華やかな英雄譚の裏でコツコツと金を稼ぐ無口な銃手の話 作:アンドララベリャ
なかなか新入りとしてはよい稼ぎで初めての日を終えてから、シグナーはどんどんとモグラとして働きつめるようになった。
朝は日が昇るより先に昇降機に飛び乗り、夜は九を告げる教会の鐘が鳴った後に帰ってくる。
もともと猟師として夜の森を歩いたことのあるシグナーは、まさしく朝から晩までほんとうに獣のモグラになってしまったかのように谷に潜っていた。
シグナーが身につけているのも初めての日とはまったく違う。
谷深くのアケボノに生きているという獣、ユキイタチの皮でできたしなやかなベストに、谷の岩にまぎれられるよう汚された灰のマント。
なによりも、シグナーはもうずた袋をひきずらなくてもよいのだ。
シグナーはこれまでに稼いだ銭をかき集めてみかけよりもずっと火鉱石を入れることのできる肩かけ鞄の魔導機械まで手にしていた。金貨ふたつもするちょっとした財宝だ。
そんなシグナーの姿はまるで昔から谷に潜る熟練のモグラのようで、どうみても新入りとは思えないほどだった。モグラをよくみかけるチャタレーの街の人ですら思い違いをするだろう。
新入りのモグラといえば、いつもびくびくして飲んだくれているものだ。そして、それはなにもおかしなことではなかった。
ほとんどのモグラになる人は命をかけて獣と戦うことなどない。
食いつめてモグラになった者たちは、逃げることもできずに谷に潜り続ける。いつ死ぬともしれない恐ろしさの重みにほとんどのモグラは潰されてしまう。
酒に溺れるか、あるいは狂ったように夜の街を遊ぶ。チャタレーの街の栄華の陰には、そんな新入りのモグラたちのどうしようもない苦しみが染みついているのだ。
そんなほとんどの新顔のモグラと違って、シグナーはあくせくと稼いだ金のすべてを明日に谷へと潜るために費やす。そうでなくては、鞄やらマントやらを買いそろえることはできないだろう。
では、どうしてシグナーはそれほどまでに谷に潜ることにこだわるのか。
シグナーが猟師の家に生まれたというのもある。だが、シグナーの谷にかける情熱は、つまるところ金だった。
モグラは稼げる、たしかにシグナーはそう聞いてこのチャタレーの街にやってきた。
だが、これまで魔導機械の工場で働いてもらえる銅貨十枚をたいしたものだと考えていた貧しいシグナーの心を、モグラの稼ぎはまるで雷鳴のようにうちすえたのだった。
なにしろ、まだ左も右もわからないシグナーが初めての日に集めた火鉱石だけで、これまでみたこともなかった銀貨がもらえたのである。シグナーは夢のようだった。
もっともっと金を稼ぎたい、そんな思いでシグナーはいっぱいだった。谷の獣から身を隠すためのマントにも、火鉱石を運ぶための鞄にも金に糸目はつけなかった。
なぜなら、猟師の父がシグナーに、弓や矢に金をかけることほど貴いことはないと教えてくれていたからである。
シグナーにしてみれば、酒や飯でせっかく稼いだ大金を無駄にする暇などなかった。とにかくより深く谷に潜ってもっと金を稼ぎたい、それだけがシグナーの頭にあった。
いつも酒場でワインやらウイスキーやらで酔って暴飲暴食するモグラたちと違って、貧しいシグナーには街で買ったハダカネズミの肉だけでもじゅうぶんにご馳走だ。だから、もっと稼ぎたい。
むしろ、シグナーにとってほかのモグラたちが裂けに潰れていてくれていることは福音でしかなかった。なにしろ、火鉱石をめぐって争わなければならないモグラの数が減るのだから。
シグナーはそうして日夜を欠かさず谷に潜っていた。
新月の夜、谷はまったく静まりきっていた。
寒さでかじかむ指を時にほぐしながら、シグナーはひたすらに銃を遠い山道にむけている。灰のマントを頭からかぶって岩陰に隠れるシグナーに気づく者は誰もいないだろう。
シグナーの後ろには、空になった缶や燃えさしの木の枝が転がっていた。先ほどまで灯していた焚き火の炎の跡が、ぷすぷすとかすかな煙をあげている。
シグナーは谷のこの地で、三晩ほどこうして冷たい土のうえに横になっていた。
望遠鏡という、人の瞳だけではみえないような遠くまでも映してくれる魔導機械をのぞきこみながら、シグナーはひたすらにその時を待つ。
そうして、痛いほどの静けさのなかでどれほどの時がたったのだろうか。シグナーの眉がぴくりと動いた。
飽きるほど目にしてきた谷の夜景、暗くて深い夜の闇に蠢くなにかをシグナーは望遠鏡越しに瞳でとらえたのだ。シグナーは白い息を吐く、この三日の苦労がようやく報われそうだ。
美しい極彩の鳥がふわりと舞い降りてきた。
その鳥を目にすると、シグナーはすこしの音もたてることなくひき金に指をそわせた。すうっとあたりの風の音が聞こえなくなる。シグナーの瞳は、ただひたすらにその鳥だけを映していた。
心のなかでゆっくりと数えていく。三……二……一……今。
シグナーがひき金をひくと、その魔銃から夜の闇を斬り裂くかのように紅の光がほとばしった。震える音を奏でながらあっというまに鳥の獣にシグナーの魔弾が襲いかかる。
ちいさな鳥の頭に、魔弾が風穴をあけた。
恐らく鳥の獣は、どこから誰に殺されたのか知ることはなかっただろう。もしかすると己が死んだことすら気がついていないのかもしれない。それほどに鮮やかな狙いだった。
その鳥が、まるでしおれた草木のようにばたりと倒れる。
しばらく望遠鏡で鳥の獣をみつめたシグナーは、やがて音もたてずに谷の道を駆けだす。三日も谷に潜ってあの獣にかかりきりだったのだ、逃すわけにはいかない。
どうしてシグナーが火鉱石も掘らずにあの獣を狙っていたか、そこには訳がある。モグラはただ火鉱石を掘るほかにも稼ぐ術があるのだ。
たとえばシグナーの身にしているベストのように、東の谷にはほかのどこでも捕まえられないような不思議な獣が暮らしている。火鉱石ほどではないにしても、そうした獣を欲する者もいる。
そうした時にでてくるのがあの鉱石公社だ。
火鉱石を掘りだしてくれるモグラを守らなければならない公社としては、モグラに新たな稼ぎができるのは願ったり叶ったりであるし、モグラたちへの手綱をより厳しくすることにもなる。
だから、時に公社はモグラたちに頼んで谷の獣を殺したり捕まえりしてもらうのだ。
もちろん、モグラたちに火鉱石を掘るのをやめてどこにいるかもわからない谷の獣を追いかけさせるのだから、そのかわりに大金を手に入れられる。
狙いの獣はほとんどがアケボノなどの谷のもっと深いところにいる珍重な獣であるが、アカツキでもそうした話がないわけでもない。
それこそ、こうしてシグナーがこの鳥の羽を狙っているように、である。
死んだ獣のどろりとにごった瞳は、シグナーを虚ろにみつめていた。シグナーは静かにその死後の幸運を祈って、その羽をむしる。
鞄に集めた獣の美しい羽をしまい、シグナーがその場を去ろうとした時だった。
「おい、待てよ! そいつは僕が先に目をつけていたんだぞ、さっさと盗んだ羽を渡せ!」
シグナーはゆっくりと顔を声の聞こえるほうにむけた。シグナーとおなじ歳ぐらいの子どものモグラが怒りも露わに駆けよってくる。
人に声をかけられるのは、久しぶりだ。しかしどうも、それはあまり好ましいものではないようだった。