「残念ながら野暮用でね」
仮面の下で満面に笑ったアゼムは到底残念がっているように見えなかった。
何かろくでもないことを企んでいる予感がしてエメトセルクは胡乱な目を向ける。
「うん? 僕がいないと淋しいわけ?」
阿呆なことを言ってにたりと笑うその心中はまったく読めない。しかしこの人物に限っては読めないからこそたちが悪い。
「『仕事』と言わない時のお前が信用できないだけだ」
あははっとアゼムは笑った。エメトセルクの眉間の皺が深くなる。
「僕の仕事ぶりを評価してくれてありがとう」
「それがなければお前などとっくに解任されてる」
「あっはっは。僕はまだ還るわけにはいかないなあ」
エメトセルクは頭をよぎる諸々を努めて拾わずに流していく。アゼムとの会話には毎度突っ込み所しかないのだから、いちいち構っていられない。
「まあまあ。用事があるなら仕方ないよ。アゼムはまた今度、ね」
穏やかに微笑んでそう言ったヒュトロダエウスだったが、その用事とやらが怪しすぎるだろうがと、エメトセルクは彼へと移した視線に少しの圧を込めた。
しかしヒュトロダエウスは何でもなさそうに微笑んだまま、「ん?」とかすかに首をかしげるのみ。
「お前がそうやって野放しにするからいつも面倒なことになるんだ」
「エメトセルクだって遊びに行くわけじゃないんだから、もしかしたらアゼムは退屈するかもしれないじゃない?」
それこそキミの言う『野放し』になるでしょう?
という声が聞こえてきそうな視線を向けられ、エメトセルクはお手上げな様子で肩をすくめ、溜め息をついた。問題はそうではない。しかしもう面倒臭い。
「そういえば、アゼムはエルピスに行ったこと自体はあるのかい?」
「うん。観察者には何人か友達もいるし、たまに遊びに行ってる」
旅人アゼムの『たまに』は下手したら十年以上間が空く。果たして相手は『あのアゼムの友達』だと認識してくれているのだろうか。ただ、アゼムはあっという間に誰とでも打ち解けてしまう人間だから、そういう気の長い友人関係もあるのかもしれない。
「じゃあ今更行く必要もないな」
「いやいや、きみたちとこそ一緒に行ってみたい。すごく楽しくなる予想がある」
「フフッ、それは光栄だ。その時はお友達も紹介してね」
「もちろんさ」
エメトセルクはげんなりとしすぎて、もう『用事』とやらを聞き出すのは諦めることにした。そしてあまり完遂されたことのない『これで何かあったところで私はかかわらない』という決意を固める。
「じゃあ、僕は約束があるからこれで失礼するよ。二人ともしっかり楽しんでおいでね」
「我々は仕事をしに行くんだが?」
「だからこそさ。良い所をきちんと見て来なければね」
人差し指を立てて得意そうに言うアゼムはウィンクでもしているのだろう。
エメトセルクは再び溜め息をつく。
アゼムは言葉としては間違ったことを言っていない。しかし日頃の行いのせいで言動が全て胡散臭く見えてしまう。
「我々もそろそろ行く。じゃあな」
「うん。また」
背を向けひらひらと片手を振りながら、エメトセルクは歩き出す。そんなふうだから見えはしないだろうが、アゼムは彼に向けて顔の辺りで小さく手を振った。
そんなエメトセルクの後に続くヒュトロダエウスとも小さく手を振り合って、そして二人と一人は別の道を歩き始める。
表面的にはただのほほんとしていながら、アゼムは焦っていた。
それを誤魔化すかのようにゆったりと伸びをする。内心でとりとめなく現状を憂いながら歩いていると、気づけば目的地は目前だった。
約束の相手は既にそこにいた。
「やあ、エリディブス。待たせたかな」
「そんなに待ってない。さて、どこに行こうか」
穏やかに笑うエリディブスの雰囲気に、アゼムはささくれ立っていた心が少し癒された気がした。
「味気なくて申し訳ないけれど、僕の家あたりでどうかな」
人に聞かれていい話ではないのだから。
「ああ、いいね。個人的にはとても面白い空間なんだけれど?」
「はは、エリディブスは優しいから」
「ええ? 本当だよ?」
「どこかの誰かなんて初めの頃は招くたびに説教を始めたよ」
ため息交じりにそう言ったアゼムは、しかしどこか楽しげに見えた。
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官庁街などの中心部から遠く離れた住宅街。その奥まった行き止まりの小さな家がアゼムの住まいだった。
完璧で完全な物質で構築されているのは中心部と変わらないが、よく見ればそれとなく『個』が見て取れる。その点であの人に説教されたのかもしれない。
集合住宅でないのも最早こうした外れでなければ珍しい。そして小さな前庭を彩るのは可憐な淡い色彩の花々──本来は既に絶滅していたはずの種々である。家を空けがちなアゼムの代わりにこれらの世話をしているのはお手製の魔法人形たちらしい。
「ふふ。いつ来ても変わらないね、ここは」
「……そういえば何年ぶりだろう? ……だめだ覚えてない」
肩をすくめるアゼムに、エリディブスは再度小さく笑った。
「たったの二年と少しだよ」
「よく覚えてたね」
「それはそうさ。君の帰りはいつも待ち遠しい。そう思っているのは私だけじゃないんだよ?」
だけど、と、エリディブスは音に乗せずにアゼムに言う。
話によっては、手放しで喜べなさそうだけれどね。
遣る瀬無さそうな苦笑を浮かべるエリディブスに、ふっと瞑目して小さく嘆息することで答え、アゼムは彼を自宅に招き入れる。
「……楽にしてくれ。ただでさえ楽しくない話をしなきゃならないんだ」
茶化すような声音でそう言いながら、煩わしそうにフードと仮面を外しながらアゼムが言う。どうもそれらがあまり好きではないらしい。
エリディブスと対照的な濡れ羽色の直毛が、後ろで無造作にひとくくりにされていた。長さに関してだけが今は近い。
アゼムの瞳の色は右がエリディブスとよく似た薄青で、左が淡い黄色をしている。楽しくない話と言っているだけあってか、常と違って多少目蓋が重そうに見えた。
アゼムが『楽』だと言って素顔を晒してくれるのが嬉しいから、エリディブスは「ああ」と頷いて自身も仮面とフードを外す。そして改めて、顔の周りに遮蔽物がないというのは、確かに相手次第では『楽』なのだろうと認識するのだった。
これまでにエリディブスが招かれた時と変わらず地下のダイニングスペースに無言で誘われ、好きに座れと言われる前に彼は一番近かった椅子に腰を下ろす。毎回言われるために、相手がアゼムであればそうしたほうが良いと認識している。その様子にふっとアゼムが微笑んだ気がした。
そこに、ケット・シーのような姿をした魔法人形たちが茶や菓子を運んでくる。
「本当は自分で作りたかったんだけど、少し余裕がなくてね。すまない」
「構わないで。……そっか。じゃあ、単刀直入に聞くよ。君は何故、パンデモニウムに関しては議題にするなと言ってきたんだい?」
アゼムの口から『余裕がない』なんて言葉を聞いたのは初めてだった。
「……『星』を見つけたのさ」
「『星』?」
「あそこに挑むにはその『星』が不可欠だ」
「挑む?」
「ああ。僕が
アゼムにとって第一に面白くないのはそこだった。周りに黙って突っ走ることは数あれど、彼ら相手にバレないよう立ち回るのはとても面倒だ。
「どうして? その言いかたなら君が解決に当たってくれそうに聞こえるけれど……いや、ラハブレア院の直轄施設だから、かな」
「ああ。まず僕の出る幕は無い」
「しかし、施設周辺に異様なエーテルを感知、同時に内部との通信が途絶、これにどう対処するかを議題に上げないでおくのはなかなか不自然だ。責任者は委員会メンバーのひとりだからね。せめてどこに対処を任せるかくらいは話し合わなければいけない」
直轄施設とはいえエルピスなど他の施設との関りもあり、そして獄卒はラハブレア院所属の者ばかりではないという。院の独断で処理するとなると公平性を欠く懸念が浮上する。だからラハブレアが議会で触れるくらいはなされなければならない。エリディブスとしては、その上で問題解決のエキスパートであるアゼムに任せてはどうかと声をあげるのはやぶさかではなかった。
「ラハブレアのことだから、もしこの星にとって危険と判断したなら調査なんかする前に施設ごと廃棄するだろうさ」
もとが自然の中に放つべきではないとされた創造生物に関する施設である。そこに異変となれば、まずそれらが脱走してしまう可能性が挙がる。
もし廃棄に巻き込まれる獄卒たちがいれば憐れとはいえ、ラハブレアのみならず、他の委員会メンバーにも星そのものには代えられないと判断する者がいても何もおかしくはない。
「うーん……それも手段の一つではあるね」
「だから、その危険かどうかを調べるって段階がほしいのさ。議題にするのはそのあとがいい」
「なるほどね。……ふふ、だからこんな、
まだその時ではないから仕事としての話にしない。屁理屈のようなものだが、案外大事なことではあるのだろう。
「ただ……少々拙いことになった。先程エメトセルクと創造物管理局局長がエルピスに向かった」
「……ああ、そうか。ファダニエルの件だね」
「タイミングが酷すぎる。ラハブレアが彼らを牽制として利用した可能性を疑ってしまうよ」
「もとはファダニエルの意向だからね、ただの偶然さ。そもそも、我々が動こうとしているなんてラハブレアは知らないだろうし」
「我々、か……」
アゼムは少し迷ったような素振りを見せる。そして。
「エリディブス、もし君が良ければ、なんだけれど」
珍しく遠慮がちに、小さく息をついてから口を開く。
「『テミス』として調査に向かってくれないか? 僕まで行くとただでさえ顔を知っている人間が結構いる上に、『十四人委員会』として向かってるエメトセルクたちに見つからない自信がない」
ふふっとエリディブスは笑う。この出先で自力解決ばかりする友人が頼ってくれるのは素直に嬉しいことだった。
「ああ、そうさせてもらうよ。調停者としても意味のある調査だと思うからね」
「ありがとう」
少し眉尻を下げて笑うアゼムが珍しくて、エリディブスは興味深さに微笑む目を細めた。
「実は『星』が今どこにいるかははっきり掴めていないんだ。初めはおぼろげすぎて気のせいかと思っていたくらいでね。ただ、今は少しはっきりしてきてる。『星』はきっとエルピスに現れる。むしろもういるのかもしれない。……君にそんな曖昧な情報で、『星』との邂逅を待ってもらうことになってしまうんだけれど……」
もしかしたら本来繋がることのなかった世界。そこからの来訪者。
「あの『星』は希望なんだ。僕らとは違う存在だからこそ解決を引き寄せる。エルピスで待っていれば、必ず巡り合えるはずだ」
そう言って笑うアゼムはどこか楽しげだった。
「なんだか不思議な話だけれど……君はその『星』の解決を信じているんだね」
パンデモニウムで何が起きているのかを、アゼムはある程度察知……あるいは予想しているのかもしれない。
「ああ。それに、どうも僕と同じ権能を持っているらしい。本当は直接会ってみたいくらいさ」
エリディブスは目を丸くした。
その術は君が自ら生み出したものだろう? どうして君が直接関わったことのない使い手がいる?
その疑問をエリディブスは飲み込む。アゼムは『僕らとは違う存在』だと言った。もしかしたら同じ結果をもたらしはすれど異なる術なのかもしれない。ただ、そうと判じるには『同じ権能』と言い切っているわけだが。
しかしそんなことはいたずらに深追いするものではないのだろう。『はっきりしてきた』と言うからにはつまり、アゼムはその『星』についてのすべてを知っているわけではない。
「けれど今回僕はパンデモニウムに直接行ける巡り合わせにないらしい」
第二に面白くないのはそこだ。現地に居られないなんてアゼムにとってはつまらないにも程がある。
けれどその『星』に直接会うわけにはいかない。
……お互い、変えてしまいかねない。
「現地以外でできることは何でもやるから、些細な事でも気兼ねせずに言ってくれたら嬉しい」
「承知した」
エリディブスがしっかりと頷いた時だった。
「……っ」
アゼムの眉間に皺が寄る。そのあたりを指の背で軽く抑え小さく俯く姿に、エリディブスは思わず腰を浮かせた。
「アゼム……!?」
「……いや、少し『星』についてがより『視えた』だけだよ。どうも二、三日……いや、五日、空けたくらいがその時になりそうだ。場所は……エーテルの巡る場所……いやレーテー海じゃないな、それを眺めていられる汐沫の庭だろう。これで君にあまり待ちぼうけさせずにすみそうだ」
ふるりと小さく首を振って、ふわりと笑ったアゼムに、エリディブスも安心して微笑んだ。
「本当に、稀有なる術だ」
眩しいものでも見るように目を細めるエリディブスに、アゼムはどこか困ったような笑みを浮かべた。
「エリディブスは本当に真っ直ぐだな。調子に乗ってしまいそうだ」
「ふふふ、君は誇ってしかるべきだと思っているよ」
「まったく……」
だが苦笑するアゼムの内心は、あまり穏やかではなかった。実のところ『視た』のは術によるものではない。
(……まあ、そういうことだよな。『星』にとってこの時代は『
アゼムの過去視は稀に意図せず発動する。そしてこれは恐らく、共鳴でもある。
(次第にしか視えてこないのは……多分、『過去』と『未来』の繋がりが不安定だから、だ)
すべてを把握できたわけではない、どころか、ほぼ分かっていない。しかしそれでも。
(……僕はもっと、君たちとバカをやっていたいんだ)
今までだって数千回、数万回と繰り返してきた。だけどそれでは足りない。まだアゼムたちより背の低いエリディブスとだって、同じくらい賑やかに過ごしてみたい。彼はそのうちアゼムより背が高くなる、きっとそうだろう?
(僕は僕なりに、足掻いてみせるさ)
独りで勝手にそう決めて、アゼムは内にしまい込んだ。