グレシアの呼びかけによって、教会の人々──ギュンター神父、シスター・イレーネ、下男のエッカルトは礼拝堂に集められた。
礼拝堂の左右には長椅子が並んでおり、その中央を深紅のビロードが貫いている。赤い道の奥にある聖母の像は、ステンドグラスから差し込む色とりどりの光に照らされていた。
グレシアは聖母像の前に立ち、隣にいる俺に耳打ちした。
「いきなり襲いかかってくることはないとは思うけど……一応隣にいてくれ」
「わかりました。でも、心配なら犯人の名前を俺に言ってくれればいいじゃないですか」
「それを言ったら、君は他のこともいろいろ訊いてくるだろ。二度説明するよりは、いっぺんに聞いてもらった方が話す方としても楽なんだ」
「まあ、そっちの方がいいというなら構いませんけど」
仕事仲間なのだからそれくらい話してくれてもいいのではないか。少し不満を覚えたそのとき、長椅子の最前列に座っていたギュンター神父が額にしわを寄せたまま口を開いた。
「二人でこそこそと喋っていないで、説明をしろ。そのために私たちを集めたのだろう」
神父の隣に座るイレーネは彼の言葉に賛同するようにうなずいた。さらに後ろのエッカルトは、「どうせ自殺ですよ」と声をもらす。
「では、今回のホラートの死に関し、調査が終わったので報告しましょう。これはまぎれもない殺人です。そして、犯人はあなた方三人の中にいます」
彼女の言葉が終わるや否や、エッカルトが立ち上がった。興奮しているらしく、顔を真っ赤にしている。
「そ、そんなわけがありません!」
「エッカルト、少し黙っていてくれ」
ギュンター神父は熱くなっているエッカルトを手で制すと、静かに質問した。
「他殺だと思う根拠はあったのかね」
「数えだすとキリがありませんね。どうして自宅ではなく教会で死んだのか、首吊りの縄はどこで手に入れたのか、どうしてたくさんの血が流れているのか」
「ふん、確かに怪しいと言われればそうだが、直接他殺を証明しているわけではないだろう」
神父は鼻で笑う。彼が犯人であるからか、それともホラートを蛇蝎のように嫌っていたからかは分からないが、ギュンター神父はホラートの死を自殺だと主張したいのだ。生半可な説明では他殺を認めさせることはできない。
そして、少なくとも俺は現場をどんなに見ても神父を説得できるような理屈は思い浮かばなかった。前回はこともなげに犯人の意図を見抜き、殺人を立証してみせたグレシアだが、今回はさすがに分が悪いのではないか。
グレシアの方を見ると、俺の心配とは裏腹に彼女は自信たっぷりの表情を浮かべていた。
「だから今回は、どのように殺人が行われたかもすべて説明して、納得していただこうと思います」
「そうか。まあ、さっき挙げた疑問点をどうこじつけるのかは気になるからな。聞くだけ聞いてやろう」
「ありがとうございます。ではまず犯人がホラートを殺害した方法についてお話しするその前に……イレーネに確認したいことがあるんだけど」
「何でしょうか」
突然名指しで呼ばれ、イレーネは少し顔をこわばらせた。
「君はホラートの治療を終えて応接室から出る際、ティーカップを持ち出したかな?」
「どういう意味ですか」
イレーネは、返答次第では自分が犯人にされるのではと懸念しているようだった。慎重に答えようとする彼女を、グレシアは急かした。
「意味は後で分かる。いいから答えて」
「……いいえ。ティーカップどころか、何も持ち出してはいませんよ」
彼女の答えを聞いて、グレシアはさらに神父とエッカルトに目を向けた。
「実は、応接室にあったはずのティーカップが一つだけ無くなっていましてね。皆さんのうち、ティーカップの行方を知っている人はいますか?」
答える者はいない。その反応を見て、グレシアはうなずいた。
「いないようですね。これで皆さんもティーカップを持ち去ったのは、犯人であるということは分かってくれたと思います。後ろめたいことが無ければ名乗り出てくれるでしょうし」
(なるほど、そう繋げるための質問か)
今の質問で、グレシアは彼らの前でティーカップを持ち去った者が、犯人以外の者である可能性を排除してみせたのだ。
「では『仮に』犯人がいたとして、その者はなぜティーカップを持ち去ったのだ?」
ギュンター神父はあくまで自殺派ということを強調しながら訊いてくる。それに対し、グレシアは当然というような口調で答えた。
「もちろんティーカップが他殺の証拠たりえるからです。犯人の目的はホラートの死を自殺に見せかけること。万が一にも凶器だと鑑定されるとまずいので、多少不自然でも持ち出す必要がありました」
「……ティーカップはどう凶器になったんですか?」
俺が質問をはさむと、グレシアはほんのりと笑みを浮かべた。
「いい質問だね。おそらく毒だ」
「毒?」
「あの応接室はアルカフト草の匂いがぷんぷんしていただろ? まさか応接室で死体保存の作業をしたわけはないだろうし、まず毒が使われたと見ていい」
部屋に漂っていた妙に甘ったるい匂いを思い出し、部屋に入ったときのグレシアと同じように俺は顔をしかめた。あれは毒の匂いだったのか。
「毒をカップに塗るか、こっそり混ぜるかしてホラートに飲ませたんだろうね。現物はこの場にないから推測でしかないけれど、ティーカップを調べれば毒の反応が出るだろう」
グレシアはそう前置きをしてから、前列に座るイレーネを指さした。
「先に結論を言わせてもらう。この殺人方法を実行したということから導かれる犯人は、シスター・イレーネしかいない」
「イレーネさんが?」
俺は驚いた。ずっとギュンター神父の態度がおかしいと思っていたのでうすうす彼だろうと思っていたのだが、全くの的はずれだったとは。それに、イレーネがこんな大それた事件を企むような人間には到底思えなかった。
「何を驚いてるんだい」
「……イレーネさんは人殺しをするような人間には見えませんし、彼女にはホラートを殺す理由がないでしょう」
「人を中身で判断しちゃ駄目だよ。ちゃんと外見で判断しないと。
彼女は冷酷な人間かもしれないし、動機も十分にあるかもしれない。少なくとも、私は動機は分からないものとして蓋をして、状況証拠だけでイレーネを犯人だと結論付けることができた」
俺の言葉を聞いたグレシアは、たしなめるように言う。すると、犯人扱いされたイレーネはきっとグレシアを見返した。
「待ってください! 納得できません! 確かに私は最後にホラートと会っていましたが、それだけで殺人犯って言うのは早計すぎるでしょう!」
「ふうん、じゃあ君がやった以外にどんな可能性があるんだい」
「自殺だとは思いますけれど……誰かがやるとすれば侵入者が殺したという方が自然でしょう。確かに教会の門は閉じていましたがはしごを使えば登れますし、浮遊魔法の使い手ならば壁などあってないようなものでは?」
彼女の答えに、グレシアは首を振った。
「いいや。これはアウグスト君にはもう言ったことだけれど、外部からやってきた侵入者が犯人だったらホラートをわざわざ自殺に偽装する危険を冒す必要はないんだ。普通に殺して首をもっていくだけでいいからね。しかもアルカフト毒の備蓄なんて教会くらいにしかないし、毒殺なんて面倒な手段をわざわざ選ぶ理由もない。殺しの手段に毒を選ぶのは、君みたいに非力な犯人くらいだろ」
「……想像力が豊かなのですね」
イレーネの嫌味を聞くと、グレシアはくるりと瞳を回して笑った。
「ありがとう。ちなみに私は想像力が豊かだから、犯人が他の教会関係者である可能性も考えたんだ。でもエッカルトはそもそも教会に入れなかったし、何らかの手段で入れたとしても「外部からの侵入者」と同じように首だけを持ち去ることができる。まずありえない」
そう言うと、グレシアは黙っているギュンター神父に指を向けた。
「次に、ギュンター神父には毒を入れる機会がほぼなかった。それに彼が犯人だったら、私たちが帰った後でゆっくりホラートの自殺を『発見』できる」
最後に、グレシアは射すくめるような視線をイレーネに戻した。
「彼らに比べたら君は容易に毒を盛れるし、死を偽装する理由もある。それに君はホラートが暴れたと言っていたけれど、部屋は全く荒れた様子がなかった。遅れてきたのはホラートが暴れたせいじゃなくて、殺人を実行していたからだろ」
「……違います」
それでもなお、イレーネは否定を続けた。
「私が犯人ではない証拠ならまだあります。それは死因です」
「死因?」
「ええそうです。グレシアさんは、ホラートの死を『首吊りによるもの』だと判定したのでしょう。推理の内容と死因が嚙み合っていません」
そういえばグレシアが最初に検死したとき、死因を首吊りによる頸動脈の圧迫だと考えていた。本当にイレーネが毒殺という手段を用いたのだとしたら、整合性がとれない。
彼女はさらに畳みかけてきた。
「根拠はまだあります。そもそもホラートが首を吊っているように見せかけるのは、私には無理だということです」
イレーネが袖をまくると、肉付きの薄い細腕が露わになった。
「アウグストさんやエッカルトのような男性ならともかく、私には腕力がありません。大人の死体を持ち上げて自殺に見せかけることは不可能なんです」
確かにその通りだ。死体を動かすのは酔っ払いを抱き起こすのとはわけが違う。死体は完全に脱力しているので、相当力を込めないと動かない。
しかも懺悔室の梁に縄をかける場合、彼女の身長だと踏ん張りの利かない椅子の上に立って抱え上げることになる。まず不可能だ──
(……ん、本当にそうか?)
死因については分からなかったが、イレーネがホラートの死体を持ち上げる方法はあるのではないか。俺は思わず口を開いた。
「あのー、今思いついたんですけど、梁に縄をかけて、滑車みたいにしてそのまま引っ張ったんじゃないでしょうか。梁に引っ掛けた状態なら持ち上げやすくはなるでしょうし。イレーネさんでも可能になるのでは」
俺の意見を聞いたグレシアは、首を振った。
「そういう補助をしてもまだ難しいと思う。それよりももっと簡単に死体を持ち上げる方法がある。魔法だ」
「魔法? といっても、イレーネさんはグレシアさんみたいに浮遊魔法は使えないのでは」
イレーネは癒術の使い手なので、付与術の系統に属する浮遊魔法は使えない。自身が魔法使いであるグレシアもそこは重々承知しているらしく、うなずいた。
「そうだね。浮遊魔法は今回使われていない」
「となるとイレーネさんが使えるのは回復と解毒の魔法ですが……これでどうやって死体を吊るすって言うんですか」
「どちらも使ってない」
「ええ? 今、魔法を使ったって」
「うん。でも、『彼女が自分の魔法を使った』とは言ってない」
グレシアはそう言ってからイレーネに向き直った。
「イレーネ。君が殺人に利用したのは『蘇生魔法』だ」
「………それは」
イレーネは、小さく声をあげ、何か反論しようと口をぱくぱくさせる。隣に座っていたギュンター神父が静かに否定した。
「ありえん。まず前提が間違っている。蘇生魔法を使えるのは私だけだ」
「そうでしょうね。彼女は蘇生魔法を使えなくてもいいんです。ギュンター神父、あなたが魔法を行使してくれればいいんですから」
「……共犯を疑っているのか」
「いいえ。共犯の可能性は最初から考えていません。先ほども言ったように、神父が犯人側であれば他にいくらでもやりようはありますから。となると、考えられるのは犯人があなたを利用した可能性です」
グレシアは一拍置いて言った。
「ホラートは毒殺後に蘇生の儀式で蘇り、荒縄で再び殺されたのです」
毒殺と絞殺。確かに二回殺されていたのであれば、死因が二つあるというのは納得できる。だがそれだけではイレーネがどう神父を利用したのかということと、死体をどう吊り上げるかということについては全く説明できていない。
皆から説明を求める無言の視線を感じたのか、グレシアは話し始めた。
「具体的な犯行手順についてお伝えしましょう。犯人は私とアウグスト君が退室してから、ホラートに毒を盛りました。毒は即効性といっても、効いてくるまでに少しだけ時間がかかります。その間に外へ出て扉を閉めたり、石灰を撒いたりしていたのでしょう。
縄を取ってから部屋に戻り、被害者が死ぬのを見届ける。そして彼女はホラートが所持していた長剣を抜き、首を切ったのです。その証拠として、剣には薄く血糊がついていました」
彼女がそこまで言ったとき、神父が異議を唱えた。
「待て。剣についていたのは本当にホラートの血なのか? 冒険者なら、魔物を殺すこともあるだろう」
「ホラートは神父に殴り倒されたときに、買いたての新品だと言っていました。一度使って血糊を拭かないというのもありえないので、教会で使われたと考えるのが自然です」
神父の反論を一蹴すると、グレシアは話を再開した。
「さて。断頭時には心臓が止まっていたので大量出血には至らなかったものの、血痕は残りました。それを拭きとって目立たないようにした後、イレーネさんは首と剣を抱え、懺悔室に入りました。そして切った首に縄をくくりつけ、梁に吊るす。頭部だけなら女性でも十分持ち上げられます」
吊るされた首がゆらゆらと揺れる懺悔室。その光景を思い浮かべ、俺は少しぞっとした。しかし彼女は、なぜ首を切ったなどと見てきたように言うのだろう。不思議に思いながら、俺は次の言葉を待った。
「……それからイレーネさんは倉庫へ向かいました。魔晶石を取り、ティーカップを適当な場所に隠す。ああ、返り血がついたときに備えて着替えも用意していたかもしれませんね。
準備を終えると彼女は私たちと合流し、ギュンター神父が蘇生儀式を行うところに立ち会うことにしました。そして、神父が祈りの言葉を口にしたとき、彼女が仕掛けたトリックが発動したのです。つまり……蘇生魔法の結合作用によってホラートの身体が動き出した」
俺は蘇生の際に術師の女の手首がひとりでに動き、身体にくっついたことを思いだし、あっと声を漏らした。
つまりホラートの死体は犯人が引きずったのではなく、頭と胴体をくっつけて蘇生するために死体が自ら動いたのだ。
「イレーネさんがドアを開けておいたので、死体は応接室の向かいにある懺悔室に入り、縄で吊るされている頭部とくっつきました。しかし首は縄にくくり付けられたまま。蘇生してすぐ首吊りの状態になったホラートは、二度目の死を迎えました」
グレシアは言葉を切り、イレーネに目を向けた。
「つまり君は、
イレーネは気の毒になるほど青ざめ、歯を食いしばっていた。ここまで来るとさすがの俺でも彼女が犯人だと分かるが、まだ諦めるつもりはないらしい。
「いえ、大きな疑問があります。蘇生魔法は石灰で描いた陣の中の死体を対象として蘇らせるもの。ホラートの周りに円陣が無いのに、どうやって蘇生させたというんですか」
確かにその通りだ。ホラートの死体の周りには蘇生室に描いてあったような石灰の円陣は無かったし、その痕跡もどこにも無かった。となると蘇生魔法を前提にしたグレシアの話は成り立たなくなってしまう。
「……私がこの話を持ち出した辺りで諦めてくれると思ってたんだけどね。いいよ、ちょっと話が前後するけど、君が最後まで反論するつもりなら付き合ってあげるよ」
だがグレシアはその返しも予想していたようで、抵抗を憐れむような目を向けた。
「教会の五百人蘇生伝説。あれを聞いたとき、この教会には多くの人間を一気に蘇生させる方法があるんだろうなと思ったんだ。あんな狭い蘇生室だけで一日に五百人分の蘇生作業を回せるはずがないからね」
傍らで聞いていたギュンター神父はその時点で何かに気づいたらしく、がっくりとうなだれた。
「だから、エッカルトの証言……石灰が門に撒いてあるってことを聞いて気づいたんだ。教会全域が、魔法陣に囲まれてるってことに」
「教会全体が?」
よく呑み込めていない俺を見て、グレシアは注釈を加えてくれた。
「教会を囲む白い壁は漆喰でできていただろ。漆喰は石灰を主成分にしているから、門に石灰を撒いておけばそれだけで巨大な魔法陣のできあがりだ。
門を閉じていたのはこの魔法陣を踏まれないようにしていたのと、誰かが入ってきてホラートの死体が動いているのを目撃されないようにする二つの意味があったんだろうね」
「……なるほど、そんな大仕掛けが」
教会を訪れたとき、壁そのものは俺も見ていた。珍しい壁であることもグレシアから聞いていた。だが、まさか蘇生用魔法陣として用意されていたとは思いもしなかった。
「教会全域が蘇生魔法の効果範囲になっていたから、ギュンター神父は意図せず女術師と一緒にホラートを蘇生させた。これで蘇生についての疑問は消えたんじゃないかな」
全ての謎を明らかにしたグレシアは、舌鋒鋭くイレーネを追い詰めた。
「一つの魔法、二つの死体、三つの凶器を利用した殺人事件。それが私の出した結論だ。他に言いたいことはあるかな」
「………」
ついにイレーネは沈黙した。瞑目し、体の中で張り詰めていた何かを絞り出すように長々と息を吐く。
「ありません。グレシアさんの言う通りです」
一連の犯行を全て明らかにされ、観念した殺人者──シスター・イレーネは顔を上げると、残念そうに笑った。
「一応理由を聞かせてもらってもいいかな。正直、私もアウグスト君と同感でね。君が好き好んで人間を殺す性格には見えなかったんだ」
「……いいですよ。ホラートのしてきたことを、グレシアさんはご存じでしょうか」
「ギュンター神父から聞いたよ。盗みやら器物損壊やら、たいていの犯罪はやってのけたらしいね。あと、娼婦を殺したとか……」
「その娼婦は、私の友人でした」
そう言うとイレーネは礼拝堂のすみに目をやった。
「いえ……友人と言うほどの関係ではなかったかもしれませんね。私は彼女の仕事以外、何も知りませんでしたから。毎日礼拝にやって来る彼女とお喋りをすることが彼女との関わりの全てでした」
誰も何も言わない。彼女の独白に聞き入っていた。
「お喋りの内容はよく覚えていません。美味しい店を見つけたとか、客が最悪だったとか、他愛のないものばかりだったので。でも、一つだけ覚えていることがあるんです」
イレーネは懐かしそうに目を細めた。きっと、彼女にはそのときの情景が見えているのだろう。
「木枯らしが吹いていて、とても寒い日でした。いつも礼拝堂の端に座っている彼女に、私は尋ねたんです。どうしていつも端っこの席で祈るのですかと」
これまで淡々と話していたイレーネの声が、わずかに跳ねる。
「彼女は答えました。アタシは娼婦だからって。アタシが大きな顔をして真ん中に座ってちゃ、神様や礼拝に来た皆が困るだろうからって……。それを聞いて私は決めたのです。何かあったら彼女の力になってあげようと」
確かイレーネは孤児だったのを神父に拾われたと言っていた。娼婦を見て、そこにかつての自分──あるいは、神父に出会わなかった自分を見出したのかもしれない。
「やがて彼女は教会に来なくなりました。毎日欠かさず来ていたのにですよ。教会にやって来る人に聞いて回り、ホラートという男に殺されたと知りました。
それから私は娼館へ行って彼女の墓所を聞きだし、彼女を弔うためにそこへ向かったのですが……彼女の眠っていたのは、管理すらされてない非公認の墓地。棒切れが一つ立っているだけの粗末なものでした」
おそらく埋葬の金すら無かったのだろう。だから教会に死体を運ばれることもなく、半ば打ち捨てられるような形で埋められたのだ。それを知ったときのイレーネの心境はどのようなものだったのか、俺には推し量れなかった。
「確かに彼女は褒められる仕事はしていませんでした。しかしお祈りは欠かしていませんでしたし、少なくともあんな死に方をしていい人間ではなかったはずです。
そう思いながら業務をこなしていたら……ホラートが教会に運び込まれてきました。自分から吹っ掛けた喧嘩で刺され、死んだそうです」
イレーネはそう言うと、両手を膝の上で握りしめた。
「誰よりも真剣に祈っていた娼婦はみじめな死に方をしました。なのにあの男は、ホラートは大手を振って生き返ることができる。おかしいとは思いませんか」
「それで殺したと」
グレシアの声色には責めるような響きは無かった。
「……ええ。まあ実行に踏み切れたのは、偶然が重なったからです。最初の幸運は、グレシアさんとアウグストさんが来たこと」
「俺たちが?」
意外なところで自分たちの名を出され、俺は訊き返した。
「ホラートを蘇生させて身体を持ち上げるには、ギュンター神父に蘇生魔法を使っていただく必要があります。どうしても他の死体が一つ必要でした」
「それを私たちが持ってきてしまったんだね」
「ええ。それともう一つ、グレシアさんたちが来たとき、死体置き場に死体が無かったのも幸運でした。まあこうなってしまった以上、不運だったのかもしれませんが……教会の壁を魔法陣として使うのであれば、死体置き場の死体も蘇生してしまいますから」
確かに蘇生した覚えのない死体まで生き返っていたら、教会を囲む壁が魔法陣になっていたことはギュンター神父にはすぐに分かってしまう。この殺人は俺たちが来たとき、起こるべくして起こったのだ。
「殺人の方法は、アウグストさんに五百人蘇生伝説を話している最中に思いついたんです。
ちょうどアルカフト草の薬瓶を持っていて、神父様のためにティーカップを用意していて、そして懺悔室に縄を吊るすのにちょうどいい梁があるのも知っていて……そのときは気の迷いでした。
しかし、ホラートが私と二人きりになったときに条件が気味が悪いほど整いました。それで神のお導きだろうと思ったのです。後は、おおむねグレシアさんの言う通りで──」
「嘘だ!」
そのとき、イレーネの言葉を遮ってエッカルトが立ち上がった。その手には鈍く光る剪定用のナイフが握られている。
俺はとっさに警戒態勢をとった。
「何のつもりですか」
「うあああああっ!」
叫ぶと、エッカルトは光る短刀を腰だめに構え、グレシアに突っ込んでいく。動きに迷いはないが、しょせんは素人だ。俺は彼の手を掴み、動きを封じた。
「……何のつもりですか」
「イ、イ、イレーネさんはやってない。全部嘘だ。あなたたちは……いろいろ訳のわからないことを言って、あの人を犯人に仕立て上げた悪魔なんだ!」
俺が呆気に取られていると、エッカルトは歯を食いしばりながら、力を込めてきた。
「そうでしょう、イレーネさん! 神父様! 違いますよね!」
彼の言葉を聞いたイレーネは、ぐしゃりと額に縦皺を刻み、口を押さえた。神父は何か言おうとして口を開き、そして閉じた。
この期に及んで、まだイレーネの無実を信じている。
彼の頭の程度がどのくらいかは分からないが、まさかグレシアの説明が理解できないほどなのか。そう思いながら彼の顔を見て、俺ははっとした。
「違うと言ってくださいよ……」
エッカルトは唇を噛みしめながら泣いていた。顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、滑稽なほどに歪んでいる。彼もイレーネが犯人であることは分かっている。分かっていて、認められないでいるのだ。
「ち、違うなら違うと言わないと」
「もういい、エッカルト」
そのとき今まで黙っていたギュンター神父が口を開いた。目の前でグレシアを刺そうと震えるナイフの切っ先を眺めていた彼女は、意外そうな表情を浮かべて彼に目をやった。
「おや、てっきり神父も参戦してくるかと思っていましたが」
「たとえ教会の人間全員で襲いかかっても、アーベライン殿に蹴散らされるだけだ。……ところで、他の教会に行ってホラートを生き返らせたりせず、わざわざ推理を披露したのは何か目的があるからではないのか」
確かに他殺を確信した時点で調査を打ち切り、他の教会に死体を持っていって蘇生する方が早い。それをしない理由があるのだ。
グレシアはにこりと笑った。
「ご明察です。実は私は動機を聞いてから、この事件の真相をどう処理するかの判断を下そうと思っていました。それで聞いてみた結果ですが……今はイレーネさんの殺人を咎めたいとは思っていませんし、条件によっては公表するつもりもありません。下男が私に斬りかかった件も不問にしましょう」
その言葉を聞いた瞬間、エッカルトの手首から力が抜け、指先からナイフが滑り落ちた。俺がエッカルトを離すと、彼はすがるような視線をグレシアに送り、か細い声で訊いた。
「……条件って?」
「当然、口止め料ですよ。とはいってもイレーネさんには荷が重いでしょうから、ギュンター神父に支払っていただきたいのですが。神父も、自分の管理している聖堂で殺人が起きたなんて話は表沙汰にしたくないでしょう?」
神父は苦虫を噛みつぶしたような顔をしたが、やがてため息とともに答えた。
「……いくら欲しいのだ」
「そうですね。この教会が支払えるだけ……と言いたいところですが、私もあなたと本格的に対立したいわけではありません。四十万ダリルで手を打ちませんか」
四十万ダリルという大金を提示され、神父はどれだけ財布が軽くなるかを頭の中の天秤で計っているようだったが、やがて計算がまとまったらしく、聞き返してきた。
「払えないことはない。が、そちらが後からそれ以上の金額を要求してこないという保証はどうするのだ」
「抜け目がないですね。では、ホラートの検死結果を書いてさしあげましょう。『グレシア・ノードレット』のサインつきで自殺を認定します」
「……なるほどな。そちらが他殺を公表した場合、その検死結果はノードレット嬢が偽証をしたことの証拠に早変わりするというわけか」
「ええ。こうすれば死体回収人としての信用を失いたくないので私は裏切れません。それに回収人のお墨付きがつけば、他殺を疑う者はまずいないでしょう。この取引には、あなた方にも得があります」
「分かった。頼む」
ギュンター神父はうなずくと、立ち尽くすイレーネとエッカルトに歩み寄り、肩を叩いた。
「二人とも、今のは聞いたな」
イレーネは目を潤ませ、うつむいた。
「神父様……すみません。ご迷惑をおかけして……」
「全くだ。迷惑をかけたからには、これからはもっと働いてもらわなければ困る」
「……はい」
「エッカルトもだ。お前はもう少し後先を考えろ」
「も、も、申し訳ありません」
嗚咽するイレーネとエッカルト。その背中をさする神父。彼らをぼうっと眺めていると、後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、グレシアが早くも羊皮紙と羽根ペンを走らせ、書類を作成していた。
「なんですか?」
「この検死結果にサインしてくれ」
「俺もですか? 騎士のサインなんて意味がないと思いますが」
「そうだけど、サインしなかったら君が単独で神父たちを強請れてしまう」
確かにグレシアが裏切れないというだけでは駄目だ。事件の全てを知った俺にも制約を課さなくては意味はない。
しかし、そんなことをする奴だと思われていたのなら心外だ。
「俺はそういう卑怯なことはしませんよ」
「私もそう思ってる。でも約束する以上は秘密が漏れないようにしておかないといけないから……」
グレシアは少し考えるそぶりを見せると、ぱんと手を打った。
「じゃあこうしよう。名義を貸してくれたら、特別報酬を出してあげる。大丈夫、ちょっとくらい偽証してもばれっこないって」
「……」
「一生のお願いだ。頼むよ。ね。ね」
「…………」
グレシアは両手を合わせ、俺に頼み込んできた。おかず一口ちょうだい、とでもいうような雰囲気だが、その内容は犯罪──殺人隠匿と偽証の片棒を担げというものだ。気軽に返事できるわけがない。
「………………はあ、わかりました」
迷いに迷った末、俺は署名することにした。
正直に言うと事件の偽証をするというのは気が進まないし、イレーネのしたことが正しいと全面的に思っているわけでもない。
だが少なくとも、そちらの方が不幸になる人間の数は減るだろう。
俺はイレーネたちの方を見やってから、自分の名前を書きつけた。
『ホラート・フォン・ベルドナット 教会の懺悔室にて縊死。自殺であり蘇生不可能と認定する。金等級死体回収人 グレシア・ノードレット 青等級騎士 アウグスト・アーベライン』
こうしてグレシアによって解き明かされた懺悔室の謎は、再び闇に葬られた。
「いい話みたいな感じでまとめようとしてましたけど、結局金は取るんですね」
「当たり前だよ。そうしないと調査した意味がない」
夕刻。俺とグレシアは、昼と同じ「黄金の鶏亭」で夕食をとることにした。テーブルには二つのジョッキと、四十万ダリルの入った袋が置いてある。
「それにしたって、彼女に同情してたんならもう少し安くできたんじゃありませんか」
俺は唇の端についたビールの泡を拭い、そう訊いた。するとグレシアはジョッキを傾け、猫のように喉を鳴らしながら答える。
「はは、あの言葉を真に受けるなんて、アウグスト君は本当にお人よしだね。別に私はイレーネに同情してたわけじゃない。金さえ貰えれば、犯人の動機なんてどうだっていいし」
「じゃあどうして殺した理由を彼女に聞いたんですか」
「それは、ギュンター神父が同情して金を出せるだけの理由があるかどうかを知りたかったからさ。彼のホラートに対する発言とか、人情的な性格を考えると、口止め料を支払ってくれる可能性は高いだろ。
そして懐具合が良くないとはいっても応接室にはお高い調度を揃える余裕はあるみたいだったから、何十万か吹っ掛けられるとも踏んだ。ホラートにお礼を期待するよりは確実性がある」
「……さすがですね」
あの事件の中、彼女は捜査を進めつつ利益の出し方を計算していたのだ。殺人に対する嫌悪がない代わりに、犯人への同情も一切ない。ひたすら利益を追求するその姿勢は、強欲を通り越して悪魔めいて見えた。
「お待たせしました」
そのとき、注文していた料理が届いた。俺には野菜とニシンの煮物。そしてグレシアには鉄板からはみ出るほど大きなステーキが配膳される。俺は呆れながら、ナイフとフォークを構えたグレシアに訊いた。
「昼もそれ食べてませんでした?」
「おいしいものは何度食べてもおいしいんだよ」
小柄なくせによくもまあこれだけの量を食べられるなと思っていると、グレシアは大きめに肉を切り分け、それをなんと俺に差し出してきた。
「ほら、あーんして」
「どういう風の吹き回しです?」
けちんぼな彼女が一口でも自分の食べ物をくれるとは珍しい。雪でも降るのではないか。
「いいから。教会に行く前は私のステーキを羨ましそうに見てただろ。いらないの?」
「……気づいてたんですか」
なんだか気恥ずかしかったが、たっぷりと脂を含んだ肉汁の滴るステーキの誘惑には勝てなかった。俺が口を開けると、そこにステーキが突っ込まれたちまち口内で幸せが広がった。
「旨いですね」
「そうだろそうだろ」
グレシアは頬杖をつき、嬉しそうに俺を見上げる。ときどき憎らしくなることはあるが、歳相応の仕草を見せるところは可愛らしい。そう思って頬を緩めかけたが、ふとペテンにかけられているような気がして俺は首をひねった。
(なんかおかしいよなあ)
グレシアの強欲な行動原理を知った直後なので、この程度のことでも何か裏があるような気がしてならない。果たして、彼女が気まぐれで俺に食べ物を分けてくれるということがあるだろうか。
少し考えて、それらしき理由を見つけた。
「ひょっとして、このステーキが特別報酬だよ、とか言うつもりじゃないでしょうね」
ぎくり。
とそんな音がしそうなほど彼女の笑顔が引きつった。図星らしい。
「確かに俺は名義を貸しただけです。とはいっても偽証が発覚して信用を失うことを鑑みれば、その報酬はステーキ一枚で済ませていいものとは思えませんが、どうなんでしょうか」
さらに問い詰めると、グレシアはいたずらを咎められた子どものように舌を出した。
「バレたか」
「……」
そろそろ、彼女の尻から悪魔の尻尾が生えているのを見ても驚かないかもしれない。俺は呆れながら取り分を確認することにした。
「で、四十万ダリルのうちどれだけくれるんですか」
「そうだなあ、五万くらい?」
「……俺がサインしなかったら神父との話がもっとこじれた可能性が高いでしょう。十五万で」
そう言うと、グレシアは肩をすくめた。
「アウグスト君も知恵をつけてきたみたいだね」
そう言うと、彼女は十五万ダリル分の銀貨を掴みだしてテーブルに置き、俺の座っている方にざっと寄せた。
まったく、本当に油断も隙もない。俺は銀貨を自分の皮袋にしまうと、ため息をついて器の中のニシンをすくい上げた。
誤字報告ありがとうございます。