「自分が関われないのに居座るわけにはいかないだろう?」
からりとした声音。
のんびりと執務室の私物を片付けながら『困った旧友』は言った。
「やはり、膨大な人命を捧げることが気に食わないか」
「……そうだね、僕にはそう呼びかけられない」
エメトセルクのまとう雰囲気が少し重くなった気がして、アゼムは苦笑する。
「でもそれ以外に有効な手立てがないのは分かってる。だから、これは単に僕のこだわり。みんなの決意を否定したいわけじゃない」
ならば、何故。
何故、委員会の座までもを退く必要がある。
「反対だろうと立派な主張だ。それを認めない狭量などいない。……お前が一番分かってるだろう」
突飛なことばかりするアゼムがその座に在り続けたことは、ある意味その証左ともいえる。
「うん。だからそれは理由じゃない」
本当は、自身が輪廻の外に居るわけにはいかないからだ。だからアゼムは未来永劫己の魂をゾディアークに捧げることができない。創造の時にも、世界再生の時にも、
……だから、自身が関われもしないのに他人に命を捧げてほしいだなんて言えない。この星をそう導く委員会には居られない。
「言ったろう? 僕のほうの問題だ。反対といっても別の提案があるわけじゃない。なんとなくで支持しないんだ。そんな心構えじゃ委員会には居られない。好き勝手ばかりしてきた僕でも、さすがにね」
ゾディアークのもたらす世界をある意味否定し、ハイデリンが別つ先に未来を求めるのは、アゼムにとっては委員会への裏切りにも思えた。
加えて、離反しなければ万一分断が起こったのち、この魂を継ぐ者がアシエンへと『教育』される可能性が出てくる。この未曾有の混乱の中次代アゼムを見つける余裕などあるはずもないからだ。
本当はそんなことが理由だった。
……けれど、言えない。
こうなるまでに終焉の謳への対抗策を喚び寄せられなかったアゼムに、彼らの今を否定するようなことはできない。
「……今更だろうが」
アゼムの口元は相変わらずにこりと笑っていた。しかし付き合いの長いエメトセルクは、仮面の下では眉尻が下がっているだろうことを読み取ってしまう。
……いつも。
いつも、お前は。
「お前という変わり者くらいは理由なく命を惜しんだっていいだろうが……っ!」
「……!?」
アゼムはエメトセルクが何を言ったのか一瞬理解できなかった。
今、彼は自分に何を言った?
誇りを持って捧げられる命を惜しむ? 『
がしりと肩を掴まれてアゼムは動揺する。
「そうやって悔しがってるのを座に在ってはっきり示せ! これは当然の役割だと笑って命を差し出す奴らに少しは思い知らせろ!」
それは当初のアログリフや決定後のエリディブスしかり、ヒュトロダエウスしかり……もしかしたらのちのヴェーネスしかり。
それにおそらくもう一人のあの悪友は、魂を捧げる意志を周りに明かしはすまい。きっとギリギリになって笑顔で背を向けるのだ。
……ああ。
我々は本当に、君に心労を与えるばかりだな。
「……それは僕の役割じゃない」
「……!」
ごめんなさい、優しいハーデス。
本当は、表立ってそれを示せない君を責めようなんて思わない。
恐らく『道』はハイデリンが生み出され、その先で滅びの謳を退ける未来に繋がった。死んでいたはずのあの『星』がアゼムに視えたのもそのためだろう。つまりアゼムが終末のさなかに死して分かたれることは確定している。
……ああ、嫌だ。
この人たちに会えなくなるのは嫌だなあ。
はるか未来で同じ魂が君たちに出会えるのだとしても、もう自分は一緒に居られない、なんて、なんだそれ。悲劇の人とかそういうのはてんで似合わないだろう?
「僕は僕で、きちんと役割を果たすよ。……でも少し気が変わった。その前にエゴを振りかざしてくる」
「……は?」
「僕は君の友人だ。それだけは魂に誓える。……世界やこの身がどうなろうとも、僕は君の……君たちの、友人だ」
「……」
常ならば訳のわからないことをと眉をひそめただけだったろう。しかしエメトセルクは嫌な予感がする。
「……何を隠している」
いつも。お前は本当に。
「ヒントは『
ねえ、少しは抗ったっていいだろう?
あの『星』だって死なない道を手繰り寄せたんだ。僕が君たちの悲痛を跳ね除けたいと願ったって構わないだろう?
その『花』は君が独り歩く未来なら道を示すだろう。君がみんなで歩める未来なら、共に探しに行こう。
「今の僕に言えるのは、それだけだ」
「……きちんと話せ」
「僕にできることじゃない」
「……ッお前!!」
私物はまだ少しだけ残っていたが、アゼムはこれ以上追及されたくなかった。アゼムを心配しているからこそ怒っているエメトセルクをこれ以上見ていられなかった。
己の執務室だった部屋を足早に去ろうとすると、エメトセルクも絶対に逃すまいという様子で追いかけてきて、腕まで強く掴まれる。
どうしても逃げ出したかったアゼムは、彼が交感していないであろう地のエーテライトに転移した。きっとこれで、簡単には追って来られない。
執務室はまだ多少散らかっているからきちんと片付けたかったけれど、大したものは置いていないから、申し訳ないけど誰かが片づけてくれることを期待しよう。
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世界が壊れていく。それでもアゼムは皆がきちんと救うことを信じていた。信じられた。
未来を垣間見たからではない。皆の想いと実力があればこそ、だ。
アゼムは皆とは居られないなりに人々を『終末』の獣や崩壊から守るために奔走する。手の届く範囲だけでも動いていたかった。単なる偽善に思えても、それでも。
そして。
人々は『終末』をなんとか凌ぎきった。
問題は、そのあとだった。
ゾディアークが世界を救い、再生し、守り続ける現在。
ヴェーネスの同志からの誘いがアゼムに届く。
ああ、やはりあの人たちはハイデリンを創るつもりなのだ。
誘いを断ったアゼムは、しかしそのうえで師のもとに向かった。
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ゾディアークが星を再生したとはいえ、表面上はどこもかしこも荒野か瓦礫の山だった。ここからまた命が生きていくためのエーテルが
アゼム──だった者だが──はあたり一面崩れかけた首都を歩いて、アニドラス・アナムネーシスに足を運ぶ。
その建物はまだ比較的原形をとどめているほうだった。
「……あら、アゼム。もしかして気が変わったのかしら?」
「僕はもうアゼムじゃない」
「まあ」
ここには師匠しかいないらしい。きっと捧げられる人々は準備を終えていて、あとは召喚術式を完成させるだけなのだろう。
穏やかな表情で振り返ったヴェーネスに対して、弟子の表情は硬い。
「……あなたがハイデリンを創る目的は何」
「ゾディアークは現状残っている生命に対して存在が強大すぎます。枷がなければいけないわ」
「それはもっともらしくでっちあげたものでしょう」
「……あらあら。どうしてそう思うの?」
「ゾディアークは純粋に『世界を救いたい』という想いからできている。どれだけ強大だろうと星にとって悪いことを為しはしない」
「核のはずのエリディブスがこぼれ落ちてしまったのだから、何が起こるか分からないのが現状よ」
「……それは不確定要素だったはずだ。あれからすぐに召喚の準備が整ったわけはない」
「もしもの準備はどんなことであれしておくものです。星そのものに関わることなのだから、なおさらに」
「……」
ああやっぱりこの人には口では敵わないんだろうなと、弟子は小さくため息をついた。
「……ヒュペルボレア造物院」
「……!」
「僕はあそこで起きたことは知らない。だけど、この終末現象についてなんとなく想像していることがある」
未来からの『星』は
そして恐らくこの『終末』をもたらしているのはメーティオン。そんな彼女に何らかの干渉ができるとしたらあの者のようなエーテルの薄い存在だけなのだろう。
「……一時的だろうとゾディアークは終末現象からこの星を救ってみせた。このモラトリアムに
穏やかだったヴェーネスの表情が硬くなってしまった。それでも弟子は言い募る。
「あの子と話せるくらいのエンテレケイアを創ることができれば、対抗できるかもしれない」
「……あの子を納得させられるだけの『生きる理由』を用意するのは、我々には難しい」
だからこそ、メーティオンは『最果て』へと旅立ってしまったのだから。
「そうとは、限らない」
ヴェーネスの表情が少し和らいだ。弟子は先を話すことを促してもらえているような気がした。
「この終末を経たことで人々の意識はきっと少なからず変わっている。それでももしかしたら今はまだ、『いつか終わる苦しみ』に打ち克てるほどの『生きようとする意志』を示せてはいないかもしれないが、これからの弁論次第で希望が生まれないとは言えない。……弁論のテーマは、僕やあなたが出し続ければいい」
旅人である我々は、この星の生命が生きている歓びをたくさん知っているのだから。
「……少なくとも僕は、問題が山積みであろうと、はるか未来で成長した太陽に呑まれて滅びる運命であろうと、それから逃れたところで宇宙のすべてがいつか凍り付こうと、こんな星今すぐ終わってしまえなんて、ちっとも思えなかった」
人の生命は長すぎて、山積みと言うよりも塵積もかもしれなかったが。
その問題を解決してきたのがアゼムの座。役目にあって絶望したことなどなかった。
「それはあなたも同じでしょうに」
「……そうですね。けれど」
ヴェーネスの表情は再び硬くなってしまった。
「私は、確実性の高いほうを選ぶわ」
「……!」
きっとそれは未来を知ってしまったからではなく、エーテルが薄い者に可能性を託す場合を考えた結果。
今の人々が再び楽園を取り戻してしまったら、いくら弁論を重ねようと精神性を変えられない可能性のほうが、高いと見てしまっているのだろう。
ヘルメスとメーティオンはこの星では理由を見つけられなかったのだから、そこから変われなかったのなら。
「……不可能は、信じない」
「!」
僕はあなたの弟子だ。師の言葉で以て当てつけのような説得を試みる。
「『
ヴェーネスは慈愛の表情を浮かべている。
たくさんの人たちが繋いだこの世界を、守り通したい。親しい人もそうでない人も命まで捧げて、それでも世界が壊れるなんてあんまりだろう。
第一、親友に未来であんな顔を、あんな背中をさせたくない。
だから『
皆が皆、失う痛みを思い知ったのだから。
甘いと、言われたとしても。
ヴェーネスは、何も言わずに、慈愛の表情を浮かべている。
「……」
ああ。
きっと。
きっともう、この人の決意は揺らがない。
「師匠」
すっと、重心を少し低くしてその慈愛と対峙する。
結局自分はそっちで語ってしまう部類なのだ。
「僕が勝ったらその信念折ってもらっていいですか」
ヴェーネスはにこりと笑った。
「……久しぶりの、手合わせを」
どちらからともなく踏み込んで、二人は最後の歌を共に歌った。
「……聞いてもいいですか?」
もう何の反応もできそうにないのに相手はそう問うてきた。
「分かっていたのでしょう? 私が既にどういう存在になっているのか」
それは何となく。
だってもうアニドラスにはあなた独りしかいなかった。
後世に神なんて呼ばれていたらしき存在が完全にできあがっていたわけではないのだろう。だって完成していたならあそこで突っ立っていた理由なんてない。これから詰めの術式、といったところだろう。
それでも、捧げられた人々はきっと既にヴェーネスと共に在った。
だから言わば多勢に無勢のようなものだった。
────勝てる見込みは、低かった。
それでも、挑んだ。
「……それなのに、権能も使わないなんて」
こんなになるまで、何度も、何度も。
弟子がかすかに口角を上げたのが分かって、ヴェーネスは少しだけきょとんとする。
弟子は師にいつか言ったことがあった。
『自分でさえ結末を思い描けなくなったとき、先を拓いてくれるのは、この術で喚ばないものだ』
少し違うかもしれないけれど、違う
それに。
「……どち、らで……も、希望……残……」
けふ、と小さく息をする。
「……ずるい手、を……選ん、だ」
だから、
ヴェーネスはまた、慈愛の表情で微笑んで、しかし、少し────悲しそうに、眉を下げた。
「…………で……も、どうせ、なら…………とも、だち……を……」
少しでもその可能性があるなら、挑みたかった。ただそれだけ、だった。
静かに横たわる弟子を見下ろす師の表情は、変わらず慈愛に満ちている。
「……そんなあなただから、大好きだったのよ。面白くて、愛しい、子……私の、かわいい弟子」
小さくこぼれたその声は、少しだけ、震えていた。
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