星色モラトリアム   作:らぶりー

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2/ アルフェラッツ

 

 カメラを構えて、ふと思い出したのは先週のことだった。

 どうして急に、なんて理由は単純。駅前、日曜日の真っ昼間。空が青いのもあって多くの人で賑わうショッピングモールや改札の入り口。乱雑な喧騒に聴覚を支配されながら、俺はその人の営みを写真に収めようとして。

 

「……あ」

 

 見知った少女の顔を、ショッピングモールの入り口で見かけた。

 びゅんびゅんと忙しなく通過する車越しに見るに、どうやらこちらには気が付いていないらしい。横断歩道を挟んでるんだから当たり前か。向こうの様子を探りながら、近くのイチョウの根に腰を落としてみる。ゆっくりと背を幹に預けると、意外にもひんやりしていた。肩甲骨のあたりが納まりが悪いので、そっとカメラを下ろす。人通りが少ない道沿いの小さな公園で、ちょっとした考え事に耽る。木の葉を擦れる音に手を引かれるようにして、脳裏に先週の出会いを描いた。

 

 ──どうして写真を撮り始めたの?

 

 どうして、だっただろう。

 カメラが趣味になったのはいつのことだったか、正確には覚えていない。物心がついたころには、父親の持つカメラにすでに心奪われていたような気さえする。いまだにきっかけは覚えている。けれど、今でもこうして取り続けている理由は曖昧だ。

 世界を閉じ込めること。自分の目以外のレンズを通して、世界を見てみること。知っているはずの景色の、知らない姿を見つけること。それが、ひどく綺麗に思えたから──なんて言うのは、いまだ拗らせすぎだろうか。それとも、未だ忘れられない別れからの逃避に過ぎないのか。

 

 意味のない自問だ。結局はよく分かっていないのだから。(かぶり)を振って、もう一度反対側の歩道に視線を移して、少女を観察する。いや結構挙動不審だな。店内をちらっと見ては手元に視線を移して悩んだようなため息。その繰り返し。何をしているんだろう。

 ……よく分からないと言えば、今こうしている自分もだ。先週、何の因果か知らない少女と写真を撮って。彼女との出会いと言えばその程度のもので、顔を合わせたのはあの一回きり。それからたった一週間近くで偶然見かけるとは。とはいえ取り立てて驚くほどのことでもないのかもしれない。もしかしたら顔を認識するかしていないかぐらいの問題で、今までもどこかですれ違っていた可能性だって。いや、問題はそこではなくて。

 

 ──いったい何を期待するように、俺はここに座っているのだろうか。

 

 思考回路を遮断するように息を止めて、カメラを構えた。普段から考えている構図も、撮るときの姿勢も、レンズを付け替えることさえしない。ファインダーを覗いて、ピントを合わせて、少女の姿が人だかりを構成する何かにしかならないことだけを期待する。

 

 結果は散々だった。何度ファインダーを覗きなおしても、何度ピントレンズを回しても、その50㎜のどこかにあの白色の少女が入りこんでくる。ほとほと自分に呆れてしまう。まさか、どうしようもないほどに──あの日の思い出が、目蓋の裏にあるというのか。

 

 辟易する。こんな時期に、これか。どうしよう。このまま見て見ぬふりをして日常に帰るか、まだ未練がましくここに座っているか。……いや、そこまで気にすることでもないか。彼女がわざわざこちらの方に目を向けなければそのままでいい。そもそも視界から外れている可能性だってある。わざわざ追いかけるほど仲がいいわけでもないのだし、所詮それきりの出会いだと割り切れる。取り敢えずはここから見た写真を撮ってみるところから。

 

 そうやって考え事をしていたのがよくなかったのか。

 

「……あ」

「……え」

 

 呆けた声が二つ。困惑の空色から逃れるようにして、俺は横断歩道の青信号を見上げた。

 

 

 

 

 気まずい沈黙を破ったのは、意外にも彼女の方だった。

 俺と同じく、目を合わせておきながら見て見ぬふりをできるほどの胆力はないらしい。「今日はなにを撮ってるの?」から始まった会話は、いつの間にか近くのベンチに二人掛けで座るまで続いた。

 眩しく刺さる日差しから逃げるように木陰へ。冷たい風を浴びるために住宅街から開けた場所へ。二人して会話に集中していたから、ゆっくりではあったけれど。

 

「これは?」

「この真ん中のやつ? なんだっけ……ああ、くじら座だったかな」

「くじら座なんて、聞いたことない」

「たしかに、結構マイナーな星座だ」

 

 俺も知ったのは写真を撮るようになってからだった気がする。

 

 ばったりと出くわした突発的な雑談の終着点は、先週別れた後に撮った写真についてだった。星の写真、と一口に言ってもその種類は意外にも多い。星空を撮るか、流星群だとか流れ星を撮るか、とか諸々。かなり端折って説明したその辺りも意外だったのか、先週よりも食いつきがいいように見えたのが印象的だった。

 これも何かの縁だ、なんて宣って送った写真を、隣に座る彼女は物珍しそうにスワイプしていた。

 

「わっ……これ、理科の教科書で見たことある」

「ああ、スタートレイルっていうんだよ。あそこすごいよな、こんなの撮れるんだから」

「これ、どうやって撮ってるの?」

「まあ三脚立てて、バルブで3時間ちょっと撮って、ソフトで合成して」

 

 すごい、と感心したような声を漏らす彼女に、なんだか気恥ずかしくなって視線を正面に向けた。

 どうにも、この少女の誉め言葉には慣れない。邪気が無いというか、素直というか。照れくさいのとこそばゆいのが一緒になって来る感覚。

 

 そのまま、星の鑑賞会は進んでいく。

 星座の名前とか、写真の撮り方だとか。彼女にとっては何の益にもならないようなことを、自分なりに説明しながら。夕方に見えた半月から、真夜中の北極星まで。空をなぞるように収めたひとりぼっちの星空を、今になって彼女と共有している。そんな錯覚があった。

 

「これ──」

「アルフェラッツ」

 

 しなやかな指先が止まる。最新型よりも数世代前のスマートフォンの液晶に写っているのは、曇り空の切れ目からかすかに見える星だった。星を撮るときに、俺が欠かさず探してみる星。北東の曇り空の中、ひどく眩しく輝くニ等星。シャッターを押すたび脳裏で光るしるべ。

 

「アルフェラッツ?」

「アンドロメダ座って、わかる?」

「聞いたことはあるかも」

「アンドロメダ座って、いくつかの星からできてるんだけど、その中で一番明るく見えるやつ」

「それが、アルフェラッツ?」

「そう。俺が、一番最初に知った星の名前」

 

 押しつけがましいだろうか、とふと思う。どうでもいいことだろう、という確信がある。それでも、と口を動かす自分がいた。自分の見ている世界を知ってほしいなんて高尚な理由じゃない。ただこの出会いが最後かもしれないから。彼女がどこかの未来で思い出すときに、やけに鮮明な記憶の一つくらいあってほしい、なんていう我儘。

 

「小さい頃、プラネタリウムに行ったことがあったんだよ。で、その時に見たアンドロメダ座をなぜかずっと覚えてて。実際に星空をみて星を探そうとしたときに、手を伸ばしたんだ。届くわけもないんだけど、それが綺麗で、眩しくて、小さいなりに小学校の図書室で調べたりして」

 

 別に、それまで星を見たことが無かったわけではない。けれどきっと、そういう意味で初めて見た星はこれだった。名前がアラビア語だということを知った。明るさに等級があることを知った。二重星という種類があることを知った。

 

「数えきれない星空の中にも、ちゃんと名前があって……って、今考えたら当たり前だけど。そうした後に、周りだって同じに見えて。試しに、父さんの持ってたカメラで写真を撮ってみたんだ」

 

 熱が入っていることを自覚していた。どうもやけに口がまわる。微かな思い出を手繰り寄せるように、ゆっくりと記憶の坩堝を歩いている。ここまでか、と我ながら驚く。なんでもない出会いに、俺はこんなにも価値を付けたがっている。

 そんな自己満足に、彼女は何も言わなかった。困った風に笑うでもなく、共感に破顔するでもなく。ただ静かに、時折何か考えるように、深い青空をゆっくりと揺らしていた。

 

「そしたら、写真の中に知らないものがたくさんあった。道端の植物とか、雲の形とか、虫の名前とか。そうやって、生きている世界を一つずつ見てみることが好きになった」

「それで、カメラを?」

「まあ、そうとも言える……かな」

「……すごい」

「ありがとう。大したものじゃないけどな」

「ううん。すごいよ」

 

 ほう、と息を吐いて、彼女はそっと空を見上げた。その声と瞳から感情を読み取ることはできない。そこまで付き合いが長くもなければ、この会話にだって意味が無いのだから。

 そう、俺は彼女のことを何も知らない。ただ二回会っただけの、知り合い未満の関係性。

 けれど彼女は嘘を言わない。それだけは、謎めいた確信がある。

 

「写真を撮って世界を見る……それって、すごい……!」

 

 だからこれも本音だと、そう思えた。

 不思議となんだかむずむずしてしまって、開いた口から声は出なくて。ひどく間抜けな表情を隠すために、反射的に片手で顔を隠した。

 長い睫毛の下で、大きな瞳を煌めかせながら彼女は息を吐いていた。そのまま、さっきまでとは逆向きに指をスワイプしていく。星の写真を過ぎて、スタートレイルを追い越して、一週間前に撮った写真まで液晶が追い付いたところで、青みがかった白い髪が揺れた。覆った手の隙間から見える水色のアウターがベンチの背もたれから離れて、座りなおしたのかとあたりを付けた。

 

 長い沈黙。彼女は小説のページをめくるみたいに写真をスワイプして、俺はその隣で何度かシャッターを押した。試しにベンチから離れてみてもそのままだったので、どうやら集中しているらしい。こんなに真剣に見てくれるならもっと丁寧に撮ればよかった。

 

「……私は、自信がなくて」

 

 10分か、20分。席を立ったり座りなおしたりを数セット終えて一息ついた俺に、彼女は躊躇いがちに口を開いた。かと思えば、今度は巻き戻すように口が閉じる。所在なさげに移動させた瞳が、こちらとかち合うことはない。

 自然と漏れ出てしまった言葉なのか、俺に聞かせるつもりはなかったのか。少なくとも、積極的に話したいわけではなさそうだった。

 

「どうかした?」

「や、やっぱりなんでもない。えっと……」

 

 邪気が無いというか、素直というか。なるほど、俺の感想は的外れじゃなかったらしい。この少女は意識的に会話を誘導することが得意ではない。話を誤魔化そうとするのも申し訳なさそうにするし、会話の続きを無理にひねり出そうとしているのは明白だ。

 

 やっぱり、彼女は嘘がうまくない。

 

「写真なんて大したことじゃないんだ」

「…………」

「勝手に話して、勝手に聞いてもらってるだけだから……その、聞いてくれただけで俺は嬉しかった」

 

 やけに長い独り言に、返事はなかった。

 

 木漏れ日が少女の膝を照らしている。

 薄い雲が太陽を隠そうとして、日の光が弱まる。

 さあっと風が吹いて、視界と聴覚がたおやかな色彩に埋まる。

 背中を押すかのような、希望に満ちた一刹那。

 

 花壇に咲く花に淡く微笑みかけるように、彼女はそれを眺めていた。

 

「ずっと自信が無くて、友達もできなかったんだよ」

「……」

「意外?」

「いや……その、意外と予想通りだなって」

「え、ええ……」

 

 高校からお嬢様学校に行っていること。慣れない環境に置かれた自分の道が、輝いて見えなかったこと。

 ぽつり、ぽつりと言葉を落としていく。湖に水滴をゆっくりと垂らすみたいにして、胸の中に苦笑いを浮かべる彼女の音が入り込んでくる。

 

「周りはすごい人ばっかりだし、みんな話すことのスケールが大きいって言うか。賞状を何個も取ったとか、私なんかとは次元が違う人ばかりで」

「ちょっとした疎外感?」

「うん。それで、私は何にもできないって思ってて……でも今は」

「何かいいことがあったんだ」

「その日、友達にライブハウスに連れて行ってもらって」

 

 空を仰いだまま、彼女は絹のように言葉を紡ぐ。まるで胸に仕舞った大切なモノを広げるように。いや、実際広げているのだろうか。思い出を、そして歩んできた道を。舌の上で丁寧に氷解させながら、それを言葉として出力しているように思えた。

 

「最初は行くつもりなんてなかったんだけど、手を引っ張ってくれて」

 

 細められた双眸の奥にあるノスタルジアの意味を察することはできなかった。その表情はまるで、夢を思い出す少女──或いは手が届くことのない星を、それでも綺麗だからと目を逸らさない誰か。

 

「初めてライブを見たんだよ」

「……うん」

「そのときに聞いた音が、音の粒が、星みたいで」

「……星」

「うん、星みたいにキラキラ光って……音がぶつかってきて、世界そのものが光ってるみたいな……」

  

 瞳を閉じた少女の言葉を、単に綺麗だ、と思った。

 音楽に疎い身だから断言することはできないけれど、音の粒に星を見るのは珍しい比喩だろう。それがまったくの的外れではない気がするけれど、それはいったいどんなものだろうと思いを馳せた。

 例えば、世界を彩る鮮やかな色彩だろうか。

 例えば、道標にできるような光源だろうか。

 例えば、手を伸ばして焦がれる希望だろうか。

 

 ──それは、なんて。

 

「それで、バンドを?」

「えっ、なんで分かったの」

「さっき見てたの、楽器屋さんだったからさ。自分が弾く楽器じゃなくても気になったりするのかもって」

 

 きょとんとした顔を浮かべて、ぱちくりと瞬きをして、不意をつかれたようにこっちを見る。「ん?」なんていう疑問符がなぜか重なって、はたから見たらおかしな空間だろうか。

 

「も、もしかしてさっきから……」

「あー……ごめん」

 

 その一言ですべてを察したらしい。顔を真っ赤にして、彼女は両手で頬を覆ってぷるぷると震えた。

 

「うう……」

「ご、ごめん。無遠慮だったか」

「そ、そうじゃないけど……」

 

 ここ最近のガールズバンドブームは彼女も例外ではないらしい……いや、これは半分くらい決めつけか。ううん、これは確かにデリカシーが無かった。隣に顔を向けてから、もう一度謝る。彼女ももう落ち着いたようで、静かに「大丈夫」とだけ返してくれた。

 

 そのまま、何とはなしに視線を投げる。ぎこちない空気なんて知ったことじゃないと言わんばかりに、憎らしいほど周りの景色は変わらない。木漏れ日。高い雲。頬を撫でる秋風。つんと鼻を刺すイチョウの香り。手持無沙汰になって、暇を持て余すように隣をそっと盗み見てみると、雲の一つすらない青空と視線がかち合った。一瞬脳みそがキャパオーバーして、現実を認識できなくて、少しして再起動した理性にすべてを委ねると、同時にぱっと顔を逸らした。

 頬が火照る。反対側に顔を向けはするくせに、ベンチから立ち上がる選択肢はないみたいだった。ずいぶんと間抜けな光景がおかしくて、ふっと息を漏らす。隣からはくすりとした笑い声。

 変なところで終わってしまった会話をやり直すように、口を開いてみる。

 

「でも……いいな、星みたいな音か」

「うん。一緒にバンドするのが今はすごく楽しい。私なんかでも」

 

 あんな風になれるのかな、と音が空に融ける。それは俺に語り掛けるものというより、まるで流れ星に(こいねが)う願い事。誰が彼女の憧れなのかは分からずとも、じんわり滲みだすような笑顔に、こちらも顔が綻んだ。会うのは二回目だけれど、当然のように笑顔が素敵だなんて思う。

 

 拳一個分の距離は埋まらない。

 少しだけ自分のことを話して、少しだけ自分のことを分かってもらうだけ。それで少しだけ仲良くなって、笑っているだけ。

 名前さえ互いに教えていない、風が吹けば跡形もなく飛んでいくような些細なつながり。写真の何枚かと、二回だけの会話。

 何かが変わったわけではなかった。俺も彼女もなにか大切なモノが増えたとか、得がたいものがあったわけでもない。

 

 けれど、なんでか、一緒に並んで話すだけで、自然と楽しくなって、笑い合った。

 

 友達ではない。それは彼女の言う「バンド」の中にあるもので、俺ではない。だからきっと、この交流もすぐに何でもない記憶の切れ端になるだろうと思う。無駄な時間以外の、何ものでもない。

 

 そんなことは承知の上。だとしてももう少しだけ、この名前を付けることさえないささやかな関係を続けたくなった。そんな、どこか既視感のある感覚。

 

「ライブって、関係者しか見れないとかある?」

「ないけど……急にどうしたの」

「見に行きたいんだ、ライブ」

「………え」

「星みたいな音。見てみたいんだ、俺も」

 

 見れるかどうかは別だけれど。言外にそう含ませた言葉に、彼女は目を見開いてから眉をひそめる。頬の紅潮と口角がやや上がっているのを見るに、これは照れ隠しの一種なんだろうか。出会ったばかりで、表情を見るのが楽しい。

 

「そ、そう?」

「口元、にやけてるけど」

「えっ!?」

 

 好きなんだろうな。ライブだけではなくて、彼女の言うバンドとしての活動も。それはきっと、自分の道に光明が見えたからという理由だけではなくて。その時間がただ心地よく楽しいと思えているからだろう。彼女の大切な思い出の一つで、今もなお照らされている輝かしい道のり。秋風に(ほど)けていく言葉と表情は、彼女が少しだけ開いた心から、滑るように飛び出してきた喜びだった。

 

「ちなみに、いつなんだ?」

「再来週の週末に、近くのライブハウスで。えっと、『CiRCLE』って言うんだけど」

「おっけ──って待って、再来週?」

「? うん」

「ごめん、こんなに引き留めちゃって。練習とか」

「大丈夫。今日の練習はこれからだし、再来週のライブはずっと準備してたから」

 

 その口ぶりから察するに、以前はギリギリだったんだろう。バンドを組んでからすぐだったとか、いろいろトラブルがあったとか。その辺りは察することしかできないけれど。それにしても、CiRCLEか。あの辺りで写真を撮ることは少なかったな。今日にでも行ってみようか。道が不安だし、適当に写真を撮りながらでも。

 

「チケットとか、どこで買える?」

「たしかCiRCLEでも買えたはずだけど……行ってみる?」

「こっちとしちゃありがたいけど、時間は?」

「まだ大丈夫だよ」

「そっか、ならお願いするよ」

 

 これきりの会話でないことにひどくほっとした。ほっとする自分がいることに意外だった。思っていたよりもずっと、会話を楽しんでいたらしい。安堵の息が知らず口の端から漏れて、温かい秋風に髪が揺れた。

 

 その温度(ねつ)が好きだった。

 

「そういえば、まだ聞いてなかった」

「なに?」

「バンド名とか、あるの?」

 

 その問いに、口元が柔らかく弧を描いた。さっきよりもいくらか高い声はそこまで大きくなかったけれど、駅前の喧騒も、揺れる木の葉の音も、あらゆる音を押しのけて、その声は俺の鼓膜を優しく叩いた。

 

 その音色(おと)が好きだった。

 

「あるよ──えっとね、『Morfonica』」

 

 照れくさそうに細められた青い瞳。空の色と同じ虹彩が、日に照らされたように煌めく。

 

 その色彩(いろ)が、好きだった。

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