縄のかかっている梁が、死体が揺れるたびにぎしぎしと軋む。足元には椅子が倒れていた。おそらく死の瞬間に蹴とばしたのだろう。
生前に神父に殴られ鼻血が出たせいか、服は赤く汚れていた。神聖な空間の中に薄汚れた死体があることがひどく場違いなように思える。
首を吊ったホラートの無残な姿に俺が唖然としていると、隣にいたギュンター神父は驚きに声を震わせながらつぶやいた。
「自殺か……信じられん」
初めて会った俺もあの男が自殺するようなタイプには見えなかったので同感だった。しかしこの状況に納得のいく説明をつけるのだとしたら、ホラートが今まで積み重ねてきた悪行を顧みて、自責の念に耐えかねて死んだ……というくらいだろうか。
それなら、懺悔室で死んでいることも説明できなくはない。そんなことを考えていると、グレシアは首をかしげた。
「本当にホラートは自殺したのかな」
「どういうことです?」
「自殺に見せかけて殺されたんじゃないかなって……どう見ても不自然だよ」
そういうと、グレシアは縄を指さした。
「理由はいろいろあるけど、一番気になるのは、首をくくるのに使った縄だね。あれをホラートはどこから持ってきたんだろうか。普段から持ち歩いているとは考えにくいし、教会にあったのだとしても、短時間で都合よく縄を見つけられる?」
確かにその通りだ。他にもよく考えてみればわざわざ見咎められる可能性のある教会で自殺を決行したというのは解せないし、神父から聞いたかぎりでは、ホラートが罪の意識にさいなまれて死ぬタイプには思えない。しかも普段から悪行を積み重ねてきたのだから、殺害される理由は十分にあるのだ。
「何やらごちゃごちゃと言っているが、自殺として扱っていいのではないか」
だがギュンター神父は他殺の可能性を考えるつもりはないらしく、渋い顔をした。
「どうしてです」
「もし他殺だったとして、この悪魔を生き返らせて何の意味がある?」
「殺されてもしかたないと考えるわけですか」
「ああ。むしろ私はそのまま埋葬したほうがせいせいすると思うが」
仮にも神に仕える者とは思えない台詞だ。だが、ホラートはそんなことを言われるだけのことをしてきたのだろう。部外者である俺がどうこう言うことではない。
「どうします、グレシアさん」
「ホラートは大貴族の息子で、ギルド保険に入れるくらい裕福なんだ。考えるまでもないよ。他殺を証明して蘇生する。そして、彼の家に謝礼を要求する」
予想はしていたが、やはり彼女はホラートの善悪に興味はないらしい。全ては自分の利益になるか否かが判断基準というわけだ。呆れを通り越していっそ清々しさを感じた。
「……ノードレット嬢はあくまで他殺と考えているようだが、これは自殺だ。生き返るわけがないのだから、蘇生するつもりもないぞ」
一方で、神父は自殺の線を譲る気はないようだった。せっかく自ら死んでくれたのだから、わざわざ生き返る可能性を探りたくないという気持ちは分からなくもないが、それにしても意固地になりすぎているような気もする。
(ひょっとして、この人が?)
最初にホラートを発見したのも神父だ。俺が彼に猜疑の視線を向けたそのとき、グレシアは挑発的な笑みを浮かべた。
「でも、私が他殺を証明すれば蘇生せざるをえませんよね。まさか神父が保険に入っている人間を見殺しにできるはずはないでしょうし」
「実際に証明してから言うんだな。もちろん証明の手伝いなぞせんぞ」
「言われなくてもそのつもりです」
「……せいぜい無駄骨を折るといい、欲深の血族め」
そう吐き捨てると、神父は部屋を出て行った。
「さてと、調べものを始めようか」
ギュンター神父の態度に何の痛痒も感じていないらしく、グレシアはさっさとホラートの死体の方に目を向けた。
「……やるんですか?」
「うん。これはきっちり解けば儲かる話だって、私の勘が言ってる」
グレシアはもう他殺を確信しているらしい。この殺人を証明することが正義なのかどうかということはわからなかったが、雇い主である彼女が乗り気になっている以上、俺は協力するしかない。
「で、俺は何をすればいいんですか?」
「ひとまずは私の傍にいてくれ。調査中に私自身も殺されたら困るからね」
「調査中にって、グレシアさんは教会内に犯人がいるって思ってるんですか」
ホラートは方々から恨みを買っていた人物だ。外部から侵入した何者かに殺害されたという可能性を捨てるべきではないと思うのだが。
「アウグスト君、なぜ犯人は殺人を自殺に見せかけたんだと思う?」
グレシアは死体を検分しながら言った。
「自殺だと思わせて蘇生させないためじゃないでしょうか」
自殺者は蘇生できない。ギュンター神父も言っていた。
「そうだろうね。自殺するならドアノブに首吊り用の縄をかける方が楽なのに、わざわざ絞首刑風に吊るしてるのにも作為を感じる。……でも蘇生を不可能にするなら、首を持っていくっていう方法もあるんだ。魂が宿るのはここだから、首無し死体は蘇生できない」
コツコツとこめかみを人差し指で叩きながら、グレシアは言葉を続ける。
「だから蘇生させないことを目的にするなら、この頭部を持ち去る方法の方がよっぽど確実なんだ。布でくるめば生首を持ち歩いても分からないし、適当なところで埋めてしまえばまず見つからない。少なくとも、首つり死体に見せかけて自殺だと勘違いさせるよりは犯人だと気づかれる危険性が小さくてすむ。ではどうして犯人はそうしなかったんだろう」
そこまで言われて、ようやく俺は気づいた。
「首を外に持っていくことができない人間だった?」
首を持っていく方法だと、他殺だということは分かる。だから首を外部に持ち出して処理できない犯人の場合、首はいったん教会のどこかに隠しておかなければならないのだ。
そしてもし首を発見されたらホラートは蘇生され、自分が犯人だとバラされてしまう。だから犯人は、死体を偽装して自殺に見せかけるという面倒な手順を選んだ。
「そういうわけで、私は教会の人間が犯人って可能性が高いと思う。それに、ホラート殺害は私たちが応接室を出て行って、蘇生儀式を終えたギュンター神父が戻るまでの短時間で起きてる。外から来た人間が、教会のどこにいるか分からないホラートを見つけ出し、殺して自殺に見せかける細工をするほど時間的な余裕があったとは考えにくい。窓税のせいで窓がないから、外から中の様子を把握することも不可能だっただろう」
教会内の人間となると、犯人は一気に絞られてくる。ギュンター神父、シスター・イレーネ、下男のエッカルトの三人だ。誰もが殺人に手を染めそうにない人間に思えるが、協力しないと端から突っぱねている神父はともかく、イレーネとエッカルトには話を聞かなくてはならないだろう。
「死体とその周辺の検分が終わった」
そのとき、グレシアが口を開いた。振り返って俺の方を向いた彼女の顔には、曇った表情が浮かんでいた。
「死因は首吊りによる頸動脈の圧迫だね。ただ、絞殺して首吊りに見せかけたわけじゃなさそうだ。首をかきむしった跡がないし、縄の跡が斜めになってる。後ろから絞殺したのなら、縄の跡は水平になるはずだから」
「え、それじゃあ……」
首吊りだったのなら、先ほどまで前提だった他殺説の信憑性は薄れるではないか。グレシアも俺と同じようなことを考えたらしく、難しい顔をしている。
「君が思っていることは分かるよ。でももう一つ気になったものがあってね」
グレシアの示した場所──懺悔室の壁には、ホラートの長剣が立てかけてあった。
「これのどこが気になったんですか?」
「抜いてみてくれ」
俺が剣を抜くと、水に濡れたような光沢をもつ刃が露わになった。上質の鋼でできているらしく、うっとりするほど刀身は美しい。悪漢にはもったいないぐらいの名剣だ。
「……ん?」
そのとき、俺は気がついた。剣の根元にわずかだが血がついている。
「ひょっとして気になるものってこれですか?」
「うん。それと襟にも血が付着してた。神父に殴られたときの鼻血の可能性もあるけど……推理を組み立てる材料になるかもしれない」
その他にめぼしい手がかりはなく、俺たちは懺悔室を出た。すると、ちょうどイレーネとエッカルトがホールに入ってくるところに鉢合わせた。
「あれ、グレシアさんとアウグストさん。二人して懺悔室の中を見て何をしていたのですか?」
イレーネとエッカルトはまだホラートが死んだことを知らないらしい。俺が先ほど起きたホラートの首つりについて説明すると、二人は青ざめた。
「そんなことが……神父様は何と?」
「自殺だって考えてる。速やかに埋葬すべきだとも」
俺の言葉に、エッカルトはがくがくとうなずいた。
「エッカルトは神父様が正しいと思います」
「なぜですか? 状況的には他殺の可能性もあるんですよ」
「ええと、神父様とイレーネさんが人を殺すわけはありませんし、外から誰かが来て殺すことも無理だからです」
「いやにきっぱりと言い切るんだね」
「だって、さっきまで門は閉まってましたから」
「門が閉まってたって?」
「それについては私が説明しましょう」
イレーネは、エッカルトに向けられたグレシアの質問を横から引き取った。
「私は蘇生が終わった後、裏口から出て中庭の様子を見に行ったんです。そのとき、正面の門で先ほど蘇生された攻撃術師の女性が閉まった門の前で立ち往生しているのに気がつきました」
「閂は内側から開けられないんですか」
「もちろん開けられますが、開けて出た後に門を閉める場合は、内側に閉める人がいる必要があります。彼女はあの門が閉まっていた理由を防犯のためだと思って、内側から門を閉めてくれる誰かを待っていました。
それで私が門を開けてから彼女は教会を出ていき、入れ違いでエッカルトが帰って来たというわけです」
「実際、防犯のために閉めてたの?」
グレシアの問いに、イレーネは首を振った。
「いえ。なぜ閉まっていたのかは、私も知りません」
「……ふーん。でも、私たちが通ったときは確かに開いてた。だったら、私たちが教会に入った後に誰かが内側から門を閉めてたんだろうね」
グレシアの言葉に、エッカルトは我が意を得たりとばかりに鼻を膨らませた。
「分かりましたか。教会の人が殺人などするわけがないですし、門は閉まっていた。ですから誰かに殺害されたということはありえません」
彼は自信満々に言い切ったが、『門を閉めた奴がいる』というのは、教会内の人間が犯人である可能性を高めてしまっている証言でもあると気づかないのだろうか。それともよっぽど神父とイレーネを信頼しているのか。俺は少し呆れた。
「たぶん、門を閉めた誰かがホラートを殺った人物だね。門を閉めた意味は……他の人間が教会に入ってきて犯行現場を見てしまうのを避けたかった、とかかな」
冷静に分析するグレシアに、エッカルトは抗議した。
「あ、あ、ありえません、ありえません! 人を殺す人間がこの教会にいるなんて絶対ありえない!」
「ありえるかどうかは、私たちが決めることだよ」
グレシアはそう言ってから、深刻そうな表情を浮かべてみせた。
「けど、私も君みたいに自殺だと信じたい。人殺しなんていないと信じたいんだ。だから、ホラートが死ぬ前後に二人が何をしてたかを聞かせてくれないかな。それで納得できるかもしれないから」
彼女が心にもない言葉を並べ立て微笑を向けると、エッカルトは「わ、わかりました!」と元気よく返事をした。ちょろすぎる。
「といっても、エッカルトは本当にお使いへ行って帰って来ただけですから、先ほど言ったことが全部なのです」
「何か気になったことはあった?」
「気になったこと……」
エッカルトは考え込んでいる。俺もそれほど頭の働きがいい方ではないので人のことを言えないが、正直彼の頭の程度だと有力な手掛かりは得られないだろう──そう思っていると、エッカルトはぽつりとつぶやいた。
「そういえば、門を開けてもらったとき、門の下の地面がやけに白かったような気がします」
「どういうこと?」
「何というか、ちょうど石灰をこぼした後のような感じでした」
石灰が撒いてあった。それを聞いて俺は首をひねった。なぜそんなものが門の下に散らばっていたのだろう。病魔退散を狙って石灰を撒くという話は聞いたことがあるが、この件に関係するとは思えない。
グレシアから病魔講義を受けておけば何かが分かっていたのだろうか。そんなことを考えていると、当の彼女は何かを理解したらしく、小さくうなずいた。
「後で確かめてみようか。じゃあ次はイレーネ。君に訊きたいのは、ホラートと別れて私たちに会うまで、誰かがいるような気配はしなかったか、だ」
イレーネは首を振った。
「いいえ。回復魔法でホラートさんの鼻血を止めた後に倉庫まで魔晶石を取りに行きましたが、誰とも出会いませんでした」
「そう、わかった」
グレシアはそれで質問をやめる。エッカルトは心配そうに彼女を見つめた。
「自殺だと納得できましたか?」
「まだ何とも言えないね。さあアウグスト君、応接室へ行こう」
体よく証言を引き出されたのに気づいていない下男を軽くあしらうと、グレシアは少し急いで歩き出した。
「なんで急いでるんです?」
「私が他殺を疑っているということは、今ので教会の全員が知ることになった。つまりこの中にいるかもしれない犯人も私が疑っていることに気づいた。証拠を消されるかもしれない」
それで急いでいる理由については納得できたが、となるともう一つわからないことがある。
「最初に応接室に行こうと思ったのはなぜです」
俺ならエッカルトの証言を確かめるためにとりあえず門の付近へ足を運ぶのだが。そう思っていると、グレシアは黙って下を指さした。
「床。よく見て」
そう言われて視線を落とすと、最初は薄暗くてよく見えなかったが、うっすらと床が赤く汚れているのに気がついた。
「血痕……ですか?」
「そうだよ。ほら懺悔室から応接室まで続いてる」
彼女は床の血痕を辿って応接室へ行こうと判断したのだ。俺はというと死体に目を奪われ、ろくに周りの様子を見ていなかったので彼女の観察力に少し驚いた。
応接室に入ると、紅茶とはまた違う、何やら甘ったるい匂いがした。嫌いな臭いなのか、グレシアは少し眉をひそめてから辺りを見回す。
「ああ、血痕はあそこから続いていたんだね」
彼女が指さしたのは、殴られたホラートが倒れこんだ場所だった。部屋の真ん中にある血痕はおそらく鼻血だろう──そう言いかけて、俺は首を振った。
「シミが広すぎますね。鼻血だけでこんなには広がらない」
「そう、犯人は出血を伴う何らかの手段でホラートを殺害してそれを拭きとった後、そのまま死体を懺悔室まで引きずっていって自殺に見せかけたと考えるべきだ」
「でも、ホラートの死体に傷がありましたかね」
「無かったよ」
「……じゃあこれは犯人の血なんじゃないですか? ホラートは長剣を持っていましたし、争っているときにホラートの反撃にあったと考えればあの剣についていた血も説明がつきます」
「この教会の人間が誰もそんな傷を負っているように見えないけど」
「回復魔法があるでしょう」
俺は「戒めの洞窟」のときのことを思い出していた。犯人が回復魔法の使い手なら重傷を負ってもすぐに治せるし、跡も残らない。
ちなみにエッカルトは魔法が使えず、回復魔法と解毒魔法を使えるのがイレーネ、回復と解毒に加え蘇生魔法を使えるのがギュンター神父なので、もしホラートの反撃があったという仮説が真実であれば、犯人は二人に絞り込める。
だがグレシアは首を振ってテーブルの上にある三つのカップを指さした。
「争ったのならテーブルに置いてあるティーポットとカップなんか落ちて割れてるんじゃないかな。それに、イレーネもギュンター神父も、服にはほつれ一つ無かった」
「確かに服は回復魔法で治せませんね」
「着替えたという可能性はあるけど、少なくとも私の考えてる大筋にはそぐわない。それにこの甘い匂いはアレだし、カップももともと四つだったことを考えると……」
グレシアはそこで言葉を切り、テーブルのカップに目をやった。そして満足げにうなずくと、踵を返した。
「そういうことか。うん、だいたい分かったよ。後はエッカルトの証言……教会の門を確かめてから皆を集めよう」
「えっ、もう謎が解けたんですか」
「おおまかな理屈はね。あとは確かめるだけ」
俺とグレシアはいったん建物を出て、門に足を運んだ。
「確かに、真っ白い粉が撒いてあるね」
白粉はちょうど門扉の真下に撒いてあり、その上には教会に入る大きな足跡と、教会を出る小さな足跡の二つがあった。
「教会を出てる二つの足跡は、大きさから推察するに、私たちが運んできた女術師とエッカルトみたいだね。で、この白い粉の成分は……」
グレシアはさっと人差し指で地面をなでると、指先についた白い粉を舌で舐め、顔をしかめた。
「にっが……」
皮袋を取り出し、水を喉に流し込むグレシアを見て、俺は呆れた。
「馬鹿ですか?」
「馬鹿とは何だ。粉の成分を確かめてたんだ。エッカルトの言う通り、この味は石灰だね」
「石灰の味なんてよくわかりますね……」
問題は、この粉を撒く理由だ。俺は少し首をひねって考えてみた。
「この粉が撒かれてる理由……俺、思いついたんですけど『足跡を残すため』に粉を撒いたんじゃないんですか」
そう言ってみると、グレシアは目を丸くした。
「どうしてそう思ったんだい」
「殺人が起きたとき教会にいた人物は、俺とグレシアさんを除けば神父、イレーネ、そして蘇生した女術師の三人。蘇生までに死んでいるのは明らかだったので女術師は除外すると、容疑者は神父とイレーネとなります。
ですが、そう考えるよう仕向けるのが、そもそも犯人の狙いなのではないでしょうか。門を閉めたのは「教会内の人間が犯人」だと俺たちに錯誤させるため。そして犯人本人は、事件のときに自分がその場にいなかったことを強調するため、白い粉で足跡をつけた……とか」
「つまり君は、エッカルトが犯人かもしれないと」
「はい。どうでしょうか」
「……ちょっと無理があるかな。エッカルトがどうやって教会の敷地に入ったかが分からないし、そもそも他殺だと分かった時点で被害者を蘇生されて犯人を割り出されちゃうから、別の人間に罪をなすりつける意味がない」
自分なりの推理を語ってみたのだが、やはり違うらしい。落胆していると、グレシアはハンカチで指先を拭いながら慰めの言葉をかけてくれた。
「気を落とさなくてもいいよ。推理は私の担当だし、謎ももうきっちり解けてる」
そして彼女は大きな鐘が備え付けられている礼拝堂の方を見上げ、少し性根の悪そうな笑みを浮かべた。
「残る心配事は、どれだけお金を払ってもらえるかだね」