秋の恵みの空の下~メモリーズ―秋―   作:飛鳥 螢

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湯上りの男達

 男湯と女湯に分かれ、それぞれが温泉を楽しんで三十分ほどした頃、男湯から秋生、朋也、春原の三人が一階のロビーに戻って来た。

「ホントに露天風呂行かなくて良かったのか?」

「ああ、中の風呂だけで十分だよ」

 わざわざ谷川まで降りて行くなんて面倒臭いし、入ったらまた上まで階段を登らなきゃならないのだ。源泉が一緒ならそんな苦労してまで入る意味がない。

 秋生に応え、朋也は下り階段の方に目を向けた。

「渚達はどうするんだろうな?」

「折角来たんだから行くって、杏が言ってたぜ」

 右耳周辺に赤く、脱衣所にあったコップの縁の跡を付けた春原が応える。

 一緒の源泉だという事で、最初湯船に潜って隣の女湯に通じる水路がないか探していた春原だったが、それがないと判ると今度は脱衣所からコップを持って来て、それを使って女湯の声を拾っていたらしい。

「お前、懲りないな」

 声だけ聴いて何が楽しいのか。まぁ春原の事だから、それだけで色々と妄想を膨らませられるんだろうが。

「おい、小僧ども。何か飲むか?」

 ロビーの自動販売機の前で、秋生が二人に声を掛けた。

「オッサン、ビールは駄目だからな」

 すかさず朋也が釘を刺す。

 早苗が居ない今、朋也がしっかり監視していないと、秋生は何をしでかすか予測がつかないのだ。

「分かってる。で、何飲むんだ?」

 眉を寄せてパタパタと手を振り、秋生は再度訊いた。

「じゃあ、コーヒー頼む」

「あ、僕は後でいいよ」

 珍しく春原が遠慮する。

 思わず朋也は外を見たが、よく晴れた秋の空に変化はなかった。

「どうしたんだ、お前。何か変な物を——」

 と言い掛けて、朋也は紅葉型の特製ブドウパンの事を思い出して口を(つぐ)んだ。

「まぁ、ちょっとトイレ行ってくるよ」

 両手で腹を抑え、微妙な顔をした春原は、そそくさと男湯の前にあったトイレへと降りて行く。

「やっぱ、早苗のパンか……」

 秋生は買ったコーヒー缶を明也に差し出してポツリも漏らす。

 それを受け取り、朋也も溜息混じりに言葉を返した。

「今回は特に劇物だったみたいだからな」

 ——誰だよ、早苗さんにあんなとんでもない代物渡した奴。

 結局早苗パンは、あれ以上誰の口にも入らずにしっかりと封印されて、今マイクロバスの中にある。帰りの車内で小腹が空いたら食べるという事で残したのだ。

 多分帰りは誰も小腹が空くことはないだろう。たとえ腹の虫が盛大に鳴ったとしても。

 秋生と朋也は、ロビーの外の景色が眺められるソファに座り、缶のプルタブを開けた。

 一口飲んで喉を潤すと、おもむろに朋也が口を開く。

「なあ、オッサン」

「ん?」

「渚の病気、本当はもう治ったんじゃないのか?」

 今日一日見守ってきたが、それらしき兆候も見られなかった。

「ああ、途中倒れる事も覚悟していたんだがな」

 何はともあれ、ここまでは体調を崩すことなく渚は元気に過ごしている。

 後は、ここの食事処に頼んでいた特製のブドウパフェを食べて帰るだけだ。

「まぁ、お前が居てくれて、ホント助かったぜ」

「別に、俺は何も——」

「渚のあんな嬉しそうな顔、見たのは久しぶりだ」

 熱を出すようになってからは、見ることができなくなった顔だった。

 出掛ける事が出来なくても、自分達に心配かけさせまいと、何時も何処か無理をして笑っていた。

 それが、今日は本当に心の底から楽しんで、嬉しそうにしている。

 朋也の言葉を遮り、ソファの背に両腕を掛けて天井を仰ぎ見ながら、秋生はしみじみと呟いた。

 出会ってからまだ一年も()っていない朋也には、その間彼がどんな想いを抱いて渚を見守ってきたのか知りようがなかった。

 その後は無言で外の景色を眺め、それぞれの想いに耽りながら缶のコーヒーを飲んでいたが、不意に何か思い出したのか、朋也が声を上げる。

「なぁ、オッサン」

「なんだ? 小僧」

「春原の奴、遅くないか?」

 あれから随分経っているが、戻ってくる様子がない。

 ——まさか、トイレで倒れているなんて事は……

「俺、ちょっと見てくる」

 心配になった朋也は持っていた缶を秋生に渡し、慌ただしく階段を駆け下りて行く。

「ああ、俺は部屋に戻ってテレビでも見てる。なんかあったら呼べよ」

 その背中にそう声を掛け、秋生は手に持つ空になったコーヒー缶を二つ、自動販売機脇にあるゴミ箱に捨てた。

 二階に上がり、貸し切りの部屋の引き戸の鍵を開けて中に入る。

 開いた窓からは谷川の涼しい風が吹き込み、湯上りの体には丁度良かった。

 秋生は部屋にある備え付けのテレビのリモコンでスイッチを入れると、座卓の上から灰皿を取って、その前にごろりと寝転んだ。

 ポケットから取り出した煙草に火を点けて口に(くわ)える。

 テレビの画面をぼんやりと眺めながら、秋生はさっきロビーでした朋也との会話を思い出していた。

 確かに今日まで渚は熱らしい熱を出してはいない。とはいえ、今はまだ秋も半ばで、その後には熱が出やすい冬が控えている。

 朋也にはああは言ったものの、秋生はこのまま寝込むことなく春を迎えるまでは安心できなかった。

 不意にテレビから軽やかなチャイムが流れた。何か速報があったらしい。

 画面の上部分に白い文字でその内容を表示する。

 それが出た途端、ガバリと秋生は飛び起き、テレビ画面を食い入る様に凝視した。

 同時に、窓の外から女性の悲鳴が上がる。谷川の露天風呂の方からだ。

 ——早苗、渚っ!

 すぐさま秋生は窓に駆け寄って下を見る。

 だが、斜面の木々が邪魔をして下の様子が全く見えない。

「くそっ」

 そのまま飛び降りたいのを我慢して、秋生は部屋を飛び出した。

 つけっぱなしのテレビの画面上のニュース速報にこう書かれてあった。

 『昼過ぎ、果樹園付近の山にわいせつ目的の女児誘拐犯の男が二人逃げ込んだ』——と。

 それは秋生達が今いる、この温泉がある山のことだった。

 




 明けましておめでとうございます。
 今年も読んでくれて有難く思います。
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