華やかな英雄譚の裏でコツコツと金を稼ぐ無口な銃手の話 作:アンドララベリャ
ずしりとした重みがその肩にのしかかる。
シグナーは思わず顔をしかめてしまった。ネモアイアはこんなに重たい岩を背にしてこの谷を登るつもりだったのか、その歴史への愛の深さをよく測ることができる。
「すまんね、かなり重いと思うのだが」
「……いいえ、問題ありません」
こちらに気づかわしげに声をかけてくるネモアイアの襟からちらりとみえる肌は青ざめてあざになっている。なるほど、これでは神殿までいくのを諦めるのもおかしくなかった。
「それで、神殿というのは」
「ここからチャタレーの街まで登る時にちょっとはずれた道を歩いていくと辿りつける。あまり遠まわりにはならないんだが、心もとなくてな。ありがとう、おかげで神殿にいけるよ」
「おかまいなく」
ネモアイアがいうのはここ青の湖の洞穴からマシュバッドの盾までの道のうちシグナーが歩いてこなかったほうのことらしい。それならば知っている。
モグラたる者、旅路が崩れていたり潰れていた時のことを考えてほかの道も調べておくもので、もちろん神殿のそばを歩くという道も頭に入れていた。
むしろ降りの道しだいで登りはそちらの道に入ろうかと考えていたほどだ。なにはともあれ、学者とモグラは青の湖の洞穴から細い洞窟の水に足を沈めていった。
暗い水びたしの洞窟を歩いていく。
ぬるぬると光る鍾乳石はまるで巨大な獣の口に飛びこんでしまったかのように思わせてくる。草木も生えない洞窟にて響くのは足もとの水がはねる音と、どこかで轟音をたてて流れる地下の大河の音だけだ。
「このあたりの大地に染みこんだ水はすべて地深くに流れるああいった川に集まってこの迷宮を駆けぬけていくのだ。俺たちが今歩いている洞窟もそうして水が削っていったのだろう」
ネモアイアは学者らしく博識だった。
シグナーの知らないような谷についての知を教えてくれる。それは鉱石公社の書庫の本にも書いていないようなことばかりで、耳にするすると入ってきた。
「だからか、時に水が岩を砕いて洞窟まで流れこんでくることがあってね。それで死者がいく人もでている。悲しいことにそれを避ける術はないというのが現実だ」
王都の大学の魔導技師たちのなかには、そうした鉱山やこの谷で続く悲劇を防ごうと地のなかを調べることのできる魔導機械を造っている人もいるらしい。
時に谷に潜っているネモアイアに押しつけるようにして渡してきて、試してみるよう言われるのだそうだった。
「大学というのはいいものだ、この世の賢人ばかりが集まって頭を働かせている。俺が言うのもなんだが、学生がうらやましい時もある。……すまんな、失言だったか」
楽しげに大学について語るネモアイアが、ふとなにかに気づいたかのように黙ってしまう。シグナーは己にむけられる気づかわしげな瞳になぜかを理解した。
「いいえ、おかまいなく。これも神のおぼしめしです」
大学に入ることができるのは、貴族か、もしくはよっぽどの富豪の子女だけだ。それは血の貴さで入学を考えられているからではなく、ただ純粋に金である。
ほとんどの大学はその学生に金貨を数十も求める。そんなもの、猟師や工場で働いていれば一生目にすることのない大金だ。ただでさえ貧しいシグナーの家で手にとどくはずがない。
さらに、学ぶのが魔導など金になる者ならばいいが、歴史など誰も目をむけないだろう。
たしかに語られる歴史の探求は大いに興味をひかれるものだったが、それは恐らくは富んだ家の生まれであるのだろうネモアイアにできて己にはできないものだった。
いや、モグラとしてアケボノまで潜れるようになれば話は違うのかもしれない。
そう考えるとたくさんの人々が命を失うやもしれない愚を冒してまで谷へと飛びこんでいくわけもわかる。貧しい生まれをどうにかしようというなら、モグラになるしかないのだ。
シグナーは猟師の家に生まれたことを気にしていなかった。むしろ尊ぶ父の子になれたことを幸せに思っているのだから。
だが、ネモアイアはどうも気まずさを感じたようで黙りこんでしまう。
そうして、シグナーとネモアイアは神殿に続くという細い洞窟を膝まで濡らしながら歩いていった。
しばらく歩いていると、シグナーたちの目の先に鉄の柵がみえた。
洞窟のはしにある、人ひとりならぎりぎり潜りこめそうな穴にがっしりとした鉄の棒がいくつもかかっていて、人が足を踏み入れようとするのを防いでいる。
さびついた錠がぎりぎりと巻かれた鎖を締めつけていた。
歩き去ろうとするシグナーをよびとめて、ネモアイアが懐から大きな鍵をとりだす。なるほど、こうしてこの穴をふさいでいたのはこの学者らしかった。
「モグラが荒らすことへの苦肉の手だがね。こんなものをつけても年にひとたびぐらいは鎖をねじきられて踏み入られてしまう」
ガチャガチャと錠と戦いながら、ネモアイアは顔をしかめた。
よくまわりに目をくれると、あちこちにかつての封鎖の残骸が転がっている。モグラの宝への欲というのは鉄の棒ごときではどうにもできないほど深いものらしい。
「むっ、ようやく開いたぞ。それで、ここからなんだができるだけまわりの遺跡に傷をつけないようその岩はここにおいていこう。そんなデカブツをあちこちにぶつけるわけにはいかんからな」
ネモアイアがせまい穴にその身をねじこんでいく。
シグナーもまた、背にしていた岩を降ろすとその後に続こうとした。神殿へと続くのであろうその穴はまるで人の鼻の穴に飛びこんでいこうとでもいうかのようにとてつもなく細い。
鞄を手にもって、ずりずりとひきずる。
背の小さいシグナーですら腹を土につけて這っていかなければすすむことができない。いわんやさらに大きい腹をしているネモアイアはなかなかに苦労しているようだった。
先のほうから荒い息とジタバタと手足をもがく音が聞こえてくる。あちこちにきり傷をつけながら、シグナーたちはようやく穴からもがきでた。
せまい穴をぬけた先にあったのは、どこかみる者に恐ろしさすらかきたてる未知の光景だった。
「ここは……」
「どうだ、すごいだろう。若いころの俺はこの景色を目にして学者になろうと心にしたんだ、はるか昔にこれほどまでに美しい神殿を建てた者たちをもっと知りたいと」
暗い洞窟は、その岩肌をいったいなにでできているかもわからない黒いタイルでつつみこまれている。あちこちを不気味な緑の光が照らし、無骨な大理石でできた道をうかびあがらせていた。
シグナーたちの足音がやけに響く。
千年もの時をこの地深くで越えてきたというのに、その神殿にはいかほどの傷もなかった。まるで眠っているかのように、時が止まっている。
ぼうぼうとあちこちにきざまれた今まで目にしたこともないような文字が光り輝く。そんなどこか深遠を思わせるなかを、ネモアイアはゆっくりと神殿の奥へと歩いていった。
誰もこの神殿には生きていない。はるかかつてに谷の民たちがここから去ってから、誰もここを住みかにしてしまおうとは考えなかったのか。
いや、違う。こんな神殿を目にしてなおも安穏と暮らせるほど愚かな者がいなかったのだ。
あちこちに気味の悪い石像のたちならぶ神殿には、なにかおぞましいほどに深い者が潜んでいるような、そんな嫌な感じがあった。じめじめとして、どこか冷たい。
それは、あの日シグナーとネモアイアが初めて会った時の岩の絵とはなにかが違っていた。
深いところで、偉大で雄大なるタニクジラの泳ぐのをとらえたあの絵と、暗く湿った生気のないこの神殿とはかけ離れている。おなじ者たちが造りあげたとはとうてい信じられないほどに。
「怖い、です」
ぽろりと胸のうちがこぼれ落ちる。
「そうかね? まああのタニクジラの暖かな絵とくらべればどうも威圧が勝るのはそうだろうな。なにしろタニクジラを祀るより古くからのものだから、そう思うのも無理はないか」
ネモアイアはどうもシグナーの恐怖がわかっていないようだった。
首をかしげるも、そのままうきうきとした足どりで神殿の奥へとずんずんと歩いていってしまう。シグナーは、その後ろを恐る恐るついていった。