華やかな英雄譚の裏でコツコツと金を稼ぐ無口な銃手の話   作:アンドララベリャ

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13 無口な銃手、学者に会う

 すやすやと眠るシグナーの顔に、東から昇ってきた朝日の光がさしこむ。

 

 天幕のすきまから襲いかかってくる眩しい陽光は、人を暖かな毛布からひきはがすだけの力がある。シグナーはうんとのびをして、天幕を後にした。

 

 天幕を背に、シグナーは朝ぼらけの谷の絶景を目にする。

 

 遠くのほうを巨大な鳥の獣たちがバタバタと飛んでいるのが、まるで砂つぶのようにみえた。ざわざわと風が崖にしがみつくようにして生える木々の葉をゆらす。

 

 いい朝だ。マシュバッドの盾を越えてから初めての朝である。

 

 のどかな風景に、シグナーの心もゆるんでいく。朝食のために先だって火を興しながら、なんでもないふうに魔銃を手にとった。

 

 とたん、シグナーの顔めがけてだらりと糸をたらしながらクモが降ってきた。

 

 黒に赤の、実に毒毒しい肌をしたセイタカドクグモをなんともなしに撃ちぬく。魔弾に貫かれたその大きな虫はその勢いのまま岩に叩きつけられて潰れた。

 

 緑の気味の悪い血がぶよぶよとあたりを汚していくのを尻目に、魔銃をまた天幕にもどす。

 

 どんなに美しい顔をしていても、ここは東の谷である。獣があちこちに潜んではモグラの命を狙っているのだから、気を休める暇などあるはずもなかった。

 

 

 

 

 

 いつもの缶詰の朝食を終えたシグナーはまた谷の道を歩きだす。獣がどこかに隠れていないか目を走らせるも、その頭はまるで違うことを考えていた。

 

 マシュバッドの盾で目にしたあの雄大なタニクジラの姿。それが忘れられない。

 

 シグナーはいつもせわしなく生きてきた。父が亡くなってからは飯も家も、なにもかもをすべて己で稼ぎとっていかなければならない。考えるのは金のことばかり、そんな暮らしだった。

 

 稼がねばのたれ死んでしまう、それはモグラになって食うパンに困らなくなってからもいつも心のなかで蠢いていた。どれほど火鉱石を掘っても焦るばかりだった。

 

 そんな己が、久しぶりに金のことを考えなくなったのだ。

 

 この晩にみた夢は、今まででは考えられないほどゆったりとしたものだった。ただ草むらに寝ころびながら宙を舞うタニクジラをながめているだけ。そんなのどかな夢だった。

 

 いつもシグナーが夢みるものといえば、いきなりモグラの証を奪われて金を稼げなくなったり、あるいは獣に襲われて大きな傷を負ってしまうものだったり、あまり好ましいものではない。

 

 ゆえに、どうして己はタニクジラに心ひかれるのだろうと驚かざるをえなかった。

 

 瞳を閉じれば、あのタニクジラの深いまなざしがうかんでくる。これまで金のことしか考えてこなかったシグナーにとって、それは心がそわそわする不思議な思いだった。

 

「おい、そこの君! 足をあげて、踏んでしまっているぞ!」

 

 そんな風にタニクジラのことばかり考えて歩いているといきなり鋭い声が頭のうえから降ってくる。シグナーはびくりと肩を震わせて声のもとに目をやった。

 

 

 

 

 

 そこにいたのはひとりの中年の男だった。

 

でっぷりと太った腹をゆらしながら、シグナーの頭上の道からしきりに手をふっている。その男は怒っているようだった。

 

「だから、君が今踏みつけているのは千年、いやもしかすると万年の歴史なのだ! たてておいた看板が目に入らなかったのかね!」

 

 顔をあげてみると、たしかにネモアイア調査団と書かれた木の板が岩にくくりつけてあった。慌てて足を退けると、その下からちいさな石ころが顔をのぞかせる。

 

 よくみると、その石ころはなにか赤いものが塗られていた。

 

 どうやらあの男はこれを踏みつけにしていたから怒っていたらしい。獣が襲いかかってこないかとばかりに草むらなどしか目にしていなかったシグナーは己を恥じた。

 

「すみませんでした」

 

 しゅんとなりながら、頭をさげる。男はため息をついた。

 

「わかってくれたならいい。モグラの君にとってはただの石ころでも、俺にとってはそれは火鉱石にも勝る宝なんだからな」

 

「……もうしわけございません」

 

 まったく馬鹿なことを、たかが獣のことで頭がいっぱいになって周りがみえなくなるなんて。シグナーはいたたまれなさに苦しんだ。

 

 タニクジラのことなんて忘れてしまえ。己はモグラ、金稼ぎだけを考えていればいいのだ。

 

 そう言い聞かせながらまた深く頭をさげたシグナーは、そのまま男のもとを去ろうとする。だが、その足は数歩でとまった。

 

「タニクジラ……」

 

 中年の男が背にする岩、そこにはタニクジラの細やかな絵が描かれていた。

 

 先ほどもうタニクジラのことなど忘れてしまえと考えたばかりなのに、またあの雄大なる獣のことが気になっている。己の愚かさに嫌気がさして、それでもタニクジラのことを考えてしまう。

 

「お、この絵が気になるか。これまでいく人ものモグラがここを歩いていったが、足をとめてまでこいつをみつめたのは君が初めてだな」

 

 男がどこか嬉しそうに声を弾ませる。

 

「……これは、なんなんですか」

 

「こいつははるか昔、それこそマンネンイチョウが若木から育って老木になり、やがては朽ちるよりも古くの絵だ。かつてここに暮らしていた谷の民という者たちが描いたものとされている」

 

 

 

 

 

 谷の民、それはこの男によればかつてこの谷に暮らしていた人のことだという。今は王国のほとんどの人が信じる聖教の神とは違う神を祀り、それがゆえにここまで追いやられた。

 

 己の信心を守るため、谷の民たちは東の谷深くまでどんどんと潜っていく。そうしてこの谷に根ざして暮らすようになった谷の民たちは、そこにちいさな文明を築いた。

 

 だが、そのまま静かに生きていくことを許さない者たちがいた。

 

 異教として谷の民たちを虐げた聖教は、そんなひそやかな幸せすらも鼻もちならなかったのである。そうして数えきれないほどの兵が攻めてきた。

 

 谷の民たちはそんな聖教の軍のもとまでタニクジラを誘うことで己を守った。

 

 タニクジラに飲みこまれて死なない者などいない。いくら谷の民たちを殺しつくしたい聖教といえど信者をタニクジラに喰われ続けるわけにはいかなかった。

 

 やがて、谷の民たちは己が信ずる神とタニクジラとを重ねあわせるようになる。

 

 さらに聖教の締めつけが厳しくなり、さらに谷の民たちが谷の深みへと潜っていくまでここはタニクジラへの畏敬をこめた祭壇だったのだ。

 

「もっとも、こういう話を大学で教えると聖教のやつらがうるさいんだがね。やつらからしてみれば谷に暮らすのは聖教の軍をいくつも潰した悪魔たち、忘れられたほうが嬉しいんだろう」

 

 男がくだらんとばかりに鼻を鳴らす。

 

「馬鹿みたいな話だろう、これまでどう生きてきたかを忘れた者がこれからどう生きていくかなんて考えられるはずがないというのにな」

 

 シグナーは男の話を踏まえて、またタニクジラの絵に目をやった。

 

 いじめられ、奪われ、己だけで生きていかなければならなくなった谷の民たち。はたしてそんな者たちはタニクジラを目にしてなにを思ったのだろうか。

 

 シグナーのように、あの偉大なる獣に心奪われたのだろうか。

 

 

 

 

 

「俺の名はネモアイア、王都の大学で歴史を教えている。もし君がなにかの絵をみつけたのならば聖教よりも先に俺に教えてくれ、金ならいくらかはやれるからな」

 

 ネモアイアはもうシグナーに瞳をむけてはいない。岩に描かれたタニクジラの絵を食い入るようにみつめているネモアイアを後にして、歩きだす。

 

 この旅で辿りつこうと考えていた深さ、アカツキとアケボノの境まであともうすこしだ。気をぬくことなく歩いていこう。

 

 ところで、シグナーはタニクジラへの思いをそっと大切にしておくことにした。

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