食事と休息を終え、俺とステファンは脱出路探しを再開した。
基本的に上層へ繋がる道を探すことになるので下りよりも疲れるが、ここでもどういうわけか怪物と遭遇することが少なかったので、体力の消耗はそれほど激しくない。
「それにしても、グレシアとかいう女は気に食わないよな」
ステファンは俺の横を歩きながら、そうぼやく。
「そうですか?」
「態度といい、がめついところといい、最悪だ」
「手厳しいですね。そこに目をつぶれば、悪い人ではないですよ」
「目をつぶったらあいつの憎まれ口だけが聞こえると思うんだが……。よくあの女と組めるな。いい仲なのか?」
真面目な顔で訊かれ、俺は思わず吹き出してしまった。
「ないですよ。恋するグレシアさんというのはちょっと見てみたいですけどね」
「なんだ。やけにあいつをかばうから、そうなのかと思った」
「そう見えますか」
借金返済の目途をつけてくれた恩義を差し引いても、初めて俺を認めてくれた人間として、彼女に特別な思いがあることは否定できない。
だがグレシアにとっては、俺は特別な存在ではないだろう。結局は、多少信頼できる、代替可能な護衛にすぎない。
(ま、そう思われているだけでも、十分すぎるくらいだけどな)
そこまで考えてから、ステファンにそんなことを考えさせられたことが何となく面白くないような気がして、意趣返しをすることにした。
「ちなみに、そういうステファンさんはそういう方はいないんですか。地上で不意打ちする前に、親しげに話していた女性とか……」
地上での奇襲の前、ステファンが魔術師の女と話していたことを思いだしながらそう言うと、ステファンは顔を真っ赤にして眉を吊り上げた。
「違う! あれはどう見ても不真面目なだけだ。くだらないお喋りをするし、木苺なんか摘んできて……」
「そうでしょうか。単に不真面目なら、わざわざ気難しいステファンさんに話しかけないんじゃないですか。木苺は目の疲れが消えますし、書類を作っていたあなたのためだったのでは」
てっきりうるさく反論してくるかと思ったが、ステファンははっとしたような表情を浮かべた。そのまましばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「気づかなかったな。……それに、あいつの名前もうろ覚えだ」
「はは、ひどいですね。ずっと一緒にいるわけではないとしても、一緒に仕事をするのであれば、ちゃんと仲間のことを知っていたほうがいいんじゃないですか」
俺がそう言うと、ステファンは少し考えてから、答える。
「……怖いんだ」
「怖い? 部下が?」
俺が首を傾げると、ステファンは首を横に振った。
「何と言えばいいか……ちゃんとあいつらを見て、あいつらと一緒にいることに慣れてしまうと、ここも悪くないと思ってしまうような……なるべき自分になれていないのに満足してしまうような気がしてな。それが怖い」
普段はあまりそういうことを語らないためか、ステファンの言葉はぎこちない。だが何となく、言いたいことは分かる。
(なりたい自分になれなかったらどうするか、か)
難しい質問だ。俺は少し考え、答えた。
「満足したならそれでいいんじゃないですか。予定通りにいかないことのほうが多いんですから、いちいち予定通りに行かないことを悔しがってたら何もできませんし」
「それは理想を実現できなかった負け犬の論理だ」
「ええと……別の道を受け入れるのも、一種の勇気なんじゃないですかね」
「一種の勇気。勇気か」
ステファンは、腕組みをしながら、舌の上で転がすようにつぶやいている。
「こうすべ
我ながら機知の効いた締めくくりになったと思っていると、後頭部を小突かれた。
「うまく言ったような顔をされると腹が立つな。だいたい、『べき』のうち『べ』はどこへ行ったんだ『べ』は」
「細かいところを気にしますね」
「お前が雑なんだ。半分文字をふっ飛ばしておいて細かいも何もないだろう」
自信のあった洒落をステファンに酷評され、少し落ち込みながら歩き続けていると、狭い道は終わり、また広い空間に出た。
だが、眼に飛び込んできた光景は、俺が落ちてきた場所や休息を取った場所とは、全く違うものだった。
「……ひょっとして、これ全部、蔦か?」
壁は一面赤紫色の蔦で覆われており、松明苔が天井まで追いやられているせいで少し暗い。薄明りの中で浮かび上がる無数の蔦は柔毛のようで、まるで生物の腹の中のような錯覚さえ起こす。
俺はステファンと顔を見合わせ、つぶやいた。
「見つけてしまいましたね……群生地」
二人一組で見張りをし、カティア隊は一晩を明かした。幸い敵に襲われることはなかったが、グレシアはカティアと組んで見張りをしていたため、あまり話は弾まなかった。
先を進むと、血の匂いが辺りに充満していた。グレシアが鼻を押さえながら地面を見ると、冒険者の死体が五体転がっていた。
「ぜ、全滅してますう……」
「見ればわかります。それにしても、異様ですわね」
足を震わせながら怯えるシノエに苛立つ様子を見せながら、カティアは周囲の状況を見渡した。
五人の冒険者たちの死因はおそらく斬撃による死亡で、例外なく首を切り取られている。魔法を使った痕跡はなく、一方的な殺戮があったようだった。
死体を確認していたマルティンは、その中の一人が持っていた剣を見て、「げ」と声を上げた。
「こいつ、ヴィカスじゃないか」
確認すると、確かに背格好や服装は同じで、傍に転がっている大剣にも見覚えがある。
「……そのよう、ですわね」
カティアが右手から吊り下げた邂逅の手と死体の腰に繋がれている邂逅の手は、共鳴するようにぴくぴくと指先を動かしている。
首が切り取られているが、ヴィカスその人と見ていいだろう。
「え、ヴィ、ヴィカスさんがやられたって……じゃああたしたち、負けたってことですか?」
シノエが声を震わせるが、カティアは腕組みをしたまま落ち着き払っていた。
「大丈夫ですわ。私たちは元々パーティ単位で行動していたのですから、ヴィカスさんが死んだところで、戦局に大きな影響はありません」
しかしマルティンはカティアの言葉には賛同しかねるらしく、渋い顔をした。
「そううまくいくか? 魔法の痕跡がないってことは、これ全部武器で殺してるってことだ。相当強い精鋭がいるぜ」
確かに致命傷となっている傷跡は一つか二つしかない。かなりの手練れの仕事だ。
「だが不可解なことが、一つある」
「ふ、不可解なこと? これをやった相手が近くにいるかもしれないのに、のんびり調査してるグレシアさんの頭のほうが不可解では?」
一言多い女だな、と思いながら、グレシアは死体の傍らに転がる荷物を指さす。
「……持ち物だ。カナート軍なら、ただ殺すだけじゃなくて持ち物も取っていくんじゃないか?」
ヴィカスたちの荷物は、中身がほとんど残っている。パン、傷薬、銀貨、魔晶石……グレシアたちが逆の立場であれば、間違いなく持っていくであろう持ち物が全て放置されている。
「慌てていたのでしょう。深い意味なんてないですよ。頭部が無い以上、回収したって仕方ありませんし……早く行きませんか?」
シノエはさっさとその場を離れたいらしく、カティアに懇願する。だがカティアは一考してから、口を開いた。
「では、罠ということではありませんか? 私たちが食料を回収することを見越して毒を盛っておく、というような」
「可能性としてはあるかもしれないね。ただ、毒を事前に準備しているか分からないし、やり方が回りくどすぎるように思えるけど」
そのとき、右手の側道から鍋を弾いたような金属音が聞こえてきた。カナート軍が連絡に使う合図だ。
「な、何の連絡でしょうか……」
死神の声を聞いたように怯えるシノエに、マルティンは、さあと答えた。
「ひょっとしたらヴィカスたちを倒したって報告かもな。位置は分かるか?」
グレシアは耳を澄ませ、頭の中で洞窟の地図と照らし合わせた。
「だいたい分かる。おそらく、こっちがマッピングしている側道にいるね。うまくいけば挟み撃ちにもできる地形だけど、無駄な戦闘はせずに行ったほうが……」
続くグレシアの言葉を、カティアは遮った。
「断固、戦闘ですわ。シノエさんとマルティンさんは頭を叩いてください。私とグレシアさんが、後ろからカナート軍を襲います」
即断即決。カティアの指示を聞いたマルティンは嬉しそうに、シノエは緊張した顔持ちで答える。
「よし、任せときな」
「り、了解です」
二人の姿が見えなくなると、グレシアはため息をついた。
「君は戦うのが好きだね」
グレシアの目的はアウグストの救出。カナート軍との戦闘は時間の浪費でしかないので避けたかったのだが、カティアはむしろ積極的に戦いたがっているようだった。
カナート軍との対決に乗り気ではないことを察したらしいカティアは、痺れを切らしたようにグレシアの手を引っ張った。
「早く来てくださいまし。ヴィカスさんとアウグストさんの仇を討ちますよ!」
アウグストのためを思うなら戦うよりも探索を続けてくれ、と思ったが、マルティンとシノエがすでに先回りしてしまっている以上、グレシアも協力せざるをえない。
「ああもう、分かったよ」
グレシアは杖を握り、カティアの後に続く。
通路の先には、マルティンやシノエの人形たちと戦うカナート軍の姿があった。こちらから、前衛を支援する魔術師たちの背が見える。
(……こちらには気づいていない。奇襲できる)
しかし次の瞬間、カティアの予想外の行動のせいで、そうはならなかった。
「カティア・ラルフレイヤ、参る!」
わざわざ名乗りを上げると、カティアは駆けていく。
せっかく裏を取れたのに、その声に気づいた魔術師たちは振り向いた。
挟み撃ちにする戦術を理解して実行しているのに、どうしてこういうところでは律儀に名乗りを上げるのだろう。苦々しく思うグレシアをよそに、さっそくカティアは正面にいた一人の喉をレイピアで正確に貫いた。
目にも留まらぬ早業で三人を突き殺したところで二人の攻撃術師が殺戮の限りを尽くすカティアに向け、火焔魔法を発動させた。
しかしカティアを消し炭にする直前で、魔法はグレシアの結界に阻まれた。カティアは地面を蹴り、己を焼き殺そうとしていた魔術師のうち、片方の胸を貫く。
「最後のお方、ですわね?」
カティアがぐるん、と頭を回して最後の一人となった魔術師を見ると、彼は情けない声を出して後ずさる。
そのとき、轟音が響いた。
「そこに居たか、鼠ども!」
グレシアが振り向くと、フェイが配下とともに立っていた。カティアも串刺しにした魔術師の胸からレイピアを引き抜きながら、目を見開く。
「なぜ後ろに……」
向こうも気づいていたか、とグレシアはため息をついた。
グレシアが可能性に気づきながらも、あえてヴィカスに伝えなかった鬼手。それは、新しい道を作るという方法だった。
ジュダーム迷宮は岩盤が脆い。だからたとえ地図を製作しておいたとしても、後から爆破魔法等で迷宮のほうを作り変えることが可能なのだ。
フェイは獰猛な笑みを浮かべると、声高々と命令する。
「焼き尽くせ!」
前に出た5人の魔術師たちが杖を構えた。それを見たグレシアは魔晶石を掴み、カティアに声を掛ける。
「攻撃は任せる」
「言われるまでもありませんわ」
攻撃術師5人分の火焔魔法は、うなりをあげる地獄の業火となって吹き付けた。
グレシアが魔晶石に宿る魔力を使って防御し、魔法が終わると同時にカティアが飛び出す──
「交代、撃て」
そのとき5人の魔術師が飛び退り、さらに後ろで待ち構えていた3人の魔術師の姿が露わになった。
(こっちが本命か!)
グレシアは小さく舌打ちをした。
あえて初撃はグレシアに防御させ、結界を解除した直後に次撃でカティアを仕留める、というわけだ。
結界の再展開は間に合わない。
カティアが炎に包まれた瞬間、さしもの清廉騎士も命運は尽きたかに思われた。
「ぬるい、ですわ」
しかしカティアは炎を振り払い、全く無事な姿で現れた。必殺を予期していた相手が無傷で現れたのを見て、フェイは驚愕の表情を浮かべる。
同時にレイピアの剣先が、彼女の胸に突き立った。
「がはっ」
間髪入れず放たれた突きに喉と右目を貫かれ、フェイはばったりと倒れる。
「次は、どなたかしら」
将を討たれ、浮足立っていたカナート兵たちは、悲鳴を上げながら退却を始めた。
カティアはフェイを討ったことで満足したのかそれ以上の追撃はせず、レイピアを剣に収める。
「だ、大丈夫ですか?」
そのとき、戦士たちを倒したマルティンとシノエが後ろからやってきた。二人はカティアの足元で転がるフェイの死体を見て、目を丸くする。
「奇襲してきたカナート軍の将を討ち取りました。小細工を用いるお方でしたが、これでもう、我々の邪魔はできないでしょう」
「……強いとは思っていたが、まさか本当に倒しちまうとはな。さっき魔法で燃やされてなかったか?」
「卑怯な策で、わたくしが倒れることはありませんわ」
「……答えになってないぜ。やっぱり騎士ってバケモノなんだな」
マルティンは感心を通り越して呆れていたが、近くで戦闘を見ていたグレシアは、カティアが魔法を防げたからくりが分かった。
カティアは、ベルナールと同じ術戦士なのだ。
ただ、彼女がベルナールと違うのは、扱う魔法の系統が攻撃術ではなく、グレシアと同じ付与術師系統の結界魔法であるということ。
だからグレシアが初撃を防いだ後、カティア自身が展開した結界で、次の魔法による攻撃を防ぐことができた。
ハレーザー市の大会を欠かさずチェックしていたフェイは「カティアは魔法を使わない」と思っていたため二段構えの魔法攻撃を用意していたのだろうが、その思い込みを突かれ負けたのだ。
グレシアはフェイの死体を見下ろしながら、思考を巡らせる。
(……内通者を警戒していたけれど、こういう展開になったら内通者がいようがいまいが問題はないか)
カナート軍が健在であれば裏切る理由があるが、隊長と副隊長を失った現在、カナート軍は積極的な攻勢に出ることはできない。
唯一ステファンなら何とかできるかもしれないが、正直彼がフェイ並みの用兵家であるようには見えないので、彼が健在だとしても退却の判断を下すだろう。
だから仮に鼠がいたとしても、沈み始めた船に乗り移りはしないはず。
そのとき、シノエがおずおずとカティアとグレシアに尋ねた。
「あ、あの死体、よければあたしが拾ってもいいですか? グレシアさんは魔力の消耗が激しいでしょうし」
「任せますわ」
「……いいよ」
「ど、どうもありがとうございます」
二人の了承を得ると、シノエは人形にフェイの死体を抱き上げさせた。彼女の遺体はカナートが買い取ってくれる可能性があるので、持っておきたいのだろう。
結局買い取ってくれる顧客が変わるだけなので、死体拾いには敵も味方もない。金になりそうな死体は平等に拾われるのだ。
正直なところグレシアもフェイの死体を持っていきたかったが、先ほど結界魔法で防御するのにかなり魔力を損耗した。アウグストの死体を持ち帰ることを考えると、余計な死体を拾うべきではないだろう。
そのとき魔晶石補充が必要なことを思いだし、シノエに声をかけた。
「ああそうだ。たぶん今の戦闘でだいぶ魔力を使っちゃったから、魔晶石をもう一つ貰っていいかな」
「カナート軍が退却してくれるなら、もうそれほど魔力も消耗しないでしょうけど……いいですよ」
金目の死体を手に入れて上機嫌なシノエは、こちらも見ずにそう答える。
「じゃあお言葉に甘えて」
人形の胸を開け、中に収納されていた魔晶石を取る。そのとき、残りのヴェラドンナ剤がグレシアの目についた。
そして何となしに、空になっている瓶の数を数える。
(1……2……3)
カウントは、そこで止まった。
6本あったヴェラドンナ剤が、3本に減っている。
「あ」
その瞬間、グレシアはヴェラドンナ剤を減らした犯人と、その目的が分かった。
そして、分からないほうがよかったということも。
(……これは、下手に首を突っ込まない方が賢明だな)
もし自分の推理が正しければ、この犯人はグレシアに対しては無害な存在だ。だがもしもこちらが犯人の正体を知ったことを気取られれば──
「どうしたのですか?」
振り向くと、瓶を数えていたグレシアを、じっとシノエが覗き込んでいた。
「ああ、いや……何でもないよ。帰ったらこのワインで一杯やりたいなと思ってね」
一緒に収められていたワインの瓶を指してそう答えると、シノエは微笑を浮かべた。
「グレシアさんらしくないですね。山場は越えたとはいえ……何が起きるかはわかりませんよ。ここはまだ、迷宮の中ですから」