温泉の男湯に向かう階段を途中まで下りた春原は、そっとまた階段を上がってロビーにいる朋也達を窺い見た。
二人はロビーの隅にあるソファに座り、何やら真剣に話し込んでいる。当分終わりそうにない。
それを確認すると、春原はまた階段を下りて男湯の入り口横のトイレではなく、中の脱衣所にある外へ出るドアの前に来る。
辺りを見回し、傍に誰も居ない事を確認するとドアを開け、服の下に隠しておいた自分の靴を出す。さっき、腹を押さえていたのは靴を入れているのを隠す為だった。
「へへっ、すぐそこにパラサイトがあるのに、諦められるかっての」
舌なめずりして春原は呟いたが、ここに朋也が居たらきっとすかさずツッコんだだろう。
『春原、おまえ何を寄生させる気だ? それを言うならパラダイスだろう』と。相変わらず横文字に弱い春原だった。
それはともかく、まんまと朋也と秋生を出し抜いた春原は、そこにあったサンダルではなく、脱げにくく足音の少ない自前の靴を履いて、露天風呂に続く階段を急いで下りて行く。
男性用の露天風呂は、女性用よりも湯の滝に近かった。これなら多少大きな物音を出したとしても判らないだろう。
春原はぐるりと露天風呂の中を見回り、女性用と同じに緊急避難用の扉を見つけると、そっとそこから外に出る。
途端に雑木林が目の前一杯に広がる。だが、果敢にも春原はその中に分け入った。
上からは見えなったが、女性用露天風呂の大体の場所は予想できる。体のあちこちに引っかき傷を作りながら、春原は怯むことなく目的の地を目指して進んで行いく。
やがて、雑木林の立木の隙間から、細竹で作られた塀らしいものが見えてくる。
とうとう目的の女性用の露天風呂に着いたのだ。
「やったね」
目を輝かせ、鼻息も荒く春原は喜び勇んで残り数メートルの雑木林を駆け抜けた。
そこに、男が二人いた。
果樹園のフェンス際で会った、あの二人組の男である。
「っ!?」
春原と男二人は、お互い仰天した。
『ボス、ヤバいですよ』
若い不精ヒゲの男がハンチング帽を被った男にこそっと声を掛ける。
『くっ、このガキ俺達に何の恨みが』
苦労してここまで辿り着いたのに、またも邪魔をするとは。
忌々しそうにボスは脱色頭の小僧を睨み付ける。
ビビりそうになりながらも、男達が自分の楽園に手を出そうとしている事実に、春原は奮起した。
「な、なんでおまえら、こんな所にいるんだよっ」
自分の事は棚に上げ、春原は驚く男達に鋭く指を突きつける。
ここで騒がれたらマズイ。苦々しく思いながらもボスは決断した。
『ヤス、逃げるぞ』
『は、はい』
ヤスは何処かほっとしたように応え、身を翻して谷川の河原の方に逃げるボスの後に付いて行く。
「あ、おいっ」
慌ててその後を追おうとするが、あんな男達よりも、春原は細竹の塀の中の濡れ肌に未練があった。
どうせ追い付けないと自分に言い聞かせ、チラリと塀を見てニンマリと笑う。
「さってと、何処か中が見えるトコってないかな」
折角ここまで来たんだし、さっきの男達から護ってやったんだから、少しぐらいご褒美あっていいよねと、細竹の隙間を探してうろうろし出す。
そして、丁度いい具合の隙間を見つけ、そこを覗き込んだ。
——が、
何故か向こう側からも覗き込まれて春原はギョッとした。
「うわっ」
思わず悲鳴を上げ、思いっ切り仰け反った。
次の瞬間、すぐ傍にあった金属製の扉が勢いよく押し開かれる。
「あんたっ、一体何やってんのよっ!」
怒りの形相で、デッキブラシを持った杏達がそこにいた。
「杏、智代っ——て」
温泉に入っている杏達が飛び出して来た事に驚いた春原だったが、それよりも驚いたのは、二人がしっかりと水着を着ていた事だった。
「なんで水着なんて着てんだよ。露天風呂に入ってたんじゃないのかよ」
「あんた、ばっかじゃないの」
目を半眼に、杏は呆れ果てたように春原を見る。
「あんな上から露天風呂まで裸で来る訳ないじゃない」
露天風呂に入るなら、水着を用意するように言われていたのだ。一応施設でも貸してはくれるが、自前の方が安心できるだろうと。だから荷物も水着の他にそれ関連の物を色々持って来て大きめになってしまったのだ。
この事は前もって言われた筈なのだが、春原は何も憶えていなかったようだ。
「まさかと思ったけど、ホントあんたってサイテーね」
「全くだ。こんな所に来てまで、このような馬鹿げた真似をするとは、見下げ果てたヤツだな」
「ちょ、ちょっと待てよ」
女子二人に蔑みの目を向けられ、春原は慌てた。
「僕は覗き見してた奴等を追っ払ったんだよ。ほら果樹園であったあの二人組。そいつらがここでおまえらを覗こうとしてたんだよ」
その後で自分も覗いたことは、綺麗さっぱり忘却の彼方に放り投げて弁明する。
「果樹園の二人組の男? 何処にいるのよ」
杏も智代も辺りを見回し、
「僕に驚いてあっちの方に逃げてったんだ」
春原は谷川の方を指差す。
勿論逃げて行った二人の姿は、既にそこにはない。
「あんた、言い訳するなら、もっとマシな——」
と言い掛けた杏の言葉を遮る様に、春原の背後の雑木林から不意にガサリと音がした。
ハッと口を閉ざし、杏は智代と共にデッキブラシを手に身構える。
春原は体を縮こまらせ、強張った顔を音の方に向けた。
ガサっ、ガサっと何かを踏み分けるような音は更に続き、段々三人の方に近づいて来る。
そして、雑木林からぬっと現れたそれを見て、杏と智代は悲鳴を上げた。