『起きろ、拓馬』
(うっ……)
聞き覚えのある呼び声に刺激され、拓馬がゆっくりと瞳を開ける。
全身が泥中に嵌っているかのような疲労感から、彼は指一本動かす事ができず、
かろうじて開いた視界から僅かに覗く、
うすぼんやりとした世界を、ただ呆然と眺め続けていた。
(ここ、は……?)
『どうやら聞こえてはいるようだな……
さすがに不死身と言うだけの事はある、しぶとさだけは相当なもんだ』
(なに、を?)
癪に障る口調の男を見定めようと、拓馬が瞳を凝らす。
しかし、朦朧とした意識が捉える事ができたのは、眩い逆光に揺らめく人影のみであった。
『聞け、拓馬…… 第六神体・ラーが再び動き出した。
日本政府に匿われているマーズをおびき出すため、都民を人質にとってな』
(何だって!?)
『おそらく、マーズも近い内に動かざるを得ないだろう。
そして、ガイアーとラーが激突する事態になれば、
例えどちらが勝とうとも、地球は消滅する』
(…………)
『だが……』
と、男はそこで言葉を区切り、ゆっくりと顔を上げた。
その視線の先を窺う事は、今の拓馬には叶わない。
『だが、アークなら……
新たな進化を始めたあのゲッターならば、この事態を収拾できるかもしれん。
この世界の悲劇的結末を回避せんがために、
ゲッターに内在する意思が、アークを飛ばしたと言うのならば……』
(お前……)
『ゲッターは動かせるようにしてある、後はお前次第だ』
(ま、待て……)
靴音を響かせ遠ざかってくシルエットに、拓馬が必死で取りすがる。
しかし、肉体はまるで根を下ろしたかのようにピクリとも動かず、
拓馬の思いは空回りするばかりであった。
と、その時、不意に男は歩みを止め、拓馬に対し、振り向く事なくポツリと言った。
『こんな茶番でハジをかくなよ、拓馬。
……俺たちの戦いの決着は、元の世界でつける!』
(――ッ!?)
・
・
・
「待てッ! カムイ!」
叫びと共に、拓馬は寝床から跳ね起きた。
無人の室内に残響がこだまし、やがて、シンとした静寂が周囲を包んだ。
「ここは……?」
頭を一つ振るい、周囲を見渡す。
そこは、おびただしいダクトと配管が走り、大小の計器が立ち並んだ、廃工場のような一室。
いや、薄汚れた厚手のシートで区切られていなければ、
部屋とすら呼べないような袋小路の一角であった。
と、不意に即席のカーテンが開き、見覚えのある坊主頭が、にゅっと顔を覗かせた。
「オゥ、ようやく起きたか! 拓馬」
「獏…… ここはどこだ?」
「いや、俺にも分かんねぇことばかりなんだがよ……」
獏に促され、ほの暗い廊下を二人が進む。
鼻を突くカビ臭い匂いが、その建物が長い間、
無人で放置されていた物であろう事を示していた。
やがて、通路の果てから差し込む光と共に、二人の視界が一気に開けた。
「うおっ!」
眼前に広がる壮大な光景に、拓馬が驚きの声を上げる。
辿り着いた先は、ゆうに体育館が一つは収まりそうなほどの広さを持った、
円筒状のホールであった。
「何だこりゃ? ここは一体どこなんだよ!」
外周に巡らされた欄干より下層を見下ろす。
ホールは吹き抜けの構造で、ほの暗い非常灯の下では窺い知れぬほどに底が深い。
一方、頭上を見れば、巡らされた幾つかの欄干の輪の先に、
垂直に取り付けられた門のような、大型のハッチの姿がわずかに見えた。
その部屋は、例えるならば、まるでロケットの発射台、
巨大な何らかの兵器を、上空へと打ち上げるための構造を有した部屋であった。
そして部屋の中央には、
打ち上げの時を待ち望むかのように佇む、真紅の悪魔の巨体があった。
「アーク! 無事だったのか!
一体全体何だってんだ、こりゃ、NASAの陰謀か!?」
「さあな、確かにこれほど大がかりな設備が、日本にあるとは思えねぇが、
だが、さっき見て回った限りでは、この施設は無人だったし、それに……」
「うっ!?」
間近に見た愛機の異相に、拓馬が再び驚きの声を漏らす。
頭部、胸部を中心に、大きく打ち破られていた外装は、
今や灰色の地金でべっとりと覆われ、鈍い輝きを放っていた。
あたかも、溢れ出た血液が凝固して瘡蓋となり、傷口を塞いで再生を促すかのように。
明らかにそれは、人為的な修復の跡とは思えなかった。
周囲には相応しい設備は見当たらないし、それに、それほどの時間的猶予もなかった筈だ。
何より、破壊を免れたアークの隻眼に、
常ならぬ輝きが宿っているのを、拓馬は感じずにはいられなかった。
コックピットに潜り込み、手馴れた操作で機体を立ち上げる。
ほどなく、ブゥゥゥンという起動音と共に室内が高揚感に包まれ、
全周囲のスクリーンがホールの光景を映し出した。
「信じられねえ…… 機体が持ち直してやがる。
宇宙空間で取り込んだエネルギーを使って、
アーク自身が修復をしたとでも言うのか……?」
「ああ、だが、驚くのはそれだけじゃなさそうだぜ」
獏の声に促され、拓馬がモニターを見る。
画面の右隅、見慣れた日本地図の南洋には、アークの現在地を示す光点が赤々と瞬いていた。
「ここは…… まさか、秋の島新島なのか!?」
その時であった。
突如、金属の軋む重厚な機械音がホールに響き渡り、
アークの頭上に、大量の水が滝の如く降り注いできた。
「な、なんだ!? 水、いや、海水か?」
「天井が抜けたのか? それとも、まさか、誰かがハッチを!?」
突然の異常事態、だが、二人に状況を詮索している余裕は無かった。
逃げ場のない大量の海水は、見る見るうちにアークの腰部にまでせり上がり、
機体から降りる事は既に不可能となっていた。
「誰の仕業かは分からねぇが、もう、行くしかないようだな、拓馬」
「ああ」
機体の調子を確認しながら、やや硬い面持ちで、拓馬が手元のスイッチを動かす。
そんな主の緊張とは裏腹に、
アークはご機嫌な炉心の回転音を響かせながら、八枚の翼をばさりと広げ、
狭い室内というハンデを感じさせない軽やかさで、緩やかに宙へと浮き上がった。
「ゲッターアーク、発進!!」
拓馬がレバーを勢いよく倒す。
主人の意思と同調し、閉ざされていたアークの右目がカッ、と開く。
瀑布の如き海水の雨をドウッとばかりに掻き分け、
衝撃で欄干を吹き飛ばしながら、真紅の悪魔が一直線に飛び出した。
――拓馬達は知らなかった。
彼らがいた場所は、秋の島新島のさらに地下。
眠り続ける最強の神体を不測の事態から守るため、
強固なシェルターとして建造された、ガイアーの揺り篭であった事を。
そして、ゲッターが海上へと飛び立った後、何者かの手によって再びハッチは閉ざされ、
備え付けの大型ポンプによる室内の排水が進められていた事を……。
・
・
・
荒廃した東京の光景を、マーズはガイアーの掌中から見下ろしていた。
崩れ落ちたビルディングに砕けた路盤、
大きくひしゃげた廃車の山が道を塞ぎ、ライフラインを分断している。
崩壊していたのは物質ばかりではない。
食料や生活用品を求め、マーケットに乱入する民衆。
そして、神体・ラーに煽動され、自衛隊と衝突する暴徒の群れ。
秩序が奪われ、誰が、何のために戦っているのかさえ分からぬ地獄絵図。
遥か遠い世界で垣間見た光景の一部が現実のものとなって、マーズの眼下で展開されていた。
尤も、事ここに至って、マーズに迷いは無い。
自らの内にある疑問の全てを、マーズは既に決着の後の問題と捉え、
その答えを保留していたのだ。
やがて、空を行くマーズの視線の先に、
爆心地と化した新宿の中心に鎮座する、巨大な黒球のオブジェが姿を見せた。
「おお! あれを見ろ!」
「ガイアーだッ!? ガイアーが来たぞ!」
上空に現れた神体の姿に、疲労の極みにあった人々が立ち上がり、
蜘蛛の子を散らしたように瓦礫の影へと走り出した。
たちまち静まり返った広場の中央に、
ガイアーはゆるりと着地し、最後の神体・ラーと向かい合った。
「あいつが、マーズか」
「あれが、この惨劇の中心人物……」
立ち塞がる瓦礫をバリケードにして、人々が遠巻きにマーズの姿を眺める。
ラーに人質にとられ、男の言うがままに、マーズの引渡しを望み続けた彼らであったが、
ふたつの神体が対峙した時、果たして地球はどうなってしまうのか。
居合わせた人々は、事態の推移を、ただ固唾を呑んで見守り続けるしかなかった。
『来たか、マーズ』
神体の内部より、監視者の男が声をかける。
ガイアーの掌中で、マーズは無言でかつての同胞を睨み続けていた。
『ここに来るまでの光景はどうだった?
かつて、お前に話したことがあったな。
人間という生物は、場所や環境の変化によって、
瞬く間に悪鬼に変わり果ててしまう……、と』
「…………」
『人間なんぞ、一皮剥けばあんなものだ。
一度秩序が失われれば、本性のままに、
あのような地獄を進んで作り出すのだ、それでも……』
「そうだ、そして、そうなるように……、秩序が失われるようにお前が仕向けた。
あの地獄は、お前が作り出したものでもある」
『何だと……? 何が言いたい、マーズ?』
「別に……、
ただ、僕達を生み出した異星人達も、この星の人々と大差ないって事さ。
進退窮まれば、たった一つの種を滅ぼすために、
星一つを吹き飛ばす事くらいは平然とやってのける。
何百万種もの生物と、周辺の星域への影響を犠牲にしても、だ」
『それは違うぞ、マーズ!
我々の戦いは、あくまで宇宙全体の秩序を守るためのものだ』
「お前に、いや、僕達にそれを判断する資格はあるのか?
彼ら異星人が手を汚さぬためだけに作られた、彼らの兵器の一部に過ぎない僕達に」
『マーズ、お前は……!』
チッ、と男が舌打ちをする。
マーズの口調に調子を乱され、すっかり熱くなっている自身に気付いたのだ。
男が日本人を煽動し、東京に地獄絵図を築いたのは、
単にマーズをおびき寄せるためだけではない。
人類の浅ましさを目の当たりにしたマーズが、
あるいは、自らガイアーを起爆させてくれれば、
という期待が、彼の中に少なからず存在していた。
だが、彼の放った毒は、必要以上に効き過ぎていた。
今やマーズは万事に対して懐疑的になり、
自分達を創造した異星人達の行為にすら疑念を抱き始めていた。
『……どうやら、お前は本当におかしくなってしまったようだな、マーズよ』
「…………」
『だが、それならばどうやって俺を止めるつもりだ?
知っているだろう、この六神体、ラーを破壊すれば……』
「もう、お前を破壊する必要は無い、と言ったら?」
『何!』
思いもよらぬマーズの言葉に、監視者が驚きの声を漏らす。
一方マーズはと言えば、もはや話は終わったとばかりに、既に監視者を見ていない。
ゆっくりと顔を上げ、ガイアーの瞳に宿る、ある種の意志を確認しているかのようだった。
ここに来るまでの道中で、マーズは一つの結論を導き出していた。
虚空で垣間見た、ゲッターと人類の戦いの歴史、そして、あの異世界での死闘。
もしもあれらの光景が、この世界の人類の窮地を救うべく、
ゲッター線に内在する意思が見せたものであると言うならば……。
ゲッター線との邂逅で新たな進化を始めたガイアーならば【それ】が出来る筈であった。
かつて見た別の地球で、【真のゲッターロボ】と呼ばれていた機体がそうしたように。
そして、あの地獄のような世界で、彼とガイアーがそうであったように……。
「行くぞ、ガイアー! この戦いでケリをつける!」
主の意思を確認し、ガイアーがゆっくりと右腕を動かす。
マーズを乗せた掌が、ガイアーの胸元でピタリと静止し、そして……、
そして、なんとガイアーの右掌が、ゆるやかに体内へと吸い込まれていくではないか!
『な、なんだとォ!?』
ガイアーの見せた想定外の行動に、状況を静観していた監視者が叫ぶ。
六神体の操縦者として生み出された彼は、
当然、それぞれの神体の持つ能力と役割を、知識として知っていた。
だが、眼前で繰り広げられる悪夢のような光景の意味を、彼は知らない。
ガイアーの操縦者であるマーズのみが知る、
ガイアーの秘められた能力が発現したものなのか、あるいは……。
男が混乱する最中にも、ガイアーとマーズの融合は進んでいく。
差し込む右腕の動きに合わせ、ガイアーの胸甲がチリチリと分解し、
内部よりシュルリと伸びるコードの類が、触手のようにマーズの体を包み込む。
絡めとられたマーズの全身が、ガイアーの体内、
水銀のように煌く銀色のゼリーの中へ、とぷん、と沈む。
『マ、マーズ、ガイアー……、お前ら、何を……』
呆然自失する監視者の前で、胸元の穴はチリチリと再生を始め、
やがて、元の艶やかなな青銅色の装甲が、すっぽりと胸元を覆いつくした。
キッ、と顔を上げたガイアーの双眸に、まるで、命ある者のような輝きが宿る。
『う、うおおおお―――ッ!?』
本能的な恐怖に駆られた監視者が、咄嗟に神体を飛ばす。
瞬く間に上空へと飛び上がったラーを追い、
ガイアーが大きく腰を落とし、反動で一直線に飛び上がる。
かつての偶像のような挙動からは想像のつかぬ、能動的な跳躍であった。
『く、くるなァ――ッ!』
一瞬の内に眼前へと迫ったガイアーに対し、
攻撃態勢に移ったラーが、ありったけの放電を浴びせる。
強烈な閃光が天空を焦がし、ガイアーの全身を包み込む。
だが、半狂乱となって電撃を放ちながらも、
監視者の中に残った理性は冷静な考察を続けていた。
すなわち、六神体を統べる特別な存在であるガイアーに、
この程度の攻撃は通用しない、と……。
『ヒィッ!?』
懸命の抵抗も空しく、
稲妻の嵐から飛び出してきたガイアーの両腕が、ラーのボディをがしりと捕らえる。
ほどなく、黒光りする重厚な装甲が、奇妙な揺らぎを見せ始めた。
『マーズ! キ、キサマ、何をするつもりだ!?』
「……同化する!」
『や、やめろオオォォォ――ッ!!』
マーズの宣言に合わせ、ラーの球状の装甲が歪み、
風船のように膨らみ、あるいは、粘土のようにぐにゃりと捻じれる。
黒色の輝きが見る見る色褪せ、蕩け、交じり合って、
徐々にガイアーの青銅色へと吸い込まれていく。
同時に、境界を失ったラーの体内に、ガイアーの揺らめく巨大な指先が侵入を始める。
『うおおおおおおおッ!!』
そこは既にガイアーの体内、監視者の男に逃げ場は無い。
巨大な指が男の動きを捉え、腹部を貫く。
直ちに男の体が変容を始め、指先から溢れたコードが血管のように全身を走る。
指先に触れた男の皮膚が青銅色と化し、全身が硬質な金属と化してうねり始める。
男の恐怖は絶叫となって室内に響き渡ったが、
やがて男が背景と同化するとともに、咆哮も次第に消え去っていった。
・
・
・
(これで、全てが終わった……)
うぞうぞと両腕に取り込まれていく歪んだ球体を眺めながら、マーズが思考する。
最後の神体が破壊された時、ガイアーの起爆条件が満たされ、地球は消滅する。
それならば、爆発の条件もろともに、
神体の存在そのものをガイアーの体内に取り込んでしまえば良い。
異世界から介入したゲッターの意思は、
まさしく、この攻略法を教えるべく、マーズに過去のゲッターの戦いを見せたのであろう。
地球の滅亡を防ぐためとは言え、
ゲッター線に感化されたガイアーの力を用いる事に、躊躇いが無かったわけではない。
だが、今のマーズには、ゲッターの力を使う他に、現状を打破する術が無かったのだ。
全ては、これでよかった筈である……。
『……すばらしい……』
「――!? な、何ッ!」
ポツリ、と同化の進むラーの体内から響いてきた呟きに、
マーズの意識が現実へと引き戻される。
見ると、原型を失ったラーの内部で、
半鉄の顔面を残し、すっかり取り込まれてしまった監視者の男が、
忘我の表情を浮かべながら、奇妙な呟きをポツリ、ポツリと漏らしていた。
『成る程、そうか、そうだったか……。
これでは、これほどのものとあっては、仕方があるまいな……』
「何を…… おい! お前は何を言っているんだ……!?」
『何を、だと……? フフ……、とぼけるのは、よせ』
「お前、一体……?」
『マーズよ…… お前は、ゲッターの意思に触れて知ったのであろう?
貪欲に力を求め、容赦なく奪い、惜しみなく与える、ゲッターの本性を、
そして、ゲッター線に触れたものは、すべからくゲッターの一部となる運命を……!』
「!?」
心臓がドクリと一つ跳ね、おぞましい映像がサブリミナルのように脳中を駆け巡る。
ゲッター艦隊、聖ドラゴン、そしてゲッターエンペラー。
心音が否応無しに高鳴り、錐で刺したような頭痛が襲い、マーズの視界がグラリと揺らめく。
『ハハ、そうだ、これで、これでいい…… もはや、人類を滅ぼす必要は無い。
ゲッター線の庇護の下、進化を始めたガイアーは、宇宙に新たな秩序を築くであろう』
「やめろ…… お前は、自分が何を言っているのか分かっているのか?」
『ハハ、ハ、いいぞ、喰らい尽くせ、ゲッター』
マーズは気付いた。
結局、この男はただの傀儡だったのだ。
自身が何の意思も持ちえぬことにすら気付かない、プログラムじかけのロボット。
異星人達の計画の欺瞞に、一切の疑問を抱かぬままに人類を滅ぼそうとしていたように、
ゲッター線の導くままに感化されつつあるのだ、と。
そしてその発見は、双刀の剣のように自らの心臓を抉った。
一時の方便としてゲッターの能力を利用しようとした自分が、
その実、ゲッター線に取り込まれていないなどと、誰が証明できるであろうか?
一種のイレギュラーによって自我を得たものと思っていたが、
マーズ自身、異星人の残したプログラムの一部に過ぎないというのに……。
『おお……! 全てが、ひとつに』
「やめろ! やめるんだ! ガイアーッ!!」
『ハハ、ひか、り、が……』
恍惚のままに、男はガイアーの体内へと取り込まれ、地上から完全に姿を消した。
・
・
・
「う、うわあああああああァあァアアァァァ―――ッ!!」
直後、頭部が爆ぜんばかりの頭痛の嵐がマーズを襲う。
ぐるぐると回る世界の中で、嘔吐感が喉元までこみ上げ、
心臓を焼き鏝で貫かれたかのような激痛が走る。
全身がバラバラに砕け散らんばかりの衝撃で、同化が急速にほどけ、
テープを逆回ししたかのように鋼鉄の細胞が逆流を始め、
無人となった黒球が、ドスリと大地に落下する。
同時に、バランスを崩したガイアーが、ゆるゆると降下を始める。
拒否感から同化を解かれたマーズが、
銀色の液体と共にガイアーから射出され、ゴミ屑のように地面へと転がる。
「う、うう……」
揺らめく視界の中で、マーズが半鉄と化した自身の左腕を見つめる。
肩口から飛び出したコードの束は、
主の意思に背き、未だ繋がる相手を求め、うぞうぞと地面を這いずっていた。
「ぼくは……、ボクハ、一体、何をやっていたんだ……?」
呆然とマーズが呟く。
身を起こそうとした瞬間、再び激しい嫌悪感が全身を包み、胃液が逆流する。
全てが悪い夢であって欲しかった。
そんな、憔悴しきったマーズに追い討ちをかけるかのように、
更なる悪夢の旋律が、その耳元へと響いてきた。
「見ろ、アイツのおぞましい姿をッ!!」
「どうだ、やっぱり地球はなんともないじゃないか!」
「よくも俺達を騙しやがったな! この機械野郎がッ!?」
「殺せッ! あのペテン師を血祭りにあげろ!!」
その時、事態を静観していた人々が、半ば機械じみたマーズの姿に恐慌を起こした。
元より、昼夜問わずラーに虐げられ続け、極限状態となっていた彼らである。
先頭の一人の叫びにより、理性の壁はたちどころに崩壊し、
異星人のマーズ目掛け、暴徒となって襲い掛かった。
起き上がろうとしたマーズ目掛け、角材が振るわれ、
容赦なく大地に叩き付けては踏みつけにする。
凄惨なる私刑がマーズを叩きのめす、が、
その攻撃ですら、今のマーズにとっては救いであった。
このまま激痛に思考を奪われ、何も考えられぬままに瞳を閉じてしまいたかった。
だが、地球を守るべくマーズの救援に駆けつけた秩序ある一団が、
その望みを叶えてはくれなかった。
「貴様ら! 一体何をしているッ!?」
「やめろッ! 分かっているのか、マーズが死ねば地球は吹き飛ぶんだぞ!」
「うるせえ、無駄飯ぐらいの軍隊が、どのツラ下げて出てきやがったッ!」
「もう騙されないわよ、コイツの力を利用するために、私達を見殺しにしようとしたくせに」
「構う事ァねェ、お前ら、やっちまえ!!」
「くっ、やむを得ん、マーズを守れッ!!」
マーズが止める暇もなく小銃の斉射が火を噴いて、
先頭の数名が叫び声を上げてバタバタと倒れこむ。
人々が通常の精神状態であったならば、この射撃は十分な抑止効果をなしたであろうが、
極限下におかれ暴走を始めていた彼らに対しては、
かえって火に油を注ぐ結果となってしまった。
「な、何だと、こんな異星人を守るために俺達を撃つのか!?」
「ふざけるな! このクサレ政府の犬どもめッ!!」
「チクショウッ! まずはコイツらからぶっ殺せェ!!」
「くそッ! 構わん、撃ちまくれ! マーズを救うんだ」
瓦礫の新宿は、再び阿鼻叫喚の舞台と化した。
怒声が響き、機関銃が唸りを上げ、血風が土埃を孕んで舞い上がる。
そんな悪夢のような光景を、マーズはどこか他人事のように呆然と見続けていた。
(なんと言う、醜い姿だ……)
震える体に活を入れ、ゆっくりと立ち上がる。
人類の醜さを眼前で見せられた事が、
皮肉にもマーズに冷静な思考を取り戻させつつあった。
(ぼくは、なんで、こんなヤツラを守ろうとした……?)
――そして、気が付いた時には、マーズはその言葉を叫んでいた。
「うう、いけッ! ガイアァ――!!」
直後、事態を静観していた偶像の瞳に、爛々と瞬く炎が灯る。
両腕を掲げた神体の姿が光に包まれ、流星の如き光弾が人々の頭上に降り注ぐ。
圧倒的な光の渦が、殺し合いをしていた群集を包み、吹き飛ばしては塵芥へと返す。
一切の容赦のない暴力が選択肢を奪い、人々は為すすべもなく逃げ惑う。
数瞬の内に光は収まり、広場にはおびただしい瓦礫の山と赤毛の少年、
そして巨大な神体を残すのみとなった。
遠巻きに見つめる人々の視線が、容赦なくマーズに突き刺さる。
恐怖、畏怖、憎悪、敵愾心――。
そんな、自分を人類から孤立させる、諸々の感情のうねりが、
今のマーズには却って心地よかった。
何より、ゲッター線の影響下に取り込まれつつあったガイアーが、
尚も自分の意思に従った事に、マーズは深い安堵感を覚えていた。
(そうだ…… これで、コレデ、イイ……。
今なら、マダ、全テヲ、ナカッタコトニデキル……)
全てはイレギュラー。
海底火山の噴火というイレギュラーよって目覚めたマーズは、
たまたま人類に助けられた事で、人類に与した。
そして、その感情のゆらめきが、ゲッター線の介入する余地を生み出したのだ。
今ここで、再び一個のプログラムへと還り、
任務を遂行したならば、全ての悪夢を無かった事に出来るのだ。
シン、と静寂に包まれた大地の上で、マーズが大きく深呼吸をする。
血なまぐさい大気を肺腑に蓄え、一つ瞑目すると、やがて天空へ向け、カッと目を開いた。
「ガ イ ア……」
「ウ オ オ ォ オ オ オ ォ ォ ォ ッ! ! ! !」
全てを終わらせる筈のマーズの声は、彼方からの少年の雄叫びによって掻き消された。
――刹那、マーズは見た!
あの日のように大地を分断して走る、天空からの一条の光。
一瞬の静寂、そして……
ド ワ オ ォ ッ !!
直後、轟く爆音と共に瓦礫の山が一直線に断ち切られ、巨大な断層の如く大地が陥没する。
断面から熱線が火柱となって噴き上がり、マーズの眼前を赤く染める。
「ゲッター…… ヤハリ、イキテ…… 生きて、いたか、拓馬!」
再び上空を仰ぎ見る。
そこにはやはり、遥か虚空より猛スピードで迫る、真紅の彗星の姿があった。
「ムオオ!」
彗星が叫ぶ。
鋭利な刃のような八枚の翼がバサリと開き、その物体が急速に減速する。
腰を落として両足を踏みしめ、乱暴に着地する。
衝撃で、大地がひとつズンッ、と揺れ、
瓦礫の渦が爆風で舞い、血風をもろともに吹き飛ばす。
「マーズッ! テメェ、何のつもりだッ!?」
コックピットを押し開き、身を乗り出さんばかりにして、拓馬が怒声を上げる。
一方、マーズは光の宿らぬ双眸を拓馬へと向け、淡々と言葉を紡ぐ。
「見ての通りだ、僕は、人類を滅ぼす事に決めたんだ」
「何だとッ!?」
「何故ここへ、この世界に現れた、流 拓馬……、
僕達は、僕と君は、出会うべきでは無かったんだ」
「フザけた事を抜かすんじゃねぇ!」
一声叫び、拓馬がコックピットから飛び出す。
差し出されたアークの右手でワンクッションとると、
大きく腰を落として瓦礫の大地を踏みしめる。
「……? 何故だ、僕を止めたいのならば、何故ゲッターから降りる?
この世界の人類の危機を救う事が、君の、ゲッターの意思なのだろう、ならば……」
「ウルせぇッ! 人類も監視者も、ゲッターもガイアーも関係あるかッ!」
拓馬は今にも爆発せんばかりの形相で睨み付けると、
硬く握り締めた右拳を、マーズへ向けて真っ直ぐに突き出した。
「タイマンだッ! マーズ!
その歪んだ性根、俺が叩きのめしてやるッ!!」