秋の恵みの空の下~メモリーズ―秋―   作:飛鳥 螢

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露天風呂

 爽やかな秋空の下、湯煙を上げて湯の滝が谷川に流れ落ちる。

 それを枝葉の間から覗き見ながら(はい)れる露天風呂は、谷川のごろりとした岩を利用して野趣溢れる湯船を造っていた。谷川を吹き抜ける風もあって、とても気持ちがいい。

「はぁ~、きっもちいいわねぇ」

 ざぶりとお湯が流れる湯船に入り、杏は肩まで湯に浸かると満足そうに声を上げた。

 その傍で椋に抱えられながら、一度全身を丸洗いされたボタンが体の下半分を湯に浸けてまったりとしている。

「はい、こんな広い湯船を自分達だけで使うなんて、すっごい贅沢です」

 ふはぁ~と顔を(とろ)けさせ、芽衣は湯船から肩を出し、縁の岩の上に組んだ腕の上に顎を乗せてくつろいでいた。

「ああ、上の浴場からの眺めも良かったが、ここもまた違う趣があっていいな」

 同じく湯船に浸かった智代は、紅葉し始めた雑木林の樹々の枝葉の間から見える湯の滝を見上げながら、近くを流れる谷川のせせらぎに耳を傾けて呟く。

 特に芽衣の言うように、他の客がいないというのがいい。

 と言っても、この温泉場が流行(はや)っていないという訳ではない。普通自分達のような日帰り客は、来るにしてももう少し遊んだ後に来ることが多く、ここに泊まった客も明日は平日なので、昼を過ぎたこの時間くらいになると、近場のあの果樹園に寄ってから帰路につく者が多い。

 先にそこに寄って来た自分達が来た時には、入れ違いに皆出て行ってしまった後だった。

 ここに早苗も居ないのは、渚の初めての友達との遠出なのだから、友達同士で楽しんでもらおうという母親らしい配慮からだ。

「どう渚、気持ちいい?」

 肩まで湯に浸かり、一度も露天風呂に入った事が無いと言っていた渚に杏が尋ねる。

「はい、とっても気持ちいいです」

 火照(ほて)った顔を綻ばせて渚は嬉しそうに応えた。

「初めての温泉で、こんな自然豊かな大きな露天風呂に、こうやってみんなと一緒に入れて良かったです」

「わたしもみんなと一緒に温泉に入れて、とっても嬉しいの」

 ほんわりと相槌を打った後、ふと不思議そうにことみは渚を見た。

「でも、渚ちゃん。今日が初めてってことは、今まで温泉に入ったことないの?」

「はい。わたし、小さい頃からよく熱を出すので、遠出とかできなくて……。町の外に出たのも、今日が初めてなんです」

「ちょ、ちょっと待って渚」

 話を聞いた杏が驚きの声を上げる。

「じゃあ、遠足とか修学旅行とか、今まで行ったことないの!?」

「はい。……実はわたし、今日もまた熱を出して行けないんじゃないかって、思っていたんです」

 俯きながら、心の何処かでこの小旅行を諦めていた事を告げると、渚は顔を上げて自分を気遣うように見る皆の顔を見回し、にっこりと微笑んだ。

「だから、皆さんとこうして温泉に入れて、本当に嬉しいです」

「渚……」

 心の底から嬉しそうに微笑む渚に、杏達も自然と表情(かお)が綻ぶ。

 朋也が前に、渚は病気で一年留年したと言っていたのを思い出し、彼女が少しでも楽しむ事ができて良かったと安堵する。

 湯気が立ち上る湯船に、優しく谷川の風が吹き渡る。

 そんな中、不意に椋の腕の中で目を(つぶ)って温泉を堪能していたボタンが、何かを感じたようにピクッと小さな耳を動かした。

「あ、ボタン?」

 椋の腕から抜け出、お湯から上がって竹で作られた露天風呂の簡易脱衣所の方に走って行く。

「ボタン、どうしたの?」

 杏が湯船から出て、後を追う。

「ぷひっ」

 ボタンの返事が返って来た。

 それを頼りに簡易脱衣所の裏手に出ると、そこは雑木林から人が入って来られないように、露天風呂の敷地の周りを金属製の柵で囲み、景観を損なわない様に更に束ねた細竹でそれらを覆った塀があった。

 ボタンはその一角にちょこんと座っている。

 よく見ると、ボタンが見詰めるそこは細竹の色に似せた金属製の扉になっていた。上に登る階段とは別の、緊急避難用の出口のようだった。

 その扉の向こうで何か物音がする。

 ボタンはこれを聞きつけてきたのだ。

「ボタン、こっちにおいで」

 小声でボタンを呼び戻し、杏は後からついて来た妹達と簡易脱衣所の中に入った。

「お姉ちゃん……」

「しっ」

 何か言いたげな椋を黙らせてボタンを預けると、杏は上着を着込み、サンダルを履いた。脱衣所の壁に立てかけてあった掃除用のデッキブラシを手に取る。

「外に何かいるのか?」

 鋭い視線を塀の方に向け、智代が訊いてきた。

 それに杏は頷く。

「多分。何か物音がしたわ」

「危なくないですか?」

 打って出る気満々の杏に、不安そうに芽衣が訊く。

 もし熊とかだったら、反対にやられてしまう。

「大丈夫。出るのは細竹の隙間から様子を見てからよ」

「その時は、私も出よう」

 同じくデッキブラシを手に取り、上にパーカーを羽織ってサンダルを履いた智代が請け合う。

 そこへ、上の浴場の窓から彼女達の様子を見守っていた早苗が、慌ただしく露天風呂の更衣室の方へかけて行く娘達を見て急いでやって来た。

「何かあったんですか?」

「この露天風呂を囲む細竹の塀の向こうに、何か居るみたいなんです」

 母親の問いに、不安そうに渚が答える。

 それに次いで智代が状況を補足する。

「細竹の中は金属製の柵だから、中に入っては来れないだろうが、念の為何が居るのか確認しに行くところだ」

「だから、みんなはここで待っていて」

 ぐっと手に持つデッキブラシを握り締め、杏が締め括る。

「絶対に無理をしてはいけませんよ」

 早苗が何時になく厳しい口調で二人に注意する。

「少しでも危なそうだったら、すぐに戻ってきてくださいね」

「判ったわ」

「ああ、無茶はしない」

 頷き、二人は脱衣所を後にした。

 金属製の扉の前に立つ。

 緊急避難用だけあって、外からは絶対に開けられないが、内側からだと簡単に開けられる構造になっていた。

 その外に、今も何かいる気配がする。

 杏と智代は頷き合い、細竹の隙間を探して覗き込んだ。

 そこに、目があった。

「っ!?」

 ぎょっとして、杏はばっと細竹の隙間から目を離した。

 同時に、『うわっ』という声が外の方から聞こえる。

「今の声は!?」

 聞き覚えのあるその声に、杏と智代は顔を見合わせ、金属製の扉を勢いよく開け放した。

 

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