寒い。
私は芯まで凍るような冷気を感じ、かちかちと歯を鳴らしながら身体をかき抱いた。
地下というのは暖かいことが多いのだが、この「地下城」は違う。肉体の滅びた古代の亡霊たちが巣食っており、彼らの放つ冷気が気温を下げているのだ。
私が歩みを止めると、前を歩いていた母は白い息を吐きながら振り向いた。
「どうしたの、グレシア」
「寒い……」
「もう、しかたないわね。ヴォージャー、どこかで小休止して暖を取りましょう」
母が呼びかけると、隊列の前方にいた父が振り返り、呆れたように言った。
「もうへばったのか。迷宮を探索するなら、もっと体力つけとけよ」
「この子はまだ八歳ですよ」
「俺は七歳で熊をぶっ殺したぞ。……まあいい、マティアス。近くにキャンプを張れそうな場所はあるか」
父が尋ねると、その隣にいる男は、フードを目深にかぶり直しながらうなずいた。
「はい。もう少し歩いたら、土砂に塞がれていない部屋があります」
「だそうだ。グレシア、疲れすぎて歩けないってんならおんぶしてやるが、いるか」
「……いい、自分で歩く」
ここで父に背負ってもらうのはなんだか癪だ。私は自分の足で冷たい古城の床を踏みしめ、歩き出した。
それから少しして休憩できる小部屋にたどり着くと、マティアスが魔法で火を熾した。母に暗視魔法の調整をやってもらい、目隠しを解いてもらうとぱちぱちと火花を散らす焔が目に入った。
「で、目的の死体は地下三階にあるらしいんだが、経路はこっちで間違いないよな」
「はい。ただ一口に地下三階に入る経路といっても、本館と尖塔でそれぞれ違う入り口から入らなければならないと思います」
「じゃあ可能性を一つずつ潰していかなけりゃならないってことか。だいぶ時間がかかるな」
炎の向こうでは、父がマティアスと探索の方針について話し合っていた。私は干し肉を齧りながら、ほうとため息をついた。
私たちノードレット家は死体回収を生業とする一家だ。迷宮探索の際は父が戦士として前衛を務め、母が付与術師として後方支援をしている。
私はいつも両親についていき、回収人見習いとして迷宮での立ち回りを勉強しているのだが、今回は想定よりもだいぶ攻略が遅れている。
その原因は、迷宮内に現れる不死者や亡霊の強力さにあった。
父と母は金等級に認定されている冒険者ではあるが、聖職者の行使するような解呪の奇跡は使えないし、亡霊を完全に撃退するための聖水は量に限りがある。
よって亡霊の操っている死体をずたずたに引き裂いたり、相手を撒くまで逃げ続けたりするような手間のかかる方法を取らざるをえず、体力と時間をかなり使ってしまっていた。これからどうするのだろう。
私が皮袋から水を流し込み、口をぬぐったそのとき、父が私と母の方を振り返った。
「ルサルカ。小休止と言ったが、予定変更だ。野営しよう」
「あら。ひといきに地下三階まで行くんじゃなかったの」
「無理だな。マティアスにも確認したが、予定よりも長丁場になる。二度に分けて休憩するのは効率的じゃないし、どうせ休憩することになるから今した方がいい」
「そう。寝てる間の見張りは?」
「最初はマティアスがやって、燃やしてる魔石が半分まで減ったら俺が代わる」
母はうなずくと、隣に座っている私に目を向けた。
「聞いてたでしょ。毛布を出して寝る準備をして」
「わかった」
私は背負っていた荷物からブランケットを取り出すと、それに包まる。母も同じように厚手の毛布を体にかけ、壁に寄りかかると私の手を握った。
「母さん、なんで手を握ってるの?」
「迷宮の中だと、怖くて寝られないかなって。グレシア、こうしてやったらいつも安心して寝るでしょう?」
「……それ、いつの話?」
まったく親というものは時間感覚が違うせいか、いつまでも子ども扱いする。
私は少し不満に思ったが、寒い中歩き詰めていたせいで思っていたよりも体力を消耗していたらしく、あっさりと眠りに落ちてしまった。
ぺちゃり。
どれほどの時間が経ったのかは分からない。
私は生温かいものが頬に触れたような気がして、うっすらと意識を覚醒させた。寝ぼけながら右頬を触ると、粘っこい感触があった。
「なに、これ……」
私が小さくあくびをしながら目を開けると、そこには赤黒い粘液質の液体で汚れた自分の手のひらがあった。
「血……?」
数拍遅れて自分の手が血に染まっていることに気づくと、峻烈な鉄臭さが鼻をついた。血に濡れた手を降ろして炎の向こうを見ると、父とマティアスが倒れていた。
二人とも喉や胸に深い傷を負っており、その周りには流れた血がわだかまっている。火に照らされた肌は土気色で、触れずとも体温が失われつつあることは察することができた。
「うあ……あああ」
二人が、何者かに殺されている。声にならない音が喉を震わせた。
恐慌に陥りかけたところで、私はようやく隣で眠っているはずの母の存在を思い出した。母を起こさなくては。
「母さん」
そう思って横を向くと、母もちょうどこちらを見ていた。
だが、その眼は私を映していない。剣で喉を刺し貫かれ、私と同じ白色の髪を鮮血の色に染め上げた母は、すでにこと切れていた。
「あ……」
そのとき、ずるりと剣が引き抜かれた。母の頭が地面に落ちる鈍い音を聞きながら、私は殺人者を見上げる。
見知らぬ男がそこに立っていた。青白い肌。半端に開いた口。その表情からは何の意志も読み取れない。私が悲鳴をあげないよう口を押さえていると、男はぎ、ぎっとからくり仕掛けの人形のようにぎこちない動きでこちらを向く。
そして、ぬらりと剣を振り上げた。
「ああああああっ!」
そこで私は目が覚めた。
全身がびっしょりと汗に塗れ、喉は痛いほどに渇いている。心臓はまだ早鐘を打っており、私はそこが自分の事務所の寝室であることを思いだすまで、荒く息をついていた。
「そうだ。夢だったんだ」
自分に言い聞かせるようにつぶやくと、ゆっくりと身体を起こした。
汗で濡れた毛布がぴったりと肌にくっついてきて気持ちが悪い。シーツに目を落とすと、悪夢を見ている間に力いっぱい握りしめていたようで、放射状にしわが寄っていた。
「……夢なんだから、楽しいものを見せてくれればいいのに」
誰に聞かせるでもない文句を言ったそのとき、小鳥たちのさえずりが聞こえ、私は木窓に目をやった。
隙間から光が差し込んでいる。ということは、そろそろ事務所を開けなければならない時間帯だ。私はのそのそと起き出すと、ベッドの傍の台に置いてあった肌着を掴んだ。