華やかな英雄譚の裏でコツコツと金を稼ぐ無口な銃手の話   作:アンドララベリャ

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14 無口な銃手、湖のほとりに腰かける

 ぽつぽつと冷たい水滴がシグナーの顔を濡らしていく。

 

 うす暗い洞窟を歩きながら、思わずくしゃみをした。くちゅん、というちいさな声はぬめぬめと輝く洞窟の岩肌に響いてつんざくような轟音となる。

 

 膝下まで水に浸かりながら、ランプを頼りにひたすらに奥へと歩いていく。

 

 ここまでの長い旅も、ようやく終点がみえようとしている。初々しいモグラたちがおぼつかない手つきで火鉱石を掘るアカツキに、終わりがみえているのだ。

 

 シグナーがモグラになってから三月ほど。こんなにはやくアカツキの奥まで新入りのモグラが辿りつくのは珍しいことだった。

 

 長い山道を歩いてきた足は悲鳴をあげている。冷たい地中の水から厚いコートで身を守りながら、重い一歩を踏みだしていく。

 

 ネモアイアのところを去ってからここまでまる一日、一言も口にしていない。

 

 魔道革命によってもたらされたこれまでにない栄華の恩恵を楽しむ王国、そこに暮らす者たちのあずかり知らぬ地深くでひとりのモグラは懸命にあがく。

 

 そうして、ようやくシグナーは乾いた岩を踏みしめた。

 

 そこは、とてつもなく大きな石窟だった。鉱石公社の館がまるまるみっつほど入るのではないかと思えるほどに大きな空洞があった。

 

 地下の水が沁みだして生みだされた湖に照らされて、その洞窟は輝いている。

 

 はるか高みにまるで大聖堂の天窓のような穴があって、それだけがこの洞窟と谷とを結ぶものであった。青白い月がほのかな光を暗い洞穴のなかに投げかけている。

 

 ここはいくつもあるアカツキとアケボノの境のひとつ、青の湖の洞穴だ。

 

 泥のように重い身をひきずりながら、湖のほとりまで歩いていく。鈴のしかけをあちこちに巡らせて天幕をたててから、シグナーはまるで崩れ落ちるかのように地に寝転がった。

 

 背でぐちゃぐちゃに力がかかった鞄が悲鳴をあげるのも聞かない。

 

 洞窟のかたい岩にその身を預けながら、深く息をつく。顔をあげて天をみつめるシグナーのほかに、きらきらと光り輝く湖にはモグラはいない。

 

 

 

 

 

 いくつもの東の谷についての著名な書籍で知られ、なにより己も優れたモグラであった百年ほど昔の探検家、ライモンド=ヴァリャール二世はその著作のなかでいくつもの言葉を生みだした。

 

 この洞窟に青の湖の洞穴という名を与えたのもヴァリャールであるし、タニクジラについて詳細な記述をして名を知らしめたのもヴァリャールである。

 

 かの貴族崩れのモグラが築いた谷についての知は、今の鉱石公社の礎ともなった。

 

 そんなヴァリャールがもっとも後世に残した功績として、今のモグラたちが挙げるのが谷の深さのふるいわけである。モグラとして谷に潜ってきたヴァリャールにしかできないことだった。

 

 すなわち、新入りのモグラたちが潜る長くとも数日で街から足を運ぶことのできる深さをアカツキとし。

 

 数日から数週をかけて旅しなければならないが、先人が屍の山を築いて学んだ王道を守ればそう死ぬことはないとされる深さをアケボノとし。

 

 さらにどんなに手をつくしても死にうるほどに危ないが、そのかわり数か月の冒険で巨大な汽船を動かし遠大なる王都を照らすための優れた火鉱石が手に入る深さをタソガレとし。

 

 これまで誰ひとり、それこそヴァリャールが古今東西で最上のモグラであると慕っていた友すらも、旅にでた者は帰ってこなかった深みをハクメイとする。

 

 このヴァリャールが考えついた谷の深さは没後から百年の長きをへても一言一句違うことなくモグラたちが新入りに教え続けたことである。

 

 それはたとえ昇降機がつけられてアカツキがほんのすこし浅くなったとしても違わない。なにしろ、百年の昔からハクメイから帰ってきたモグラはいないのだから。

 

 モグラが求められるのは魔銃の腕でもなければ優れた体躯でもない、谷を調べつくして旅にかかるありとあらゆる災難を頭に入れて備える、その頭脳である。

 

 ヴァリャールの言葉はそんなモグラたちが育っていくための道しるべとなった。

 

 そうして今、また新たなモグラがヴァリャールの語った難業をこなして一流のモグラになろうとしていた。

 

 

 

 

 

 シグナーは洞穴に降りそそぐ陽光に目を細める。

 

 細くてひどく冷える洞窟をずっと歩いてきたのだから、久しぶりに目にした日の光は懐かしいやら暖かいやらでいろいろな思いがこみあげてくる。

 

 それまでの血肉の重さも忘れて、シグナーの心は晴れやかであった。

 

 この旅を始める時は、とても心細かったものである。なにしろこれまで一人でモグラをしてきたがゆえに、頼れる者は誰もいない。

 

 調べはした。鉱石公社の書庫につめて、古新聞やあるいはかつてのモグラたちの伝記を読み漁ってきた。それでも心のどこかに恐怖が潜んでいた。

 

 谷というのは恐ろしいところだ。モグラは逃げるところのない洞窟を這って越えていかなければならないし、足をすべらせればそのまま死んでしまう崖を降りていかなければならない。

 

 それは、森で寝食をしてきたシグナーにとっても心がすくむことなのだ。

 

 だが、その苦難を、恐怖を乗り越えた。もう己はアカツキの浅いところで残りかすの火鉱石を漁る新入りのモグラなどではなく、谷を己の足で踏破していく一流のモグラなのだ。

 

 これまでの長い旅の苦痛が、すべて喜びとなってシグナーの胸を埋めつくした。

 

 

 

 

 

 これではいけない、シグナーは顔をたたいて気を入れた。

 

 ようやくこの青の湖の洞穴までやってきたとはいえ、これからチャタレーの街までの帰り道はまだ遠い。それに、まだモグラとしての働きをしていなかった。

 

 久しぶりに火鉱石を掘りだすための釘とトンカチを手にする。

 

こんな深みまで潜ってきたのもこれはすべて火鉱石で金を稼ぐため。モグラは遊興の旅をしているわけではないのだ、これまでで費やした金を越える儲けをださなければならない。

 

 嬉しいことにこれまで背にしてきた重い鞄はここにおいていける。軽い荷でシグナーはふたたび洞窟の細く入り組んだ地下へと足を踏み入れていった。

 

 アカツキの浅いところで採れる火鉱石は質が悪いと聞いたのはいつの話だろうか。だからたいした金にはならないとぼやいているほかのモグラを盗み聞きした耳は信じられなかった。

 

 そのほかのモグラにとってはたいした金ではないという銀貨ですら、シグナーにとってはそれまでの人生で手にしたことのないような大金である。

 

 さらに深く潜ればさらに金を稼げるというのは、まるで神話のように思えたのだ。

 

 だが、これまでアカツキでさんざん火鉱石を目にしてきたからこそわかる。たしかにここで掘ることのできる火鉱石はくらべものにならないほど優れていた。

 

 シグナーは岩のあいまから顔をだす火鉱石に手をそえた。

 

 己の泥とほこりで汚れた肌がびりびりと震える。火鉱石の秘めているすさまじい魔力に人の身が恐れおののいているのだ。まさか、これほどとは。

 

 ここはアカツキとはいえもはやアケボノとの境。手に入る火鉱石もそれなりである。

 

 つまり、魔導灯やコンロといったちゃちな魔導機械に入っている火鉱石ではなく、工場で手袋やコートを織る巨大な魔導機械、下手をすれば汽車すら動かす火鉱石なのだ。

 

 なればこそ、この手に伝わる魔は嘘ではないのだろう。

 

 それに、シグナーを驚かせたのは火鉱石の質だけではない。それほど優れた火鉱石がとにかくあちこちに転がっているという恐ろしさだった。

 

 アカツキの火鉱石は新入りのモグラが根こそぎ掘っていってしまう。谷にモグラが潜りだしてから百年、火鉱石がろくに採れなくなってもおかしくない。

 

 だが、アケボノのそばまでくれば話は違う。

 

 ここまでくるには大がかりな荷を背負って数日かけて歩いてこなければならない。さらにそれをまた数日かけて帰る時に荷にしなければならないのである。

 

 つまりかなりの火鉱石が手つかずになっているのだ。

 

 シグナーはあまりよくはない笑みが顔にうかぶのをやめられそうになかった。ここにある火鉱石でハダカネズミの肉をどれだけ買いこむことができるだろうか。

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