夏海 現(なつみ うつつ)の横向き日記 作:endoendo
マグカップを買いました。
特に変わった柄だったりはしません。ちょっとした花の絵が描かれている程度の白い無地のものです。
どうして買ったのかと言えば、不要だが必要だったから、でしょうか。
というのも、今度私の家に友人が泊まりに来るのですが、それで今まで使い続けていたコップを見られるのは少しばかり恥ずかしく、そろそろ買い替えようとなった次第です。
前のコップは私が幼稚園児の頃から使っていたプラスチックのクマさんコップ。家で使うだけで誰に見られるわけでもないし、無駄に頑丈で壊れる気配もないし……ということで買い替えの機会がなかったのです。
十数年は使っていたものですから、別のものにするとなると少しばかり寂しさがあります。それに、これは幼稚園児の頃の私と今の私が同一の存在である事を示す貴重な証拠でもありました。これからの私は、あの頃の私と同じ私であることを証明する術を失ったと言えます。
こんなふうに色々なものを変えていって、いつかはいつの自分とも繋がる術を失ってしまうのでしょうか。それは少しばかり寂しいので、今日の私といつかの私を繋ぐためにも、この日記を書いています。
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コップで1つ思い出した話があります。
昔、私はちょっとした小説を書いていたのですが最近は全然書いていません。どうしてだろうな、と色々考えていたのですが最近納得できる考えに行き着きました。
『物語なんてものは本来自分の中で完結していて外になんて出てきようがない』ものなのだと。
では、何故世の中にはこんなにも物語が溢れているのでしょう?それはおそらく、物語とはコップに注ぐ液体のようなものだからではないでしょうか。
人は思いのままに物語を夢想します。しかし、心という名のコップの容量は有限です。いつか注ぎ切れなくなって溢れ出します。それが世の中に物語が満ちている理由なのではないでしょうか。そして、そんな様々な物語を自分のコップに注いで混ざり合って、別な物語となってまた溢れ出てくるのです。
そして……今の私が小説を書けないのはコップの容量に余裕があるからなのでしょうね。もしかしたら何処かに穴が空いていて、いつまで経っても満ちることがなくなってしまったのかもしれません。そして、その穴とはきっと自分の考えを物語にせずとも発露できる何かで……。
うん、この日記帳が原因かもしれませんね。
ですが、別にいいと思います。小説なんて気が向いたら見せるぐらいでいいのです。ご飯をこれで食べてる訳でもないですから。
それに、穴が空いていようといつかまた溢れ出す時が来るでしょう。
私の心のコップはいまだにプラスチック製のクマさんコップなんです。私にとって少しばかり容量が足りないあのコップ。少しでも沢山入れようとしてしょっちゅう溢れさせてきたあのコップなんです。
こればかりは買い替えることも出来ません。
やっぱり好きなんですよね、クマさんコップ。