華やかな英雄譚の裏でコツコツと金を稼ぐ無口な銃手の話 作:アンドララベリャ
昇降機が谷の深みへと降りようとするその一瞬に飛び乗ってきたのは、シグナーも顔を知っているふたりのモグラだった。
「あーあ、谷深くに潜るんならきちんと荷をまとめとかなきゃ。朝になって忘れたものに気がついて慌ててるようじゃ一流のモグラにはなれないぞ」
「うるさいな、わかってるよ。だいたいカミラだってなんにも言ってくれなかったじゃないか」
「どうしてあたしがそんな誰でも知ってることをいちいち口にしなきゃいけないのさ」
あの日、シグナーの撃ち落とした獣をめぐってちょっとしたもめごとになったあのラミレスたちが荒い息をついて昇降機の床にへたりこむ。
「それじゃ、いきますよ」
ぎりぎりに駆けこんでくるモグラには慣れているのか、昇降機の女はため息をついてレバーを降ろした。鉄のかごがガタガタと震えながら谷の奥へと降りていく。
シグナーは冷たい鋼の柵に目をやって、どんどんと上のほうに流れていくチャタレーの灰の街をみつめていた。ラミレスに気づかれないよう、心のなかで願いながら。
あんなもめごとの後で顔をあわせることほど気まずいものはないのだ。
「あっ、おまえ!」
だが、神の祝福がシグナーに降りかかることはないようだった。ラミレスのすっとんきょうな叫び声が朝ぼらけの谷に響く。
「あの鳥の獣の時のモグラじゃないか。その荷、もしかしておまえもこれからアカツキの深いところへ潜っていくつもりなのか」
「……人にどこに潜るかなんて聞かれても困る」
シグナーはしぶしぶ口を開く。あの時と違って昇降機が降りきるまではここから逃れることはできないのだ。シグナーはこれからしばらくラミレスの話につきあわなければならなそうだった。
シグナーがはぐらかしたのにもかかわらず、ラミレスは己の考えを信じているようだった。
「ふん、そんな風にごまかそうとしたって無駄だぞ。どっちが先にもっと深いところまでいけるか競争だな」
子どものような、まあ現にラミレスは子どもなのだが、負けん気をみせるラミレスにシグナーはため息をつくことしかできない。
シグナーのようなモグラは金を稼ぐために谷に潜るのだ、谷を潜る腕を競いあうためではない。
もしかするとラミレスはシグナーとは違って人の踏み入れたことのない未知なる谷を探検する者としてのモグラに憧れているのかもしれないが、それならばこっちに関わらないでほしかった。
「いいから、さっさと潜っていきなよ」
どっちが優れたモグラだとかどうでもいいシグナーは、ぞんざいにラミレスに声をかける。
できればそのままさっさと潜っていってもらって、谷では話をすることもない。そんな風にならないかとシグナーは思っていた。
「なんだよ、それ。モグラなんだったら谷に潜るのにもっとやる気になれよ!」
シグナーのなげやりな言葉は、なぜかラミレスの心を逆なでしたようだった。眉をひそめてつめよってくるラミレスにシグナーは心のなかで悲鳴をあげる。
いいではないか、ラミレスはラミレスでどんどんと深みに潜っていけば。シグナーは、己はそういう類のモグラではないのだ。
「あらあら、カミラちゃん。もしかしてラミレスとこの子って友達だったの?」
「さあ、わからないなあ。ラミレスのやつがつっかかっていっているだけにあたしにはみえるけど」
「でも嬉しいわ。あの子っていつも一人で谷に潜っていくもの、昇降機を降ろす身としてはいつ帰ってこなくなるか怖くてしかたがなかったのよ」
カミラと昇降機の女がシグナーたちを遠ざかったところでなにやら話をしている。助けがこないと知ったシグナーはそのままひたすら心を無にしてラミレスの話を聞き流した。
「それじゃ、モグラに谷の慈悲がありますように」
「……慈悲がありますように」
昇降機が潜ることのできるもっとも深いところで降りたシグナーやラミレスたちは、乗ってきた鉄のかごが朝の霞のなかに昇って消えていくのをみつめる。
ひんやりとした朝の風がシグナーの肌をなでて心地が良い。
「それじゃ、勝負だからな! どっちが先にアケボノにつけたかで優れてるかどうかわかるんだから!」
ラミレスが声をあげているのを聞かなかったことにして、シグナーはさっさと谷の山道を歩いていった。これでようやくラミレスたちから遠ざかることができる、そう胸をなでおろす。
だが、どれほど歩こうともラミレスの声が聞こえなくなることはなかった。
それどころか、シグナーが歩いてきた道のうえをラミレスたちもまた降ってきていた。嫌な気がして、シグナーは顔をひきつらせる。
ラミレスもまた、どこか困ったような顔をしていた。
「おい、まさかおまえもこっちの道をいくんじゃないだろうな」
どうやらラミレスとシグナーとが道を違えることなく谷を潜っているのはラミレスにとっても考えていなかったことらしい。
よかった。もしラミレスが子どものような負けん気で後をついてきているのだったら、いよいよシグナーもラミレスの正気を疑うところだった。
「谷を降る道なんて深く潜れば潜るほどどんどんと限られてくるからね。モグラたちがはちあわせるなんてことはよくあることさ」
カミラが知ったような口調でのんきに語る。
たしかにシグナーには思いあたる節があった。ある時、ふと興味をもったシグナーはモグラの証たる蝶の魔術で谷の道を調べたことがある。
シグナーたちモグラが首からさげている蝶の魔術はこれまでモグラたちが歩いた道を宙に描きだすことができるのだが、あきらかに谷深くの道は細く、数がないのだ。
、無数の道が入り乱れてまるでクモの巣のようになっているアカツキと違い、深いタソガレなどは道がひとつしかないことなど珍しくもない。
だからといって、まさかラミレスと道が重なってしまうとは。シグナーはかつての己を罵った。
なにはともあれ、今さら道を違うものにするなんてできるはずがない。この谷を潜っていく道筋は七日ほどの昔に頭を悩ませて考えだしたものなのだ。
シグナーは諦めるほかなかった。
谷の深くに潜るにつれて、道は厳しく、辛いものになる。そのことをシグナーは潜りだしてはじめのうちに思い知ることになった。
淵からのりだしたシグナーの瞳の先に続くのは、先がみえないほどの断崖である。
ほんのわずかばかりのでっぱりしかないような岩肌が、横にも縦にもどこまでも続いている。無数のモグラの命を奪ってきた巨大な岩壁は、静かにシグナーの挑戦を待っていた。
かつて初めてこの崖を降ることができたモグラが神話になぞらえてつけた名はマシュバッドの盾。かの古の巨人は海深くから星々まで連なる巨大な盾を手にしていると唄われていた。
シグナーはちらりと天の頂で輝く日に目をやった。
今は昼頃だ、急げば夕暮れまでに崖下に足をつくことができるかもしれない。アカツキでも屈指の難関であるこのマシュパッドの盾を早くに越えることができれば、かなり旅が楽になる。
「おい、カミラ。さっさとロープをだすぞ! あいつに先を越されてたまるもんか!」
ラミレスが鞄を地に降ろし、崖を降るための釘やロープやらをとりだしている。ため息をついたカミラが手を貸すのを脇目に、シグナーは天をひたすらにみつめた。
風を感じ、雲をみる。シグナーは顔をしかめた。
鞄に手をつっこんだシグナーがロープのかわりに手にしたのは、天幕だった。未だ昼だというのになぜかシグナーは焚き火まで始めようとしている。
そんなシグナーのことを、ラミレスはわけがわからないとばかりに目にしていた。
「おい、カミラ。どうしてあいつはまだ昼なのに天幕なんてたててるんだ、そもそも晴れてるんだからそんなものいるかも……」
「あの子はやっぱり賢いね。ラミレスも習ったらいいよ」
カミラの言葉にラミレスがきょとんとした顔をする。シグナーはなぜか焦ったような顔で天幕を地にとどめる釘を深くうちこんでいた。