「あん、お前アウグストか?」
暗闇の向こうから現れた人物を見て、手の力が緩んだ。相手はカナート軍ではなく──
「マルティンさん?」
薄刃の槍に、狐のような細目。試合の時とは違い、玉鋼でできた胸当てを身に着けている。彼は俺の後ろにいるグレシアとシノエを見て、笑みを浮かべた。
「ノードレット事務所にウァプスト事務所? まだ俺たちゃ死んでねえのに気が早いな」
「あたしたちも、ギルド長の依頼でなければこんなところには来ないです……」
マルティンの軽口にカチンときたのか、シノエは珍しく声を荒げる。その横で、後ろを見ていたグレシアが冷静に彼女をたしなめた。
「あまり口喧嘩している余裕はないよ……後ろの敵が追い付いてきたみたいだ」
振り返ると、そこには地上の守備隊と同じ格好をした戦士たちと、魔術師たちが立っていた。
「カナートの奴らか」
舌打ちをすると、マルティンは槍を構える。すぐさま戦闘が始まるかと思われたが、カナート軍は動きを見せず、互いに何か言葉をかわしている。
何のつもりだろう、と考え、ステファンのことを思いだした。ステファンを人質に取られているため、彼らは積極的に動いてくることができないのだ。
グレシアはステファンの首根っこを掴み、引き寄せた。そして杖で頬をぐりぐりとこねくり回しながら挑発的な口調でカナート軍の兵士たちに言葉を投げかける。
渋い表情を浮かべる彼らの顔を見れば、何となく何を言っているのかは分かる。
人質を取られどうしようもないと判断したのか、やがて隊のリーダーらしき男が合図をすると、通路の向こうへと退いていった。
「いやあ、ステファンって便利だなあ。この迷宮を探索するときは、一パーティに一人欲しいね」
カナート軍の背を見送ったグレシアが冗談めかして言うと、ステファンはフードを掴んでいる俺の手を叩く。
痛い思いをするのは俺なので、あまりからかわないでほしいと思っていると、マルティンは目を丸くした。
「ひょっとしてそいつ、カナート軍の将校か?」
「ええ、洞窟の前を彼の隊が封鎖していたので、カナート軍よけのお守り代わりに来てもらいました」
するとマルティンはへえ、と感嘆の声をあげる。
「うまくやったな。それで、お前たちは何をしに来たんだ?」
「ぶ、物資の受け渡しです……」
シノエがここへ来た経緯を説明すると、マルティンは嬉しそうな顔をした。
「お、ありがたい。予想以上に探索が長引きそうだったんで、ちょうどいろいろ欲しかったところだ」
「それはよかったです……ところで、ヴィカスさんは?」
「こっちだ」
顎をしゃくると、マルティンは通路の奥へと歩き始めた。
マルティンの後に続いて入った通路では、何人もの冒険者が毛布に包まったり食事をしたりして休息を取っていた。
どうやらここはハレーザー市側の営所らしい。新たに入ってきた俺たちに気づいた冒険者たちの視線が、全身をなでていく。
「思ったより人は少ないですね。二十人くらいで調査していると聞きましたが」
そうつぶやくと、マルティンは歩きながら答える。
「パーティを三つに分けてるからな。じきにここも引き払って、最深部を目指す予定だ」
「けっこう深いところまで潜ってきたつもりなんですが、まだ奥があるんですね」
「ああ。この迷宮の『特産物』……生命の蔦をここに来る道中では見なかっただろ? あれが見つからないうちは、まだ浅い層なのさ」
それを聞いたグレシアは、顎に手を当ててくるりと目を回した。
「じゃあ、どうしてこのパーティは浅い階層にいるんだい?」
「この隊は浅い階層の分岐を総当たりしてるからな。深い層へ進んでいくのは、他の二つの隊に任せて、こちらは浅い層から『蔦の群生地』に至るルートを探している」
「群生地って?」
グレシアの問いに答えたのは、マルティンとはまた違う、低くさびた声だった。
「生命の蔦が密集して繁茂しているであろう場所。この迷宮の最終目的地だな」
声のした方を見ると、岩壁に背を預け、腕を組んで休んでいる男の姿があった。精悍な顔つきで左目は大きな傷跡が残って潰れているらしく義眼をつけているが、そうなる前はかなりの男前だと言われていただろう。かなり力はあるらしく、鉄の塊のような大剣を壁に立てかけている。
シノエは彼を見ると、ほっとしたような表情を浮かべ、話しかけた。
「ヴィカスさん、探しましたよ」
「シノエさんとアウグストさんと……グレシア? なぜここに?」
どうやら彼がハレーザー市の冒険者たちをまとめる隊長、ヴィカス金等級戦士らしい。
彼はシノエから俺たちがここまで来た経緯を聞くと、静かにほほ笑んだ。
「なるほど、それで物資を届けるために来てくれたのか。助かる」
「仕事ですから……それで、物資をお渡ししたら帰ろうと思うのですが、カナート軍との戦闘で死んだ方はいますか?」
シノエの問いに、ヴィカスは首を横に振った。
「今のところ、死者はいない。クローナとカティアに任せた隊が今どうなっているかはまだ分からないが……今のところ、こちらも向こうもお互いに戦闘を避けているから、死者は出ていないと思う」
「そうなのですか」
シノエは少し驚いたようだった。迷宮内に同じ資源を狙う敵がいるのであれば、排除してからゆっくり探そうと考えそうなものだが、そうはなっていないらしい。
「ああ。カナート軍の方が数は多いが、こっちは等級を紫以上に絞って、強い奴らを集めてきているからな。戦力は互角だ、まともにやりあえばお互い迷宮攻略どころじゃなくなるから、そう簡単に戦端は開けない」
「……では、私たちを追いかけてきたのは何だったのでしょうか」
「ひょっとしたら、こちらがどこまで探索を進めているか偵察しにきたのかもしれない。何せ、先に蔦の群生地を見つけた方がこの迷宮を制すると考えていいわけだからな」
「なぜ群生地を見つけたら勝ちなのですか?」
今一つ呑み込めていないシノエの横で、グレシアが口を開いた。
「生命の蔦が大量にあれば、回復魔法に使う魔晶石の消費を抑えられるから、じゃないかな」
ヴィカスは居眠りをしているのに座学の点数だけはよい生徒を見るような目でグレシアを見た。
「……その通りだ。カナート軍とこちらの戦力は拮抗しているが、どちらかが蔦の群生地を発見して傷を簡単に癒せるようになれば話は変わる。手持ちの魔晶石を全部攻撃術師と付与術師に使えるから、火力で相手を殲滅できるんだ」
確かに、戦場で最も魔力を食うと言われているのは回復魔法だ。戦史はうろ覚えだったが、確か戦争で使用された魔力の内訳は、おおよそ回復術五割、攻撃術三割、付与術二割といったものだったという。
もちろん地上での戦闘の話なので迷宮での戦闘にそのまま適用できるとは限らないが、回復に魔力を割かなくていいなら、勝負が決するくらいの有利にはなるだろう。
「まあ、どちらかが群生地を確保した時点で、そうでない方はさっさと撤退するだろうから、本格的な戦闘にはならないだろうが」
「ちなみに、群生地なんてものは本当にあるんですか?」
そう訊くと、ヴィカスはうなずいた。
「ああ、地下魔力の濃い最深部であれば、間違いなくある。カナート軍もその前提で動いているようだ」
「……じゃあ、こんなところで話している場合じゃないのでは」
今こうしている間にもカナート軍は探索を進めている。死者や怪我人はいなくとも、戦闘は静かに進んでいるのだ。
するとヴィカスはうなずいた。
「分かっている。だけど、俺が何の考えもなしにわざわざ説明していたと思うのか」
「というと……?」
「君たちにも調査に参加してほしいんだ。銀等級のシノエ、金等級のグレシアに、戦闘競技大会現優勝者のアウグスト。今は人手が足りないからね。物資を届けて帰るなんて言わず、協力してほしい」
そう言われたシノエは泣きべそをかき、グレシアは渋面をつくる。
「あたしは死体拾いですから、そういうのは専門外っていうかぁ……嫌です」
「同感だね。私はシノエの物資を届けるのを手伝うって契約で来ただけでこの調査とは何の関わりもない。物資を渡したら、そこの人質を盾にしてまた地上に戻る予定なんだ」
ヴィカスは助けを求めるように俺を見たが、俺はグレシアに従うだけなので、彼女がその気でないならば特に手を貸す理由もない。
「まったく、ハレーザー市の冒険者なんだから、市の利益に貢献しようとは思わないのか」
三人の反応が思わしくないためか、ヴィカスはため息をついた。
「知らないよ。私とアウグスト君の助力が欲しいなら出すべきものを出さないと」
グレシアはあけすけに報酬の話を始める。ヴィカスは浮かびかけた青筋を隠すように右手で額を覆った。
「こんなときに……。ああもうわかった。じゃあ、俺が隊長権限でお前たちを雇う。一人五万でどうだ」
さっ、とグレシアは両手の指を広げた。おそらく万歳のポーズではなく、『十万よこせ』という意味だろう。
申し訳なさそうな顔をしつつ、ちゃっかりシノエも同じ額を指で示している。気弱そうな言動の割に、意外としたたかだ。
「……分かった、十万だな。それぞれ三人に支払おう」
ヴィカスは少しの間悩んでいたが、ぶすっとしながらそう答えた。俺は少し心配になって聞き返す。
「本当にいいんですか? 三十万ダリルですよ?」
「この件がうまくいったら、ギルド長から九十万貰えるんだ。失敗するよりはマシだ」
「シノエさんへの支払いといい、太っ腹ですね」
「それだけ爺さんはこの迷宮の儲けを見込んでいる。それだけに、失敗したらどんな目にあうか分からない」
ヴィカスはそう言うと少し顔を青くする。グレシアに限らず、たいていの冒険者はギルド長を恐れているらしい。
「そろそろ行くぞ。ぐずぐずしていると、死体になる番は俺たちに回ってくるんだからな」
ヴィカスのパーティに編入され、俺たちはさらに地下へと降りることになった。
周囲の状況はこれまで辿ってきた道と代わり映えなく苔のついた岩肌が続くのみだったが、一つだけ異なる点があった。
魔眼を持つ馬、スタフィアーとの遭遇が増えてきたのである。
「三連盾!」
ヴィカスの指示と同時に前衛の三人が盾を掲げ、通路を封鎖する。即席の城壁の向こうから、駆けてきた二頭のスタフィアーが体当たりする音が聞こえてきた。
「今だ、刺せ」
スタフィアーの馬鹿力を押さえる戦士の後ろから数名の術師が短剣を持って前に出る。そして盾の隙間から短剣を差し込み、足止めを喰らっているスタフィアーの身体にざくざくと突き刺した。
悲鳴のような嘶きがあがりしばらく暴れる気配がしていたが、やがて力尽きると、戦士たちは盾を下ろし、手探りで馬の魔眼を閉じる。
俺たちよりも何日も前に迷宮入りしていただけあって、手慣れている。俺のやっていた後ろから斬りかかる作戦よりずっと確実で安全なやり方だ。
「……それにしても、スタフィアーの遭遇が増えてきましたね」
そう言うと、ヴィカスは腕組みをしながら、いまいましそうに死体を見下ろす。
「ああ、あいつらは生命の蔦を餌にしているから、下層になるほど遭遇する回数も増えてくるな」
俺は初めて潜った戒めの洞窟のことを思いだした。やはり強力な怪物と財宝は、一緒に迷宮の奥で眠っているものらしい。
スタフィアーの死骸を道の側面に押しやっているのを見ていると、ヴィカスはふと壁に目をとめ、手を伸ばした。
「どうしたんですか、ヴィカスさん?」
「生命の蔦を見つけた。まだスタフィアーが手をつけていなかったらしい」
ぶちぶち、と音を立てて蔦を引きちぎると、彼は蔦を見せてくれた。派手な赤紫色で、断面から血のような赤い汁が滴っている。
「持っていこう。特に汁の薬効が強い」
ヴィカスは空の革袋を下に置き、その上で両手で蔦を絞った。指の隙間から溢れた汁が零れ落ち、袋の中にたまっていく。
その様子を眺めていると、ふとヴィカスの腰から下がるお守りらしきもの──ブロンズ製の手がぴくぴくと動いているのが目に入った。
「うわっ!」
思わず声を漏らすと、ヴィカスは革袋から蠢く手へと視線を移した。
「ああ、動いているな」
それだけで、特に驚く様子も見せない。そういう魔道具らしい。
「何なんですか、これ」
「『邂逅の手』だ。同じ道具を持った人間が近くにいると動き出す。元は追われる盗賊が後で仲間と合流できるように作った道具らしいが、こういう大集団で迷宮に潜るときはなかなか便利だ」
「なるほど、ということは別の隊がこの辺にいるということですか」
「ああ。人差し指がよく動いているから、近くにいるのは──」
ヴィカスがそう言ったとき、側道から聞き覚えのあるアルトの声が聞こえてきた。
「おや、ヴィカス隊長ではありませんか」
現れたのは『清廉騎士』カティアだった。ヴィカスと邂逅の手を首から吊り下げ、後ろに他のパーティメンバーを引き連れている。
「やはり、お前か」
「お久しぶりです。どうやら、隊長の進む道とわたくしが探索していた道は合流するようですね。……ところで、なぜアウグストさんがいらっしゃるのですか?」
カティアの視線はグレシアとシノエを通り過ぎ、俺で止まった。この二人は眼中にないらしい。
「ヴィカスさんに力を貸してほしいと言われまして」
「まあ。それは心強いですわね。一騎当千の貴方がいればカナート軍など、ものの数ではないでしょうし……そろそろこちらから仕掛けてもよいのでは?」
カティアの話し口は穏やかだが、話の内容は好戦的だ。ヴィカスは首を振り、たしなめるように言う。
「駄目だ。ギルド長からは他の国と交戦していいとまでは言われていない」
「……承知しました」
カティアはやや納得しかねるように眼を閉じる。だがすぐに切り替えたようで、再び眼を開けたとき、そこに不満の色は浮かんでいなかった。
「それともう一つ報告があるのですが……カナート軍から、物資と人質の交換申し出がありました」
「物資は分かるが、人質だと?」
ヴィカスは振り返ると、俺が見張りについているステファンのほうを見た。グレシアが一度盾に使ったので、ステファンがこちらの人質になっていることはカナート軍に知られているのは不思議ではない。
だが、「交換」という言葉を使ったということは当然、交換する人質が向こうにあるということを意味する。
カティアは左手を腰に当て、やれやれとばかりに人質の名を言う。
「どうやら、わたくしと別行動をとっていたクローナさんが捕まったようですわ。うっかりシュートに引っかかったそうです。風魔法で落下死は避けたものの、落ちた場所がカナート軍のど真ん中だったとか」
カティアの報告を聞いたヴィカスは、頭痛がしてきたようで、額に手を当てる。
「相変わらずクローナはツキがないな。仕方ない、人質交換に応じよう。お互い副隊長格だから釣り合うだろう」
ヴィカスは俺の後ろにいるステファンを見てそうつぶやくと、カティアから報告の続きを聞いた。
「それで、物資のほうは何が欲しいって?」
「ヴェラドンナ剤を少々と、魔晶石ですわね。あちらは糧食に余裕があるのでそれを出すつもりのようです」
「食料は欲しいな。毒が入っていないか癒術師に調べさせる必要はあるが……あるに越したことはない。魔晶石は渡したくないから、ヴェラドンナ剤で取引に応じよう。場所は?」
「案内できますわ。どうぞこちらに」
そう言うと、カティアは踵を返して先導を始めた。
取引の場所は、もう少し深層にあるらしい。
ステファンは冒険者たちの会話に耳をそばだてながら、隊列のちょうど中間部を歩いていた。
結局逃げることはかなわず人質交換に使われるハメにはなったが、少しでも情報を持ち帰らなくてはならない。
もっとも冒険者たちのほうもその辺りは理解しているのか、有用そうな話はあまり聞けなかったが。
(それにしても、こいつら……強いな)
最前列に目をやると、くずおれたスタフィアーの前で、カティアがレイピアを鞘に納めたのが見えた。
途中から合流してきた彼女はかなりの武人らしく、眼をつむって気配だけを感じとり、スタフィアーと戦っているのだという。
敵を見ずに戦うなどということができるものかと思っていたが、実際に心臓を一突きされた怪物の死骸の傍を通ると、カティアの腕前を疑う気にはなれなかった。
ステファンのお目付け役のようになっているアウグストもどこかぼんやりとした顔をしているが、少人数で斬りこんできたくらいなので実力はあるのだろう。
グレシア、シノエ、ヴィカスなど他のメンバーも場を踏んでいるようで、歩き方や魔法の使い方は認めたくはないが熟練者のそれだ。
(群生地を先にこちらが押さえられればいいが、もしうまく行かないのであればどうするか……)
ステファンが思案し始めたそのとき、肩を叩かれた。
「ちょっといいかな、ステファン副隊長」
「……何でしょうか、ヴィカス隊長」
振り向くと、そこにはヴィカスがいた。敵ではあるが、階級に敬意を払ってくれる彼には好感が持てる。ステファンが応じると、彼は静かに問う。
「そちらの交渉に来る人はどんな人間なんだ? 平和裏に取引を進めたくてね」
「……」
ステファンはヴィカスの眼を見た。灰色の瞳は優しげで、探りを入れているようには見えない。まあ、どうせすぐに知ることになるのだから、人となりくらいは話しても問題はないだろう。
「フェイ中隊長か、ナベリウス副隊長……もしくはその両方でしょうね」
「ふむ。二人はどういう御仁なんだ? 一言でもいいから教えてくれると助かる」
「機密に関わることもあるのであまり話せることはありませんが、フェイ中隊長は、激しい性格です。もちろん、交渉の場であれば激することは少ないでしょうが」
黒金岩窟の攻略では、許可なく魔法を撃った術師を剣の柄で頭の形が変わりそうなほど滅多打ちにし、部下たちを震え上がらせた。
秩序は厳格なる規律と暴力によってのみ贖われる、と言う彼女に部下の誰も反発しなかったのは、単純に怖いというのと、彼女の指揮する作戦に文句のつけようがなかったからである。
「もう一人のナベリウス副隊長は、あなたに近い性格ですね。穏やかな人です。フェイ中隊長を宥めるのもあの人で、おそらく血の気が多い中隊長がまだあなたたちに戦いを仕掛けていないのは、いくらかあの人が冷静に大局を見ているからだと思います」
「大変そうだな。こちらも似たような奴がいるから分かる」
ヴィカスはそう言ってから、ぴたりと動きを止めた。そして、なぜか転がっているスタフィアーの死体に近づき、じっと見ている。
「ヴィカス隊長?」
「……いや何でもない。少なくとも、今は」
「?」
そのとき、隊の前進が止まった。
ステファンが冒険者の背中越しに向こうを見ると、幕の駆けられた通路の前には板金鎧を着こんだ巨漢が戦槌を地面に突いて立っていた。
額が出っぱり唇が幅広なせいで粗野な顔つきに見えるが、山のような威容とは対照的に瞳に宿る光は理知的で、神話に登場する心優しい巨人を思い起こさせる。
巨人──ナベリウス副隊長は、やってきた冒険者たちを睥睨した。
「隊長は誰だ?」
「俺だ」
ヴィカスは臆することなく前に出ると、ナベリウスに手を差し出した。ナベリウスがそれに応え、握手をする。
「……まずは、取引に応じてくれたことに感謝しよう」
「こっちも欲しいものがあるから、ちょうどいい所だった。クローナはどこにいる?」
ナベリウスは後ろに掛かった幕を指さした。
「この通路の向こうだ。すぐ案内しよう。ステファンは?」
「ここだ」
ステファンが声を上げると、ちょうどナベリウスと目が合った。彼はため息をついた。
「大変だったな。まあ、俺は気にしないが、フェイ隊長はお怒りだぞ」
「……」
「お前は『モグラ』は嫌だなんて言うが、一番ラクな地上守備でこの体たらくじゃあなあ。もう少し頑張れよ」
反駁したかったが、助けてもらおうという状況では弁解の余地がない。
唇を噛んでいると、ナベリウスはステファンから冒険者たちへ眼を移し、ふむと顎をなでた。
「この人数だと入りきらんな。5、6人ほど選んで入ってきてくれ」
交渉役に選ばれたのは副隊長のカティア、俺、グレシア、シノエ、マルティンだった。
基本的に交渉を行うのはカティアで、グレシアがカティアの補佐、残りは相手に睨みを利かせる役割らしい。ヴィカスは外で待機し、交渉決裂で戦闘になったらすぐ突入できるようにしておくというわけである。
ナベリウスはヴィカスが取引に来ないことに少し難色を示したが、そちらの指定した場所に入っていくのだから用心はさせてほしいと答えると、しぶしぶ了承した。
カナートの紋章が刺繍された幕をあげて中に入ったナベリウスに続くと、長い一本道が続いていた。少し歩くと同じような幕のかけられた入口が見え、そこをくぐると視界が開けた。
そこはちょっとした宿のロビーくらいの大きさの部屋だった。奥行きや高さは通常の通路よりは広いが、中央に鎮座している円形の卓のような岩のせいで少し狭く感じる。
石窟に棲む野蛮人の会議室。そんな印象の空間で、三人のカナート兵とともに俺たちを待ち構えていたのは、コートを肩にかけたブロンドの女性だった。
歳は三十ほどで、口の隙間からぎざぎざとした歯が見える。落ちくぼんだ眼窩の奥には、ナベリウスとは対照的に蛮性を帯びた脂ぎった輝きがある。
「ようこそ、カナート軍の本営へ。私はフェイ・ソーン。『モグラ』の隊長だ」
カナート軍の隊長、フェイはぎょろぎょろと素早く眼を動かして俺たちの顔を見た。
「さてと……そっちの隊長はどいつだ?」
彼女の問いに、ナベリウスはおそるおそるといった調子で答える。
「その……ここにいるのは副隊長のカティア殿までで、ヴィカス隊長は外にいます」
「ああ? なんでだ?」
「こちらをまだ信用しきれないそうなので」
フェイの顔は、怒りのあまり一気に紅潮した。
「私がここに来ているのに? 金玉ついてんのか、ヴィカスとかいうヤツは」
「あの……ついていると思いますけど」
もごもごしながら、シノエが応える。この剣幕の相手によくそんな返しができるなと思っていると、フェイはぎろりと彼女を睨んだ。
「ものの例えだ。私の部下だったら、腐った脳みその代わりに粥を詰めてやるところだ」
「ひいぃぃ……」
シノエはついてきた人形の後ろに隠れ、震え始める。それを見たカティアはため息をつくと、話を切り出した。
「隊長が来られなかったのは申し訳ありませんが、わたくしも誠意をもって取引に臨みますわ。交渉を始めてくださらないでしょうか」
フェイは舌打ちをしたが、すぐに口角を吊り上げ、不気味な笑みを浮かべた。
「そうだな。ま、こちらも兵を控えさせてある。振る舞い方には、お互い気をつけようか」
彼女の背後には、俺たちがくぐったのと同じ幕が掛かっていた。つまり、もし何かがあれば、ここにお互いの戦闘員がなだれ込んでくるというわけだろう。
「なんか、とんでもない所に来ちゃいましたね」
「今更? たまに君の呑気さが羨ましくなるよ」
グレシアは肩をすくめると、「まずは人質交換から始めよう」と提案した。フェイはうなずいて指を鳴らすと、クローナが向かいの幕をくぐって現れた。
杖は取り上げられたらしく丸腰だが、危害を加えられた様子はない。クローナはカティアを見るとほっとしたようで、眼を伏せながら謝った。
「ごめんなさい。私、捕まってしまって……」
「不運だっただけでしょう。全く問題ありませんわ」
カティアは穏やかに対応する。一方のフェイは、進み出たステファンに冷たい侮蔑の視線を向けた。
「血統書付きの負け犬め。よくもまあ情けなく捕まってくれたな。お前のせいで、せっかくの人質がパァだ」
「返す言葉も、ございません」
俺はだらだらと冷や汗を流しながら頭を下げるステファンを、少し気の毒に思った。だがフェイもこれ以上叱責するのは時間の無駄だとでも思ったのか、カティアの方を見る。
「お互い人質が無事なことは確認した。交換に移ろう」
「承知しました」
クローナとステファンは解放されると円卓を時計回りでぐるりと回り、元の陣営へと戻った。
「まずは一つ、片付いたな」
人質交換が終わるとフェイは息を吐きだし、煙管を取り出した。一服するらしい。
するとそれを見たカティアは、手で制した。
「申し訳ありません、わたくし、煙草の煙が苦手なので、取引の間だけはやめていただけませんか」
「……何だと?」
すると慌ててグレシアとナベリウスが二人を諫めた。
「カティア、今そういうのはいいから」
「隊長! どうか気をお鎮めになって……。どうせ、交渉はすぐ終わります。この程度のことで争っては損ですよ」
二人のとりなしで一触即発の空気が穏やかなものへと戻る。
カティアとフェイの相性は最悪らしい。というかもうグレシアとナベリウスに交渉させて、二人は別の場所へいてもらったほうがよいのではないだろうか。
そう思っていると、フェイはしぶしぶ煙管をしまった。
「私は煙草を吸わないと頭が働かないんだがな……」
それを見たナベリウスはほっとした様子で紙を取りだし、円卓に置く。
「こちらの要求する物資と、渡せる物資の一覧だ。そちらは何をどれだけ出せる?」
受け取ったカティアは書類に目を通すとペンを持ち、皆の見守る中、細かくチェックを入れる。そして書き終わると眼を閉じ、ざっと向こうにやった。
「ひとまず、ヴェラドンナ剤を提供しますわ。要求するのは小麦と干し肉、酒を少々。これでどうでしょうか?」
俺たちが顔を上げた瞬間、ナベリウスは低いうなり声をあげた。
要求の内容に怒っている──のではない。
彼の胸板に、深い裂傷が刻まれていた。
次の瞬間、血が吹き出し、円卓代わりの岩を鮮血に染める。彼は流れ出す血を止めようと両手で傷口を押さえながら、仰向けに倒れた。
「……回復!」
フェイの指示を受けた癒術師が駆け寄るが、すでにナベリウスは絶命していたらしく、癒術師はナベリウスの身体に手を当て、横に首を振った。
「呼吸、心臓ともに止まっています。もう、蘇生魔法でなければどうしようもありません」
「……そうか」
呟くと、フェイはすっと顔を上げる。
「どうやら、取引はここまでということらしいな」
その顔には、先ほどまで周囲へ発散していたような怒りはなく、冷たい敵意が宿っていた。