華やかな英雄譚の裏でコツコツと金を稼ぐ無口な銃手の話   作:アンドララベリャ

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11 無口な銃手、朝食をとる

 霧が濃い谷の朝。

 

 シグナーはグウグウと鳴きやむことのないお腹を縮こまらせながら、ひたすらに水が沸くのを待っていた。焚き火の炎にかけられたヤカンがことことと音楽を奏でている。

 

 ピューッと笛を吹くかいなやのところでヤカンを手にとったシグナーは、熱湯を缶詰にそそいだ。缶詰のなかのカラカラに乾いた野菜や肉がどんどんとふやけていく。

 

 あっというまにできた粥を口にしたシグナーは思わず顔をほころばせた。

 

 無学なシグナーにはどうしてあんなに乾いた姿からこんなに美味しい飯が生まれるのかわからないが、これも魔道革命の恩恵であることだけは知っていた。

 

 これだけの缶詰がたったの銅貨いつつで手に入るのだ、魔導とはありがたいものである。

 

 そうして粥を楽しんでいるシグナーの鼻を、香ばしい肉の焦げる香りがさした。ふとふりむくと、そこらの木の枝に焼いたソーセージを刺したカミラがのぞきこんでいる。

 

「おはよう、そいつはラッセン&アンバーの店で買ったのかい?」

 

 てらてらとした油の滴るソーセージを噛みしめながら、カミラが声をかけてきた。いきなりのことにびっくりしたシグナーはもたつきながらも声をあげる。

 

「……はい」

 

「そうだよな、あそこで売ってる缶詰はいいものだ。駆けだしのモグラでも手に入るぐらいのほどほどの安さになかなかの美味ときた。あたしも昔はずいぶんと世話になったよ、さて……」

 

 カミラが最後のソーセージを口に放りこむ。そしてマシュバッドの盾の淵のほうを顎でしゃくりながら笑った。

 

「お願いがあってね。三人のモグラが一度にあの崖を降りるのは嫌だろうから、先に降りていってくれないかい?」

 

 シグナーはようやくカミラの話しかけてきた訳がわかった。

 

 マシュバッドの盾は降りるのがとても難しい崖で、さらにシグナーとカミラたちは顔を知っているとはいえこれまでひとまとまりとなって潜ったことはない。

 

 無駄な争いを生まないためにも、崖はそれぞれで挑んだほうがいいだろう。カミラはシグナーを先に降りさせてくれるというのだ。

 

 だが、どうして譲ってくれるのだろうか。シグナーはいぶかしんだ。

 

「晩にラミレスが水音で寝つけなくてね、なにぶん耳をつんざくぐらいうるさかっただろう。あたしとしてもびっくりするぐらいだったからね」

 

 カミラがウトウトと舟を漕いでいるラミレスに目をやる。長年モグラをしてきたカミラはよく眠れたようだが、ラミレスは今にもまた寝てしまいそうだった。

 

 たしかに、昨晩の滝の音はすさまじかった。

 

 シグナーもうまく眠ることができないほど、まるで雷雨の夜のようにつんざく水音が耳を侵し続けたのだ。シグナーとてはやめに床についていなければラミレスのようになっていただろう。

 

 まさしくそれこそがラミレスのしなければならなかったことだったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 そこまで考えて、シグナーはふとカミラのことがわからなくなった。

 

 カミラはシグナーからみても優れたモグラだ。ここまでの山道を歩く足どりひとつとっても、長い年月をかけて身に染みつかせた最小の動きをしている。

 

 シグナーとて森を歩きまわっていたが、あれほどまでに静かに、力もこめずにこの谷を歩けたことはない。獣に気がつくのもかならずカミラがいちばん初めだ。

 

 では、どうしてそんなカミラはラミレスについてきているのだろう。

 

 カミラはラミレスに雇われた、と口にしていた。だがカミラほどのモグラなら子どもを谷のこんな浅いところに潜らせるなんてことはしなくても金は稼げるはずだ。

 

 アケボノまでいけるならば、火鉱石を掘っているだけでも金貨が山のように手に入るのだから。

 

 おかしなことはそれだけではない。カミラがラミレスにいろいろとモグラのことを教えてやらないのも気になる。

 

 ラミレスは誰がどう考えても駆けだしのモグラだ。ならば、ふつうはモグラとして生きていくための師としてカミラは雇われるはず。

 

 なのに、カミラはなにもしない。

 

 ただひたすらラミレスの後ろをついて歩き、ほんとうにその命が危なくなった時だけ手を貸している。そんなことではいつまでたってもラミレスはモグラとして育たないだろう。

 

 ラミレスはなにを考えてカミラを雇い、カミラはなにを考えてラミレスに雇われたのだろうか。

 

 シグナーはカミラの心のうちがまったくわからなかった。

 

 

 

 

 

 なにはともあれ、先にマシュバッドの盾を降りていいというのならば断わるはずもない。

 

「頼むよ、なんなら焼いたソーセージでもあげようか」

 

「……いいえ。でも、ありがとうございます」

 

 シグナーは残った粥を口にかきこむと、すぐさま谷に潜っていくためのロープを鞄からとりだして崖にとりつけた。ラミレスがウトウトしているうちに降りるにかぎる、そう考えてのことだ。

 

 鞄を背にすると、ズシリとした重みが肩にかかる。

 

 山のような缶詰に天幕までつめこんだ鞄がシグナーのちいさな身にのしかかってくる。シグナーは顔をしかめて、それでも谷の淵まで歩いていった。

 

 ここから下のマシュバッドの盾はすこしのでっぱりもない崖だ。

 

 ゆえにシグナーはいくつかのロープだけで足を岩につけることもなく降りていかなければならない。下に辿りつくまでは朝から降りだして昼までかかる。

 

 いくらこれまで崖に残された火鉱石を掘ってきたシグナーとはいえ、これほど長く降りるのは初めてだ。シグナーは己の胸が恐怖でキュッと縮むのを感じた。

 

 しかし、ここで足を踏みださなければアカツキの深み、ひいてはアケボノにも手が届かない。シグナーは深く息をすいこむと、崖の淵を足で蹴った。

 

 

 

 

 

 ロープだけに身を預けて降りていく時、モグラの手にするのは下降器というものだ。

 

 金具を握る手の強さでロープを伝って降りていく時の勢いを操る。金具はロープが下降器を流れるのをとめるブレーキのような働きをするのだ。

 

 マシュバッドの盾ほどの崖ともなると、この下降器の金具を握る手も弱まっていく。

 

 ふと気を許して握っている金具をはなしてしまうと、そのままモグラは谷の深みへと落ちて死ぬ。慣れこそがもっとも恐れるべきもので、シグナーは慎重に崖を降っていった。

 

 かつてのモグラたちは下降器すらも手にせず、ただロープと己のふたつの腕だけで降りていったという。ここで心ならずも谷へと身を投げてしまう者もたくさんいたそうだ。

 

 だが、シグナーが気にしなければならないのはロープと下降器だけではない。

 

 崖とはいえ、ここは獣の潜む谷のなか。こうしてロープだけに身を預けているモグラほど獣にとって楽しいことはない。ロープに爪をかすらせるだけでモグラは死ぬのだから。

 

 だから、この崖を降るモグラは魔銃を手に常に獣がこないか目を光らさせなければならない。

 

 昨晩の滝で濡れたマシュバッドの盾にはせっかちな命の芽があちこちに生えている。日の光をあびてきらきらと宝石のように輝くコケに、しかしシグナーは心奪われるわけにはいかないのだ。

 

 そろそろとシグナーは朝の霧に沈んでいく。

 

 お願いだから、今は獣はこないでほしい。そんなシグナーの切なる願いは、しかしつんざくような鳴き声によってうち捨てられた。

 

 シグナーはすぐに魔銃をかまえる。

 

 どこだ、どこに獣がいる。谷のすみずみまで目をこらしても、獣の姿はシグナーの瞳には入ってこない。下降器の金具をとめて、シグナーはゆらゆらと宙にゆれながら獣を探す。

 

 ふと、濃くて白い霧のむこうに、ぼんやりとした黒い影がみえた。

 

 まるで死神のようにあちらこちらを飛びまわるその影は、シグナーのそばを駆けていくたびに風を斬り裂く鋭い音を残していく。

 

 シグナーはらしくもなく舌うちをした。

 

 ここまでくれば、シグナーならばこの獣がなんなのかぐらいわかる。それはよりによってマシュバッドの盾で顔をあわせる獣のなかでもひときわ凶悪なものだった。

 

「ガケヒバリ……!」

 

 霧の厚い壁を破ってシグナーを喰らわんとするのは、まるでシグナーをまる飲みできてしまいそうな巨大な鳥であった。

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