華やかな英雄譚の裏でコツコツと金を稼ぐ無口な銃手の話 作:アンドララベリャ
人も獣も、すべからく生けるものは魔を秘めている。ほとんどの者はそのことに気づかず死んでいくが、優れた才ある者が長い時をかけて己がうちの魔に手をかけることがあるという。
かつての偉大なる魔導師のほとんどが老人であるのはそれがゆえである。そして、魔をこの世に生んだ神は人と獣とをわけへだてることはなかった。
長く生きる獣のうち、魔にふれて神のごとき威をもつ者を狩人は森の神とよぶ。
森の神を猟師がひとりで狩ろうとすることはまずない。人の知のおよばぬ魔を秘めた森の神はただひとりの弓をひいた人ごときでは殺すことなどできないからだ。
ただ狩りをしているうちに森の神を目にしたのなら、どんな猟師でも黙ってその場を去る。
だが、そうして逃げることのできない時もある。飢えて人の肉すらも口にするようになった森の神が生まれた時である。
森の神はただの獣ではない、なにもせずにいれば一晩でいくつもの村が喰われてしまう。そうした時、古から猟師たちは己の命すらも賭して森の神を狩るのだ。
父はすぐさまあちこちから猟師を集めた。
ある者は守っていた村すら諦めてやってきた。森で狩りをする者たちはみな、狂った森の神の息をとめる術とそして務めを古から負っているのだ。
シグナーもまた、戦わなければならなかった。
だが生まれてからずっと猟師として暮らしてきたシグナーにとって、それは嘆くことでもなければ悲しむことでもなかった。それは、狩人としてなさねばならぬことであった。
「おっ、久しぶりだな」
「! ……お久しぶりです、ライモンさん」
夜、焚火のゆらめく炎をみつめるシグナーに、声をかける男がいた。大きな弓を背にして、その鍛えられた腕を惜しげもなくさらしている。
男の名はライモン。
森の狩人でも一二を争うほどの腕をもつ、父が育てあげた優れた猟師だ。そして、シグナーにとってはもうひとりの親のような男でもあった。
父に人としての道を教えてもらったとしたならば、ライモンは狩人の師だ。森で初めてオウギジカを捕えた時も、そばにライモンがいてくれた。
狩人の誰も目にしていなかったから、まさかと思われていたのだが。
シグナーは声こそあげなかったものの、駆けよってライモンに抱きついた。汗と土の香りが、つんとシグナーの鼻を刺す。
ライモンが笑いながら、ぐしゃぐしゃと頭を撫でてくる。
明日あの森の神と戦うというのに、ライモンはいつもとすこしも違っていなかった。いくども目にした大きな笑みを傷だらけのいかつい顔にうかべている。
ライモンらしい。だからこそ、漁師たちはどこか心のつかえがとれたような気がした。
「ライモン! 遅かったものだから森の神にやられてしまったものと思っていたぞ!」
「なに言ってんだ、俺が今さら獣ごときにやられるわけがないだろ!」
父がのしのしと歩いてくると、こちらまでその響きが伝わってくるほどに激しくライモンの肩を叩いた。ライモンはにやりと不敵に笑う。
「ほんとうによかった、これから森の神を狩るための策を話しあうところだったんだ。明日はライモンもひと働きしてもらうぞ!」
「おう、まかせとけ!」
父の企ては、とあるひとつの村を餌として森の神を誘いだすことだった。村のまんなかに今まで狩ってきた獣の亡骸で祭壇をつくる。
森の神が腐肉をむさぼるのに心を奪われている隙をついて、狩人たちがいっせいに毒矢を射かけるのだ。百数十年も昔のかつてに森の神が村にやってきた時も、そうして殺したものである。
父の考えに、誰もが頷いた。
狩人は、騎士のように正々堂々と戦うなんてことはしない。猟師と獣とは狩り狩られるだけのこと、策を弄して戦うことこそが獣を尊ぶということである。
戦いに先じる酒宴から一夜明けて、猟師たちは狩りについた。
それぞれの狩人が、森での狩りで学んだ術を生かして村のあちこちに隠れていく。その誰しもが、森の薬師の作った魔導の毒にひたした矢を手にしていた。
村のまんなか、ふたつの道の重なるところにどんどんと狩られた獣の亡骸が積まれていく。村人たちが血の香りをまきちらして、村の道は赤く染められていた。
狩人たちは息を殺して森の神がやってくるのを待つ。その時は思ったほど遅くはなかった。
血まみれになった猟師のひとりが、死にもの狂いで村へと続く道を走ってくる。その後ろから、ずりずりと重い足をひきずりながら森の神が歩いてきた。
シグナーが森の神を目にしたのはこれが初めてのことだった。
遠ざかっていても獣の臭いがまとわりついてくる。脂と血とでべとべとになった毛はべったりとくっついていて、まるで黒いひとつの影のようにみえた。
森の神は、イバラグマであるらしい。
木の実を口にする、熊のなかでもちいさくて大人しい獣である。シグナーの目にする老木のような雄大なる森の神はとてもそうは思えなかった。
飢えてさえいなければ獣らしからぬ知の光を煌かせていたのであろうその瞳は今はどろりとにごり、目にする者にこの世のものとは思えぬ怖気を味あわせる。
そんな森の神を誘いだすはずであった猟師は、もはや思うがままに森の神から逃げていた。
生きようとあがくその血まみれの狩人に、森の神が腕をふりかぶる。その鋭い爪が鋼のように鈍く輝いたかと思うと猟師の胸をつらぬいた。
シグナーとて知らぬわけではない猟師だった。
狩りの腕がとびぬけて優れているわけではなかったが、それでも森の猟師に恥じぬ男だった。だが、その男は恐怖でゆがんだ顔を残して死んだ。
森の神がその亡骸に食らいつく。
森の神の顎がばきばきと男の骨を砕きながら肉を飲みこんでいくと、ほんの三口で男は食らわれてしまった。それでも森の神の飢えは鎮まらない。
黒い泥を道に残しながら、森の神が村に入ってくる。
きつい香りのする薬草の汁を村のあちこちに塗りたくっていなければ、とっくに村に潜む狩人たちのことは森の神が嗅ぎつけてしまっただろう。
いや、そもそも飢えていない森の神ならば、人と獣の境を侵すようなことはしなかったはずだ。
やがて、森の神は村に築かれた獣の亡骸による祭壇に目をつけた。知を学んだはずの森の神が、まるでそこらの野犬と違わぬ勢いで腐りかけた肉に飛びつく。
血が飛び散り、骨が噛み砕かれていく。
ひさびさにありつけた肉を貪ってしばらくしたころ、森の神がふらりと足をよろめかせた。まるで羽虫でもまとわりついているかのように腕をふりまわしている。
先ほどまでカビの生えた肉を入れていた口からは、白い泡がブクブクと吹きだしていた。獣の腐肉にしこまれていた毒が、ようやく森の神の血にまわったらしい。
だが、それだけではたりない。
森の神を殺すには、ただ毒を食わせるだけでは駄目なのだ。
村のあちこちで、猟師たちが猛毒の塗られた矢をぎりぎりとひきしぼった。シグナーもまた、己の弓を目いっぱいひく。
父が白い矢を天にむけて放ち、狩りの狼煙をあげた。
ビュウッ、とそこらじゅうから矢が弓から放たれる風の音が聞こえる。数十もの矢が放たれているというのにひとまとまりのように音が聞こえるのは、狩人たちの腕の証であった。
家の陰から、森の木々から、畑の柵から。森の神を狙う矢はあちこちから飛んでくる。
これならば、誰であろうと防ぐことはできないだろう。油断をつかれた森の神はなす術もなく、そのまま無数の矢をその身にうけた。