【書籍化】迷宮で、死体を拾う   作:龍 圭介

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9ネクロマンシー(中)

 

 

 

 

「……アティスマン、かしら」

 

 彼は全身を炎で焼かれており、露出している皮膚は黒ずんでいた。同時に彼を見たミリエラが、「かしら」と不安そうな表現をしたのは、倒れている人物に首が無かったからである。

 

 焼け残った服やピッキングツールの入ったポーチを見て、かろうじてアティスマンの死体だと分かった。

 

 俺とミリエラは、すぐに全員を呼んだ。通路にやってきた三人は、アティスマンの変わり果てた死体を見て驚愕していた。

 

「な、な、なんだこれは……」

 

 顔面を蒼白にしたランドは、ぶるぶると震えていた。俺やグレシアと違って死体には慣れていないのだろう。

 

「すみませんランドさん。どいてください」

 

 動揺しているランドを押しのけ、グレシアが前に出てくる。彼女は少し焼けこげた死体を観察すると、考え込むそぶりを見せた。

 

「何か分かりましたか」

 

 俺が訊くと、彼女はうなずきながら振り向いた。

 

「ああ。まずこの全身火傷は、攻撃術師によるものだということ。松明とか自然に起こした炎で人間を一人燃やすなら、油をひっかけておく必要がある。油とかタールの匂いはしないから、火焔魔法を使ってるね」

「じゃあ、これはリヒターによる犯行ということでしょうか」

 

 リヒターは預かった戦利品を持って城を脱出するつもりだった。だが、その狙いを知ってか知らずかついてきたアティスマンを邪魔に思い、殺害して逃げた。単純で、それだけに目立った矛盾もない仮説だ。

 

「なるほど。リヒターさんは一階で拾った宝石つきの剣を持っているはずですし、アティスマンさんの首を持ち去ることで蘇生を阻止し、決定的な証拠を残さないようにしたとも考えられますね」

 

 自身が蘇生阻止のトリックを用いたことがあるだけに、イレーネの補足には説得力があった。だがグレシアはまだ腑に落ちない点があるらしく、首をかしげた。

 

「そう仮定すると、首の断面が焼けてるのは妙だね」

「……あっ」

 

 首の断面を見ると、確かにそこも焼けただれていた。ということは、アティスマンは焼かれてから首を切られたのではなく、首を切られた後に焼かれたと考えるべきだろう。

 

「リヒターがやったのなら慣れてない刃物で首を刎ねようとするより、さっさと焼き殺して後でゆっくり首を切る方が合理的だ」

「じゃあ誰がやったんですか?」

「それは分からない。私たちの混乱を狙ってあえてリヒターが手順を前後させた可能性もあるし、アティスマンに恨みを持ってた第三者がやって来たのかもしれない」

 

 そのとき、黙って話を聞いていたミリエラが口を開いた。

 

「第三者っていうのは無いと思うわ。迷宮で怪物に襲われたように偽装したいのなら、もっと楽なときを選べばいいだけだもの。今回は一緒にいるパーティの人数が多くてやりづらいし、しかも迷宮は浮遊魔法がないとまともに探索できないときてる。他にここに潜ってるパーティもないし、外部犯は無いと見ていいんじゃないかしら」

「となると、後はたまたま戦士と魔術師のアンデッドに遭遇したって可能性くらいですか。それでアティスマンさんがやられて、リヒターさんは慌てて逃げたとか」

「どうですかね。アティスマンさんが敵に気づかないとは思いませんが」

 

 技師は目端がきく。アティスマンなら敵をすぐ察知して逃げるなりリヒターに伝えるなりできたはずだ。

 

 どんなに話し合っても、謎は解けるどころか深まるばかりだった。

分かったことといえばアティスマン殺しの容疑者は今ここにいるメンバーと、姿をくらませたリヒターくらいしかいないということだけ。これ以上議論しても無駄だと思ったのか、ランドはうんざりした顔で話し合いを打ち切った。

 

「多少不可解な部分もあるが、少なくともこれをやった者は攻撃術師……つまりリヒターだろう。ヤツは浮遊魔法で階層を移動できないから、焦って追わなくてもいつか見つけられる」

 

 まあ順当に考えればそう考えるのが普通だ。しかしグレシアだけは納得いかないという表情を浮かべ、まだ考えていた。

「何か気になることが?」

「確かに炎は攻撃術師の仕業だけれど……そう考えてしまうことこそが犯人の思うつぼなんじゃないかって」

「もったいぶらずに言ってください」

「犯人は、魔術師じゃない……いや、本当は攻撃魔法が使えるけど、使えないフリをしている人間かもしれない」

 

 そう言われ、俺ははっとした。確かにそれなら説明がつく。

 

 外に出た二人を殺し、リヒターの死体はどこかに隠す。残ったアティスマンの死体を焼けば攻撃術師のリヒターが疑われ、表向き攻撃魔法の使えない人物は疑われない。

 

「イレーネの使う魔法は癒術系統で、攻撃とか付与とか別系統の魔法は使えないから除外、そしてずっと私と喋っていたアウグスト君も除外。残るのはランドとミリエラだ」

 

 だがそれが本当だったとして、ランドかミリエラはどうやって部屋を出たのだろう。二人をずっと見ていたわけではないが入り口は一つしかなく、その近くには俺とグレシアが座っていたのだ。

 

「犯人は瞬間移動の魔法でも使ったんですかね」

「少なくとも私はそんな魔法は聞いたことがないし、あったら死体回収人は廃業してるよ」

「ですよね」

「まあ方法が分からないのであれば動機から考える手もある。私の考えが正しいのであれば、犯人の動機はたぶんリヒターの持っていた『戦利品』の独り占めだろう。リヒターから奪った財物を何食わぬ顔で自分の荷物に入れている可能性は十分ある」

 

 確かにリヒターが持っていたはずの戦利品が見つかれば、それを持っていた者が犯人なのは一目瞭然だ。方法については後からいくらでも聞けばいい。

 

「なんでさっき言わなかったんですか」

 

 俺は今後の方針について話し合っている三人を尻目に聞くと、当然というようにグレシアは答えた。

 

「犯人がなりふり構わず逃げたら面倒だろ。とりあえず逃げ場のない部屋に戻ってから今の説明をして、ランドとミリエラの荷物をあらためさせてもらう方が確実だ」

「なるほど」

 

 相変わらず俺の思考の二手、三手先を行っている。この城に来たときは大丈夫かと心配していたが、杞憂だったらしい。

 

 俺がわずかな悔しさとともに安堵の息をついていると、「ところで」とミリエラがアティスマンの死体を指して言った。

 

「この死体はどうするわけ? 放っておくわけにもいかないでしょ」

「リヒターに会ったら頭部のありかも分かるかもしれん。グレシアさん、死体の運搬を頼めるかな」

「運搬料は一万ダリルです」

 

 グレシアの返答に、ランドは金取るのかよ、とでも言いたげな表情を浮かべた。しかしすぐにグレシアが彼に雇われているわけではないということを思い出したらしく、ため息をつくと一万ダリルの小切手を切って彼女に渡した。

 

「今すぐリヒターを追ってもいいが、あと少し解析したい文書がある。いったんさっきの部屋に戻ろう」

 

 ランドはアティスマンの死体をグレシアに預けると、そう言って歩き出した。他の面々も引き揚げ始め、俺も部屋に戻ろうとしたそのとき、背後でがたりと何かの動く音がした。

 

 振り向くと、床がわずかに持ち上げられ、その隙間から弩弓(クロスボウ)を向ける何者かの姿が見えた。

 

「矢だ!」

 

 風を切る音。俺がとっさにグレシアを突き飛ばすと、飛来した矢は彼女のいた空間を通り過ぎ、前を歩いていたイレーネの肩に命中した。

 

「いっ!」

 

 突然もんどりうったイレーネに驚いたらしく、ランドとミリエラが後ろを向く。俺は抜剣しながら叫んだ。

 

「奇襲です!」

 

 床を持ち上げた中からアンデッドが続々と這い上がってきて、合計で五体現れた。新しい冒険者の死体を亡霊が操っているらしく、剣や手斧など装備もまちまちだ。

 

(……見たことある顔だな)

 

 そのうち三人は、回収依頼に書かれていた顔だった。すでに亡霊に憑りつかれ、アンデッド化してしまっていたらしい。

 

 肉体を亡霊に乗っ取られた今、彼らを蘇生させることは不可能。俺は永遠に失われた三人の魂への憐憫の情とともに、剣を向けた。

 

「グレシアさん。結界をお願いします」

 

 だが、グレシアは尻もちをついたまま動かない。俺が横目で見ると、彼女は驚愕の表情を浮かべていた。その視線は、俺たちが回収しに来た三人ではなく、残った二人

 

──手斧と丸盾をもった戦士と、フード付きのローブをまとった魔術師に向けられている。

 

「どうしたんですか」

 

 グレシアはかすれた声でぶつぶつとつぶやいていた。

 

「嫌だ……嘘だ、嘘だ、嘘だ」

 

 通路の向こうで、敵の魔術師が杖を振り上げた。空中に無数のきらめく氷刃が現れ、俺は歯噛みした。氷刃魔法だ。とてもではないが、俺一人で全てを防ぐことはできない。

 

「グレシアさん!」

 

 俺が叫ぶと、グレシアははっと我に返り結界を張った。殺到してきた氷刃は結界に阻まれ、派手な破砕音とともに砕け散る。

 

 間に合った。俺は砕けた氷の破片がさらさらと音をたてて消えていくのを見ながら、安堵の息をつく。

 

「アウグストさん、前!」

 

 とそのとき、舞い散る氷の欠片を吹き飛ばし、手斧を振りかぶった戦士が現れた。魔法を受けきったとはいえグレシアの結界は残っている。ドワーフリザードのときのように攻撃が弾かれ、戦士が体勢を崩す姿が脳裏に浮かんだ。

 

 そのイメージが鮮烈だったためだろう。敵の戦士が結界を薄氷のように砕き、そのまま俺に全体重をかけたとんでもない威力の一撃を叩きこんできたその瞬間、何が起こったのかを理解するのが一拍遅れた。

 

 軽々と吹き飛ばされ、壁に叩きつけられてようやく俺は我に返った。

 

「……なんだ、こいつ」

 

 油断がなかったとは言わないが、グレシアの結界を叩き割り、そのうえで鎧を着ている俺を吹き飛ばすなど並大抵の膂力では不可能な芸当だ。相当名のある戦士ではないのだろうか。

 

 そう思って相手を観察し、俺は戦士の真っ白な肌や髪に気づいた。そして向かいにいる女魔術師の顔立ちが、グレシアに似ていることも。

 

「父さん、母さん」

 

 そしてグレシアのつぶやきで確信した。

 

 彼と向こうにたたずんでいるもう一人の女術師はグレシアの両親。金等級の冒険者のアンデッドなのだ。

 

 彼女の父──斧戦士は、傍で座り込んでいるグレシアを見下ろした。

 

「私だけ逃げてごめん。ごめん」

 

 グレシアは完全に戦意を喪失していた。涙を浮かべ、死体を操る亡霊に謝り続けている。

 

 だが、亡霊はそんな彼女を気に掛ける様子もなく、斧を振り上げた。

グレシアがやられる。

 

 俺は立ち上がり、斧を振り上げた戦士に体当たりした。不意をつかれ戦士が上体を泳がせたその隙に、彼女の手を掴んで引き寄せた。

 

「何やってんですか! 俺が放ってたら死んでましたよ!」

「……そうだね。放っておいてくれればよかったのに」

 

(駄目だ、あてにならない)

 

 そのとき、またもや氷刃の群れが一斉に襲いかかってきた。俺は鎧についていたマントを張って彼女をかばいながら、刃を叩き落とす。

 

「痛って!」

 

 だが、人一人をかばいながら全てを捌ききるのは不可能だった。弾きもらした魔法の刃が頬や腿をかすり、切り傷を作る。ミリエラの方はランドとイレーネをかばいながら捌いているので、よりひどい裂傷を負っていた。

 

「……アウグスト君! グレシアさんは結界を張らないのか!」

「割られるので張るだけ無駄です。逃げましょう」

 

 金等級のアンデッドが二体、銀等級が三体となると、まともに戦わない方が賢明だ。氷魔法による攻撃が終わると、俺たちは逃げ出した。

 

 だが、それでもアンデッドたちは執念深く追跡してくる。あちらはおそらく疲れないので、際限のない鬼ごっこをすれば、へたばって追いつかれるのはこちらだ。

ランドもそう思ったのか、走りながら指示を飛ばした。

 

「いったん二手に分かれよう。次の角を左に曲がったところに部屋があるから、死体回収組はそこに隠れておいてくれ。私たちは囮をやってから何とか撒く。後で合流しよう」

「……わかりました」

 

 この中で最も重要な人物はグレシアだ。彼女が死ねば、二階から一階へ浮遊魔法で移動できなくなり、調査隊全員が詰んでしまう。

 

 だからまずグレシアと彼女を守る俺を離脱させようとランドは考えたのだろう。問題は逃げている人間が二人減っていることに追っ手のアンデッドたちが気づくかもしれないということだが、どうせ逃げ続けていてもジリ貧なのだ。そこは気づかれないことに賭けるしかない。

 

 曲がり角を左に行くと、ランドの言う通り左手に扉が見えた。俺はグレシアの手を引き、ドアに半ば体当たりするような勢いで部屋に飛び込む。

 

 そして開けたドアの死角に入り、さっと閉める。その直後、何人もの人間が通路を走る音が外から聞こえてきた。

 

 俺が物音を立てないようにじっとしていると、調査隊を追う足音は俺たちのいる部屋を疑うそぶりすら見せず、次々と扉の前を通り過ぎていった。

 

(……気づかれてはないか)

 

 安心しかけたそのとき、最後に近づいてきた足音が俺たちの潜む部屋の前で止まった。

 

 何してるんだ。早く行けよ。

 

 そう念じたが、効果はなかった。きい、と音をたてて扉が開き、亡霊の発する冷気が肌を刺す。

 

 部屋の中を窺っている気配がした。

 

 開けられた扉の裏で、俺は呼吸音も聞かせまいと口を手で覆った。

 

 もし追っ手が部屋を詳しく調べようとしたら……いや、これ以上扉を開けてくるだけでも一発で見つかってしまう。

 

 頼むから、早く行ってくれ。

 

「……」

 

しばらくして扉は閉じ、足音は去って行った。

 

 足音が完全に聞こえなくなってから、俺は止めていた息を緊張ともに吐き出した。おそらく客観的には短い時間だったのだろうが、ものすごく長い時間、じっと縮こまっていたような気がした。

 

「ひとまずやりすごせましたね。まあ次はランドさんたちと合流しないといけませんけど……どうしましょう」

 

 隣にいるグレシアにそう訊くと、彼女はすとんと床に両ひざをついて座り込んだ。

 

 彼女も気が抜けたのかと思い、黙って見ていたが、どんなに待ってもグレシアはうつろな目でぼんやりと宙を見たままで、俺の問いに答えるそぶりさえ見せない。

 

「あの」

「放っておいてくれ」

「放っておいてって、そんなこと言ってる場合ですか」

「知らないよ。もう全部どうでもいい。どうでも……いいんだ」

 

 グレシアは完全に脱力していた。覇気は欠片もなく、まるで別人のようだっだ。

 

「どうでもよくはないですよ。ランドさんは、皆のことを考えて俺たちを離脱させたんです。俺たちも何ができるかを考えるべきでしょう。家族がああなっててつらい気持ちは、その……分かりますけど」

「今、分かるっていった?」

 

 グレシアは顔をあげた。銀瞳に暗い激怒が浮かんでいるのに気づき、俺は戸惑った。

 

「嘘をつくな。わかるわけない。私は八年前からずっと、一人で事務所を支えてきたんだ。君は豚の餌を食べたことがある? 回収料を受け取ろうとしたら依頼人に半殺しにされたことは? 雪原の民だからって、街中で石を投げられたことは?」

「ない……ですが」

「だろうね。君はこの地域出身で、貴族で、騎士だから」

 

 初めて彼女が露わにした激情に、俺は気圧された。

 

「金も実力もない私みたいな異民族の孤児の扱いなんて、ゴミ以下さ。味方なんていない。でも、父さんと母さんさえ戻ってくればひとりぼっちにはならずに済む。だから私はその可能性に賭けてたんだ。

 

 死に物狂いで迷宮に潜った。身を守るためにギルドと取引して、金等級の地位も買った。父さんと母さんが戻って来たとき、事務所が無かったら困るだろうから、事務所を守るために必死こいて金を稼いだ」

 

 グレシアが言葉を発するたび、冷徹で、強欲で、合理的で、底の知れない彼女のイメージがぼろぼろと崩れ落ちていくのを感じた。

最後に残ったのは、孤独と迫害におびえながら両親の生還を待ち続ける、普通の女の子だけ。

 

「ここまでやって、全部無駄だったんだ! その気持ちが君に分かるっていうのか!」

 

 血を吐くように叫ぶと、グレシアは俺の鎧を殴りつけた。かっと開かれた目から涙が溢れ、一筋の線となって頬を伝う。

 

「分かるかって……聞いてるだろぉ……」

 

 嗚咽をもらしながら鎧ごしに胸を叩いてくるグレシアを見下ろし、俺はどうにもやるせない気分になった。

 

 彼女は俺よりもずっと頭がいい。死体が見つからなかったとしても、両親がとっくに死んでいることは理屈として分かっていたと思う。

 

 それを認めたくなかったから、グレシアはひたすら金を稼いで二人の帰る場所を用意しようとした。そして帰ってくる者などいないという事実を知りたくなかったから、金等級の地位を剝奪するとギルド長に脅されるまで地下城に行きたがらなかったのだ。

 

 しかしグレシアの待ち焦がれる家族の魂はこの世には存在せず、死体だけが亡霊の操り人形として残っているということを彼女は知ってしまった。希望を打ち砕かれ、もうどこに力を入れて立てばいいのかわからないのだろう。

 

「……すみません。確かに、俺にはあなたの絶望を理解することはできません」

 

 俺はグレシアの人生の全てを見てきたわけではない。お互い必要だから手を組んでいるだけの、ただの仕事仲間だ。

 

 長年連れ添った夫婦同士でさえお互いを理解することは不可能なのだから、さっきの俺の発言は不遜だと罵られてもしかたないだろう。

 

 俺の返答を聞くと、グレシアは俺の胸に拳を打ちすえたまま、うなだれた。

 

「分かったならもういい。……私の荷物の中に丈夫なロープがある。手すりにうまいこと引っかかれば、一階へ上がれるはずだ。それを持っていきなよ」

 

 一応、魔力切れの場合を考慮して魔法無しで迷宮を脱出する手段は持っていたらしい。

 

「グレシアさんはどうするんですか」

「さっきも言っただろ。放っておいてくれ。案外、亡霊の仲間になれば、ここも悪くないかもしれないし」

 

 グレシアは顔を背けながら、人を食ったような軽口をたたく。だがその声色にはいつものような軽妙さは無かった。

 

 本気で死ぬつもりだ。

 

「駄目です。グレシアさんも来てください」

 

 気づくと、口をついてそんな言葉が出ていた。グレシアは、泣きはらした目で俺を見上げる。

 

「なんで?」

「俺はグレシアさんの護衛です。あなたを守る義務がある」

「それなら今、契約を破棄してあげるよ。違約金は……そうだな、事務所にある金目のものを取って行くといいさ。君の借金も一気に返せる」

「でも、それだと本当にグレシアさん本人が契約破棄したかの証拠が残りません。最悪、俺は雇い主を放って逃げた騎士だと思われるかも」

「さっきランドに貰った小切手の羊皮紙がある。裏紙に契約破棄の文章とサインを入れてあげよう。これで君にあらぬ嫌疑はかからない」

「ええっと」

 

 俺は言葉に詰まった。グレシアを連れて行く理由をどんなに考えても、片っ端から彼女に潰されてしまう。

 

(……そもそも、理屈のこね合いでグレシアさんに勝てるわけないか)

 

それを悟り、俺は体裁も建前もかなぐり捨てて彼女の右手を握った。

 

「立ってください」

「何のつもりだい? もう、私の生き死には君には関係のないことだ。どうして私を連れて行こうとする?」

「ごちゃごちゃうるさいですね。人の命を助けるのにいちいち理由なんていりますか」

 

 理屈を並べ立てようとするグレシアを真っすぐ見てそう言うと、彼女はぽかんと口をあけた。しかし、すぐに露悪的な笑みを浮かべると、鼻で笑いながら反論してくる。

 

「ふ、ふふ。それは君の自己満足だ。『可哀想な私』を救った気になって、いい気分になりたいだけだろ」

 

 この人は、どこまでひねくれているんだ。俺は少しむきになって言い返した。

 

「ええそうですよ。俺の勝手です。……でもそれに何の問題がありますか? 俺はさっき、あなたに契約を打ち切られた。だからあなたに指図される筋合いはないです」

「じゃあ契約だ。私に干渉するな! 見返りは事務所の全財産!」

「断ります」

 

 顔をあげたグレシアは、心の底から困惑しているようだった。

 

「わからない。なんで……今の条件を断るって……意味が分からない」

 

 俺を冷たく見積もりすぎてやしないか、と心の中で苦笑しながら、俺は答えた。

 

「……俺、格好いい騎士になる予定だったんですけど、いまだにグレシアさんみたいな守銭奴の手下に甘んじてますよね」

「誰が守銭奴だ。それで?」

「まあ、願いや望みはいつも叶うとは限らないってことで……だけど、グレシアさんと仕事するのは嫌いじゃないんです。そこそこ旨い飯が食べられるし、あなたといたら退屈はしない。生きてればいいことはあります」

「……君の場合は楽しくやれるって話だろ。私は違う」

「そうですか? 生きてる時間より死んでる時間の方がはるかに長いんですから、どうせなら生きてた方が得じゃないですか」

 

 グレシアはふっと鼻で笑った。

 

「生きてた方が得か……雑な説得だね」

「俺は学者とか聖職者みたいに高級な頭を持ってないんで、そういう感じでしか言えないんですよ」

 

 そう言って俺が手を引き寄せると、その勢いにつられ、グレシアも立ち上がった。

 

「生きる理由なんていくらでも変わります。理由ができるまでがきついって言うなら、俺が何とかしてあげます。ですから、ついてきてください」

「……」

「もし生きる理由が無いって言うなら、俺が考えましょうか。ええっと、そうですね……グレシアさんは可愛いから、死ぬともったいないとか」

 

 必死に言葉を重ねるうちに、自分でもだんだん何を言っているのか分からなくなってきた。懸命に彼女を励ます言葉を考えて目を白黒させていると、きゅっと唇の端を吊り上げ、グレシアは笑った。

 

「なにそれ」

 

彼女の頬に、少し赤みが戻っていた。

 

「もったいないか。はは、馬鹿みたい。馬鹿みたいだけど……そうか。ありがとう」

 

 グレシアはそうつぶやくと、きまりが悪そうに目をそらしながら口を開いた。

 

「分かった。分かったよ。一緒に行く」

「よかった」

 

 俺が手を離そうとすると、彼女は強く手を握り返してきた。

 

「待って」

「何ですか」

「少しだけ。少しだけでいいから、こうしていてくれ」

「……ええ、待ちますよ」

 

 俺はうなずくと、ぽんと彼女の肩に手を置いた。

 

「今まで一人で、よく頑張ってきましたね」

 

 彼女は少し肩を震わせたが、そうしている間、絶対に顔は上げなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「さてと、これからどうするか考えようか」

 

 昂った気持ちを静め、立ち上がったグレシアの声には、いつも通りのしたたかさが

備わっていた。頼りがいのある彼女が戻ってきたような気がして俺が思わず口元を緩めると、グレシアは目を丸くして俺の方を見返した。

 

「どうしたんだい?」

「何でもないです。……それでこれからですが、とりあえず他のメンバーとの合流を目指すってことでいいんじゃないですかね」

 

 そう言うと、グレシアは首を振った。

 

「簡単に合流って言っても、皆がどこへ行ったかは分からないだろ。向こうは私たちがここにいると思ってるだろうし、下手に動くと入れ違いになる可能性がある」

「じゃあ、ここでじっと待ちますか」

「そうすべきだろうね。いつまで待てばいいか分からないし、アンデッドたちに居場所を勘づかれたときに逃げ場がなさそうなのが少し心配だけど」

 

 グレシアは入り口の扉に目をやってから、「そういえば」と何かを思い出したかのようにつぶやいた。

 

「あの襲撃のとき、アンデッドたちって下から出て来てたよね」

「ええ。あんなところに潜んでたなんて気づいてませんでした」

 

 床……ではなく天井板をずらす音に気づかなかったら、完全な奇襲を受けることになっていた。たまたま気づいたからよかったものの、あの強さのアンデッドたちにそれを許せば、全滅もありえたかもしれない。

俺が身震いしていると、グレシアは突然右足を床に振り下ろし、どんと音を立てた。耳に手を当てて音を聞き、もう数回床を蹴る。

 

「……やっぱり、私たちの立ってるこの『天井』、裏に空間がある」

「そりゃ二階の下に三階があるんだから当たり前でしょう」

「いいや。この城の本館三階は中央本館と尖塔だけだ。天井裏がある」

 

 グレシアはそう言うと、床に目を走らせた。そして彼女がしゃがみ込んで床のほこりを手で払うと、細い溝が浮き出てきた。

 

「これは何です?」

「たぶん釣り天井だ。ランドのおとぎ話に出て来てただろ」

「ああ……アレですか」

 

 魔術師クーレホルンを殺しそこねた罠。おそらくアンデッドたちはこれを活用して俺たちを奇襲してきたのだ。

 

 しかし、グレシアはなぜそんな古代の罠を気にしているのだろう。

 

「……アウグスト君、ちょっとその辺りの壁を探ってくれ。釣り天井を作動させるためのスイッチがあるはずだ」

 

 俺はしばらく部屋の壁を調べていたが、やがて壁を覆う煉瓦の一部に押すと軽く引っ込む部分があることに気づき、彼女を呼んだ。

 

「思いっきり押してみてくれ」

 

 グレシアの指示通り、力いっぱいに押すと背後で金具のはずれるような音と、何かの落ちる音がした。振り返ると、床が正方形に切り取られ、ぽっかりと開いていた。

 

 俺とグレシアがその穴を覗き込むと、下の暗がりの中に消えた「釣り天井」があった。

 

「天井を固定する金具みたいなのがあって、スイッチでそれを外す仕組みらしいね。この城が逆さまになる前は部屋の中に降ってきて下にいる者を潰してたんだ」

「はあ。それでこの罠をどうするんですか」

「天井裏に入ってみる。ひょっとすると、アティスマン殺しの謎が解けるかもしれない」

「……仲間との合流はどうします?」

「この穴をそのままにしておけばわかるだろ。どうせ私たちもここに戻って来るんだし、とりあえず入ってみよう」

 

 俺とグレシアが浮遊魔法で「天井裏」に降り立つと、少し埃っぽい匂いが漂っていた。朽ちかけた木組みがあちこちにあり、流れた年月を感じさせる。通路はやや狭く、身長のある俺が普通に歩けば頭をぶつけてしまいそうだった。

 

 身をかがめながらグレシアについて行くと、彼女はぴたりと止まって顔を上げた。つられて俺も見上げるとそこも釣り天井になっているらしく、四隅に滑車や金具のついた何やら複雑そうな仕掛けがあった。

 

「ここを開けてみよう。金具を壊してくれ」

 

 金具は長い時を経て劣化していたのか、剣の柄で殴りつけると簡単に壊れた。

三つ目を壊した時点で天井が落ちかけ少しひやりとしたが、その前にグレシアが浮遊魔法で止めてくれたので、久しぶりの釣り天井の犠牲者にはならずにすんだ。

 

「……あれ、開かない」

 

 グレシアはそのまま浮遊魔法で天井を持ち上げようとしているようだが、なぜかうまくいかないようだった。

 

「上で何かつっかえてるんじゃないですか」

「じゃあ魔法の出力を上げてみるか」

 

 彼女がそう言った瞬間、上で大きな音がして天井が吹っ飛んだ。

 俺たちが上へ出てみると、大きな本棚が転がっていた。どうやらこの本棚が上にあったせいで持ち上がらなかったらしい。

 

 納得しながら見回し、この部屋に見覚えがあることに気づいた。

 

「ここ、俺たちが休憩してた場所じゃないですか」

 

 部屋の中央には焚き火の跡が残っており、アティスマン殺害の際はグレシアを除き全員が荷物を取って出なかったので、それがそっくりそのまま置いてあった。

 

 俺は自分の荷物を背負い、彼女に聞いた。

 

「他の人の分の荷物も回収しときます?」

「合流してからにしよう。余計に荷物をもつ体力が無駄だよ。それよりやっぱりこの部屋、というか二階の部屋全部がこの釣り天井を通して繋がってるんだ」

「みたいですねえ」

「きっと八年前も、この仕掛けを使ったんだろうな」

「八年前って……例の?」

 

 俺はグレシアの精神がまた不安定になりはしないかと少しひやひやしながら聞き返したが、考えすぎだったらしく彼女はあっさりとうなずいた。

 

「ああ。私の両親と、同行者がアンデッドに殺害されたこと。あのとき見張りをしていたのはマティアスという男で、彼は入り口をみはっていた。でも……この仕掛けで部屋に侵入されることは考えていなかった」

「辻褄は合いますね」

 

 寝静まったノードレット家。寝ずの番に残された同行者のマティアスは、入り口の方にばかり目をやっている。

 そのとき背後で床が持ち上がり、隠し通路からアンデッドが現れた。

 

 予想だにしない場所から現れた怪物。マティアスは警告の声を上げる間もなく殺され、グレシア以外の全員が目覚める前に殺害された……。

 

 想像してみたが、不自然なところはない。十分あり得る話だ。

 

「となると俺たちは運が良かったのかもしれませんね。本棚があったおかげで簡単にアンデッドが侵入できなかったってことですから」

 

 今回は皆起きていたのでノードレット家のように壊滅するとは思えないが、それでも小さくない被害が出ていただろう。

 

 俺がそう考えていると、グレシアは首を振った。

 

「……アウグスト君。敵は何も外から来るとは限らない。八年前はおそらく『侵入』に使われたんだと思うけど、今回は、『脱出』に使われた可能性がある」

 

 そう言われ、俺はリヒターではない他の仲間がひっそりと部屋を抜け出し、アティスマンを殺したかもしれないという彼女の話を思い出した。あのとき容疑者として挙がっていたのはランドとミリエラで、この二人ならリヒターが下手人であるかのように偽装する理由があるということだった。

 

 この仮説には犯人が気づかれないように部屋から出る方法がないという物理的な問題点があったが、天井裏通路が使えるのであればその疑問は霧消する。

 

「でも、さっきの時点で本棚が抜け道の上にあって邪魔をしてたんですよ。抜け道として使えますかね」

 

 そう訊くと、グレシアは本棚の方を見ながら答えた。

 

「確かに本棚がまるまる釣り天井の上に置いてあったらそのまま落ちてしまうけど、おそらく棚の一部だけが乗ってる状態だったんだろうね。それなら釣り天井を落としても問題ないし、落とした後に何かをつっかえさせておけば、上がってくるときも少し天井を引いてやるだけで戻れる」

 

 つまり、部屋の中から出入りする分には問題ないということか。

 

「後はミリエラとランドのどちらが犯人かって話ですけど、ここまで来ればさすがにランドでしょうか」

 

 まずこの地下城をしっかり調べていなければ、地下通路を見つけられるとは思えない。学者であるランド以外のメンバーはこの地下城のことをたいして調べていなかっただろうし、この釣り天井の仕掛けの近くに陣取っていたのが他ならぬ彼だ。

 

 俺の推理はなぜか毎回うまくいかないが、これについては間違いはないだろう。

 

「まだ確証はないけどね……ちょっと失礼して、皆の荷物を漁ってみよう」

 

 今の話が正しければ、ランドの荷物にリヒターの持っていた戦利品があるということだろう。

 

 しかしグレシアは全員の荷物を改めると、すぐに両手を挙げた。

 

「特に証拠らしいものはないね」

「えっ、じゃあ外れですか」

 

 そう言うと、グレシアはまたかぶりを振った。

 

「単に見える証拠は出なかったってだけさ。それにランドが犯人なら、そもそも私が暫定的に決めてた殺人の動機が違うということもありえる」

 

 確かに「リヒターの持っていた財物を独り占めする」以外にも、ランドがリヒターとアティスマンのどちらか、もしくは両方に恨みがあったという線もある。

 

 二人に恨みをもっていたランドが、実質的に法の力が及ばない迷宮を現場に選んで調査隊員に指名し、地下通路を利用して自分を容疑者から外しつつ二人を殺害したというシナリオも十分に考えられるのだ。

 

「そもそも、この仮説を立てようと思った発端は、首切りの順序の違和感だけなんだ。明確な証拠がない以上、確実とはいえない」

「結局、何も分からないままってことですか」

「釣り天井が隠し通路の入り口になってる発見はそれなりに大きいと思うけどね」

 

 そう言うとこの部屋での調べものは終わったとばかりに、グレシアは秘密の通路の四角い入り口に腰かけた。

 

「あとは……もう少しこの通路を調べてみたいな。ノードレット家が回収に来たときの探索では、この天井裏については存在すら分かってなかったし」

 

 そうして俺たちは、この秘密の通路を調べることにした。通路は二階の全ての部屋に通じているらしく、例の釣り天井をいくつも見つけた。

 

「これだけ城の中に罠があるって言うのも妙ですね」

「城の外だけじゃなくて中にも敵が多かったのかな。……いや、それでも全部の部屋に釣り天井の仕掛けを作るなんて馬鹿な真似をするはずはないか。ひょっとすると罠として作られただけじゃなくて、国王が緊急脱出するための通路も兼ねてたのかもね」

 

 俺とグレシアは言葉を交わしながら、通路の探索を続けた。

アンデッドと遭遇するのではないかと思って少し身構えながら前を歩いていると、ぼんやりと金色に光るものが奥の暗がりに見えた。

 

「止まってください」

 

 俺は立ち止まり、後ろを歩いているグレシアを手で制した。

ゆっくりと近づくと、そこには屋根裏には似つかわしくない高価そうな木製の扉があった。光って見えたのは、金色のドアノブだったのだ。

 

「なんだ、ただのドアか……」

 

 俺がほっとしていると、グレシアは「いや」と言って前に出てきた。

 

「ただのドアじゃない。逆さまになってない」

 

 そう言われて見ると、確かにそのドアは他の城内の扉と違い、真っすぐ立っていた。

 

「逆さまに立ってないってことは、どういうことです?」

「城がひっくり返った後……つまり、アンデッドが城内に溢れたその頃に、誰かに新しく作られた部屋である可能性が高い」

 

 その言葉の意味するところを察し、俺は息をのんだ。

 

「つまり……おとぎ話の魔法使い、クーレホルンの部屋だ」

 

 

 

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