「名前、決めてくれた?」
古い電車の車内でシュヴァルの母の声が聞こえる。
「シュヴァルグランかヴィブロスと名付ける」
シュヴァルの父が母の問いに答える。
「シュヴァル……ヴィブロス……ふふっ……。シュヴァル……シュヴァル……シュヴァルグラン。ヴィブロス……ヴィブロス……ヴィブロス……」
「違う。……ヴィブロス」
暗闇からヴィブロスの顔が近づいてくる。
「はっ!」
シュヴァルはその光景に驚いて眠りから目を覚ました。シュヴァルが居る場所は病院のベッドの上だった。部屋の窓から日差しが差し込める静かな空間に、蝉の声が聞こえた。起き上がったシュヴァルは、もう一度ベッドに寝転がる。
「知らない天井だ……」
使徒が自爆した跡地を探索する偵察機。太陽が照りつける市街地は、ビルが倒壊し、赤い液体に染められていた。
暗く何もないがらんとした空間に浮かび上がる七つのモノリス。ヴィルシーナは、URAの会合にて、円を描くようにして並んだモノリスに囲まれていた。
「第4の使徒襲来とその殲滅、そして3番目のウマ娘の接収、及びウマ初号機の初起動。概ね既定通りだな」
モノリスに刻まれた番号01の秋川やよいが現状を振り返る。
「初号機本体の膨大な修理費は予定外だがね」
「凍結された零号機と比べれば、さして問題ではなかろう」
ヴィルシーナは手を組んで座り、URAの音声を無言で聞いていた。
調査のために使徒との戦闘現場に来ていたキングヘイローが、防護服に身を包んだミナトに報告を入れる。
「ウマ初号機の回収作業は終了しました。現在、第6ケイジにて固持中、本日一〇より検査開始の予定です」
「暴走時のレコーダーは?」
ミナトは双眼鏡で使徒の爆心地を眺めながらキングヘイローに話しかける。
「容量ゼロです、何も書き込まれていませんでした」
キングヘイローはノート型のパソコンを片手に持ってデータを参照する。
「結果、原因不明。兵器としての信頼性は少し厳しいな」
双眼鏡を下ろしたミナトは怪訝な表情を浮かべる。
「多少不具合でも、第5の使徒出現時にまた役立てばよい」
やよいが今回の件について言及する。
「ご心配なく。初号機の実戦配備に続き、2号機と付属パイロットも、ドイツにて実証評価試験中です」とヴィルシーナは答える。
「3号機以後の建造も、計画通りにな」
「トレセンとウマの適切な運用は君の責務だ。くれぐれも失望させぬように頼むよ」
「さよう。使徒殲滅はサンデーサイレンスとの契約のごく一部に過ぎん。人バ補完計画、その遂行こそが我々の究極の願いだ」
一通りの意見を聞いたヴィルシーナは、落ち着いた態度でそれに答える。
「分かっています。全てはURAのシナリオ通りに」
病室を出たシュヴァルは、廊下に立って窓の外を眺めていた。ひぐらしの声が聞こえる静かな廊下に、移送ベッドが運び込まれる音が近づく。シュヴァルが音のする方に目をやると、ベッドの上で仰向けに寝ているキタサンブラックが通り過ぎるところだった。シュヴァルは、キタサンと目が合うが何も言えないでいた。
「U.M.フィールドを失った使徒の崩壊、予想以上の状況だな」
偵察機に乗り込んだミナトとアサヒ、そしてキングヘイローは、使徒の爆心地上空を飛行していた。アサヒは、冷静な態度で調査結果についての感想を口にする。
「まさに血の池地獄、なんだかセカンド杯みたいで、嫌な感じですね」
キングヘイローは窓際の席から地上の光景を眺める。
「人類とウマ娘は使徒に勝てる。その事実だけでも、人バにわずかな希望が残るわ」
ミナトは、機内で昼食を取り終えて、十字架のペンダントトップを手にして眺めていた。
「その希望を担うパイロットが、気づいたそうだ」
アサヒは、膝の上に乗せたノートパソコンのモニターを見ながら笑みを浮かべた。
第一脳神経外科。横長の椅子が並ぶ待合室で、シュヴァルは昨日の戦いを思い出していた。自分の腕にわずかに残る「折られた感覚」を確かめながら。そこに、シュヴァルを迎えにきたミナトが現れる。
シュヴァルは、特に会話を交わさないまま、ミナトと共にエレベーターの前で立っていた。自らの階に、上りのエレベーターが到着してドアが開く。すると、そこにはヴィルシーナが乗っていた。ヴィルシーナは無言でシュヴァルを見下ろしたまま、微動だにしなかった。シュヴァルは思わず顔を背けた。そのままドアが閉まり、再びシュヴァルの前に壁を作った。
ミナトは何も言わずに閉じたドアを眺めていた。
「一人で、ですか?」
シュヴァルの滞在場所を聞いて驚くミナト。
「そうだ。彼の個室は、この先の第6ブロックになる。問題はなかろう」
係員は規定事項を告げる。
「はい」
「それでいいかい? シュヴァル君」
ミナトはシュヴァルを心配して表情を伺う。
「いいんです、一人のほうが。どこでも同じですから」
シュヴァルは割り切った表情をミナトに見せる。しかし、シュヴァルの孤独の中に自分と同じものを感じたミナトは決心する。
「何言ってんだ!?」
研究室でペンを握っていたアサヒは、受話器越しに聞こえた内容に耳を疑う。
「だから、シュヴァル君は、俺の所で引き取ることにしたから。上の許可も取ったし。……心配しなくても、子供に手を出したりしないから」
ミナトは公衆電話で事の成り行きを説明する。
「当たり前だ! まったく何考えてるんだ! お前って奴はいっつも!」
ミナトの冗談に反応してアサヒが大声を上げる。ミナトは耳から受話器を外して苦笑いをする。
「相変らずジョークの通じない奴……」
シュヴァルを助手席に乗せたミナトの車は、すっかり日の暮れた地上の上を走っていた。ミナトは、シュヴァルを自宅に案内する途中である提案をする。
「じゃあ、今夜は、パーティをやらなきゃな!」
「な、何のパーティですか?」
封筒を抱えておとなしく助手席に座っていたシュヴァルがミナトの方を見る。
「もちろん、新たなる同居人の歓迎会」
ミナトは、ハンドルを握りながらシュヴァルに得意げな顔を見せる。
コンビニに車を止めたミナトは、歓迎会のために大量の食べ物や飲料を買い込む。
「やっぱり引っ越されますの?」
レジに並ぶミナトとの耳に、主婦の噂話が飛び込んでくる。
「ええ。まさか本当にここが戦場になるなんて思ってもみませんでしたから」
「ですよねぇ〜。うちも、主人が子供とあたしだけでも疎開しろって。なんでも今日一日で転出届が百件を越えたそうですよ」
「そうでしょうねぇ。いくら要塞都市だからっていったって、トレセンは何一つアテに出来ませんもんねぇ」
「昨日の事件! 思い出しただけでもぞっとしちゃうわ……」
「ほんとねぇ〜」
シュヴァルは、部外者の反応を目の当たりにして、複雑な心境を噛み締める。
「悪いけど、ちょっと寄り道させて」
買い物を済ませたミナトは、ある場所をシュヴァルに見せたくて、家とは別の方向へ車を走らせる。
「どこへですか?」
大量荷物で膨れ上がったビニール袋を抱えたシュヴァルは、ミナトの方に目を移す。
「秘密」
ミサトはさっきのことを気にせずに、カラっとした態度をシンジに見せる。
丁度、街の向こうに夕日が沈んでいく時間だった。山のふもとから、太陽が最後の光で街を照らし、鮮やかなオレンジ色に染めていた。ミナトは、その景色が見渡せる丘の上にシュヴァルを案内した。
「なんだか……さびしい街ですね」
シュヴァルは、眼の前に広がる景色を眺めて切ない気持ちになる。
「時間だ」
腕時計を見ていたミナトが、街に目を向ける。すると、街中にサイレンが鳴り響き、地面のいたる所から高層ビルが伸びていく。
「凄い! ビルが生えてく!」
「これが、使徒専用迎撃要塞都市、第3新東京市。俺たちの街」
ミナトは、シュヴァルにこの街に慣れて欲しかった。少しでも身近に感じてもらおうと、この場所に案内した。ミナトは選ばれた子供の功績を称えたかった。
「そして、君が守った街」
「シュヴァル君の荷物はもう届いてると思うよ。実は、俺も先日この街に引っ越して来たばっかりでね。さ、入って」
コンビにの袋を手に持ったミナトは、廊下の先にある自分の部屋へとシュヴァルを案内する。
「あ、あの……お邪魔します……」
慣れないシュヴァルは、ミナトの顔色を伺う。
「シュヴァル君? ここは君の家なんだよ」
緊張するシュヴァルを見かねたミナトは玄関に入るように促す。
「たっ、ただいまっ」
遠慮がちに言うシュヴァルに、ミナトは明るい笑顔で答えて見せる。
「お帰り」
「まぁ、多少散らかってるけど、気にしないで」
ミナトが部屋の明りを点けると、辺り一面には、缶コーヒーの空き缶と、一升瓶の山が出来上がっていた。出しっぱなしのダンボール、食べ残しのゴミ、散らかった服。
「これが……多少?」
シュヴァルは、その光景を見ては目を疑った。
「あ、ごめん。食べ物冷蔵庫入れといて」
ミナトは、部屋着に着替えながら扉越しに声を掛ける。
「あっ、はい」
シュヴァルがキッチンの冷蔵庫を開けると、その中身はミナトのずぼらな性格がそのまま詰まっているようだった。
「氷。ツマミ。ビールばっかし。どんな生活してるんだろう」
ダイニングのテーブルに広げられた夕食。その殆どは缶詰か冷凍食品ではあったが、準備は一応整った。
「いただきます!」
ミナトは早速冷えた缶ビールを煽るようにして飲む。
「いただきます……」
シュヴァルは遠慮がちな声を出す。
「ぷっは〜っ! く〜っ! やっぱ人生、このときのために生きてるようなものだ〜! んっ? 食べないのぉ? けっこう美味しいよ、インスタントだけど」
ミナトは、食べ物に手をつけようとしないシュヴァルを見て足を組みなおす。
「いえっ、あのっ。こういう食事、慣れてないので……」
シュヴァルは、椅子の上で肩に力を入れて縮こまる。
「好き嫌いしたら駄目だ!」
ミナトは身を乗り出してシュヴァルの緊張をほぐそうとする。
「いえっ、ち、違うんです。あのう……」
シュヴァルは、ラフな格好のミナトに迫られて動揺する。
「楽しいでしょ。こうして他の人と食事すること」
ミナトは屈託のない笑顔を見せる。
「は、はい……」
「さて、今日からここは君の家なんだから、なんにも遠慮なんていらないからね」
ミナトは椅子の上で胡坐をかきながら、人差し指を立ててシュヴァルにウィンクしてみせる。
「あっ、はい……」
「はいはいはいはいばっかり言って。ウマ娘でしょ、シャキッっとしなよ、シャキッと!
ミナトは浮かない顔のシュヴァルの頭に手を乗せると、髪をグシャグシャと掻き回す。
「は、はいぃ!」
シュヴァルはどう振舞っていいか分からずに、成すがままに身を任せる。
「まぁ、いい、嫌なことはお風呂に入って、パーッと洗い流しちゃいな 風呂は命の洗濯だからね」
ミナトは、固まったままのウマ娘を前にして、砕けた表情を見せる。
更衣室で裸になったシュヴァルは、そこに干してあったミナトの下着につい目が行ってしまう。シュヴァルは、余所見をしながら扉を開けて風呂場に入ろうとしたところ、先客と鉢合わせになってしまう。
「ジュワージュジュワー!」
シンジが足元を見ると、そこにはぴょんぴょんと跳ねて水しぶきを飛ばす肉まんがいた。
「うわぁぁぁーっ! ミミミ、ミナトさんっ!」
シュヴァルは、裸のまま部屋へ飛び出してミナトに驚きの表情を向ける。
「どうした?」
ミナトは椅子に座ったまま落ちついた様子でシュヴァルを見る。
「ああ〜っ! あっ、あぃ〜ぁっ! ……あれっ?」
焦って呂律の回らないシュヴァルの足元を、ゆっくりと肉まんが通り過ぎて行く。
「ああアレ?自立型肉まんって言う肉まんの仲間と言う肉まんの仲間よ」
ミナトは、首にタオルを掛けて部屋に戻る同居人を紹介する。
「あんな肉まんがいるんですかっ!?」
シュヴァルは「アレ」を指差して目を丸くする。
「15年前はね、いっぱいいたのよー。名前はニクニク。縁あってうちにいる、もう一人の同居人。……それより、前、隠したら?」
そう言ってミナトは缶ビールを飲む。
「んっ……? ……うぅっ!」
冷静さを取り戻したシュヴァルは、自分の姿に気がついて、前を隠すと顔を赤くして脱衣所へ引っ込んでいく。
「少し、わざとらしくはしゃぎ過ぎたかな? もうすでに見透かされてるのかもな」
ミナトは無理に引き取ってしまった手前、初日から気を使ってしまったことを反省する。
「佐々木ミナトさん……悪い人じゃないんだ……」
シュヴァルは湯船に浸かりながら天井を見上げる。
『風呂は命の洗濯よ!』
ミナトの言葉を思い出す。
「でも、風呂って嫌なこと思い出す方が多いけどなぁ……」
シュヴァルは小さな声でそうつぶやく。
破壊された零号機の実験施設で、ヴィルシーナは割れた窓ガラスの向こう側を眺めていた。
「キタサンの様子はいかがでしたか? ……午後、行かれたのでしょう、病院に」
アサヒは無言で立っているヴィルシーナに向かって尋ねる。
「問題ないわ。凍結中の零号機の再起動準備が先よ」
ヴィルシーナは淡々とした声でそう答える。
「弟さんはよろしいのですか? 精神的にかなり不安定と思われますが」
アサヒはシュヴァルの件についても確認する。
「放っておきなさい。むしろ零号機凍結解除のいい口実になるわ」
ヴィルシーナは特に意に介さないという態度を取る。
「では、佐々木二佐の提言どおりに」
「予備報告も無く、唐突に選出された三人目の少年。それに呼応するかの様なタイミングでの使徒襲来。併せて、強引に接収されたヴィルシーナ司令の弟。……やはり異和感残る案件」
ミサトは湯船に浸かりながら、今回の件について一連の流れをなぞってみる。
「しかし、あの使徒を倒したって言うのに……俺もあんまり、嬉しくないな」
ミナトは、湯船の縁に頭を乗せて天井を見上げる。
「ここも知らない天井か。……当たり前か、この街で知ってるとこなんて、どこにも無いから」
シュヴァルは、与えられた自分の部屋にあるベッドに寝転んで、音楽プレイヤーのイヤホンで耳を塞いでいた。
「ここは、君の家なんだよ」
シュヴァルの頭に、ミサトの声が蘇る。
「なんでここに居るんだろう……」
使徒との戦いがフラッシュバックする。
ミナトは風呂から上がってタオルで髪を拭く。バスタオルを体に巻いて、廊下に出てシュヴァルの部屋の前を通りかかった時にに足を止める。
「シュヴァル君、開けるよ。……一つ言い忘れてたけど、あなたは人に褒められる立派なことをした。胸を張っていい」
シュヴァルは入り口を背にして横になっていた。すでにイヤホンは外していたが、ミナトの方には振り向かなかった。
「おやすみ、シュヴァル君。頑張ってね」
ミナトはシュヴァルの背中に、そっと語りかけた。