【書籍化】迷宮で、死体を拾う   作:龍 圭介

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3宝石喰いの竜(後)

 

 

 

 次の日の昼下がり、俺はグレシアの事務所を訪れた。何度ノックしても反応がないのでドアノブを回すと、抵抗なく開いた。留守ではなかったらしい。

中に入ると木製の安楽椅子に腰かけ、眠っている彼女が目に入った。

 

「グレシアさん、起きてますか」

「……」

 

 椅子を掴んで揺すってみたが、反応はない。ちょっとやそっとでは起きなさそうだ。

 

「グレシアさん!」

「うあっ!」

 

 耳元で叫ぶとグレシアは飛び起きた。安楽椅子から転げ落ちそうになったところを慌てて支えると、彼女は俺の顔を見て不満そうな視線を送ってきた。

 

「ひどいじゃないか。安眠妨害だ」

「人を呼びつけておいて昼寝してる方が悪いと思いますが」

「もっと優しく揺り起こすことはできなかったのかい」

「最初はそうしましたけど、全然起きませんでしたから」

「……君は私の昼寝を咎めるためじゃなくて、別の目的をもってここに来たはずだろ。その話をしよう」

 

 旗色が悪くなったグレシアはそれ以上の反論はせず、安楽椅子を部屋のすみに追いやって話を変えてくる。これ以上昼寝について話していても不毛なだけなので、俺は素直にうなずいた。

 

「何から話そうかな……まあ、まずは死体を見せてあげようか」

 

 グレシアは奥の棚から鉄製の棺を浮遊魔法で取り出し、床に置いた。中からはむせ返るような甘い匂いがしてくる。

 

「この中に入ってるのは昨日回収したザインの死体だ。香油とか肉桂とかの防腐剤と、固定魔法を併用して腐敗が進まないようにしてる」

 

 棺を開けるとそこには安らかな顔で眠りにつく戦士の遺骸が横たわっていた。運び出したときの死体の様子と比較すると、その違いは瞭然だった。

 

「ひょっとして死体が身に着けていた装備品を売ったんですか」

 

 鎧や剣、小手のような装備品は全て取り払われており、身に着けているものといえば薄い布地の服くらいだった。彼の装備品はマリエールやヘルクと同じくぱっとしないものだったが、それなりの金にはなるだろう。

 

 そう思ったが、グレシアは首を振って呆れたように俺を見つめた。

 

「私はそんな盗賊みたいな真似はしないよ。死体の処理に邪魔だったから除いただけ。ちゃんと保管してある」

「うーん……じゃあやっぱり死体そのものを売るとか」

「だから今はそういうことはしてないんだって」

 

 どうもいい理屈が思いつかない。俺が首をかしげていると、彼女は肩をすくめた。

 

「もっと言えば、私は宝石袋を運ばされていたんだ。だからそれを貰うって話」

「宝石袋を?」

 

 ザインの持っていた皮袋を思い出してみたが、ますます意味が分からなくなった。だいたいあれの中身は俺に渡してしまったではないか。残った皮袋に価値があるとでもいうのだろうか。

 

 俺が思考の沼に沈みかけたそのとき、入り口の方からドアの開く音がした。そちらを見ると、依頼人──マリエールとヘルクの二人が入ってきていた。

 

「約束通り、引き取りに来たわよ。回収はできたの?」

「ええ、回収した死体はこちらです」

 

 グレシアがザインの棺を見せると、二人の来訪者は足早に寄ってきた。そして死体の顔を見て、沈痛な表情を浮かべた。

 

「ザイン、ごめん。私が誘わなければこんなことには……」

 

 マリエールは目を伏せ、独りごちた。ヘルクは何も言わず、彼女を慰めるように後ろから肩を叩いている。

 

 長い間パーティを組んでいたわけではないらしいが、それでも仲間としての絆があったのだろう。俺が空気を読んで二人の様子を見守っていると、グレシアがぱんぱんと手を叩いて注目を集めた。

 

「えーと、いろいろ思うところもあるかもしれませんが、その前に残りの回収料金の支払いをお願いします。それとお伝えしたいことがありますので、一度席についてください」

 

 慇懃だが、彼女の声音には有無を言わせない響きがあった。二人はうなずき、テーブルにつく。

 

「残りの回収料金、確か七万ダリルだよね。えーと、これで足りるかな」

 

 マリエールは銀貨の入った袋をグレシアに手渡した。彼女はそれをためつすがめつ眺めると、うなずいてそれを後ろの棚にしまった。

 

「はい、確かに回収料金をいただきました。ありがとうございます」

「こちらこそちゃんとお礼を言わなきゃね。私たちの仲間を助けてくれたんだもの」

 

 そう言って、マリエールはうっすらと笑みを浮かべた。

 

「……別にお礼を言う必要はありませんよ。そもそも、マリエールさんとヘルクさんはザインさんの死体などどうでもよいのでしょう?」

「え?」

 

 マリエールの方を見ると、彼女の顔からは笑みが消え去り、戸惑いの表情でグレシアを見つめていた。

 

「何のこと?」

「あくまでしらばっくれるのであれば、説明してさしあげましょう。あなた方がなぜザインを殺したのかについて」

 

 予想外の一言に、俺は驚愕した。この二人が、ザインを殺したと言ったのか。

 

「待ってください。彼はドワーフリザードに殺されたんじゃないんですか」

「それは二人の嘘だ。君はザインの致命傷を覚えているかい」

「首の傷でしたよね。ヘルクさんのものと似ていたので、前足の爪で裂かれたのは間違いないと思いましたが」

「それは似てたんじゃなくて似せたんだ。ドワーフリザードの切り口は滑らかだから、剣で切っても同じような痕になる。真ん中の一筋だけ傷が深かったから、たぶん両側の二つは竜に襲われたと偽装するために後からつけられたものだろうね」

「でも、竜の力加減でたまたまそういう爪痕になったという可能性はありませんか」

 そう尋ねると、グレシアは首をとんとんと人差し指で叩き、訊き返してきた。

「……では君は実際にドワーフリザードと戦ってみて、首筋を狙われそうだと思ったかな」

 

 俺は竜と戦ったときのことを思いだして首を振った。ドワーフリザードの前足による攻撃は、届いたとしてもせいぜい腹までだろう。ザインが殺された場所は高低差がなかったので、ドワーフリザードが彼の喉を裂くことは不可能だった。

 

「しかも炎の吐息を浴びた様子もないし噛まれた痕も一切ない。ドラゴンと戦ったのではなく人に殺されたと考えるべきだ」

 グレシアがそう言ったとき、ヘルクはテーブルに拳を叩きつけ、勢い良く立ち上がった。

 

「黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって。俺たちがザインを殺した? んなわけねえだろ馬鹿が!」

「馬鹿……ですか。最初に依頼してきたときにはもうボロを出していたあなたたちには言われたくありませんね」

 

 凄むヘルクに対して、グレシアは冷めた目で見返した。

 

「ボロって何? 私たち、人を殺したなんて誤解されるようなこと言ったかな」

 

 激昂したヘルクとは対照的に、マリエールは落ち着いて聞き返してくる。

 

「最初の時点で妙だと思ってたんです。アウグスト君はやや鈍いところがあるので気づかなかったようですが、戒めの洞窟にある死体の回収を私に依頼するということが不自然ですから」

「どこが不自然なんですか」

 

 俺が口をはさむと、グレシアは当たり前のことを諭すように答えた。

 

「どこって、あの洞窟は『魔晶石を持っていなかったら安全な迷宮』なんだよ。わざわざ私に依頼なんかしなくたって、自分たちで回収しに行けばいいじゃないか」

 

 そう言われ、俺ははっとした。確かにあの洞窟にいたドワーフリザードも強盗も、狙うのは魔晶石を所有する者だけ。死体が魔晶石をもっていたとしても、その場に捨てていけば安全に帰還することができる。

 

 つまり仲間の死体が迷宮に取り残されているのを回収したいというだけなら、自分たちで取りに行くことは容易だったのだ。

 

「だったらどうして二人はグレシアさんに依頼してきたんです。というか、二人がわざわざ依頼してきたことがどうして殺人に結びつくんでしょうか」

「アウグスト君は二つ質問してきたけど、それは一つの答え──マリエールたちがザインを殺した動機で全部答えられるね」

「動機?」

「ザインを殺した理由だよ。少なくとも今回の件は、依頼人がお金をドブに捨てたくなる病気にかかってるとか、死体回収の依頼という名目で私とお茶するために殺しをした、みたいな予測不可能な動機じゃない。一番わかりやすい部類だね」

 

 彼女が二つ目に挙げた例がいやに具体的なのが気になるが、一番わかりやすいとなると……

 

「お金でしょうか」

「うん、金儲けを念頭に入れて考えてみなよ。私たちは死体だけ運んでいたのかな?」

 

 そう言われ、俺はザインの持っていた皮袋のことを思いだした。俺たちは宝石袋も一緒に持ち運び、ドワーフリザードと戦うハメになった。だがあれは偶然ではなく、俺たちに宝石を地上に持って帰る役目を押し付けるというマリエールたちの目論見によるものだったのだ。

 

「つまりザインの死体ではなく、彼の持っていた宝石袋を回収させるために、グレシアさんに依頼したんですね」

 

 俺が答えると、グレシアは苦笑した。

 

「うーん、宝石を回収するためってのは合ってるけど……ぎりぎり落第点かな」

「ええっ」

 

 あまりに厳しい評価に俺ががっかりしていると、ヘルクは不機嫌さを隠しもせず、額にしわを刻みながら口を開いた。

 

「さっきから妙なことを言ってるが、ザインの死体をどうやって金にするって言うんだ。確かに腰の袋に入ってる魔晶石もあったかもしれないが、死体の回収料金と釣り合うだけの量があったのか?」

「う……」

 

 死体回収料は十万ダリル。ザインの持っていた袋の中身は魔晶石が一個だけだったので、とてもではないがその額に満たない。それなら回収を依頼する意味はなくなる。

 

 マリエールもすかさず反論してきた。

 

「そもそも、グレシアさんが宝石袋を見つけてその場で捨てる可能性もあるよね? グレシアさんの仕事は死体を回収することでしょ。遺品は持ち帰るのに邪魔だって判断されたら捨てられる危険があるし、私たちがお金のために殺したっていう話には無理があるわ」

「そう、ですね……」

「騙されちゃ駄目だよ、アウグスト君。そう言えるようにしておくことが彼らの狙いなんだから」

 

 俺がたじろいでいると、グレシアが口を開いた。

 

「腰の宝石袋は、本物の宝石袋から目をそらすための目くらましなんだ。後で調べたらブーツの中とか小手の隙間とかにも魔晶石が入っててね。もし私たちがあらかじめ皮袋を捨てていたとしても、死体のあちこちに仕込んである魔晶石が竜を呼び寄せた原因だったと結論づけられるようにしてある」

「ザインが勝手に魔晶石をガメてただけだろ。後で山分けにするって言ったから、それで自分だけ隠し持ってたんだ」

 

 なおも食い下がるヘルクに、グレシアは小首をかしげた。

 

「そうだとすると彼が持っていた袋の中身が少なすぎますよ。魔晶石をちょろまかすつもりなら、もっと目立たないようにやるはずです」

「……」

 

 反論はない。つまり、彼らが魔晶石を仕込んだというのは本当なのだろう。しかし

『本物の宝石袋』とは、いったい何なのだろうか。

 

「あ」

 

 そう考えたとき、俺は思いついた。彼女の言う宝石「袋」という言葉のせいで勘違いしていたが、俺たちが運んでいたのは「死体と宝石袋」ではないのだ。

 

「どうやらアウグスト君も気づいたみたいだね。私たちは『ザインの死体という宝石袋』を運ばされていたんだ」

 

 グレシアはそう言って、棺桶の中で眠るザインを見下ろした。

 

「私がそれを疑いだしたのは、洞窟の浅層で盗賊と出会ったときだよ。盗賊たちから聞いたけど、マリエールは盗賊が待ち伏せしているのに最初から気づいていたという話だった。ならドワーフリザードと盗賊に襲われないための対策を打っていても不思議じゃない」

 

 その対策とは、おそらく宝石袋をザインに飲ませることだったのだろう。

 

 胃酸で魔晶石が変質しないかという懸念はあるが、マリエールがもっていた皮袋がヘルクと同じものだったのだとしたら、それには炎と酸に対する耐性がある。問題なく胃の中で保管できたはずだ。

 

「普通に魔晶石を一か所に集めておくよりも他人に拾われにくいし、ドワーフリザードは人肉を食べないから中身ごと食べられる心配もない。私たちが来るまでは金庫のような役割を果たしていたんだろうね。いい作戦だよ……私を騙すという前提が無ければ、ですがね」

 

 最後の言葉を依頼人の二人に向けると、グレシアは冷たい視線を投げかけた。ヘルクは仏頂面をしていたが、落ち着かないようでしきりに貧乏ゆすりをしている。だが、もう一人の依頼人──マリエールは全く動じた様子を見せなかった。

 

「ヘルク。落ち着いて。誤解はきっと解けるわ」

 

 そう言うと、マリエールはグレシアに笑いかける。どう考えても二人が犯人であることは明らかなのに、この自信は一体どこから来ているのだろう。

 

「グレシアさんのお話、とても面白かったわ。でもそれはあくまであなたが推論の上に推論を重ねたものでしょ。ザインの胃から、実際に魔晶石は出てきたの?」

 

 証拠を見せろというわけか。だが、あそこまで推理していたグレシアがその実証をしていないわけがない。俺が彼女の方に視線を戻して彼女がうなずくのを待っていると、グレシアは首を振った。

 

「いいえ。胃袋の中には宝石は入ってませんでした」

「え?」

 

 目を丸くした俺の方を見て、グレシアは噛んで含めるように言った。

 

「一度切開してこの目で見たからね。間違いない、彼の胃はからっぽだった」

 

 彼の死体に首の裂傷以外の傷はなかった。彼自身を宝石袋にしたのであれば、胃に魔晶石が入っているはずなのに。

俺が驚いていると、マリエールは当然だとでもいわんばかりにうなずいた。

 

「だから誤解だって言っているでしょ。証拠の魔晶石が胃から出て来ないんだったら、あなたの話はただの妄想。ただ偶然が重なって私たちが殺したように見えたってだけよ」

「そ、そうだ。証拠もないのに疑われると気分が悪い」

 

 ヘルクもマリエールの尻馬に乗ってそう息巻いた。

状況証拠は彼らの手による殺人の可能性を示しているが、決め手となる魔晶石が見つからないと断言はできない。殺人の嫌疑をかけられることを想定して何らかのトリックを弄したからこそ、マリエールは強気に出てきているのだろう。

 

 教会でザインを蘇生すれば真相を聞くことはできるかもしれないが、一回の蘇生には何百万ダリルという大金がかかる。俺たちが大枚をはたいてまでマリエールたちの犯行を暴く理由はないということを見切っているのだ。

 

(この人はちゃんと隠し場所が分かってるのか?)

 

 心配になってグレシアの方を見た、そのときだった。

 彼女は棚から皮袋を取り出し、皆の目の前で揺らしてみせた。がらがらと石のぶつかる音が聞こえる。そして紐を緩めると中から紫色の宝石──魔晶石が顔をのぞかせた。

 

「私は胃にはなかったとは言いましたが、見つけられなかったとは言っていませんよ。しかもこの皮袋、ヘルクさんやザインさんが持っていたものと同じ種類ですね。ちょうどマリエールさんは宝石入れを持っていないようですし、あなたのものではないのですか?」

 

「……」

 

 マリエールの顔が初めて歪んだ。

 

「この宝石袋は腸管の中に入っていました。……袋を飲ませてから腸に届くまでの長い時間、彼が生きていたとは思えないのでザインの腹を切ってそこから差し込んだのでしょう」

「腹を切ってって、そんな傷ありましたっけ」

 

 あの死体に残っていたのは、首の裂傷だけだった。腹を切って宝石袋を入れたのだとすれば、大きな傷口が残るはず。

 

「アウグスト君の言う通り傷はなかった。でも衣服の方には布地の切れ目と出血の痕という証拠が残ってただろ。たぶんドワーフリザードから逃げながら開腹しないといけなかったから、胸当てや下に着てる服を脱がす時間がなかったんだろうね」

 

 グレシアがザインの腹を指さすと、そこの布地だけ縦に切れ目が入っており、赤黒い血が固まっていた。しかしこれが腹を裂いた証拠だというのなら、ザインを殺した犯人はどうやってその傷を消したのだろう。

 

 俺の思考を読んで先回りしたかのように、グレシアはその答えを言った。

 

「でも、身体の方に傷跡なんて残るはずがないんだ。マリエールは癒術師。傷を治療するための回復魔法が使えるんだから」

 

 俺はマリエールがヘルクの傷を癒したときのことを思い出した。確かに回復魔法で傷を癒せば痕は残らない。マリエールたちはザインの腹を裂いて袋を詰め込み、回復魔法で傷を閉じることで宝石を死体に封じ込めたのだ。

 

「反吐が出ますね」

 

 この依頼の全貌を知り、俺は二人にふつふつと煮えるような怒りを覚えた。

 

 回復魔法で治療することができたということは、ザインは生きながらにして腹を裂かれたのだ。ただ安全に宝石を運搬させるためだけに何の罪もない仲間を殺すなど、外道以外の何物でもない。

 

「それで、私たちをどうするつもり?」

 

 己の凶行を秘匿していた最後のトリックを看破され、マリエールは唇を噛んで俺たちを睨みつけた。先ほどまで浮かべていた余裕の仮面は剥がれ落ち、テーブルの上で握った拳がわなわなと震えている。

 

「お客様とはいえ、人殺しですから。おとなしく衛兵に捕まっていただきましょう。ああ、それとあなた方が私たちに運ばせた魔晶石は、迷惑料としていただいておきますね」

 

 にっこりと笑ったグレシアに、マリエールは舌打ちした。

 

「最初からそれが狙いだったのね。あなたがまともな業者なら、依頼の不審な点に気づいたときに突っ込んだ質問をしてくるはずよ。それをしなかったのは、端から私たちの計画を利用して魔晶石を横取りするつもりだったからでしょ」

「私とアウグスト君が運んできたわけなので、横取りと言われるのは心外ですね。それにあなたたちも私たちを運搬役として利用していたのですから、お互い様です」

 

 グレシアが大事そうに宝石袋をローブの下にしまったそのとき、青い顔をしてやり取りを見ていたヘルクが、テーブルに立てかけてあった剣にするりと手を伸ばした。

 

 殺気。

 

 俺は目の前の戦士から強烈な殺意を嗅ぎ取り、即座に抜剣した。

 

「危ない!」

 

 警告したときにはすでに、ヘルクはテーブルを蹴り上げていた。

向かい側に座っていたグレシアはテーブルを避けようとしてバランスを崩したらしく、そのまま派手に転ぶ。

 

「おっとと……」

 

 床に尻もちをついたその隙を、低等級とはいえ戦士が見逃すはずもない。ヘルクは剣を大上段に振りかぶり、彼女の脳天めがけて肉厚の刃を振り下ろした。

 

「死ねえぇえ!」

 

 その瞬間、甲高い剣の悲鳴が響いた。

 

「この人に手を出されちゃ困るんですよ」

 

 俺は二人の間に割り込み、ヘルクの一撃を剣で受け止めながら、内心で安堵の息をついた。

 

 あと少しでも防御が遅れていれば、グレシアは間違いなく殺されていただろう。なおも鍔迫り合いで押し勝とうと力を込めてきたヘルクを払い飛ばすと、俺はグレシアの方を見た。

 

「大丈夫ですか」

「手のひらをちょっと擦りむいちゃったよ。大怪我だ」

「大丈夫そうですね」

 

 グレシアは少し気恥ずかしそうにしながら立ち上がった。

 

「こうなることは予想してたんだけどね。足が滑っちゃった」

「こいつらはどうするんですか?」

 

 俺は怒気もあらわに剣を構えているヘルクと、いつの間にか彼の後ろへ退避していたマリエールを見やった。

 

「衛兵に突き出したいから、マリエールは残しておいて。ヘルクは無力化が難しいなら殺していい」

「了解です」

 

 俺が彼の方に向き直ると、ヘルクは油断のない目つきで見返して来た。

 

「騎士サマってえのは強いって聞いたけどよ。実際どうなんだ?」

 

 確かに身長、体重は彼の方が上回っているし、それは戦闘では大きな優位となる。もしも技量が同じであれば、俺でも彼が勝つと判断するだろう。

 

 だが、実際のところ俺は騎士──人と戦う訓練を積んだ人間だ。それに俺はヘルクたちが真正面から挑むのを諦めたドワーフリザードをこの手で殺している。

 

「さっさと試してみたらいいでしょう。べらべら喋って時間を無駄にして……まさか、俺を怖がってるんですか?」

 

 挑発すると、ヘルクは青筋をこめかみに浮かべ、無言のまま床を蹴った。俺の心臓を狙い、真っすぐ突きを放ってくる。

 

(遅い)

 

 だが、師範学校の教官と比べると彼の剣速はあくびが出そうなほど鈍かった。相手の突きの横から剣を当て、軌道をそらす。

 

「なっ……」

 

 難なく攻撃を受け流されたヘルクは真ん丸に眼をみはった。俺の刃はそのまま相手の剣の腹を滑り、彼の手元へと吸い込まれていく。

 

鍔切(つばぎり)

 

 鍔ごと相手の手を叩き斬る騎士の小技だ。ぱき、という小気味のいい音とともに鍔が割れ、ヘルクの指が根本から斬り飛ばされる。

 

「がああっ!」

 

 ばらばらと床にこぼれた数本の指とともに、ヘルクは剣を取り落とした。

その瞬間をとらえ、振り向きざまに突き飛ばす。彼が転んだところで太腿に剣を突き刺すと、野太い絶叫があがった。

 

「……わかった! 降参する。降参するから殺さないでくれ!」

 

 痛みに呻きながらヘルクは両手を上げた。

 

「グレシアさん、無力化しました」

 

 剣先についた血糊を布で拭いながら振り返ると、彼女は彼女でマリエールを後ろ手に縛っていた。

 

「ご苦労。後は衛兵の仕事だね」

 

 もともと所定の時間にヘルクとマリエールを捕まえに来るよう連絡していたらしく、少し待っていると、二人の衛兵がやってきた。

 

 マリエールは彼らの姿を見て観念したようで、肩を落とした。

 

「私たちがここに来る前から呼んでたのね」

「ええ、気兼ねなく裁きを受けてください。手続きも夜のうちに済ませておきましたから」

 

 俺がやってきたときにグレシアが眠そうにしていたのは、そのせいらしい。手際の良さに感心していると、マリエールは悔しそうに拳を握りしめた。

 

「くそっ、くそっ、くそっ! 覚えてなさい!」

「またのご来店、お待ちしております」

 

 悪態をつきながら連行されていくマリエールにグレシアは一礼した。そして倒れていたヘルクも回収され、二人きりになるとグレシアは近くに転がっていた安楽椅子に座り直し、ほうと息をついた。

 

「一件落着だね」

「そうでしょうか、恨まれてるみたいですし、仕返しされるんじゃ」

「大丈夫大丈夫。 ザインを殺した件だけならぎりぎり炭鉱送りくらいで済んだかもしれないけど……洞窟で強盗に会ったときにも言っただろ。金等級の私を殺そうとしたんだから、二人は間違いなく死刑だよ」

「……ひょっとして、それを狙ってたんですか」

 

 マリエールたちの犯行を全て解き明かし、証拠もおさえていたのなら、待ち伏せしていれば安全に二人を確保できたのだ。説明はその後にでもすればいい。

 

 二人を捕縛する前にわざわざ推理を披露したのは、マリエールとヘルクがグレシアを殺害しようと行動を起こすのを期待していたから。もっと言えば、罪状を増やすことで確実に二人を処刑台送りにするためではないのか。

 

 俺の予想は的中していたようで、グレシアはうなずいた。

 

「うん。気は進まないけれど、後で何をされるか分からないからね。寝込みを襲われたりするよりは、君が守ってくれる状況で誘導した方がいいかなって」

 

 ということはやはり、マリエールとヘルクは終始彼女の手のひらの上で踊らされていたわけだ。そして操られていることすら知らず、自ら処刑台への階段を上ることになった。

 

 グレシアの深謀遠慮に、俺は背筋がうすら寒くなった。

 

「さて、後片付けをしないといけないけど」

 

 グレシアはゆらゆらと椅子を揺らしながら、ヘルクのせいで二割増しに荒れた室内を見渡した。そして盛大にため息をつくと、目をつぶる。

 

「少し寝てからにしよう。疲れた」

「死体の置いてある部屋でよく寝られますね……ところで、俺への報酬はまだですか?」

「ごめんごめん、そうだったね」

 

 グレシアは眠そうに目をこすりながら立ち上がり、棚から銀貨の入った袋を取り出して俺に渡した。

 

 中身を確認すると、その中には俺が貰う予定だった報酬よりも多い五万ダリルが入っていた。

 

「どうして一万ダリル多いんです」

「君に頼みたいことがあってね」

 

 グレシアは目をこすりながら、ザインの入っている棺を指さした。

 

「ザインの死体を教会にもっていって、埋葬してあげて。一万ダリルは埋葬費用とその手間賃だよ」

「……意外ですね。医者に叩き売ると思ってました」

「勝手な理由で殺されて、ちゃんと埋葬もされないんじゃ可哀想すぎるだろ」

 

 グレシアは目を伏せ、棺に蓋をした。合理主義者の彼女も、さすがにこの哀れな被害者には同情しているらしい。俺がうなずいたそのとき、彼女は少し顔を青ざめさせながら付け加えた。

 

「それに、ちゃんと埋葬しなかったら幽霊になって出てきそうだし」

「……」

 

 どうやらこっちの方が主な理由らしい。

死体のある部屋で寝ようとしたり、敵対した相手を容赦なく死刑台送りにしたりするくせに、幽霊は怖いのか。呆れている俺をよそに、彼女は再び安楽椅子に腰かけた。

 

「じゃあ、私は寝るからあとはよろしく」

 

 言うだけ言うと、グレシアはそのまま寝息を立て始めた。

 

「まったく、風邪ひきますよ」

 

 俺は床に落ちていた毛布を拾って、ちらりと彼女の寝顔を見た。

 薄く形のいい唇に、だらしなく涎を垂らしながら眠っている。その姿は先ほどまで徹底的に殺人者を追い詰めていた死体回収人のそれとは似ても似つかなかった。

 

(不思議な人だな)

 

 そう思いながら、俺はやさしく毛布を掛けた。

 

 冷徹で、それでいてどこかすっとぼけたところのある、死体回収人の少女。彼女とともにぶつかった最初の事件は、こうして幕を閉じた。

 

 

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