【書籍化】迷宮で、死体を拾う   作:龍 圭介

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17左腕の行方➄

 

 

 

 やり手の商人から精強なる術戦士へと豹変したマンフレッド──もといベルナールは、椅子を指さした。

 

「座ってもいいか?」

「ああ。これは商談だからね。最後まで話を聞いて、私に支払うかどうかを決めてもいいよ」

 

 まだよく状況を飲み込めていない俺は、慌ててグレシアに訊いた。

 

「え? 入れ替わりってことは、アリーナで俺とか受付嬢にしていた説明は……」

「あれは真実じゃない。納得しやすいよう私が考えた物語さ」

「ギルド長への報告に嘘八百を並べたんですか」

「人聞きが悪いな。そもそもギルド長の依頼はベルナールを殺した犯人を捜せってことだっただろ。実際にベルナールは死んでいないんだから、報告する義務はない。だけど十万ダリルは貰っているから、サービスであり得た可能性を書いただけさ」

 

 人聞きが悪いというか、詭弁そのものだ。ギルド長に教会事件の件で脅しをかけられたばかりだったというのに、グレシアの心臓はカナート鉄でできているのだろうか。

 

「バレたらどうするんです」

「二発目の風刃が当たっていたかどうか、氷魔法で止血したかどうか、下水道に腕が捨てられたかどうか……どれも、今はもう真偽の分からない要素で構成しておいた推理だから、反証される心配はないよ」

そういえば風刃の話を聞いたときにグレシアは「使える」と言っていたが……あれはギルド長に報告するための偽の推理を作るのに使えるということだったのだろう。

 

 俺が啞然としていると、ベルナールは静かに口を開いた。

 

「いつから気づいていた? 俺たちが双子だということと、入れ替わっているということ」

「そうだね、まずベルナールに化けたマンフレッドが死んでいる間に、仮面を外して素顔を見たんだよね。それで何となく分かった」

「……それだけなら、兄貴……ではなかった、マンフレッドが俺と同一人物であると思うのでは?」

 

 グレシアは首を振った。

 

「いいや。そもそもマンフレッドは、左腕を動かせない、あるいは左腕が無くて義手をつけている人物のはずだから、試合で剣を振るえるわけがないんだ」

「えっ」

 

 俺が声をあげると、グレシアはテーブルをとんとんと人差し指で叩いた。

 

「覚えているかい、ここでマンフレッドが出資契約書を書いていたときのこと。彼はいちいち珠を弾いてからペンに持ち替え、契約書を書いていた……十五年も仕事をしてきた商人ともなれば右手でものを書いて、左手で算盤を使うんじゃないかな。

 左手で受け渡しができる本を取ってくれって頼んだときもわざわざペンを置いて右手で受け渡しをしていたし、剣を持ってくるときも両手を使わず、右手だけで持って引きずっていた」

 

 そういえば、グレシアは浮遊魔法を使えばいいのにわざわざマンフレッドに本を取ってくれと頼んでいた。あれは左手を使うかどうかを見ていたのだ。

 

「後はアウグスト君との戦いで氷魔法を使おうとしなかったこととか、最初マンフレッドがここに来た時は重そうにしていた剣を、大会で会ったときには苦労せず持ち運んでいたこととか。一つ一つの違和感は小さいけれど、重なるとだいぶ怪しいと思ったよ」

「……よく見ているな」

 

 説明を聞いていたベルナールはため息をついた。

 

「確かに、兄貴には左腕が無かった。俺がギルド長から近衛兵の籠手を貰った時期に壊疽で腕が腐り始めたから、斬り落としたんだ。不思議なものだな。双子は怪我をすると同じ怪我をするというが、どちらか一方が呪われたら、同じように影響を受けるものらしい」

 

 ベルナールは左手を握ったり閉じたりしながらしみじみと言う。

 

「……今回はそれがトリックの肝になったんだね。ベルナールは仮面をしているし、身体能力は籠手頼りで身体を鍛えているわけじゃないから、商人のマンフレッドがベルナールの装いをしても誰も分からない。

唯一入れ替えられない左手は、この大会に限り斬り落とす動機を持つ者が大勢いるのだから斬り落とされたということにすればいい」

 

 左腕を切り落とすという事実に神父は「ベルナールを弱らせるため」、グレシアは「籠手を捨ててギルド長を暗殺するため」という目的を見出したが、そもそも左腕は無かったのだ。

 

「おそらくベルナールが自分に化けたマンフレッドを殺す際には、氷刃を使ったんだろう。クローナとの試合で負った傷を再現して、左腕も適度に傷つけた後、胸を貫いた。

 

 残った氷は砕いて排水溝から捨てれば勝手に溶けてくれるし、仮に氷が残っていても、死んでいたマンフレッドは絶対に疑われない。……まあ、私がしたみたいに死体を調べる過程で仮面を剥がして素顔を見られる危険はあったわけだけど」

「わざわざ、死体を触りたがるヤツはいないと思っていたんだ。さっさと生き返らせて被害者であるマンフレッド本人から話を聞こうとすると思っていたんだが……グレシア、お前がいたのが誤算だった」

「だろうね。マンフレッドも驚いていたよ。蘇生して私の顔を見た瞬間に、何でここにいるんだって聞いてきたし」

「今言ってもどうしようもないが、お前が調査を引き受けると分かっていたら、兄貴も別の計画にしただろう。何せ、兄貴がこの作戦を考えるきっかけになったのは、ランド教授の本だからな」

 

 そう言うと、グレシアは、ああとつぶやいた。

 

「ああ、クーレホルンがやった入れ替わりか。それで勉強になった、なんて言っていたんだね。全く、ロクなことを勉強しないなあ……」

 

 そこで、会話がぷつりと途切れた。語ることはもうない、ということだろう。グレシアは静かに、しかし適当な答えを許さないような声色で、ベルナールに問う。

 

「それで、結論は出た? ここまで知っている私たちを倒して逃げるか、おとなしくお金を払うか」

 

 ベルナールはグレシアの傍に立つ俺に目をやると、ふっと力を抜いた。

 

「手ぶらで大会優勝者に挑むなんて馬鹿なことはしないからな、やるよ。ただ路銀くらいは残してくれ。明日、ここを発つんだ」

 

 ベルナールが腰の皮袋をテーブルの上に投げると、金属のこすれ合う音とともに、テーブルの上に銀貨がこぼれた。

 

「二十万ダリル。今出せるのは、これが限界だ」

「……やけにあっさり渡してくれるんですね」

「他に選択肢がないからな。逆に、そうしない理由があるか?」

「俺たちって、言ってしまえば、その……マンフレッドの仇じゃないですか」

 

 グレシアは弁舌で、俺は剣で彼の暗殺を防ぎ、マンフレッドを爆死に追い込んだ。ベルナールから恨みを買っていないわけがない。

 

 しかも剣を持っていないとはいえ彼の恐るべき怪力は健在で、魔法も使えるのだ。

油断させて襲いかかって来るのではないかと警戒していると、ベルナールは「仇か」と腕組みをして考えるそぶりを見せてから、おもむろに口を開いた。

 

「何と言うべきか……兄貴が死んだことに何も思っていないわけじゃないが、お前たちは仕事をしただけだろう。

俺もギルド長の敵であれば女だろうが子どもだろうが殺してきたからな。自分の肉親が殺されたからって、恨むのは筋が通らない」

 

 そのとき、俺はまじまじとベルナールの顔を見た。最初会って話したときは俺よりも数歳年上という印象だったが、素顔を晒して話す彼は、前よりもずっと歳を取っているように見えた。

 

「……さあ、金を払ったんだからもう喋ることもないだろう。お暇させてくれないか」

 ベルナールが立ち上がろうとした、そのときだった。

「待った」

 

 グレシアがベルナールを呼び止めた

 

「何だ、金が足りないとでも言うつもりか?」

 

 しつこい蠅にまとわりつかれているかのように眉を寄せた彼に、グレシアは麻の紐で口を縛った、小さな白い袋を渡す。

 

「これは?」

「マンフレッドの指の骨だ。彼が死んだ後に拾っておいたんだ」

 

 ベルナールは目を丸くした。

 

「わからないな。なぜ俺に渡す?」

「なぜって、表の看板を見なかったのかい。うちは死体回収事務所だ。お金を払ってくれたのなら、死体の一つくらいサービスしてあげるさ」

 

 それだけ言うと、グレシアはテーブルにつき、銀貨を数え始める。ベルナールは呆気にとられたようにグレシアを見下ろし、わずかに相好を崩した。

 

「……あんたの遺骨は高くついたよ。兄貴」

 

 袋を握りしめると、ベルナールはくるりと背を向ける。そして何も言わずドアを開けると、まだ雨の降る外へと出て行った。

 

 ドアが閉まり足音が去っていくと、俺はつぶやいた。

 

「これからどうするんでしょうか」

 

 マンフレッドとして生きていくのか、どこかに隠遁するのか、はたまた別の国で剣士として生きていくのか。

俺が彼の行く先に思いを巡らせていると、グレシアはその想像を断ち切るような冷めた声で答えた。

 

「さあ。それを考えるのは私たちの仕事じゃないからね。まあ、どこかであっさり次の雇い主を見つけて食い扶持を稼ぐんじゃないかな」

「次の雇い主……」

 

 その言葉を聞いたとき、俺は自分の懐に仕舞っていたものの存在を思い出した。

 

「何だい、それ」

 

 俺が絹の糸で縛られた契約書を取り出すと、グレシアは目ざとく訊いてくる。

 

「ああ。ギルド長から俺宛ての、勧誘ですね」

 

 そう言った瞬間、彼女は大きな音を立てて椅子から立ち上がった。

 

「ギルド長の勧誘だって!」

「どうしたんですか急に……」

「ちょっと見せて」

 

 グレシアは俺の手から素早く契約書を抜き取ると、広げて読んだ。

 

「自動的に金等級へ昇級、月給をノードレット事務所から受け取る分の三倍を保証、五年ギルド長の護衛を勤め上げた後は、ライベル王国や有力貴族に騎士として推薦することも可能……」

 

 内容を読み上げるグレシアの顔は次第に青ざめ、冷汗が頬を伝う。

 

 俺が読んだときも大声を上げそうになったので、グレシアの反応は少し面白かった。

 

「すごい契約ですよね」

 

 俺に賞典を授けた後、ギルド長はひそかにこの契約書を渡してきた。

 

「君の才能はグレシア君の護衛にしておくにはもったいない。私の下で働かないかね。金には不自由させないし、等級も約束する。悪い話ではないと思うがね」

 

 それだけ言うと、ギルド長は受付嬢とともにギルド本部の方へと戻っていった。

 

 貰ったときは内容を見ていなかったが、後から目を通して仰天した。悪くないどころの話ではない。破格の条件だ。

 

「それ、返してください」

 

 俺が右手を出すと、少し躊躇するそぶりを見せたが、グレシアは俺の手に契約書を返す。

 

「まさか、君、この話……受けるのかい?」

 

 珍しく不安そうに見つめてくるので、俺は少し笑いそうになってしまった。

 

「いや、騎士に推薦してくれるって話には流石にくらっと来ましたよ。今でも、もう少し戦争が続いていたら騎士になれたのに、なんて思うことはありますし。でも……」

 

 俺は契約書を引き裂き、床に転がっている香草の空箱に棄てた。

 

「どんな条件を出されても、殺し屋になるのはごめんですね」

 

 おそらくベルナールも同じようなクチでギルド長の左腕となり、殺し屋になったのだろう。彼と同じ轍は踏みたくないし、たとえ数年の辛抱だとしても、人を殺して回る掃除屋になりたいとは思えなかった。

 

 俺の答えを聞いたグレシアは安堵の息をつくと、すとんと椅子に座った。

 

「よかった。正直なところ、心配していたんだ。君が大会に出たらこういうことがあるんじゃないかって」

「ああ……それで嫌がってたんですか」

 

 グレシアが俺の大会出場にあまり乗り気でなかったのは、自分以外に俺を雇いたいと言いだす奴が出てきかねないと思ったかららしい。

 

「心配しなくても、グレシアさんには義理がありますからね。俺が必要なうちは離れるつもりはないですよ」

 

 そう言うとグレシアは「義理か……」とつぶやき、腕組みをして考え込み始めた。

 

「やっぱり長くここで働いてもらうためにも、君にはうんと金を貸しておかないといけないね」

「借りませんよ。ちなみに借りるとどれくらいの利息になるんですか?」

「そうだな、一週間で二割くらい?」

「悪魔ですか。その計算だと、俺は一生かけても借金を返せませんよ」

 

 マンフレッドが来る前に金を借りなくてよかった。そう思っていると、グレシアは少しすねたようにつぶやいた。

 

「……別に返そうとしなくたっていいじゃないか」

 

 どういう意味か聞き返そうとしたが、そのときにはすでにグレシアは本に目を落としており、質問を受け付けてくれることはなかった。

 

 

 

 

 

 マンフレッドとベルナールは双子を嫌う田舎村に生まれ落ちた。

 

 産着が二ついることを伝えられた父親は、「どちらを殺せばいい?」と答えたという。祖母に止められどちらも殺されずに済んだが、そんな村の居心地がよかろうはずがない。

十三歳の誕生日、示し合わせてもいないのに二人は同時に村を飛び出し、マンフレッドはハルトマン商会に見習いとして転がり込み、ベルナールは冒険者として仕事をするようになった。

 

 ベルナールの方は攻撃術師として頭角を現し、金等級になったその日にギルド長から声をかけられた。仕事の内容は、ギルド長にとって邪魔な人間を殺す掃除屋になること。

破格の報酬につられたベルナールは下賜された『近衛兵の籠手』を左腕に嵌め、術戦士となって仕事にいそしんだ。

 

 ギルド長と対立する意見をもつ工房の親方、迷宮の地図の密輸を企んだ魔術師の女、政敵の息子……おおっぴらに証拠を残したわけではないが、噂は広まる。

 

 しかし「ギルド長の左手」として恐れられるようになったころ、当人である彼は仮面の下でどう冒険者から足抜けするかを考え始めていた。

 

 人を斬ることに疲れたのだ。

 

(だが、普通に辞めるとは言えない)

 

 ベルナールが消した相手の中には元々ベルナールと同じような立場の男もいた。

彼は仕事に嫌気がさしてやめるといったところにベルナールを差し向けられたという具合だったから、おそらくベルナールが抜けようとすれば同じようなことが起きるはずだ。

 

 かといって普通に逃げたとしても、ギルド長の腕は長い。刺客を放たれどこかで捕まるのは目に見えている。

 

 身の振り方をどうするか悩んでいたところに現れたのが、かつて別れた兄マンフレッドだった。

マンフレッドはマンフレッドでカナート剣を量産する体制を整えたはいいが、ギルド長が市長権限で法外な関税をかけているため思うように売れず、在庫を抱え込んだまま破産しそうな状況にあった。

 

 酒場で再会した二人は互いの状況を話し合い──そして今回のギルド長暗殺計画を立てた。

 

「代わりの市長が関税を撤廃するとは限らないが、そこはまあうまくやるさ。ギルド長さえいなければ、私も立ち回りようがあるからな」

 

 マンフレッドはちびちびと麦酒を飲みながら自信ありげに言う。楽観的な兄の様子を見たベルナールは少し不安を感じた。

 

「とはいえ、この計画、かなり難しいぞ。そもそも大会のときに事件を起こす必要があるのかというのと、俺が兄貴を殺す必要があるのかってことだ」

 

 ベルナールは自分に化けたマンフレッドを殺し、逆に自分がマンフレッドを演じる。口で言うのは簡単だが、商人であるマンフレッドと戦士であるベルナールが入れ替わること自体、かなり難しそうだ。

 

 するとマンフレッドは薬を嫌う子どもに言い聞かせるように言った。

 

「難しそうでも必要だ。ギルド長は猜疑心が強いからな。お前の左腕が無くなっていたら裏切りを警戒するはずだ。だから裏の思惑が絡む大会を使って、被害者という立ち位置にいないと、騙しきれない」

 

 確かにギルド長は疑り深い。そうでなければ、主の命令に従うよう強制する籠手など渡さないはずだ。しかしそれでも、マンフレッドを斬るのは気が進まなかった。

 

「だがな……」

 

 渋るベルナールに、マンフレッドは冗談めかして笑いかける。

 

「肉親を殺すのは嫌ってことか?」

「いや、それは大丈夫だ。むしろ俺が心配しているのは兄貴の方なんだが……蘇生される見込みとはいえ一度本当に死ぬわけだし、入れ替わった後も神経を使うんじゃないか」

「……私が何とかすべき部分を心配しても仕方ないだろう。それに、この計画のいいところは、私が暗殺に失敗したとしても死ぬのは裏切った『ベルナール』だけってところだ。ただの商人である『マンフレッド』にはなんの関わりもない」

 

 そこでベルナールは気づいた。マンフレッドがベルナールと入れ替わる必要はないのだ。本当にベルナールが腕を斬り落として籠手の命令服従効果を振り払ってからギルド長を殺しにいくこともできる。

 

 マンフレッドはそれをあえてやらず、自分が危険を一手に引き受ける方法を提案しているのだ。

 

「……なんでだ?」

 

 口の端から疑問符だけがこぼれ出た。

 

 しかし何を疑問に思っているのかは簡単に察することができたらしく、義手の指先をいじりながら、マンフレッドは事務的に言った。

 

「ギルド長の暗殺ついでに、もっと商売の種がないか見たくてね。お前は一足先にカナートへ行って、私の商会で記帳の勉強でもしているといいさ」

「…………」

 

 ふと、幼い頃兄が作ってくれた狼の面に触った。

 

 石を投げてくる村の子どもを怖がらせるため、ことさら恐ろしく彫ったそれを、マンフレッドは「被れ」とだけ言って渡して来たのだった。

 

「……兄貴はずっと変わらないな」

 

「昔よりはだいぶ稼いでいるつもりなんだが」

 

 ベルナールが仮面の下で笑うと、マンフレッドは心の底から不思議そうに首をひねった。

 

 

 

 大会の二日後。ベルナールは日のまだ昇りきらない早朝に宿を発った。これからのカナート剣の注文は商館で受けるよう取り計らったため、これ以上長居しても仕方ない。

 

 二日前に賑わっていた通りは嘘のように静まり返っており、つま先に当たった石の転がっていく音がやけに大きく感じられた。

 

「……結局、また兄貴に守られる形になったな」

 

 マンフレッドの策を全て見抜いていたグレシアに捕まったときは肝が冷えたが、多少懐を痛めるだけで済んだのは僥倖だった。

 

 後はマンフレッドの用意していた馬車に乗ってギルド長の影響の及ばないカナートに入国すれば、ベルナールの安全は保障される。

 

 兄の遺骨の入った袋を握ると、ベルナールは顔を上げた。道の向こう、街路樹の傍に馬車が停まっていた。

 

 あれだ、と歩みを早めようとして、ベルナールは違和感を覚えた。

 

 御者がいない。

 

 馬車をここまで運んできた御者がいるはずなのに、御者台も吹きさらしの荷台のどこにもそれらしき姿はない。催して便所にでも行っているのだろうか。

 

 ベルナールが立ち止まったそのとき、街路樹の後ろから現れた者がいた。

 

「お早いご出立ですね」

 

 にこやかに話しかけてきたのは、カティアだった。試合のときに身に着けていた騎士鎧ではなく、青いフェンサーコートを身にまとっている。

 

「……商売は皆の目が覚めないうちからやるものですから」

「あら感心。でも、付き合わされる身になってくださると嬉しいですわね。貴方に合わせて、わたくしも早起きをしなくてはなりませんでしたから」

 

 その声に、静かな敵意を感じた。だがひとまず、何食わぬ顔で話を続けて相手の様子を窺う。

 

「……そちらこそ、私に御用ですか。ひょっとして剣をお求めで?」

 

 今の自分は「マンフレッド」。商人らしく丁重に聞き返すと、カティアは腰に吊った二本の剣を鳴らした。

 

「いいえ。剣は間に合っていますわ。今日いただきにきたのは別のものです」

 

 彼女は涼しい音を立ててレイピアを抜き放ち、名乗りを上げる。

 

「『ギルド長の右腕』カティア・ラルフレイヤ。主を裏切り、逃げ出そうとしている貴方──ベルナールの命を貰い受けます」

 

 こんな時間に待ち受けていたことから半ば予想はしていたが、この女もギルド長の手先らしい。ベルナールが呆気にとられていると、カティアは薄く笑った。

 

「何を驚いているのですか? あなたが左腕だというのなら、右腕もいると考えるのは当然でしょうに」

「……なぜ分かった?」

 

 まさかグレシアが金を取るだけ取って密告したのかと思ったが、続くカティアの言葉で否定された。

 

「偽ベルナールさん、もといマンフレッドさんが死ぬときに使った火薬がどこから出ているかをギルド長が調べたのですわ。火薬にかけた関税から市内にある火薬の数量はおおよそ逆算できますから、市長権限で商館帳簿を確認し、売却以外の理由で想定より火薬が減っていたらその商会はベルナールさんに火薬を渡した可能性が高いということになります。

 マンフレッドさんはこの調査を予想して火薬量を嵩増しして計上をしていたようですが、ギルド長はすぐに見抜いたようですわね。

 倉庫を検めてハルトマン商会の火薬が少ないことが分かり、芋づるを引くようにマンフレッドさんとベルナールさんの繋がりが見えてきたのです」

 

 ベルナールは舌打ちをした。

 

 おそらくマンフレッドはギルド長を蘇生できないほどバラバラにするために爆殺という方法を選んだのだろうが、それが仇となったのだ。

 

 これについてはマンフレッドのミスというよりはギルドの組織力と、グレシアの報告を受けてもなお疑い続けるギルド長の執念深さが異常と言った方がいいのかもしれないが、それにしても──

 

「詳しく説明してくれるんだな。どうせ俺を殺すつもりだろうに」

「殺す相手だからこそ、ですわ」

 

 カティアは暗殺者とは思えない澄んだ瞳で答えた。

 

「殺される理由も伝え、正々堂々と命をいただくのがわたくしの流儀。……ところでベルナールさん。貴方、剣を持っていないのですね」

 

 彼女の言う通り、今のベルナールは商人の装いをしているため丸腰だった。

カティアは「世話が焼けますわね」とつぶやくと、レイピアを鞘に納め、腰から外したそれをベルナールに向けて放り投げた。

 

「使ってくださいまし」

 

 空中で剣を掴み取ると、ベルナールはカティアを睨みつける。

 

「何のつもりだ?」

「無手の人間を斬り殺すのは、私の騎士道に反しますから。欲を言えば貴方の手に馴染んでいる剣をお渡ししたいのですが、それで我慢してくださるかしら」

 

 わざわざ暗殺する相手に剣を渡して戦うなど、不合理の極みだ。

 

 それとも武器を持っていようがいまいが結果は変わらないという自信の表れなのか。ベルナールは剣を抜きながらため息をつく。

 

「変なこだわりも、ここまで来ると感心するな」

「こだわり……そうですわね。この仕事を仕事だと割り切れる貴方にとっては、きっと理屈に合わない行為に見えるのでしょうね」

 

 言いながら、カティアはすらりともう一本の剣を引き抜いた。鍔の先にはなぜか大会の時には無かったはずの刀身があり、薄闇の中で光っている。

 

「では、そろそろ始めましょう」

 

 カティアは胸の前で剣を垂直に立て、決闘の始まりを告げた。

そして、地面を蹴る。

 

 対するベルナールは左手で抜剣しながら、空いた右手の周りに氷刃を発生させ、突っ込んでくるカティアに撃ちだした。

 

「緩慢ですわね」

 

 カティアの右手が閃くたびに彼女に命中するはずだった氷の刃は砕け、冷たく輝く粉となって空中に溶ける。

 

(……やはり、単純な魔法攻撃は意味が無いか)

 

 アウグストが連弩による攻撃を捌いたように、実力のある戦士というものはある程度遠距離からの攻撃に対応することができる。カティアもその例に漏れず、魔法に対する答えを持っているのだ。

 

 普通の魔術師であればそのまま肉薄されて終わりだが、ベルナールは術戦士。突っ込んでくるカティアの顔めがけて突きを放つ。

 

 カティアはわずかに首を傾けて回避するが、その耳がぱっと裂けた。

 

 彼女は血の滴る耳に触れると、ベルナールの剣の切っ先に目をやった。

 

「……なるほど、やはりそういう使い方もしてきますか」

 

 ベルナールの剣先には、透き通る氷の刃が伸びていた。突きの瞬間に剣先に氷の刃をまとわせ、間合いを伸ばしたのだ。

 

 魔法を単なる飛び道具として見ている相手にはよく効く技なのだが、耳一枚を切っただけというのは、成果としては不十分と言わざるをえない。

 

 ベルナールは舌打ちをして距離を取ろうとするが、カティアはぴったりとついてきながら、剣を構える。

 

「面白い技ですが、その手の技は一度見せた以上、決着が着くようにしなければなりません。例えば、こんな風に」

 

 カティアの斬撃を剣で受けようとした、その瞬間──眼前に迫る刃が、消えた。

 

「は?」

 

 思わず間抜けな声を出してしまった直後、再び刀身が目の前に現れた。

そして紙を鋏で切るようにやすやすとベルナールの肩口を通り、心臓にまで達する。

 

 カティアが剣を引き抜くと、激痛とともに全身から力が抜けた。ベルナールは壁にもたれ、ずるりと座り込む。

流れ出した血が路上を赤く染めていくのを目にしながら、ベルナールは訊いた。

 

「何だ、今のは」

 

 カティアは唇の前にすっと人差し指を立て、笑みを漏らす。

 

「ふふふ、わたくしの秘剣の一つですわ。公の試合では見せないのですが、これから死んで、そして蘇生されることもない貴方には使えるというものです」

 

 ぴちゃり、ぴちゃり、と血を踏みながらカティアは歩み寄ってくる。

 

 逃れようのない死の気配を感じながら、赤い泡とともに息を吐きだした。

 

「終わり、か」

 

 思えば、生まれるときも、村を出るときも、左腕に呪いを受けたときも、障害となる相手も、兄マンフレッドと同じだった。

 

 全てが奇妙なほど合致していた兄弟で、死期だけが違うなどという都合のいいことがあるわけがなかったのだ。

 

 ベルナールは嘆息した。

 

(兄貴、いろいろ計画してくれていたとこ悪いが……どうやら、俺もすぐそっちに行かなきゃいけないみたいだぜ)

 

 視界の霞む中、カティアは座り込んだベルナールの首に、剣をあてがう。

 

「左腕の行方は、誰も知らない」

 

 カティアの囁きを聞いた瞬間、蝋燭を吹き消すようにベルナールの意識は消えた。

 

 

 

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