺は最小限の動きで防御していたので、息は整っている。

 

「……久しぶりですわね。追い詰められるのは」

 

 追い詰められているという割には余裕のある口ぶり。彼女はそう言いながら、二本目の剣に右手を伸ばす。

 

「奥の手でもあるんですか」

 

 そう訊くと、彼女ははっとしたように手を止め、静かに首を振った。

 

「……いいえ。そんな大層なものは持ち合わせていませんよ。ただ愚直に剣を振るだけですわ」

 

 そう言うと、素早く踏み込んでくる、

 

(おそらく、これが決着になるな)

 

 このままではジリ貧になるカティアは、最後の一撃に全てを賭けるはずだ。

 

 どれだけ優位を築こうと、致命的な一撃を貰ったら勝敗が決するという剣闘のルール上、俺のとる行動は一つだ。

 

 彼女に応え、全力で剣を受けること。

 

 全身の力を剣に込め、カティアの突きを迎撃する。

 

 俺の剣が彼女のレイピアの腹に触れた瞬間──儚い音を立て、彼女のレイピアは半ばからへし折れた。

 

 カティアの眼が、大きく見開かれる。

 

 それなりに強度がありそうな剣ではあったが、カティアの突きと、俺の斬撃の威力に耐えられるものではなかったのだろう。もし武器が同じものだったら、勝負はまだ続いていたかもしれない。

 

 俺がカティアの首筋に剣を当てると、彼女は静かに頭を垂れた。

 

「わたくしの負けです」

 

 決着。

 

 歓声と怒号の鳴り響く中、俺はカティアと握手を交わした。

 

「良い腕前でしたわ」

「そちらも。……一つ、訊いていいですか」

「どうぞ?」

 

 彼女は激闘の余韻のとけた呼気を吐きながら、首をかしげる。

 

「あなたも、騎士師範学校の出だったんですね」

 

 一礼して剣の柄を胸の前に構えて戦いに臨んだり、「鍔切」を警戒して鍔迫り合いにならないようにしたり、カティアの所作のあちこちに騎士見習いが叩き込まれる作法があった。

 

 だから、彼女は俺と同じ騎士くずれなのだろうとあたりをつけたのだ。

 

「昔の話ですわ。あまり、思い出させないでくださいまし」

 

 カティアは石の裏で蠢く無数の蟲を見てしまったような、不愉快そうな顔をした。

 

「すみません」

 

 俺に負けず劣らず修練を重ねたであろう彼女も、きっと今の自分の境遇に思うところがあるのだろう。詰めていた息を吐くと、カティアは微笑を浮かべる。

 

「負けてしまいましたけれど、試合は久々に楽しめましたわ。またいつか、剣を交わしたいものですね」

 

 それだけ言い残し、カティアは背を向けて控室へと戻っていく。その途中、折れた剣を鞘に納めるのを見て、そういえばと俺は思った。

 

 結局彼女は腰に差している剣のうち、二本目の剣は抜かなかった。グレシアの調査のときに刀身がないことは分かっていたが、いったい何のために使えない剣をもう一本腰に差していたのだろう。

 

(さっき訊いていたら、答えてくれたかな)

 

 勝者への喝采を浴びながら、俺はカティアの残した小さな謎のことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大会の翌日。

 

 屋根に雨粒の当たる音を聞きながらいつも通りグレシアと一緒に事務所で仕事を待っていると、ほくほく顔のマンフレッドがやってきた。以前軽装でやって来た時とは違い、雨で濡れた毛皮のマントを羽織っている。

 

「やはり私の見込んだ通りでした。優勝! すばらしいですね!」

「ありがとうございます」

「しかも等級も一気に紫まで上がったとか」

「ああ……それは、まあ大会で優勝した人間が最低の青等級っていうのも格好がつかないからだと思いますよ」

 

 受付嬢から賞典である宝剣を貰う際、等級を二段階上げておくと言われ、優勝者はアウグスト・アーベライン紫等級戦士として記録された。

 

 口頭で伝えられただけなのであまり実感はないが、実力を認められるというのはやはり嬉しいものだ。

 

 そう思ってから、俺はマンフレッドの方はどうなったのかが気になった。マルティンのように特に剣の性能を見せるような使い方は意識していなかったが、あれで本当に宣伝になったのだろうか。

 

「ところで、25万ダリル分の働きはできましたかね。」

 

 そう訊くと、マンフレッドはうなずいた。

 

「ええ、最高です。特にカティアの剣を折ったというのは、この上ない宣伝材料になりましたからね。例のカナート剣、すでに10本近く注文が取れたんですよ」

「10! すごいですね」

 

 確か1本8万ダリルと言っていたから、昨日だけでマンフレッドは80万ダリルを稼いだことになる。やはり大きな資本を元手にできる商人は、成功で動く金も大きいのだろう。

 

「これからどんどん注文が増えていくでしょうし、本当にもう追加報酬も支払いたいくらいで……」

 

 上機嫌になった彼がそう言った瞬間だった。

 

「じゃあ、私にも報酬をくれないかな」

 

 奥でじっと俺たちのやり取りを見ていたグレシアが口をはさんだ。

 

「はい……? グレシアさんに、私が?」

 

 マンフレッドはぽかんと口を開けた。それもそうだろう。今回、グレシアは事件の調査はしたが、マンフレッドとは何の契約も結んでいないのだから。

 

「私は、何かグレシアさんにしていただいたことがあるのでしょうか?」

「無いよ。君に対しては何もしていないから見返りをくれと言っているんだ。()()()()()

 

 その途端、まるで死の宣告を受けたかのようにマンフレッドの顔がこわばった。

 

「ど、どういうことですか? ベルナールはアリーナで死んだんじゃ……」

「いいや。君の目の前で死んだ仮面の男はマンフレッド。二人はおそらく、双子なんだ。そしてクローナとの試合の後、入れ替わっていた。違うかい?」

 

 穏やかにグレシアが語り掛けると、彼はため息をついた。

 

 そして再び口を開いたとき、口調の丁寧さは跡形もなく、無骨な武人のそれになっていた。

 

「……やはり、春に厚着するものではないな」

 

 彼は羽織っていたマントを脱いで椅子に掛ける。露わになったその左腕には、金色にきらめく籠手が装着されていた。

 

 

 

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