【書籍化】迷宮で、死体を拾う   作:龍 圭介

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29スタフィアー⑧

 

 

 

 ステファンと共に生命の蔦から逃げ回り、ようやく合流したのは、退却するカナート軍の一隊だった。

 

 彼らは俺を見るととっさに身構えたが、ステファンが前に出て何事か話すと、警戒を解いた。

 

 それからステファンはいろいろと喋っていたが、やがてこちらに戻ってきた。

 

「中層での戦闘でフェイが死んだ」

「えっ」

「カティア……お前たちの副隊長にやられてな。それでどう動くか決めかねていたところに、俺が来たらしい」

 

 俺たちが地の底で右往左往している間に、戦局はかなり変化していたらしい。ステファンは真剣な顔で続ける。

 

「生命の蔦の暴走が始まっている以上、この迷宮は手に負えない。だから俺たちモグラは迷宮を脱出するつもりなんだが……お前も俺たちと一緒に来るか?」

 

 彼なりの親切なのだろう。だが、グレシアを置いて出るわけにもいかない。

 

「ありがとうございます。しかし、俺はまだやらないといけないことがあるので」

 

 固辞すると、彼はため息をついた。

 

「まあ、お前ならそう言うか」

 

 ステファンは振り返って後ろの兵にカナート語で何かを尋ねる。そして何度かやり取りをすると、振り返る。

 

「さっき戦ったカティア隊の中に銀髪の女がいたそうだ。どこにいるかは分からないが、戦った場所に繋がる道は、あれだ」

 

 ステファンが親指で示したのは、右手の側道だった。俺は礼を言って駆けだした。

 

 

 

 

 

 

 詳しく道を教えられたわけではなかったので少し迷ったが、俺はカティアがグレシアを殺す寸前で、割り込むことができた。

 

 俺の姿を見たグレシアは流石に驚いているようで、幽霊でも見たかのような顔をしている。

 

「それにしても、あの高さから落ちてよく生きていたね」

「ええ、俺も死んだと思ったんですけど、なんか生き残れたので、戻ってきました」

「つくづく不死身だな、君は」

 

 間に合って良かった──そう思ってほっとしたが、グレシアの左手が切れて出血しているのに気づき、俺は奥歯を噛みしめた。

 

「なぜ、グレシアさんを殺そうと?」

 

 俺は顔を上げると、レイピアを弾き飛ばされて痺れた右手の感覚を取り戻そうとするかのようにゆらゆらと右手を揺らしているカティアを睨む。

 

 すると彼女は肩をすくめた。

 

「決闘の前に、戦う理由を説明するのはわたくしの流儀なのですが……先ほど、グレシアさんに同じ話をしてもらいましたからね。説明してくださるかしら?」

 

 するとグレシアは要求通り、短く答えた。

 

「彼女はこの迷宮戦争を引き起こした犯人で、その責任を追及しようとしたヴィカスを仲間ごと暗殺している殺人鬼。犯行がバレたのが分かったから、口封じのために襲ってきた」

「なるほど、端的で分かりやすいですね」

 

 俺が納得すると、カティアは腰に手を当て、窘めるように言った。

 

「分かりやすく見える説明こそ危ないものですよ、アウグストさん。あなたは、わたくしの気持ちが分かるはずです。戦いを糧とするわたくしたちには、この迷宮は狭すぎる……魚が水を欲するように、植物が光を欲するように、わたくしたち騎士には戦争が必要でしょう?」

「……何が言いたいんですか」

「グレシアさんの下を離れ、わたくしと同じようにギルド長の下で剣を振るわないか、ということです。公にはしていませんが、わたくしはギルド長の右腕、という立場にあります。いずれ騎士推薦が貰えるかもしれませんし、今回のようにこっそりと戦争の火種をまくのにもちょうどいい立ち位置です」

 

 俺はギルド長の誘いを思い出した。俺やベルナールと同じく彼女もギルド長の誘いを受け、「いずれ騎士に推薦する」という一文を見て暗殺者になることを決意したのだろう。

 

「……俺はギルド長の誘いを一度断っています。答えは変わりません」

 

 するとカティアは青臭い夢を語る少年に向けるような眼差しでうなずいた。

 

「わたくしも今の仕事に思うことがないでもありませんが……手段を選んでいてはいけません。一生そうして、薄汚れた雪原の民の護衛などをしていくつもりなのですか? 耐え忍べば騎士になり、ゆくゆくは自分の領地、自分の家、自分の民も手に入る……きっとアウグストさんは、民に必要とされる、良い領主になれますよ」

 

 必要とされる、という言葉に俺はどきりとした。カティアはにこやかに話を続ける。

 

「ああ、それともグレシアさんを見捨てることを後ろめたく思っているのですか? しかしよく考えてみてくださいまし。グレシアさんは、別にアウグストさんと仕事をしなくたっていいのです。現にわたくしと組んでカナート軍の隊長をも討ち取ったのですからね。彼女の護衛の代わりはいます。それよりも真にあなたを必要とする者のために生きる。それこそ本物の騎士というものですわ」

「それは……」

 

 言葉に詰まったその瞬間、ずっと黙っていたグレシアが口を開いた。

 

「あー……いろいろ勝手なことを言っているけど……私の気持ちを勝手に代弁するのはやめてくれないかな。アウグスト君の代わりはいるって?」

 

 彼女の声が、一段低くなる。その言葉は、カティアというよりも俺に向けられている。

 

「そんなわけないだろう。私が手を振り払われてどう思ったと思う? 君が隣にいない間、平気でいたと思うのかな」

「グレシアさん」

「……もし君のことを必要としていないなら、私はここにはいないよ。君も、冒険者たちも見捨てて迷宮をさっさと出ている」

 

 その言葉で、頭にかかっていた霧がさっと晴れたような気がした。

 

「……すみません」

 

 もう、少しの迷いはない。カティアへと再び剣を向ける。それを見た彼女は、失望したような視線を俺に返した。

 

「同じ騎士のあなたなら、分かりあえると思いましたが」

「俺は騎士ではなくて、ただのアウグストですよ。……それにあなたも、騎士じゃない。ただの暗殺者です」

「……は?」

 

 その瞬間、カティアは血も凍るような目つきで俺を睨んだ。

 

「訂正しなさい」

「訂正が必要なことを言った覚えはありませんが」

「……では、あなたの血文字で訂正していただきましょう。カティア・ラルフレイヤは暗殺者にあらず。騎士なり、と」

 

 カティアは地面を蹴り、襲いかかってきた。

 

 持っている剣はレイピアではなく、俺と同じ長剣。

 

「……アウグスト君、一つ注意してほしい。彼女は術戦士……私と同じく、結界魔法を使える術戦士だ」

 

 俺はうなずきながら、向かってくる彼女の剣を凝視した。

 

(そういえばあの柄、見覚えがある)

 

 ベルナール殺しの事件で見た際は刃が無かった。新しく刃を差し込んだのだろうか。

 

──彼女は術戦士。結界魔法を使える。

 

 だがグレシアのくれたその情報で、疑問はすぐに氷解する。そして理解した。この剣を受け止めるのはまずい。

 

 剣と交差する刹那──カティアの剣が消えた。

 

「くっ……!」

 

 そして俺の剣をすり抜けたかのように再び現れ、右肩に食い込む。

 

 とっさに身をひねって首筋は回避したが、かわし切れなかった。後ずさって肩に手を当てると、滑った血が手についた。

 

(結界で刀身を作っているってところか)

 

 結界魔法は色や形状を自由に変えられる。ということはつまり鉄と同じ色合いで刃の形状にすれば、見た目にはただの長剣に見える。

 

 だが結界魔法で作っている以上、術者であるカティアが好きなタイミングで出したり消したりすることが可能になる。それが今の消える刃のタネだ。

 

「……厄介ですね」

 

 刃が消えることを見越して踏み込み、カウンター気味に反撃する手はあるが、そのときはカティアは後出しで『刃を消さず鍔迫り合いにする』という選択ができる。

 

 奇襲が決まれば良し、決まらずタネが割れても常に相手の注意力を削げる、という堅実的な技だ。

 

「ハッ!」

 

 短い気合と共にカティアは右手を閃かせる。消える刃を交えた連続技は安易な受けを許さず、じりじりと押されていく。

 

(一旦、距離を取らなくては──)

 

 そう思って俺が後ずさろうとした瞬間、グレシアが叫んだ。

 

「退くな、アウグスト君!」

 

 動きを止めたそのとき、首の左側に冷たいものが触れる。

 

 思わず右に飛びのいてそちらを見ると、半透明の剃刀が固定されていた。グレシアに止められず後ろに下がっていたら、頸動脈をすっぱりと引き切られていただろう。

 

(そうか……自分の視界内であれば、好きなところに刃を置くこともできるのか)

 

 どっと冷や汗が出てくるのを感じていると、カティアは無表情のまま口を開いた。

 

「『風精(エアリアル)』と『虚刃(ホロー)』の両方を凌ぐとは、大会でわたくしに勝っただけはありますね。これまでどちらも防げた人はいませんわ」

「はは、確かに技名も、なかなか頑張って考えていますね……暗殺者の小細工としては」

 

 そう返すと、カティアの目が血走った。

 

「また侮辱をッ!」

 

 激昂したカティアは、更なる連撃を浴びせてくる。

 

(これは……厳しい)

 

 挑発すれば攻撃が単調になるかと思ったが、憤怒に我を忘れても彼女の戦い方はきわめて理知的。刃の設置でこちらの行動を縛りつつ、必殺の一撃を虎視眈々と狙ってくる。

 

 彼女の目の動きでどこに刃を設置されたかはある程度読めるが、刃に触れないよう注意しつつ斬撃が消えるかどうかまで計算して攻撃を回避するのは不可能に近い。防御しきれず、顔や腕に刃傷が増えていく。

 

(勝てる気がしない)

 

 何とか大ぶりの一撃を当てて弾き飛ばし、距離を作って一息をつきながら、俺は初めてそう思った。

 

 だがカティアも魔法を解禁した戦闘でしぶとく防御された経験がないのだろう。苛立ちもあらわに剣を振り上げる。

 

「その刃傷……醜いですわね。実力差ははっきりしているのにあがいて……これで終わりにしましょう」

 

 その一瞬、極寒の吹雪の中に裸で放り出されたかのような殺気が身体を包んだ。まだ彼女と俺の間には距離があり、剣が届くほど近くはない。だが、まだ何かある。

 

 長年培ってきた戦闘の勘が身体を右に寄せる。数秒後、その判断が正しいことが明らかになった。

 

「潔く、死になさい!」

 

 カティアが叫んだ刹那、金属が引きちぎられる音とともに、俺の左腕が斬り飛ばされた。

 

「うぐっ……!」

 

 溶岩を押し付けられたような痛みとともに、勢いよく腕の断面から血が吹き出す。

 

 俺は激痛に顔をしかめながら、切株のようになった左腕を握力で握りつぶし、止血する。顔を上げると、カティアはゴキブリを見るような目で俺を見ていた。

 

「……あら、真っ二つにしてさしあげようと思ったのに……運のいいこと」

 

 彼女は、ただ剣を振り下ろしただけ。

 

 だが、その一瞬の間に、刀身を通常の何十倍もの長さに拡張したのだ。天を衝くほど長大な刃は俺の左腕を切り飛ばした後に地面を叩き割り、長々と亀裂を残した。

 

 悠然と距離を詰めてくるカティアを見ながら、俺は剣を握る右手に、力を込める。

 

 こうなっては認めざるを得ない。彼女は、俺たちよりも強い。それどころかベルナールやヴォージャー、下手をするとクーレホルンをも凌ぐ強敵かもしれない。

 

 そんなバケモノに片手を失って対峙しなくてはならないというのは悪夢以外の何物でもないが、夢よりも遥かに恐ろしいのが現実というもの。駄目押しのように、後ろから大量の蟲が蠢くような音が聞こえてきた。

 

「……あれは、一体?」

 

 さしものカティアも、驚いて俺の背後を見ている。どうやら暴走した蔦が後ろまで追いついてきたらしい。

 

「生命の蔦です。まごまごしていたら、貴方も俺たちと一緒にあの蔦の養分になりますよ」

「……心配は不要ですわ。位置的にも、先に肥料になるのは貴方たちのほうですからね」

 

 彼女の言う通りだった。前方にはカティアが立ちふさがり、後ろでは蔦が養分を求めて浸食してきている。俺とグレシアが生き残れる見込みはほぼゼロに等しいだろう。

 

「……アウグスト君」

 

 いつの間にかグレシアは隣にやってきており、青ざめた顔で俺の傷を見ていた。

おそらく先ほどからずっと戦闘に干渉しなかったのは、すでにほとんど魔力を使い果たしているからだろう。だから俺が負けることはすなわち、彼女の死にも直結する。

 

 であれば、やるべきことは一つ。カティアを何とか押さえ、グレシアだけでも──

 

「私だけでも逃がす、なんてことを言ったら、本気で怒るよ」

「えっ、なんで」

「君の言いそうなことくらい分かる。……それに、鍋に入りかけている勝負を、みすみす捨てる手はない」

 

 グレシアの口調は、犯人を追い詰めたときの確信めいたものに近くなっていた。

 

「勝算があるんですね」

「ああ。例によって、君には頑張って貰わないといけないけれど」

「……どんと任せてください」

「その言葉が聞きたかった」

 

 グレシアは悪戯好きの妖精のように笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目をかっと見開き、赤くぬたぬたとした舌を吐き出す老人の顔は、昔読んだ聖書の挿絵に描かれた亡者のような顔をしていた。

 

 自分も、死ぬときはこんな表情をするのだろうか。

 

「……爺は、運が良かったな」

 

 変わり果てた家令の姿を見て、俺は嘆息する。つい先ほど、数名の暗殺者がこの屋敷に突入してきたのだ。

 

 彼は喉を搔っ切られて即死できたから、うだうだと考え事をする暇はなかった。だが俺の傷は、中途半端な深さだった。確実に死には至るが、即死はしない。

 

 俺は止めどなく血の溢れだす傷に手を当て、激痛に顔をしかめる。

 

「下手くその暗殺者め……俺なら、もっと、もっとうまく斬れるぞ……」

 

 だが、そんな手練れでもない暗殺者に、俺はあっさりと殺されるのだ。

 

 怒号。悲鳴。剣戟の音。階上から聞こえてくる音が、ひどく耳障りに思える。

 

(蘇生の見込みは……ないだろうな)

 

 剣の腕前がよくないとは言っても、相手は暗殺の専門家だ。死体の後始末をきちんとせずに帰る、ということは期待できない。

 

 そして暗殺者を差し向けられたのはなぜかは、考えるだけ無駄だろう。

 

 おおかた、当主である父が、何か立ち回りを間違えたのだろう。貴族といっても貧乏貴族であれば、その立場は大海原に浮かぶ泡沫のようなもの。

 

 吹けば飛ぶような家のさらに木っ端である俺が巻き込まれて死ぬことも、珍しい話ではない。

 

「騎士になる夢は、夢のままか」

 

 もっとも、暗殺者に襲われてこのざまでは、夢のままであったほうが幸せだったかもしれないが。

 

 壁に背を預けて自嘲していると、開きっぱなしのドアに誰かが立った。

 

「坊ちゃん?」

 

 侍女だった。ロビーに転がる家令の死体と血にまみれた俺を見て、息をのむ。その両手には、一生懸命集めたらしい木苺を載せている。

 

 そういえば、彼女は昼から森に木苺を摘みに行っていた。それで難を逃れたのだろう。

 

「坊ちゃん……ああ坊ちゃん、どうして……」

 

 木苺をぼろぼろとこぼし、駆け寄ってくる彼女の腕を振り払う。

 

「早く逃げたほうがいい、暗殺者が下りてくるぞ」

 

 階上から聞こえてくる音は、だんだん静かになってきた。この場に居合わせれば、暗殺者の標的ではないとはいっても、彼女も口封じのため殺される可能性が高い。

 

「しかし、坊ちゃんを置いて逃げることは……」

「どうせ死ぬ。俺の死体を引っ張って逃げることもできないだろう」

「でも、坊ちゃんを置いて逃げるのは嫌です」

 

 よく言えば意志が固い。悪く言えば頑固。彼女にはそんなところがあった。

 

 俺よりよっぽど騎士に向いている──そう思った瞬間、俺は彼女をここから逃がす方法を思いついた。

 

「一つ……頼んでいいか」

 

 必死に俺の血を止めようとしていた彼女は、無駄だと悟ると、涙にぬれた目で俺を見た。

 

「……な、何なりと」

 

 血にまみれた手で頬をぬぐいながら、彼女は応えてくれた。俺は息を吸い込み、彼女を見上げる。

 

「見ての通り、俺はじき死ぬ。だからお前には、代わりに騎士になってほしい」

「私が……ですか」

「ああ。お前はきっと強くなる。俺ほどじゃないにしても、上で戦っているような薄汚い暗殺者なんか簡単に斬り伏せられるくらいには、強くなる。だから俺に……夢の続きを見せてくれ」

 

 侍女は、静かにうなずいた。しゃくりあげ、涙で濁った声で答える。

 

「う、承りました……私、きっと騎士になります」

「ありがとう」

 

 兄の絶叫が聞こえてきた。階上はついに沈黙に包まれる。

 

 もう時間がない。

 

「路銀にしろ」

 

 俺はポケットから銀メッキの指輪を取り出し、彼女に握らせた。

 

 家を出るときに彼女に渡そうと思い用意していたものだったが、まさか彼女のほうが出ていくことになるとは、不思議なものだ。

 

「そろそろ、奴らが下りてくる。出て行った方がいい」

 

 侍女はぎゅっと指輪を握ると、俺の顔を見る。

 

「もう1つ、いただいてもいいですか」

「何だ。早く言え」

「家名を」

 

 俺は言葉に詰まった。

 

 家名と、指輪を贈ること。彼女の言葉の意味するところに気づき、俺は笑った。

 

「好きにしろ」

 

 侍従はぐっと涙を飲み込み、ほほ笑んだ。

 

「ありがとうございます。私、しあわせです」

「……さあ、行くんだ」

 

 これ以上の言葉は不要だった。

 

 彼女は名残惜しそうに俺の身体から手を離すと、立ち上がった。そして踏み出す。振り返らず、陽の差す扉へと走っていく。

 

 ついに暗くなってきた俺の視界の中で、たなびく彼女の髪が光を受け、紫水晶のようにきらめいた。

 

 きっと剣を握れば、彼女は高名な騎士になるだろう。少なくとも、領内の同年代で俺と互角以上に戦える者は彼女くらいだった。

 

 だが、騎士にならずとも、生きていてくれればそれでいい。夢を託したのは、あくまで彼女をこの場から逃がす方便でしかないのだから。

 

「行け、カティア。カティア・ラルフレイヤ」

 

 滅びゆく家の名を受け継いだ侍女の後ろ姿を見送ると、俺──ダレン・ラルフレイヤはそっと眼を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぼろぼろのアウグストとグレシア。並ぶ二人の後ろからは、迷宮を覆いつくそうとするかのように生命の蔦が腕を伸ばしてくる。

 

 改めて全体の状況を把握してから、カティアはじわじわと広がっていく蔦を観察していた。

 

(……あの蔦、恐らく触れないほうがいいですわね)

 

 生命の蔦に人間を殺すような危険性があるとは聞いていないが、目に見えるほどの異様な速度で成長しているのを目の当たりにすると、養分にされるとアウグストが言っているのもハッタリではないだろうと感じる。

 

 二人を殺したら、あの蔦に捕まる前にさっさと迷宮を出たほうが良さそうだ。

 

 そう考えていると、グレシアがアウグストに何かをぼそぼそと伝えているのが目に入った。

 

(……何かしら)

 

 アウグストは左腕を失って戦闘力が半減しており、グレシアは魔力切れ。もはや作戦でどうこうできる段階ではないはず。

 

 カティアは訝しく思いながら辺りを見回し──納得した。

 

 先ほどグレシアが自分から掏りそこね、地面に落ちたはずの革袋が消えている。

 

「なるほど」

 

 一応アウグストと戦いながらグレシアのほうにも注意を払っていたが、生命の蔦に目が行って、注意が外れた瞬間に拾い上げたのだろう。そして、こちらを石化させて一発逆転を狙っている──

 

 つまらない手だ。

 

 カティアはため息をつき、目をつむった。視界に頼らずとも、気配を感じ取ることは可能だ。息遣い。血と鉄の匂い。空気の動き。アウグストたちの位置や動きは手に取るようにわかる。

 

 アウグストもこんな小手先の策でカティアを倒せると思っているのであれば、とんだ見込み違いだった。

かつての亡き主──ダレン・ラルフレイヤの面影を彼に見て、共に騎士になろうと手を差し伸べようとした自分さえも憎らしくなる。

 

 まあ、死体拾いの手下であることに甘んじるような男なのだから、今更という話だが。

 

「引導を渡してあげますわ」

 

 片手で剣を構えているであろうアウグストに向かって、地面を蹴る。

 

 先ほどのような大技は必要ない。初撃でアウグストの剣を弾き飛ばし、返しの刃で斬り殺す──その動きを正確に思い描いていたからこそ、続く感触は全く予想できないものだった。

 

 鎧を叩き割り、肉を割く感触。

 

 思わず、目を開けた。防御されなかった剣はアウグストの鎧ごと脇腹をえぐりこみ、胸の中心まで来たところで止まっていた。当然致命傷だ。

 

「な、何を……」

 

 刀身を消して下がろうとしたが、その前にアウグストに首を掴まれた。

 

「捕まえました」

「き、さ、まあッ……!」

 

 そのまま、凄まじい力で首を絞め上げられる。もしも万全の状態の彼ならそれで気絶させられていただろうが、片腕の彼の力は弱かった。

 

 首に手をやって、引きはがしにかかる。その瞬間、アウグストは叫んだ。

 

「今です、グレシアさん!」

 

 視界の端からグレシアが駆け寄ってくる。

 

(こちらの動きを封じてから、魔眼を見せる気か!)

 

 とっさに目をつむると、アウグストの血痰の絡まった声が聞こえてきた。

 

「……認めましょう。あなたはたぶん、俺が戦ってきた相手の中で一番強い。最強です」

 

 一度言葉を切り、再び発した彼の言葉には、憐憫が混じっていた。

 

「でも……1人だ」

 

 直後、突然重い物がのしかかってきて、カティアは背中から倒れた。

 

「何のつもり……!」

 

 目を開けて、息を飲んだ。カティアの上に乗るアウグストはすでに石化し、彫像と化していた。

 

 鎧に加えてアウグストの体積分の石となると、跳ねのけることは容易ではない。カティアがもがいていると、グレシアが口を開いた。

 

「君に魔眼をただ見せるだけでは、確実性に欠けると思ったんだ。君はスタフィアーとの戦闘では目をつむって戦ってみせていた。そんなことができるのであれば、こちらが魔眼を持っていることに気づいた場合は当然、目を閉じて戦おうとするはず。だから、確実に魔眼を見てくれる人──アウグスト君を石にして、君を下敷きにした」

 

 ちょうど石になった老婆に押しつぶされた昔話の騎士のように無様に倒れているカティアを、グレシアは見下ろしている。

 

「こんなもの……すぐに抜け出してみせますわ」

「そんな時間があるのかい?」

 

 そう言われ、カティアは気が付いた。足の方から、ざわざわと這い上って来る生命の蔦の存在に。

 

「……まさか」

 

 アウグストは石化しているため、蔦の肥料になることはない。だがカティアは違う。

 

 ずっ、と足に絡みついた蔦の先端が、皮下に潜り込んだ。続けて、血を吸いだされる感覚。胴体や腕に絡みついた蔦が、カティアの血液を汲み上げているのだ。

 

 あまりにも悍ましい感覚に、カティアは背筋を凍らせた。

 

「やめろ……やめなさい!」

 

 魔法で刃を作って蔦を引き裂くが、蔦が皮膚を覆い、血液を吸いだしていくほうが速かった。みるみるうちに体温が流れ出し、力が入らなくなっていく。

 

(こんなところで、こんな死に方)

 

 カティアは震えた。亡き主の頼みすら果たせず、誇りある死すら許されないのか。

 

「嫌だ……死にたくない! わたくしは、まだやるべきことが……死ぬわけにはいかない……こんな……!」

 

 ついに魔力も尽き、蔦を引き裂くのに使っていた刃が砕けて消えた。

 

 自我と世界の境が曖昧になっていく。ただ黒々としたものに意識や記憶が飲み込まれ、消えていく。

 

 最後に残った思い出──今は亡きダレン・ラルフレイヤの顔を幻視して、カティアは手を伸ばした。

 

「お坊ちゃん……今、おそばに」

 

 枯死しかけた声帯を震わせてつぶやいたそのとき、カティアの瞳に、転がっていたスタフィアーの魔眼が映った。

 

 一瞬にして石と化したカティアは、そのまま生命の蔦に覆われていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目覚めると、木漏れ日の下でこちらを覗き込むグレシアの顔が目に入った。

 

「痛みはあるかい」

「……いえ」

「よし、じゃあこれで石化も腕も全部治療完了か。ありがとう」

 

 グレシアが礼を言うと、傍らにいた回復術師の男はうなずいて去っていく。身体を起こして回りを見回すと、そこは迷宮外の森だった。グレシアが石化した俺を迷宮外まで運んできてくれたらしい。

 

 辺りは疲れた様子の冒険者やカナート兵が行き来しており、各自で傷の手当や物資の融通をしている。迷宮の入り口は崩落して埋まっており、もはや人間が出入りできる状態ではなくなっていた。

 

「君を運び出してすぐ、蔦が出入り口から這い出てきたんだ」

 

 塞がった入り口を見て驚く俺に、グレシアは説明してくれた。

 

 最初、地上に出たカナート軍と冒険者の間には緊張が走っていた。

 

 迷宮自体が蔦に覆われ始め当初の目的はお互いに果たせなくなったものの、先ほどまで戦っていた相手なのだ。

 

 当然ながら迷宮の外だから和解できるというわけでもなく、迷宮からぞくぞくと出てくる仲間を取り込みながら、両陣営は睨み合っていた。

 

 だが、洞窟からあふれ出した生命の蔦がその流れを変えた。

 

 松明苔の淡い光よりもはるかに強い太陽光を浴びた蔦は迷宮内とは比べ物にならない速度で成長を始め、近くにいたカナート兵を干物にしたのだ。

 

 このペースで増えるのであれば、この森どころかルメニ地方、果ては大陸中が蔦に覆われてもおかしくはない。危機感を覚えた冒険者とカナート軍は協力して蔦を焼き払い、迷宮から出て来られないよう入り口を崩落させたのだという。

 

「結局、骨折り損というわけだね。ヴィカスは死んで回収できなかったから上乗せ分の報酬はもらえないし」

「……カティアは?」

「死の直前に、石化した。砕いて止めを刺す余力も時間もなかったから、君を運ぶために必要な魔晶石だけ取って放置してきたけれど……まあ、入り口を封鎖した以上、彼女が日の目を見ることはないだろうね」

「そうですか」

 

 仲間であるヴィカスを簡単に殺し、グレシアを殺そうとしたことついては許せないが、騎士になることを切に望む彼女の姿を思い出すと、ああ死んでくれてよかったと割り切ることは難しい。

 

 もしも俺がグレシアに会わなかったら、騎士になれなかったという現状を受け入れられなかったら、俺も彼女と同じことをしたかもしれないのだから。

 

 結局、俺とカティアの戦いは相討ちの形になったが、明暗を分けたのは戦いの実力でも騎士としての覚悟でもなく、単にグレシアという信頼できる仲間がいたかどうかだった。

 

──真にあなたを必要とする者のために生きる。それこそ本物の騎士というものですわ。

 

 カティアの言葉が脳裏に浮かび、俺は笑った。

 

「すみません、グレシアさん。俺は馬鹿でした」

「知っているけど……何を今さら」

 

 きょとんとした顔で、グレシアは答える。とそのとき、シノエの声が聞こえてきた。

 

「普通の値段では引き渡しかねます……あたし、蔦にとられないように頑張って運んで来たんですから」

「しかし隊長の死体とはいえ、三十万ダリルは法外だろう!」

 

 見ると、ステファンとシノエが言い争っていた。どうやらシノエはカティアに殺られたフェイの遺体を運んでいたらしく、回収料金を巡ってステファンと交渉しているらしい。

 

 ステファンはこちらを見ると、手を振った。

 

「あっ無事だったか、アウグスト! ちょっとこのわからずやに口をきいてくれ! 戦友だろう!」

 

 行動を共にしただけなのに、いつの間にかステファンの中では俺は戦友になっていたらしい。

 

「いやあ、関係のない俺は口を挟めないですが……」

 

 シノエは目に涙を浮かべながらステファンを指さし、負けじと声を張り上げる。

 

「聞いてくださいグレシアさん! この人、親切であたしが運んできてあげたのに、回収料金を値切ろうとするんですよ!」

「計算ずくだろう、君の場合……」

 

 俺とグレシアは、呆れながらも二人を仲裁するために歩き出した。

 

 

 

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