2人の名を聞いたシュミットは目を丸くしたが、一応名前を教えてもらった以上こちらも何者かを伝えなくてはと思ったのか、自分を含めてメンバーを紹介する。
「俺はシュミット。こっちの癒術師がイアン、技師がヴァネッサ、付与術師がサハノスだ」
やってきた二人の冒険者の名前を、サハノスは知っていた。というよりも、ハレーザー市で二人の名前を知らない冒険者はあまりいないだろう。
グレシア・ノードレットは金等級付与術師で、圧倒的な知識量と探索経験をもつハレーザー市随一の死体回収人。雪原の民なので好かれてはいないが、確実な死体回収を望むならノードレットに依頼する、というのが冒険者たちの基本認識だ。
アウグスト・アーベラインは紫等級の騎士。等級上はシュミットと同格の中堅冒険者だが、クーレホルン討伐、カティアを破って戦闘競技大会優勝など、やっていることは金等級と遜色ない。
(しかし……よりによって、何で今なんだ)
ハレーザー市最高の死体回収人と、ハレーザー市最強の戦士。
迷宮で全滅しかけているときに会えたのであれば、この二人ほど心強い者はいないだろう。だがディーラを殺害してしまったこの状況で会うのは最悪だ。
グレシアはギルド長からベルナール事件を任せられるほどの調査能力の持ち主。ディーラの死体を見て不審な点を発見し、サハノスの思いもよらないところから犯行を明らかにしてくる可能性がある。
そして犯行が露見したら、どうあがいてもアウグストに制圧される。シュミットやヴァネッサの追撃であれば結界魔法で防ぐ自信はあるが、この戦いの神に魂を売っていそうなバケモノだけはいかんともしがたい。
(というかなんでこいつは死体拾いの手伝いなんてしているんだ。闘技場へ行け!)
サハノスが内心でぼやいていると、シュミットは名案が浮かんだとでもいいたげに顔をほころばせ、手を叩いた。
「ちょうどいい。仕事を頼みたいんだが……ディーラの死体を持っていってくれないか?」
「死体?」
グレシアはディーラの死体を見て、片眉を上げた。
「心臓に持病があったんだ。薬も持ち歩いていたんだが効かなかったみたいでね。死体を持って帰ってくれたらありがたいんだが」
「薬が効かなかった、か……ちょっと見せてもらっていいかな」
興味をもったらしく、グレシアは前に進み出てきた。ディーラの死体の前に膝立ちでかがみこむと、まぶたをこじ開けて瞳孔を見る。
頼むから余計なことに気づかないでくれよ、と祈りながら見守っていると、彼女は死体の観察を続けながらシュミットに尋ねた。
「ディーラ……彼女はギルド保険に入っている?」
「ああ、俺のパーティは、加入するときに全員ギルド保険に入っていることを確認するよ。それで確か、契約者の死亡時、他に仲間がいる場合でも、死亡したメンバーだけ街に送る特約があったはずだ」
「ああ、単独死亡特約か」
パーティ内で死亡者が出た場合、同じパーティメンバーが責任をもって死体を街に持って帰るのが原則だ。
しかし今回のようにまだパーティに探索を続ける意思がある場合は、居合わせた他のパーティに持ち帰りを依頼することができ、死体の持ち帰りを代行したパーティはギルド保険から報酬を受け取ることができる──これが、単独死亡特約である。
「もう死体を拾って帰るところなんだろう? 断る理由なんてないと思うが」
シュミットの言葉を聞いたグレシアは「重要なのは」と話を始めた。
「本当にディーラが持病で死んだかどうか、だ」
サハノスの握った拳の内側が汗で湿った。グレシアは、ディーラの死が他殺であることを見抜いたのだろうか。
だが続く言葉は、サハノスが危惧していたものとは違った。
「……というのも、約款の第二条の四を読めば分かると思うけれど、持病での死亡に該当する場合は、回収料金に保険が下りないからだ」
「はあ? なぜだ」
「あくまでギルドが補償するのは罠に引っかかって死んだとか怪物に襲われたとか、冒険による生命の損失であって、持病による死は含まれない。……まあ細かい理屈はさておき、持病で死んだのであれば、私は君たちに直接回収代を請求する必要があるわけだ」
「なるほどな……」
あてが外れたシュミットは、腕を組んで考え始める。そのとき、グレシアの後ろで作業を眺めていたアウグストがサハノスに話しかけてきた。
「一応、ディーラさんがどういう状況で死んだか、教えてくれますか? ひょっとすると、持病じゃなくて食中毒かもしれませんし」
サハノスは、アウグストをじっと見た。それなりに整ってはいるが、どこか天然じみた雰囲気の漂う顔。こう見えてアウグストも観察眼が鋭いのだろうか。
「どうかしました? 顔になんかついています?」
そう言って、アウグストは頬を右手で拭う。サハノスに話しかけたのはたまたまらしい。内心で安堵の息をつきながら、サハノスは笑みを作る。
「……いや、アウグストといえば有名人だからな。なかなか強そうだ」
「えっ、そうですか。いやあ、それほどでも……」
褒めてみると、アウグストは嬉しそうに笑って頭をかいた。やはりこいつは強いだけのただの馬鹿だ。
バレる心配はない、堂々と話せ。サハノスは自分に言い聞かせた。こんなときのために物証の残らない殺害方法を考えたのだ。
サハノスはここで野営を始めてからディーラが死に、グレシアたちが来るまでにあったことを全て語った。もちろん殺人に関わる内容を除いて、だが。
「ふむ……聞いたかぎりだと、確かに心臓発作を起こしてそれが死因になったみたいだね。死体の状況と矛盾するところはない」
話の途中で検死を終えていたらしく、グレシアはそうコメントした。
「となるとー、持病ってことで保険はきかないから、ディーラさんを運ぶのであればシュミットさんの負担に……」
「待て、ヴァネッサ」
シュミットは言葉を割り込ませ、ディーラの死体の傍に置いてある薬瓶を指した。
「持病だったとしても、薬は用意していた。それが効かなかったのであれば、薬屋が悪いということにならないか?」
シュミットはどうにかしてタダでグレシアに死体を運んでほしいらしい。グレシアは面倒そうな顔をしながら、薬瓶を拾う。
「仮にそれが本当だったとしても、君に払ってもらうことは変わりないけど……ああ、この薬は私も知ってる。ジギタリスとエルベルチンの配合薬だね」
あっという間に薬の詳細を把握すると、グレシアは革袋を出して、シュミットに聞く。
「この薬瓶の中身が薬効のある強心剤であれば、全て綺麗に水に溶けるはずだ。古くなっていたり、他の薬であれば溶け残りが出ると思う。試してみていいかい」
「……ああ、やってみてくれ」
許可を得ると、皆の見守る中、グレシアは硝子瓶の中に水を注入する。
その結果──中に入っていた薬は、溶けてなくなった。ただ一錠を残して。
「おや」
退屈そうにしていたグレシアの瞳に、興味の色が揺らめいた。
「一錠だけ、溶けていないね。これだけ、強心剤ではない」
「……何だと!」
シュミットは、驚きと嬉しさがないまぜになった声を上げる。だが、それは不溶性の錠剤──鎮心剤を入れた張本人であるサハノスも同じだった。
(なぜ、鎮心剤が残っている?)
ディーラは、サハノスの入れ替えた錠剤を服用して死んだ。残る薬は全て強心剤なので、グレシアの手元に残るはずがないのだ。
そこまで考え、サハノスは気づいた。ディーラを殺したのは自分ではない誰かだ。
ディーラが飲んだ薬はサハノスの入れ替えた鎮心剤ではなく、強心剤だった。しかし何者かが仕込んだ別の毒によって死んだ。だから飲まれなかった鎮心剤が残っている。
理解した瞬間、サハノスは怒りを覚えた。
誰がディーラを殺したのだろう。せっかく完璧な計画を立てていたのに獲物を横から搔っ攫われ、あげく消えるはずだった証拠が残ってしまっているのだから。
「誰かが、薬を入れ替えたということですね」
イアンはしゃがみこみ、水で満たされた薬瓶の中でたゆたう錠剤を摘まみだす。
「これは、鎮心剤です。動悸が激しい人に処方する薬ですが、ディーラさんのように心臓が衰弱している人にとってはむしろ猛毒です」
「ということは、ディーラの死は持病によるものではなく……誰かに殺された、と見るのが正しいだろうね」
グレシアの言葉に、一同は凍り付く。しかし隣のアウグストはこういったことには慣れっこのようで、冷静にグレシアに問う。
「薬屋の店主が、薬を詰めるときに間違えたということはないでしょうか。見た目では分かりませんし……」
「まず無いね。この薬を売っている店の店主は知っている。特に見た目が近い強心剤と鎮心剤は瓶に詰めるときに細心の注意を払うだろうし、イアンみたいに見分けることもできる」
「なるほど」
一口に毒と言っても、蛇毒や蛸毒、花毒など種類が違えば分解する方法が変わる。だから服毒者への触診や観察によって毒の種類を分析し、解毒するというステップを踏む。
ゆえに癒術師を毒殺することは難しく、毒の分析に優れた者はその能力を買われて王や貴族のお抱え毒見役になることもある。
「となると怪しいのは、シュミットさんっすね。たまたまディーラさんが薬を買うところに居合わせたんすよね?」
「待て待て待て。なぜそうなる」
「だってー、新品を買うところに居合わせたって、言ってたじゃないっすか。ちょうど同じ薬屋で鎮心剤も買えるでしょうし、入れ替えの機会もありますよね?」
確かに客観的に見れば、サハノスよりもシュミットの方が怪しい。しかしシュミットは首を横に振った。
「仮に俺が犯人だとするなら、グレシアに薬を調べろなんて言うか? 現にこうして怪しまれるような証拠が出てるだろう」
そう言われ、ヴァネッサは言葉に詰まる。黙って話を聞いていたグレシアも、くるくると髪を人差し指に撒きつけながらうなずいた。
「確かに、シュミットが犯人だと仮定すると、行動がおかしい。せっかく鎮心剤で病死に見えるような殺し方をしたのに、わざわざ薬瓶を調べさせて犯行を露見させようとしたことになるからね。……それに他にも、犯人の行動に関する疑問はある」
「疑問って?」
アウグストの問いに、グレシアは持っている薬瓶を振って答える。
「錠剤の数だよ。普通、薬とそれに似た毒薬を入れ替えるなら、やり方は二択だ。全部を入れ替える、もしくは一錠だけ入れ替える」
ディーラ殺害計画を知らないにもかかわらず、グレシアの説明は計画を立てたサハノスの思考をなぞっていく。
やはり警戒すべきはグレシアだ。サハノスが歯噛みしているのをよそに、グレシアは説明を続ける。
「全替えは標的が飲んだ瞬間に確実に殺せる。一錠の入れ替えはいつ標的が死ぬか分からない代わりに、薬瓶の中に証拠が残らない。ただ今回のケース……シュミットが毒薬を入れたせいでディーラが死んだと仮定すると、
ディーラが服用した一錠と瓶に残っている一錠、合わせて二錠の毒薬を入れたことになる。これではいつ標的が死ぬか分からないうえに証拠が残ってしまう。中途半端な数を入れ替えるのが一番駄目なんだ」
その言葉を聞いた瞬間、サハノスは閃いた。シュミットは、サハノスと同じことをしたのではないか。
ディーラの買い物に居合わせたときかどうかは分からないが、薬屋でサハノスと同じように強心剤と鎮心剤を見つけ、ディーラの瓶に一錠だけ薬を入れることを思いつく。
それから折を見て薬を入れ替えたが、さらにサハノスが追加で薬を交換してしまい、薬瓶の中にある毒薬は二錠になってしまった。
おそらくシュミットが薬瓶を調べてみろと言ったのは、薬瓶に毒薬が残っているはずがないと思っていたからだろう。
二人の人間が同じ殺害手段を取ったために殺人が露見した──当然これは、入れ替えたサハノスとシュミットしか分からないことだ。
向こうは犯人が誰かは分からないはずだが……シュミットの様子を窺おうとしたそのとき、シュミットと目が合った。
こちらを見る彼の眼は、驚愕に見開かれていた。
まずい、向こうも気づいていたのか──そう思った瞬間、シュミットは叫んだ。
「サハノス、上だ!」
「上?」
顔を上げた瞬間、サハノスの顔にねっとりとした泥のようなものが落ちてきた。目をつむり、引きはがそうとするがとらえどころがなくかなわない。
「ワーアメーバです!」
イアンの叫びで、サハノスは理解した。どうやら二階に繋がる階段から落ちてきたワーアメーバを頭からかぶってしまったらしい。
(くそっ、最悪だ)
ワーアメーバの基本的な攻撃方法は、人間の口や鼻を覆って窒息させるというものだ。一度張り付いたら炎で炙るか、内臓部分を探り当てて切って殺すしかない。
「ふーむ……サハノスさん、動かないでくださいね」
アウグストの声が聞こえた瞬間、耳元で幾筋もの突風が吹いたような感触がした。すると蠢いていたワーアメーバはずるりとサハノスの頭から落下し、地面にわだかまる。
せき込んで鼻や喉に入りかけていた粘液を吐き出しながら、アウグストを見上げる。
「大丈夫ですか」
「ああ、何とかな。……どうやってワーアメーバを殺した?」
「どうって、手ごたえがあるまで切ったんですよ」
アウグストは何を当たり前のことを、というように不思議に聞き返すが、あの少しの時間で、サハノスを傷つけずにワーアメーバだけを斬るというのは容易なことではあるまい。
先ほどまではこの目で技量を見ていなかったからまだ平静でいられたが、犯行がバレてあのワーアメーバと同じ運命を自分が辿るかもしないと思うと、悪寒がした。
と、そのときサハノスの鼻からつっと血が垂れた。ワーアメーバの粘液が触れた喉と鼻の内側に焼けついたような痛みが走る。
「……毒か」
口の粘膜も出血を始めたのか、鉄の味が口内に広がり、唇から血が伝う。鼻と口を押さえていると、慌ててイアンが駆け寄ってきた。
「毒の浸透部からの出血……ワーアメーバ毒症ですね」
「診るまでもないだろ。解毒頼む」
「ええ、早急に」
イアンは、サハノスの顔の前に手をかざした。手のひらから溢れた光がみるみるうちに顔の痛みを取り去っていく。彼が得意とする魔法だけあって、並の癒術師よりも効果が出るのが早い。こういうときには頼りになる。
そう思っていた矢先だった。
「……あれ、サハノスさん。何か落としましたよ」
イアンは、白い錠剤をつまみあげていた。
はっとしてポケットを探ると、人差し指の先が小さい穴に埋まる。どうやらポケットの底に開いていた穴から、交換した薬を落としてしまったらしい。
薬の交換が判明したときに落としてしまうとは、間が悪すぎる。
自分用だと言っても一錠しかもっていないと説得力はない。落ちていたのを拾ったと言っても、この状況では信じる者はいないだろう。
己の迂闊さを呪っていると、イアンは驚きに目をみはり、サハノスを見上げる。
「この錠剤は……! まさかサハノスさんが」
「そうか、あいつがディーラをやったんだ!」
食い気味にシュミットが叫び、サハノスを指さす。そして、反論させる時間も与えず、まくし立ててくる。
「分かったぞ。俺たちが罠のほうを見ている間に、薬を交換したんだろう! 今日、ディーラが薬を買ってからこの迷宮に来て死ぬまで俺は一緒にいたが、あのとき以外に薬を入れ替えられる人間はいなかった!」
その言葉でサハノスも、もう一人の犯人がシュミットであることの確信をもった。彼の言葉が本当であれば、サハノスの入れていない一錠を入れたのはシュミット以外にはありえないからだ。
(くそ、調子に乗りやがって)
だがそれは薬を混ぜた当人同士しか知りえないことであり、目に見える証拠を晒してしまったサハノスが圧倒的に不利である。
サハノスはシュミットを睨みながら、ため息をつく。
「イアン。サハノスが落としたその錠剤、貸してくれる?」
グレシアはイアンから錠剤を受け取ると、じっと見つめた。そしてサハノスに尋ねる。
「これは、ディーラの薬瓶から入れ替えたものということで間違いないかな」
確認のていをとっているが、グレシアの口調には確信がある。
サハノスも、事ここに至っては粘ってもどうしようもない、と思った。ここで無実だと主張しても、グレシアがハレーザー市の衛兵に通報して裏を取られればディーラへの怨恨や薬屋にいたことは明らかになる。
それならば全てを白状し、まだ望みのある方法をとるしかない──
「そうだ。ディーラの薬瓶の薬を鎮心剤と入れ替えたのは、俺だ」
サハノスの告白に、グレシアを除いた全員が息を呑んだ。
「なぜそんなことを?」
「ディーラは詐欺師だった。俺の姉と義兄から金を騙し取って、自殺に追い込んだ。だからまあ、復讐ってやつだ」
イアンの問いに答えながら、我ながら陳腐な動機だと思った。だが、陳腐と思えるほど過去に繰り返されてきたことこそ、恩ある者や愛する者の仇を討ちたいという怨みの感情が強いことの証明だろう。
「だから殺した、ということっすか」
ヴァネッサは一足飛びに結論に飛びつく。サハノスは首を横に振ると、薄く笑った。
「それは違うな。確かに俺は薬を入れ替えたんだが……正直、自分がこの手で殺したかどうかは分からないんだ」
「どういうことっすか?」
「俺が入れた薬は一錠だけだった」
その瞬間、シュミットの顔色がどす黒く変わった。
「……なぜ錠剤が二つ入っていたのかという、グレシアの疑問への答えは単純だ。俺と同じことを考えて、薬を入れた人間が二人いたから。だよな、シュミット」
「何の話だ」
「もう一錠の鎮心剤を入れられたのは、お前しかいないということだ。お前自身、薬を混ぜるチャンスがあったのは俺しかいないと証言していただろう。ヴァネッサでもイアンでも機会がないなら、その証言をしたシュミット自身ということになる」
話を聞いていたシュミットは、なるほどと言って不敵に笑う。
「筋は通っているとでも思っているんだろうが、言いがかりだ」
やはりそう来たか、とサハノスは内心でため息をついた。いくら糾弾しても、決定的な証拠がこの場にないシュミットに薬の入れ替えを認めさせることはできない。
シュミットを追い詰めることが目的ではなく、薬を入れた者が二人いるということを全員に知ってもらう状況に持ち込みたいのだが、シュミットからすれば、そんなサハノスの事情は知ったことではないということなのだろう。
「だが、俺が単独で二錠入れたという話は、理屈に合わない」
「理屈に合わなくても、うっかり入れてしまったとか、手が滑ったとかいろいろあるだろう。なあグレシア。証拠がないよな」
話を振られたグレシアはじっと錠剤を見て考え込んでいたが、やがて思い出したかのように顔を上げる。
「……私は、その辺を深く追求するつもりはないよ。どちらにせよサハノスについては自白した以上通報する義務があるし、そのサハノスの発言上、衛兵はシュミットも調べる。本当に君が無実であれば、動機や錠剤を入手する経路は遅かれ早かれ分かる」
グレシアがそう言った瞬間、シュミットは忌々しげに唇を噛んだ。
分かりやすい奴だ。おそらく、シュミットは薬の入れ替えを疑われることはないとたかをくくって普通に鎮心剤を購入したのだろう。
サハノスは用心のため薬を盗み、心づけという形で代金を支払っていたが、まずそこでシュミットは足が付く。さらに動機が揃えば、シュミットも薬の入れ替えについてしらを切ることはできなくなる。
どうせなら早く言ってしまったほうが心証がいいと判断したのだろう、シュミットは肩から力を抜いて白状した。
「あー分かった。そうだよ。俺も薬を入れ替えた。理由は……さっき、サハノスはディーラのことを詐欺師だって言ってたが、あいつは強請りもやっていた。俺は毎月きっちり五万ダリル、こいつに強請られてたんだ」
それにしても、ディーラは、サハノスが思っていたよりも手広く悪党をやっていたらしい。その分怨みも多く勝っていたのだろうが……。
「どんな弱みだったんですか?」
「馬鹿。教えるか」
アウグストに怒鳴り返すシュミットを尻目に、サハノスは「そういうわけで」とグレシアに話しかけた。
「薬と毒を入れ替えた人間は二人いた。その結果、どちらかが入れた毒を飲んでディーラは死んだ。この場合、罪に問われるのは俺とシュミット、どちらなんだろうな」
本題は、この難問──犯人自身すら犯人を知りえない犯人探し、である。
「サハノスさんとシュミットさんのどちらかが犯人で、どちらかは無実。でもその真実は、当の二人すら分からない……」
アウグストはつぶやき、まいった、とでも言うようにグレシアを見る。
「無理じゃないですか。というか、ハレーザーの法的にはどうなるんです」
「さあ。たぶんこういうケースは前例がないし、私は裁判官じゃないからね。ひとまずどちらも殺人未遂は適用されるだろうけど……」
そのとき、ヴァネッサはシュミットとサハノスが妙な気を起こすのではないかと思ったのか、用心深く距離を取りながらグレシアに言った。
「関係ないっすよー。たまたま犯行がかち合っただけなんだから、どっちが入れた薬で死んだのか特定できなくても、二人とも殺人犯でオッケーっす」
「それは乱暴だろう。未遂と実行じゃ全然違う」
「でもー、薬に名前でも書いていない以上、どうしようもないのでは……」
ヴァネッサがためらいがちにそう言ったとき、グレシアが錠剤に目を落とすと、にやりと笑った。
「いや、犯人を特定する方法はあるよ。幸運なことに、サハノスのもっていたこの錠剤を足掛かりにすれば、この錠剤を入れたのがどちらかはもう分かる」
「……何だって?」
サハノスは目を剥いた。薬瓶に残っていた錠剤に、何かサハノスかシュミットを示す証拠が残っていたのだろうか。
犯人は君だよ、と言われるのを覚悟して身を縮こまらせたが、グレシアが視線を向けたのは、サハノスやシュミットではなく──ヴァネッサだった。
「ヴァネッサ。君のピッキングツールを見せてくれ」
その瞬間、ヴァネッサの瞳に動揺の色が浮かんだ。が、すぐにいつもの気の抜けた笑みを浮かべる。
「なぜですかー? これから、犯人を教えてくれるって言ってたじゃないっすか」
「だから、そのために君のピッキングツールを見たいんだ」
「関係ないっすよー、だいたい、素人に道具を預けたりしたくないですしー」
「関係ないかどうかは、君の決めることじゃない」
グレシアが目くばせをすると、アウグストが前に出てきた。
「すみません、お見せしてもらってもよいでしょうか」
アウグストの口調は穏やかで、紳士的とすら言える。しかし着火を待つ大量の火薬のような、静かな迫力があった。
「わ、分かったっす……」
ヴァネッサはベルトからポーチを外し、グレシアに手渡す。グレシアは黒い手袋をつけると、テンションやフックピックを取り出す。
彼女が人差し指で側面をなぞると、てらてらと光る糊のようなものが薄く指先に付着した。
「何か薬品を塗布しているね。これは何だい?」
ヴァネッサはびくりと肩を震わせたが、やがて正直に答えた。
「原材料は、ワーアメーバの粘液っす」
「それは当然、毒だよね。なぜピッキングツールに塗る必要が?」
グレシアの問いに、ヴァネッサは言葉を選ぶそぶりを見せながら、慎重に答える。
「ワーアメーバの粘液は、金属の保護に使えるっす。東方の職人が木器に漆を塗るみたいに……嘘じゃないっすよ。工房の親方に聞いてもらえばわかります」
「少量でも、毒性は残るんだよね」
「一日くらいすれば消えますけどー、塗った直後はそうっす。だから私は手袋で触りますし、人には触らせません」
二人の問答を聞きながら、サハノスは怪訝に思う。
なぜグレシアはシュミットやサハノスではなく、ヴァネッサに対して質問を重ねているのだろう。薬にサハノスかシュミットがやったという証拠が残っていたのであればそれを指摘すればいいだけの話だ。
ピッキングツールにワーアメーバの粘液を使っているとは知らなかったが、今回の事件に関係しているとは、とても思えない──
そう考え、サハノスは気づいた。ディーラはシュミットのせいでピッキングツールに倒れこみ、腕に怪我をしていた。
ディーラを殺しえる毒は、二種類あった。
もしそこから毒が入っていたら? ディーラの死に関係していたら?グレシアが気にしているのはそこではないのか。
もしそうだとしたら、事態はより複雑になる。
「つまり、手入れをしている際中のピッキングツールが肌を破った場合、ワーアメーバの毒が体内に入る可能性は十分にある?」
「……その可能性は、あるっす」
ヴァネッサは正直に答える。グレシアの前で下手に嘘をつくと、その銀瞳に見透かされるのではないかと恐れているようだ。
「他に有毒な薬品を用いてはいないよね」
「それは、ないっす」
きっぱりとした答えを聞き、グレシアは満足げにうなずいた。
「ありがとう。これで犯人ははっきりした」
その言葉を聞いて、サハノスは驚いた。
「分かったのか、犯人が。俺かシュミットかという問題だけでなく、ヴァネッサのピッキングツールの問題まで出てきていただろう」
「問題? いやいや、どれもただの確認作業さ」
そう言うと、彼女はつま先を立てて背伸びをすると、アウグストの耳元で何事か囁く。
きっと、そこで断罪されるべき人間の名が伝えられたのだろう。アウグストは深くうなずき、サハノスのほうを見て、すらりと剣を引き抜く。
「何だ」
やはり俺という結論か、と身構えたその瞬間、アウグストは首を横に振った。
「サハノスさん、そこから離れてください。犯人は、あなたじゃない」
「シュミットか?」
「シュミットさんでも、ヴァネッサさんでもありません」
アウグストが剣を向けたのは、サハノスの後ろでじっと状況を見守っていた癒術師──イアン・バルケットだった。