夏海 現(なつみ うつつ)の横向き日記 作:endoendo
インディーゲームを買いました。
セール期間なので250円です。
知人が誕生日だったので、ひきこもりRPGと遊べるミュージックビデオを送りつけたのですが、そのついでに私用として買ったというわけです。
買ったゲームの内容は……なんなんでしょうね、コレ。
いわゆるサウンドノベルなんですけど、なんというか……脈絡があるような、ないような……。俗にいう電波系ってやつでしょうか。
ただ、本当にストーリーが無いというわけでないんです。ただ、主人公が正常な視点を持っていないだけだと思います。信用できない語り手ってやつです。
でも実のところ、この世のコンテンツで完璧に信用できる語り手なんて存在しないのかもしれません。何故なら人は誰しも違う人生を積み重ねてきているものですから。このゲームの主人公はそれが分かりやすかったというだけです。
そして、多分、私は普通よりも違いが多い部類なのでしょうね。こうして日記を書いていると自分でもなんでそうしたのか分からないような事が沢山出てきますから。昨日の私ですら他人のようなものです……。
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違いといえば、ですが……。
私の友人がメタフィクションもので作中人物に罵られたとき、こんな事を言っていました。
「だってさ。君は、あなたには私の心なんて分かりっこないなんていうけれど、君だって、ただの一度だってボクの心を理解したことなんかないだろう?」
その通りだと思いました。結局のところ他人を理解するということは極めて困難で、たとえ家族が相手だとしても不可能に近いと思っています。
相互理解、という言葉がありますが、これは同時に相互不理解も存在することを意味します。他人を完全に理解することができない以上は残りの部分は不理解に他なりませんから。
もっとも、この不理解は非常に小さなものだとも思っています。他人の感情そのものを理解することは決して難しくありませんから。ただ、歩んできた人生が違う以上は完璧に同じ感情を得ることはできないという、その程度の話です。
しかし……この不理解こそが個人を個人たらしめている部分なのだと最近思い始めました。
何かを見て、聞いて、見て、全く同じ感情を抱く人間なんていないと思っています。非常に近くとも、経験してきた物事、個人の感覚によって僅かな差異が生じます。その生じた差異こそが「私」です。
そして、他人から見出した差異こそが「その人」です。
理解できないものがある、ということはきっと大切なことです。
それは誰しも特別で価値があるということの証明に他なりません。
違いがあるからこそ、世界は万華鏡のように複雑で美しい色彩を見せてくれるのですから。
……それはそれとして、やっぱりこの250円のゲームは主人公が不理解の塊過ぎます!
3行毎に主義主張が変わり続けているのですが?!