【書籍化】迷宮で、死体を拾う   作:龍 圭介

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20二種の毒薬➂

 

 

 

「僕が犯人、ですか?」

 

 イアンは碧眼を見開き、心底驚いた、というような表情を浮かべた。

 

 それもそうだろう。今までの話で、イアンに疑いを向けるような材料は一切出てきていなかった。むしろ真っ先に容疑者から排除すべき人物のはず。

 

「そうですね、俺もひとまずイアンさんを警戒しろと言われているのでそうしていますが、なぜなんですか?」

 

 アウグストの言葉を聞いて、サハノスは少し脱力した。グレシアからイアンが犯人である根拠も聞かず剣を向けているとは。よほどの考えなしか、グレシアを信頼しているのか。

 

「では、初めから説明しよう。実はこの話は、すごく単純なんだ。いくつかの要素が絡まって複雑に見えるだけ」

 

 アウグストを除いた皆から疑念の眼差しを向けられながら、グレシアはそう言った。

 

「1つ目の論点は、シュミットとサハノスによる薬の入れ替えだ。ディーラを殺そうともくろんだ二人は、奇しくも同じ方法を選んだ。まあ、ディーラが人から恨まれるようなことを平気でやる性格っていうのと、心臓病という分かりやすい弱点があったから、手段がかぶったのかもしれないけど」

 

 身から出たさびだ、とサハノスは思った。思えばシュミットとは罪の擦り付け合いで敵対していたものの、ディーラを殺そうとするほど憎んでいたとなれば、同じ目的をもつ仲間と言えるかもしれない。

 

「ここで問題になっていたのが、ディーラが飲んだ薬がどちらの入れた物かが分からないということ。確かにこれは神様でもないと分からない話だけど、今回に限っては、奇跡が起きたおかげで、唯一分かるケースになっていた」

「……どういう場合なら、薬の判別がつくって言うんだ?」

 

 シュミットが問うと、グレシアは黙って右手に革袋をもち、口を縛っていた紐を解いた。そして錠剤をポケットから取り出し、皆に見えるようにつまんで見せる。

 

「これはサハノスのもっていた錠剤。これに水をかけてみよう」

 

 グレシアが革袋の口を傾けると、流れ落ちた水が錠剤を飲み込む。だが、錠剤は溶けて流れ去ることなく、グレシアの指先で形を保っていた。

 

 強心剤であれば水に溶ける。その意味を悟ったサハノスは、驚愕に目をみはった。

 

「まさか……!」

「そう、サハノスのポケットに入っていたのは、鎮心剤だ」

 

 つまりサハノスは、シュミットが入れた毒薬と自分の用意していた毒薬を交換していたのだ。

 

 この場合に限り、2錠の毒薬のうち薬瓶の中に残っていた錠剤はサハノスが入れたもの、そしてサハノスが持っていたほうはシュミットの入れたものだと分かる。

 

「待て……じゃあ、ディーラは俺とサハノスの盛った毒を飲んでいないってことだよな。なぜ死んだ?」

 

 あまりに予想外の展開に、シュミットは狼狽していた。グレシアは微笑み、話を続ける。

 

「そこだよ。さっき、うっかり水に濡れた手で触ってみてこの入れ替えに気づいてから、私も他にディーラを殺した方法があると思った。ここで論点その2」

 

 言葉を切ると、グレシアはヴァネッサのほうを見た。

 

「サハノスから経緯を聞いて次に考えたのは、ヴァネッサのピッキングツールに何らかの毒物が付与されていた可能性。聞いてみたら、実際にワーアメーバの毒が使用されていることが分かった」

「では、ワーアメーバの毒で死んだのでしょう。ピッキングツールでディーラさんが怪我をした際、塗ってあった毒が傷から入った……もっともあれは誰も意図していなかったので、単なる事故となりますが」

 

 イアンの言葉を、グレシアは鼻で笑う。

 

「解毒魔法の使い手がつく嘘としては、下の下だね」

「何ですって?」

「……サハノスがワーアメーバに襲われたときの症状は、私も覚えている。粘液に触れたところから出血を起こしていた……だけど、ディーラの死に様はどうだった?」

 

 サハノスは我が身に起きた症状と、ディーラが死んだときの様子を比べてみた。

 

 ディーラの死は確かに苦しそうではあったが、出血は伴わなかった。あくまで心臓の衰弱で苦しみ死んでいた。

 

「では、ヴァネッサの説明が嘘──」

「嘘じゃないよ。私も知識としてワーアメーバの粘液が金属に塗布されることは知っている。ヴァネッサが別の毒を塗っているという可能性も考えて、実際に手袋を脱いで触れてみたんだけど……その結果、確かにワーアメーバ毒の症状があった」

 

 イアンの言葉を遮り、グレシアはぱっと左手をかざした。その中指の先から、わずかに血が滲んでいる。

 

 それに慌てたのは、イアンではなくアウグストだった。

 

「グレシアさん、なんてことしてるんですか。毒に触るなんて」

「少量だから死なないし、後で回復魔法で治す。だいたい、君が言えたクチか」

「……俺はいいんですよ、俺は」

 

 アウグストはそう言って目をそらす。グレシアはこほんと咳ばらいをした。

 

「とにかく、ヴァネッサのピッキングツールも死に方が違うから死因でないことが分かった。であれば、消去法でディーラの死に関われた人物は、彼女の容態を見ていた人物──イアンに決まる」

 

 確かに、理屈の上ではそうかもしれない。サハノス、シュミットによる毒殺計画、ヴァネッサの道具による事故の可能性を排除すれば、残るのは彼だけ。

 

 だが、謎はまだ残っている。

 

「……2つ、グレシアさんの話には欠点がありますね」

 

 アウグストに剣を向けられているためか、油断なくメイスを構えながらもイアンは落ち着いて返答する。

 

「まず、僕がディーラさんの様子を診始めたのは、彼女の発作が始まってからです。それまでは手も触れていませんよ。それに駆け寄ったときも、サハノスさんたちみたいに毒を盛る時間も隙も無かった……殺す手段が無いんです」

「では君は、ディーラの死因は何だと思うんだ?」

「当然、当初の見立て通り、病死ですよ」

 

 病死ねえ、とつぶやき、グレシアは笑った。

 

「確かに死因については、私も同意見だ。病死だろう」

「じゃあ……」

「だが、これは人為的な病死だ」

 

 己の意見が通ったと思ったイアンの油断をたしなめるように、グレシアは言う。

 

「言ってしまえば単純な話さ、イアン。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そうか、とサハノスは気づいた。

 

 元々自分が毒として用いた鎮心剤は、それを必要とする患者にとっては薬である。

 

 それは強心剤も同様だ。効果の善悪で毒か薬かを分けているだけで、人体に何らかの効果を及ぼすと言う点では同じ。見方を変えれば、あの薬瓶の中には強心剤と鎮心剤、二種の毒薬が入っていたということができるだろう。

 

 ゆえに、解毒魔法で薬の効果を打ち消すことも可能なのだ。

 

「ディーラの発作自体は、持病によるものだった。彼女はサハノスの入れた毒を引き当てることなく強心剤を飲み、そのまま問題が無ければ回復していた。だけど、傷の治療にかこつけて、イアンが薬を無効化した。まあ、傷が無くても何だかんだ理由をつけて看護に回る予定だったのかもしれないけど」

 

 そういえば、とサハノスはイアンの回復魔法がやけに遅かったのを思い出した。

 

 回復系の魔法は手から暖かい光が溢れるため魔法を使っていることは分かるが、何の魔法を使っているかまでは傍から見ていても分からない。

 

 サハノスは回復魔法が下手なのだと思ったが、あれは傷の治療に加え、薬の解毒を行った分、余計に時間がかかっていたのだ。

 

「シュミットが提案した薬の追加投与に反対した理由も、過剰投与を避けるという一見合理的な判断に見えるけど……実際は、追加投与したらディーラが息を吹き返すことを知っていたからじゃないかな」

 

 ついにイアンは沈黙した。そこへ止めを刺すように、グレシアは最後の一言を見舞う。

 

「ディーラの命を救うはずだった薬を無効化することで、彼女を病死させる──それができるのは、君しかいない」

 

 全員の視線が、イアン──真犯人に注がれる。彼は無表情を保っていたが──やがて、肩をすくめた。

 

「大したものですね。全く、その通りですよ」

 

 彼は犯行を認めると、白い歯を見せて笑う。

 

「……やけにあっさりと認めるんだね」

「方法的に証拠が残らないとはいえ、あなたの論理をひっくり返す方法が思いつきませんからね。完敗ですよ」

 

 あまりにも潔く殺人者であることを告白するため、一種の爽やかささえある。サハノスはおそるおそる、彼に話しかけた。

 

「お前は、なぜディーラを殺したんだ?」

 

 おそらく、元々彼もディーラに何らかの恨みがあったのだ。そうでなければ、今回のように機会が訪れた瞬間に手際よく殺害するはずがない。

 

「僕ですか? 僕は──」

 

 彼が言いかけたその瞬間、絶叫があがった。

 

「なんで、シュミットさん……」

 

 いつの間にか剣を抜いていたシュミットが、ヴァネッサの胸を深々と貫いたのだ。彼が剣を引き抜くと、ヴァネッサは膝をつき、どうと倒れる。

 

 続けてグレシアに斬りかかったが、とっさに割り込んだアウグストに防がれ、払い飛ばされた。

 

「何のつもりですか!」

 

 突然の凶行に驚き、叫ぶアウグストに負けじとシュミットは声を張り上げる。

 

「サハノス、イアン。これで三対二だ!」

 

 訳も分からず殺されたヴァネッサから顔を上げたグレシアが、緊張した面持ちでシュミットを見る。

 

「そう来るか」

 

 遅まきながらサハノスも理解した。ヴァネッサが死ねば、この場にはディーラを殺そうとした者のほうが多くなる。図らずも目標が同じだった三人で協力してアウグストたちも殺し、事件を闇に葬ろうと言っているのだ。

 

(……だからって普通やるか)

 

 ディーラはともかく、何の落ち度もないヴァネッサまで殺すとは。それに、たとえ三人がかりだとしても、あのアウグストに勝てるかどうか。

 

(だが、ここで退いたら──)

 

 きっとサハノスは裁判にかけられ、ディーラは蘇生される。そして、収監されている間に逃げられれば、もう復讐すらかなわないかもしれない。

 

 自分は、どう動くべきなのか──

 

 ぎりと歯ぎしりをしたそのときだった。

 

「ここで迷っていては、駄目ですよ」

 

 イアンの手が、目の前に迫っていた。

 

「何だ──」

 

 次の瞬間、イアンの手袋から勢いよく噴き出した黄金の煙に包まれ、辺りが見えなくなる。同時に、暴れ狂う蜂の群れに顔を突っ込んでしまったような痛みが顔を襲った。

 

 たまらず顔を背けるが、神経系の毒が混ざっていたのか、すぐに身体の自由が利かなくなり、地面に倒れた。

 

「かはっ……」

 

 冷たい痺れは身体の内側へと侵入し、懸命に呼吸しようとするサハノスをあざ笑うように広がっていく。

 

 最後の喘鳴をあげたそのとき、涙に濡れたサハノスの顔に、メイスが振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何のつもりだ! サハノスは仲間になるかもしれなかったのに」

 

 迷宮に、シュミットの狼狽する声がこだました。

イアンは、足元に転がるサハノスの死体を見て、首をひねる。

 

「知りませんよ。僕はあなたたちとつるむつもりはありませんし」

「馬鹿か! 目的が一致している以上、俺たちはつるむしかないんだよ。二人でアウグストを殺せるか?」

 

 グレシアを守る俺。ヴァネッサを殺したシュミット。サハノスを殺したイアン。奇妙な三すくみが発生していた。

 

 確かに、ヴァネッサを殺した直後に三人で結託して襲いかかって来られたら負けないにせよ少し面倒だった。

 

 だからこそシュミットは、イアンが──しかも、殺人を実行した張本人が梯子を外すとは思わなかったのだろう。だがイアンは静かに首を横に振った。

 

「これまた2点、訂正すべき点がありますね。僕にとってディーラさんを殺すのは、目的ではなく手段にすぎません。ゆえにシュミットさんと目的は一致していません」

 

 瞬きをする間に、シュミットに肉薄していた。とても癒術師とは思えない、恐るべき身のこなし。シュミットは向かってくるイアンに慌てて剣を振り下ろす。

 

 それに合わせるようにイアンが振るったメイスと衝突すると、剣は跳ね上げられ、宙を泳いだ。

 

「なっ……!」

 

 驚くシュミットの前でイアンは口をわずかに開け、青く輝く煙を吐きかける。顔への直撃は避けたがどうやら皮膚からも浸透するタイプの毒らしく、シュミットは、煙の触れた喉をかきむしりながら倒れた。

 

「そしてもう1点。僕は1人でも、アウグストさんを含めて全員を殺す自信があります。サハノスさんを殺したのは、たまたま近くにいたから……おっと、もう聞こえていませんか」

 

 イアンはひとりごちると、残った俺とグレシアのほうへ振り向いた。

 

「全員を殺せるなら、なぜわざわざこんなトリックでディーラさんを殺したんですか?」

 

 剣を向けながらそう訊くと、イアンはとんと頭を人差し指でついた。

 

「最初はこんなに殺す予定はなかったからですね。ただ、ディーラさんだけはケミティウスの資料を解読し、詳細を知ってしまった。知識というものは、一度頭に入ったら命ごとでないと奪えませんからね……資料の詳細を知っているのは、僕だけでいい」

「資料?」

 

 そう言われ、俺はシュミットたちが「臭水」の精製法の書かれた巻物を得たという話を思い出した。

 

「……そんなことのために殺したんですか?」

 

 わざわざし尿に含まれる成分を精製する方法など、独占したいと思う理由が分からない。だが、グレシアは当然というようにうなずいた。

 

「臭水が大量に作れるのであれば雷魔法を利用した農法よりも効率的に作物を育てられるんだよ」

「価値があるんですか」

「大金になるね」

 

 グレシアの言葉を聞いたイアンは、深々とうなずいた。

 

「ときに知識は、どんな宝石よりも高い価値をもち、たくさんの人を殺すのですよ」

 

 言い終えるや否や、イアンは床を蹴り上げ、跳躍した。

 

(来る!)

 

 イアンのメイスと俺の長剣が激突し、火花が散った。

 

 互いに押し切ろうと力を込め、発生する一瞬の均衡。その刹那、イアンがわずかに口を開く。

 

(毒か)

 

 シュミットの死に様を思い出し、俺はありったけの力でイアンを吹き飛ばす。彼は身体を空中に泳がせながら、左手を俺に向けた。

 

 鋭い噴射音。黄金の毒煙が眼前に迫るが、グレシアの張った結界に阻まれ、霧散した。

 

(毒……消えるのが早いな)

 

 サハノスとシュミットを殺したときも毒煙はすぐに消えていた。即効性と毒性、浸透性が強く、すぐに消える毒。暗殺にはうってつけだ。

 

 もっとも、手袋に仕込まれている金色の毒と、歯か何かに仕込んでいるらしい青色の毒には若干の性能の違いがある。金色のほうは有効射程が長い代わりに毒性がやや弱い。青色のほうは鍔迫り合いするほどの近距離でないと当てられないが、喰らったら即死。

 

(とにかく、近づくのは危険だ)

 

 俺はヴァネッサの死体へ駆け寄ると、彼女の武器──連射式のクロスボウを拾った。膝立ちのままイアンに狙いを定め、引き金を引く。

 

 弦が唸りをあげ、射出された角矢は彼の心臓へと吸い込まれていく──が、命中する寸前でイアンの動かしたメイスに跳ね返された。

 

「僕の毒煙を見た人は、皆同じことを考えるんですよね……遠巻きに戦えばいいって」

 

 二発。三発。イアンは歩きながら、俺が放つ矢を的確に弾く。

 

 まぐれではなく、飛んでくる矢の軌道上にメイスを「置いている」守り方だ。これをやるには相当の先読みと目の良さが必要になる。

 

「無駄です。どれだけ撃っても、弾いて見せますよ」

「その割には、慎重に歩いてくるんですね」

 

 一気に距離を詰めてこないのは、こちらの視線と射線を読むのに集中する必要があるからだろう。とはいえ、飛び道具が決定打にならない以上、いずれは接近戦に持ち込まれてしまう。

 

 あの厄介な毒煙さえなければ、俺の間合いなのだが──そう考え、ふと疑問に思った。

 

(それにしても、なんでイアンは自分の毒で死なないんだ?)

 

 大の男を一瞬で卒倒させる毒をうっかり吸い込めば使用者も死ぬ。そうならないカラクリがあるはずだ。

 

 また一歩踏み出してきたイアンに矢を撃ちこみながら、俺はその理由に気づいた。

 

(解毒魔法か)

 

 彼は毒を使う瞬間、自分に解毒魔法をかけているのだ。ワーアメーバの毒とは違い自分で用意した毒なので、攻撃用の毒については前もって解毒の知識や練習を積み重ねることができる。だから毒が効果を発揮する前に治療できるのだろう。

 

「となると、対処は単純だ」

 

 俺がひとりごちたその時、がちん、と引き金が固い手ごたえを返してきた。装填されていた八本の矢を、全て撃ち尽くしたのだ。

 

「終わりですか。じゃあ、こっちから行きますよ」

 

 駆けだしたイアンに応じるため、クロスボウを棄て、床に置いていた剣を取りながら叫ぶ。

 

「グレシアさん! 床の縄で、足元をすくってください!」

「分かった」

 

 彼女の浮遊魔法が発動し、床に置いてあった縄が蛇のように鎌首をもたげた。円を描くように素早く動き、イアンに足払いをかける。

 

「……こんなものに、引っかかるわけがないでしょう」

 

 イアンは足元を見もせずに難なくかわし、躍りかかってくる。

 

 鈍い衝撃。

 

 相手の全体重が乗った一撃を受け止め、彼の喉めがけて返しの突きを見舞う。

 

 イアンはわずかに横にずれて突きをかわすと、伸ばした左手から毒を噴射した。

 

「くそっ」

 

 俺は飛び退り、煙の射程外へ逃れる。その瞬間、毒煙の中から、俺を追撃すべくさらにイアンが迫ってきた。

 

 慌てて後ろに下がりバランスを崩しているこの状態で、受けに回るのは得策ではない。俺はイアンに長剣を投擲した。

 

「はあっ?」

 

 流石に自ら得物を投げ捨てるという行動は予想外だったのか、イアンは急停止し慌ててメイスを頭上に構える。

 

 防御はぎりぎりのところで間に合い、死の旋風と化した長剣はあえなく弾かれる。しかしメイスのガードが上がり、イアンは無防備な腹を晒した。

 

「今だ!」

 

 俺は、彼の腹めがけて蹴りを放った。

 

 鈍い感触。イアンは血反吐を吐きながら、後方へ吹っ飛ぶ。しかし決定打ではなかったらしく、よろけながら着地した。

 

「……なるほど、使うのは武器だけではない、と。勉強になりますね」

 

 左手を腹に当て、痛めた内臓を瞬時に治療すると、イアンは俺を鋭く見つめる。俺は投げてしまった剣の代わりに、死んでいるシュミットの剣を拾い構えた。

 

「でも、同じ手は喰らいませんよ。次はどういう手を打って来るんですか?」

 

 イアンはそう言いながら、俺に向かって一歩を踏み出す。その瞬間、俺は答えた。

 

「もう手は打ち終わっています」

 

 彼の足元で、かちりと音がした。噴射音とともに、イアンの姿が煙に包まれる。

 

「これは……!」

 

 イアンは何が起きているかを理解したらしく、胸に手を当てて即座に解毒魔法を使い始める。彼が踏んだのは、ヴァネッサが警告していた毒ガスの罠を作動させるタイル。

 

 先ほどグレシアに縄を動かしてもらったのは、イアンの動きを妨害するのが目的ではなく、スイッチの仕掛けられているタイルを見分けられないようにするため。そして剣を投げ捨てたのはイアンの油断を誘い、罠のある方向へ突き飛ばしやすくするためだ。

 

 イアンは俺を見すえながら、にっと笑った。

 

「やりますね……この猛毒ガスを喰らったら、たいていの人は即死でしょう。しかし、この程度、僕なら数分で解毒できる。意味がないですよ」

 

 俺はうなずいた。おそらく、彼の技量であれば何の毒かを判別し、解毒を行えることは想定の範囲内だ。だが──

 

「解毒を行う数分の間、あなたは毒煙を使えますか?」

 

 その瞬間、イアンの顔は死の宣告を受けたかのように固まった。

 

「解毒魔法は、毒の種類に合わせて治療を行う、つまり二種の毒を同時に食らった場合、いっぺんに治療はできない……のでは?」

 

 俺が距離を詰めていくと、イアンは初めて後ろに下がった。

 

「待った──」

「数分……あなたを倒す分には十分ですね」

 

 俺は地面を蹴り、イアンの胸めがけて突きを放つ。イアンはメイスで弾き返し、斜め左下からの斬り上げもすんでのところで受ける。

 

 だが、ここでメイスによるガードが下に向いた。先ほどまでならここで毒煙による反撃が入っていただろうが、今はもうその手は使えない。

 

 俺の振り下ろした剣は彼の肩口から入り、へその近くまで深々と引き裂いた。

 

「く……ぁ」

 

 イアンは治療をしようと傷口に手を当てるが、その前に刃を引き抜き、真一文字に剣を振り抜く。

 

 ごとり、と彼の首が地面に落ち、緩んだ彼の右手からメイスも転がり落ちた。

 

「終わった……」

 

 俺が長々と息を吐くと、グレシアが隣にやってきた。

 

「お疲れ様。思ったよりも激闘になったね」

「ええ……イアンさんって、紫等級でしょう。なんでこんなに強いんですか」

「等級の高さは強さに直結しないからね。私はまともに戦えないし、君だって紫等級だけど、並の金等級以上に戦えるだろう」

「言われてみれば、そうですね」

 

 ため息をついてから、俺は周りを見渡した。中毒死したシュミットとサハノス。病死したディーラ。首を跳ねられたイアン。胸を突き刺されたヴァネッサ。死屍累々だ。

 

 その光景を見たグレシアはいやらしい笑みを浮かべた。

 

「いやあ、事件の真相を明かしたらひと悶着あってお客様が増えるかなと思っていたけれど、まさかこんなにできちゃうとは思わなかった。千客万来だ」

「……やっぱり、こうなることは予想してたんですね」

「んー、ヴァネッサが死んだのはやや想定外だったかな。イアンとシュミット……場合によってはサハノスが襲いかかってきて、アウグスト君がその三人をお客様にしてくれるって読みだったから」

 

 お客様にする、という言葉をこれほど物騒な意味で使うのは聞いたことがないな、と俺は思った。

 

 それからシュミットの死体から借りた剣の血を拭って返し、投げた自分の剣を鞘に納めてから、俺は尋ねた。

 

「で、誰を拾って帰るんですか」

「問題はそこなんだよ。今の魔力的に運べるのは三人が限界。そして市に戻ってまたここに来る時間は、たぶんない。ワーアメーバの餌になっているだろうからね。当初の予定だと、四人の死亡者の中でイアンだけを放棄して帰ればよかったんだけど……彼女が死んじゃったから、もう一人、誰かを棄てて行かざるをえないんだ」

 

 グレシアは難しい顔をしながら、細い人差し指で唇をなぞる。

 

 命の選択。

 

 死体回収人も全知全能の神ではないので、運べる人数には限りがある。だから誰を助けるかは現場にいる回収人の裁量によるのだが──選ばれる死者たちからすれば、このときほど回収人を神のように感じるときはないだろう。

 

 そう思っていると、グレシアはぱんと手を叩いた。

 

「よし決めた。拾って帰るのは──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アルカン迷宮でもともと死体回収を請け負っていた二人を蘇生させてから、シュミットのパーティの三人の蘇生も始めることになった。

 

 経緯を大まかに伝えられたイレーネは、魔法陣の中に横たえられたヴァネッサを見て、心配そうにつぶやいた。

 

「迷宮内で仲間割れですか……ここでその続きをされないといいんですけど」

「まあ、何かあったら取り押さえますよ」

 

 俺がそう言っているうちに、神父は蘇生作業に取り掛かった。

 

 今回は教会の結界を利用して一気に蘇生することを決めたらしく、外で準備をして戻ってから祈りの言葉を唱え始める。

 

 彼が最後の一言を言い終えると、一人目──ヴァネッサは、肺に溜まった血液を吐き出すようにせき込みながら、身体を起こした。

 

 二人目のシュミットは、目を覚ますと大声を上げて飛び起きる。そして教会の中にいることに気が付くと胸をなでおろした。

 

「シュミットさん、ちょっとお話しても、いいですかねー」

 

 背後から低い声でヴァネッサに話しかけられ、シュミットは肩を縮こまらせる。

 

「あ……ヴァネッサ。はは。元気で何より」

「どの口が言ってるんすか? 私を殺したクズのくせに」

「あれはものの弾みというやつで……悪かった。蘇生代は持つから」

「それは前提条件っす。もっと誠意を見せてもらわなくちゃ、割に合わないっすね。どうせ私やグレシアさんを殺した後、イアンさんやサハノスさんと一緒に死体を処理してしまうつもりだったんでしょうしー」

 

 そう言うと、ヴァネッサは思い出したかのように俺に笑顔を向けた。

 

「ありがとうっす。シュミットたちを倒して、私の死体を持って帰ってくれなかったらヤバかったっす」

 

 再びヴァネッサが憎悪の籠った目で睨むと、まともに視線を浴びまいとするかのようにシュミットは顔を背けた。

 

「……正確に言うと、俺が戦ったのは、イアンだけですね。サハノスさんとシュミットさんを殺したのは、イアンです」

「私が死んだ後、何が起きたんすか?」

 

 グレシアからイアンの殺戮について聞くと、彼女は目を丸くした。

 

「イアンさんって、そんなに強かったんすねー。ところで、サハノスさんはまだ寝てるんすか?」

 

 グレシアによって回収された三人目──サハノスは、ヴァネッサが話しかけるとゆっくりと身体を起こした。

 

「状況が、よく飲み込めなくてね。どうしてこのメンバーを選んだ?」

「儲かるからだけど」

 

 即答したグレシアを見て、サハノスはもう一度言った。

 

「イアンを放置するのは分かる。危険人物だったからな。持ち帰る優先度は最も低いだろう。だが、次に遺棄されるべきは、シュミットだろう」

「俺ぇ?」

 

 素っ頓狂な声をあげるシュミットに侮蔑の視線を向けながら、サハノスは続ける。

 

「少なくともこいつは殺人の現行犯だ。それに、ディーラは金を持ってる。お前なら、ディーラを助けると思った」

 

 そう言うと、グレシアはくるくると人差し指に絡めた前髪をほどき、何でもないように答える。

 

「ギルド保険に入っているのであれば報酬は一定だから、所持金の多寡は問題にならない。私がシュミットを拾って帰ったのは、彼が私たちに襲いかかってきたからだ」

「どういうことだ?」

「シュミットはヴァネッサを殺した分じゃ、まだ死刑にはならない。だが、私に斬りかかった分を考慮すると……量刑はどうかな? どうも、彼の運命は私の気分次第な気がしないかい」

 

 シュミットからは、ディーラ以上に金を絞り取れる。グレシアはそう踏んだから回収したのだ。

ディーラ以上にとんでもない相手に目をつけられたと思ったのか、青くなるシュミットをよそに、グレシアは続ける。

 

「それにディーラは、君と、シュミットと、イアンの三人に命を狙われていた。しかも共犯ではなく、各々違う理由で。彼女を回収したって、どうせ長生きしないさ。だから置いてきた」

「……そうか」

 

 彼はディーラを憎んでいたようなので少しは喜ぶかと思ったが、サハノスは残念そうにため息をつく。

 

「あまり、嬉しそうじゃないですね」

「できるなら、俺がこの手で殺してやりたかったからな。まあ……お前の雇い主の前で殺っていたらえらい目に遭っていたとは思うが」

 

 部屋の隅で状況を見守っていたイレーネは嫌なことを思いだしたかのように浅く俯き、床に視線を彷徨わせた。

 

「まあ、実際に手を汚さずに済んだのならいいんじゃないかな。どうしても蘇生させてから自分の手で殺したいと言うなら、ディーラの死体が残っていることに懸けて、もう一度回収しに行ってもいいけど」

 

「……いや、いい。何だかお前に言われると、馬鹿らしくなってきた」

 

 サハノスはがしがしと頭をかきむしると立ち上がった。

 

「もう行ってもいいか? 殺人未遂で俺を通報するつもりなら、待っていてもいいが」

「別に君が衛兵に捕まるかどうかはどうでもいいよ。ただ、私に死体を回収してもらったって書類にサインしてもらえればね」

「……あの人たちにも、お前くらいのしたたかさがあれば、ディーラには騙されなかったんだろうな」

 

 グレシアがペンを差し出すと、サハノスは苦笑して受け取った。

 

 

 

 

 

 

 サハノスが教会を去り、補償の話で言い争うシュミットとヴァネッサを送り届けてから、俺たちは事務所へと帰る道を歩いていた。

 

 グレシアは石畳の上を弾む足取りで歩きながら、鼻歌交じりにつぶやく。

 

「これで一件落着だね」

「シュミットとヴァネッサさんの件はこれからっぽいですけど」

「私たちには関係のない話だよ。これを貰った以上はね」

 

 グレシアは、右手に持っている巻物──臭水の精製法をくるくると回す。

 

 金はいらない。その代わり、君のパーティが迷宮で手に入れたケミティウスの資料が欲しい──

 

 彼女はそう言って、斬りかかられた一件を見逃すことを条件に、シュミットからこの巻物を譲り受けたのである。

 

「シュミットさん、嬉しそうでしたね。ヴァネッサさんも、パーティの成果を掻っ攫われたのに何も言いませんでしたし……」

「二人とも、今回の補償に私を噛ませたくなかったんだろうね。シュミットは余計に慰謝料や口止め料を払いたくないし、ヴァネッサもケーキを切り分ける競争相手がいるのは都合が悪い。金にならなそうな巻物一本で私を追い払えるなら安い物だと思ったんだろう」

 

「知識の価値を知らないから、二人はみすみす大きい魚を逃がしたんですねえ……」

 

 そう言ってから、俺は気づいた。

 

「というか、本当の死体の回収基準って、そこですか」

「ああ。私が棄ててきた二人──イアンはこの資料の価値を分かっているし、ディーラも農村で働く魔術師になるつもりだったのなら、臭水の重要性に気づいていた可能性が高い」

 

 臭水の重要性を知らない三人を残すことで、交渉をスムーズに進めたということらしい。

 

「まあ、私は殺し合って全滅したパーティを力の及ぶ範囲で回収して来ただけだし、研究資料だってたまたま快く譲り受けただけだよ」

 

 グレシアは邪悪な笑みを浮かべながらうそぶくと、巻物をもったままうんと伸びをした。

 

「さーて……帰ったらまた営業開始だ」

 

「えっ、戻って来たばかりなのに、休まないんですか」

 

 そう訊くと、グレシアはうなずいた。

 

「少し金が入用でね……」

 

「何か買い物でもするんですか?」

 

「するというよりは、したと言うべきかな。うかうかしてると無くなっちゃうから、後払いにして、急いで買ったんだ」

 

「グレシアさんが金以外のものを欲しがるって珍しいですね……何を買ったんですか?」

 

「それは、秘密だよ」

 

 グレシアは目を細め、唇の前で人差し指を立てる。

 

「事務所に置いてあります?」

 

「秘密だ」

 

 どんなに聞いても、返しはその一辺倒だった。

 

 彼女が大枚をはたいて買ったものとは、いったい何だったのだろうか。首を傾げながら、俺はグレシアとともに事務所へ続く道を歩き続けた。

 

 

 

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