秋の恵みの空の下~メモリーズ―秋―   作:飛鳥 螢

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兄妹の想い

 芽衣は一人トボトボと河原を歩いていた。

 思わず飛び出して来たものの、谷川の河原は大小の石や岩、果ては巨大な岩石まで転がっていて、宿の備え付けのサンダルで走るには足場が悪すぎたのだ。

 転びそうになって慌てて走るのを止め、今は雑木林沿いの比較的土が出ている所を歩いている。

 逃げるなら露天風呂の中にすれば良かったと思ったものの、今更戻るのも気まずい。

「芽衣~っ」

 背後から兄の声が追って来た。

 嬉しい反面、今はまだ顔を合わせたくなかった芽衣は、傍らの雑木林の中に逃げ込み、藪の陰にしゃがみ込む。

「芽衣、何処だ~っ」

 すぐ近くでまた声がする。

「いたら返事しろ~っ!」

 春原が立ち止まって大声を上げるが、芽衣はそこにじっとしていた。

 やがて声が遠退き、ホッとした芽衣が立ち上がりかけた処で、新たな足音がする。

 慌てて身を低くすると、今度は朋也の声が聞こえてきた。

「お~いっ 春原、芽衣ちゃん。居たら返事してくれっ」

 ——岡崎さん……

 そっと藪の隙間から覗いて見ると、何故かデッキブラシを肩に担いだ朋也がそこにいた。

 一瞬出て行こうかと思ったものの、何となく気まずく、やっぱり出るに出られなかった。

 朋也も藪の中に隠れる芽衣に気付かず、そのまま行ってしまう。

 芽衣は全身から力を抜き、近くの樹の幹に背を預けてうずくまると、溜息をついた。

 ——お兄ちゃん……

 お調子者で乗せられやすく、その場の勢いで何かやらかしては何時も怒られていた。でも、すぐ忘れて同じ事を繰り返し、懲りるという事がない。

 今回の事も、あの兄ならやりかねなかった。前に兄の学校の寮の部屋を掃除した時、そのテの雑誌が大量に出てきたから。

 ——だけど、もう噓だってバレてるのに、言い訳し続けるなんて、全然らしくない。

 芽衣の知る兄は、最初は確かに何とか誤魔化そうとするけれど、結局最後にはちゃんと謝っていたのだ。

 ——お兄ちゃんのバカ……

 もう自分のやったことに対して、きちんと謝ることも出来なくなったのかと思うと、情けなくなる。

 小さい頃は、卑怯な事が大嫌いで、大きい子が体格にものを言わせて小さい子をイジメているのを見ると、関係ないのに突っ掛かっていってボコボコにされていた。でも、それでも絶対に諦めないから、大概相手が呆れて去って行くのだ。

 自分もそんな兄に助けられたことが何度もあった。

 だから、(かな)わないと判っていても向って行く兄を狂犬だと言う人もいるけど、顔を腫らしながらも自分に向かって、ニカっと笑みを浮かべてVサインをする兄が誇らしかった。

 不意に、ブルっと芽衣は身を震わせた。

 折角露天風呂に入って温まったのに、すっかり体が冷えてしまった。

 まだ残暑が厳しいとはいえ、水着の上にパーカーを羽織っただけの格好で、こんな所に長く居ればそれも無理はない。

 ——そろそろ戻らないと……

 岡崎さんや皆さんにも心配させてしまっているし、自分の所為で帰りが遅くなっては申し訳ない。

 まだ兄と顔を合わせるのは気まずいが、仕方なく芽衣は薮から立ち上がった。

 河原に出て行く。

 と、そこにサングラスを掛けた男が二人、驚いたように芽衣を見ていた。

 果樹園で見た例の二人組である。

 春原に追い払われたものの、諦めきれずに戻ってきたのだ。

「あ……」

 お兄ちゃんが言っていた事は嘘じゃなかった。

「これは、お嬢ちゃん。丁度良かった」

 男の一人、中年太りのハンチング帽を被った男が、芽衣の体を舐め回すように見てニンマリと笑みを浮かべる。

 思わず芽衣は後退(あとずさ)った。

「ああ、俺達は別に怪しい者じゃないから」

 もう一人の若い不精ヒゲの男の方が、執り成すように声を掛けながら、ゆっくりと近づいて来る。

 顔を強張らせ、芽衣は身を翻した。

 すぐ傍の笹薮の中に逃げ込もうとする。

 その手を、男は慌てて掴んだ。

 ——お兄ちゃんっ。

 芽衣の悲鳴が、谷川に木霊した。

 

 

「芽衣~っ」

 春原は声の限りに叫んだ。

 だが、その声は谷間に虚しく木霊するだけだった。

 そう間を置かずに追った筈なのに、大きくカーブして流れる谷川の河原には妹の姿は何処にも無い。

「ったく、何処行ったんだよ」

 ぶつくさ言いながらも、春原は歩きにくい河原の大きな岩の陰などを覗き込んで妹を捜していく。

 ——芽衣のやつ……

 小さい頃は、何処に行くにも一緒に行くと後を付いて来た。当然足の遅い妹なんて構っていられないから、自分は何時も先に行って、芽衣は置いて行かないでと泣いて走って、転んでまた泣いて……

 結局何時も妹を()ぶって帰る羽目になったのだ。

 ——そうさ、芽衣は何時だって、僕がいなけりゃ……

「おい、春原」

「ああ、岡崎。来てくれたのか」

 昔を想い出していた春原はそれを打ち切り、歩きにくそうにやって来る悪友の許に寄って行く。

「芽衣ちゃんは?」

「それが、何処にもいないんだ」

 春原は表情を曇らせた。

 そう遠くに行っていない筈なのに、一体何処に行ったのか。

「って事は、オッサンが向かった方が当たりってことか……」

 それならこれ以上先に進んでも意味がない。

「戻るぞ」

「ああ、悪いな岡崎」

「いや、おまえの言葉を疑った俺達にも責任あるからな」

 まぁ、もっともあの状況では普通疑うだろう。常日頃の春原をよく知っていれば尚更に。実際未遂とはいえ、女性用の露天風呂を覗こうとしたのは、紛れもない事実なのだから。

 それがあの二人組の男のおかげで有耶無耶(うやむや)になっているに過ぎない。本来なら杏や智代、ついでに朋也や秋生にボコボコにされて温泉に沈められても文句を言えない立場なのだ。

 それなのに、春原は都合よくそこら辺をすっぱりと忘却の彼方にうっちゃり、寛大に言葉を返す。

「気にするなよ、岡崎。分かってくれれば、それで僕はいいんだから」

「そうか。じゃあ——」

 と、言い掛けた朋也の声に、谷川のせせらぎの音を掻き消して、少女の悲鳴が響き渡る。

 ハッと二人は辺りを見回した。

 だが、谷間の所為で声が反響して何処から聞こえてきたのか、よく分からない。

「今のは——」

「芽衣の声だ」

 確信を持って春原が言う。

 耳に手を添え、目を皿のようにして辺りを見回し、ついでにクンクンと鼻を鳴らす。

 耳と目はまだ判るが、何故鼻まで?

 ちょっと腰を引いてしまった朋也が、真剣に辺りの匂いまで嗅いでいる悪友を不気味そうに見ていると、いきなり春原がカッと目を見開いた。

「こっちだっ」

 迷いもなく、コケそうになりながらも河原のゴロゴロした石の上を駆けて行く。

 山に来て野生に目覚めたかの如き悪友に、色々と感じるものがありながら、朋也はその後を追った。

 

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