俺の意識を取り戻したのは、雷に打たれたような激痛だった。
「痛ってぇ……」
奈落の底で、俺は仰向けに倒れていた。
壁面に松明苔が付着しているため、あたりはうっすらではあるが明るさがあった。地下水が湧き出ていているらしく、あちこちにできている泉では、死人狐が水面に波紋を作りながら喉を潤しているのが見える。
普段ならこの神秘的な景観を楽しむこともできるのだが、全身を這いまわる痛みのせいで、そんな余裕はない。
思い切り叫んで痛みを紛らわせたかったが、無駄に体力は使いたくないし狐を呼び寄せたくない。俺は顔をしかめながら自分の身体の状況を確認した。
左腕は折れて骨が少し見えており、両足はひしゃげて冗談のような方向に曲がっている。喉の奥や腹のうちでごぽごぽと音を立てていることから、内臓がいくつか破裂していることもわかる。
右腕はかろうじて動くものの、無事な部分を探すほうが難しいくらいだ。とはいえあれだけの高所から落ちて命があるというだけでも儲けものといえるだろうが。
(……幸運だったな)
俺は自分の下敷きになっているカナート戦士の死体を見下ろし、そう思った。
彼はおそらく、撤退戦のときに倒したカナート兵だろう。通路の崩落に巻き込まれて一足先に迷宮の底へ墜落し、後から落ちてくる俺のクッションになったというわけだ。
しかし首の皮一枚生き残ったとはいえ、俺が死ぬのも時間の問題。
どうにかして生き残る方法はないか──
そう思ったとき、俺はすぐそばの岩壁に見覚えのある緑色の蔦が這っているのを見つけた。
『特に汁に薬効がある』
ヴィカスの言葉を思い出し、俺は右腕を伸ばした。あまり力は入らないが、体重をかけて引きちぎる。
ぼたぼたと血のような色の汁を滴らせる蔦を急いで口の上へ持ってくると、ぐっと力を込める。溢れてきた液体は、熟れた柘榴のような味だった。
汁を飲みほしたところで、喉の奥に湧き上がってくる血が止まったことに気がついた。
回復効果が、確かにある。
「他に……蔦は……」
見回すと、少し離れた岩壁に生えているのが目についた。まだ痛みの残る身体に鞭を打って這い、生命の蔦を引きちぎって汁を飲む。
そんな行動を何度か繰り返すうちに痛みが引き、砕けた手足が治り、したたかに打ちすえた体の内部まで修復されていく感覚があった。
十本ほど生命の蔦の汁を飲むと、ようやく墜落による大怪我を回復することができた。
立ち上がって自分の身体を見下ろすと、鎧は若干変形していたが、身体のほうは十分元の動きができるくらいには戻っていた。
(確かに、すごい効き目だ)
両手を握ったり開いたりしながら、俺は感嘆した。
一度死んで蘇生魔法を使うほうがよっぽど早いのではないかと思うような大怪我だったが、これほどの薬効があるとは。
もしもこれが大量に生産されれば、飯を食えなくなる癒術師もいるかもしれない。
「……さてと、上に戻る道を探すか」
痛みが引いて余裕も出てきたが、上に登る道が無ければ終わりという状況に変わりはない。
グレシアも瘴気が穴の底にたまっているかどうか分からない以上、浮遊魔法で降下してくるとは思えないので、上へ通じる通路があることに賭けて帰り道を探さなくてはならないのだ。
あたりを見回すと、水面の向こうに通り抜けられそうな横穴を見つけた。
「あそこか」
冷たい水の中に足を突っ込み、この空間からの出口へと向かう。水の深さが膝下まであったので少し動きにくかったが、さほど遠くなかったためたいして気にならない。
問題はその先にあった。
「お前……アウグストか」
通路に入った直後、鉢合わせた人物──それは、引きちぎれたコートを抱え、よろよろと歩いてきたステファンだった。
彼は俺の姿を見るや、素早く剣を抜いた。
「それ以上、近づくなよ」
剣を向けてくるステファンの言葉に従い、俺は止まった。
「わかりました。それにしても、あの崩落に巻き込まれてよく生きていられましたね」
向こうが斬りかかってこようとしたら、そのときに剣を抜いて斬ればいい。ひとまず話しかける。
「お前もな。全く、フェイ隊長は俺を殺す気だったんだろうか……」
「いや、それなら最初から人質交換に応じないでしょう。単に俺を殺したかっただけでは」
そう言うと、ステファンはため息をついた。
「……だろうな。あれ以上お前に暴れられたら、面倒だった。お前が斬った奴ら、モグラでも選りすぐりの戦士なんだが……。ハレーザー市の冒険者というのは、全員お前くらい強いのか?」
「さあ、状況によるんじゃないでしょうか」
フェイはハレーザー市での試合を観ているような口ぶりだったので、おそらく俺の実力は知っているし、だからこそ味方を巻き込む危険を冒してでも爆発魔法で殺しにかかってきたのかもしれない。
そんなことを考えていると、ステファンは剣を向けたまま、意を決したように言った。
「一旦、協力しないか」
俺は少し驚いた。頭の固そうな彼が自分から協力を申し出るとは予想していなかったからだ。
「何だ、その顔」
驚きが顔に出ていたらしく、ステファンは訝しげに俺を見る。俺は慌てて彼の問いに答えた。
「いいですよ。今戦う必要性は全くないですし。むしろ、ステファンさんは仲間の仇討ちに、俺と戦おうとでもするかと思っていたので」
すると彼はため息をつき、赤毛をがしがしと掻きまわした。
「……流石に、お前と一対一で勝てると思うほど馬鹿じゃない。それに仇討ちするほど俺はモグラの連中が好きなわけじゃないからな」
「そうなんですか」
「ああ、俺は冒険者の真似事をする隊で燻るつもりはない。ちゃんとした隊に所属するまで、ここで我慢しているだけだ」
「ちゃんとした……ですか」
騎士や専門の軍人から見れば、雑多に仕事を引き受け、日銭を稼ぐ冒険者などというものは仕事らしい仕事だとは思えないのだろう。
まあ俺も騎士師範学校にいた頃に冒険者として働く今の俺を見ることができたら、何をしているんだと怒っていたかもしれないので、失礼だと思いはしなかった。
「気持ちは分からないこともないですね」
俺の返答に、ステファンは少し気色ばんだ。
「適当な返事はしなくていい。死体拾いの手伝いなんてくだらない仕事で満足している奴には、本来いるべき場所にいられない悔しさというものは分からないだろう」
「……いや、俺も貴族出身の騎士志望でしたから、少なからず分かりますよ」
そう答えると、ステファンは目を丸くした、
「お前も、貴族出身なのか?」
「領地は小さいですし、次男なのでほぼ後ろ盾はありませんがね」
「次男。俺と同じじゃないか。何家だ」
「ハレーザーの南にあるライベル王国のアーベライン家です」
「ライベル……そうか、ライベルではお前ほどの戦士も騎士にはなれないんだな」
「ええ、まあ……戦争が無くなりましたから」
正確には、戦闘能力というよりは座学が駄目で徴税業務ができない、戦闘報告書がろくに書けないといったことが原因なのだが、ステファンは同情するように俺を見た。
「気の毒だな。確かに、戦いの技術が活きるのは戦いがあってこそだ。歯がゆい思いをしただろうな」
ステファンは敵ながら冷や飯食いの貴族としての同族意識が芽生えたのか、うなずきながら肩を叩いてきた。
急に距離を詰められ少し面食らったが、あまりカナート軍の部下から慕われている様子も無かったので、おそらく気安く話せる人間がいなかったのだろう。
とはいえ、俺の方はそうのんびり話す余裕はない。あいまいに笑うと、通路の先へと歩き始めた。
「親交を深めるのも結構ですが、先に脱出ルートを探しましょう。このままだと飢え死にするか、怪物に殺されて終わりです」
「……そうだな」
どれほど高貴な者であっても、平等に命を奪うのが迷宮という空間だ。
自分たちがそんな場所の奥深くにいるという事実を思い出したらしく、ステファンは表情を曇らせた。
急ごしらえのパーティだったが、怪物と遭遇することは少なかったため、それほど問題なくスムーズに探索を続けることができた。
あまりにも長く迷宮を歩いているせいで時間感覚が曖昧になってきてはいるが、およそ数十分ほど歩いた頃、再び広い空間に出た。
俺が落ちてきた場所と同じように水が湧き出ており、隆起した地面が小島のように散らばっている。
「向こうに、通り道があるな」
ステファンが指した先には大きな横穴があった。どうやら上へ向かう穴のようで、上層へ繋がっている見込みは大きい。
「幸先がいいですね。行きましょう」
入ってみると、先ほど歩いていた水場とは違い、腰までつかるほどの深さだった。水の中を歩くのは体温を奪われるうえに疲れるので好きではないが、まあ人間を仄暗い水の底へと引きずり込む怪物がいそうにないことだけはありがたかった。
松明苔の光を反射し、きらきらと輝く水面をかき分けるように進んでいくと、岩陰から細い馬の足がのぞいているのを見て、俺はぎくりとした。
固まっていると、後ろからついてきたステファンが立ち止まる気配がした。
「なんで止まったんだ……」
その声は、俺の視線の先を見て途切れた。
今は石化を解くための薬はないし、癒術師もいない。うっかり眼を見たらそこで終わりだ。幸いあちらは気が付いていないようなので、大きく迂回したほうがいいだろうか。
そう思いながらしばらく観察していると、ずるりと馬の脚が動き、大きな水しぶきをあげた。
「眼をつむってください!」
ステファンに指示しながら、俺も目をつむって抜剣する。
水上であれば動きはそれほど速くないし、どこから来るかは音で分かる。
耳を澄ませてこちらへ向かってくる水音を聞こうとしていたが、何も聞こえてこないことに違和感を覚え、俺はおそるおそる眼を開けた。
すると、スタフィアーのいた方から、静かに血の濁りが広がって来ているのが見えた。
「死んでいる……のか?」
顔を上げると、巨大な馬の怪物はぴくりとも動かず上体から前のめりに沈んでいくところだった。
どうやら上層で足を滑らせたか、洞窟の崩落によって落ちてきたらしく、首があり得ない角度で曲がっている。
「なんだ、死体か……驚いた」
ステファンは安堵の息をつくと、怪物の周りに広がる血を避けながら、先へ進もうとする。しかし俺が立ち止まってスタフィアーの死骸を眺めているのに気づき、振り返った。
「どうした?」
「いえ、肉を食べられないかと思って。食料がないので、腹ごしらえはできるときにしておきたくないですか」
ビスケットはこの迷宮に来る前に食べつくしてしまい、補給はシノエに頼るつもりだったので、手持ちの食料はない。
そして迷宮入りしてかなりの時間が経っており、腹が減っていた。そこに新鮮な馬の肉が転がっているのであれば、食べた方がよいに決まっている。
言われてステファンも空腹を自覚したらしく、思い出したように腹を鳴らし、咳ばらいをした。
「確かにな……だが、肉を焼くのに時間がかかるぞ」
「そのままいきましょう。馬は生でも中毒しませんよ」
「それはやめておけ。野生の馬はどんな病魔を持ってるか分からん。……ああもう、時間がかかるのはもうどうでもいい。食べるのなら一応、火は通すぞ。火を熾す巻物は持っている」
そう言うと、ステファンは魔法陣の描かれた巻物を広げて見せる。流石まともな貴族の子弟だけあって、いい品を持っている。
「……でしたら、ここで野営しましょう。どうせどこかで休息をとる必要があるなら、飯が食えるところでやったほうがいいでしょう」
ステファンはしばし思案する様子を見せたが、行き先の見えない迷宮の下層を彷徨っている現状を鑑み、いったん休息をとるほうが合理的だと思ったらしい。「一理ある」とだけつぶやき、こちらに戻ってきた。
それから二人でスタフィアーの後ろ足を掴み、地面に引き上げた。
怪物に襲われないようステファンが周囲を見張っているうちに、俺はスタフィアーの解体に取り掛かる。
「眼を見ないようにしないとな」
死後も呪いの力が残るのであれば、当然取り除いて適当な場所に埋めたほうがいい。そう思い、左手で馬の額の辺りを探る。
だが、そろりと触れた指先は、ずるりと滑った穴に滑り込んだ。思わず指を抜き出して額を確認すると、眼のあるべき場所に、ぽっかりと抉られたような痕が残っていた。
「魔眼がない?」
落ちてくるときに失ったのか、他の動物に食われたのか。
まあ何せよ、余計な手間が省けたのはありがたい。俺は狩猟訓練で射留めた鹿を解体したときのことを思いだしながら、剣を馬の脚に突き立てた。
松明苔は常に発光しているわけではなく、定期的に休眠するものらしい。
壁面から天井にかけて、次々と消えていく明かりを見上げて俺はそのことに気づいた。迷宮の太陽が姿をくらますと、洞窟には夜が訪れる。
闇の中、俺とステファンは火を噴き上げる魔法の巻物の前でじっくりとローストされている肉を見つめていた。
「そろそろ焼けましたかね」
木の枝に突き刺し、じっくりとローストした腿肉を差し出すと、ステファンはもどかしげに受け取り、豪快にかぶりつく。
よほど腹が減っていたらしく飢えた子犬のようにがつがつと食べる姿を見て、俺は少し笑ってしまった。
流石に腿だけでは飽きるので舌や胸などの部位も、巻物の上で熱した石を鉄板代わりにして食べる。
「うまいな。俺の家の料理人よりうまいかもしれない」
「空腹だったからでしょう。塩を振っただけの粗末な料理に負けたと知ったら、料理人は泣くと思いますよ」
「……違いない」
そのとき、火に照らされたステファンの顔に初めて笑みが浮かんだ。食事を摂って腹が満ちると、怒りや敵意というものは鎮まるらしい。
「そういえば、カナート軍ってなんでこの迷宮を獲りたいんですか?」
そのとき、俺は何となく気になっていたことを聞いた。
価値があるから欲しい、というのは分かるが、辺境国のカナートがハレーザー市と戦争になる危険を冒してまで迷宮攻略部隊を送り込んできたとなれば、それなりの理由があるはずだ。
「鉱毒だ」
ステファンはそれくらいなら話してもいいと思ったのか、あっさりと答えた。
「鉱毒?」
「ああ。黒金岩窟という迷宮を知っているか?」
以前、武器商人のマンフレッドがカナート剣について説明するときに話していた迷宮の名前だ。俺がうなずくと、ステファンは話し始めた。
「黒金岩窟はもともと大蜘蛛が大量に棲んでいてとても人間が足を踏み入れられる場所じゃなかったんだが、俺たちは大蜘蛛たちを全滅させ、鉱山として利用できるようにしたんだ。鉱夫を入れて鉄がたくさん採れるようになったら、珍しく方々から褒められてな。カナートの王から勲章まで貰った」
ステファンは胸に輝く小さなメダルを誇らしげに見せた。おそらくモグラという居場所に不満を抱いている彼も、そのときだけは嬉しかったのだろう。
「だが、カナート鉄を採ったり精錬するときは毒が出る。鉱山の下流に住む人間が肺や内臓を病んでばたばた死んだよ。迷宮攻略のときに殺された大蜘蛛の呪い、なんて言う奴もいた」
カナート鉄とはつまり死神だったのだろう、と俺は思った。
民に富を約束する代わり、病毒で命を奪う死神。
「フェイ中隊長は、鉱山を使えるようにした自分たちにも責任があると考えた。病人の見舞いに回ったり、精錬と採掘の過程で出る毒を濾過する方法を調べていたりしたみたいなんだが……ハレーザー市のほうで、『生命の蔦』の話を聞いた。それで中隊長は、迷宮を獲るしか能のない自分でもこれなら病人を救えると思ったんだろうな。ナベリウスはハレーザー市という虎の尻尾を踏みかねないから反対していたみたいなんだが、結局ここまで出張って来ることになった」
「なるほど」
カナート軍がやってきた理由。しかしカナート軍の側は隊長と副隊長に意見の相違があったというのは初耳だった。
「もしかして、戦いのきっかけになったナベリウスの殺害は、フェイさんがやったんでしょうか」
そう言うと、ステファンは眉をひそめた。
「いや? 中隊長はだいぶ荒っぽいが、そんな理由で部下を殺すような人間じゃない。だいたい、副隊長を殺して開戦の口実を作るような腹芸ができるなら、モグラの隊長なんてやっていない。あれでも、元は貴族の令嬢だからな」
「本当ですか?」
貴族の令嬢というイメージと、血走った目で金玉がどうと口走っていたフェイの姿は、なかなか重ね合わせられない。俺の懐疑的な視線に気づき、ステファンは笑った。
「まあカナート軍の兵はだいたい農民から徴収した奴らだからな。そいつらに合わせて喋っているうちに、
「へえ……」
あれでもいろいろ考えた結果らしい。そう思っていると、ステファンは考えるそぶりを見せながら言った。
「話がそれたが、少なくともこちらの隊内部で殺し合う理由はないと思う。だからやはり、ナベリウスを殺した人間がいるとすれば、それは冒険者側だろう」
「……でも、こちらは戦いは避ける方針で交渉する予定でしたよ」
そう反論すると、彼は首を振った。
「では、犯人だけはそうではなかったのだろう。ナベリウスに対し私怨があったか、戦いを起こす理由があったか……まあ、もう戦いが始まった以上、誰がどういう理由で手を出したかというのは、俺たちが考えても仕方がない。結局のところ問題になるのは、どちらが勝つか、だからな」
ヴィカスは迷宮攻略を早めるため、元々三隊に分けていた冒険者たちをさらに細分化し、七つのパーティに編成し直した。
あまり隊を分けすぎると各個撃破される恐れがあるが、そもそも冒険者たちは個々の能力が高いので、問題はないと判断したらしい。
グレシアはシノエやマルティンとともにカティアのパーティに入れられた。
バランスの取れた編成を好むヴィカスが、カティア隊に限っては戦士2名に付与術師2名と、癒術師や攻撃術師もつけない偏った編成のパーティにしたことは意外だった。
「……そりゃあ、扱いづらいのをまとめただけだろ」
夜営中。袋小路の中で、マルティンは槍を磨きながらそう言った。
「まずお前は雪原の民。これ以上説明いるか? シノエはいい歳してお人形遊びが好きな根暗。カティアはよくわからんところでキレる騎士かぶれ。面倒なのを集めてるのさ」
レイピアを抱いて目を瞑っていたカティアは、刺すような視線を送った。
「聞こえていますわよ」
焚き火に手をかざしていたシノエは申し訳なさそうにしながら、ぺこりと頭を下げる。
「根暗ですみません……でも、あ、あなたの後ろに置いてるフレミーは、あたしの悪口を言う人の口を縫うのが趣味なのです。あまり不用意なことは言わないほうがいいですよ」
「操ってるのはお前だろうが」
言い返すマルティンに、グレシアは尋ねた。
「……その理屈だと、マルティンも何かしら問題があるんじゃないの?」
するとマルティンは不敵に笑い、気取ったように髪をかきあげる。
「俺は、普段から誰ともつるまない一匹狼だからな。お仲間同士で群れて連携するのは無理だ。まあ強いからこその泣き所と言えるわけだが」
「ふーん。マルティンってそんなに強いの? 初戦でアウグスト君に負けていたような」
その言葉を耳にした瞬間、マルティンは腰に手をあて、ふんと鼻を鳴らした。
「そのアウグストは優勝者だからな。最初に当たらなければ、実質、俺が準優勝者みたいなもんだ」
するとカティアは薄く笑い、レイピアに手をかける。
「実質、などと言うと、負け惜しみに聞こえますわよ。今ここで準優勝者決定戦をしてみましょうか?」
「……結構だ」
うなずいたら本当に剣を抜きかねないと思ったのか、マルティンは固辞した。
少し不満そうにしてから、カティアはグレシアのほうを向いた
「そういえば、お礼がまだでしたね。あのときは爆発魔法の防御、助かりましたわ」
「そんな言葉を君の口から聞けるとは思わなかったな。嫌われているかと思っていたよ」
「ええ、あなたのことは嫌いですわよ? しかし嫌いであっても、恩義を受けたことには変わりませんから」
カティアはそう言ってから、悲しげに目を伏せた。
「もう一人、殿を務めてくださったアウグストさんにもお礼を言いたかったのですが……もう、言葉を交わせないのが残念ですわね。実に惜しい人を喪いました」
「関わりが薄いのに、ずいぶん悲しむんだね」
「志を同じくする者の死を悼まないわけがないでしょう。まあ、命を賭して皆を守ってくれたと考えれば、名誉ある死を賜れたことは彼にとって唯一の幸運でしょうけれど」
アウグストの死を美化するような彼女の物言いを聞いたグレシアは、少し胸の内がざわめいた。
「……名誉ある死、なんてものはないよ。生き返ることができないのであれば、全て等しく犬死にだ」
そうつぶやくと、マルティンは驚いたようにグレシアを見た。
「ひょえ、一応相棒だったってのによくそんなことが言えるなあ。……ま、嫌な感じもこれくらい突き抜けてたほうが、逆にすがすがしいか」
カティアはため息をつくと、興味を失ったかのようにグレシアから視線を外し、沈黙が降りた。
「そ、そういえば、皆さん物資は足りていますか。欲しいものがあれば、教えてください」
空気の悪さに耐えきれなかったのか、シノエはそう切り出した。
「酒はあるか?」
「干し肉を少々いただけるかしら」
マルティンとカティアの注文に応え、シノエは人形の中身を漁り始める。と、すぐに顔を上げた。
「グレシアさん、後ろの人形にワインが入っているので、取ってくれませんか?」
「分かった」
後ろにいる人形の胸の扉を開け、ワインの瓶をシノエに渡す。そのとき、グレシアも魔力が回復するまでの間のつなぎに、魔晶石が必要だったことを思いだし、シノエに訊いた。
「そういえば、魔晶石の入っている人形はどれかな」
「魔晶石? ディン……グレシアさんの後ろにいる子に、一緒に入れていたはずですけど」
そう言われて改めて探してみるが、見当たらない。
人形の胴体に入っているのは、1本のワインとヴェラドンナ剤の瓶だけ。しかもヴェラドンナ剤は6本を残し、他の瓶は全て空になっている。
そのことを伝えると、シノエは首をひねった。
「魔晶石もヴェラドンナ剤も、ディンに入れている分は使った覚えはないのですが……隊を分けるときにいろいろな人に物資を分けたので、そのときに誰かが持っていったのかもしれませんね」
そう言って、シノエは自分用の予備の魔晶石をグレシアに渡す。
彼女が他の物資がどれだけ残っているか調べるのを見ながら、グレシアは手にした魔晶石を見つめながら、考え込んだ。
(……妙だな)
最初シノエが持っていた薬は20本。裂け目に落として2本失い、ステファンに1本使って、残りは17本になっていなくてはおかしい。
11本の薬が無くなっているのだ。
確かにシノエが人形に物資を入れていることを知っていれば、物を持ち出すことは誰にでもできる。シノエに断りを入れないのはいささか非常識だとは思うが、それほど悪意がある行動と断じることはできない。
だがヴェラドンナ剤は違う。
あれは密閉した瓶を開けると、たちまち気化し始める。石化したステファンの治療のときも、ヴェラドンナ剤は地面に落ちる前に気化し、跡形もなくなっていた。
だから瓶に入れて持ち運ぶ必要があるのだが、その瓶がほとんど空になって残されていたので持ち出されたとは考えにくい。
グレシアのような付与術師が小さな結界を作って中に薬剤を入れれば瓶の代わりにならないこともないが、結界は維持する間も魔力を消費する。わざわざ瓶を捨てて結界で持ち運ぶ理由はないように思える。
このことから、「冒険者側の誰かが必要だから持ち出した」可能性は低い。
そしてシノエに会ってからここに来るまでに、石化した人間はステファンのみ。ヴィカスの堅実な指揮のおかげか、他の冒険者たちの中で石にされた者もいない。
つまり「誰かが石化の治療に使って空き瓶だけを人形に戻した」という可能性もないと考えられる。
残るは、「誰かがこっそりとヴェラドンナ剤を捨て、空き瓶を人形に戻した」という可能性。これは明確に悪意がある。
石化の治療に必要な薬がなければ、スタフィアーとの戦闘に伴う危険は跳ね上がる。癒術師の魔法で回復することはできなくもないが、余計な魔力消費が増える分、冒険者の不利に繋がる。
(……内通者がいる?)
薬を捨てたという仮説から導かれる答え。まだ確実な証拠はないうえ、六本だけ捨てずに残しておいた理由も不明瞭だが、そうなると辻褄も合う。
グレシアはこのことをカティアたちに警告すべきか、少し迷った。
裏切り者がいる可能性を排除できないまま探索を進めるのはいかにも危ない。とはいえ確証のもてない話であるうえ、仮に犯人が実在してこのパーティの中にいるとすれば、余計なことに気づいたグレシアを殺しにくる可能性もあるのだ。
アウグストがいれば直接攻撃を気にせず調査もできるのだが、そもそも今はその彼を探すために潜っているのでどうしようもなかった。
(探索をしながら、探りを入れていくか)
グレシアは、他の三人を見ながらそう思った。