彼女は、昔から人との距離をはかるのが下手な人間だった。
特に幼い頃の彼女は、適切な距離というものを知らなかった。
好きになればとことん尽くして、大切な友人のためなのであれば犠牲は厭わない。
自分の時間を割いてまで、相手の為に費やした。
自己犠牲の精神が根付いていた彼女は、一度心を許した相手には異常なほどの献身を見せた。
しかし女というものはどれだけ幼くても恐ろしいもので、彼女・黒壁が親友だと思っていた少女は恐ろしい悪女だった。
出来る限り尽くしている彼女を、使えるだけ使い、最後は捨てた。
上辺だけの関係に、友情に対して盲目な彼女は気付けず、ただひたすら利用され搾取された。
全ての悪行を彼女に押し付けて絶縁を突き立てた時には、もう黒壁には味方などいなかった。
仰々しく述べたが、結局は子供の些細なトラブルだ。大人になれば幼い頃の他愛ないことだと笑い合えるかもしれない。
けれどそんな小さな小さな傷は、大人になった黒壁をまだ蝕んでいる。
一人で行動することが多く、他人とは深くかかわらない。
だって心を許してしまえば、好きになってしまえば、また傷つくかもしれない。
本当は友達になりたいし、好意を伝えたい。でもまた捨てられて傷ついて、一人になるのは嫌だった。
だから距離を置く。
自分がどれだけ相手を好きだとしても、友だと呼べる存在になっていたとしても。
相手はそう思っていないかもしれないのだ。
小さな小さな傷は彼女の意識しないうちに、じわりじわりと苦しめている。
◇
モモンガとデミウルゴスが去っていって、黒壁はサーペントと共に改めて倉庫の整理をすることにした。
奥にある隠し部屋――通称〝爆死部屋〟は見られなかったが、いつか日の目を見るかもしれない。
爆死部屋はその名の通り、ガチャで黒壁が引いた外れたちや失敗したアイテムが投げ込んである。
ショールームのように整えられた倉庫とは違い、本当に投げ入れただけの場所。整理のせの字もなく、乱雑に散らかっている。
臭いものに蓋をするようなものだ。
同じアイテムを同じ箱に入れて、少しずつ整理していく。
サーペントも手伝ってくれているおかげで、今までの倉庫整理よりも随分と捗っていた。
「箱、足りなく、なったので、外の木を、切って、作ってきます」
「頼んだよ」
そう言ってサーペントは城の外へと出ていった。
サーペントがおらずとも、黒壁は作業をしなければならない。黙々と床に転がるアイテムを回収し、箱にしまっていく。
「……あのデミウルゴスとかいうNPC、だいぶ癖が強いな。流石はウルベルトさんというか……。まぁ上辺だけの人間に比べたらマシか」
黒壁がどれだけモモンガやデミウルゴス、アルベドたちを好きになったところで、彼らからの思いがネガティブなものであれば意味はない。
モモンガに対する過大評価や、重いほどの忠誠心。他者を寄せ付けないには十分すぎる。
黒壁に対しても懐疑的で、モモンガがいくら友人だと主張したところで、いい方向に転んでいくとは限らない。
「あの様子だと私がナザリックを裏切るとでも思っているのかも。どうにかして敵じゃないと信じてもらいたいけど……」
黒壁は最早一人ではない。かといって、ナザリックに匹敵するような拠点やNPCを所持しているわけではない。
今は守るべきNPCもいる。
完全にソロだった時代とは違って、動いて喋って考える部下がいた。
「私が失敗したら、キャプラ達は……」
もしも自分を消すのであれば、キャプラたちが悲しまないように諸共消してくれればいいが――あのモモンガを慕う悪魔がそうするだろうか。
きっとそんな〝慈悲〟は与えてくれないことだろう。
「黒さま、箱、つくり、ました」
「あぁ、ありがとう……」
ぶつぶつと一人で呟いていた黒壁のもとに、サーペントがやってくる。
サーペントが持ってた箱を見れば、凝った装飾が施されていた。黒壁は「別に要らないのに……」と思いつつも、厚意でやってくれたのだとわかっている手前黙っていた。
箱を受け取ると、倉庫内の整理を再び開始する。
作成に失敗したアイテムなども見つかれば、黒歴史を掘り起こしているようで気分が落ち込む。
「あの、眼鏡の悪魔、心配、ですか」
「……」
「サーペ、命令、もらえば、お望みの、通りに」
「……それなら――」
黒壁の頼みに、サーペントの包帯の奥の目が見開かれた。頭部の蛇たちも、驚いている。
与えられた命令は非情なもので、忠誠心すら疑われるようなものだった。
サーペントはぶるぶると肩を震わせて、杖を握りしめる手に力がこもる。
黒壁も、サーペントが言わんとしていることが分かっていた。
けれども、どうしてだか――虫になった影響なのか、考えが前と異なっていた。
「それは、サーペでも、やりたく、ない、です」
「あぁ、そうだろうね。だからそうならないように、私は立ち回るつもりでいるよ。これは本当に最悪の手段だから」
「……」
「このことは、キャプラには言わないでくれよ」
サーペントは、小さく首を縦に振った。
二人は倉庫から、玄関ホールへと戻ってきていた。
モモンガとの会話を楽しんでいる間も、ドーンがせっせと整理を続けていたこともあって、非常に片付いている。
否、片付き過ぎている――なんともさみしい空間になっていた。
大して貴重なアイテムを置いていなかったはずなのだが、どれもこれも倉庫へと片付けてしまったらしい。
アイテムの見分けがつかないのだろうか、と黒壁は首を傾げる。
「何もなくなると物足りないな」
「申し訳、ございません。なにか、戻し、ましょうか」
「いや、構わないよ。新しく何かを増やせばいい、のだが……」
この世界にそういった文明があるのだろうか、と黒壁は思う。
周囲に集落のようなものは見当たらなかった。人員が少ないせいで大規模な探索には出れていないが、城から見渡せる範囲にはない。
それらの調べに関しても、今後の課題だろう。
共同戦線を取ったとしても、モモンガにおんぶに抱っこではいられない。
行動を間違えれば切り捨てられる可能性だってあるのだから、少しでも存在意義のある者になりたかった。
「遠出、か……」
NPCの手持ちの少ない黒壁にとって、これは難題だ。
貴重なアイテムを保管してあるがゆえに、三人のうち誰かは残しておきたい。
しかし外の勢力の力が分からない以上、単独での行動は避けたかった。
黒壁は移動速度と隠密に重きをおいたプレイヤーだが、この世界の生命がそれよりも早い可能性だってある。
ユグドラシルであれば大抵の相手から逃げ切れたが、今はもうゲームの中ではない。
「いや、出る前に防衛だな」
「如何、なさい、ますか?」
「城の外観を変える。そうだな……、化物屋敷のような恐ろしい外観にして欲しい」
「具体的、には、どう、致しましょう」
黒壁が提案したのは――薄汚れた廃墟の屋敷のような、外観。それこそ彼女のプレイヤーネームに相応しいようなものだ。
おどろおどろしく、
古い資料で見た〝お化け屋敷〟にも似た外観を所望した。
サーペントは黒壁の作った城の外観を汚す行為はしたがらなかったが、なんとか説得をして作り変えてもらった。
ここまで気味の悪い雰囲気にしておいて、この世界の人間の価値観が真逆だったら困ったものだが。
「私はドーンと少し出てくるよ。城の警戒具合を最大にしておいてくれるかい」
「かしこまり、ました」
「ところでキャプラは?」
「寝室に、いると、いって、いました」
「寝室? まぁいいけど……。キャプラに出かけることを伝えておいて」
「承知、しました」
黒壁はドーンと共に、騎乗して森の中を走る。
防衛を担当させていたドーンを連れ出したことで、城の守りが薄くなってしまっているが――レベル100のアタッカーがいて崩壊するような世界なのであれば、もはや黒壁に対策などない。
かといって未知の世界に単独で調査に出れるほど、黒壁も度胸のある女では無かった。
真っ向勝負は得意ではない彼女にとって、会敵した際の対応は初心者と同じだと本人は思っていた。
数キロほど馬を走らせたところで、黒壁は馬を止めた。それに伴い、ドーンも止まる。
彼女の耳には、〝賑やかな声〟が届いていた。
「催事? いや、違う……これは……」
「……」
「うん。そうだろうね、良くないことが起こっているのだろう」
ドーンにも声は聞こえたのか、黒壁の独り言に対して返答――実際は喋っていない――をした。
彼女達の耳に届いたのは、催しでも祭りでもなんでもない。人々が戦っている――殺されている音。
対面での戦いが苦手な黒壁にとって、この場所に突っ込んでいくのは気が引ける。
しかし、いずれは己の戦力と、この世界での戦力を照らし合わせなければならない。
そしてそのために、供回りにはドーンを用意した。レベル100とはいえないものの、それなりに高レベルの彼女だ。
「行こう、ドーン」
「……」
ドーンは静かに頷いた。
二人は隠密に行動するため、一旦馬から降りることにした。森の中を駆ければ、より声がはっきりと聞こえる。
人間であった以前ならばこれだけで心を痛めていたはずなのに、今はあまり大きく心が揺れることなどなかった。
虫に感情があるという話も聞いたことはあった。それでも人間に比べれば些細なものだろう。
見知らぬ他人の死や不幸に心を痛めるほどではないということだ。
この状況では、ある意味よかったのかもしれない。
隠密を重視する彼女にとっては、冷静に物事を見れることは利点なのだ。
森を暫く歩くと、開けた場所へと辿り着いた。
そこには二人の怯える少女と、見慣れた魔法――〈
友人――モモンガは手を伸ばすと、魔法を発動させた。
(あれは、〈
相手の実力がわからない以上、モモンガの対応は間違っていない。
魔法についてはあまり明るくない黒壁でも、使えるならば出来るだけ強い魔法を使うだろう。
魔法が発動すると、騎士は何も言わずにバタリと倒れた。
モモンガはその後、実験のように魔法を発動した。
それは黒壁の目からも分かるほど、モモンガにとっては弱すぎる魔法。レベル100である彼にとって、これを行使する機会はめったにないだろう。
黒壁が上位プレイヤーの狩り場に出向くことは殆どない。だがその場所で使われる基準程度ならば把握している。
上級者の狩り場で用いられるのは、第八位階。これ以上ではないと、やっていけないと聞いたことがあった。
先程の魔法は、知識の少ない黒壁が見た限りでは、第五位階や第六位階くらいだと推測した。
魔法職を主に選択していない彼女の目からしても、明らかに第八位階へ到達していないと分かったのだ。
「その程度というわけか……」
「――誰だ?」
黒壁がボソリと呟いた。するとモモンガが声を上げる。その声には警戒と威圧が含まれており、受けた仕事を間違えた時のような冷や汗が滴る。
隣を見遣ればドーンも、無表情ながら焦りを感じていたようだ。特に彼女はレベルが100ではないが故に、モモンガの声は酷く恐ろしいだろう。
そこでようやっと、彼女は気付いた。何故隠れて観察していたのだろうか。
それは彼女の癖でもあったのだが、ビジネスパートナーを組んだ以上はもっと早くに声を掛けるべきだったのだ。
黒壁は草むらから出て、姿を現した。
「失礼。私だよ」
「……全く気付かなかったぞ」
「またまた、ご冗談を」
ナザリックの主人であるモモンガが気付かないはずがない――黒壁の中での絶対的な〝信頼〟だ。
きっと自分にも現地での力の差を教えるために、敢えて呼び止めなかったのだ。そう解釈した。
モモンガの隣に立つと、黒壁はチラリと見やる。視線の先には、少女が二人。
少女たちは黒壁に対して、あまり怯えているようには見えなかった。
それもそのはず。黒壁はユグドラシル時代の名残で、異形種だと悟られるような部分を覆い隠す装備をしていた。
ユグドラシルの時には、異形種であるがゆえに仕事が貰えないのを危惧した簡易的な措置だ。
この不可思議な現象に巻き込まれた今では、視線を悟らせないための装備となっている。
もっとも、虫の目を持つ彼女の見ている先を悟る相手など、滅多にいないと思うが。
互いに守り合うようにそこにいる少女達は、おそらく姉妹だろう。姉と思われる娘は怪我をしている。
アイテムボックスに治癒が可能なアイテムは幾つかあるが、それを与えることで黒壁への利益を生むかが結び付けられなかった。
当然だが、現地人と友好的に接することが出来れば、今後の活動が格段に楽になることだろう。
しかしそれが必要なのは、この場において黒壁の方では無い。
「モ――友よ、ポーションなどはあるかい」
モモンガ、と言いかけて黒壁はやめた。
何か潜んでいるか、何が待ち構えているか分からない現状で、互いの名を出すのは不用心だ。
もしかしたら他のプレイヤー――特に友好的ではないプレイヤーが居るかもしれない。
モモンガも黒壁も、一般的なプレイヤーからすれば好まれない類の者。この状況がさらに悪化するのは避けたかった。
モモンガもそれを汲んでいたのか、黒壁の言葉を咎めることはなかった。
以前にも黒壁を〝友〟として、黒壁の部下に自己紹介をしてくれた。それに便乗ではないが、利用させてもらったわけだ。
肝心のモモンガは、ちょうど出来たての死体で〝実験〟を行っていた。
彼のスキルによるアンデッドの作成だ。
それは失敗することなく終えたのだが、命令がまずかったのかアンデッド――
モモンガと黒壁は、走っていく
ユグドラシルでの
「私の記憶に間違いがなければ、あれは本来……」
「ああ、言わんとしていることは理解できる。奴は命令に従ったまでなのだろう。私としては盾の代わりにもしたかったのだが……」
ユグドラシルとこの世界との違いの実験、という意味では結果が知れただけ十分だろう。
今後は命令の仕方に気をつけるという教訓にもなった。
盾という意味では、幸いにも今はドーンが一緒にいる。レベル的な部分でも心配はない。
それにモモンガの背後にある〈
これから誰かが出てくるのであれば、モモンガにとっても不安は少ないだろう。
「……ゴホン、まあいい。ポーションだったか?」
「ああ。彼女達は怪我をしているようだ」
「ふむ……」
今一度、姉妹の方を見やる。ガタガタと震えている割には、微かに強い意思が瞳に宿っている。
黒壁はこの辺りの状況を確認していないため、どうなっているかは分からない。
だが怯える姉妹に、謎の騎士、モモンガの殺人。遠くから聞こえる叫び声、戦う声。そこから推測するのは、集落が何者かに襲われているという現状。
この姉妹もこの年齢で、二人暮らしなんてことはないだろう。
きっと両親に、命からがら逃がしてもらったに違いない。もしかすると生きているかもしれないが、ここまできちんと武装した兵士に対して、一般市民が敵うものだろうか。
二人になってしまった以上、お互いを失うわけには行かない。
だからこうしてきつく抱きしめ、僅かながらに抗おうとしているのだろう。
いつもならばここで涙ぐましい愛情、家族愛だと感動していたことだ。しかし黒壁にはこれといって、感情が湧き上がらない。
あるとすれば、じわりと滲んでいるその傷と血液が、どうにもこうにも〝美味しそう〟に見えてしまったことだけだろう。
(予想はしていたけど、そうか……)
己が人間ではなくなる感覚。人間だったころも大した食事を取っていた訳では無いが、それでも明らかに人ではなくなった。
しかしながら、節度もなくかぶりつくほど人間離れしていない。
ここで自分の状態に気付けたということは、今後の〝空腹〟に向けて何かを蓄えておくべきだろうなと考えた。
課題が一つ浮かび上がったことで、黒壁の予定も立てやすくなった。
黒壁が新たな目標を立てたところで、モモンガの背後にあった〈
黒い甲冑で覆われた女は、美しい声で「遅くなり申し訳御座いません」とモモンガに謝罪を述べた。
「それで、どうしてこちらにあの方がいらっしゃるのでしょうか?」
「たまたま出くわしたのだ。拠点も近いことから、同じく気付いたのだろう」
「……たまたま、でございますか……」
鎧の上からでもわかる、訝しげな視線。
デミウルゴスのこともあってからか、鎧の女――アルベドに疑われているのはよくわかった。
「さて。君の供回りも来たことだ。私もこの地での力の差を確認するとしよう」
「分かった。後ほど合流しよう」
「この人間は君に任せるよ」
このまま同じ場所にいて時間を潰すよりも、自分も実力がどれほど通用するのか確認をしたほうが良い。
それに魔法に特化したモモンガと違って、黒壁には守るようなスキルや魔法を習得していない。
姉妹を保護するにも、結局はモモンガに頼ることになる。ただぼーっと突っ立ってそれを見ているよりかは、時間を有効に使ったほうが良い。
黒壁は
本気を出せばすぐにでも追いつけるのだが、如何せんドーンが一緒にいるぶん速度が出せない。そうはいっても、はたから見たら驚くべきスピードで駆けているのは違いなかった。
「原作の大幅コピー」ってどの程度からなんでしょうか……。
今書いているところが「ほぼ原作では?」と思ってヒヤヒヤしています。