華やかな英雄譚の裏でコツコツと金を稼ぐ無口な銃手の話   作:アンドララベリャ

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5 無口な銃手、家路につく

 夜のチャタレーの闇は、魔導灯の青と火鉱石の炉の赤とでかき消されていた。

 

 日が沈んでも休むことなくトロッコを吐きだす工場の黒い山は、シグナーにこの世の終わりまで止まることはないのではないかと思わせる。

 

 いまだ窓の灯っている酒場から聞こえてくるどんちゃん騒ぎを背にして、シグナーはどんどんとチャタレーの奥へと歩いていった。

 

 チャタレーの街に暮らすのは、もちろんだがモグラだけではない。

 

 モグラと夜も工場にて働く者たちのほかは、もう寝静まっているころである。だから、モグラのほとんどが訪れることのないチャタレーの奥の街路にさしかかると、もう酒宴は聞こえなかった。

 

 ほとんどの家の扉は閉じられて、窓は暗いままである。シグナーはそのなかでぽつんとオレンジの光をこぼしている肉屋の飾り窓をのぞきこんだ。

 

 三晩谷に潜ったシグナーの己への労いは、ささやかなご馳走である。

 

 この肉屋はモグラではなく街の人と商売をしている。だから、街のまんなかで目にするような肥え太って宝石のように輝く牛の肉に気後れしてしまうシグナーにとってのお気に入りだった。

 

 さて、なにをいただこうか。シグナーの瞳が、誇らしげに吊るされて照っているアブラブタの肉にすいよせられていく。三晩も谷に潜っていたのだから、たまにはこんな肉に手をだしても……。

 

 シグナーも舌が肥えたものである。

 

 猟師の家に生まれたとはいえ、狩った獣の肉はほとんど売ってしまう。シグナーがきちんとした肉の塊を口にしたことはない。せいぜいが切れ端ぐらいである。

 

 だから、初めはハダカネズミでも肉を口にできるというだけで大喜びだった。

 

 そんな慎ましやかな暮らしがあたりまえだったシグナーにとって、己から湧きあがってくる欲望というのはどこか恐ろしいものだった。父とのささやかな幸せを忘れてしまう気がするのだ。

 

 ちりんと、しばらく考えたシグナーは鈴を鳴らす。奥から肉つきのいい男が歩いてきたので、シグナーは飾り窓で吊るされている肉を指さした。

 

「はいよ、ハダカネズミのひき肉ね。銅貨をみっつほどになります」

 

 しばらく悩んだものの、シグナーはやはり慎ましい暮らしを忘れないでおくことにする。

 

 シグナーは懐から銭をひっつかんで男のがさがさとした手のひらにのせた。男は紙につつんで紐でくくったひき肉をシグナーに手渡す。

 

 夜のチャタレーの街を、大切そうに包みをかかえたひとりのモグラが歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 下宿の暗い家に帰ったシグナーはさっそくシャワーを浴びて土や泥を洗い落とす。

 

 三晩もずっと気を休めることのできなかったシグナーがようやく落ち着けたのは、暖かな魔導灯の光につつみこまれてソファに沈みこんだ時だった。

 

 コンロからはパチパチと肉の弾ける音と鼻をくすぐるこうばしい香りが飛んでくる。ウトウトとしながらシグナーはハダカネズミのハンバーグが焼けるのを待った。

 

 コチコチ。

 

 秒針が音を奏でる。

 

 机にはこんがりと焼かれたパンにチーズ、サラダが肉汁したたるメインディッシュがやってくるのを首を長くして待ちわびていた。シグナーも腹ぺこだ。

 

 ふとシグナーはつい先ほどのラミレスたちとの話を思いだす。あのシグナーと歳のほとんど違わないモグラはたしかに正しいことを口にしていた。

 

 ひとりで谷に潜るなど愚かにもほどがある、ということである。

 

 初めて谷に潜った日にシグナーが死ななかったのはたまたまの幸運だ。なんの気なしにしかけておいた鈴が鳴ってくれなければ、シグナーは今ごろツチミミズの腹のなかだろう。

 

 モグラは数を頼んで谷の深みに臨む。それはなんら恥じることではない、むしろ実によく考えられた讃えるべき人の知であるとシグナーはわかっていた。

 

 それでも、シグナーにはそうすることができない訳があった。

 

 このチャタレーの街でモグラになって、それからずっとひとりで生きていく。シグナーにそのほかを考えさせぬにいたったあの日のことが今でもまざまざと瞳に蘇る。

 

 まだシグナーの家の暮らしが貧しくも幸せであったころ。まだシグナーが己は猟師になって森で生涯を終えるのだと信じていたころ。

 

 あの青々とした木々の新緑を、シグナーが忘れるはずはなかった。

 

 

 

 

 

 チャリントンの街のはずれ、黒々とした森の淵で暮らす猟師の家にシグナーは生まれた。

 

 シグナーが幼い時にコレラで死んでしまったので、母のことはよく知らない。だが、シグナーには父がいた。父は日夜森に入っては畑や村を荒らす獣を狩る猟師であった。

 

 父が言うには、シグナーは母の血が濃いらしい。それが正しいのかどうかをシグナーは知る術がなかったが、もっともなように思われた。

 

 恥ずかしがりでなかなか友人のできないシグナーと違って、父は人好きのする話し上手だったからだ。あちらこちらの村で慕われている父の子なのか悩んだこともあるほどである。

 

 そんなシグナーの父は、このあたりの猟師の頭もしていた。

 

 森の土地を握っている貴族と話して猟の許しをもらうのも、熊やら狼やらが人を襲った時に山狩りをするのも、なにもかもを人は父に頼っていた。

 

 それどころか、森に入る猟師のほとんどは父が育てたといってもよい。ともかく、父は親しまれていた偉大な猟師だった。

 

 シグナーもそんな父のことを愛していた。シグナーが父について森に狩りにいくようになったのも、父のような狩人になるのに憧れてのことだった。

 

 優しくて優れた父にたったひとつ勝ることがあるとすれば、それはシグナーの天から授かった狩りの才だ。

 

 弓をひかせてシグナーが狙いをはずしたことはない。長年森で狩りをしてきた猟師よりも恐ろしい罠をシグナーはしかけることができた。

 

 そんなシグナーを父も誇りに思ってくれていた。酒に酔った父がほかの猟師に語ることには、シグナーは天と母が父にくれたこの世でいちばんの宝なのだそうだ。

 

 そんな話を耳にするたび、シグナーは恥ずかしくてすぐにベットに潜りこむのであった。

 

 猟師の暮らしは楽ではない。森で獣と戦うのだから傷もするし、今は大きな牧場で飼われたハダカネズミやアブラブタの肉があちこちに流れていてせっかく狩った肉も安くしか売れない。

 

 それでも、シグナーはこのつつましやかな暮らしを愛していた。魔道革命によってどんどんと違ったなにかになっていく街のそばで、こうしていつまでも生きていられると思っていた。

 

 

 

 

 

 その夏は、いつもと違っていた。

 

 いつもはたわわに実っていたはずの畑で育てられていたリッカの実も、赤く熟することなく青いままでうなだれている。夏だというのに、なぜか吹く風は寒かった。

 

 冷夏がやってきたのだ。

 

 なにもおかしな話ではなかった。古書を読むことができれば、これまでいくつも猛暑が訪れることのなかった夏というものはあり、それは人にはどうしようもないことだった。

 

 この世に神がいるのだとして、たがか村人の畑のことなど考えているはずもない。

 

 村人たちは実ることのない畑を去り、もくもくと煙を吐きだすチャリントンの巨大な工場に消えていった。黒々とそびえる工場群は果実と違い夏の温もりなどなくとも働けるのだから。

 

 そうして人のいなくなった畑に、獣がやってきた。

 

 どの獣もやせて、飢えていた。村人が残していったなけなしの果樹の青をオウギジカが狂ったようにむさぼる。そのそばで死んだ子鹿にハエがたかっていた。

 

 冷夏が厳しく傷つけたのは人の畑だけではない。森もまた枯れ木ばかりになって、飢えと苦しみがまるで嵐のように吹きすさんでいた。

 

 獣は実りのない森を諦め、どんどんと人の地に踏み入っていく。

 

 猟師たちは村に残る老人たちの命を守るため、あちこちを飛びまわって狩りをせねばならなかった。シグナーも父について家をいく晩も後にするようになった。

 

 数瞬の後に命があるかもしれぬ獣たちは、己が死を逃れようと暴れまわる。

 

 もう肉を数か月も口にしていないのだろう背と腹がくっついたモリオオカミは、がくがくと震えながらも牙をむきだしにした。穏やかな獣であるはずのオウギジカですら瞳が狂っている。

 

 いく人もの猟師が傷を負って寝たきりになった。もう人が暮らすことはできないと誰もいなくなった村すらある。後がなくなった獣の暴虐に人はなす術がなかった。

 

 シグナーはいくつの獣の命を奪ったか、もう考えすらしなかった。いつもならば命に謝してきちんと口にしていた獣の亡骸も野ざらしにされて、ほかの獣に喰われるままにしている。

 

 まるで魔導機械になってしまったかのように、シグナーはひたすら弓をひいた。

 

 

 

 

 そんな暮らしをしているうちに、父のもとに恐ろしい知らせがやってくる。親しい猟師が血みどろになりながらも訪れてきて、息も絶え絶えに口にした。

 

 森の神が現れた、と。

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