serial experiments lain シリアルエクスペリメンツレイン 作:ユキリス
少年が薄暗い部屋の中、ただ一人電子機器と向かい合っていた。
そのパソコンを前にして、キーボードを叩く姿は側から見て大変異様である。
「ソラ、今日こそは学校へ行きなさい」
それを見兼ねてか、たった今扉を開けてソラと呼ばれた少年を呼ぶ声がある。
「あー、うん。分かった。分かってる」
けれど彼は自らに与えられた言葉を意に介さない。
その視線は眼前の液晶画面を見据えており、それと共に意識もどうやら其方にある様だ。
「はぁ‥」
これにため息を吐いた年配の女性は面持ちを翳らせてから上階である同所の階段を下っていった。
「レイン?はっ、いまだにこいつが女子だと勘違いしてるやついるのかよ。おっさんかババアに決まってるじゃん」
ただそんな周囲の事など一切お構い無しに、ソラは独り言を呟き続けている。
そう、世間にはあまり認知されてはいないものの、昨今彼がハマっているモノがある。
というのも所謂アングラな界隈ではあるのだが、オタクと称される者達の中で流行のネットという文化にソラは夢中だった。
「調子に乗ってるなぁ。というか新参の癖に女だからってチヤホヤされて浮かれちゃってるし‥」
だからこそソラからすればネットで最近妙に幅を効かせる様になったレインというアカウントが如何にも許せない。
そう、彼は思っていた。
以前までは特段気にも留めていなかった相手であるが、現在に至ってはそうも言ってはいられない。
何故ならばそう─
「は?おいおいおい。またサイト潰しかよ」
かのレインというユーザーアカウントは、その高い技術でアダルトな、少し閲覧を制限されて然るべきサイトを意図的に閉鎖させていたからだ。
その名前の響きからリアルの性別は女性だろう。
ネットでの振る舞いからもやはりその予想は当たっているに違い無い。
まさか男がアダルトサイトの封鎖など、自ら率先して行う筈も無いのだから。
「ふざけろ。このクソババア」
ソラは卓上に置かれているペットボトルを引っ掴むと、手にした容器に収められている中の炭酸飲料を一息に飲み干した。
しかし、未だ鬱憤を晴れずに再び画面に視線を移してから、レインの掲示板に書き込んだコメントを流し見る。
曰く、こんなの消した方がみんなの為になる筈との事。
そして自らもこの様な画像を一方的に送りつけられてから嫌っているのだと云々らしい。
それでレインはどうやらその系統のサイトを敵視し、攻撃を仕掛けている様だ。
けれどソラからしてみればそんなのは知ったことでは無い。
そも誰かも知らないアドレスのメールなど無闇に開かなければいいだけの話。
自衛が足りていないだけでは無いのかとソラは思う。
「ちっ」
だがそんな彼の内心を他所に、レインの技術力は常人を遥かに上回り、次々とアダルトサイトを封鎖していった。
そのサイトの管理人からもクラッカーによるハッキングで、これ以上の運営は続けられないとの声明が出されている。
それを読んでソラは諦観に天を仰ぐ。
「マジかよ‥」
自ずと口とされた言葉は、彼の内心を如実に露わとしていた。
だがそれも致し方ないだろう。
それ程までにレインのハッキングの手練手管が並外れて優れている。
一流と称してなんら過言では無い腕である。
一度ソラもレインに対する抵抗として、ささやかなサイバー攻撃を、他のユーザーと結託して仕組んだ。
ただそれも所詮は小手先の技術でしか無く、既存のツールで多少の反抗を示しただけだ。
とはいえそれも効果は無く、寧ろ逆に仕掛けた側の此方のアドレスとやらをすっぱ抜かれてしまったのだとか。
未だ中学生であるソラとしてはそれが何かは理解出来なかったが、これ以上反感を買うのは悪手と判断して今は静観を保っている。
そしてソラの他にアドレスを抜かれたにも関わらず抵抗を続けた者達は皆、無事粛清されたらしい。
以前掲示板でも噂になっていた。
なんでも開示だとかの単語が交わされていたが、ソラは全く話に付いて行くことが出来なかった。
「はぁ?もうこんな時間か」
と、レインに消されていないサイトを探していた所、不意に視界へと入った時計の時刻を目にしてソラは嘆息した。
「うわ‥」
次いで遮光カーテンの間から差し込む眩いまでの陽光に瞳を焼かれる様な心地に苛まれた。
昨夜から徹夜している彼にとって朝日は最早天的に他ならない。
だが勿論本日は学校に登校しなくてはならない曜日となり、支度を整える必要があった。
すぐそこまで時間が迫っているのも相まってか、手早く着替えを始めた。
そして制服を身に纏ったソラは、パソコンの電源が落ちたのを確認して、鞄を手に持った。
寝ていないせいか食欲もないので、胃に物を入れるつもりも無く階下へと向かう。
多少ふらついたものの、リビングの両親を横目に見ながら廊下を進んだ。
玄関を正面に特別、いってきます、との文言も無しに、ソラは扉を押し開いた。
*
とある部屋にたった一人、少女の姿がそこにはある。
システムの脆弱性を突いて、クラキングにより得たIPと共に、違法アップロード並びに無断転載などの指摘を記載したメールを送る。
それと同時に、当然自らの身元が割れない様に予め偽装してからの、通報も忘れない。
「これで最後だよね」
そう誰に言うでも無く独り言を呟いた彼女は、先程まで自らに対して批判的なコメントが付いていた掲示板へと目を通した。
「どうして?わたしのしている事はみんなの為にならないの?」
そう、アダルトサイト潰しを終えて彼女もといレインは、その面持ちを曇らせた。
僅かながらの悲しみに彩られた表情は、可憐な容姿へと陰を落としていた。
「こんな所、なくなった方がいいのに‥」
一言口として、レインはそのまま電子機器へと向かい合う。
キーボードを両手で叩きながらも、その瞳は掲示板のコメントから視線を離せていない。
「やっぱりネットなんて嫌い‥」
自身を批判する言葉ばかりが連なる画面を目の当たりに、レインはそう零した。
だから最初からこの様な場所、忌避感を覚えて然るべきであったのだ。
だが次は他の良くない、つまりはグロ系統の有害サイトの潰しをしなければならないと、レインは使命感に駆られていた。
当然自らへと逆らい叛逆の姿勢を取る輩は居るが、それも以前相手のipを抜いた事で抑止力を手に入れた。
その為対抗手段を持った以上、技術力も自身に劣る有象無象に負けるつもりはレインには毛頭無かった。
と、不意に彼女はあるコメントを見つけて視線を注ぐ。
「このコメント‥」
其処にあったのはソラというユーザーが述べたレインへの批判。
恐らくは否、確実に以前レインが脅した相手の一人だろう。
このユーザーは小心者であるのか、それからというものレインの行いに苦言を呈する事こそあれど、何か直接的な害を加えてくる様な事はない。
故にレインも温情から罰を与える事も無かった。
「また‥」
しかしながら、不適切な発言が目立つこのソラというユーザーをレインは許容し難かった。
どうやら女性の裸の写真などを好む傾向のある人物の様で、繰り返し執拗に画像を貼り付けたり、加えて求めたりもしていた。
その様な相手をレインは好まなかった。
だからこそ彼女とてより一層アダルトサイトへの嫌悪感を増し、漸く大方それらをたった今潰し終えたのだ。
これでこのソラというユーザーも、大層悔しがる事だろう。
「ふふ‥」
仄暗いそんな考えにレインは口端を自ずと緩ませて、否が応にもその姿を想像した。
平素から聞こえる幻聴もそれに呼応してか何処か悔しげな男性の声が唐突聞こえてきた。
「うるさい‥」
無論愉快な気持ちに水を差されたレインは眉を顰めて、自らの耳を手で塞ぐ。
それでもまるで脳へと直接送り込まれるかの様に響く音に対して、レインは目を瞑る。
「ん‥」
彼女は一度パソコンから離れ、ベッドの上に置かれているパジャマのフードを被り、その場で座り込んだ。
けれども尚、依然として鳴り止まないその幻聴に辟易としたレインは、己が平素から通う精神科の女カウンセラーの姿を脳裏へと思い浮かべたのであった