【書籍化】迷宮で、死体を拾う   作:龍 圭介

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18二種の毒薬➀

 

 

 

 迷宮の種類は二つに大別される。

 

 1つは、自然に形成された洞窟や森林などの自然迷宮。貴重な鉱物や動植物を手に入れることができるが、たいていは怪物と抱き合わせで歩きづらく、落盤の危険も大きい。

 

 総じて自然の猛威に対応する必要のある迷宮で、戒めの洞窟、黒金岩窟、ヌラヴィア海底迷宮などが挙げられる。もう一つは人の手で作られた人工迷宮。古代の城、牢獄、銀行金庫……最初から迷宮として設計されたりと成り立ちは様々だが、おしなべて罠や目くらましなどの「人間の悪意」が込められている。

 

 今、紫等級付与術師サハノスの潜っている『アルカン迷宮』は後者に属する迷宮だと言えるだろう。

古代帝国お抱えの錬金術師ケミティウスの実験施設の跡地で、彼の研究成果を求める冒険者や研究者が挑戦を続けている。

 

「サハノス、防御頼む!」

 

 鎖帷子を着た、青髪の戦士──シュミットが叫ぶと、サハノスはうなずいた。結界を展開すると、襲い掛かって来た泥状の生物──ワーアメーバは、結界に触れてぐしゃりと崩れた。

 

 結界の外側を伝って地面にわだかまったかと思うと、潮が引くように素早く距離を取り、シュミットの似姿を作る。

 

 丸っこい目に、しゅっとした顎。ご丁寧に彼の装備であるカイトシールドとサーベルまで模倣したワーアメーバを見ると、シュミットは苦い唾を飲み下したような顔をした。

 

「気味が悪いな」

 

 ちなみにこの怪物もケミティウスの研究成果の一つで、ホムンクルスの試作の過程でできた出来損ないである。

ケミティウスが彼らに侵入者の排除を命じて数百年。彼が病死した今も、彼らは近くにいる人間の姿を模倣し、襲い掛かってくるのだ。

 

「この……やろッ!」

 

 シュミットはサーベルで斬りかかるが、液状の身体を通過するばかりで全く効いていないように見える。

お返しとばかりにワーアメーバも剣──正確にはワーアメーバの肉体だが──を振り下ろす。シュミットはとっさにカイトシールドで防御したが、盾の表面でワーアメーバが弾け、頭からかぶってしまう。

 

「シュミット、いくら攻撃しても無駄よ。私に任せて」

 

 そう言ったのは、サハノスの隣にいる、大胆に肩を出したドレスローブの魔術師ディーラ。ドレッドに編み込んだ白髪をなびかせ、杖を振り上げる。

 

「一掃してあげる。『雷撃』!」

 

 ディーラが叫んだ瞬間、空間を引き裂くような青白い稲妻が走り、ワーアメーバに命中する。

電気の槍に貫かれた怪物はぼろぼろと崩れ、土くれと化した。

 

「ふん、雑魚ね」

 

 ディーラが杖を下ろすと、後方で戦局を見守っていた癒術師──イアンが進み出た。金髪碧眼で、顔は高名な彫刻家に彫られたかのような造形をしている。

 

「ワーアメーバは有毒です。飛沫に触れたり、吸い込んだりはしていませんか?」

「言われなくても、気を付けてるわ。ローブが汚れたら嫌だし」

「そうですか。シュミットさんは?」

「俺は少し吸い込んだかもしれない」

 

 シュミットはそう言うと、座り込んだ。

 

 おそらく盾で受けたときに毒を取り込んでしまったらしい。彼の顔は、青くかびた蜜柑のような色になっている。それを見たイアンの表情はぱっと明るくなった。

 

「そいつはいい! ワーアメーバの解毒、やってみたかったんですよ」

 

 うずくまるシュミットの前で、イアンは嬉しそうに指を鳴らす。シュミットはせき込みながら、きらめく彼の目を見上げた。

 

「……ありがたいんだが、お前に解毒されるのはなんか嫌だな」

「おっと、気に障ったのであれば申し訳ない。すぐ解毒しましょう」

 

 イアンが手をかざすと、シュミットの顔を暖かい光が照らした。だが、いつもは数秒で終わる解毒に時間がかかっているのを見ると、焦れたようにディーラが話しかけた。

 

「まだ終わらないの?」

「慣れていないんですよ。解毒と言っても分解する毒が違えば、分解の方法は全く異なります。経験を積めば数秒で解毒することも可能ですけど……練習期間だと思って我慢してくれませんか」

 

 ウインクをしながら頭を下げるイアン。だがディーラのほうは、気もそぞろに周りを見回している。

 

「もたもたしてる間に、またあのキモいベタベタ人間が出てきたらどうするのよ」

「そんなことを、僕に言われましても……常識的に考えて、シュミットさんの解毒をしないまま進むわけにもいかないでしょう」

「じゃあ、早くして!」

 

 ディーラは怒りを地面に逃がすように、だんと杖で床を突いた。

 

「おい、ディーラ。あんまり騒ぐと本当に来るぞ……」

 

 見かねたサハノスがそう言うと、ディーラはきっと睨み返してくる。だが、それ以上騒いでもどうしようもないと悟ったのか、何も言わずそっぽを向いた。

 

 ディーラは常に何かしていなければ気が済まない性分で、物事が遅滞するといらいらし始める。時は金なり、というのが彼女の口癖だが、雪原の民扱いされると烈火のように怒り出すという。

 

 とそのとき、間延びした声が暗がりから聞こえてきた。

 

「あ、大丈夫っすよー。この辺の索敵はー、もうしときましたからー」

 

 鍵開け道具を指に引っ掛け、くるくると回しながら現れたのは、マフラーに口元をうずめ、こげ茶色の革チョッキを着た女技師──ヴァネッサだった。

 

 そういえば、ワーアメーバとの戦闘が始まってすぐ彼女の姿を見失っていた。彼女がパーティを離れて勝手に行動するのはいつものことだが、さすがに戦闘中の味方を放ってどこかへ行くのはなかなかない。

 

「また単独行動したのか?」

「いやー、戦闘中って、やることないんでー、怪物がシュミットさんたちのほうに気を取られてる間に、先の通路を見といたほうがいいかなーって」

「ん……仕事をしてくれるのはありがたいんだが、もし他のワーアメーバがいたらどうするんだ?」

「問題ないっす、逃げるのだけは得意でしてー」

 

 彼女の語尾を伸ばす独特な喋りと、無気力そうなダークブラウンの瞳を前にすると、なぜか注意する気が失せる。ため息をついていると、ヴァネッサの左手に巻物が握られていることに気が付いた。

 

「ヴァネッサ……それは?」

 

 彼女は「これ?」とつぶやき、胸の前でするすると巻物を広げた。

 

「たぶん、ケミティウスの研究資料ですねー。何書いてるか私にはわかりませんけどー。保管されていた隠し本棚にカタめの鍵が掛かってたんで、たぶん本物じゃないでしょうかー」

「よくやった、ヴァネッサ!」

 

 その瞬間、ようやく毒が解けたらしいシュミットが立ち上がり、サハノスの隣に走ってきた。帳面を取り出すと、それと巻物を見比べ、鑑定を始める。

 

「紙質と劣化具合は問題ない。文法はケミティウス存命時のもの。図解や筆跡もほぼ一致。……確かに、本物だ」

 

 それを聞いたイアンとディーラが歓声を上げた。

 

「何、何の資料なんですか?」

「どれくらいの値打ちものなの?」

「まあ待て。ディーラ、大筋だけ解読してくれ」

 

 シュミットは帳面を取り出しながら、上ずった声で答える。巻物をもつヴァネッサも、誇らしげに胸をそらしていた。

 

 今回の探索の目的は、ケミティウスの研究資料を手に入れること。アルカン迷宮に潜って一日もしないうちにお目当てのものが手に入ったのだから、気分が上がるのも当然だろう。

 

 冷めた目で彼らの喜びようを見ていると、イアンは不思議そうな顔をしてサハノスに話しかけてきた。

 

「サハノスさんは、資料を見つけて嬉しくないのですか?」

「……いいや、嬉しいよ。俺はあんまり喜びが顔にでないタイプでね」

 

 そう答えながら、サハノスはディーラの横顔を見た。解読を進める彼女の青い唇には、金しか頭に無さそうな下品なにやつきが浮かんでいる。

 

(……いけないな。冷静さを欠くのは)

 

 彼女を見ていると、沸騰した血が頭に上ってきた。深呼吸して波打つ心を鎮め、体温を押し下げる。

 

 一緒にアルカン迷宮を探索している他の四人──シュミット、イアン、ディーラ、ヴァネッサの目的は、ケミティウスの資料だ。しかしサハノスは違う。

 

(ディーラ。お前のにやけ面を、二度と見られないようにしてやる)

 

 彼がこのパーティにいる目的──それは、同じパーティの魔術師、ディーラ・サロムを殺害することなのだ。

 

 

 

 

 

 サハノス紫等級付与術師。彼はたいして有名ではないが、振られた役割をそつなくこなし、協調性もある中堅の支援要員として知られている。

 

 平凡。堅実。安定。サハノスを知る人たちも、サハノス自身もそう評している。彼が人殺しを決意した理由。

それは復讐──生きる手段を奪われた姉夫婦たちの仇を討つためだった。

 

 二人はハレーザー市西で道具屋を営んでおり、駆け出しの冒険者だった頃のサハノスは探索用の物資を都合してもらったり、仕事の話を貰ったりと、ずいぶん世話になった。

 

 とはいえ等級が上がり、収入も安定してくると仕事が忙しくなり、二人の店に行くことは少なくなる。

 

 そういえば二人はどうしているのだろうと思った日、ちょうど酒場での世間話で二人に子どもができたということを聞いた。

 

 そこでサハノスは世話になったお礼も兼ね、お祝いの金を二十万ダリルほど包み、二人の店に向かうことにした。姉夫婦の店──モートン道具店に到着したのは、十一時頃。だが、とっくに空いているはずの店は暗く、「準備中」の看板がドアに掛かっている。

 

 休日でもないのに、二人が店を閉めることはない。妙に思ったサハノスはドアに嵌っている硝子窓から中を覗き、息を呑んだ。

 

 天井から下がる二本の縄。この店を訪れたとき、決まって二人が座っていたカウンターの前で、寄り添うようにして首を吊っていた。

 

 姉の首は亀のように長く伸びている。隣で揺れる義兄の目は、全ての光を吸い込むような濁った眼をしていた。

 

 サハノスは叫び、尻もちをついた。近くを歩いていた通行人がそれを見て近づいてきて店内の様子に気づき、衛兵へ通報した。

 

 市の衛兵たちは店のドアを破り、二人の死体と現場の状況を確かめる。ドアは内側から鍵が掛かっており、また二人の蘇生ができなかったことから自殺だと判明した。

 

 カウンターには遺書が置いてあり、冒険者の女に騙され、全財産を失った経緯が書かれていた。それはよくある詐欺の手法──『偽探索出資』の手法だった。

 

 ありもしない迷宮をでっちあげ、利益を何割か渡す代わりに探索のための資金を都合してほしいと獲物に依頼する。そして渡された資金を持ち逃げする、単純な方法だ。

 

 姉夫婦を騙した女は、冒険者のリタと名乗った。

 

 リタはまずモートン道具店のなじみの客となり、親しくなったところで迷宮投資の話題を出した。戒めの洞窟という魔晶石の採れる迷宮がある。そこに生息するドワーフリザードという怪物が厄介なのだが、深部に至るためのルートを新たに掘れば、安全に大量に魔晶石を得ることができる。

 

 しかし洞窟を爆発魔法で掘り進めるためには、大量の魔晶石を購入するための資金が要る、という話である。

 

 実現できれば確かに大儲けできそうな案だ。子どもが生まれるところで物入りになるだろうと思った二人は、リタの案に乗り、少額の投資をした。

 

 ここで、彼女は実際に姉夫婦に儲けさせた。おそらく自腹を切って、出資した三万ダリルを倍にして返したのだ。二度、三度と同じように倍額で返し、信用を得る。

 

 そして四度目、投資がうまくいっている姉夫婦は、これからもそうだという保証もないのにほぼ全財産を投資する契約を交わした。

 

 姉夫婦から引き出せるものは引き出したと見たリタは、金を持ち逃げした。突然梯子を外された二人は店の所有権まで差し押さえられ、路頭に迷うしかなくなり──死を選んだ。

 

 全てを知った彼は、姉夫婦たちと連絡を取っていなかったことを後悔した。

 

 もし二人からその話を聞けば、詐欺の可能性を指摘できた。実際に戒めの洞窟で工事が行われているかどうかも、冒険者であるサハノスなら確かめられた。全財産をだまし取られても、サハノスが渡そうとしていた金があれば、稼ぎは小さいかもしれないがまた別の方法で商売を始めることもできた。

 

 だが、何もかもが遅かった。

 

 サハノスの怒りは、まず自分に向けられた。そして次は、二人を騙したリタという女に。

 

「殺してやる」

 

 サハノスは雲隠れした女を探し始めた。

 

 リタという名前は、名簿からは見つからなかった。当然偽名である。

 

 だが迷宮の詳細な情報を話せることから冒険者であることは間違いなく、また姉夫婦の前で爆発魔法を使ったことから攻撃術師であることは確実だった。

 

 その中から、急に羽振りが良くなった者を絞り込んでいく。二、三人ほどに絞った後は情報屋も使って、さらに詳しく調査を進めた。

 

 姉夫婦に渡すつもりだった金をはたいた甲斐があり、リタ──もとい、紫等級の冒険者ディーラ・サロムにたどり着いた。

 

 彼女は元々赤等級のぱっとしない魔術師だったが、突然魔力効率の良い白檀の杖や防寒性・魔術耐性抜群のローブなどの高性能な装備を手に入れ、また他の魔術師から雷の魔法を学び、頭角を現してきた冒険者だった。

 

 だがよい装備を整えるのにも、新しい魔法を伝授してもらうのにも、金がかかる。その金はどこから手に入れたのか? 

 

『私を応援してくれる人がいたのよ。……ふふっ、もうこの世にはいないらしいけどね』

 

 酒場でたまたま彼女と居合わせた客が、そう言うのを聞いた。

 

 それだけではなく、化粧や衣服を変えた彼女がしばしばモートン道具店に足を運ぶのを他の常連が見ていた。

姉は、ディーラのことを幸せを呼ぶリタちゃん、と紹介していたという。

 

 決まりだった。姉夫婦の金をだまし取った犯人の名前を知ると、サハノスはディーラの殺害計画を練り始めた。

 

 真正面から殺しにいく案は早々に諦めた。サハノスの使える魔法は結界と浮遊。支援に振り切っているため、ディーラを殺すとなると武器が要る。

 

 だが弓矢やスリングの心得は無く、ナイフでは近くに寄るまでに魔法で反撃される。不意を打てばあるいは、と思ったがディーラは後ろ暗いことをしている自覚があるのか用心深く、なるべく人の多い場所を選んで移動し、宿も毎日変えているようだった。

 

 こうなると、殺した後にサハノスが逃げおおせることは難しくなる。衛兵に蘇生されないようにすることを考えると頭部を持ち去る、もしくは蘇生できないほど遺体を損壊する必要があるが、それを誰かに見られる危険が跳ね上がるからだ。

 

 行き詰ったサハノスは少しでも殺害の機会を増やすため、ディーラの所属するシュミットのパーティに加入した。

 

 幸いディーラはサハノスの目的には気づいていなかったものの、相変わらず隙はなかった。それでも二週間ほど彼女を観察した結果、使えそうな情報が見つかった。

 

 ディーラは、心臓が弱い。

 

 彼女は薬屋で強心剤を買い、探索中は発作が起きるたびに一錠ずつ服用していたのだ。

 

 薬屋からディーラが出て行った後、サハノスはディーラが買っていた強心剤を見た。手のひらに収まるほどの瓶の中に、何十錠もの白い錠剤が入っている。

 

 その隣の棚にも同じような薬があったのでそれを手に取ろうとすると、「おい」と店主に呼び止められた。

不審なことをしていると思われたのだろうか、と内心びくびくしていると、左の棚を指さした。

 

「もし強心剤を探しているのなら、それは違う。鎮心剤だよ」

 

 鎮心剤とは、心臓の働きを弱める薬だ。見た目は同じだが、真逆の効果。

 

 全く、間違って服用したらどうするのだろう。着色して見分けがつくようにすればいいのに、と思ったそのときサハノスは閃いた。

 

(……これだ)

 

 ディーラの薬瓶に、一錠だけこの鎮心剤を紛れ込ませるのだ。

 

 発作が起きたら彼女は薬を飲む。何十分の一の確率なのですぐにとはいかないだろうが、いずれ鎮心剤を引くことになる。

 

 そして鎮心剤を服用すれば、弱まっていく心臓の動きはさらに押さえつけられ──死に至るのだ。

 

 この殺害方法の良い点は、傍から見ても、殺された本人も「病死」と勘違いするところにある。

 

 仮にディーラが蘇生されたとしても、通常の発作と区別はつかない。残っている薬を調べても他は全て強心剤なので毒を盛られたと気づくことも不可能だ。

 

 そうすればディーラの死体を処理する機会が訪れるか、蘇生代金が払えなくなるまで毒殺を繰り返して、彼女の息の根を止めることができる。

 

 死ぬまで殺し続ける。殺害計画としては時間がかかってしまうが──復讐としては最高だ。

 

「……どうしたんだい?」

 

 店主はきょとんとした表情でサハノスを見上げていた。サハノスは薄笑いが漏れ出てしまっていたことに気がつき、口元を手で押さえる。

 

「いや、本当に見分けがつかないな……俺は薬が全部同じものに見えるよ」

 

 そう言うと、店主は笑った。

 

「まあ薬屋を長くやってる俺みたいな人間でなきゃ、誰だってそうさ」

 

 であれば、ディーラには見分けられないだろう。イアンが手に取って観察したら看破されるかもしれないが、調べようと思わなければそれまでだろう。

 

 サハノスは殺害計画を頭の中で組み立てながら、話を続ける。

 

「本当は、今日は風邪薬を買いに来たんだ」

「風邪薬? そりゃ全然場所が違う。こっちだよ」

「そうなのか。すまないね。どこだい?」

 

 歩いていく店主の後ろについて行きながら、サハノスは浮遊魔法で静かに鎮心剤の瓶の蓋を開け、一錠だけ盗む。

 

「ほいよ、これが風邪薬だ」

 

 店主が風邪薬の瓶を持って振り向いたときには、すでに薬瓶の蓋は締め直されていた。サハノスはポケットに入れた錠剤の感触を確かめてから、財布を取り出した。

 

「ありがとう。何ダリルだ?」

「千ダリル」

「……そうか」

 

 店主に千ダリル分の銀貨を手渡すと、おまけに八十ダリル分の銅貨を手渡す。

 

「これは?」

「愛想がよかったからな。その気持ちぶんさ」

 

 きょとんとする店主に笑いかけると、サハノスは店を出た。

 

 

 

 ディーラが解読した内容を聞いたシュミットは、肩を落とした。

 

 というのも、その資料の題が「臭水の精製方法」──動物のし尿に含まれる成分を作り出すというもので、ケミティウス自身もあまり重要視せず掘り下げなかった研究内容だと分かったからである。

 

「収穫と言えば収穫だが、これじゃ物足りない」

 

 シュミットがそう言って探索を続けることを決めると、すぐに一行は地下三階へ続く階段を発見した。

 

 降りてきたところはちょうど適度な広さのある部屋で、通行できるのは降りてきた階段とこれから進む予定の扉の二つのみ。見張りやすく逃げやすいと判断したシュミットは、この部屋を夜営地に定めた。

 

 シュミットは加熱の巻物で革袋を温めると、全員に手渡した。めくってみると、中からはこんがりと狐色に焼きあげられたパイ生地が顔を出した。

 

「これ、炙り猪亭のミートパイよね。私、これ大好きなのよ」

 

 好物らしく、ディーラは嬉しそうにパイに齧りつく。仇の女が隣で呑気に飯を食べているのを見て舌打ちをしたくなったが、ぐっとこらえてサハノスも貰ったパイを口元に運んだ。

 

 火傷しないよう慎重に齧ると、とろりとした感触が舌の上に広がった。よく煮込まれたミートソースが崩れたパイ生地に絡まって旨い。

 

「あぢっ」

 

 鼠の悲鳴のような声を聞いて隣を見ると、ヴァネッサが涙目で舌を出していた。

 

「熱すぎて火傷しちゃいましたー」

 

 そういえば、彼女は猫舌だった。サハノスは呆れながら、じっと魔法の訓練教典を読んでいるイアンの肩を叩く。

 

「イアン。出番だ」

「食中毒ですか?」

「いや、舌の火傷を回復してやってくれ」

 

 イアンは顔を上げると、ヴァネッサが舌を指さしているのを見てあからさまにやる気をなくしたような表情をした。

 

「もっと腹痛で悶絶するような食中毒なら面白かったのに」

 

 癒術師に限らず、こだわりの魔法がある魔術師は多い。サハノスはどちらかというと必要に応じて使うだけだが、ディーラは習いたての雷魔法、イアンは解毒魔法を好んでいる。

 

 とはいえ流石に火傷している当人からすればこだわりなど知ったことではない。ヴァネッサはイアンを急かすように手を叩く。

 

「そういうのを面白がるのはイアンさんだけっすねー。早く治療してくださいー」

「回復魔法って簡単すぎて面白くないんですよ」

「面白いとかそういう話じゃなくないですかー? そんなに解毒がしたいなら、後ろのタイルを踏むといいですよー。たぶん機構的に、踏んだ人に毒ガスを吹き付ける仕組みっす」

 

 ヴァネッサの指さした先には、ハート型のタイルがあった。よく見ると溝があり、タイルの一枚に模したスイッチになっているらしいことが分かる。

 

 サハノスとともに罠の存在を確認したシュミットは、顔をしかめた。

 

「本当だ。何で野営の準備をするときにこのことを先に言わないんだ」

「いやー、そのー、ミートパイに気を取られてー」

 

 ヴァネッサは人差し指をくっつけて目をそらす。どうやら忘れていたらしい。

 

「ともかく、こいつは踏まないように縄か何かを置いて目印にしとこう」

 

 サハノスはうなずき、タイルの周りをロープでぐるりと囲った。ディーラを殺す前に、パーティごと毒ガスで全滅してしまっては笑えない。

 

「もう、騒がしいわね……そろそろ私は寝るから、あまりうるさくしないでね」

 

 ディーラは煩わしそうにそう言うと、毛布に包まってしまった。

 

「私の見張りの番が来たら起こして」

 

 そして部屋の真ん中に置いてあるカンテラから顔を背けるようにごろんと横になり、寝息を立て始める。

 

 チャンスだ。

 

 シュミット、ヴァネッサ、イアンの三人は罠に目を取られており、ディーラとサハノスのほうを意識していない。

 

 サハノスはディーラやシュミットに気づかれないよう細心の注意を払いながら、寝転がるディーラの足元にある背嚢に視線を送る。

 

 発動した浮遊魔法で縛り口の紐を緩め、中身を確認できるよう、わずかにこちらへ傾ける。

 

 中身は魔晶石、水袋、口紅、髪留め……そして、薬瓶。

 

(あった)

 

 サハノスは薬瓶を手元まで引き寄せると、外套の中に隠した。音を立てないよう気を付けて蓋を取ると一錠だけ強心剤を取り出し、紙に包んでいた鎮心剤──ディーラにとっての猛毒を摘まみ入れる。

 

 強心剤と入れ替えず鎮心剤を入れるだけでもよいが、ディーラが残りの薬の数を把握していた場合、一錠分増えているのを怪しまれる恐れがある。一手間を惜しんでせっかく立てた殺人計画を台無しにするつもりはなかった。

 

 薬の入れ替えが完了すると、しっかり栓を閉め、薬瓶を元に戻そうとする。もちろん素手でやると見咎められるかもしれないので、これにも浮遊魔法を使う。

 

「ん……」

 

 そのとき、ディーラが声を上げた。

 

 サハノスは思わず息を止めたが、それが寝言らしいということに気づき、安堵の息をついた。

 

(……こっちの心臓が止まるかと思った)

 

 シュミットたちのほうを窺うと、まだヴァネッサの舌の火傷を治しているところだった。

 

 彼らは、たった今サハノスのしたことに気がついていない。

 

 眠っているディーラも、自分の命を救うはずの薬瓶の中に悪魔が潜んでいることを知らない──知っているのは、薬を入れ替えたサハノスだけ。

 

 そう考えると、腹のあたりがこそばゆいような、年甲斐なく踊りだしてしまいそうな、昏い愉しみを覚えた。

 

 

 

 

 寝ずの番はサハノス・イアン・ヴァネッサとディーラ・シュミットの二組となった。

 

 壁際でディーラとシュミットが毛布を被せて眠り、階段の傍をサハノス、入り口の傍をイアンが見張っている。

余ったヴァネッサはディーラの隣でピッキングツールを磨いていた。左目に拡大鏡をつけ、少しの汚れも見逃すまいとするかのように軟布で神経質に擦っている。

 

 磨き終えると瓶の中の薬液を染みこませた布で薬液を塗布し、次のツールを取る。

 

「こまめに手入れするんだな」

 

 そう言うと、ヴァネッサは先端の湾曲した金属棒の歪みを小さな金槌で修正しながら、うなずいた。

 

「道具はこまめに手入れをしろって親方から口を酸っぱくして言われてますからねー。私の同期が歪んだフックピックを使って罠を解除しようとして、ミンチになっちゃったお話、しましょうかー?」

「いや、いい……というかもうほぼ全部話してるじゃないか」

「おっと、本当っすねー」

 

 ミートパイを食べる前にその話をされなくてよかったと思っていると、暇そうにしていたイアンがヴァネッサに話しかけた。

 

「道具の手入れ、手伝いましょうか」

「手伝う? ……じゃあこの道具の名前、分かりますかー」

 

 ヴァネッサが指さしたのは、波打つような形をしたピンセット。イアンは少し考え、「曲がりピンセット」と答える。

 

「見たまんまっすねー。正解は『テンション』っす。ちなみに今私が磨いているのは、『フックピック』。道具の名前も知らないような人には、道具は触らせません」

「手厳しいですね」

「正直、そんなところで手伝ってもらうよりも、回復をさっさとしてくれるほうがありがたいっていうかー。誰かが大怪我したときもごねるつもりっすか?」

 

 火傷の一件を根に持っているのか、ヴァネッサはじとっとした目でイアンを睨んだ。

 

「……わかりました。次はすぐやりますよ。……命に関わらないなら、どうでもいいんじゃないかとは思いますがね」

「イアンさんは冷血っすねー」

「心外ですね。これでも、村にいた頃は若先生って言われて慕われていたんですよ」

シュミットやヴァネッサと違い、イアンは今回初めて加わった新入りなので知らなかったが、彼は農村出身らしい。

 

 農村から稼ぎにやって来るような人間はたいてい所作や話し方が粗雑でそれとなく分かるのだが、イアンは物腰が柔らかく、そうと言われなければ分からなかった。

 

「若先生……ってことは、村付きの癒術師なのか」

「ええ、そのうち父の後を継ぐつもりです。今は魔法学院で勉強のための学費を稼いでいます。ついでに解毒魔法の修練もできたらなあと」

 

 白い歯を見せて笑うイアンに、ヴァネッサは呆れたように腕を組んだ。

 

「私たちは実験台ってことっすか?」

「人を癒さずに癒術師の腕前は上がりませんからね。あなただって、金を稼ぐついでにケミティウスの機構を見たいから来ているんでしょう?」

「はい、ですからイアンさんの理屈に文句はないっすけどー……」

 

 何か嫌だ、とでも言いたげに彼女は眉を下げた。

 

「……二人とも、よく考えているんだな」

 

 冒険者と言えばシュミットやサハノスのように日銭稼ぎに躍起になっているような連中ばかりなのだが、この二人は稼いだ先のことを見ている。

 

 サハノスは、ディーラへの復讐に囚われる以前もそこまで考えが及んだことがない。少し感心していると、ヴァネッサは首をかしげた。

 

「まあー、みなさんそれなりに考えていますよ。ディーラさんだって、わざわざ大金払って雷魔法を習得したのは、村付きの攻撃術師になるためって言ってましたし」

「村付きの攻撃術師? そんなのいるんですか?」

「さあ……私もちょっと聞いただけっす」

 

 治療に関わる癒術師や建築ができる付与術師なら分かるが、農作業を行う村に、攻撃術の需要があるのだろうか。賊相手の用心棒になるとしてもそうそう襲撃があるとは限らないし、魔術師を雇うくらいならその金で武装した方がいい。

 

 そう思っていると、当の村出身のイアンが手を打った。

 

「ああ、豊作祈願の雷魔法が使えるからですか」

「……俺は都市以外の場所に住んだことがないから知らないんだが、雷って豊作と関係があるのか?」

「ええ。昔から、雷を伴う雨の降った後は、土が肥えることは経験的に知られていますよ。理屈は分かりませんが、雨だけ、雷だけで特段土が豊かになることはないので、おそらく雷に含まれる何かが水を変質させている、という仮説はありますが……僕の村でも、雨が降った時には攻撃術師を呼んで、雷を空に向かって撃ってもらっていましたね。ですから、僕のような癒術師や雷魔法を使える攻撃術師は、村では引っ張りだこです」

 

 しっかり冒険者として稼いでから村に入り、雷魔法の使い手として崇められながら優雅な生活を送る──どうせ、ディーラはそんなことを考えていたのだろう。

 

 ディーラの寝顔を見て、唾を吐きかけようかと思ったそのときだった。

 

 寝相が悪いのか、壁に寄りかかっていたシュミットがディーラに寄りかかった。

 

 ドミノ倒しのようにディーラもバランスを崩し、手入れをしていたヴァネッサのピッキングツールの上に倒れこむ。

 

「痛ッ!」

 

 その瞬間、ディーラは叫んで目を開いた。上げた腕にはフックピックが刺さり、血が出ている。

 

「わわっ、ディーラさん、大丈夫ですか!」

 

 血を見て珍しく焦っているヴァネッサに、ディーラは怒鳴った。

 

「こんなところで道具を広げて、危ないじゃない!」

「も、申し訳ありませんー……」

 

 いきなり激痛で起こされたせいか、ディーラの機嫌はすこぶる悪い。ヴァネッサが刺すような視線から逃れるようにマフラーに顔をうずめると、ディーラは安穏と眠っているシュミットへ矛先を変えた。

 

「シュミット! 寝相が悪いんだから、近づくなってこの前言ったわよね! ねえ! 起きなさいったら──」

 

 そしてシュミットの肩を掴んで揺さぶろうとしたそのときだった。不意に、ディーラの言葉が途切れた。

 

 肩から手を離し、大事なものを守るかのように、胸を両手で抱きしめ、うずくまる。

 

「どうした、ディーラ……?」

 

 ようやく意識が覚醒してきたらしいシュミットが彼女の様子に気づき、そして叫んだ。

 

「例の発作だ。ヴァネッサ、薬を!」

「りょ、了解っす!」

 

 ヴァネッサはディーラの背嚢を漁り、水袋と例の薬瓶を取り出し、ディーラのもとへと持っていく。

 

「やっと持って来たわね」

 

 毒づくと、ディーラは瓶から一錠の薬を取り出して口に放り込み、水で流し込む。

 

(……飲んだ!)

 

 サハノスは口元を押さえ、思わず形作ってしまった笑みを隠す。

 

 もちろん今飲んだ薬が「当たり」であるかどうかは分からない。むしろ一錠しか忍ばせていないのだから外れる可能性の方が高いのだが、それでも手ごたえは感じた。

 

 このまま試行回数を稼げば証拠を残さずディーラを殺害することができる、という手ごたえを。

 

 サハノスがほくそ笑んでいるのもつゆ知らず、ディーラは身体をその場に横たえた。薬が効いてくるまでは安静にしておく必要があるからだ。

 

「ひとまず、これで安心だな」

 

 シュミットは薬が間に合ったことにほっとしたようで、額の汗を拭った。それから彼女の右腕に突き刺したような傷があることに気づき、眉をひそめる。

 

「……ところで、ディーラの腕から血が出ているのはなんでだ?」

 

 シュミットのせいでディーラが自分のピッキングツールの上に倒れこむ事故が起きたことをヴァネッサが伝えると、彼はばつの悪そうな顔をした。

 

「それは悪いことをした。イアン、ついでに傷を癒しておいてくれ」

「分かりました」

 

 つい先ほどヴァネッサに嫌味を言われたためか、イアンは素直にうなずき、ディーラの腕の怪我の治療にあたった。

 

 簡単すぎてつまらない、などと言っていた割には治療の手際は遅く、傷口が暖かい光に包まれ、修復されるまでに少し時間がかかった。

 

 イアンは回復魔法は得意ではないから、見栄を張ってそんなことを言っていたのだろう。意外とプライドの高いところがあるらしい。

 

 そう思っていると、隣でディーラの治療を眺めていたヴァネッサが、シュミットの肩を叩いた。

 

「あのー……私の商売道具を駄目にした件についても補償してくれるっすよねー」

 

 ディーラの下敷きになった道具もただでは済まなかったらしく、無惨にひん曲がったり赤黒い血がこびりついたピッキングツールを見て、シュミットはため息をついた。

 

「ああ……それも俺の財布から払うよ。何ダリルだ?」

「3万ダリルくらいっすね」

「3万! この金属の棒っ切れが?」

「このツールセットはオーダーメイドしていますからねー。あと劣化しないように薬剤を表面に塗ってもらっていたんで、それくらいは余裕でいきます」

「ったく、今回の休憩は、娼婦のねーちゃんと寝るより高くついたな」

 

 シュミットは前髪をわしわしとかき上げ、ため息をつく。そのとき、イアンが緊張した面持ちで振り返った。

 

「おいおいどうした。お前もなんか言いたいことがあるのか?」

 

 怠そうに訊くシュミットに首を振り、イアンは慎重に訊いた。

 

「……ディーラさんの薬って、今服用したもので合っていますか?」

「ああ。いつも買っている薬だし、俺も今朝たまたま居合わせてそれを買うところを見ていたから間違いないと思うが」

「効いていません」

「はあ? 聞いてない? 今、お前が質問したんだろ」

「薬が効いていない、と言っているんです!」

 

 見ると、ディーラの顔は吹き出した冷や汗でびっしょりと濡れていた。身体が弓なりにのけぞり、胸をかきむしる。

 

「えっ、えっ、えっ?」

「何が起きてる!」

 

 ヴァネッサは狼狽え、シュミットは吠える。唯一、何が起きたかを理解しているサハノスは固唾を呑んでその様子に見入りながら、胸の内で歓喜した。

 

 ディーラは、サハノスの忍ばせた鎮心剤を飲んだのだ。

 まさか薬を交換した数十分後、しかも何錠もある薬の中からいきなり一度目で当たりを引くとは思わなかったが……日頃の行いというものかもしれない。

 

(神様も、存外悪事を見ているじゃないか)

 

 気づくと、ディーラは顎を突き出しあえぐような呼吸を始めた。それを見たイアンは、目をみはる。

 

「この呼吸は……まずい。危険です」

「じゃあもっと薬を飲ませろよ!」

 

 シュミットの言葉に、サハノスはひやりとした。瓶に残っている薬は、全て強心剤だ。もし追加で薬を飲んだら、ディーラは息を吹き返すかもしれない。

 

 過剰投与で死ぬかもしれないからやめておけ、とこういった場合に備えて用意していた台詞を口にしようとすると、イアンが先んじてシュミットを制した。

 

「駄目です。すでに規定の量を服用しているのであれば、飲ませすぎて殺してしまうかもしれない。そうなると飲ませた者が殺したことになってしまう」

「じゃあどうしろって言うんだ」

「見守るしかありません。薬が効くのを祈りながら……」

 

 だがイアンの祈りもむなしく、ディーラはついに呼吸を止め、動かなくなった。

脈をとると、イアンは静かに首を横に振った。

 

「駄目です。今、亡くなりました」

「クソッ!」

 

 シュミットは、つまさきの傍にあった小石を蹴り飛ばした。転がった小石は扉に当たって鈍い音を立てる。

 

「薬が効かなかったってことか……薬屋のオヤジめ、効かない薬を売りつけやがって」

 

 気炎を上げるシュミットを見て、サハノスはありもしない罪を被せられた薬屋の店主に対して申し訳なく思った。

 

「それにしてもー……これからの探索をどうします? ディーラさんが死んだら、ワーアメーバへの決定打を与えられる人間がいなくなってしまいます」

 

 シュミットの剣やイアンの戦槌(メイス)、ヴァネッサの(クロスボウ)では不定形生物であるワーアメーバを倒すことは難しい。ワーアメーバに遭遇したら逃げると割り切るのであれば問題は無いが、いざというときに雷撃が使用できないのは痛い。

 

 ここが進退の決め所。三人の視線を浴びながら、シュミットはおもむろに口を開いた。

 

「……正直、せっかく3階まで来ているんだから、もう少し探索を続けたい。だが、ディーラの死体を運ぶとなるとサハノスの負担が大きくなるな……まさかここに置いていくわけにもいかないし」

 

 サハノスとしてはそうしてくれてもよかったが、シュミットの立場的にそうはできないというのが実情だろう。

 

 死んだメンバーを見捨てれば他の仲間から非難されるし、そんな悪い噂はあっという間に他の冒険者にも伝わる。だからパーティで死んだ仲間を打ち捨てていくというのは、リーダーの行動としては基本的にはありえないのだ。

 

「……じゃあ、俺だけディーラの死体をもって迷宮を出ると言うのはどうだ? ヴァネッサの地図を複写すれば帰り道には迷わないし、結界魔法を使える俺なら、道中で出てきたワーアメーバからも身を守れる」

 

 もしこの案が通れば、パーティから離れて単独行動するためやや危険ではあるもののディーラの死体をさっさと始末することができる。

 

 死体を埋めてしまったらシュミットにはワーアメーバに死体をとられたと言い訳をするか、何も言わず高跳びすればいい。

 

 少なくともサハノスにディーラを殺す動機があることを知らず、またディーラの死も持病によるものであると思っているシュミットが、サハノスに殺人の疑いをかけてくることはあるまい。

 

 そう思っていたが、シュミットは難色を示した。

 

「……うーむ、サハノスの案もアリなんだが、そうなるとこっち──探索を続ける組が不安なんだよな」

「矛の役目のディーラさん、盾の役目のサハノスさんがいないと流石に厳しいっすね」

 

 ヴァネッサも同じ考えらしく、腕組みをしてうなずく。

 

「じゃあ今の話は忘れてくれ」

 

 まあサハノスも通すことができればいい、という程度で提案したことなので、ごねることはしない。次にディーラの息の根を止める機会を窺えばいい──

 

 そう思ったとき、ぎい、と音がして三階に通じる扉が開いた。

 

「誰だ!」

 

 シュミットが叫び、パーティの全員が緊張した面持ちで扉のほうを見る。

 

 扉の向こうから現れたのは、二人の冒険者だった。一人は、鎧を着た長身の騎士。もう一人は、雪のニンフを思わせる魔術師の女で、後ろでは二つの麻袋が浮いている。

 

「私はグレシア。死体回収人だ。隣にいるのは、護衛のアウグスト君。お取込み中、申し訳ないが……ここを通してくれないかな」

 

 

 

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