華やかな英雄譚の裏でコツコツと金を稼ぐ無口な銃手の話   作:アンドララベリャ

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8 無口な銃手、荷をまとめる

 シグナーは閉じていた瞳をぱちりと開けた。

 

 せまい下宿にいつのまにか肉の焦げる煙っぽい香りがしている。シグナーは慌てて焼きすぎたハンバーグをフライパンから救いだした。

 

 すこし焦げてしまったハンバーグは、それでも美味しい。

 

 シグナーしかいない下宿に、カチャカチャと皿とフォークのすれあう音が響く。ささやかなご馳走をシグナーは慎ましやかに楽しんだ。

 

 腹が満たされると、人は眠くなるものだ。シグナーは己の心に逆らうことなく床につくことにした。

 

 魔導灯を消し、黒い闇のなかをシグナーはベットに潜りこむ。

 

 厚いカーテンでふさがれたはずの窓からは、火鉱石の炉に火が入るたびにかすかな赤の光がさしこんでくる。もうシグナーは慣れっこだ。

 

 ガタンガタンと下宿のうえにある駅に汽車が入っていくたび天井が震える。シグナーはそんなこともおかまいなしに夢へと旅にでた。

 

 

 

 

 

 父を失ってから、シグナーは森で猟師を続けることはできなくなった。

 

 父に代わって貴族から森での狩りの許しを乞うことになったライモンが、シグナーに声をかけることは終ぞなかった。狩りの許しがないのなら、シグナーは森に入ることができない。

 

 はたしてライモンはなにを考えていたのだろうか。

 

 父を捨てたという罪に目をむけられるほど強くはなかったのか、それともシグナーが父の敵を討ちにくると恐れたのだろうか。シグナーが知ることはできない。

 

 いちどライモンの家を訪れた時も、誰もいなかった。

 

 まるで慌ただしく逃げていったかのように庭には手入れが終わっていない弓が転がっている。シグナーはせっかくなのでその弦をはってからライモンの家を去った。

 

 恐れなくともよいのに、シグナーはそう思う。

 

 シグナーはライモンに怒りなどなかった。森の神という人を喰らう獣を目にして、心穏やかでいられる者などほとんどいない。ライモンは違うと思っていたが、そうではなかっただけのことだ。

 

 なぜ父は死んでしまったのか。シグナーはそれからなんとなく考えてみたが、やはりひとつの訳しか思いつかなかった。

 

 人を信じすぎてしまったのだ。

 

 シグナーはこれまでたくさんの獣の群れを狩ってきた。その時に知ったことがあって、それはいかに群れる獣と言えどいつもひとりで生きているということだ。

 

 人が考えるほど獣に情がないわけではない、ほとんどの獣は傷を負った友を救おうとする。だが、それが己の命を失うことがわかりきっているとなると、逃げだしてしまう。

 

 人も違わない。

 

 獣も人も、この世をひとりで生きている。どんなに友と、子と語りあおうともその心を知ることができる時は永遠に訪れることはないし、その思いが永遠に続くことはない。

 

 かつて母のオウギジカがシグナーの射た子ジカを捨てて逃げだしたように、老いたモリオオカミの長を群れがおいていってしまうように。

 

 ライモンも父が助からないと思って気にするのをやめたのだ。

 

 だから、シグナーもまたひとりで生きていかなければならない。ひとりで暮らして、ひとりで狩りにでて、そしてひとりで獣に殺される。そんな生こそが狩人という者なのだろうから。

 

 だから、シグナーは生まれた街を去った。

 

 狩りをすることのできなくなった森など、狩人の暮らすところではない。狩人はひとりで旅をして、ただひたすらに獣を狩る。シグナーはたまたまチャタレーの街に流れついだだけなのだ。

 

 

 

 

 

 ベットの上に、ずらりと荷がならべられている。

 

 缶詰に寝袋、いろいろなロープ……。その隣にどさりとおかれた鞄は、シグナーがこれまで谷に潜る時に肩にかけていたどんなものよりも大きなものだった。

 

シグナーはその鞄にベットのうえの荷を慎重に詰めていく。

 

 これからシグナーが潜る谷はいつもの深さではない。いまだ谷のうえのほうのアカツキであることには違いがないが、旅路ははるかに厳しいものとなるだろう。

 

 谷は深い。それこそ一日などではなにがなんでも潜ることのできないほどに、である。

 

 ならばアケボノやタソガレといった谷の深奥に潜っていくモグラたちはどうするかというと、谷で眠りにつくのである。

 

 どれほどの夜をしのぐことになるかはどれほど深く潜るかにかかっている。

 

 アケボノの深みまでたどりつくには、それこそ三晩は谷で寝なければならない。タソガレともなれば十日かけても足を踏み入れることができるかどうかといったぐあいである。

 

 ゆえに、モグラたちは山のような荷を背負い、あちこちに隠しておいた缶詰などを口にしながら谷の奥へと歩いていく。

 

 さらに、荷が重くなる訳はそれだけではない。

 

 たくさんのモグラたちが長い時をかけて作りあげてきたアカツキの浅いところの山道と違って、これから深く潜っていくたびに道はどんどんと厳しくなっていく。

 

 ロープでなにもない宙を降りていったり、凍りついた崖にピッケルをうちこみながらしがみついたり、そうしてより己で道を選んで潜っていかなければならなくなる。

 

 そこが新入りのモグラたちが潜るアカツキとその先の深さをわけるものである。

 

 これより先に足を踏み入れるためには、ただ勇敢であったり魔銃の腕があったりするだけでは駄目なのだ。そんなものはあってあたりまえ、さらに深く旅の道を考えられる知が求められる。

 

 これからシグナーが臨むのは、そうした試練である。

 

 ロープをひとつでも失ってしまえば、谷の深みで登ることも降りることもできずに飢えて死ぬのを待つことになる。だから、シグナーは荷を慎重にまとめているのだ。

 

 やがてなにもかもを確かめたシグナーは、ゆっくりと頷いた。

 

 ついに潜る時がきた。これまでひとたびも足を踏み入れたことのないアカツキの深みへと、ついにシグナーも潜っていくのだ。

 

 シグナーは重い鞄を背負って、下宿の扉を開けた。

 

 

 

 

 

 まだ日は昇っていない。暗い街をシグナーはランプを灯して歩いていく。

 

 ほかにも谷の深みへと潜ろうとするモグラたちとぽつぽつと顔をあわせる。話しかけることはしないが、誰もが生きてここに帰ってこれることを願っていることだけはわかった。

 

 これから長くつらい旅がはじまる。

 

 シグナーはいつものように昇降機に乗った。もう顔なじみになってしまった昇降機の女がにっこりと笑って声をかけてくる。

 

「おはよう、ついにアカツキの奥に潜っていくらしいね」

 

「……おはよう、ございます」

 

 昇降機を動かしながら数えきれないほどのモグラを運んできたこの女の目をごまかすことはできない。シグナーの姿を目にしただけでどこに潜ろうとしているかまで知られてしまった。

 

「そうかい、それはよかった。初めてこいつに乗せた朝からこいつは違うってわかってたんだがね、こんなにすぐに深く潜りだすモグラは久しぶりだよ」

 

「……」

 

 昇降機を降ろす時がくるのを待つシグナーに、女が話しかけてくる。へらへらと笑っているその瞳の奥には、どこかシグナーへの憂いがあった。

 

「きちんとロープは新しくてほつれてないものを買ったかい? ロープをうちつける釘も、きちんとしたものを買わなくちゃいけないんだよ?」

 

「……だいじょうぶですから」

 

「ならいいけどね」

 

 女は口をつぐんだ。しばらくして気がかりそうな瞳でシグナーをみつめる。

 

「あたしたち昇降機の運転手がね、いちばん嫌なことは降ろした客が昇りにこないことだよ。いつまでたっても帰ってこなきゃ、そいつの末路は知れてるってものさ」

 

 女は語る、そうして死んだ者のほとんどは亡骸すらも帰ってこないのだと。ほとんどのモグラは戦っているうちや火鉱石を掘っているうちに谷に落ちて死ぬのだから、それもそうだ。

 

「あんまり急いで死んじゃいけないよ、生きて帰ってきなさいね」

 

「……はい」

 

 シグナーは狩人の家に生まれた。狩人は命をかけたりなどしない、それが父の口ぐせだったのだから、シグナーも女の言うことはよくわかっていた。

 

 重々しく頷くシグナーに、それでも女は暗い顔をしている。

 

 だが、もう昇降機が動きだす時だ、モグラが谷に潜り始める時だ。女はレバーを握って、それを勢いよく降ろそうとした。

 

「待ってくれ、僕たちも乗る!」

 

 どこか、聞き覚えのある声がした。

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