「さて、と」
コードの海に何とか体をねじ込んだ篠澤は、少し開けた空間にいた。
おそらく作業者が入るスペースなのだろう。約一人分くらいの隙間。狭くはあるものの中は整然としており、体の細い篠澤にとってはまだ余裕のある空間になっていた。
しかしーーー
「あつい……」
最低限の空調設備しかないロボット内部は、CPUの排熱などによりかなりの高温になっている。
ただでさえ体が弱いうえに度重なる無理を重ねた篠澤は、既に気絶一歩手前と言えるほど体調が悪かった。
「ふふ、かなり苦しい……」
フラフラとする体を何とか支えながら、篠澤は自身がここに来たきっかけを思い出していた。
篠澤にとって成功とは当たり前のものだった。
できるという結論がある状態で、その道筋を埋めるだけの作業。それが篠澤にとっての人生。
小さい頃に作った工作は、物理学における新たな製法が発見されたと国際的な賞を受賞。
夏休みに研究した内容は、ミレニアム懸賞問題を解くファクターとなり数十万ドルを手にした。
同級生達が小学校を卒業する頃には、海外の大学を卒業して個性に関する論文を発表。それから数年は色々な国に行って研究を手伝っていた。
誰が呼んだか『天才児』それが篠澤広の個性だった。
凄い、素晴らしい、天才だ。
多くの賞賛を貰った。地位も名誉もお金も、何不自由ない生活を送っていた。
彼女はそれを酷くつまらなく感じる。
例えるなら瞬きをするようなもの。
多くの人にとってはできて当たり前で、それを褒められても何も心が動かない。
彼女の人生に壁というものは存在しなかった。
篠澤にとっては成功にも賞賛にも何一つ意味はなかったのだ。
言われたことをやるだけ、それが終われば次のやる事をする。
その姿は、きっと死んではないけど生きてもいなかった。
そんなある時、彼女はたまたま立ち寄った研究室で古い動画が流れていたのを見た。
たった十分程度の短い動画。
燃えて崩壊する街中で、たった一人の男が生身で全てを救ってみせた映像。
みんなが称賛していた。
篠澤も同様に凄いと思った。なぜならば、彼女には
その瞬間、篠澤の胸の奥で何かが燻り始めた。
できて当たり前の事を繰り返すたびに、その燻りは大きな火となって胸を焦がし始める。
誰かを助けるヒーローという存在を見るたびに、言いようのない焦燥感のようなものが日に日に強くなっていった。
ある日、見知らぬ研究員に声をかけられた。
「キミは何を我慢しているんだい?」
「……我慢?」
「ああ、キミは何かを必死に押さえ込んでいるように見えるのさ!」
この胸の燻りを我慢と呼ぶのなら、私は何を我慢しているというのだろうか。
篠澤にはそれを理解することができなかった。その事実がまたも胸を焦がす。
「キミはまだ子供なのさ。いくら大人顔負けの頭脳があろうとも、それは変わらない」
「……」
「そして、我々大人には子供を導く義務があるのさ!」
「私は……」
苦労をして見たい。
足掻いて足掻いて、成功する確率なんてほとんどなくて、諦めた方が合理的で、その先にあるものが何かもわからないような不確かな道を必死に歩いて見たい。
「ならば雄英高校に来てみると良いのさ!」
「……雄英高校?」
「そう! そこではキミに超えられないような困難な壁をいくつも用意する準備がある!」
「困難な……壁」
「もし来たいと少しでも思ったなら連絡をして欲しい。僕たちはいつでも君を待っているのさ!」
そう言って去っていた鼠のような人は、のちに雄英高校の校長先生だったと知った。
そして篠澤広は試験会場へと訪れた。
誰からも期待されていなかったヒーローへとなる道を目指すために。
ただ困難な道を歩んでみたいという、人によっては不純とも思える動機を背負って。
老人にも体力が劣り、小学生よりも力が弱く、赤子のように加護されるべき存在。
それでも彼女はヒーローを目指す。
それが篠澤広の『オリジン』だ。
「制御装置がこれだから、こっちのハブを通していて……」
巨大ロボットの内部で、篠澤は機械の操作をしていた。
中に侵入してから数分がたち試験終了まで秒読みとなったタイミングで、最後の壁が立ちはだかる。
「うん、このコードを切ったら止まるはず……けど」
コードを掴んで揺すってみるも、まるで動く気配がない。
直径5cmほどの黒いコードは壁にしっかりと固定されており、篠澤の手では工具でもないと外すことは出来ないだろうと予想できる。
「でも、時間も工具もない……ふふ、どうしよう」
全員で協力して、死を幻視するような目にあってまで作り上げたこのチャンスが自分一人のせいで潰えそうになっている。
今までの篠澤からすればそれはあり得ないことだった。
ドクドクと心臓が脈打つのが聞こえる。胸が締め付けられ、手汗が止まらない。
任せられたというその期待を裏切ってしまう焦り。篠澤の脳裏には自分を非難する3人の虚像が生まれていた。
『やっぱり広ちゃんに任せるべきやなかったね』
『まったくだ、君ならばと託したのに裏切られた気分だ!』
『篠澤さんにヒーローは無理だよ』
「ふふ、失望されちゃう」
もちろん篠澤自身、短い付き合いとはいえ彼らがそんなことを言うはずがないのは理解している。
きっと許して慰めてくれる、それがわかっていてなお不安の種が消えることはない。
それが苦しくて、悔しくて……楽しかった。
ドォォォォォォンと、ひときわ強い揺れが篠澤を襲った。
外では緑谷たちが巨大ロボの暴走を抑えてくれているのだろう。出なければ揺れはもっと激しく篠澤が無事でいられるはずがないのだから。
「……やるしかない」
篠澤がコードを掴んだ。
固定されたコードと壁の間に無理やり指を入れて引っ張る。
鉄壁に嵌められたネジが皮膚を裂く。
苦労を知らなかった、白魚のような指先の爪が割れる。
既に酷使していた全身の筋肉が悲鳴を上げ、肉の間に亀裂が走るような痛みを感じる。
篠澤は己の全力をこの瞬間にかけた。
成功する可能性なんてほとんどなく、その姿には合理性の欠片もない。
一週間前の篠澤が見ればその姿はまさに馬鹿そのものである。
だからこそ……
「みんなを、裏切りたくないから」
「期待に応えたいから」
「もう、我慢なんてしたくないから!」
篠澤広はいま、生きていた。
「Plus……Ultraaaaaaaaaa!」
蚊の鳴くような掠れた全力の雄たけび。
それに合わせるように、もう一度強い揺れが室内を襲った。
バキンと音を立ててコードが外れた。
「きゃぅ」
壁に足をかけてまで全力でコードを引っ張っていた篠澤は、受け身をとる暇もなく床へと投げ出される。
打ち付けた頭を押さえながら先ほどまで掴んでいたコードを見ると、機械につながれた根元の接続部分が外れているのが確認できた。
それと同時に頭上から声が聞こえる。
「篠澤さん、やったんだね!」
「広ちゃんロボット止まったよ!」
見上げれば小さな入り口部分から緑谷と麗日が笑顔を覗かせていた。
直後に響き渡るブザー音、試験終了の合図だ。
それが聞こえた瞬間に感じる痛み、開放感、疲れ、安堵。
今日一日で積み上げてきたものが怒涛の勢いで篠澤の身に降り注ぎ……
「きゅぅ……」
篠澤広は気絶した。
「ちょ、篠澤さぁぁぁぁぁぁぁん!?」
「広ちゃん!? どどど、どないしよう! とりあえず救急車を……」
そんな言葉を聞きながら篠澤の意識は闇に消えていくのだった。