冒険者ギルドの周りには、冒険者の稼ぎを狙う酒場や飯屋、娼窟が押し合いへし合い並んでいる。仕事に出ない間はほとんどの冒険者がここで英気を養うため、迷宮や旅で得た冒険者たちの稼ぎの七割はここに飲み込まれるという。
「酒! 酒をよこせ!」
「注文した飯はまだかい」
「すぐ持ってきてやるから黙りな!」
俺が今いる「黄金の鶏亭」も冒険者の需要をあてにした飯屋の一つだ。酒精の臭いが充満した店内は、まだ昼前だというのに人でごった返していた。
朝に迷宮で死体を回収し、事務所に死体を置いたその足で食事をとりにきたのだが、同じように一仕事してきた奴らや、休暇をとっている奴らが管を巻いているらしい。俺はあまりの人の多さに閉口した。
「もう少し静かな場所で飯を食べませんか」
「アウグスト君は分かってないね。ここのご飯が一番うまいんだ。繁盛してるのは美味しい証拠。我慢しないと」
ちっちっち、と人差し指を振って楽しそうに言ったのは、黒いローブに身を包んだ、氷のニンフのような少女──グレシア。金等級の死体回収人にして、俺の今の雇い主だ。
「それに、にぎやかな方が食事が楽しいかもしれないだろ」
「にぎやかなのはいいんですがね、ちょっとにぎやかすぎるというか」
そのとき背後から何かが飛んでくる気配を感じ、俺は首を縮こませた。頭のあった場所を白い皿が飛び去り、壁に当たって粉々に砕ける。
「今なんつったてめえ!」
「役立たずって言ったんだよ。お前は頭が悪いみてえだから、分かるまで何度でも言ってやる。お前みたいなぶきっちょの技師は何の役にも立たねえってな」
振り返ると、後ろの二人組が取っ組み合いを始めていた。仕事のことでもめているらしい。
「止めますか」
「放っておけばいいんじゃないかな。喧嘩を仲裁するとお腹が余計にすいて損だ」
「はは、グレシアさんらしい言葉ですね」
「それは褒めてるのかい?」
俺はその問いには答えず目をそらした。
ここ何週間か、一緒に仕事をしてわかったことがある。それは彼女の行動原理・関心が金銭的に損をするか否かにしかないということだ。
死体の回収料金はビタ一文まけず、どんなに頭を下げたとしても前金無しの依頼は受けない。マリエールたちの殺人を暴いたのも、正義感によるものではなくそちらの方が利益になると判断したからだろう。
金を稼ぐことの大変さは初めてギルドに行ったときに痛感しているので、彼女の利益追求の姿勢を非難したいとは思わない。だが、なぜそれほど執拗にカネを求めるのかという根っこの理由だけは少し気になっていた。
「はい、注文の分だよ!」
俺がそんなことを考えていると、店の女将が巨大なステーキとシチューを持ってきた。
彼女はステーキを俺の前に置こうとしたが、グレシアが黙って手を挙げると、目を丸くしながらそちらに配膳した。
グレシアは慣れた手つきでナイフとフォークを操り、肉を次々と口に運ぶ。栗鼠のように頬を膨らませていく彼女を呆れながら見ていると、グレシアはそこで何かを思い出したようで、ぱっと顔をあげた。
「そうだ。今日持って帰った死体だけど、あれ教会に持っていくから」
「え、事務所で保管するんじゃないんですか」
「今回の依頼人はギルド保険を通して本人が間接的に依頼してる。引き渡す本人が死んでるんだから、保管してたって誰も取りに来ないよ」
「ギルド保険って?」
「毎月冒険者ギルドに一定の掛け金を払っておくと、探索先で消息不明になったり死亡が確認された場合にギルドが死体回収と蘇生をしてくれるっていう仕組み。掛け金は安くはないけど、命には代えられないから私も入ってる」
「へえ、そんな仕組みがあるんですね。俺も入ろうかな」
「掛け金はウン十万ダリルもするよ。毎月出せるのかい」
「……無理ですね」
彼女と仕事をするようになって金回りはよくなってきているものの、さすがに額が大きすぎる。
(それだけ金があるならもっといいもん食べてるしなあ)
俺はグレシアのステーキと自分の前にあるシチューを見比べ、ため息をついた。彼女の食べている大ぶりで焦げ目のついた肉に比べると、俺のシチューに入っている鶏肉はぱさぱさで脂っけがまるでない。
俺のそんな様子を見て何か勘違いしたのか、グレシアは肩をすくめた。
「もし私との仕事中に君が死んだら、回収と蘇生はちゃんとするから安心してくれ。蘇生代は君もちにするけど」
「全額タダってわけにはいきませんか」
「さすがにそれは虫が良すぎるよ。むしろ回収代を取らないことを感謝してほしいくらいだね」
確かに死体回収料も馬鹿にはならない。迷宮の奥に置き去りにされないだけありがたいと考えるべきなのだろう。
食事を終えると、俺たちはいったん事務所に戻って死体の入った棺桶を持ち出し、街の端にある教会へ向かった。
「……それにしても、ここの教会はどうして町はずれなんかに建ってるんでしょうか。飯屋とか商館とかと一緒に街の中央に建てればいいのに」
棺桶はグレシアの魔法で浮遊しているので、運んでいて特段疲れるというわけではない。とはいえ街の施設に行くというだけで長距離を歩かされるとなると、文句の一つも言いたくなるというものだ。
「郊外にある墓地の管理がしやすいからだろうね」
「じゃあ墓地を都市内に作っちゃえばいいじゃないですか」
「そんなことしたら、あっという間に病気が流行っちゃうよ。アウグスト君は死体が病魔の元になるって師範学校で習わなかった?」
「ああ、そう言えばそんなことも言ってた気がしますね」
座学はうろ覚えだったので、曖昧に答える。するとグレシアは少し呆れたように俺を見上げた。
「本当に大丈夫かい。死体から変な病気を貰っても知らないよ」
「病魔対策についてはおいおい勉強しますよ」
「おいおいとかそのうちって言ってる人が本当に後からやってるの、私は見たことないけど」
「俺はやりますよ。でもそういうのに詳しい知り合いがいなくて」
「……」
わたしわたし、とでも言うように、グレシアは無言で自分を指した。
まあ彼女がそういう方面にも詳しいということは今の会話で何となく分かっていたが、あまり気が進まない。なぜなら──
「後で講義代を払えって言うでしょう」
「……バレたか」
俺の予想は的中していたらしく、彼女はちろりと舌を出した。そしてわざとらしく顔を膨らませ、不満そうな表情を浮かべる。
「たったの十万ダリルなのに。あ、今なら半額にしてあげるよ」
「割り引いても十分高いです。というか仕事仲間に商売を仕掛けるのやめてください」
全く、こういうところがなければ手放しで可愛いと言えるのに。
そう思っていると、教会の方面から安っぽい麻の服に身を包んだ痩せぎすの男が歩いてくるのが見えた。彼は俺たちに気づくと、どもりながら話しかけてきた。
「こ、こ、これはこれは、ノードレット様とアーベライン様ではないですか。下男ふぜいが質問をするというのは恐縮なのですが、教会に何かご用で?」
「ああ、回収した死体の蘇生を頼みに来たんだ」
グレシアが浮遊している棺桶を目で示すと、男は少し残念そうな顔をした。
「向かう先が同じでしたらこのエッカルトが棺桶を運んで差し上げましたのに。も、申し訳ありません、今は神父様からお使いを頼まれておりまして」
蛇のような容貌の男──エッカルトは教会の下男で、力仕事や細かな雑務を担っている。
以前教会に来たときに会ったことがあり、悪い奴ではないが卑屈すぎるという印象を抱いたことを覚えている。
「気にしないでいいよ。魔法で浮かしてるだけだから疲れるわけでもないし。ああそうだ、今教会にいくつ死体があるか分かるかな。どれだけ蘇生待ちすることになるか知りたいんだけど」
彼女の質問を聞いたエッカルトは、悲しげに首を振った。
「知りません。今日はずっと裏庭で剪定をしておりましたから。お役に立てず申し訳ありません」
彼の服には葉の欠片や小枝が付着しており、腰には剪定用の小刀が差してあった。本当のことらしい。
「そっか。まあ大丈夫だよ。後で聞くから」
「す、すみません、すみません」
ただ質問に答えられないだけで謝罪されると、こちらが悪いことをしたような気分になる。俺は苦笑いをしながら、気にしないでくれとだけ言って彼と別れた。
それからしばらく歩くと教会に到着した。教会の敷地は白い漆喰の壁に囲まれており、その中に聖堂や倉庫が建っている。俺は特段信心深い方というわけではないが、門扉を抜けた瞬間に神聖な雰囲気を感じて少し身が引き締まった。
そのとき、俺の前を歩いていたグレシアが教会を囲む壁を振り返って、ふうんと感心するような声をあげた。
「漆喰の壁か。珍しいね」
「そうなんですか?」
「南の方だと原料の石灰岩がよく手に入るから珍しくはないらしいけど、この辺の家は全部煉瓦とか石を積んで作ってる。こだわりがなければ同じように石積みになるはずなんだけど。ここに赴任してる神父の趣味なのかな」
「さあ……何にせよ、珍しい壁を作れるってことはけっこう教会も金を持ってるってことですよね。羨ましいなあ」
俺がそう言うと、グレシアは建物を見て首を振った。
「それはどうだろう」
「え?」
「教会を見てみなよ。窓がほとんどないだろ」
言われて前にそびえる教会の建物を見ると、確かに窓は一つも無かった。礼拝堂の方に大きなステンドグラスがあるくらいだ。
「窓が無いから何なんですか」
「この教会は、窓税対策をしてるってこと。アウグスト君は窓税のことを知ってるかい?」
「いいえ。なんですそれ?」
そう訊くと、グレシアは親指と人差し指で窓の形を作り、説明してくれた。
「そのままさ。窓が多いほど多く払わなくちゃいけないっていう税金。窓を作るのには費用がかかるし、窓の数が多い家屋はそれだけ大きくなる……。要するに、窓を基準にすれば金持ちから税金をより多くとれるんだ。加えて窓は隠しようがないから、徴税人が家に踏み込んで財産を調査する手間を省くことができる」
「なるほど、お偉いさんはうまいことを考えるもんですね」
俺が感心していると、グレシアは「でもね」と付け加えた。
「この仕組みには簡単な抜け穴があるんだ。窓を無くせば、税は取り立てられない」
「……ああ、そういうことですか」
この教会は窓税を取られたくないため、窓を備え付けていないのだ。
「普通の教会なら見た目が悪いから窓税を払ってでも窓をつけるものだけど、この教会は窓税による余分な支出を大目に見られない。つまり、そこまで金回りはよくないんだ」
「なるほど」
「もちろん、他の教会と比べてという話だけどね。アウグスト君よりはよっぽど金持ちだよ」
「へーえ……あ、グレシアさんの事務所も窓がありませんでしたね。あれも窓税対策ですか」
「風通しを良くするために寝室には一つつけてるんだけど……まあそうだね。他にも日光に当てたくない薬品があるし、強い日差しは避けたいから」
彼女は雪のように白い髪をくるくると人差し指に絡めながら言った。肌や髪の色素が薄い分、直射日光には弱いのだろう。
俺とグレシアは、そんなとりとめもない話をしながら教会の扉を開け、ホールに入った。大理石が敷き詰められた床を踏んだ瞬間、脇の通路から歩いてきた金髪のシスターとばったり出くわした。彼女は俺とグレシアがやって来たことに気がつくと、目を細めた。
「こんにちは、アウグストさん。お久しぶりですね」
「ええ……ザインの埋葬を頼みに行ったとき以来ですか」
彼女の名はイレーネ。教会で働いているシスターだ。お淑やかと言う言葉を絵に描いたような人物で、普段はもっぱら事務仕事や冒険者の治療といった仕事をこなしている。腕も確かで、解毒や解呪に訪れる冒険者たちの評判は高い。
イレーネはグレシアの方を見ると、化粧っけのない唇に微笑を浮かべた。
「それにしても、あのときはびっくりしましたよ。まさかけちんぼのグレシアさんが死体の埋葬を指示するとは思わなくって」
「不必要な経費を抑えてると言ってくれ。それにあれはただの気まぐれで……」
「いやあ、グレシアさんもようやく信心が芽生えてきましたか」
「芽生えてないよ」
そう言うと、グレシアは俺の後ろに隠れた。いつもならどんな人間だろうと平坦な反応をする彼女がイレーネに対しては忌避するような動きを見せたので、俺は少し驚いた。
「失礼じゃないですか。隠れるなんて」
「私、こういう神様信じてる人とかちょっと苦手なんだ」
「神様信じてる人が苦手って……グレシアさんも一応教会の信徒でしょう?」
そう訊くと、グレシアは首を振った。
「私は君たちが信じてるような神様は信じてない」
「え?」
俺はまじまじとグレシアを見た。基本的にこの国に住む者はみなこの「教会」の信徒で、俺も寄付はしないし礼拝も滅多にしないが一応信徒である。
だからてっきり彼女も信徒なのだと思っていたが、そうではないらしい。イレーネは困り顔のまま説明してくれた。
「グレシアさんは雪原の民ですからね。以前から入信しませんかと言っているのですが、全然取り合ってもらえません」
「雪原の民?」
「ここからずっと東……教会騎士団の入植も届いていないほど東の雪原で暮らす人々のことです。まだ我々の教化が及んでいなくて、世間では……」
「私の出自なんて言わなくていいよ。仕事に関係ない話だ」
少し慌てた様子でグレシアはイレーネの説明を遮った。俺としては普通に雪原の民の話を聞いてみたかったので「ええー」と不満の声を漏らすと、彼女は険のある表情を浮かべた。
「君にとって重要なのは、仕事をさっさと終えてお金を手に入れることだろ。こんなところで無駄話なんかする時間はない」
「……まあ、そうですけど」
神よりも金を拝みそうな彼女らしい言動だ。しかし、今回はやや不自然、というか話題をそらすために言ったような気がした。
どうして自分の出自──雪原の民について語りたくないのかということは皆目見当がつかない。だが、隠されているとなると逆に気になるものである。
「ふふふ、気になるって顔に書いてありますよ、アウグストさん」
そのとき、イレーネは愉快そうに笑った。どうも思っていたことが全て顔に出てしまっていたらしい。彼女はわずかに細目を広げ、俺をたしなめる。
「ですが女の過去を詮索するのは野暮というものです。貴方は騎士なのですから、品位にも気をつけないと」
「そもそも君のせいだろ。何も言わなかったらアウグスト君も気づかなかったのに」
「ああ、そうだったんですね。すみません」
イレーネは軽く謝ると、グレシアの後ろで浮遊している棺桶の方に目をやった。
「ところで、今日来たのは、蘇生のためですか?」
「ああ。早めにその話題に入ってくれればもっと助かったんだけど」
「教会に来た人とお喋りするのが趣味なので、つい」
「まったく……それで今すぐ蘇生はできるの?」
「いえ、今はまだ神父様が先着した死体を蘇生しています。もう少し早く来てくれれば、まとめて蘇生できたのですが」
「順番待ちになるんだね。儀式にはどれくらいかかるかな」
「霊安室に他の死体はありませんから、すぐですよ。終わるまで応接室で待ちますか?」
「そうさせてもらうよ」
俺とグレシアはイレーネに案内され、応接室へと向かった。
応接室はホールの左手からすぐ入ることができたが、その前に上質そうな木でできた、小さな箱のような部屋が備え付けられているのに気づき、俺は足を止めた。
「これは何ですか?」
「ああ、それは懺悔室という部屋ですね。南の教会で評判だったので、うちでも導入してみたんです」
彼女によると、懺悔室とは罪を犯した者が神父に罪を告白し、懺悔するための場所なのだという。部屋は神父の座る席と告白者の間で区切られており、お互いの姿が見えないよう、目の細かい木の格子を通して声が届くようになっている。
「この中で罪の告白をするんですね。……俺なんか悪いことしたっけ」
「別に、今無理をして悪事を思い出す必要はないんですよ。アウグストさんが喋ってるって分かってたらこの部屋に入る意味がないですし」
俺と一緒に説明を聞いていたグレシアも興味を示したらしく、ふうんと言って性悪な笑みを浮かべた。
「つまり、告白したやつの弱みを握って強請ることもできるわけだ」
「そんなことはしませんよ。告白の内容を口外して信用を失うようなことがあったら、誰も懺悔に来なくなります」
「……それもそうか。ちなみに、街の井戸に毒を入れたとか、誰かを殺したとか、重大な犯罪を告白されたらどうするんだい」
「今のところそういった話は聞いていませんが、聞いた者の裁量によりますかね」
「意外とあいまいなものなんだね」
「何でも決まった掟で判断できるなら、裁判なんて要らないでしょう」
グレシアと話しながら、イレーネは懺悔室の扉の向かい側にあるドアに手をかけた。どうやらそこが応接室の入り口らしい。
「儀式が終わるまで、ゆっくりお待ちください」
窓が無いせいで最初は暗かったが、イレーネが燭台に火を灯すと、室内の様子がよく見えるようになった。真ん中には柔らかそうなソファとテーブルが置いてあり、部屋の奥に飾られた石膏の天使像の隣には、磨きこまれた柱時計が鎮座している。
俺の実家──アーベライン家の何倍も瀟洒で金のかかっていそうな応接室に感心し、俺は初めて都会にやってきた田舎者のように辺りを見回した。
試しに近くのソファに座ると、抵抗なく尻が吸い込まれる。予想以上の柔らかさだ。
「うーん。ずっと座ってると駄目になりそうだね」
グレシアは向かいのソファに座り、日向ぼっこをする猫のように顔をとろけさせていた。俺もしばらくソファの座り心地を楽しんでいると、四つのティーカップとポットの載った盆を持ったイレーネが部屋に入ってきた。
「お茶です」
「これはどうも」
紅茶がなみなみと注がれたティーカップを受け取り、口をつけると甘い香りが口内を満たした。なかなかうまい。
「ところでグレシアさん。死体処理ってどういう風にやってるんですか?」
俺たちが一息ついたところで、いつの間にかテーブルの向かいに座っていたイレーネはそう切り出した。グレシアはティーカップを置くと、片眉を上げた。
「どうしてそんなことを聞くんだい」
「毎回グレシアさんが回収してくる死体って保存状態がよくて、蘇生された人から好評なんですよ。教会も仕事の都合上死体を預かることがあるのですが、専門の方が施術した場合と比べると保存期間が短くなってしまって……」
「それで死体保存のコツを教えてほしいと」
「ええ」
「申し訳ないけど、断る」
グレシアはきっぱりとした口調で答えた。
「死体回収だけじゃない。保存の方法だって私の飯のタネだ。おいそれとは話せないよ」
「そうですか」
しかしイレーネにとってその反応は想定通りだったようで、特に気にした様子もなく再び口を開いた。
「では、うちのやってる死体保存の話をちょっと聞いてもらえますか。改善点があれば指摘していただきたいのですが」
「……まあ、うちの利益に関わらない程度ならいいよ」
「ありがとうございます」
それから少しの間、イレーネとグレシアは死体処理の話を続けた。
魔法処理や薬品の知識に乏しい俺にとってはたいして面白い話ではなく、理解もできないため、喋っている二人をぼうっと眺めながら、ちびちびとお茶で喉を潤していた。
「──あとは虫よけに教会がよく使ってるようなアルカフト草の汁を使ってもいいんだけど、無色の毒だからうっかり指とか服についても気づけない可能性がある。甘い匂いがするから分かるかもしれないけど、なるべく付着に気づけるような薬品に変えた方がいいよ」
「なるほど。いやあ、勉強になりました」
「お茶代で話せるのはこれくらいかな。もっと保存日数を伸ばしたいなら一日につき十万ダリルの講義代を……」
「それは遠慮しておきます」
さらりとグレシアの有料講義を断ると、イレーネは俺の方に目を向けた。
「すみませんアウグストさん。ずうっとグレシアさんと話しこんじゃって。退屈でしたよね」
「何を言っているのかはさっぱりでしたけど、気にしなくていいですよ。それにしても、仕事熱心なんですね」
ちょっとしたお茶会のようなものなのだから他愛のない話に興じることもできただろうに、そんなときまで仕事の話をするとはよっぽど仕事人間なのだろう。
そう思っているとイレーネは、当たらずとも遠からずという答えを聞いたときのような、微妙な笑い方をした。
「仕事熱心というか……そもそもこの教会自体が、蘇生儀式の伝統がありますから、そこにお勤めする以上、勉強しておかなければならないというだけです」
「伝統って?」
聞き返すと、イレーネは応接間に飾られている木版画を示した。
「この教会は今でこそ冒険者の方々が多く訪れる場所となっていますが、かつては王国の最前線で兵士を生き返らせる前線基地でした」
絵は蝋燭の暖かい光に照らされており、教会の中で無数に横たわる人間がくっきりと浮かび上がっている。死体が並べられている中で、天から降り注ぐ光の中で神父と兵士たちが立っている様子が描かれていた。
「当時の神父様は戦争が起こるたびに人間を死に物狂いで蘇生させて……百年前に起きた南諸島国との戦争では、毎日五百人の兵士を蘇生させたそうです」
「五百……すごいですね」
俺は甦った兵士たちが列をなして教会を旅立つさまを想像し、目を丸くした。いったいそれだけの兵士を生き返らせるには気の遠くなるような大金と労力がかかったはずだ。
「当然教会の負担も相当なものでしたが、そのかいもあって戦争に勝利し、前線は南へ移動しました。それからは基地として使われることは無くなりましたが、この教会はそのときのことを『五百人蘇生伝説』として記憶しています」
グレシアはそれで得心したようだった。
「なるほど……蘇生がウリの教会というわけだ」
「俗な言い方を言えばそうなりますね。当代のギュンター神父はとくに蘇生術に長けた方で、確実に蘇生に成功します」
確か普通の術者が蘇生を試みた場合の成功率が七割といったところなので、とんでもない凄腕だ。
「そういえばギュンター神父って、どんな人なんですか?」
エッカルトやイレーネとは面識があるが、以前俺がザインを埋葬するために来たときには彼は出かけていたのでどんな人物かは知らない。
イレーネはどう言おうか迷うそぶりを見せてから、口を開いた。
「優しい人ですよ。戦争で家族を亡くした私やエッカルトを引き取ってくださったのも神父様ですし」
「……孤児だったんですか」
「はい。まあそのおかげで神父様と出会えたわけですから、私もエッカルトも幸運の巡りはそれでトントンですけれど」
思いがけず重そうな話が出てきて俺は面食らったが、イレーネの語り口はそれほど暗さを感じさせない。彼女にとって、その苦しい思い出は過去のものになっているようだった。
そのとき、応接室のドアが勢いよく開けられ、手に長剣をもった小太りの男が転がり込んできた。
「あっくそ、行き止まりか!」
男は室内を見回すと小狡そうな顔に冷や汗を浮かべ、俺たちに声もかけず引き返そ
うとする。だがその瞬間、ドアに現れた人影にぶつかり尻もちをついた。
「ここにいたか」
男の行く手に立ちふさがっていたのは、白髪を後ろに撫でつけた長身の老人だった。羽根ペンを挟めそうなほど深いしわを鼻筋に寄せ、男をねめつけている。目つきが鋭すぎるせいでとてもカタギには見えないが、神父服を着ていたのでかろうじて彼がギュンター神父であるということが分かった。
男は負けじと睨み返し、口を開いた。
「ちっ、あんたは黙って契約通り俺を生き返らせりゃあいいんだよ」
「契約には、お前の行為を咎めるなとも書いていない」
「うるさいな。説教される筋合いはないぜ。それに女一人殺したくらいでゴチャゴチャ言いやがってよ」
「……殴らんと分からんか」
「はあ?」
ギュンター神父は拳を固めると、怪訝な表情をうかべている男の顔面に叩き込んだ。男は声もたてず吹っ飛び、床に這いつくばる。
「しばらくこの部屋で頭を冷やしておけ」
神父はハンカチを取り出して手の甲を拭いながら呆気にとられている俺たちの方を見やった。
「これは失礼。見苦しいところを見せたな」
「あの……この人は?」
鼻血をぼたぼたと流しながらうめいている男を見下ろすと、神父は鼻を鳴らした。
「こんな男のことなど気にしなくていい。それより回収人が来ているということは、蘇生の依頼に来たのだろう」
「ええ。保険に入っていた冒険者を一人」
グレシアが答えると、ギュンター神父は少し眉根を寄せ、自らが殴り倒した男に視線をやった。
「ギルド保険か。もう少し加入者を選んでくれれば言うことはないのだが」
「どういうことです?」
神父はその問いには答えず、踵を返してドアノブに手をかけた。
「イレーネ、そのカスの怪我を治療してから、蘇生用の魔晶石を持ってきてくれ。さっき使い切った」
「わ、わかりました」
おどおどするイレーネの傍で、男は「ああ!」と大声をあげた。俺が思わず視線を向けると、彼は長剣の鞘についた赤い染みを指して喚きだした。
「くそ、剣の鞘に鼻血がついちまった。新品なのにどうしてくれんだよ、おい!」
「……そこの二人は死体をもって私についてこい。外で話そう」
男の言葉を無視すると、ギュンター神父は部屋を出て行った、
俺とグレシアは顔を見合わせた。今一つ状況が飲み込めないが、この男と同じ部屋にいると面倒なことになりそうなので、黙って神父の後に続いた。
「今の人、誰ですか?」
こつこつと廊下に響く靴音を聞きながら尋ねると、ギュンター神父は話を始めた。
「あれはホラートという男で、大貴族ベルドナット家のバカ息子だ。昔から甘やかされて育って道楽をやりつくしたものだから、最近は冒険者の真似事などをして遊んでいるらしい」
「遊びで冒険ですか」
貴族とはいっても、ベルドナット家の財力は俺の実家であるアーベライン家とは雲泥の差らしい。それだけ暇と金のある人間になれたらどんなに楽しいだろう。俺が羨ましく思っていると、神父は舌打ちをした。
「遊んでいるだけならまだよいのだがな。問題は街での振る舞い方だ。ヤツは権力と金を笠に着て好き放題している」
「好き放題って?」
「癇癪で物を壊す程度ならまだマシな方だ。喧嘩で勢い余って相手を殺したり、娼婦の首を絞めて殺したこともある」
俺は唖然とした。そんな人間が貴族階級の中に存在するものだろうか。確かに貴族として付き合ったことのある人間の中にはそういう連中もいるが、大貴族ともなれば相応の品格を要求されるはずだ。
「それは本当ですか。にわかには信じがたいですが」
「アーベライン殿はたしか騎士だったか。あまりその種の人間と付き合うことが無かったのだろうが、こういう仕事をしていると、嫌でも会う」
「……では、どうしてそんな人間を生き返らせるのですか。蘇生の契約なんてしなければよかったのに」
俺の問いに対し、グレシアが代わりに答えた。
「きっと、突っぱねたくてもできないんだよ。ホラートはギルド保険に入っている。ホラート本人ではなく、ギルドからの依頼になるから断れないのでしょう?」
「ヤツはそれを知っているからこそ、無茶ができるのだ。奴だけならばそのまま腐って死ねと言ってやるがね。さすがにギルドとの契約を無視するわけにはいかない」
おそらく、ギルドの方もホラートが大貴族であるから、彼がどれだけ問題行動を起こしていたとしても蘇生の判断を下すことしかできないのだろう。
あまり愉快とは言えない話に俺が顔を曇らせていると、ギュンター神父は吐き捨てるように言葉を継いだ。
「さらに忌々しいことに、ヤツが殺した娼婦の方は蘇生できなかった」
神父は前を向いたまま歩き続けているため、顔は見えない。だが、苦み走った顔をしているような気がした。
「娼婦は金が無いうえに身寄りがなかったのでな。ホラートが彼女の命を弁償しなくても文句を言う者がいなかったのだ」
「衛兵には捕まらなかったのかい?」
「衛兵も好き好んで大貴族と揉めたくないのだろう。お咎めなしだ」
「まあ、蘇生できるような金か、頼れる人間がいたら娼婦にはならないだろうし……運が悪かったね」
神父とグレシアの会話を聞きながら、俺はやるせない気分になった。
殺人者が蘇生され、罪のない被害者はそのままこの世を去るしかないとは、どうも納得がいかない。俺が神父だったら、さっきの男に一発と言わずもう二、三発殴っておまけに蹴りをプレゼントしているかもしれない。
「彼女は教会に毎日欠かさず通ってくれていたから、蘇生させてやりたい気持ちはやまやまだったのだが……四、五人蘇生させるだけで一つの魔晶石を消耗する。経費は安くない」
結局のところ、教会はどこまで行っても蘇生儀式を実行する役割をもつだけであり、誰を生き返らせるかというのを決めるのは、相応の力を持った人間なのだろう。
世の中のイヤなところに気づいて俺がため息をついていると、前を歩いていたギュンター神父が立ち止まった。
「ここが蘇生室だ」
神父は部屋の角にあるドアを開け、俺たちを招き入れた。
部屋の中は殺風景で、応接室と違い一切の調度を置いていない。ただ、床に白い粉末で描かれた円が描かれているだけの簡素な部屋だった。
「この円は何ですか?」
「魔法陣だ。この石灰で描いた陣の中に死体を置いて儀式を行うことで蘇生する」
「なるほど。死体はもう置いてもいいんですか」
「ああ。イレーネが触媒を持ってくるまで術は施せんが」
グレシアは棺を開け、浮遊魔法で中に収められていた死体を取り出した。
「イレーネが来たらすぐ蘇生が始められるようにした方がいいだろ」
そう言って、彼女は魔法陣の中に死体を安置する。
棺の中に収められていたのは攻撃術師の女だ。かなり強い怪物との戦闘で死亡したらしく、あちこちに焼けこげや無数の切り傷がある。
その死体を見ているうちに、俺は妙なことに気がついた。
「……あれ、グレシアさん。この人、右手が無いですよ」
本来あるべき手首から先が無くなり、黒ずんだ断面が露わになっていた。
「ほんとだ。回収したときにはちゃんとついてたはずだけど。……棺かな」
グレシアは棺桶を覗き込み、「やっぱり」と声をあげた。
「中に落ちてた。たぶん炭化して手首が脆くなってたから、何かのはずみで取れてたんだろうね」
そう言うと、グレシアは黒ずんだ右手を俺に渡した。魔法陣に置けということなのだろうが、手の損傷はかなり激しく、正視に堪えない。
「これ、治るんですか?」
「うん。その円の中に入れておけば蘇生のときにくっつく」
「へえ。ちなみに入れておかないとどうなるんですか」
「……結構怖いこと訊いてくるね。どうなんでしょうか、ギュンター神父」
グレシアに水を向けられ、ギュンター神父は少し考えるそぶりを見せた。
「右手が無い状態で蘇生するだろうな。蘇生術は、死後体にしがみついている魂を体の中に入れ、最低限命を維持できる程度まで再生するもの。臓器ならともかく、腕や足のような末端部までは無から発生しない」
「なるほど。アウグスト君、ちゃんとその手首も入れといてね。手首が無い状態で蘇生させちゃったらこの人にいろいろ文句言われそうだし」
「わ、わかりました」
俺は取れた手首を慌てて死体の傍に置いた。
「ご苦労さま。後はイレーネが来るまで待つだけだね」
グレシアはぐっと伸びをしながら壁にもたれかかった。
お互いたいして仲は良くないのか、それからグレシアもギュンターも何も言わずじっとしている。何となく気まずさを感じ、俺は口を開いた。
「そういえばイレーネさんから聞いたんですが、ギュンター神父は蘇生術の達人だそうですね。何かコツがあるんですか」
「……達人か。やっていることは他の蘇生術者と変わらんのだがな」
すると神父は、巌のような顔をわずかに動かし、相好を崩した。
「自分で言うことではないが、蘇生が成功するのは神への信仰が篤いからだろうと思う。一度、都の生臭どもが蘇生するところを見ていたが、見ていられなかったな」
「へえ……面白いですね」
魔法は計算と似ているという。俺は魔法を使う才能がないから詳しくは知らないが、発動に必要な魔力もしくは触媒を用意し正しい手順を踏めば、求めた結果は炎や回復効果として寸分の狂いもなく出てくる。
だから、個人の信仰心が術の成功率を上げるという現象は、計算で例えるなら気合を入れて式を書けば一と一を足して三にできると言っているようなものであり、普通はありえないことなのだ。
「神学では信仰心が篤いほど蘇生成功率が上がることが、神の存在証明だと言われている」
「文字通り、信じる者に力を与えてくれるというわけですか」
「そうだ。ただ成功率が上がると言っても、無理な場合はどうあがいても無理だが」
「頭部の損傷が激しすぎる場合とか……ですか?」
「ああ。それと自殺した者も生き返らない。自らの意志で死んだ者の魂は、死んですぐ地獄へと落ちる。引き戻す魂がないから蘇生のしようがないのだ」
それを聞いて、俺は幼い頃に聞いた教会の教えの一節を思い出した。
『命を無為に投げうつなかれ』
そもそも自殺は神が禁じた行為だから、それを破った者に垂れてやる慈悲などないという理屈なのかもしれない。
そんなことを考えていると、イレーネが蘇生室の扉を開けて中に入ってきた。手には林檎ほどの大きさの魔晶石を持っている。
「遅くなりました」
ギュンター神父は魔晶石を受け取ってから、イレーネに質問した。
「倉庫に魔晶石を取りに行くだけなのに、なぜこんなに時間がかかった?」
「すみません、ホラートさんが暴れていたので宥めていました」
「これが終わったら鼻を叩き折ってやるか」
神父は舌打ちをすると、死体の置いてある円陣に向かって進んだ。蘇生の儀式にとりかかるらしい。
「何か手伝いましょうか?」
「結構。後は祈りの句を述べるだけだ」
神父はそう言うと死体と向き直り、黙った。そして厳かな声で奇跡を生み出すための祈りの言葉を発し始めた。
「天使の囁きを聞け。そして祈れ。生命の蝋燭に再び炎を灯し、冷たい死の床を温めることを。そして汝の名を唱えよ。墓碑銘を削り取らん」
神父の落ち着いた低い声が狭い部屋に響く。すると、だんだん女術師の死体が淡い光を帯び始めた。
「身体にすがりつく汝の魂を、神の力をもって再び肉体へ戻す。神の御名を唱えよ」
ずるりと目の前で術師の手首が動き、元通りにくっついた。焼けこげた皮膚も再生し、綺麗な白い肌へと戻っていく。
「奇跡は起きた。目覚めよ」
神父が祈句を締めたそのその瞬間、術師はぱっちりと目を開いた。そして体を起こし、周りを見回す。自分の置かれている状況がよく呑み込めないらしく、きょろきょろと周りを見回している。
「ここはどこ?」
「教会です。あなたは私たちに回収され、ここで蘇りました」
グレシアが進み出て説明すると、攻撃術師の女はああと声をもらした。
「あたし、死んでたんだ」
「保険に入っていて良かったですね。これに懲りたら、次はきちんと仲間と一緒に探索することです。いくら強くても、護衛のいない魔術師は死にます」
「……そうね、肝に銘じるわ」
怪物に殺されたときの記憶がよみがえったらしく、女の顔がさっと青くなった。
「さて、特に体に不備もないようなら、私はもう行くぞ」
「あっ神父様、ありがとうございました」
「なに。仕事だからな。後は任せる」
ギュンター神父はそう言うと、せわしなく部屋を出て行った。おそらく、ホラートに鉄拳制裁でも加えにいったのだろう。グレシアは彼を見送ると、術師の女に向き直って羊皮紙を取り出した。
「あなたの回収と蘇生が成功したことを報告しますので、こちらにサインをおねがいします」
「うー、今まで死亡ゼロでやってきたのになあ……来月から掛け金がきついわ」
女は少し悔しそうにつぶやくと、差し出されたペンでサインした。
「これで終わりかしら」
「ええ、後は私がギルド本部に持っていきますので、どうぞお帰りになってください」
術師の女はうなずき、蘇生室を出ていった。グレシアは書類を懐にしまいながら、ふうと一息をつく。
「この証明書をギルドに提出すれば仕事は終わりだ」
「じゃあ、長居していてもしかたないですね。俺たちも出ますか」
俺たちはイレーネに別れを告げて蘇生室を後にすると、今まで歩いてきた薄暗い廊下を抜けてホールへと出た。するとそのとき、懺悔室の前で、扉を開けた格好のままギュンター神父が立ち尽くしているのが目に入った。
「どうしたんですか?」
近づいて話しかけると、神父はゆっくりとこちらを見た。その眼は驚愕に見開かれており、今にもこぼれ落ちそうだ。
怪訝に思った俺は、彼が視線を注いでいた扉の向こうへと目をやり──そして彼と全く同じように目をみはった。
懺悔室の神父側の席で、ホラートが首を吊っていた。