【書籍化】迷宮で、死体を拾う   作:龍 圭介

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22スタフィアー①

 

 

 

 御者が手綱を鳴らす。

 

 その拍子に、俺は馬車の荷台の上で目を覚ました。

 

(一瞬、寝てたか)

 

 目覚ましに顔をぱしんと叩くと、革袋の水を飲む。目をこすりながら顔を上げると、ちょうど石橋の上を渡るところだった。

 

 小川のせせらぎを聞いていると、春の暖かさも相まってまぶたが重くなってしまう。一仕事終えて、気が緩んでいたせいもあるのだろうか。

 

 ここは、本拠地ハレーザー市北のルメニ地方。北国カナートとの国境のある辺境だ。

 

 俺とグレシアはルメニ自然洞窟で行方不明になった三名の死体を拾うためにこの地へ来た。迷宮の傍に村があったためそこを拠点にしばらく探索を続けたのだが、洞窟をいくら探索しても彼らの死体を見つけることはできなかった。

 

 2日ほどでグレシアは捜索中断の判断を下し、洞窟に生息する怪物に食われたか、迷宮に来るまでのどこかで野盗にでも襲われたかだろうと考えてハレーザー市へ取って返すことになった。

 

(……ま、そういう日もあるか)

 

 無駄足を踏ませられたことは仕方ない。落ち込んだところで時間が戻るわけではないので、事務所に戻るまでは

この気持ちのいい午後をゆったりと過ごすことにした方がいいだろう。

 

「あてが外れた……参ったなあ……」

 

 そんなことを考えていると、はす向かいのグレシアがぽりぽりと何かをやけ食いしているのに気が付いた

 

「何を食べているんです?」

「ん、クッキー。安かったから村を発つ前に買ったんだ」

 

 グレシアは袋からクッキーをつまみだして見せた。岩肌のようなクッキーの中心には桃色の粒がわずかに埋まっている。

 

「真ん中に埋まっているのは何です」

「塩だよ」

「塩? クッキーに塩ですか?」

 

 クッキーというお菓子は小麦粉の甘味を楽しむものなのに、塩など入れたら甘味が台無しになるではないか。

 

 そんな考えが顔に出ていたらしい。グレシアは塩入りクッキーを齧りながら説明してくれる。

 

「甘じょっぱいのがいいんだよ。暑い迷宮に行くときは暑さで倒れにくくなるし、お酒のつまみにもなるから、あの村に行くときは買っておくんだ」

 

 実にうまそうに塩入クッキーを食べているのを見て、少し味が気になってきた。

 

「一枚くれませんか」

 

 するとにやにやと笑いながらグレシアはさっとクッキーの入った袋を自分の胸元に寄せた。

 

「ええー、塩の入ったクッキーなんてありえない、食べ物じゃない、みたいな顔してなかったかい。君」

「そこまでは思ってないです。……じゃあ一枚五ダリルでどうですか」

「うーん、ちょっとなあ」

 

 お気に入りのおやつらしく、金を出すと言っても首を縦に振ってくれる気配はない。まあそれ以上の額を出せばくれるのかもしれないが、そこまでして塩入りクッキーを食べたいというわけでもなかった。

 

 今度あの村に行く機会があったら一袋買ってみるか、と思ったそのとき、街道の向こう、ハレーザー市方面から馬車がやって来るのが見えた。

 

 大型の幌付きの馬車で、二頭の馬に牽引されている。かなり急いでいるらしく、ぐんぐんとこちらに迫ってきていた。

 

「あの馬車、何でしょうね」

「さあ……行商人か何かじゃないかな」

 

 グレシアはクッキーを食べるのに専念しており、適当に返事をする。

 

 だが向こうからやって来た馬車が俺たちの進路を塞ぐように道の真ん中で停まると、流石に不審感を覚えたようだった。

 

「……何だ、おたくら?」

 

 今まで黙って手綱を握っていた御者が呼びかけると、向こうの髭面の御者は幌の中に入って行き、少しして荷台の後ろから三つ編みをツインリングにした、黒髪の女が現れた。後ろには木製の戦士人形を連れている。

 

 彼女は質素な緑色のローブに肘までぴったりと覆う黒い手袋をつけ、右手にはルーンの刻まれた杖を持っていた。目じりが下がり気味で、おとなしそうな風貌だ。

 

 彼女は何も言わずじっと上目遣いで俺とグレシアを見ている。

 

 どこかで会ったような気がするなと思っていると、焦れたようにグレシアが話しかける。

 

「用があるなら、何か言ったらどうだい、シノエ」

 

 シノエ。その名前を聞いて思い出した。

 

 数週間前の大会で対戦した人形遣い、シノエ・ウァプスト銀等級付与術師だ。

 

 まごまごしていたシノエはグレシアに促され、口を開いた。

 

「ふ、二人はもう帰るところなのですか?」

 

 手ぶらで帰ることになったのを思い出したのか、グレシアは少し顔をしかめた。

 

「死体が回収できなかったからね。それがどうかした?」

「いや、それだったら、その……あたしの仕事を手伝ってくれないでしょうか。これからあたしも死体回収に行くのですが、荷が重くて」

 

 その言葉に少し驚いた。大会のときは知らなかったが、彼女もグレシアと同じく死体回収屋らしい。

 

 グレシアは腕組みをすると、ふむと考えるそぶりを見せた。

 

「こちらも手ぶらで帰りたくはないし、ありがたい話ではあるけど……わざわざ私に同行を頼むってことは、よほど面倒な依頼なんだろうね?」

 

 シノエは泣き出しそうな顔でうなずいた。

 

「はい……ギルド長案件なのです」

 

 ギルド長案件。その言葉を聞いて俺とグレシアは身構えた。ギルドと長い付き合いであるグレシアは元より、俺もクーレホルンの件でギルド長が回してくる依頼の難易度を知っている。

 

「ああ、じゃあ一人で頑張って。急用を思い出した」

 

 グレシアが荷台に戻ろうとすると、シノエの人形が回り込み、通せん坊をした。

 

「お、お願いです! お金ですよね! 依頼達成したら80万ダリルですから! 成功したら半分あげますから!」

 

 80万。半分にしても四十万という巨額である。グレシアはわざとらしく首をひねり、にやりと笑う。

 

「ギルド長の回してきた仕事を手伝ってあげるんだよ。半分だとちょっと見合わないな。六:四で手を打とう」

「当然あたしが四ってことですよね……」

「いやあ、嫌ならいいんだ。別に」

 

 これ以上ないほど足元を見られ、シノエは泣きそうな顔でぷるぷると震えていたが、肩を落としながらうなずいた。

 

「ううー……分かりました、分かりましたから。それで二人が来てくれるなら……」

 

 少しシノエに同情していると、グレシアはシノエの乗って来た馬車に足をかけた。

 

「よし。そうと決まったら、早く行くよ。あまりぐずぐずしていると、大きい魚を逃すかもしれないからね」

 

 

 

 俺たちは元々乗っていた馬車を御者に任せると、シノエの馬車に同乗し、目的地へと向かうことになった。

 

 荷台には五体の人形が転がしてあり、意外と狭い。グレシアは木彫りの乗り合い客に気を遣うつもりはないらしく、荷台のすみへ追いやった。

 

「君が人形遣いなのは知っているけれど、こんなに人形を載せていたら死体を置く場所がないよ」

「死体を拾ったら外を歩かせます」

「それはそれで魔力を使うじゃないか。大会のときもそうだったけれど、毎回こんなに人形を連れ歩いているの?」

 

 シノエは静かに首を振った。

 

「普段は2体くらいですね。今回は、何があるか分からない未知の迷宮だから、念のため全員に来てもらったのです。名前は右からテル、キアナ、ダネイ、フレミー、ディン。ちなみにテルとフレミーが恋人で、ダネイが最近フレミーのことを狙っているせいでちょっと仲が悪いのです。ディンは……」

 

 どうやら大会で俺がぶった切った人形たちにはそれぞれ設定があったらしく、シノエは滔々と語り続ける。かなり内向的な人物らしい。

 

「人形の設定じゃなくて、もっと有意義な話をしてくれないかな」

 

 グレシアに遮られシノエは少し不満げな顔を見せたが、「せっかくいい所だったのに……」とつぶやきながらも本題に入った。

 

「向かう場所は、ジュダーム地下洞窟です」

「ジュダーム……最近東方面の迷宮ばかり行っていたからあまりよく知らないんだけど、最近発見された迷宮だっけ」

「はい。この前先遣隊が調査に行って、とんでもない特産物が見つかりました」

「特産物って?」

 

 グレシアの質問に答えるように、シノエは腰につけた革袋から乾いた紐のようなものを取り出した。よく見るとそれは乾かした植物の蔦のようだった。

 

「新発見された植物だからまだ正式な名前は決まっていないのですが、今回の探索関係者は皆、生命の蔦って呼んでいますね。

 普通の回復魔法なんか比べ物にならないくらいの薬効があって、これを服用するだけで怪我や病気があっという間に治るのです」

「なるほど……医薬品か。金儲けの匂いがするね」

 

 シノエはうなずいた。

 

「この蔦をハレーザー市が独占できれば、莫大な富が手に入ります。ですからギルド長は高等級の冒険者でジュダーム調査隊を組んで本格的な迷宮の調査を始めたのですが……帰還日になっても、誰も戻ってこないのです」

「思ったより迷宮が深くて調査に時間がかかっているんじゃないですか」

 

 俺たちが潜るのは基本的に先人が踏み入った迷宮なので、探索にどれほどの時間が必要かはおおよそ分かる。

だが未知の迷宮であれば、当然迷宮の規模は把握できていないので、予想以上に日数が延びるということもままあることだ。

 

 死体回収人のシノエもその点は考えていたらしく、首を横に振った。

 

「仮にそうだったとしても、連絡を返してくると思います。今回ジュダーム調査の指揮をとるヴィカスさんは、そのあたりはきちんとする人ですし」

「面識があるんですね」

「多少、一緒に仕事をすることがあったので……あの大会にも出ていたはずですから、アウグストさんも知っていると思うのですが」

 

 そう言われ、俺は以前起きたベルナール殺しの容疑者としてヴィカスが挙げられていたことを思いだした。

 

「あの大会に出ていた冒険者はだいたい調査隊にいます。隊長はヴィカスさん、副隊長がクローナさん、カティアさん、マルティンさん他二十五名です」

 

 確かに聞き覚えのある名前ばかりだ。もし先の事件が無ければベルナールもその名を連ねていたのだろうか。そんなことを思っていると、グレシアは腕組みをしたまま首をひねった。

 

「それだけのメンバーを集めて全滅は考えにくいか。だとすれば、地上と連絡が取れない何らかの理由があるってことじゃないかな」

「あたしもそう考えています。その肝心の理由が分からないのが怖いのですが……」

 

 シノエが頭を抱えながら言ったそのとき、馬のいななきと共に馬車が停まった。幌をめくって外を見ると、彼女は立ち上がった。

 

「森の入り口につきましたね。ここからは徒歩で行きましょう」

 

       

 

 ジュダーム迷宮の入り口は森の中にある、とシノエは言った。

 

 移り住んできた木こりがよい木がないか探しているとき、一際大きな木の根元にひっそりと口を開けている穴を見つけたのだという。

 

「……しかし、道らしい道がないですね」

 

 俺たちは、木々の隙間を縫うようにして続く獣道を歩いていた。細すぎて横に広がれないため、人形、俺、シノエ、グレシアの順で一列になっている。

 

「発見者の木こり自体、最近移り住んできたようですし、あまり人の手が入っていないのでしょう。ここはまあ、ダネイに任せてください」

 

 俺の前の戦士人形は歩きながら邪魔な枝や草木を切り払い、道を作ってくれる。ときおり枝を完全に切り払わずに後ろに向けて折るのは、帰り道がすぐわかるようにするためだろう。

 

「そういえばこの人形って、どうやって動かしているんですか?」

 

 物陰から出てくる虫や蛇に臆する気配もなくどんどん進んでいく戦士人形を見てそう訊くと、シノエはふへへ、と得意げに笑った。

 

「あたしが操ってるわけじゃなくて、この子たち皆に意志があるのです。……なんて言いたいところではありますが、種を明かせば浮遊魔法ですね」

 

 シノエの動きに合わせて、隣の弓人形がこちらに手を振ってくる。その間も俺の前にいる戦士人形は相変わらず枝を払い、周りの人形は俺たちを守るように歩き続けている。

 

「全部同時に考えて動かすのは難しいのですが、できるようになったら一人でパーティを組めるので便利です」

「へえ……そういえばグレシアさんはああいう人形を使ったりはしないんですか?」

 

 そう訊くと、グレシアは首を横に振った。

 

「私の浮遊魔法はそこまで細かく動かせない。せいぜい人間を持ち上げたり、物を手元に持ってくるくらいだ。同じ魔法でも、修練の方向性が違えば使い道が変わってくるんだよ。

 修練の時間で表すなら私の浮遊魔法は力に五割、精密性に一割、距離に一割、持続時間に三割くらいで魔法の練習をして、棺桶を浮かせて持ち運ぶのに使ってる。

シノエの場合は力に一割、精密性に四割、距離に一割、持続時間に四割くらいで練習時間を割り振って、長く人形を操るのに使うってところかな」

 

 グレシアは人差し指を立てると、その上にさくらんぼのような大きさの球体が現れた。球体は膨らんだり縮んだり、赤色から青色へと変化し、半透明へ戻る。

 

「結界も同じ。こんな感じで色や形、大きさもある程度変えられるし、空間に固定するかどうかも決められる」

「同じ術でも、人によって扱い方が全く変わるんですね。ちなみに、どんな練習をするんです?」

 

 俺は師範学校にいた頃に主武器である剣以外にも槍や弓、拳闘なども修めたが、魔術師の才能は無かった。だから魔法の修練というものがどういうものか、よく知らないのだ。

 

 グレシアは唇の先を人差し指でとんとんと弾きながら答える。

 

「基本は術式の暗記と反復練習だから……例えるなら、楽器の練習に近いね。私の浮遊魔法はまず紙を持ち上げる

ことから始めて、石ころ、樽、棺桶と順に持ち上げられるようにした」

 

 グレシアの話を聞いたシノエは、へえ、と声をあげた。

 

「あたしの魔法の練習と全然違いますね。あたしはまず小さい人形を立たせて、歩かせることからでした。慣れてきたら踊らせたり、複数を操って人形劇をするという感じで」

「……浮遊魔法としては私の練習の方が一般的だと思うけれど、なんでそんな特殊な練習を?」

「もともと旅芸人の一座にいたので……。だから使える魔法も浮遊魔法くらいで、結界魔法とか暗視魔法は使えないのです」

「旅芸人から死体回収屋になったんですか? 珍しいですね」

「人形を操れることが、たまたま死体を拾いに行くのに有用でして」

 

 俺とシノエが話していると、グレシアが唇に人差し指を当てた。

 

「ちょっと、静かにしてくれるかな」

 

 指示通りにすると、道のゆく先から微かに鎧の擦れる音や喋り声が聞こえてくる。シノエは首を傾げる。

 

「すぐ先に、迷宮の入り口があるのですが……調査隊が迷宮から引き揚げてきたのでしょうか」

 

 だが、よくよく耳を澄ませてみると、その喋り声は鼻にかかったような発音で、意味も分からない。少なくともこの辺りの言葉ではないのは確かだった。

 

「どうやら、調査隊が戻れない理由は、彼らみたいだね」

 

 忍び足で道を進み、その先で俺たちが見たもの──それは、迷宮の入り口をふさぐようにして立つ、異国人の集団だった。

 

 鎧をまとい、長剣を吊った戦士が五人。白いインバネスコートを着、杖を持った魔術師が三人。たくさん積まれた木箱の傍に書記らしき少年が一人。彼らは洞穴を塞ぐように陣取っている。

 

「……彼らが入口を塞いでいるせいで、調査隊は戻れないのかもしれないね」

 

 林の奥。木々に紛れながら、俺たちはじっと彼らを観察していた。こちらには気づいていないようで、のんびりとした口調で談笑している。ときおり書記の少年から鋭い声を浴びせられて身を縮こませるが、すぐにそのことを忘れたようにお喋りを再開する。

 

「あ、あの魔術師たちの服の背中を見てください……カナートの紋章じゃないですか?」

 

 シノエが指さした先を見ると、確かに魔術師たちの背中には王冠を被った熊──カナート王国の紋章が描かれている。

 

 すると、手庇をしてカナート軍の様子を窺っていたグレシアもうなずいた。

 

「たぶん、迷宮攻略専門の部隊だね。本隊は中にいて、入り口を固めている彼らは他の人間が迷宮に出入りできないようにしているんだと思う」

「カナート軍も例の特産品を採取しに来たんですかね」

「採取にきただけならいいけど、それにしては動員している人数が多すぎる。ハレーザー市より先に調査をして、生命の蔦を生む迷宮そのものを手に入れることが狙いじゃないかな」

 

 最初は単なる難しい仕事だと思っていたが、思いのほか話の規模が大きい。しかしカナート軍も、よく国外の迷宮に手を出そうと思ったものだ。

 

「大胆ですね。端っことはいえこの辺もハレーザー市の領域なのに……下手したらカナートとハレーザー市で戦争になりますよ」

「なるどころか、迷宮の中ではすでに戦ってるかもしれないね。しかも後着したカナート軍と違って冒険者側は補給を受けられないから、相当苦しいんじゃないかな。

まあ客観的に見ても、この件は私たちのに手に余ると思うから、帰ってこのことを報告した方がいいかもしれないけど……シノエはどうする?」

 

 グレシアが訊くと、シノエは少し迷うそぶりを見せたが、やがて意を決したように答えた。

 

「い、入口の守備隊を強行突破して迷宮に入りましょう」

「……本気?」

 

 グレシアに信じられない馬鹿をみるような目を向けられたシノエは、小さくため息をついた。

 

「言いたいことは分かっています。でもあたし、『調査隊が全滅していなかったら補給用の物資を届けること』って言われているので、ここで逃げるわけにはいかないのです」

「補給用の物資? そんなもの持っていましたっけ」

「ちゃんとあります」

 

 シノエは傍に控えていた人形の衣装をずり上げると、腹についていた取っ手を引っ張る。中にはワインの入った皮袋やバゲットが格納されていた。人形たちには物資の貯蔵庫としての役割もあるらしい。

 

「とりあえず、この物資を迷宮内の仲間に渡します。全滅していたら死体をなるべく拾って帰る……とにかく、ここで尻尾巻いて逃げたら赤字なのです。

 いったん森の入り口のところまで戻って、御者にカナート軍のことを伝えるよう頼みに行きますが、それが終わったら突入しましょう」

「作戦は?」

 

 しばしの間、シノエはもじもじしていたがやがてへらっと笑った。

 

「ええと……グレシアさんお願いします。アウグストさんもいるので、何とかなるのではないでしょうか!」

 

 そう言うと、2体の人形を引き連れてシノエは元来た道を戻っていった。肝心の作戦は俺たち任せということらしい。

 

「どうします?」

 

 シノエの姿が見えなくなってから尋ねると、グレシアは小さく肩をすくめた。

 

「まあ、やるしかないね。私もここまで来た以上、空手で事務所に戻りたくないし。作戦は……アウグスト君が八人全部斬り倒す、とか?」

「それは作戦とは言わないでしょう。まあ頑張ればできないことはないかもしれませんが、迷宮に入る前から消耗はしたくないですね」

「はは、冗談のつもりだったけど、できるんだ。……とはいえ真正面から行くよりは、何か工夫はできそうだよね」

 

 グレシアは守備隊を少し観察してから、「彼を狙おう」と囁いた。彼女が示したのは、木箱のそばに立っている書記だった。

 

 俺よりも一回り下くらいの歳のフロックコートを着た少年で、北方系のカナート人にしては珍しい赤毛。負けん気の強そうな目に苛立ちを浮かべ、紙に書かれた数字を睨んでいる。

 

「おそらくカナート貴族の子弟だよ。服の仕立てがいいし、年上の仲間にあれだけ威張りちらせるんだから、この守備隊でも立場は上なんだろう」

 

 彼女の言いたいことを察し、俺は納得した。

 

「人質にするというわけですか」

「ああ。最初に彼を捕まえておけば迂闊にこっちに手を出せないはずだ。それに、迷宮内でカナート軍に遭遇したとき、何かの交渉に使えるかもしれない。シノエの人形で注意を引きつけて、その間に彼を押さえて迷宮に入る」

 

 確かに理にかなっている。人質を取るというのは卑怯な気がするが、まあ正面突破で無駄に血を見るよりはいいだろう。彼女の案に乗ることにした。

 

 

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