朝。深まってきた冬の寒さに震えながら、俺はベッドから跳ね起きた。夜のうちに宿の主人が汲んできてくれていた水で軽く顔を洗ってから、レンズ豆のスープと黒パンの朝食を摂る。軽く身支度を済ませて宿を出た。
まだ表通りは静かで、徹夜で飲み明かしていたらしい矮躯の戦士がえずきながらふらふらと歩いているほかに、人は見当たらない。
俺は冷たくも爽やかな風に鼻歌を乗せながら、ノードレット死体回収事務所へ向かう道を歩き始めた。
「いやあ、装備をビシッと決めると気分がいいなあ」
俺が上機嫌な理由──それは、先日グレシアに貰った十五万ダリルで、質屋に預けていた騎士鎧を取り戻すことができたからである。見下ろすと、今まで身に着けていた貧相な皮鎧ではなく、鋼鉄製プレートメイルの誇らしげな輝きが目に入った。
この鎧は、頑丈なのはもちろん熱や冷気に対する耐性が付与されており、さらに関節部は銀で編まれているため動くときに音がたたない。それに皮鎧を着ているよりもだいぶ騎士としての格好がつくので、まとまった金が入ってきたら真っ先に取り戻そうと考えていたのである。
(グレシアさんには足を向けて寝られないなあ)
グレシアの性格はあまり褒められたものではないかもしれないが、俺が師範学校への借金を返済しながら生活できているのは、ひとえに彼女との仕事で発生する金のおかげだ。その点に関しては、かなり恩がある。
まあそういうことを真正面から言うとグレシアは間違いなく調子に乗ってからかってくるので、絶対に言うつもりはないが。
俺がそんなことを考えているうちに、いつのまにか事務所についてしまっていた。ここ数か月で見慣れたドアを開けた。
「だーかーら! 地下城には行きたくないって言ってるだろ。何回言えば分かるんだ!」
その瞬間、グレシアが怒りっぽい口調で眼鏡をかけた女性に詰め寄っている場面に出くわした。依頼人であれば相手がたとえ殺人犯だったとしても丁寧な対応を崩さなかった彼女が、こんな態度をとるとは珍しい。相手はどんな人物なのだろう、と客である女性の方を見て、俺ははっとした。
「受付さんですか?」
彼女は、俺にグレシアの護衛という仕事を紹介したギルドの受付嬢だった。髪を後ろで一つにまとめて厚手のチュニックを着ており、過酷な筆記業務のせいか、指先にはたこができている。
受付嬢は丸眼鏡の奥から俺をじっと見ると、ああと声をあげた。
「そういえばアウグスト様にはグレシア様の護衛任務を紹介していましたね。実入りの方はいかがですか」
「ええ、ありがたいことに、だいぶ貰えてます」
死体回収業はいざこざに巻き込まれやすいという彼女の予言通り、宝石袋事件や懺悔室事件に巻き込まれて偽証までさせられたが、確かに高収入は得られている。
受付嬢は、興味深げに聞き返してきた。
「ちなみに一ヵ月でどれほど稼げたのですか?」
「詳しくは覚えていませんが、たぶん数十万ダリルほどです」
公開できない教会の口止め料を除いて申告すると、受付嬢はにやりと笑みを浮かべた。
「なるほど。稼げているとはいってもその程度ですか」
「実は俺にとってはけっこうな大金なんですよ」
むっとして、受付嬢はしまったという表情を浮かべた。
「失礼いたしました。アウグスト様の気に障ったのなら申し訳ありません。先ほどの言葉はそういう意図ではなくて……それよりももっと稼ぐ仕事がある、と言いたくて」
「仕事って?」
受付嬢は、グレシアの前に置いていた羊皮紙を取り、俺に見せた。
『クータ地下城に向かった保険加入済の銀等級冒険者三名(戦士ファーレイ、魔術師サラ、弩使いウォーム)の帰還を確認できず。報酬五十万ダリルで回収を命ずる。ギルド長』
文章の下には、行方不明者の似顔絵が書いてあり、装備や背格好などが詳細に記されている。
(五十万ダリル……おいしすぎるな)
普通に三人を回収すると料金は三十万ダリルなので、二十万も報酬に上乗せされていることになる。俺は破格の報酬に驚きながら、なぜグレシアはこの仕事を嫌がっているのだろうと首をかしげた。
「アウグスト君、今君の考えてることは分かるよ。なんで行きたくないかってことでしょ」
「はい。こんな報酬出されたら絶対受けると思ってたんですが。実際なんでですか?」
「ああ、うん。そう、そうだね……いろいろ、いろいろあるんだけれど……」
「幽霊が怖いのでしょう」
言いにくそうにするグレシアを、受付嬢はばっさりと一言で切り捨てた。
「怖いわけじゃない! ただ幽霊は普通より警戒する必要があって、できるだけなら会うのも嫌ってだけで……」
「そういうのを怖がってるって言うんですよ。ほら、アウグスト様もこのへなちょこに何か言ってください」
「あー、さっきなんで喧嘩してたのか、ようやく飲み込めてきました」
幽霊が出没する地域だから、グレシアは仕事を断りたい。だが受付嬢の方もギルド長直々の命令ということで、グレシアに仕事を受けさせたいということなのだろう。
うろたえるグレシアは珍しい。ぜひクータ地下城へ行こうと彼女に詰め寄ってみせるのも一興かと思ったが、すぐに頭を振ってその考えを捨てた。
さすがに嫌だと言っていることを無理矢理させるのは可哀想だし、パーティメンバーが動揺している状態で潜るとなると俺自身も危ないからだ。
「……すみません、グレシアさんが嫌がっているのなら俺もあえて回収に行くべきだとは思いません。他を当たってください」
俺が断ると、グレシアは目を丸くした。
「てっきりアウグスト君も説得しに来るかと思ってたよ」
「そりゃ報酬はおしいですが、この一回の依頼のためだけにグレシアさんとの関係を壊したくはないですから」
俺の言葉を聞いた受付嬢はため息をつき、きっと俺たちを見すえた。
「ギルド長もグレシア様の幽霊恐怖症を知っていますから、最後に依頼を回すように言われました。しかし他の回収業者は皆出払っていましてね。頼めるのはグレシア様しかいないのです」
「他の業者が帰って来るまで待てばいいじゃないか」
「幽霊が跋扈している場所で死んだ場合、死体に残っている魂を押しのけて他の魂が入り込む可能性があります。悠長に待っていられないことは貴方も知っているでしょう」
「まあね。でも……」
「でも、なんでしょう。こちらは強権も発動できるんですよ。この仕事を受けなかった場合、当ギルドがグレシア様に行っている特別な計らいを取り消すことも視野に入れていい、とギルド長はおっしゃっていました」
それを聞いた瞬間グレシアはさっと顔を青ざめさせ、受付嬢を睨んだ。
「ギルドはそこまでして私をあの城に行かせたいのか」
「しかたないんですよ。保険に入った銀等級三人を見殺しにはできませんから。それとも、我々の後ろ盾を失った雪原の民が、まともにこの都市で暮らせるとでも?」
「……やり口が汚いな」
「選択肢を与えている分、慈悲があると言ってください。今すぐ金等級の位を剥奪して、グレシア様を犬の餌にしてもよろしいのですよ」
有無を言わせない雰囲気で迫られ、グレシアは不承不承と言った様子で口を開いた。
「やればいいんだろ、やれば」
「その言葉が聞けると思っていました」
受付嬢は満面の作り笑いを顔に張り付けたまま立ち上がった。
「後はお二人にお任せします。部外者の私がいては邪魔でしょうし」
「さっさと帰りなよ」
「承知しました」
彼女はそのまま入口の方に歩いていくと、ドアノブに手をかけた。そして半ばまでドアを開けたところで何かを思い出したようで、振り向いた。
「そうそう、今日はクータ城へ行く予定の学術調査隊がいます。彼らと一緒に探索すれば多少は安全な回収になると思いますよ。どうするかはグレシア様の自由ですが」
そう言い残し、彼女は事務所を去っていった。
「グレシアさん。大丈夫ですか」
俺は、頭を抱えて机に突っ伏しているグレシアに声をかけた。すると彼女はゆっくりと起き上がった。雨ざらしの金具に付着した青錆のようなひどい顔色だ。
「君はギルド本部に行って学術調査隊のメンバーと会ってくれ。着替えたら私もギルドの方に顔を出すから」
「……わかりました」
一人にしてくれと暗に言われたような気がして、俺は事務所を出てギルド本部へ向かった。
(それにしてもあの怯え方はちょっとおかしいな)
彼女の様子は尋常ではない。ただ幽霊が苦手というだけではなく何か別の理由があるような気がする。
結局俺とグレシアは、学術調査隊とともに『クータ地下城』へ向かうことになった。
調査隊のメンバーは五人。魔法史学者ランド、戦士ミリエラ、攻撃術師リヒター、技師アティスマン、シスター・イレーネである。
受付嬢の来訪から数時間後。俺たちはクータ谷近くの街へと向かう定期船に乗っていた。曇り空からまばらに雪が降り、水面に落ちては溶けていく。川の向こうには、頭が白み始めている山嶺が見えた。
「まさかお二方が知り合いだったとはねえ」
その声を聞いて景色から目を戻すと、太り肉で赤ら顔の中年男──ランドがこちらに話しかけていた。彼は柔和な笑みを浮かべながら、俺とその隣でうつむいているグレシアを交互に見やる。
「ええ、びっくりしましたよ。こんな偶然があるんだって」
イレーネは、こころなしか気まずそうに言った。こちらとしても、ついこの前殺人を暴いて金を巻き上げた相手である。気まずくないわけがない。
場の空気をあまり気にしないグレシアに相手してもらおうかと思ったが、彼女はフードを目深に被ったままうつむいている。今朝からずっとこの調子なので、頼りにはならなそうだ。
やむなく俺が彼女の言葉に応えた。
「俺もですよ。というか、教会勤めのあなたがどうして学術調査隊に参加してるんですか?」
「実は神父とランド先生が知り合いでして。先生がどうしても今回の探索で聖職者が必要だとおっしゃったのです」
「うん。最初はギュンターに頼もうとしてたんだけどね。さすがに蘇生術を使えるヤツが街を離れるわけにはいかないと思い直して、彼女に来てもらったんだ」
イレーネの言葉を補足したランドに、俺は訊いた。
「どうして今回の迷宮探索に聖職者が必要なんですか」
「騎士なのに知らないのかい?」
「すみません、剣術一本で師範学校を卒業したものですから」
そう言うと、船のすみに一人で座っていた、目元の鋭い女戦士──ミリエラがぴくりと形のいい眉を動かして反応を示した。
彼女は最初に会ったときからずっと口数が少なく、名前と銀等級であるということしか伝えられなかったが、なぜかときおり俺の方に視線を向けてくるのである。
今回も視線を向けてくるだけで会話には入ってこなかったので、俺は不思議に思いながらも話を続けた。
「それで、なぜなんです」
「亡霊がいるからだよ。聖職者は癒術師と同じように人を癒す魔法を使えるが、他にもディスペル──浄化の力によって亡霊を祓える。だから亡霊がうろつく場所を探索するなら、聖職者がいると心強い」
「へえ。イレーネさんって、結構すごい人だったんですね」
「ふふ、神父様には劣りますけれど……ああそうだ、一応コレも持ってきてるんですよ」
謙遜してはいるが、まんざらでもないようだ。少し気をよくしたらしいイレーネは肩に背負った袋から一本の瓶を取り出し、俺に手渡した。コルク栓のはまった灰色の薄い陶器で、揺らすとちゃぷちゃぷと水音が聞こえてくる。
「これは?」
「聖水ですよ。中身を振りかけるだけでアンデッドを一発で祓えます。お守り代わりにどうぞ」
「そんなの貰っていいんですか? 確か聖水ってそこそこの値段だったような」
「原価がタダ同然なので……あ、このことはあんまり人に言わないでくださいね」
ぽろりと危ない言葉をもらしたイレーネは、慌てて口止めをしてきた。
教会もわりとあこぎな商売をしているらしい。少し呆れたが、まあアンデッドへの対抗策が増えたのはありがたい。俺はグレシアの肩を叩いて朗報を伝えた。
「グレシアさん、古城の亡霊はあまり気にしなくてもよさそうですよ」
「……そう」
だが、彼女の顔は晴れないままだった。
やはり亡霊以外にも何か心配事があるのだろうか。そんなことを考えていると、ランドは再び口を開いた。
「ところで、君はクータ城のおとぎ話を知っているかい」
「いえ。どうして急にそんな話を?」
「どうせ探索するなら、そこの背景を知っておいた方が面白いだろう。語らせてくれよ」
どうも彼は教師然とした見た目の通り、教えたがりらしい。まあ目的地であるクータ城につくまで暇なので、彼の話を聞くことにした。
俺がうなずくと、彼は嬉しそうに声を低め、子どもに怪談を話すような調子で語り始めた。
「はるか昔の話だ。クータ谷周辺には王国があった。
そこそこ大きくて強い国だったんだが、それで目をつけられたんだろうな。ある日、その国よりもはるかに強い敵国に戦争を吹っ掛けられてしまった。
当然王様は大慌てさ。国にお触れをだして、敵国をどうにかする方法はないかと藁にもすがる思いで民に尋ねた。すると、一人の魔法使いが名乗り出たんだ。
彼はクーレホルン。名のある魔法使いで、自分が敵軍を打ち負かしたあかつきには王家に伝わるネクロマンシーの秘法が書いてある本が欲しいと言った。……ああ、ネクロマンシーっていうのは屍体術、つまり死体を好きなように操る魔法だよ。
王様はもちろん取引に応じた。国が無くなったら元も子もないからね。やる気をだしたクーレホルンは、稲妻を呼び寄せたり炎で食料を焼き払ったり、圧倒的な力をもって敵軍を倒した。これで王国は滅亡の危機を免れたってわけ。
でも、王様の方はいざ敵軍を倒してもらったら、急に王家の秘法を魔法使いに渡すのが惜しくなった。だから、褒美をやるといってクーレホルンを城に呼び出し、殺そうとしたんだ」
「とんでもない王様ですね」
俺の言葉に、ランドは苦笑した
「まあね。だからこそ王は国ごと報いを受けることになった。
王はクーレホルンとまともに戦うと分が悪いと思ったから、釣り天井──天井が落ちてくる仕掛けで押し潰そうとしたんだけど、これが失敗だった。いざやってみると、クーレホルンは運よく罠にかからず助かってしまったんだ。そして王様の裏切りに怒った彼は、城を丸ごと地下に沈めた」
「どうやって城を丸ごと沈めたんですか」
「魔法で地面を液状化したんだ。当然その上に建っている城は、液状化の起点となった端っこから少しずつ地面に引きずり込まれていった。そのせいで沈み切ったときには、城は逆立ちした状態になっていた。だからクータ地下城は、『逆立ち城』とも言われてる。
ちなみに一つの城を地下に沈めたクーレホルン本人は、手にしたネクロマンシーの秘法で不死の存在となって、アンデッドと亡国の財宝に囲まれながら、今も城に住んでいる」
ランドはそこで言葉を切ると、元の朗らかな口調に戻った。
「とまあおとぎ話はこんな感じで終わってる。人との約束は守ろうっていう教訓話だろうけど、実際にクータ城はある。ということは、歴史的に似たようなことは起きているんだ」
「はあ、なるほど」
「だから今回はネクロマンシーの秘法を記した本が無いか、調査してみようと思ってるんだ。この秘法には魔法史的に興味深い点がいくつもあるからね」
「興味深い点って何です?」
何気なく訊いてみたが、それが間違いだった。ランドは目を爛々と輝かせ、学者特有の早口で語り始めたのだ。
「ネクロマンシーというのは死体に魂をとどめてアンデッドにする技術で、現在は誰もそのやり方を知らないんだけど、ひょっとするとこれは回復魔法と蘇生魔法の技術的な中間点に位置するものなのかもしれないんだ。それに攻撃術師だと思われるクーレホルンが、付与術か癒術に分類されそうなネクロマンシーを習得できたという理屈も知りたい。私の仮説では……」
「はあ」
俺は、熱弁を続ける彼の対応に困った。正直魔法については全くの門外漢だし、興味もないのだ。
彼の専門である魔法史学的にはネクロマンシーの秘法というものは重要なのかもしれないが、とても最後まで話を聞く気にはなれない。
「先生、騎士サマを困らせんでやってくださいよ。貴重な前衛が逃げたらあんたのせいだぜ」
そのとき、船の前の方で話していた二人の青年がやってきて、会話に加わってきた。二人とも同じくらいの背格好だが、身に着けているものも、姿から受ける印象も全く違った。
紅いポンチョをまとった軽薄そうな男がリヒター。彼は赤い巻き毛が特徴的で、火炎や吹雪といった攻撃系の魔法を行使する『攻撃術師』だ。
一方アティスマンは知的で落ち着いた雰囲気の青年で、丸っこい鼻が目を引いた。こげ茶色の厚手のコートとマフラーを身に着けている。彼は罠の察知・解除や、扉の鍵の解錠を担当する『技師』だ。
アティスマンはやれやれとばかりに首を振った。
「リヒターの言う通りです。そこの子は、怖がって顔隠しちゃってるじゃないですか」
「……別に私は、今の話で怖がってたわけじゃないよ」
アティスマンの言葉にむっとしたようで、グレシアは小さく反論した。するとリヒターは彼女に興味をそそられたようで、俺の隣に座る彼女に視線を移した。
「えーと、あんたの名前、グレシアだっけ」
「そうだけど、何だい?」
「一応、一緒に仕事する仲間だろ。顔くらい見せてよ」
「……」
グレシアは少し躊躇ってから、ぱさりとフードを脱いだ。丁寧に手入れされた白髪が広がり、いつもよりやや顔色の悪い彼女の顔が露わになる。
その途端、リヒターは息をのんだ。
「すげえ可愛い! 見ろよアティスマン」
「ええ
もし彼らがグレシアの本性を知ったら、ウンディーネではなく
「いやー、ほんともったいない。これで雪原の民じゃなかったら口説いてるんだがなあ」
「……?」
そういえば受付嬢も「雪原の民」がまともにこの都市で生きられるわけがないというようなことを言っていたが……まさか雪原の民というのは、墓守や処刑人のように、いわゆる「人間扱いしなくていい人間」に分類される者たちなのだろうか。
(そういえば、イレーネが雪原の民について言及してたときも嫌がってたな)
彼女が雪原の民であることについて触れられたがらなかったことを考えると、その可能性は高い。とはいえグレシアが迫害されているところは今まで一度も見ていなかったので、確証は持てなかった。
俺が考えていると、リヒターから見えない位置でグレシアに脇を小突かれた。そちらに首を回すと、彼女は何かを言いたげな目で俺を見上げていた。
(うるさいから何とかしてくれってことか)
普段のグレシアなら適当に受け流すのだろうが、今はそれすら億劫らしい。
俺はため息をついて立ち上がると、リヒターの両肩をつかんでくるりと回れ右させた。するとリヒターは不満げな顔を俺に向けた。
「なんだよ」
「リヒターさん。離れてください」
そう言うとリヒターはしまったという表情を浮かべてから、愛想笑いをした。
「あ、これは失礼。今のはつい口がすべったっていうか……冗談だよ」
「……ちょっと来てください」
口が滑ったということは、今の言葉は本心だろう。話を聞いてみたくなった俺は肩を組むと、リヒターを船の隅に連れていった。その間、なぜか彼は何度も謝罪を続けていた。
「いやほんと悪かったって……悪かったから、離してくれ」
とりあえずグレシアに会話が聞こえないところまで距離をとると、俺はリヒターを離した。そして気になっていたことを質問してみた。
「ちょっと思ったんですが……ひょっとして、雪原の民って嫌われてるんですか?」
リヒターは呆気にとられたような表情を浮かべていたが、やがて聞き返してきた。
「あんたは、連中のこと知らないのか?」
「そうですね。生家の領地にはいなかったし、後は師範学校で過ごしてたんで」
「なるほどな。世間知らずだからあの女の護衛をしようと思ったのか」
勝手に自分で納得すると、リヒターはうなずいた。
「嫌われてるっつうか怖がられてるっつうか……あいつらは、富を盗むからな」
「盗む? 犯罪者が多いってことですか」
「いいや。やることは全部合法だし、仕事の能率はいい。だからそれが気に入らねえ」
それを聞いて俺は首をかしげた。
「別にいいことじゃないですか」
「あんたは貴族出身だから分かんねえだろうが、あいつらが同業にいると本当に面倒でね。それに教会の信徒じゃないから寄付もしねえ。自分たちさえよけりゃいいって連中なんだ。嫌われて当然だろ」
「あー……」
グレシアの振る舞いを見てきていたので、それについては擁護できなかった。
「でもグレシアさんがそういう対応をされているとこは見たことありませんよ」
「……あいつは金等級冒険者だろ。あれに手を出すってことは、ギルドに喧嘩を売るってことだ。そんな馬鹿なマネをする奴ぁいない」
リヒターの答えを聞き、俺は納得した。グレシアにとって金等級の称号は実力を示す肩書であると同時に、迫害から身を守るための盾なのだ。
(だからこそ、その盾をくれているギルド長の命令には逆らえなかったと)
推理の最中は無敵に見えるグレシアも、苦労はしているらしい。そう思っていると、リヒターはぽんと肩を叩いた。
「ま、悪いことは言わねえ。とにかく雪原の民とは手を切った方がいいぜ。ロクなことに巻き込まれねえし、情の欠片もない奴らだからな」
確かに何度も事件に巻き込まれてはいるのは事実だが、グレシアは破格の報酬で報いてくれているし、一応命を預け合う仲間だ。それを悪しざまに言われるといい気はしない。
「……誰と組むかは、俺が決めることです」
俺がリヒターの手を振り払うと、彼は笑った。
「へっ、さてはアレか。ツラがいいから惚れたな?」
「別にそういうわけではないですが」
否定したがリヒターは下世話そうな、にたにたとした笑みを浮かべた、
「まあまあ。雪原の民は美人が多いから分からんこともないが……やめとけ。雪原の民と結婚したヤツは、だいたいすぐ死ぬんだ。そして残った未亡人の懐に、夫の遺産が転がりこんでいる……ってえいう話はよく聞く」
「遺産目的の結婚、そして夫の殺害ですか」
「そうだ。奴らは賢いから尻尾を掴ませねえが、何やってるかはわかるだろ」
この話が事実がどうかということは判別のしようが無いが、少なくとも「あいつらならそれくらいのことはやる」と思われるくらいには、世間の視線は厳しいのだろう。
後ろ盾のない雪原の民がまともにこの都市で暮らせるわけがない。そんな受付嬢の言葉を、俺はリヒターの半笑いを眺めながら思い出した。
街に着いて一泊し、翌日の昼頃に俺たちはクータ谷へ到着した。辺り一面に丈の短い草が青々と茂り、谷底で幅の狭い川が激しく流れているのが見えた。
「よし、ここいらでいい。馬車を停めろ!」
ランドは馬車を降りて辺りを見回すと、突然走り始めた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
彼を追ってアティスマンが走り出し、他の調査隊三人も雇い主を見失うまいと駆けだした。死体回収組である俺とグレシアも遅ればせながら後に続き、皆の集まっている辺りに着くと足を止めた。
「この縦穴が入口です」
アティスマンはそう言って柵に囲まれた縦穴を指した。縦穴には縄ばしごがかかっており、その先をのぞくと、逆さまになった城の大扉が闇を透かしてうっすらと見えた。
「本当に城全体が地下で逆立ちしてるんですね」
俺が驚いていると、ランドはうなずき、居ても経ってもいられないというように巨体を揺らし、足踏みを始める。
「さっそく中に入るぞ。グレシアさん、城内に入ったら暗視を頼む」
「わかってるよ」
縄ばしごで全員が扉の前に降りると、グレシアは皆に暗視魔法を行使した。
「おおっ、すげえ。明かりがないのによく見える」
暗視効果を付与されると、リヒターは興奮して周りをきょろきょろと見回していた。
「今まで暗視魔法を使ったことは無かったんですか」
「他の奴らは知らねえが、俺は松明一本で潜ってたな」
「なるほど。じゃあこれからは光を伴うような魔法は控えるか、使用の前に言ってください。目が焼けますから」
「おう、わかったわかった」
俺がリヒターに注意していると、地響きのような音が前方から聞こえて来た。そちらを見ると。ランドたちが外向きに開いた扉の中に入って行くところだった。
「早く入ってください。押さえるのがキツいんです」
どうやら勝手に閉じる仕掛けになっているらしく、アティスマンが歯を食いしばって懸命に押さえている。俺とリヒターはうなずき、急いで彼の横を通り過ぎた。
ひやり。
とそのとき首筋に冷気を感じた。すぐ常温に戻ったので気のせいかと思ったが、城の中に入ると気温が一気に下がったのを感じた。前にいたイレーネも持っている長杖を両手で握りしめ、白い息を吐く。
「寒い……ですね」
「亡者や彼らが操る死体──アンデッドは、冷気を発するからね。ここは冷たい死者の国さ」
ランドは腹にたっぷりとついた脂肪のおかげであまり寒さを感じないらしく、のんきにそんなことを言っている。
「グレシアさん。いい感じにあったまる魔法とかないんですか?」
「ないよ」
イレーネの問いに、グレシアはそっけなく答えた。
ちょうどそのとき背後で扉が閉まり、アティスマンが戻ってきた。
「とにかく進みましょう。ランド先生もさっさと調査を進めたいでしょうし」
「ああ。とりあえず最初は、一階をくまなく探そう」
パーティの並びは前衛を俺とミリエラ、イレーネが務め、攻撃の届かない後衛にリヒター、アティスマン、グレシア、ランドが配置された。
俺とミリエラが体を張って戦う間に、リヒターとグレシアが魔法で支援を行うシンプルな基本配置。だが少し気になったのは──
「なんでイレーネさんが前にいるんです?」
隊列を組んで探索をする際、体力のない者は重い鎧を着て長時間歩くことができない。
そのため魔術師や筋肉のつきづらい女性の多くは軽装で済ませ、負傷する可能性の低い後衛に置くというのが定跡だ。
イレーネはどう考えても後衛にいるべきタイプなのに、なぜ前に来ているのだろう。不思議に思って訊くと、イレーネは白百合の模様が刻まれた木製のスタッフをぱしぱしと叩きながら答えた。
「後衛にいるとディスペルが使えないので」
「……ひょっとして、その長杖で直接ぶん殴らないと亡霊を倒せないんですか」
「はい。その代わり一撃で祓えますから安心してください」
イレーネはふふんと得意げに鼻を鳴らした。しかし彼女は普段着に厚手のコートをまとっているだけで、防御面はいささか心もとない。
「周りをちゃんと見て、不意打ちに気をつけてくださいね」
「わかってますよー」
「グレシアさん、念のため結界魔法で味方を守るときはイレーネさんを優先してください」
「わかった」
打ち合わせが済むと、改めて俺たちは地下城内の探索を始めた。壁が壊れて土砂が入り込んでいる通路もあったが、城内はおおむね綺麗で静謐な雰囲気をただよわせている。
「天井歩くっていうのは、おもしれえな」
「本当になあ。蜘蛛になったみたいだ」
後衛のリヒターとランドがのんきに話しているのを聞いて、俺は内心で同意した。タイル張りの床が頭上にあって、俺たちは天井に向かって「落ちている」ように感じる。平衡感覚が少しおかしくなりそうだ。
「敵よ」
弛緩しかけた空気を切り裂くように、ミリエラが短く警告した。俺が目を凝らすと、通路の向こうから赤茶色に錆びた鎧兜と槍で武装した、三人の衛兵が現れた。あちらもすぐに俺たちの存在に気がついたようで、こちらに向かって走ってくる。
(おとぎ話の時代の兵士か)
彼らは亡霊となった今も天に召すことなく城を守り続けているのだ。そろそろ引導を渡してやるのが温情というものだろう。
「俺は真ん中をやります。ミリエラさんは左、イレーネさんは右のやつを相手してください」
「わかりました!」
「了解」
二人の前衛の凛とした声を聞きながら、突撃してきた衛兵たちを見すえる。あちらも同じように戦う相手を決めたらしい。真ん中の衛兵は俺に向かってくると、助走で勢いをつけた槍を振り下ろしてくる。
鈍い音とともに、ヤツの槍は俺の掲げた剣をしたたかに打ちすえた。なかなか強烈な一撃に、肩がしびれる。
(でも、重いだけだ)
俺は槍をはじくと、床を蹴って衛兵に肉薄した。槍を引き戻そうとしているところに、体重を乗せた剣を振り下ろす。
赤さびた鎧の砕ける音と、肉を斬る重い感触。俺の刃は右の肩口から左の脇腹へと抜け、衛兵を両断した。
支えきれなくなった上半身が落下し、地面に落ちる。それでもなお槍を持ち上げようとしてきたので、衛兵の右腕を切り落とした。
(……こいつら、こんなになってもまだ動くのか)
生物ではありえないくらいの執念にげんなりしていると、隣でぼしゅっ、と何かが破裂するような音がした。
「さすがですね。アウグストさんはもう倒してたんですか」
煙の中から姿を現したイレーネは、俺の足元に転がっている衛兵の頭を長杖でこつこつと叩いた。すると死体は白い煙となって消失し、砕かれた鎧と槍だけが後に残った。
「あ、ミリエラさんも助けないと」
彼女はミリエラと戦っていた衛兵の後ろに回り、長杖を振り下ろした。そのとたんにアンデッドは白い煙に早変わりし、主を失った防具が散らばる。
(すごいな)
一撃でアンデッドを祓えると聞いてはいたが、実際にやっているところを見ると頼もしさが違う。ランドが聖職者を仲間に入れたがっていたのも納得だ。
「どうも。助かったわ」
「あははー、まあこのために呼ばれてますから」
それからも数回ほど戦闘があったが、イレーネのディスペルで簡単に敵を消し去ってしまえるので探索はスムーズに進んだ。
ただ目的である冒険者の死体がいっこうに見つからなかったので、そこだけが気がかりだった。
「まだ下の階に行ってないから分からないけど、私たちが回収する予定の死体を亡霊がもう乗っ取っている可能性はある」
死体が見つからないことについて訊くと、グレシアはそう答えた。
「ギルドが死体回収を依頼しにきたのが帰還予定日から一日過ぎた辺りで、ここに来るまで一日だろ。少なくとも二日以上は空いてる。亡霊が死んだ冒険者の魂を押しのけて死体に乗り移るには十分な時間だ」
「そうなった場合の蘇生って……」
「もちろんできないよ。蘇生術は魂が残っていないと意味がないからね」
「……あれ? じゃあ俺たちも死んだら蘇生できない可能性があるってことですか」
「そうだよ」
俺は頭を抱えたくなった。なるほど、迷宮内で死亡した場合に蘇生できない危険が高いからこそ、報酬が高額だったのだ。動揺するグレシアを心配するばかりで、依頼の不自然さを疑いもしなかった自分の間抜けさに腹が立った。
隣で話を聞いていたイレーネは、意外そうな顔で訊いてきた。
「アウグストさんは蘇生できなくなること覚悟で来てたんじゃないんですか」
「いえ全然」
「やっぱり君、どっか抜けてるよね」
グレシアの呆れたような物言いに何か言いたくなったが、さすがに俺が不注意だったことに異論は唱えられない。それを聞いていたリヒターは、少し心配そうな声音で訊いてきた。
「まさか蘇生できないからって、もう帰るとか言わねえよな。」
「驚きはしましたけど、そのくらいじゃ帰りませんよ。まだ仕事は終わってませんし、一人で帰るよりまとまっている今の方が安全でしょう」
「それもそうか」
答えると、後ろで安堵する気配がした。リヒターは俺が死を恐れて仕事を放り出すとでも思っていたのだろう。だがこれでも騎士の端くれだ。完全に死ぬ可能性があるというだけで怯むような鍛えられ方はしていない。
(……まあ怖くないってわけじゃないけど)
何せ、亡霊が自分の死体に入ってきたら、魂を押しのけられ『完全なる死』を迎えるのだ。たぶんグレシアも、死体回収を生業にして蘇生を当然のものとして考えているからこそ、亡霊が怖いのだろう。
それから数時間ほどで一階の探索は終わった。並んでいる小部屋からは希少な装飾品やかつてこの国で鋳造されていたらしい金貨、鍔に宝石があしらわれた剣などが見つかった。
イレーネは見つかった宝物をまとめて皮袋に入れているリヒターを見ながら、ランドに話しかけた。
「ランドさん、これどうします?」
「んー、別に学術的には何の史料にもならないし、後で山分けしたらいいんじゃない」
「やった。最近家計が苦しいので助かります」
「教会の人なのにお金に困ることってあるんだなあ」
ランドが目を丸くすると、イレーネは少し赤くなって目をそらした。
「あっ、ええ、まあそうですね。ちょっと入用で……」
その理由を作り出した張本人である俺とグレシアは、思わずそっぽを向いた。
戦利品をリヒターがまとめてから、階段を使って二階へと降りることになった。
ただし一階から二階へ「降りる」螺旋階段は内部が吹き抜けになっている円柱状の空間にあり、天井にあるので普通には降りられない。グレシアの浮遊魔法の出番となった。
「生きてる人間に使うのは久しぶりだな」
そう言ってグレシアはミリエラ、ランドと一人ずつ階下へと降ろしていった。
三番目に俺が降りると、先に降りていたランドがまるまるとした顎をなでながらため息をついた。
「まったく、浮遊魔法がないと行き来もままならないとは。住みにくそうだ」
「アンデッドがうろちょろしてるところに住みやすいも何もないわよ」
ランドがミリエラに突っ込まれているのを見ているうちに、全員の移動が完了した。最後にグレシアが自分を魔法で持ち上げ、危なげなく着地すると二階の探索が始まった。
「部屋だ。ちょっと待って」
二階の探索開始からすぐだった。ランドに呼び止められ、パーティは進むのをやめた。俺の脇には逆さになった木製の扉がある。この部屋を調べるつもりらしい。
「鍵がかかってる。アティスマン」
「解錠ですね。任せてください」
ランドの指示を受け、青年技師が扉の前に出た。腰のポーチから鍵開けの道具を取り出すと、高価そうなルーペで鍵穴を覗きながらこじ開けにかかる。
「逆さまになってるけど、たいした構造じゃない。時間はそうかかりませんね」
アティスマンの宣言通り、鍵開けはすぐ成功した。部屋の中には倒れた本棚がいくつもあり、ひっくり返った机の残骸らしきものがあった。
「おお、いいもんがあるじゃないか」
ランドは本棚の方に駆け寄り散らばっている巻物をかき集めた。イレーネも彼を手伝って書物を腕に抱える。
「それにしても、地下にある書物って湿気で駄目になりそうなのに、なんでこんなに保存状態がいいんでしょうか」
「たぶん、冷気のせいで空気が乾燥してるんだ」
そう言いながらランドはそのうちの一本を広げる。
「古い文法だな。題名は『葡萄月の貸借』……なんだ、ただの貸借表か。次の巻物を見よう」
ランドは床に腰を下ろすと、書物を一つ一つ開いて中身の確認を始めた。長丁場になりそうだと思ったのか、彼の近くで作業を見ていたアティスマンが話しかける。
「時間がかかりそうですか」
「そうだな。なにしろ本棚が四つあるからなあ。だいぶ時間を使うねえ」
「じゃあ、ちょっと少し休憩させてもらいますよ」
「ああ。仮眠も取っておくといい。……ところで、回収人のお二方はどうする予定かな?」
アティスマンとの話を終えると、ランドは俺とグレシアの方に顔を向けた。俺たちの目的は古城の調査ではないため、ここに留まっていても仕方がない。とはいえ学術調査隊と別れるとなると、探索の危険性は高まる。グレシアはどうするつもりなのだろう。
俺がグレシアの方を見ると、彼女は相変わらず弱気な顔をしたままだった。そしてその顔を隠すかのようにフードを深くかぶり直し、答える。
「……一緒にここで待ってから探索を再開するよ」
「そうか。じゃあゆっくりと休むといい」
ランドはそう言うと巻物を読む作業に戻った。他の面々も毛布を取り出したり、火を熾したりして休憩を始める。最初はなかなか気温が上がらなかったが、アティスマンとリヒターが用を足しに外へ出て行ったころにようやく暖まってきた。
「ちょっといいかしら」
皮袋に口をつけて水を飲もうとしたそのとき、ミリエラに話しかけられた。
「なんですか?」
「最初の話と、アウグストって名乗りでそうかなって思ってたんだけど、ひょっとして剣術大会の優勝常連だった騎士さん?」
探索中はあまり話さなかった彼女にそう訊かれ、俺は少し驚いた。
「どこで知ったんです? その大会って騎士師範学校内のやつだったはずですが」
校内で行われたものなので、世間的にはたいして知名度はない。同期の中に女がいた記憶もないので、どうしてそれを知っているのだろうと不思議に思っていると、ミリエラは目を丸くした。
「前に自分が行ってた養成所に腕の立つヤツがいたって、前に一緒に仕事してた仲間から聞いたの。まさか騎士師範学校出身だったとは思わなかったけどね」
どうやらミリエラが前に仕事をした仲間は、俺と同じく君主の雇用にあぶれた騎士くずれだったらしい。それで納得がいった。
ミリエラがそのことを知らなかったのは、たぶん話した本人が騎士になれずに冒険者稼業をやっているということを恥ずかしく思い、出身を伏せていたためだろう。
「へー、じゃあ俺の知り合いかもしれませんね。その仲間の名前はなんて言うんです?」
名前を聞いて記憶の棚をひっかきまわしてみたが、思い出せない。付き合いがあるか強い同期の名はしっかり覚えているが、そうではなかったということなのだろう。
なんとか思い出せないかと俺がうんうん唸っていると、ミリエラは「もういいわ」と言って俺を見上げた。
「それでここからが本題なんだけどね。もし良かったらだけど、次はあたしと組まない?」
「次というと?」
「今、死体回収人の手伝いをしてるでしょ。それをやめて私の仲間たちと仕事をしないかって言ってるの。回収人なんてまともな仕事じゃないし、何より上司が雪原の民でしょ。変なことにまきこまれるわよ」
「仕事はまともですよ」
俺は目をそらしながら答えた。ミリエラは今の返答をたいして信じていないようで、疑いの眼差しを向けてきた。
「どうだか。まったく、あんたなら死体回収なんかやらなくたっていくらでも仕事を選べると思うんだけど……なんで青等級なの」
「たぶん、騎士から冒険者へ転身するって前例が少ないからでしょうね。ギルド側は、師範学校出身者の腕前を測りかねてるのかも」
戦争の勝敗は国の抱える騎士と魔術師の数で決まると言われており、王家は土地や金をばらまいて頭数を揃えようとする。
そのため騎士は、王家が破産しない限りは安定して俸給を得ることができる。だからわざわざ不安定な冒険者稼業などに身をやつす物好きはいなかったのだろう。
ミリエラは少し考えるそぶりをみせ、顔をあげた。
「なるほどねえ。つまりあんたは、実力に見合った仕事が受けられないのが泣き所なわけ」
「端的に言えばそうなりますね」
「それならなおさら、私と組みましょ。あたしは銀等級だから、死体回収よりはまともで、それなりに大きな仕事が受けられるわよ」
グレシアと比べると彼女の等級は落ちるので、おそらく収入は下がるものの、少なくとも今よりも面倒ごとに巻き込まれることは減るだろう。
俺はしばらく迷ったが、とりあえず保留ということにした。
ミリエラの提案は魅力的だったが、すでにグレシアと契約している以上、はいそうですかと二つ返事をするわけにはいかない。それに今の彼女を放って別のところにいくというのは何だか酷薄な気がする。
「今は無理ですが……ちょっと考えときます」
「ん、わかった。気が変わったら声をかけて」
話が済むと、ミリエラは自分の荷物をごそごそと漁り始めた。どうやら腹ごしらえをするつもりらしい。
俺は特にしたいこともなく手持ち無沙汰だったため、そろそろグレシアが本調子に戻っているか確かめることにした。
入り口の近くで背を壁に預け、両ひざを抱え込み座っているグレシアを見つけると、俺は隣に腰を下ろし、あぐらをかいた。
「今日はびっくりするくらい調子が悪そうですね」
「……幽霊は苦手でね。そもそも、私は怖がりなんだ」
話しかけると、グレシアは床に目を向けたまま答えた。
「剣で襲われたり、短剣で刺されかけたりしたときには全然そうは見えませんでしたけど」
「あのときは、君が私を守りきれる状況だったからね」
つまり、今は俺の護衛があってもまだ安心できない理由があるのだ。
「何か懸念点があるんですか?」
「ああ。昔、ここに入った強い冒険者が三人死んでる。そのうち二人は金等級。あまりこの城を舐めない方がいい」
「確かにそれは……怖いですね」
金等級ですらやられるような秘密が、この城にはあるということなのだろうか。そう思っていると、グレシアは再び口を開いた。
「強い人たちだった。強い人たちだったんだけど……野営中にアンデッドの襲撃を受けて、あっさり殺された。そして、彼らの死体はまだ見つかってない」
「野営中だったから油断してたんでしょう」
「ありえない。ちゃんと見張りは立ててたし、小部屋の中にいて入口は一つしかなかったから襲撃されてもすぐに対応はできるはずだった。なのに、なぜか寝込みを襲われたんだ」
そこまで聞いて、俺は彼女の話の、妙な部分に気がついた。
最初の口ぶりから、全滅した冒険者の話は伝聞──つまり人から聞いた話だと思っていたが、彼女が話を聞いただけの第三者ならそこまで細かく襲撃時のことを話せないはずだ。
ということは──
「グレシアさんは、その場にいたんですね」
俺がそう言うと、グレシアはぴくりと唇をふるわせた。なぜ俺がその結論に至ったのかということはすぐ理解したらしく、彼女の横顔に浮かんだ動揺は諦念に変わった。
「うっかりしたな。君の言う通り、私はこの地下城に潜ったことがある。……あれはちょうど八年前だったかな」
八年前となると、八、九歳というところか。生まれた頃から探索をやっているとは聞いていたが、実際にそんな子どもがダンジョンの床を踏んでいる光景を想像するのは難しかった。
「そもそもその人たち、よくグレシアさんをメンバーにしましたね。いくら才能があっても、子どもを入れようとは思わないでしょうに」
俺の疑問を聞いたグレシアは、少し逡巡してから答えた。
「さっき言った金等級というのが、私の両親だったんだ。だから入れた」
「えっ」
聞き返すと、グレシアは両ひざを抱えている腕の中に顎をうずめた。
「私は……他の三人が殺されてるときに目覚めたんだ。そこでちょうど母さ……母の喉を貫いたアンデッドと目が合って。私は臆面もなく逃げ出した。両親と、もう一人の仲間の死体の回収すらせずにね」
自嘲の匂いのする言葉を彼女は吐き捨てる。しかし当時の彼女の年齢を考えればそれはしかたないと言うしかないだろう。俺は慰めの言葉をかけた。
「子どもだったんでしょう。むしろ生きて帰って来ただけでも偉いと思いますが」
「君みたいに優しい人ならそう言ってくれるだろうね。でもそのときしか死体を持って帰るチャンスは無かったんだ。必死に逃げ帰ってから捜索依頼を出したけど、受けてくれる人がいなかった」
「なぜです」
「私たちは雪原の民だからって。考えてみれば当然だね。両親の生前、仲が良かった人たちに全員に頼んだけど、誰も助けてはくれなかった。彼らが仲良くしてたのは両親の腕と、金だったんだろうね」
「……」
「まあ両親の遺産の半分を報酬にしたら回収に行ってくれる人が出て来てくれたんだけど。やっぱり、コレ以外は信用できないね」
グレシアは親指と人差し指で輪っかを作り、にっと笑う。
なんとなく、グレシアが貪欲に金を欲しがる理由が分かった気がした。
彼女はこの古城で両親を失い、仲間も信用できなくなった。ただ一つグレシアを助けてくれるものは、自らが所有する財産のみ。
金だけはグレシアを裏切らない。金だけはグレシアの望みを叶え、守ってくれる。だからこそ、彼女は家族や人との繋がりに代わるものとして金を集め始めたのではないか。
もちろんこれは俺の推測にすぎない。しかし彼女の拝金主義の裏にある孤独と悲哀を見てしまったような気がして、俺は口をつぐんだ。
そのまま黙っていると、「まあ」と彼女はわざとらしく明るい声を出した。
「……いろいろ話がそれたけど、要するにアウグスト君も油断してると殺される可能性があるから気をつけようってことさ」
俺は少しおどけてみせた彼女に顔を向け、一つだけ訊いた。
「今の話、どうして俺にしたんですか」
自分の出身を知られるのを嫌がるほど私的なことを詮索されたくないタイプである彼女が、自分の話をするのは珍しい。俺の問いを無視したりごまかしたりすることもできたはずなのに、過去を語ってくれた理由が気になった。
「確かに、なんでだろうね。君に話しても仕方のないことなのに……」
炎の揺らめきを眺めながら、グレシアは半ばひとりごちるように返事をした。それきり何も言わず、沈黙が俺たちの間に下りる。
その静けさを破り、意識を現実に引き戻したのは、焚火の向かい側で黙々とあぶった干し肉を食べていたミリエラだった。
「そういえばリヒターたち、遅いわね」
はっとした。確かに小用ならもう戻って来てもいい頃だ。妙だと思いながら部屋を見回して、俺は異常に気づいた。
「リヒターの荷物がない」
彼は一階で得た財宝をまとめて所持していた。戦利品の管理を引き受けた責任感から肌身離さず身に着けていると考えることもできるが、帰ってこない現状、好意的な解釈はできない。
「持ち逃げかもしれません。ちょっと外の様子を見に行ってきます」
「私も行くわ」
ミリエラは急いで肉を口に詰め込むと、立てかけてあった戦斧を取る。
俺とミリエラは、グレシアに暗視強度を調節してもらってから部屋を出ると辺りを見回した。
「うっ」
そして、左手の通路の向こうに黒焦げになった死体が転がっているのを見つけた。